原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

医学企業勤務時代の同僚女性に 孫が生まれたらしい

2025年01月31日 | 人間関係
 このお孫さんご誕生のお知らせ葉書を頂戴したのは、今年の正月が過ぎ去って1週間ほど経過した時期だっただろうか。


 この女性(Hさんとしておこう)に関しては我が記憶の中に、未だにある程度鮮明に残っている。
 私と同い年だが1年後の入社で、当時既に職場のリーダー格であった私が主にHさんの仕事内容の指導をさせていただいた。

 当時の私の印象では控えめの性格というのか、積極的に質問・疑問を提示するタイプの人格の方では無く、少し指導に戸惑ったような記憶がある。
 いえいえ、そうでないタイプが指導し易い、ということでは決して無い!
 指導者側の個性にもよるであろうが。 
 私にとって今尚記憶に残っているHさんの存在とは、決して薄くは無かったどころか。 私にとって得ることも多かった指導経験として、未だにHさんのことは我が鮮明に記憶に残っている。


 そのHさんとの年賀状交換は、お互いに医学業務の職場を退職した後も続行しただろうか。
 おそらくHさんの方が先にご結婚と共に退職され、子どもさんも生まれたと記憶している。
 
 なんせ、私はその後も二度目の大学進学を志したり、高校教諭経験をしたり、はたまた医学業務に舞い戻ったりと紆余曲折の人生を歩んでいる身だ。
 この私が一人芝居で多忙にしている間にも、毎年Hさんから年賀状を頂戴していた記憶がある。


 そんなHさんとの交流歴史をすっかり忘却していた身にしての、今回のHさんからの年始のご挨拶葉書(すべて直筆!)到着だった。


 今年から、年賀状廃止に踏み切った我が身にして。
 遅ればせながら頂いたこのHさんからの「孫誕生のお知らせ直筆葉書」こそが、この年始に届いた年賀状等々の中で私にとって一番印象的だった。

 にもかかわらず、それが届いた時期がちょうど義母の「青色申告」業務を開始した時期と重なってしまい…
 未だにその返答が叶わなかったとのいきさつだ。


 そして、やっと義母の「青色申告」を終えた私は。

 本日、Hさん宛にパソコンにて手紙を綴って投函した。

 
 今年、「年賀状じまい」を宣言してそれを実行した原左都子だが。


 こんなふうに、過去の時代に交流した同業・同士からの予期せぬ「お孫さん誕生」のお知らせ葉書を新年に頂戴した事実が。

 何にも増して、嬉しかったものだ。 😊  
 

私が70歳過ぎたら… vol.2

2025年01月26日 | 人間関係
 (冒頭写真は、2021.1.26付公開の我がエッセイ集に掲載した写真を再掲載したもの。)



 先程 冒頭表題エッセイを、我がエッセイ集内に発見した。

 
 早速  2021.01.26付同題目エッセイの一部を、以下に再掲載しよう。
 

 冒頭写真の某週刊誌記事を、考察して行こう。

 「70過ぎたら “やめること” “捨てること” “離れること”」との見出しだが。

 私の場合、既に20代で郷里を捨て親を捨て上京して親から経済面で独立し自由の身となっている立場にして、今更それを実行せねばならない立場ではない。
 結婚・出産が遅かったこともあり、自由奔放に生きた時代が長い感覚だ。

 そのまま現在にまで至った挙げ句に、義母・実母に依存される身だが。
 ただ、両人共に施設暮らしを選択してくれている関係で、トラブルすら無ければ特段我が生活が乱されることもない。(このトラブルが一旦発生すると、心痛を抱え込む事となるのだが。)

 “きょうだいの縁”ねえ。
 これも我が40代に、思い切って米国の姉との縁を私側から切った。

 “友人との縁”。
 これに関しても私の場合、嫌な奴らとの縁は既に自然に切れていると判断できよう。

 “子どもとの縁”。
 これに関しては、私にとっては世の中で一番に可愛い娘と(2021年当時)同居中だが、これぞ我が人生を最大に充実させてくれている源とも言えよう。
 (おそらく結婚を望まないであろう??)娘との縁が今後も長く続きそうな事態が、私にとって今後の一番の生き甲斐となろう。

