親による我が子に対する虐待事件は後を絶たないが、これほどショッキングな手段の虐待を親(しかも両親)が施すのか…、と昨日より驚くと同時に心を傷めている。
早速、「事件」に関して、ネット情報より以下に引用しよう。
北海道七飯町で28日に男児(7)が行方不明になり、道警は29日、両親がしつけで山林に置き去りにしたと発表した。
道警函館中央署や消防など180人態勢で捜索を続けている。 道警によると、両親は当初警察に山菜採り中にはぐれたと通報していた。
道警によると、行方不明になっているのは北海道北斗市の小学2年、田野岡大和君(7)。 大和君は両親とともに七飯町の大沼公園などにドライブした帰りの28日午後5時ごろ、両親からしつけのため同町駒ケ岳の麓の山林に置き去りにされたという。
両親は5分ほどたってから、大和君の様子を見に戻ったが既に姿がなかった。
両親は当初、函館中央署に大和君と山菜採りに28日午後4時ごろ出かけ、約1時間後に父親とはぐれたと説明していた。 同署は両親から詳しい事情を聴いている。
大和君は身長約120センチで、不明時の服装は胸にアルファベットのロゴが入った黒色のTシャツに紺色のジャージー姿。赤色の運動靴を履いていた。 食料や携帯電話などは持っていなかった。
(以上、ネット情報より引用したもの。)
本日(5月30日)昼のNHKニュースによれば、未だ大和君は行方不明状態で発見されていないとの報道だ。
当該NHKニュース報道によれば、大和君の叔父氏と名乗る人物曰く、「いつも一緒に遊んでいたが、とても元気な子でキャッチボールをする約束もしていた。 是非見つかって欲しい。」
ここで一旦、原左都子の私事及び私論に入ろう。
今回の事件の場合、被害者少年の両親共々(更には他の家族も車に同乗していたのか?)が結託して虐待行為をした事実が特徴的ではなかろうか? しかも両親は、その後の道警による見聞にも「大和君が家族からはぐれた」と虚偽の通報をしている始末だ。
(山林に一人置き去りにされるとの形で)虐待された側の大和君のわずか7歳の心理を察するに、やり切れない思いがする。 想像を絶する程の失望感を抱いたであろう。 家族に捨て去られた自分はもう家には戻れない、と幼心に直感したかもしれない…。
大和君に関し、日常的に家庭内で何らかの事情を抱えていた事も考えられよう。 ただ、たとえそうだとしても、両親が結託して大和君を山林に置き去りにする前に打つべき手段は幾らでもあったはずだ。
私自身に話を移すと、子供時代に両親から「虐待」とまで表現するべき被害には遭っていない。
それでも7歳位の頃に、既に私は客観力があった(??)。 そんな私は、例えば自分の行為こそが正当だと確信している事件に対して父から責められ暴力を受けた時、母が私をかばわなかったとの事態に直面した際、両親共々同罪との結論を下した経験がある。
その種の経験を何度か繰り返して現在に至っている。 両親2人が揃っているのなら子供に対してどちらかが過ちを犯しても、どちらかが子供を救う立場に回れよ! との感覚は未だにある。
大和君の場合、“両親共々”が山林置き去りなる「虐待」との過ちを犯した事実が実にいたたまれない…
そんな私が 2016.1.7に公開した「『しつけ』という言葉に私は違和感・嫌悪感を抱く」と題するバックナンバーのごく一部を以下に再び紹介しよう。
私自身、娘を一人育てている。
我が娘の場合、出産時のトラブルにより若干の事情を抱えての誕生だったため、その後の教育・指導の道程は母として並大抵のものではなかった。 娘のサリバン先生の立場でこの22年間誠心誠意全力投入し、娘の成長のために我が人生を捧げて来たといっても過言ではない。
だがそれでも、私は娘に対して「しつけ」をしたとの認識はない。 何をしてきたかと言えば、まさにサリバン先生の立場として、娘がこの世を自力で一生に渡り生き抜くべくの「教育・指導」である。
そもそも「しつけ」という言葉自体が、権力者から目下の子供に対する強制力を伴った行為を想定させられるし、教育者側の“傲慢さ”の匂いが漂い、嫌悪感すら抱かされるのだ。
どこの誰が、可愛い子供に対して「独裁者」に成り得るのだ!?
