原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

NHK連ドラ 「純と愛」 総評

2013年03月30日 | その他オピニオン
 昨年10月から始まったNHK連続テレビ小説「純と愛」は、早いもので放送開始後半年が経過し3月30日の本日最終回を迎えた。

 視聴率との“ものさし”で計ると、このドラマは前回の「梅ちゃん先生」あるいはそれより前に放映された「カーネーション」等と比較すると若干その率を下げたようだ。


 この半年間、「原左都子エッセイ集」に於いてこのドラマを何度かピックアップしてきた。

 放送開始後初期段階の11月3日に、「人間の本性が見える」とのタイトルで取り上げたのが一番最初であった。
 その内容を少し振り返りながら、NHKドラマ「純と愛」を復習してみよう。

 視聴率を若干下げてはいるものの、原左都子の観点からは前回の「梅ちゃん先生」よりも今回の「純と愛」の方がずっと面白い。
 その第一の理由は、「純と愛」はドラマ放映当初より脚本に十分な説得力がある、と捉えられる点だ。 主人公純をはじめ、心にトラウマを持っている愛(いとし)、そして二人の家族や職場の同僚達が何故ドラマ内の言動に出るのかに関して説明力がある故に、違和感なく受け入れることが可能だ。
 心に抱えたトラウマ故に「人の本性が鮮明に見えてしまう」現象により、就業困難をはじめ悪行を施した他人にいきなり殴りかかる等不安定要因の大きい愛(いとし)。 主人公純はそんな愛との関係に困惑させられつつも、自分自身が抱えているトラウマとも闘いつつ二人は永遠の愛を誓うまでの関係を築いてく。
 現在の世間一般的な人間関係においては「人の本性が見える」あるいは「見えない」云々よりも、世界規模で政治経済及び国際関係が混沌としているこの時代背景下では、老若男女を問わず日々の人との付き合い生活がさしあたり差し障りなく移ろい行く事に重点が置かれるであろう。
 それでも今回NHK朝の連続テレビ小説において、愛(いとし)を代表する現代に特異的なキャラを取り上げ、それを受け止めようと苦難するこれまたある程度の特異性がある主人公純との人間関係の兼ね合いを描こうとの、実に困難なドラマ設定にあえて挑戦する姿勢を評価する私だ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」昨年11月バックナンバーより一部を引用。)


 ところが、その後このドラマは私にとってさほどのインパクトがなくなってしまった。

 いつものこのドラマシリーズにありきたりの 「絆」 強調バージョンに入ってしまい、人間の心のひだの描き方が雑になった印象がある。

 そもそも、大阪のホテルオーサキを経営破綻させるのが早過ぎた。 ドラマ初期の重役面談会場で「社長になる!」と啖呵を切った若気の至りの純を、その目標に向けてもっと努力させるべく丁寧に描くべきだったのに、安直にホテルを破綻させるシナリオ展開には失望させられた。 

 そしてドラマの舞台が「里や」に移り、ここからNHK連続ドラマお得意の“「絆」の安売り”が始まる…。
 その後、「里や」の従業員メンバーがドラマの最後まで純と行動を共にするとのシナリオ設定なのだが、原左都子に言わせてもらうとこれまた嘘臭い。 従業員皆それぞれが心にトラウマを抱えているならば、一人ひとりにその個性に応じた人生があるはずだ。 にもかかわらず、皆が皆純に迎合して「一緒にホテルを運営したい」だと?!?  この種の安易なドラマ展開を見せられて感動する程私は純粋ではない。