 えっ、なになに??
 “嫌いな嫁” に、“知らない甥” に財産を渡さないと決める???
 私の場合、“嫁”には一生涯縁がなさそうなのはラッキーだが。

 実は “知らない甥”との財産分与は、既に経験・解決済みだ。
 詳述は避けるが、義理姉が膵臓癌で63歳の若さにて亡くなった後に、今まで一度たりとてお会いしたこともなかった義理姉の3度目のご亭主の“甥”と名乗る方より、自身も遺産の取り分がある!との主張が我が亭主の下に届けられた、との事件に遭遇している。
 この際の我が亭主の采配ぶりに私は感動した。 きちんと法制度に従った計算を施し、それを実行に持ち込み一件落着させた。 あの事件の時ほど、我が亭主の力量に感激した事件は未だかつて無かったため、いつもその案件を思い出しては亭主を褒めてやっている。😁

 この私が「老人ホーム」に入る気が無い事に関しては、再三再四表明している。
 何分、徹底的に“集団嫌い”の私だ!
 義母と実母の高齢者施設を訪れる機会があるが、たとえ普段は個室暮らしとしても、食事は皆で一緒等々の風景を見る都度、私には絶対的に無理感を抱かされるばかりだ。

 「人間ドック」に「サプリ」???
 そんなもの原左都子でなくとも、正式な医学教育を受けた人材がそれに依存するすべもなし!
 それと「運動」とを一緒くたにする過ちを犯してはならない。
 要するに、他力本願の「運動」との意味かな? それならば納得だ。

 最後に、「見栄」ねえ。
 興味深い課題だが。
 高齢者が“見栄を張る”場面とは如何なる場面なのだろう。 無い能力をあるがごとくに見せようとする高齢者が多いとの事実だろうか??
 そう言えば、我が郷里実母が施設内でそれを常にやってしまっている電話を受けるなあ。 例えば、娘自慢とかねえ。(特に米国暮らしの姉の自慢をよくやらかしているようだ。 かの過疎地に於いてはそれのみで自慢になり得る!と未だ信じている実母こそが哀れですらあるのだが…)

 等々と自由感覚で記述してきたら、既に3000字オーバーのようだ。

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を再掲載したもの。)



 上記エッセイを公開してから、ちょうど4年の年月が流れている。

 4年が経過した今現在尚 高齢者施設暮らしが続く実母・義母共々が、相当老いぼれてしまっている事実が痛い。😫 
 それでも 両者共々特段の致命的疾患が無く まだまだこの世に生存しそうなのが、返って今後の我が不安材料でもあるのだが… 😖 


 「70過ぎたら “やめること” “捨てること” “離れること”」との見出し。

 これに関して 今まさに私自身が70歳を迎えようとしている身にして、今こそ真剣に考察するべきだろう。

 ただ 原左都子の場合、“捨てること”“離れること”に関しては、随分と早い時期にそれを実行に移している立場である事実に気付かされる。

 まず「親」だが。 私が20歳前半期に単身上京することにより、早くもそれを実行に移せている。

 「兄弟との縁」は既に“縁切り”実行済みだし。 

 「子どもとの縁」に関しても、我が娘側から独り立ちを申し出てくれ 既に親元を離れている。

 「人間ドック」に「サプリ」???
 これに関しては、繰り返すが。 そんなもの原左都子でなくとも、正式な医学教育を受けた人材がそれに依存するすべもなし! だ!!


 そうすると。

 この原左都子の場合は、 70歳を迎えずして。 
 当の昔から  “やめること” “捨てること” “離れること” のすべてを、段取り良く実行(処分)できている身であることに気付かされる。

 これ、我ながら自分を褒めたい思いだ!! 😃 


原左都子からgooブログ公開皆様のブログに「いいね!」をする権利

2025年01月07日 | 人間関係
 つい先ほど、皆様のブログの一部を訪問させて頂きましたところ。


 冒頭の表題に関しましては。

 この原左都子が、皆様のブログに「いいね!」をする権利が回復していた様子です。


 それにしましてもgooの一ブロガーに過ぎない原左都子としましては、今回の表題に関して、大いなる疑問や不快感がぬぐえない思いでおります…


 gooには、今回の措置(トラブル??)に関してきちんと説明責任を果して欲しく考えます!!

 もしも、一時のシステムトラブルであったにせよ、説明責任があると判断致します!!



