血縁関係とは、実に鬱陶しいものだ。 これが他人から発せられた言葉ならば、私がこんなにまで悩まなくて済むだろうに…
早速、昨日公開のエッセイ「悪人のままではいつまでも幸せになれない」の最終章部分、“実母の暴言”に関して記載した部分を以下に再掲載させて頂こう。
さて、一昨日郷里の実母より掛かってきた電話の内容だが。
とりあえず私が母の誕生日祝いに贈った「菓子折」に関するお礼を述べた。 そこまでは問題無いのだが、必ず母が付け加えるのが、「米国の長女からは現金ウン万円が通帳に振り込まれたよ! あの娘はいつもまとまった現金をくれるんだけど、これが嬉しくて~~ 」
この実母の愚かさ加減にいつも辟易とさせられる私だ。 これ、誰が聞いたって「アンタからはいつまでも菓子折しか届かないねえ~~」だろ??
この実母と姉との関係に関しては以前にも幾度が述べているが、姉の歪んだ性質のために幾つになろうが何処で暮らそうがただ一人として信頼出来る友に恵まれずにいる。 それを不憫に思っている実母が90歳近い年齢に至って尚、嫌々ながらも電話にて米国の姉の話の聞き役を務めている。
時にはその内容が気に入らないと「また姉が無理難題を吹きかけてきた!」等々とすぐに私に泣きつく。 一昨年など「姉がこの施設まで来ると言ってきた。 あんな非常識な奴にここに来られては私の恥だ! 妹のアンタが何とかしてくれ!!」と何の関係も無い私を巻き込む。
そのくせ、こと姉が「おカネ」を送ってきたとなると手のひら返して「あの子はいい子だ~」などとヘラヘラし始め、上記失言を私に平然とほざく始末だ。
決して実母がおカネに困っている訳ではない。 (子育てをずっと祖母に任せ)定年まで公務員を続けた関係で十分な年金を受け取っているし、資産も蓄積している。 その年金から現在の住まいである「高齢者自立支援施設」入居料を毎月支払ってお釣りがある身にして、何でこうも強突く張りなのか?!
心豊かな余生を暮らせばよいものを、カネが届くとこの様だ。 母がこんなだから、私は若くして郷里を捨て親を捨てて上京し独立するとの選択を強行した。 (父にも問題があったが、既に60代の若さで他界しているため父に関しては時効が成立している。)
下の娘(私の事だが)を捕まえては、いつまでも失言を繰り返す我が実母。
今後、私はこの愚かな実母との関係を如何に続けるべきなのか? 悪人のままではいつまでも幸せになれないよ。 と言ってやりたいものだが…
(以上、昨日公開のエッセイより最終章部分を再掲載したもの。)
実母がこの暴言、「米国の長女からは現金ウン万円が通帳に振り込まれたよ! これが嬉しくて~~ 」 を私に向かって吐いたのは今回が初めてではない。
ある時は、わざわざこれを言いたいがためだけの目的で私に電話を寄越した事もある。 ただその時はそれを聞かされるのが初めてだったのに加えて。
我が家の恥を晒すと。 米国の姉という人間は今も現役職業人であり、離婚により産んだ息子の養育義務も無い(姉側に落ち度のある離婚だったため養育費支払い義務はあった)ため、とにかくよく言えば“身軽”な身だ。 実母に尽くすしかカネの使い道も自身の心の呵責の矛先も無いのであろう。 それを今実母に実行しているのだろう、と私は捉える。
実母はどう考えているのかは知らない。 そんな姉が不憫と思う気持ちもあるのかもしれない。
子供の頃から心理的不安定要因の強い姉に比していろんな意味で実質「優位」な立場にいた妹の私だが、特に成人して以降はその差が歴然となったのは事実だろう。 大人になって以降は、度重なる姉の“結婚の失敗”(私に言わせてもらうとそもそも姉は共同生活能力の無い人間であり、結婚形態をとること自体に無理があったと判断するが。)、それに比して妹の私側は晩婚そして産んだ子供に多少の不具合があったものの、母の私のサリバン力で、ある程度立派に娘を育て上げている。
私の晩婚直後、母と姉が結託して私に言い放った“戯言”がある。 「アンタは“玉の輿に乗った後 ”図に乗って”いる。」 実にアホらし過ぎるし、言うほどの“玉の輿”ではなく私自身は本人同士に関しては“似たもの同士”の婚姻と評価している。 両人の能力が釣り合っていたからこそ成就した晩婚だったと、今でも思っている。 何と言っても我が壮絶なまでの日々の“サリバン業”の欠片も、実母と姉は知るよしもない。 結果のみ見て勝手に羨ましがられても、こっちこそが迷惑だ。
そろそろまとめに入ろう。
要するに、実母としては米国の姉が妹の私よりも“勝っている”事実を、高齢域に達して一つでも見つけたかったのではなかろうか?
それが「姉からある程度まとまった金銭を定期的にもらっている」事なのではないだろうか??
一人で喜んでいればよいものを、いちいち妹の私に電話を寄越してそれを告げ、あの子はいい子だ! と敢えて私に吹聴して来る実母の心理の裏側に、米国の姉が愛おしいとの思いが隠されているような気もして来た。
この現象も少し認知症じみている気もするが。
私に失言を吐くことにより、死ぬ前に実母の米国の姉に対する“愛情”の整合性がとれるのならば、多少鬱陶しくはあるがそれに付き合っても良さそうにも思えてくる。