 加えて、主人公純には次々と不幸が押し寄せるストーリー展開と一般視聴者の間では捉えられていたようだが、私に言わせてもらうと純はむしろ幸運に恵まれ過ぎていた。

 失望の中「里や」の女将に助けられ、ゆくゆくは「里や」の経営を純に任せるとのドラマ設定など、さほどの能力のない若い女性にとって“ミラクル世界”以外の何ものでもない。 と阿呆らしくなっていたところ、これまた安直に火事に見舞われるシナリオにより純が「社長」として努力する場面が描かれる事なく次なるドラマ展開へと移り行く。 
 コロコロとドラマを新展開するのではなく、主人公純の成長の程をもっと現実味を持って丹念に描写して欲しかったものだ。
 民放の3か月ドラマとは異なり、半年以上の期日をかけて制作できるNHK連ドラであるからこそ、それが可能と原左都子は期待していたのだが……

 とまたまた失望していたところ、純には次なるアンビリーバブルなラッキー話が持ち上がる。
 今度は出生地宮古島の別荘を持つ「里や」の顧客だった有名デザイナーなる人物が、その別荘を純に提供すると言い出すではないか!  どう考えてもあり得ないよなあ……
 そこでも台風被害に遭うとのシナリオ設定で最終回を迎えたのだが、これまた純の「社長」に向けて努力する姿を描く事を、制作者は全面放棄したと私は捉えている。


 今回のNHK連続テレビ小説「純と愛」は、如何なる視聴者をターゲットとしたのであろうか?  私が推測するに、NHK連ドラとはNHKの視聴者一般である“あらゆる世代の庶民”をそのターゲットとしているのであろうと思う。
 そんな中、今回のドラマの特に後半部分は、如何なる世代に標的を絞ろうか難儀したとも想像する。

 ここで私事を語らせていただくと、還暦近い原左都子など自分自身が過去に於いて癌に罹患したり、父親や親友を突然死で亡くしたり、今現在も義理姉が末期癌で短い余生を余儀なくされたり等々、不幸の連続である。(ただし、この年齢になるとこれを一言で「不幸」と表現できない複雑さもあるのが事実なのだが…)

 人間が年老いるまで歩むべき道程を考察すると、身近な人が突然死に至ったり不治の病に襲われたりすることは特段珍しい事象でもないのだ。 
 好意に解釈すると、人間が置かれているこのような現実を、若い世代にも少しは認識してもらおうと意図したのが今回のNHKドラマ「純と愛」のテーマだったとも考察できよう。
 もちろん未だ若き純にとって、身内の不幸とは壮絶で過酷な試練であろう。 それでもこの現象とは、早かれ遅かれこの世を生きる人間が避けて通れない道程でもあるのは事実だ。


 それでも人とは夢と希望を抱いて生きていかねばならない。
 本日の最終回で自らの意志を純の口からとうとうと語った事に、やっと安堵させられた思いだ。

 いやほんと、心身共に老化段階に入って久しい原左都子も今日純ちゃんが宮古島の海で語った「意思表明」と同じ宣言を脳裏で繰り返しつつ、日々生きているよ! 
 我が娘の将来に向けた自立の手助けを日夜怠らず、実母と義母の今後に渡る介護課題も滞りなくこなしつつ、さらには純ちゃんの夢である「社長になる!」との意向とは少し異なるものの、思いは同じで自分自身の自己実現にも生涯を通して精進したいものであるぞ。

日銀新総裁 黒田氏就任で庶民は微笑めるか?

2013年03月28日 | 時事論評
 新聞報道によると、3月21日に日銀新総裁に就任した黒田東彦氏とはどうやら“話し好き”であるらしい。

 ふ~~ん、そうなんだ。
 黒田氏就任に先立ち退任に追い込まれた前日銀総裁の白川方明氏など、対照的な人物のようだった記憶がある。
 日銀総裁たるもの、口数多く喋ってりゃ一国の金融政策が何とかなるのか? あるいは何も言わずに黙ってりゃ済むものなのか??

