原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

2020東京五輪またや大失策、エンブレムにパクリ疑惑

2015年07月30日 | 時事論評
 2020東京五輪組織委員会は一体何やっているんだ!?!

 新国立競技場建設計画に関する大失策にて8割以上の国民から「建設反対!」バッシングを受け、建設計画が白紙に戻った矢先である。


 建設白紙措置により五輪組織委員会内でも何らかの反省と今後の展望の下に出直すはずであろう事と、五輪開催反対派の立場としても信じようとしていた矢先、またもや不祥事が発覚した。

 次なる大失策は「五輪エンブレム」に関してだ。

 実は私はつい先だって発表された「2020東京五輪エンブレム」をニュース報道にて見た直後より何やら“不吉”な予感を煽られていた。
 それはデザインの主幹となる色彩に「黒」を使用している事実である。
 世界のスポーツ華の祭典であるオリンピック(及びパラリンピック)に「喪章」である黒を基幹色に使用したデザイナーの意図の程を疑ったのだ。 
 これを好意に解釈するならば、東日本大震災及びそれに伴う東電福島第一原発事故の後処理も後手後手に回っている国内事情真最中での2020東京五輪開催。  せめても、大震災被害者皆様へのレクイエム、及び今尚東電原発事故により未だ避難生活を余儀なくされている皆様に対する痛恨の思いをデザイナー氏がこの「黒」に込めたものであればよいと解釈していた。

 そうしたところ本日のニュース報道を見聞して、まさにこのエンブレムが東日本大震災時に寄付を募る目的に作られた壁紙アプリWall for japanに収録された壁紙であり、各国のデザイナーが日本震災支援・寄付のためにデザインした画像の一つと瓜二つ である事実が判明した。

 原左都子自身が、今回の“東京五輪エンブレム”が我が国の東日本大震災犠牲者のために捧げられるものであるならば少しは納得できると考えた事が、真実だったのか?
 もしかしたら今回採用されたデザイナー氏も私と同じ思いだったのか… 

 等々と望みを繋ぎつつ、以下にネット情報より今回のエンブレムパクリ疑惑に関するNKH報道をネット上より引用して紹介しよう。
 2020年東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムに似たデザインがベルギーとスペインで作成されていたことについて、組織委員会は各国の商標を確認してIOC=国際オリンピック委員会の承認を得ているので問題はないとの見解を示した。
 東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムは、組織委員会がデザインコンテストで複数の受賞歴のある個人を対象に募集し、審査の結果104の作品から選ばれ、去年11月に内定した。 その後、組織委員会では半年以上かけて世界各国で似たようなデザインがすでに登録されていないかどうか、IOC=国際オリンピック委員会と情報交換しながら確認した上で国際商標登録を申請し、今月24日発表した。
 このエンブレムにつき、ベルギーのグラフィックデザイナーが2年前に作った劇場のロゴマークや、スペインのデザイナー事務所が東日本大震災からの復興のために作った画像とデザインが似ていることが分かった。 このうち、スペインのデザイナー事務所が作成した画像は、寄付を募る目的で作られたスマートフォンの壁紙用にデザインされたもので配色も似ている。 これについて、組織委員会は「デザイン内定後、長い時間をかけて世界各国の商標を確認してきた」とした上で、国際オリンピック委員会の承認を得ているので問題はないとの見解を示した。 またIOCのマーク・アダムス広報部長は「エンブレムのデザインを巡っては、同じことはしばしば起きる。リオデジャネイロオリンピックのエンブレムも、多くの人が『ほかと似ている』と言っていた」と述べて、問題はないという認識を示した。
 組織委員会「問題ない」発言に関して。  大会のエンブレムについて、組織委員会は去年11月に佐野研二郎さんのデザインに内定したあと、世界各国の商標を確認しながら、すでに登録されているものに抵触しないようにデザインを少しずつ変えてきた。 最終的にIOC=国際オリンピック委員会の承認を得て今月24日に発表し、現在国際商標登録の手続きを済ませている。組織委員会は「各国の商標をクリアしており問題になるとは考えていない」としている。
 東京都舛添知事「問題はないと説明受けた」。 「似ていると言われれば似ているが、組織委員会が責任を持って決めたと聞いている。組織委員会からは特段、問題はないと説明を受けた。ベルギーのデザイナーから法的な訴えがあれば対応しなければいけないが、経過を見て行きたい」。
 官房長官「個人の主観によるのでは」。 「大会の組織委員会からは、発表前に国内外における商標調査をへており、問題ないと報告を受けている」 その上で菅官房長官は記者団が「似ていると思うか」と質問したのに対し、「個人の主観によるのではないか。いずれにしろ政府としてのコメントは控えたい」と述べた。
 IOC副会長「なかなか信じがたい」。 東京オリンピックの準備状況を監督する調整委員会のコーツ委員長は、30日午前9時前、マレーシアのクアラルンプールで取材に応じ、「その話は今初めて聞いたが、なかなか信じがたい。東京の組織委員会は、デザインを決める過程の中で、ロゴマークを守るために正しい手続きをしているはずだ」と話した。その上で、「デザインの知的所有権を主張する人がいるならば、ロゴマークは東京の組織委員会のものなので、組織委員会が対応すべことだ」と述べて、IOCとしては現時点でこの問題に対応しない考えを示した。
 (以上、東京五輪エンブレム パクリ疑惑に関するネット情報より一部を引用。)


