原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

原左都子からgooブログ公開皆様のブログに「いいね!」をする権利

2025年01月07日 | 人間関係
 つい先ほど、皆様のブログの一部を訪問させて頂きましたところ。


 冒頭の表題に関しましては。

 この原左都子が、皆様のブログに「いいね!」をする権利が回復していた様子です。


 それにしましてもgooの一ブロガーに過ぎない原左都子としましては、今回の表題に関して、大いなる疑問や不快感がぬぐえない思いでおります…


 gooには、今回の措置(トラブル??)に関してきちんと説明責任を果して欲しく考えます!!

 もしも、一時のシステムトラブルであったにせよ、説明責任があると判断致します!!



 正直に申しますと。

 今回のトラブルが原左都子に与えた衝撃の大きさは、計り知れないものがありました…

 一ブロガーとして、他ブロガーが記された素晴らしき記事に、この原左都子とて「いいね!」をする権利は絶対的にあるはずです!! (たとえ、原左都子側が「いいね!」欄を閉鎖しているとしても!!!)

 それを一時でも拒否された身にもなって欲しい程に、gooを恨みました。


 本日、ブロガーとしての貴重な権利が回復した事実に実に安堵しております。

 今後は、gooにはたとえ一時のミス??? であれ。

 このような失態無きよう。

 切実にお願い申し上げます!!!


「2025年 年賀状じまい」 総括

2025年01月04日 | 人間関係
 本年2025年に、古希を迎える原左都子だが。

 これをきっかけに、本年より「年賀状じまい」に踏み切りました!


 自分自身がその行動を実行に移して、気が付いてみると。

 今年年頭に届けられた年賀状の中に、同じく「これにて年賀状じまいをします」なる内容の年賀状が実に多い事!!

 いやはや、この年代になると人間とは同じ発想・行動をするんだなあ、と感じ入ったものだ。


 その年賀状じまいの実態を語ろう。

 そもそも元旦に私宛に届けられた年賀状の枚数が、いつもの半分以下だった。
 しかも届けられた年賀状の文面を読むと、冒頭の如く そのほとんどともいえる枚数の年賀状文面に「年賀状じまい」の文言があった。

 いやはや 古希を超える年代になると、上記記載通り 皆考えることは同じか…  との“仲間意識”ともいえそうな感覚に陥ったものだ。

 まさに、私も良きタイミングで「年賀状じまい」に踏み切ったものと救われる思いだった。


 一方で、昨日遅ればせながら届いた年賀状2通に、「年賀状続行派」の“やる気”というのか、生命力の素晴らしさを垣間見る思いでもあった。

 その2通の差出人は、偶然だが私と同業者の「女性医学関係者」だった。

 そのお一人は、郷里医学部同級生。 一昨年・昨年と2年連続にて出席した郷里での同窓会場でお会いした女性なのだが。
 「年賀状じまい」の一言も無く、蛇柄のカラフルなデザインの年賀状に、「今年も(同窓会にて)会いましょうね。」なる一文があった。
 この方から年賀状を受け取るのは今年が初めてとのこともあり、こちらからは年賀状を出していなかったのだが。
 我が「年賀状じまい」の意向は伏せて。
 頂いた年賀状の図面の「勢い」に合わせて。 こちらからも決して「年賀状じまい」宣言はせずに、元気よさを演出した年賀状を返送した。


 もうひと方は、私が上京後就職した医学関係の民間企業にて同業だった医学関係者の女性だ。
 ただしこの方の経歴も面白い。
 社内でも超美人で名高い女性だったのだが。  何と! 本社総合受付嬢としてスカウトされ、医学業務を中断して その“本社の顔”とも言える受付嬢に転身したのだ! (参考だが、そもそも医学企業であり総合受付嬢にも医学知識が要求されて当然です。)
 同時に、私も 単独にての「医学書執筆業務」を任されて本社へ転勤となり、その女性と本社内で会う機会が多かった。
 そういえば、この女性ともその後ずっと年賀状交換が続いていた。
 今回頂いた年賀状の主たるテーマは、愛犬だったが。 (本日到着したという事は、何らかの理由でポスト投函が遅れたと想像するが)それにもかかわらず、私宛に年賀状をくれた事実に感動させられたものだ。