 前日銀総裁であった白川氏に関し、私にとって忘れ得ぬ事件がある。
 2009年2月に、自民党麻生内閣の下で財務・金融担当大臣だった(故)中川昭一氏が出席したイタリア・ローマにて開催されたG7の後の記者会見に於いて、中川氏が酩酊して呂律が回らない事件を起こした。
 世界中に放映されたその影像の中で、当時日銀総裁だった白川氏は酩酊状態の中川氏の隣で「我関せず」と表現するべきか、あるいは「僕のせいではないよ」とでも言いたげな“他人事”表情で平然と座っていたのが印象的である。

 中川氏自身が激しい批判を浴びて3日後に大臣職を辞すことになったとは当然として、何故、隣に座って何の対処もしなかった白川氏が責められないのか、私はずっと不思議な感覚を抱き続けている。
 日本の中央銀行である日本銀行の総裁たる立場の者が、その理由は何であれ、酩酊状態の一国の大臣の横に平然と座っている姿は誰が見ても奇妙だった事であろう。 たとえ世界放映の記者会見であろうと、そこは酩酊状態の大臣など欠席させ、中央銀行総裁である白川氏が一人で記者会見を受けて立とうと判断するべきだった。
 大事な場面で一国の要人が何も言えないのも困ったものだ。


 私事を語ると、そもそも“話し好き”な人種を原左都子は好まない。 
 基本的に静寂を好む私は、2人以上の会合の場で相席している誰かにくだらない話を立て続けにまくし立てられたものなら、苛々感が募るばかりで耳を塞いで即刻その場から逃げ去りたい思いに駆られる。

 特に、男の“話し好き”は昔から苦手だ。
 それ故に独身が長かった私は、常にパートナー選別に当たってその点を重要項目として来た。
 “男は黙って、質実剛健!” これに限るとの我が理想を出来得る限り貫いた。 私自身も基本的にはお喋りではないが、それでも“くだらない話”をして場を繋ごうとは一切思わない。 内容の濃い会話を楽しみつつ、貴重な時間を共有したいものだ。


 朝日新聞3月22日「ひと」欄の記事によると、新日銀総裁の黒田氏は「話し出すととまらない」と周囲から言われる程の話し好きであるらしい。

 上記記事の内容を以下に要約して紹介しよう。
 3月21日、2人の副総裁と共に臨んだ就任会見に於いて金融政策への自らの考えをとうとうと語り、1時間45分に及んだ。 物価も給料も上がらない「デフレ」退治の請負人として、第31代日銀総裁に就任した黒田氏は「やれることは何でもやる」と意気込む。
 元々財務官僚だったが、金融緩和に後ろ向きだった日銀とは呼吸が合わない。 日銀への不信感と共に金融政策に関心を持ち02年には財務官としては異例の「デフレ脱却目標」を日銀に提案した。


 原左都子の私論に入ろう。

 そんな黒田氏を、“アベノミクス”を掲げる安倍政権が、白川氏を退任に追い込んででも政権下の日銀総裁に指名しないはずもなかった。 金融引き締め主導の白川氏など、安倍政権にとっては“およびではない”存在だった。 これをとっとと切り捨てるその強引な手法には呆れるばかりである。
 これが長い目で見て吉と出るのか凶と出るのか、未だ国民から票を集めたばかりとも言える現時点に於いて、“アベノミクス”の将来性は多くの危険性を孕んでいると捉えるべきであろう。 

 安倍政権は、この春労働界に“ボーナス満額回答”をももたらすに至った。
 ところがこの“ボーナス満額回答”とは自動車・重工等の一部の大企業に限られている。 すなわちこの恩恵を賜れるのは庶民のごく一部である。 電機業界の中には、経営難により夏のボーナスゼロ回答をしている企業もある。
 
 円安や株高傾向が今後如何ほどの期間持続可能かに関しても、不確実性が高いと考えるべきではなかろうか。

 安倍内閣はせっかく民主党から政権を脱却し与党として返り咲いたにもかかわらず、どうも金融の元締めである中央銀行改革や、経済主体である大企業にばかり視野を向けるとの姿勢において、昔の自民党体質から何らの変貌も遂げていない感覚を一庶民として抱かされる。
 ここはもう少し「票」を入れてくれる庶民の目線に、本気で立っては如何なものか?