 相変わらずネット引用が長過ぎた事をお詫びしつつ、原左都子の私論で締めくくろう。

 あくまでも我が推論に過ぎないが、今回の「東京五輪エンブレム」パクリ事件に関しては、もしかしたらデザイナー氏が意図して事件を起こしたのではなかろうか? なる疑義すら抱く私だ。
 更には、もしかすると当該デザイナー氏も最初から2020東京五輪に反対の立場だったのではあるまいか??  そう推測せねば、あえてエンブレム基幹色として、日本人なら誰一人知らないはずがない葬儀を意味する「黒」を世界の祭典である五輪エンブレムに採用するとは考えられないと私は捉えるのだが!?

 我が国日本の政権が今現在最優先してやるべき事とは、東日本大震災勃発後未だ復旧が叶ったとは到底言い難い復興政策への尽力であり、東電福島一原発事故の今後長年に渡る後始末であるはずだ。
 そんな政権が抱える第一義の政策を忘れ去ったように(国民の視点から敢えて忘れ去らせる魂胆で)、安倍政権は2020東京五輪開催招致に躍起になった。

 それが叶ってしまった今現在、安倍政権は国家財源危機にもかかわらず各方面で暴走を続ける日々である。
 やっとこさ、集団的自衛権論争に関して法治国家である我が国内で「法的安定性など関係ない!」とホザいた事務次官とやらの輩が野党から叩かれている始末だ。

 後5年後に控えている2020東京五輪に関しても、国民の皆さん、出来得る限り国家財政(及び東京都政)からの支出を控えるべく対処しようではないか!

 繰り返すが、今回の「東京五輪エンブレム」デザイン“パクリ事件”に関しては、もしも(我が推論通り)デザイナー氏が東日本大震災(東電福島原発事故も含め)に対するレクイエムの意味合いを込めて敢えてパクリを実行したのならば、私もそのデザインを2020東京五輪に是非とも採用する事を推薦したい思いだ!

“ハズレ妻”で上等! 男どもも飯ぐらい自力で用意しろ

2015年07月27日 | 時事論評
 男に食わせてもらっている女同士で首絞め合ってどうする!?!

 これぞ、以下に紹介するネット情報を読んだ直後に私が抱いた一番腹立たしい感想だ。


 早速、今朝方見たネット情報 「スーパーの惣菜はハズレ妻、で大論争」 の内容を要約して紹介しよう。 (2015年7月26日(日)11時1分ネット配信)