悪い例ではあるが、子供を虐待して傷つけ苦しめる親ほど、この「しつけ」なる言葉を使って自己を正当化したがる社会風潮があるように私は捉えている。
子供の教育・指導とは、決して“上から目線”で独裁的に子供をしつける事ではなく、子供の目線に立ち個性を尊重しつつ、親も努力しながら共に歩む事と捉えて22年間頑張ってきたつもりだ。
現在未だ行方不明の北海道北斗市の大和君。
今に至って、貴方のご両親は、あなたを山林に置き去りにした事実を少しは反省している様子だよ。
大和君が元気な姿で見つかる事を、心より祈っているよ。
- P.S. -
明日から、旅に出ます。
1週間程ネット世界から一切遠ざかります。
その間、「原左都子エッセイ集」バックナンバーをご覧頂けましたならば幸甚です。
早速、「事件」に関して、ネット情報より以下に引用しよう。
北海道七飯町で28日に男児(7)が行方不明になり、道警は29日、両親がしつけで山林に置き去りにしたと発表した。
道警函館中央署や消防など180人態勢で捜索を続けている。 道警によると、両親は当初警察に山菜採り中にはぐれたと通報していた。
道警によると、行方不明になっているのは北海道北斗市の小学2年、田野岡大和君(7)。 大和君は両親とともに七飯町の大沼公園などにドライブした帰りの28日午後5時ごろ、両親からしつけのため同町駒ケ岳の麓の山林に置き去りにされたという。
両親は5分ほどたってから、大和君の様子を見に戻ったが既に姿がなかった。
両親は当初、函館中央署に大和君と山菜採りに28日午後4時ごろ出かけ、約1時間後に父親とはぐれたと説明していた。 同署は両親から詳しい事情を聴いている。
大和君は身長約120センチで、不明時の服装は胸にアルファベットのロゴが入った黒色のTシャツに紺色のジャージー姿。赤色の運動靴を履いていた。 食料や携帯電話などは持っていなかった。
(以上、ネット情報より引用したもの。)
本日(5月30日)昼のNHKニュースによれば、未だ大和君は行方不明状態で発見されていないとの報道だ。
当該NHKニュース報道によれば、大和君の叔父氏と名乗る人物曰く、「いつも一緒に遊んでいたが、とても元気な子でキャッチボールをする約束もしていた。 是非見つかって欲しい。」
ここで一旦、原左都子の私事及び私論に入ろう。
今回の事件の場合、被害者少年の両親共々(更には他の家族も車に同乗していたのか?)が結託して虐待行為をした事実が特徴的ではなかろうか? しかも両親は、その後の道警による見聞にも「大和君が家族からはぐれた」と虚偽の通報をしている始末だ。
(山林に一人置き去りにされるとの形で)虐待された側の大和君のわずか7歳の心理を察するに、やり切れない思いがする。 想像を絶する程の失望感を抱いたであろう。 家族に捨て去られた自分はもう家には戻れない、と幼心に直感したかもしれない…。
大和君に関し、日常的に家庭内で何らかの事情を抱えていた事も考えられよう。 ただ、たとえそうだとしても、両親が結託して大和君を山林に置き去りにする前に打つべき手段は幾らでもあったはずだ。
私自身に話を移すと、子供時代に両親から「虐待」とまで表現するべき被害には遭っていない。
それでも7歳位の頃に、既に私は客観力があった(??)。 そんな私は、例えば自分の行為こそが正当だと確信している事件に対して父から責められ暴力を受けた時、母が私をかばわなかったとの事態に直面した際、両親共々同罪との結論を下した経験がある。
その種の経験を何度か繰り返して現在に至っている。 両親2人が揃っているのなら子供に対してどちらかが過ちを犯しても、どちらかが子供を救う立場に回れよ! との感覚は未だにある。
大和君の場合、“両親共々”が山林置き去りなる「虐待」との過ちを犯した事実が実にいたたまれない…
そんな私が 2016.1.7に公開した「『しつけ』という言葉に私は違和感・嫌悪感を抱く」と題するバックナンバーのごく一部を以下に再び紹介しよう。
私自身、娘を一人育てている。
我が娘の場合、出産時のトラブルにより若干の事情を抱えての誕生だったため、その後の教育・指導の道程は母として並大抵のものではなかった。 娘のサリバン先生の立場でこの22年間誠心誠意全力投入し、娘の成長のために我が人生を捧げて来たといっても過言ではない。
だがそれでも、私は娘に対して「しつけ」をしたとの認識はない。 何をしてきたかと言えば、まさにサリバン先生の立場として、娘がこの世を自力で一生に渡り生き抜くべくの「教育・指導」である。
そもそも「しつけ」という言葉自体が、権力者から目下の子供に対する強制力を伴った行為を想定させられるし、教育者側の“傲慢さ”の匂いが漂い、嫌悪感すら抱かされるのだ。
どこの誰が、可愛い子供に対して「独裁者」に成り得るのだ!?
悪い例ではあるが、子供を虐待して傷つけ苦しめる親ほど、この「しつけ」なる言葉を使って自己を正当化したがる社会風潮があるように私は捉えている。
子供の教育・指導とは、決して“上から目線”で独裁的に子供をしつける事ではなく、子供の目線に立ち個性を尊重しつつ、親も努力しながら共に歩む事と捉えて22年間頑張ってきたつもりだ。
現在未だ行方不明の北海道北斗市の大和君。
今に至って、貴方のご両親は、あなたを山林に置き去りにした事実を少しは反省している様子だよ。
大和君が元気な姿で見つかる事を、心より祈っているよ。
- P.S. -
明日から、旅に出ます。
1週間程ネット世界から一切遠ざかります。
その間、「原左都子エッセイ集」バックナンバーをご覧頂けましたならば幸甚です。