 今回のテーマである日銀総裁に話を戻そう。

 日銀総裁たる者、口数が多くても寡黙であってもよかろうが、本エッセイの最後に日本の中央銀行の使命に関して今一度復習しておこう。

 日本銀行とは、1882年に設立された日本の唯一の中央銀行である。
 日本銀行法に基づき「物価の安定」と「金融システムの安定」を目標に、日本銀行券の発行、公開市場操作、資金決済サービス等の各種中央銀行業務を遂行する機関だ。

 創業以来130年の歴史を誇る我が国の中央銀行の長たる者が、時代の政権政策に操られるがままに「金融緩和」にばかり視野を狭める事態とは如何なものか?
 ここは自分の主張を公に話すことばかりに突進せず、少し寡黙な時間も持ち、庶民の立場もわきまえた「脱・デフレ論」を展開することに期待申し上げたいものだ。

高齢者医療、生活の質向上にこそ観点を置くべき

2013年03月25日 | 医学・医療・介護
 (写真は、現在介護付有料老人施設に入居している義母に担当医師が処方した3月分の薬の数々。 これらのすべてを義母は日々欠かすことなく飲用しながら暮らしている。)


 これ、自殺行為じゃないの?! あるいは、医師は年寄りに“劇薬・毒薬”飲ませて殺す気なのか??
 上記処方箋を一見して、私などそういう視点からの感想しか抱けない。

 まず、何故私が義母の上記写真処方箋を手元に所持しているかに関して説明しよう。
 今年に入ってから、ケアマンションに入居している義母の保証人代行(名目上の保証人は義母長男である身内なのだが、日々の管理業務は実質上私が引き受けている)となった私の手元に、ケアマンションより各種月次報告書が届けられるのだ。

 その主たる書類が担当医による診察報告書であり、上記の調剤薬処方箋である。
 本年2月分より我が手元に届くそれら書面に目を通しては、元医学関係者の私は現在の高齢者医療の“お粗末”な一端を見せつけられる思いで、仰天させられるばかりだ。


 ここで少しその書面の内容を紹介しよう。

 まずは医師による義母の「主傷病名」を列挙すると、「高血圧、腰部脊柱管狭窄症、骨粗鬆症、鬱症状、不安神経症、過敏性大腸炎、胆石症(2cm)、緑内障、尿潜血」
 上記に羅列されている「主傷病名」の中で、私が一番気になるのは最後の「尿潜血」である。 その原因が何なのか、またその程度が如何程かに関する情報こそ知りたいのだがそれは書面上では一切不明。 義母本人からもこれに関しての現況等を見聞したことがない。
 次に気になるのは「緑内障」だが、これに関しては眼科専門医に継続受診している様子であるため、おそらく経過観察されていることであろう。
 「胆石」に関しては15年程以前より義母から見聞している。 たまたま健診により発見され、本人自身がよほど気に掛かる様子で手術を視野に入れあちこちの病院を回ったものの、何処の病院の医師の診断もそのまま放置して差し支えないとの事であった。(私自身も医師達の“放置”指示に同意している。)
 「高血圧」に関しては、義母が数十年来に渡り血圧降下薬を飲用させられ続けているため、義母の本来の血圧の程が捉えられない状態だ。
 その他の疾患名に関して私論を述べるならば、そのすべてが「疾患」と表現するよりも「老化現象」範囲内の位置付けと解釈するべき症状ではなかろうか。
 少し懸念を抱かされるのは、「鬱症状、不安神経症、過敏性大腸炎」など、投薬による副作用こそがもたらしている義母の心身を蝕む症状に、更に医療現場が無責任に投薬を重ねている現状と捉えられる点である。

 次に上記写真の「調剤薬処方箋」に移ろう。
 写真上段より、「血圧降下剤」 「ビタミンD] 「総合消化酵素製剤」 「胃・十二指腸潰瘍薬」 「末梢血管拡張剤」 「整腸剤」 「睡眠薬」 「(別種)睡眠薬」 「神経活性剤」 「(別種)神経活性化剤」 「体力回復漢方薬」 