 「お前の嫁さんは良妻賢母でいいよな」「うちの嫁はだらしなくて…」など、既婚男性の間ではお互いの家庭事情の話をすることも少なくない。 ごく限られたプライベート空間での会話であれば、よくある愚痴で済む話だが、ネット上の掲示板で「もしかしてハズレ妻を引いてしまったかも」と、投稿した男性に注目が集まっている。
 会社の同僚とお互いの妻について話していた投稿主。 どちらの家庭も子を持たず、パートに行く妻の労働時間も大差はない。 しかし同僚は毎日妻の手作り弁当を食べ、夕食ももちろん妻の手作り。 一方、投稿主は弁当もなく、夕食は週に3回ほどスーパーで買ってきたお総菜が食卓に並ぶ。 はたして投稿主の妻は“ハズレ”なのか。 掲示板には400件以上ものコメントが寄せられており、ハズレ妻派とハズレ夫派で対立しているようだ。
 【ハズレ妻派のコメント】
  ・週の半分がお惣菜だったら、どう考えてもハズレでしょう。
  ・パート勤務でお惣菜やインスタントはありえない。
  ・アタリかハズレなら、思いっきりハズレ妻だと思います。
  「子を持たずフルタイムで働いていないのなら毎食料理をして当たり前。」という意見もあった。
 【ハズレ夫派のコメント】
  ・人を物扱いして、ハズレと言う人の人格の低さ。
  ・「ハズレな旦那」って、あなたの奥さんは職場で言っているんでしょうね。
  ・自分の妻をハズレという、あなたの心根がハズレなのでしょう。
 ハズレ夫派は、自分の妻をアタリ・ハズレで判断することに納得がいかない様子。「夫婦は自分に見合った相手が見つかるのだから、妻がハズレなら、あなたもハズレよ」という意見もチラホラ。
 他には、「料理が得意じゃないのかもしれないから、一緒に作ってみては?」「手料理を出された際に“おいしい!”とほめてあげれば、もっと作ってくれるかも?」と、具体的な解決策を述べる人や「他の夫婦と比べることではない」のように、そもそも異論を唱える人も多く見受けられた。
 「むしろそう言う夫がハズレだ!」という意見の多くは、察するに妻の立場たる女性たちなのだろう。「ハズレ」の反対は「ハズレではない」だが、どちらがハズレかの議論となってしまった今回の投稿。 いかに男と女がスレ違う生き物なのかを体現しているようだ。  隣の芝生は青く見えるもの。他の家庭と比べるよりも、妻(夫)と良い夫婦関係を築くためにはどうすればいいのかを考えたほうが、よっぽど建設的かもしれない。
 ※当記事は2015年07月25日に掲載されたものであり、掲載内容はその時点の情報。 時間の経過と共に情報が変化していることもある。
 (以上、原左都子が本日7月27日朝方ネットにて発見した情報より一部を要約引用したもの。)

 
 本日のエッセイは実に低俗レベルの話題で申し訳ない事は承知の上だ。 が、何分原左都子自身が「料理嫌いな女」として世に名を馳せている立場であるため、敢えて今回エッセイの議論対象とさせて頂いた。(参考のため、よろしければ当エッセイ集  2008.8.17バックナンバー「料理嫌いな女」をご参照下さい。)

 ここから、私論に入らせて頂こう。
 冒頭で記した通り、「女同志で首絞め合ってどうする?」との記述が我が結論である事には間違いない。
 上記に紹介したネット情報の中で、私が一番嫌悪感を抱かされるのは以下のくだりだ。
 「料理が得意じゃないのかもしれないなら(旦那と)一緒に作ってみては?」「手料理を出された際に“おいしい!”とほめてあげればもっと作ってくれるかも?」

 これらはおそらく料理好きな奥方どもから出された提案であろうが、真正「料理嫌いな女」が抱えている(と言うより主張したい)事の深刻さを露知らない女性陣からの発言と心得る。
 それらの発言内容からは、配偶者等男性に対する少しの配慮で「料理嫌いな女」が「料理好き」に変身可能なごとくの他力本願な「料理好きな奥方こそが勝利者!」、と言わんばかりの傲慢さが見え隠れしていて嫌気がさす。 そんな安易な女どもの男依存本性の匂いを嗅ぎつける能力ある私には、実に嫌悪感を抱かされる表現なのだ。