 この2名に関しては、年賀状を頂いた事実やその内容が嬉しかったが故に、「年賀状じまい」の文言は伏せて、昨日返信をさせていただいた。

 
 という訳で。

 今年の我が「年賀状じまい」を総括するに。

 基本的には、今後「年賀状じまい」の行動に踏み切った事実に関しては成功だったと評価したい。

 ただし、「この人とならば年賀状関係を続行したい!!」とこの私に思わせてくれるが如く “遅ればせながら届けられる年賀状”の存在が偶然あったお陰で。

 「年賀状じまい」を実行するか、否かに関しては。
 今後も 相手の人物像や頂いた年賀状の中身を第一義として 判断したい! と心得る次第だ。


「年末年始がつらい」との気持ち、私なりに分かる気がする…

2024年12月30日 | 人間関係
 (冒頭写真は、2024.12.22付朝日新聞記事「年末年始がつらい」より転載したもの。)


 早速、この記事の一部を以下に引用しよう。

 年末年始の「家族のだんらん」という圧力に違和感を覚える人がいる。 当たり前とされる光景でも、人によっては苦痛になることがある。 (以下大幅略)

 〇 居心地が悪い悪い クリスマス前になるとパートナーがいるいないの話題が増え、一人であることが寂しい事のように語られる場面に遭遇する。 

 〇 年末くらい夫の顔を立てて親にはいはいとすらできないのか、と怒りを感じている。 男は家庭を食わせるためにどんな理不尽なことがあっても頭を下げ、我慢して働いているのだ。

 〇 責められているような 浮かれてくる街並みやテレビニュースは苦手。 

 〇 帰省はしんどいが 年末年始の帰省は 特に母が料理の準備に追われて家の中にいても落ち着かず、何処も混んでいる。 帰省しないとテレビや街の雰囲気とのギャップを感じたり、寂しさを感じたりして面倒。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 この原左都子の独身時代(37歳まで独身だったが)も、盆正月には過疎地郷里の親元によく帰省したものだ。 
 その後も晩婚の後は、亭主と一人娘を連れてやはり我が郷里に帰省した。 
 我が家の場合は 亭主が東京生まれの東京育ちのため、亭主の実家へは普段から出向くことが出来たし。
 亭主の母がなんと!!凄腕の料理名人で、得意の料理をよく振舞ってくれた。 そして、私が(その気も無いのに)😜 「お手伝いしましょうか?」などと声を掛けたものならば 必ずや、「〇子さん(私の事)はここでは“お客さん”でいいの! 下手な気を遣わずにどうぞ楽しんで下さい!」といつも言って下さるのをずっと真に受けて、義母の得意料理三昧を楽しませてもらったものだ!😝 
 義母程の料理名人になると、ド素人の料理オンチに下手に手出しされても邪魔なだけだと悟り、それをずっと実行させていただきました!!😜 

 片や、わが郷里の実母だが。
 まあ、定年まで公務員をしていた身であることを大目に見てやるとしても。 料理が下手というよりも、作る気が一切無い人間だった。(この原左都子も自信を持ってその部類だ!😫 😱
 いやいや、中途半端に下手なものを作るよりも。 今時は郷里のド田舎でも出来立ての美味しい料理が沢山販売されている時代背景故に、それを買ってくるのがベストだろう。 と言う訳で、それを実行していたなあ。

 そうだとして。
 私は、未だ父親(69歳にて他界)が若い時代から、母親が92歳になり高齢者施設入居後の現在に至るまで。
 たまに郷里に帰省しても、特段楽しくも無かったものだ…
 これ、一番の理由は、必ずや実母の「愚痴」や「父親を始めとする他者の悪口」をこの私が聞かされる運命にあったが故だ。😵  米国の姉は、特に米国に渡って後は一切日本の地を踏もうともしないし。(姉とは30年前に絶縁している私としては本気で助かっています!)
 一度 米国の姉から母宛に「日本に帰省してあなたに会いに行く」と申し出があったようだが。 その際の実母が次女の私に言ってくるに、「母の私が大恥かくだけから、どうにか来ないような手だてが打てないものか?!?」 と下の娘の私に電話で泣きついたものだ!!

 要するに、自身が身勝手極まりないお粗末な実母であるとの話だが…
 
 次女の私も、実際問題この実母に現在手を焼かされているのが現状だ。
 いえいえ 実母が他界した暁には、この私が郷里での葬儀を出してやる約束は必ず守ります! そして、「永代供養墓」にも私が入れてやります!