 いやはや、としか言いようがない……

 すべての薬剤を上記「主傷病名」に連動して医師が処方した事は明白だが、もしも担当医先生に医療従事者としての意思やプライドのかけらがあるのならば、相手が死を間近に控えている老人とは言えども“人の尊厳”感覚が抱けないものなのか??   そんな“綺麗事”よりもこの経済難の時代に際しては、患者を薬漬け、検査漬けにする手法に頼り自らの医院を続行することが先決問題なのか?!

 もちろん、我が家でも話し合った。 
 「こんな“毒薬”を日々盛られていたのでは、よほどの生命力でもない限りお婆ちゃん(義母)は薬の副作用で苦しめられ続け、余命は実質短いよ。」  この私の問いかけに対し身内が応えて曰く、「母には元々医学的知識がないし、母が自分で希望して医師に受診し母なりの解釈をして生きているのだから、今更我々が意見できる立場ではない」
 そう言われてみればその通りであろう。 私が義母と出会ってわずか20年足らず。晩婚である我々は義母が年老いて後に婚姻に至っている。  今回保証人代行を任されたからと言って、そんな義母が自分の人生で培って来た価値観を、今更弱輩者の私の力で変えられるはずもない…  義母の心身が蝕まれる事は承知の上で、ここは担当医を信頼している義母の“薬漬け”余生を肯定するしか方策がないのであろう……


 それにしても元医学関係者である原左都子は、今回のエッセイにおいてどうしても訴えたい事がある。

 先だってNHKニュースを見聞していたところ、ここにきてやっと高齢者医療において、延命措置よりも表題に掲げた“高齢者の生活の質の向上”を主眼とするべくことが叫ばれる時代となったとの報道だ。
 時既に遅しではあるが、少しずつでもその方向に向けて医療が変遷して欲しいものだ。

 「原左都子エッセイ集」に於いて既に散々訴えてきているが、現在の医療とは行政と製薬会社及び医師会との癒着により成り立っていると表現しても過言ではない。
 人の命とはそれらの癒着よりもずっとずっと重い存在であることに、国民皆がもっと早く気付くべきだった。

 まだ遅くはない。
 今後は国民の健康教育から開始しよう。 病気になったら即医療機関や薬剤に頼るという発想ではなく、まずは自分自身で自分の健康を守り抜く知識と意識の教育こそが大事である。 これを「予防医学」と言う。

 既に「予防医学」は我が国でも発展・定着しつつある。
 安倍政権がこれに目覚め、医療業界を取り巻く「癒着」と今こそ完全に決別することを望みたいものだ。

アートフェア東京 今年も参加しました!

2013年03月23日 | 芸術
 (写真は、明日3月24日まで東京丸の内 東京国際フォーラムに於いて開催中の アートフェア東京2013 エントランス近辺の写真。 ネット情報より引用。)

 昨年12月に、アルゼンチン首都ブエノスアイレスまで国際美術賞授賞式出席のため同行させていただいた美術家及びギャラリー主宰者として国際的にご活躍中の 長はるこ氏より、今年も上記アートフェアの招待状(VIP Invitation card)を頂戴した。 
 (美術家 長はるこ氏のHPへは、当エッセイ集左欄ブックマークの“B-gallery"よりお入り下さい。)

 昨年のアートフェア東京2012において長はるこ氏が主宰されるB-galleryは、美術家でありタレントでもあられる城戸真亜子氏らとの「3人展」を出展されていた。
 今年のアートフェア東京 B-galleryのブース(P12)は、長はるこ氏ご本人と昨年同様城戸真亜子氏に加え、若手美術家であられる木下拓也氏の「3人展」を出展されておられる。