 最後に、私論でまとめよう。

 たかが家庭内の料理に関して執拗にまで大袈裟に取り上げ、原左都子の料理嫌いを正当化しようと試みているだけじゃないのか!? と反発される方々が多数であろう事は重々心得ている。
 ただ私としては十分に本気で、“嫌いな物事を嫌いと言い切りつつ”この世を生き延びたい志向を世間の皆様に理解して欲しい思いが切実なのだ。

 我が料理嫌いを家庭内で正当化するには、それ相応の他方面での能力フィードバックが不可欠である事など、晩婚前より十分に承知している。 

 バックナンバーにても記したが、私は晩婚にての見合い結婚時に「料理嫌い」である事を“公約事項”として明示した上で婚姻に至っている。  それが功を奏しているのか、我が亭主は私が出来合いの総菜を購入してくることを決して拒否しない。 それだけの理由で、配偶者である私の事を面と向かって“ハズレ妻”と言い放ったことなどただの一度も無い。
 それどころか、亭主は(特に定年退職後は)私に全面的に依存する日々である。 何分、亭主と比較して私の方が断然「生命活力」が強靭と表現すればよいのか、衣食住全ての事案に於いて、亭主をはじめとする親族皆が私の働きに依存する日々だ。
 そういった環境下に於いて、我が亭主を筆頭とした親族達が殊更“料理分野だけ”を取り上げ「料理嫌い」の私をバッシングする必然性が一切ないからこそ、私は悠々自適に「料理嫌い」人生を堪能出来ているとも表現可能であろう。

 参考だが、我が夫婦は今後の老後生活に於いて「公的年金独立採算制」を採用している事実に関しても幾度もバックナンバーにて公開済みだ。
 そのような関係下で、「惣菜を買ってくる妻が“ハズレ妻”」と後ろ指を指される理由が何らないことをご理解頂けるであろうか?  (亭主側もたまには惣菜を買ってきてくれたりする我が家だ。)

 世の若きご亭主達よ、この結婚難時代にせっかく嫁いでくれた奥方が“スーパーの惣菜”を食卓に出したとて、それが美味しかったならそれで十分ではないのか??  少しは大人になって、独り身で朝昼晩毎度の食事を自分自身が単身で賄う事が如何に大変な事態かを少しは想像するがよい。 

 「うちの嫁はだらしない…」などとの二の次でよいくだらない話題を職場で披露することにより職場受けを目指すより、本気で自分の本来の業務を全うしては如何か。

「作家になりたい」? それってプー太郎になりたいと同義だよ。

2015年07月25日 | 自己実現
 いつの世にも、生活感がないと言うのか、自分を客観視出来ず安易に夢を語ろうとする人間どもが存在するものだ。
 つい先ほど新聞を開いて、こんな奴が書いた本などいくら暇があっても読みたくないとダレる新聞相談に出会った。

 それでは早速、朝日新聞本日(7月25日)付別刷「be」“悩みのるつぼ”30代男性による「再就職せず、作家の夢追いたい」 なる相談の内容を以下に要約して紹介しよう。
 2年前にリストラされて以来、正社員で再就職することも出来ず親のすねをかじる日々だ。リストラ後1年程は就活したが管理職経験もなく口下手で人付き合いが苦手なせいで、面接を受けても落とされるだけ。 心底自分が人間のクズのように思える。 鬱屈した日々を送る中、「自分が本当にやりたい仕事は何か?」と自己分析し唯一導き出せたのが、文章を書く事である。 小学校の作文から高校や大学での論文、雑誌投稿に至るまで自分の文章を褒めてもらえたことは何よりの喜びだった。 新人賞に応募するため小説の執筆を始めた。もちろんデビューするのが難しいのは百も承知だ。 しかし今の私には他に全力投球できそうなことが思い浮かばない。 私には妻子はいないがもう若くない両親がいて、大学受験浪人、就活失敗リストラと心配をかけてばかりだ。 定職に就かず作家を目指すのは「逃げ」のようにも思うし、これ以上両親を心配させるのは怖くて仕方ない。  こんな臆病で優柔不断な私が腹をくくるにはどうすればよいか? 