 正直に申しますと。

 今回のトラブルが原左都子に与えた衝撃の大きさは、計り知れないものがありました…

 一ブロガーとして、他ブロガーが記された素晴らしき記事に、この原左都子とて「いいね!」をする権利は絶対的にあるはずです!! (たとえ、原左都子側が「いいね!」欄を閉鎖しているとしても!!!)

 それを一時でも拒否された身にもなって欲しい程に、gooを恨みました。


 本日、ブロガーとしての貴重な権利が回復した事実に実に安堵しております。

 今後は、gooにはたとえ一時のミス??? であれ。

 このような失態無きよう。

 切実にお願い申し上げます!!!


「2025年 年賀状じまい」 総括

2025年01月04日 | 人間関係
 本年2025年に、古希を迎える原左都子だが。

 これをきっかけに、本年より「年賀状じまい」に踏み切りました!


 自分自身がその行動を実行に移して、気が付いてみると。

 今年年頭に届けられた年賀状の中に、同じく「これにて年賀状じまいをします」なる内容の年賀状が実に多い事!!

 いやはや、この年代になると人間とは同じ発想・行動をするんだなあ、と感じ入ったものだ。


 その年賀状じまいの実態を語ろう。

 そもそも元旦に私宛に届けられた年賀状の枚数が、いつもの半分以下だった。
 しかも届けられた年賀状の文面を読むと、冒頭の如く そのほとんどともいえる枚数の年賀状文面に「年賀状じまい」の文言があった。

 いやはや 古希を超える年代になると、上記記載通り 皆考えることは同じか…  との“仲間意識”ともいえそうな感覚に陥ったものだ。

 まさに、私も良きタイミングで「年賀状じまい」に踏み切ったものと救われる思いだった。


 一方で、昨日遅ればせながら届いた年賀状2通に、「年賀状続行派」の“やる気”というのか、生命力の素晴らしさを垣間見る思いでもあった。

 その2通の差出人は、偶然だが私と同業者の「女性医学関係者」だった。

 そのお一人は、郷里医学部同級生。 一昨年・昨年と2年連続にて出席した郷里での同窓会場でお会いした女性なのだが。
 「年賀状じまい」の一言も無く、蛇柄のカラフルなデザインの年賀状に、「今年も(同窓会にて)会いましょうね。」なる一文があった。
 この方から年賀状を受け取るのは今年が初めてとのこともあり、こちらからは年賀状を出していなかったのだが。
 我が「年賀状じまい」の意向は伏せて。
 頂いた年賀状の図面の「勢い」に合わせて。 こちらからも決して「年賀状じまい」宣言はせずに、元気よさを演出した年賀状を返送した。


 もうひと方は、私が上京後就職した医学関係の民間企業にて同業だった医学関係者の女性だ。
 ただしこの方の経歴も面白い。
 社内でも超美人で名高い女性だったのだが。  何と! 本社総合受付嬢としてスカウトされ、医学業務を中断して その“本社の顔”とも言える受付嬢に転身したのだ! (参考だが、そもそも医学企業であり総合受付嬢にも医学知識が要求されて当然です。)
 同時に、私も 単独にての「医学書執筆業務」を任されて本社へ転勤となり、その女性と本社内で会う機会が多かった。
 そういえば、この女性ともその後ずっと年賀状交換が続いていた。
 今回頂いた年賀状の主たるテーマは、愛犬だったが。 (本日到着したという事は、何らかの理由でポスト投函が遅れたと想像するが)それにもかかわらず、私宛に年賀状をくれた事実に感動させられたものだ。

 この2名に関しては、年賀状を頂いた事実やその内容が嬉しかったが故に、「年賀状じまい」の文言は伏せて、昨日返信をさせていただいた。

 
 という訳で。

 今年の我が「年賀状じまい」を総括するに。

 基本的には、今後「年賀状じまい」の行動に踏み切った事実に関しては成功だったと評価したい。

 ただし、「この人とならば年賀状関係を続行したい!!」とこの私に思わせてくれるが如く “遅ればせながら届けられる年賀状”の存在が偶然あったお陰で。

 「年賀状じまい」を実行するか、否かに関しては。
 今後も 相手の人物像や頂いた年賀状の中身を第一義として 判断したい! と心得る次第だ。


「年末年始がつらい」との気持ち、私なりに分かる気がする…

2024年12月30日 | 人間関係
 (冒頭写真は、2024.12.22付朝日新聞記事「年末年始がつらい」より転載したもの。)