 昨年訪れたアートフェアオープニングレビュー会場エントランスでは、入場制限をせねばならないごとく大勢の鑑賞客でごった返していて、長蛇の列に並びやっと入場出来る有様だった。 そんな昨年の反省から、娘と相談して今年は少し遅い時間帯に入場する段取りとした。 それでも上記写真のごとく、エントランス近辺はやはり長蛇の列だった。

 日本最大の美術見本市である「アートフェア東京2013」は今年で8回目を迎える。 今回は、「Mercedes-Benz Fashion Week TOKYO(MBFWT)」 と「東京ランウェイ」の3つのイベントが初めて連動して開催されるとのことだ。
 私と娘が訪れた21日に行われたプレスプレビューでは、初参加のwrittenafterwards(リトゥンアフターワーズ)」や「FINAL HOME(ファイナルホーム)」をはじめとする140を超える国内外のギャラリーやパートナーが出展作品を初披露した。
 「アートフェア東京2013」はファッションやコンテンポラリージュエリー、工芸、ヴィンテージフォトグラフィーなどこれまでにファインアートにとどまらない様々なジャンルの展示を充実させたセクション「トーキョーリミテッド」を初導入した。 また、会場内にはファッションデザイナー氏が手がけるプロジェクト等々も展示されるなど、ジャンルを超えた美術作品のワークショップも予定されている。
 東京国際フォーラムの展示ホール全面を使用する「アートフェア東京2013」は、古美術エリアから近現代のブースに広がるようなレイアウトで会場を構成している。
 (以上、ネット情報より一部を要約して引用。)


 ここで話題を変えるが、原左都子が上記「アートフェア東京2013」を訪れた21日の昼間、NHKテレビニュースを見聞していると、ちょうど同期間に東京ビッグサイトで開催される「アニメフェア東京」のニュースが大々的に放映された。
 「ちょっと待ってよ、NHKさん。 アニメフェアが悪いとは言わないが、それよりも先にニュースで取り上げるべきは日本最大の美術見本市である「アートフェア東京」開催の話題ではないの???」  この疑問を即刻家族にぶちまけた私に同調する娘と身内であった。
 もちろん、「アニメフェア」も悪くはない。 手塚治虫氏の漫画の貴重な原本なども展示される様子である。 日本アニメ映画やテレビアニメ番組の世界規模での公開、かつアニメ最先端技術を誇る我が国において、大規模なアニメフェアが開催されたとて何ら不思議でもない。 フェア開催期間中、「アートフェア」よりもむしろ「アニメフェア」の方に入場者数や今後の市場発展力に軍配が挙りそうな予感すらする。


 現在の日本美術界の世界規模での動向は如何なものか?? 
 安倍政権はTPP参加を視野に入れて動き始めたようだが、美術分野の今後の取扱いまでに政策が及んでいるのかどうなのか…
 などとの要らぬお節介心を抱きつつ、「アートフェア東京」会場へ向かった私だ。

 会場混雑のため1年に一度のせっかくの「アートフェア」ではあるが、ゆったりとした気分で美術作品を鑑賞する気にはなれない。 やむを得ず会場内を端折って鑑賞した後、飲食処で娘と二人で寛いで夕食をとり帰宅すると、身内が我々に告げる。
 「今夜のNHK7時のニュースで、アートフェア東京の様子が詳細に取り上げられていたよ。 どうやら外国人バイヤーが今夜のオープニングレビュー会場に多く押しかけていたとの報道だ。」
 そう言われてみると、それらしき外国人の姿も多かったのかもしれない。 外国人とは言えども中韓の方々は日本人と外見がほとんど見分けがつかないため、認識できなかったとも考えられる。