 ここで、原左都子の私見に入ろう。

 相談者の貴方。両親に相当甘やかされて育ってしまったね…
 一人っ子なのかなあ?  そんな気がする相談内容だね。
 我が家の娘も一人っ子で現在大学4年生就活中の身だけど、私は決して甘やかして育ててないよ。 大学院へ進学する気がないのなら、必ずや自分で就職先をゲットしろ!と厳しく発破を掛け続けている。

 今日もこの猛暑の中、娘は某就活先の二次試験に出かけたよ。 新聞相談者同様に口下手で人付き合いが苦手な娘故に、一次の筆記試験は合格ゲット出来るが、二次以降の面接にどうしても引っかからない…   親としてその対策も採った。 とにかく面接相手の目を見て出来るだけ大きな声で喋るように!  企業毎に質問内容をあらかじめ想定してその解答を脳内に準備してから出かけろ! 個人面接の場合はこちらからも質問事項を用意するように。 決して黙り込む事無く、面接の最後まで相手と対等に会話する姿勢を保つように。 

 新聞相談者男性の場合、本人が同居ご両親に対して引け目を感じているのならば、ここは思い切って“遅ればせながら”実家を出ては如何だろうか?  実家パラサイトではなく、自分の食い扶持を自分で稼げるようになってから「作家」を目指しても少しも遅くないはずだ。 
 私の推測によれば相談者のご両親はおそらく未だ70歳前後世代であろうが、その年代の高齢者とはまだまだご自身の自己実現が可能な時期であろう。  多少お元気故に“出来の悪い息子”のために今現在は親として貢献したいのだろうが…。
 だが、高齢化が進んだ挙句の果てのご両親を介護するのは貴方の役割だよ。 それは必ずや貴方に降りかかってくる使命だ! そういう厳しい未来に少しは思いを馳せているのかなあ。

 ここで原左都子の私事を語らせて頂こう。
 私の場合、相談者より10代若い20代前半期に郷里より上京し、その後ずっと東京にて生活を営んで来ている。
 若き時代に結婚願望がほどんどなかった私は、20代にして既に一生独り身で生きて行く覚悟の上に励んだ事とは「貯蓄を増強」する事だ。 しかもそれをある程度成就出来た30歳時点で、私は自己所有不動産物件を単独にて購入した。
 その時より我が独り身の将来に渡る収支決算を脳裏に描いていた。 私の場合、医学関係の確固たる専門職に恵まれていたとは言えども、経済情勢等時代の趨勢や自己の人生設計の変化等々により、それが途絶えるであろう事態も想定内だった。  もしも、自己所有物件が将来的に「賃貸物件」として活用可能ならばこれぞ我が身を助けてくれるはず!と目論み、実際問題晩婚後はそれを賃貸運営活用し自己資産を更に増殖させた。

 話題を新聞相談者に戻すが、貴方は如何程までにご自身のこの後の人生設計を描き実行しているのだろうか?
 相談内容によれば、大卒であられるようだし、作文が得意とのことは、ある程度の頭脳もお持ちのはずだ。 それを何故、自分自身の今後の人生設計に活用不能なのか!? それ程までにご両親に甘やかされたのか、あるいは自身が世の動向や自らの立身出世に一切興味がないのか??


 ここで、今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる美輪明宏の回答の一部を紹介しよう。
 相談者は文学で身を立てると言うが、「好き」と「似合っている」は洋服と同じで違う。 仕事も同じで、サラリーマンや職人さんも好きでやっている人はごくわずか、皆その辺に折り合いを付けて生きているのに、この人は幼稚だ。 妻子がいないと言うが、誰も生活力がない人のところに嫁に行かない。 親御さんが亡くなった場合、どうやって生計を立てるのか。 今はインターネットが発達して本が売れない時代。 本屋さんは大変だし、作家も大変。純文学の人など特に大変。  だから文筆業の人の多くはアルバイトや他の仕事を持っている。 芥川賞や直木賞を取った人でも食べるのに大変な時代だ。 今は翌年になったら忘れられているのだから…。 老婆心まで。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 おそらく一人っ子と想像する相談者のご両親が、息子さんに対して現在優しく対応されている事と把握申し上げる。
 ご両親は、現在同居中の息子さんが「作家」を目指しておられることをご存知なのであろうか?
 そうでないとしても、自宅でパラサイト中の息子氏の姿を日々見ておられるであろうし、その食事の支度を日々母親氏が実行しておられるのだろう。