 早速、この記事の一部を以下に引用しよう。

 年末年始の「家族のだんらん」という圧力に違和感を覚える人がいる。 当たり前とされる光景でも、人によっては苦痛になることがある。 (以下大幅略)

 〇 居心地が悪い悪い クリスマス前になるとパートナーがいるいないの話題が増え、一人であることが寂しい事のように語られる場面に遭遇する。 

 〇 年末くらい夫の顔を立てて親にはいはいとすらできないのか、と怒りを感じている。 男は家庭を食わせるためにどんな理不尽なことがあっても頭を下げ、我慢して働いているのだ。

 〇 責められているような 浮かれてくる街並みやテレビニュースは苦手。 

 〇 帰省はしんどいが 年末年始の帰省は 特に母が料理の準備に追われて家の中にいても落ち着かず、何処も混んでいる。 帰省しないとテレビや街の雰囲気とのギャップを感じたり、寂しさを感じたりして面倒。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 この原左都子の独身時代(37歳まで独身だったが)も、盆正月には過疎地郷里の親元によく帰省したものだ。 
 その後も晩婚の後は、亭主と一人娘を連れてやはり我が郷里に帰省した。 
 我が家の場合は 亭主が東京生まれの東京育ちのため、亭主の実家へは普段から出向くことが出来たし。
 亭主の母がなんと!!凄腕の料理名人で、得意の料理をよく振舞ってくれた。 そして、私が(その気も無いのに)😜 「お手伝いしましょうか?」などと声を掛けたものならば 必ずや、「〇子さん(私の事)はここでは“お客さん”でいいの! 下手な気を遣わずにどうぞ楽しんで下さい!」といつも言って下さるのをずっと真に受けて、義母の得意料理三昧を楽しませてもらったものだ!😝 
 義母程の料理名人になると、ド素人の料理オンチに下手に手出しされても邪魔なだけだと悟り、それをずっと実行させていただきました!!😜 

 片や、わが郷里の実母だが。
 まあ、定年まで公務員をしていた身であることを大目に見てやるとしても。 料理が下手というよりも、作る気が一切無い人間だった。(この原左都子も自信を持ってその部類だ!😫 😱
 いやいや、中途半端に下手なものを作るよりも。 今時は郷里のド田舎でも出来立ての美味しい料理が沢山販売されている時代背景故に、それを買ってくるのがベストだろう。 と言う訳で、それを実行していたなあ。

 そうだとして。
 私は、未だ父親(69歳にて他界)が若い時代から、母親が92歳になり高齢者施設入居後の現在に至るまで。
 たまに郷里に帰省しても、特段楽しくも無かったものだ…
 これ、一番の理由は、必ずや実母の「愚痴」や「父親を始めとする他者の悪口」をこの私が聞かされる運命にあったが故だ。😵  米国の姉は、特に米国に渡って後は一切日本の地を踏もうともしないし。(姉とは30年前に絶縁している私としては本気で助かっています!)
 一度 米国の姉から母宛に「日本に帰省してあなたに会いに行く」と申し出があったようだが。 その際の実母が次女の私に言ってくるに、「母の私が大恥かくだけから、どうにか来ないような手だてが打てないものか?!?」 と下の娘の私に電話で泣きついたものだ!!

 要するに、自身が身勝手極まりないお粗末な実母であるとの話だが…
 
 次女の私も、実際問題この実母に現在手を焼かされているのが現状だ。
 いえいえ 実母が他界した暁には、この私が郷里での葬儀を出してやる約束は必ず守ります! そして、「永代供養墓」にも私が入れてやります!

 
 話題がずれたが。

 年末年始に限らず。
 「家族との団らん」などとの言葉とはまるで縁のない関係を親の死に際まで余儀なくされている家庭が、この世に実在していて少しも不思議な事ではない時代であろう。

 今現在の時代背景において。
 そんな我が国の国民の中には、「年末年始がつらい」人が量産されていて不思議ではないと私は考察するし。

 普段の生活が充実していれば、それでよし! と応援しますよ!!😃