 確か、今回私に招待状をご送付下さった長はるこ先生のギャラリーブースにも、アジア方面よりのバイヤーが訪れ、若手美術家氏の作品を買い求めていたようにも記憶している。


 今回の我がエッセイは「芸術」カテゴリーで綴り公開したが、安倍政権に一つ提案したい事がある。
 安倍政権が掲げる“アベノミクス”に、「芸術」分野は視野に入れているのであろうか?   安倍氏がおっしゃる通り経済発展を遂げたこの国に於いて、次なる課題として欠かせないのが文化活動であろう。 
 「芸術」分野がこの国にもたらす経済効果に関しては、原左都子自身は専門外のため想像が及ばない。 それでも私が少し期待するのは、日本の芸術家達が日々苦労しつつ頑張る姿を目にするにつけ、世界標準で“実力が正当に評価される”分野であって欲しいとのことだ。
 何処の分野でも「本物」だけが空間と歴史を超えて生き残るはず、と原左都子が信じている故である。

東京メトロが東急東横線と繋がった!

2013年03月20日 | 時事論評
 我が家が東京メトロ沿線の現在の地に自宅を買い替え転居したのは、今から遡ることほぼ10年前の頃である。

 前回の我がエッセイ「道路建設計画に翻弄された義母(はは)の人生」の中でも少し紹介したが、我々夫婦は婚姻当初義父母からの資金援助もあって、埼玉県内の超高層タワー物件マンションを購入し住まいとした。 超高層マンション物件が今ほど一般化しておらず、その存在が未だ珍しい1990年代前半の頃の話だ。

 これが実に住みにくい。
 常に強いビル風が吹き荒れ、布団や洗濯物が飛ばされるし、窓が開けられない日も多い。(管理規約によりベランダでの干し物は危険防止目的で全面的に禁止されていたのだが…。) 
 さらには管理費、及び敷地内にあるアウトレットショッピングセンターと共有の地下駐車場にかかる月極駐車料を合わせると、月々5万円に達した。 巷の賃貸物件に住むのと同額程度の管理費駐車場代金を、今後ずっと負担し続けるのは如何ほどかと身内と話し合ったりもした。

 もう一点問題点があった。 
 せっかく“モダン嗜好”の義母が推奨してくれた超高層マンション物件ではあったが、物件の所在地が都心から程遠い位置にあることが、我々若(?)夫婦のライフスタイルにとっては大いなるネックだった事も大きい。
 入居後わずか1年足らずにして、買替転居を決断する事態と相成った。

 その後、わがまま夫婦である我々は三度(みたび)の買替転居を繰り返し、不動産買替により 損失総額4000万円也!を計上しつつ、現在のメトロ沿線の地に引っ越して来るに至っている。

 さすが短期間に買替転居4度目ともなると、今後多額の損失を計上し続けないために次なる住居を永住の地と定める決断を下さざるを得ない。 そのため現在の住居選択に関しては、私の指導の下失敗なき綿密な計画性をもって事を進めた。
 まずは当時小学3年生だった娘の将来に渡る適正教育環境の確保。 親としてはこれが第一の着眼点であろう。
 次に身内が職場に通い易い距離の確保。
 そして一家のライフスタイルに見合った生活環境及び交通環境の確保。これも欠かせない。
 そんなこんなで白羽の矢を立てたのが、東京メトロ沿線駅最寄の地である。

 何分、東京メトロ沿線とは生活のフットワークが実にいい。 都心各地に出向く場合、網目状に網羅されたメトロの乗換えを利用すると、何よりも低運賃かつ何処に行くにも短時間で到着できる。
 中学から私立を目指させていた我が娘は、6年間メトロの乗換えを十分に利用し私立中高へ通学し卒業した。 昨春大学へ進学して以降も、メトロ及びその終着駅より直通運転の私鉄利用で楽に大学へ通っている。
 既に企業を定年退職した身内だが、これまたメトロを都心と逆方向へ日々座席にゆったりと座り楽して通い終えた。
 私にとっても、この地は生涯捨て難い。 趣味の音楽鑑賞や芸術鑑賞、あるいは買い物等々のため都心の地へ出かけるのに日々メトロのお世話になり続けている。 私の現在の生活はメトロ交通網なくして成り立たないと言っても過言ではない。


 さらには私が婚姻後短期間での4度目の住居買替に際して、現在の地を選択したのには私なりの“隠れた理由”があった。
 我が現在の住居が位置する東京メトロ線は、10年前の当時より既に将来「東急東横線」と直通化される予定だったのだ!