 
 話題がずれたが。

 年末年始に限らず。
 「家族との団らん」などとの言葉とはまるで縁のない関係を親の死に際まで余儀なくされている家庭が、この世に実在していて少しも不思議な事ではない時代であろう。

 今現在の時代背景において。
 そんな我が国の国民の中には、「年末年始がつらい」人が量産されていて不思議ではないと私は考察するし。

 普段の生活が充実していれば、それでよし! と応援しますよ!!😃 


5歳の娘を道連れに自死したシングルファーザー

2024年12月27日 | 人間関係
 年の瀬に、暗い話題で恐縮だが…


 概して、男とは女よりもずっと弱い生き物であるような感覚がある私だが。

 そうだなあ。
 もしも私が何らかの事情で亭主に家から出ていかれたり、最悪の場合先立たれたりしても…
 おそらく私ならば、一時の辛さを乗り越えて一人娘と2人で力強くこの世を生き抜くことであろう!!と想像する。 例え、未だ娘が幼少であったとしても。


 事件は、今年の7月に起きたようだ。

 以下に、2024.12.25付朝日新聞夕刊記事「シングルファーザー 出していたSOS 5歳の娘を連れ自死」より一部を引用しよう。

 記録的な暑さとなった今年の夏、その日は「大暑」だった。 セミはもう鳴き始めていた。  
 奈良県南部の下北村。 参観のダム湖にかかる橋の下に、2人の遺体があった。
 52歳の父親、5歳の娘。
 近くには父親が借りたレンタカー。 大阪市の自宅からは、80キロ近く離れていた。
 ひとり親だった。 前日の電話はSOSだったのだろうか。 児童相談所や警察への取材をもとに経緯を辿る。
 大阪市のこども相談センターのホットラインに父親が連絡してきたのは7
月21日の昼過ぎだった。 「死にたい」とも口にしていた。 
 センターには、一時保護の調整を担う職員がいたが、結果として通話は父親の「死にたい」との言葉を聞きながらも、一時時間を置いた。 その理由は、まず落ち着いてもらう必要があると判断した故だ。
 1時間後にセンターが電話をかけると、父親は「レンタカーで外に出ている」。 行先を訪ねると、「人がいないところ、誰もいないところ」。
 職員は「その流れでセンターに来てください。お預かりの話をしましょう」。 また電話は切れた。
 この時はすぐにセンターは電話を掛け直し再びの来所を促したが、通話は途切れた。
 センターは緊急性が高いと判断した。 通報を受けた大阪府警も父子を探し始めた。
 センターはその後も10回程電話をかけたが、つながらなくなった。
 翌22日朝になって、大阪府警から奈良県警へ連絡が入る。 奈良県下北山のダム湖にかかる橋付近の捜査を始める。
 地元の警察官が橋の下で、2人の遺体を見つけた。 奈良県警は、父親が日付が変わる前後に「無理心中」を図ったとみている。

 ちなみに、児童センターと父親との関わりはこれが初めてではなかったようだ。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)


 
 ここで、原左都子の“やりきれない虚しさ”を述べよう。

 この父娘2人が死を求めて、車で奈良県下北村のダム湖付近を彷徨っている間の5歳の娘さんの心情はどんなものだったのか、が一番気がかりだ。

 新聞報道を読む限り、娘さんに関する記載が一切無い、ということは。
 車内の父娘2人の関係性は、悪くは無かったものと想像する。
 あくまでも 娘さんは唯一頼れる父親を信じ切って、行動を共にしていたことであろう。 まさか、その後無理心中に至るとは思ってもいなかったのではあるまいか??

 相談を受けた大阪中央子ども相談センターが 父親から「死にたい」との言葉を聞いた直後にすぐに対応できれば、二人は自死を免れたのかもしれないが。

 とにかく二人は、父親の自死及び父親による長女殺人に至ってしまった…
 実に悲しく辛くやるせない事件である。



 ここで 我が家の親子関係の様子を語ったところで、何ら埒が明かないことは承知だが。
 我が家の亭主が 晩婚後何年経過しても実に“いい奴”である事実に、今更ながら救われる思いだ。
 これだからこそ、既に外で一人暮らしをしている一人娘が たまにだが喜んで我が家を訪れてくれるのだと感謝感激だ。😃 

 
 まあそれにしても、男とは女よりもずっと弱い生命体であることを実感させられる事件だ。
 妻に逃げられたとて、何も娘を引き連れて無理心中せずして、2人がそれぞれに生きる道の選択肢はいくらでもあっただろうに…