 ここは親として、少しは自らの息子さんの真なる未来を見つめては如何か?
 近い将来、必ずやご両親は老後介護期を迎えられる。 その事態に至って、自分らの老後の世話を息子さんに任せたいと志そうが、貴方達の息子さんにはその能力すら備わっていない現状を私は憂えるのだが…
 未だ30代との若い世代の息子さんを、少しでも将来的に役立つべく尽力するのが親としての残された役割ではないかと私は信じる。

 そして、新聞投稿の息子さんよ。
 貴方はまだまだ若い!  現実逃避して「作家になる」なる“プー太郎”人生に安易に流れるのではなく、ここは自宅パラサイトを早めに脱却し、親から自立することからご自身の人生を立て直しては如何か!

安易に保険加入するな!いずれ解約不能の地獄に落ちるぞ

2015年07月22日 | 時事論評
 2年半程前に介護付有料高齢者施設に住む義母の保証人代行を引き受けて以来、自治体役所等公的機関も含めた各種法人対応に於いて無駄な労力を強要され、翻弄され続ける日々だ。


 そんな中、また新たな困難に直面してしまった事態に関しては、バックナンバーにても述べている。
 次なる課題は、火災保険だ。

 2015.7.8 公開 「原左都子エッセイ集」バックナンバー 「金融機関の本人確認、個々の事情に即し融通対応出来ぬものか?」の一部を要約引用して再び紹介しよう。
 3年程前に既に解体した元々義母所有の建物に関して、未だ火災保険料が発生していて月々その保険料支払いによる多額の損失を計上している事実を私がたまたま発見したのだ。
 これに関しては、義母本人及び火災保険対象物件を相続及び贈与にて引き継いだ親族にも大いに責任がある事は確かだ。  ところが相続人であった義理姉が既に死去し、その後の贈与人である義理甥とも付き合いがない現状に於いて、ここはまた私が一肌脱がねばならない立場だ。 (参考のため、義母所有不動産管理に関しては税理士試験一部取得者である私に一任されている現状だ。)
 義母曰く、「あ~~ら、建物を取り壊した場合こちらから保険会社に届けなければいけないの? 私はてっきり保険会社の方がその状況を把握して保険契約が自然消滅するものと思っていたわ…。」(以上、私なりに専門用語に置換して記載。) まあそれでも、当該火災保険契約を締結していた事実を義母が覚えていただけでも助かる思いだ。 
 そして私は、早速火災保険会社に電話を入れた。 その回答には、実に驚愕・落胆させられた…
 フリーダイヤルに出た担当女性氏曰く、「保険契約ご本人様の本人確認が必須となります。 今回お電話を頂いたのは義理の娘さんとのこと、この場合契約変更取扱不能です。どうしてもご本人様よりの申し出がなければ保険解約は成立しません。」
 特に保険会社の場合、民間企業も含めその競争の現実たるや正に激烈な事態であろう。 中途半端な立場の“半官半民共済組織”とは言え、その収益率こそが今後の組織体存続にかかっていることは十分に想像がつく。
 その理解の下での話だが、ここまで(保険会社を含めた)金融機関が「本人確認」にこだわる意向とは、今となっては老いぼれた高齢者と昔交わした契約を死守してでも、少しばかりの月々保険料を(悪徳業者のごとく)チマチマと稼ぎたいのかと顧客側から勘繰られてもやむを得ないのではなかろうか??
 そうでないのならば、既に取崩している建物の火災保険料解約を、保証人からの解約処理で認めて欲しいものだ。 参考だが、当該保険企業が言うには「物件解体証明書」があればその時期に遡って保険料を返還してもらえるとの事らしい。 我が義母事例の場合、現在に至ってはその種の証明書が一切ない。 そのため(今まで支払った保険料をチャラにしていいから)単に今後の保険料を支払い続ける事を回避する目的で保険契約を解約したい、と私から重々申し出ている。
 保険会社曰く、その事案に於いても、どうしても義母本人確認がないと処理不能との回答だ。 一体全体、保証人にどうせよ!と言いたいのか。  もしかしてこのまま年老いた人間を食い物にして、時間経過と共に保険料をぶったくろうとの魂胆なのか??
 実際問題、我が国に於いて「高齢化」が急速に進んでいる現実を政権及び(国家と大いなる癒着がある)金融機関こそが少しは慮り、国民「高齢化」の現実に即した対応可能システムを早期に創設するべきではあるまいか?
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)