 東急東横線と言えば、30代の私が独身を謳歌した頃居住していた地である。
 当時より派手好きではあったが、決して“一ミーハー女”では終わりたくない私は“ブランド物など要らないが、自分が住む家ぐらいは自分の経済力で買うぞ!”と虎視眈々と狙っていた。
 30歳にして、ついに住居購入に踏み切った。  既に“現金一括払い”で家を買えそうな額の預貯金を貯め込み、29歳半ば頃より自分が購入して済む住居を探し求めていた。 結果としては30代にしての二度目の大学進学先に合わせ、横浜の地に住居を購入する決断をした。
 それでも当時まで住んでいた東京にも未練タラタラ状態だ。 そこでターゲット地を東京方面・横浜方面両方に利便性が高い東急東横線に絞り込んだ。 都心からは少し遠くなったが、急行停車駅である「綱島」駅徒歩4分の商店街の地に、私は中古4年2DKマンション物件を購入した。 当時独り身の私にとっては十分な広さだった。  その地から2度目の大学及び大学院へ通う傍ら自分の専門や個性を活かした仕事にも励み、独身貴族を謳歌しつつ、住宅ローンも独身の間に自らの経済力のみで全額返済し終えた。 (現在に至っては“綱島の自宅マンション”は賃貸物件として小遣い程度の収入を得ている。)


 時事論評エッセイにしては、ついつい原左都子の私事が長引いてしまったことをお詫びする。

 皆さんもご存知の通り、先だっての3月16日、東京メトロ副都心線より渋谷駅を通じて東急東横線への直通運転が開始した。
 今回の東京メトロ副都心線と東急東横線の直通運転により、東京メトロ線・東急線を含め、埼玉県西部を走る東武東上線、西武有楽町線・池袋線、それに横浜みなとみらい線も入れて、88、6kmにも及ぶ首都圏の大規模路線ダイヤ路線が開通したとの歴史的首都圏交通網の誕生である。

 メトロ・東急直通運転後初めて迎えた3月18日の通勤ラッシュ時には、渋谷駅において乗客が大混乱したとのニュース報道だった。
 それもそうであろう。 元々渋谷駅の2階に位置していた東急東横線「渋谷駅」であった。 それが何と地下5階に移動し、今までスムーズに移動可能だった1階に位置するJR線乗換に際して、な、な、なんと6階分も移動する労力と時間が発生するとのことだ!
 これが実に迷惑である事態は、サラリーマンを経験している私も重々理解可能である。

 各社鉄道間における直通運行プロジェクトも、でき得るならば鉄道利用者として一番の顧客であるサラリーマンにターゲットを絞ってあげて欲しい思いもする。
 今回の東京メトロ・東急直通運転開始の場合は、おそらく(埼玉県や神奈川県の)遠距離通勤サラリーマンの便宜を第一に図ったものと理解するべきだろう。 そのため、例えば渋谷駅で乗り換えるだけで職場に通えた都心に住むサラリーマン達は、今回の直通運転によりむしろ不便を強いられる結果となるのであろう。


 最後に、今回の東京メトロと東横線直通実現に関する原左都子の身勝手な感想を述べさせていただこう。
 我が野望に満ち溢れていた栄光かつ未熟な遠き独身ノスタルジー時代に、自宅からわずか30分程の時間で直行出来てしまえる今時の鉄道直通事業は、私にとってはミラクル世界とも表現できそうな思いである。
 反面、そんなに簡単に過去の時代に繋がっていいのかと、首都圏交通網の大進化に戸惑いが隠せないのも事実だ…… 

 それでも、近いうちにメトロ直行で東横線「綱島」駅を再び訪れ、我が所有物件近くを散策してみようかと考えたりしている複雑な心境の原左都子である。