 あるいは 死にたいならば父親一人で死ぬべきだった、と思うのも我が本音だ!😡 
 何も 娘を引き連れる必要はなかったはずだ。 
 こんなところにも、男の“弱さや身勝手さ”を見る思いだ…

 とにもかくにも、父娘お二人の冥福をお祈り致します。


韓国焼酎「ジョウンデー」と佐川急便小型バン宅配員のおにいちゃん

2024年12月25日 | 人間関係
 (冒頭写真は、韓国焼酎ジョウンデー 360ml。)


 クリスマスにふさわしい話題かどうかは不明だが。

 本日先程、佐川急便の小型バン宅配員のおにいちゃんがいつものごとくこの「ジョウンデー」20本箱入りを、我が自宅までお届け下さった。

 この佐川急便のお兄ちゃんとは、我が家が現在の住居地に引っ越してきて以来 23年程の宅配便のお付き合いとなるのだが。

 今でもよく覚えているのは、23年程前の頃最初に我が家へ宅配をお届け頂いた時に、このお兄ちゃんがご丁寧に自己紹介をして下さった事実だ!
 「ぼくは佐川急便の社員ですが、この辺りの地域に宅配物を届けている者です。現在18歳です。 今後共よろしくお願い致します。」
 元々お顔が可愛い方で、印象深いタイプの若者なのだが。 その可愛さに加えて、こんなご丁寧な挨拶を宅配員の方から頂いたのは初めての事で、私も感激したものだ。 「こちらこそよろしくお願い申し上げます」とニコニコ笑顔で答えただろうか。

 その後、時が流れるのは早いもので、私が左膝複雑骨折をした時の話なので2年程前のこととなるだろうか?
 一度目の手術が終わった日に亭主に連れられて松葉杖で何とか自宅マンションへ帰り着くと。  ちょうどその佐川急便のおにいちゃんが、我がマンションに配達に来られていた。
 そして、私に声かけて下さるに、「脚、どうしたんですか!!」 その回答として私が手短に「左膝複雑骨折」に関して話すと。 「それは大変でしたね! 大事にして下さい!」と励まして下さる。
 その後も私の松葉杖姿を見かける都度、「膝骨折は順調に治っていますか?」と尋ねて下さるのだ!

 (もう本当に、なんていい子なのかしら!)😍  と内心思いつつ、その後膝の状態がかなり良くなった時期に我が家に配達物を届けに来られた。
 そして聞いて下さるに、「左膝の具合はどうですか?」 私が応えて、「なかなか元通りになるのは困難なようで、未だにまともな歩行は出来ていません。」
 それに応えて、「自分の知人がリハビリ病院に通っているのですが、それをすると多少マシになるようですよ。」
 そのご親切心は大変ありがたいのだが、まさか私自身が医学関係者である事実を暴露する訳にも行かず、お礼のみ伝えてうやむやに話を終わらせた。😖 😷 

 月日が流れて、本日の事だ。

 ここのところ、韓国焼酎「ジョウンデー」をずっと定期的にお届け頂いている関係で、佐川急便のこの担当者氏が我が家を訪れる回数が多いのだが。

 本日、「ジョウンデー」をお届け下さっておっしゃるには、「ここのところ、ジョウンデー注文の回数が増えていますね! そんなにこれが好きですか?」 (参考ですが、全く嫌味なくそう尋ねて下さった。)

 私が応えて、「好きですよ! とても飲みやすいんです。 一日1本にしてますけど。」
 (最後の一言は、飲兵衛ではあるが日々飲んだくれている訳でも無い、との説明を是非したかったが故の苦し紛れの追加の一言でした!)


 参考だが この宅配員さん、亭主が宅配物の引き取りに出る時と私が出る時との会話の “使い分け” をきちんとしているようだ。
 亭主に対しては、かなり丁寧な言葉を発しているのを聞いて。
 そうか、やっぱり私に対してはより親しみやすさを感じてくれているんだなあ。
 などと、一人勝手にほくそ笑んでいる私です。😁 

 それにしてもこの宅配員さん、現在40歳を超えていると私は計算しているが、外見が初期にお会いした時とさほど変わらない風貌の可愛さなのが不思議だ。😋 😜 


 という訳で、本日のクリスマスも我が家はいつもと何ら変わらず ジョウンデーで乾杯です!!