 
 上記の火災保険企業への「解約手続」はその後も続いた。
 義母の「本人確認」を保証人の立場で一体全体如何に実行すれば本人と認めてくれるのかに関して、今一度保険会社のコールセンターに電話にて食い下がった。
 前回対応に出た担当者氏の名前を挙げその人物に電話を代わって欲しいとの私の訴えに対し、2度目に出たコールセンター女性が電話口にて曰く…、
 「コールセンターに一体何人の担当者がいると思っているのですか、何十人もの担当者が電話を受けているのですよ! そんな人、私が知る訳がないじゃないですか!」
 その対応の不躾さ及びお粗末さに驚きつつ、(おそらく派遣社員であろうが、よくぞまあこれ程低レベルの派遣女子を雇ったものだ…)と私は当該保険企業を蔑みながらも、「ならば、今一度最初から説明し直します…云々」と時間をかけて、当該低レベル派遣社員へ事情を説明した。 
 結局2度に渡りコールセンターへ電話をかけたものの、「本人確認が不能の場合、保険の解約は扱えない」の一辺倒である。  そして保険会社の低レベル派遣社員が言うには、「本人が電話の横にいて電話にて本人確認に応じられるのならば解約書を本人宛に送付する。」との事だ。

 その後私は義母が住む介護付高齢者施設へ出向き、“三度目の正直”として当該保険会社へ電話を入れた。
 多少ラッキーだったのは、3度目に出たコールセンターの女性担当者氏が業務に適合可能な“まともな能力”を備えている人物だった事だ。 そうでないと、おそらく多少の痴呆症状がある義母に電話口に出させたところで本人確認は不能だったと想像する。 
 3度目の担当者氏はどうやら優しく義母に対応してくれたようだ。 「私、耳が聞こえないんですけど! えっ!何ですか!?!」等々、電話口で大声を張り上げ困惑している義母に対し、担当者が根気よく対応してくれた事実に保証人である私の立場からも感謝申し上げたい。 
 それ程に保険会社による「本人確認」とは厳しい現実である事を思い知らされる始末だ。

 まだまだ話は続く。
 やっと保険会社より義母の本人確認を得たのだが、「解約請求書類」はどうしても義母が住む高齢者施設宛でないと送付不能とのことだ。  それを何とか私が工夫して返信封筒に切手を貼って用意し義母に我が家まで転送してもらったのだが、保険会社より届いた「解約書類」の内容がこれまた難儀を極めている。
 火災保険対象建物の詳細を把握していない事には太刀打ち不能な文面である。 現地に行った事もなければその書面も手元に一切ない立場の私は、とりあえず亭主に確認したのだが「僕も知らない」とのそっけない返答しか返ってこない。 元より義母に関しては、私が何の火災保険解約に躍起になっているのかすら露分からない有様だ…
 実際泣きたい思いで、私の判断にて記入可能な部分のみ精一杯記入し通信欄にその旨を記入したのだが、果たして火災保険解約が叶うのか!??


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 実際現世に於いて、溢れる程に存在する各種保険契約の事実である。
 皆さんも日々保険会社からのフリーダイヤル及びネットメール等々にて、その案内を少なからず受け取っていることであろう。  
 「当社は1年間保険料無料にて事故による障害を充填しますので是非加入下さい。」 この種の郵便物やメールが誰これ構わずごまんと届く時代だ。

 ただ昔から保険契約解約に難儀した経験者ならば、保険勧誘に関して周知の事実があるのも確かだ。
 保険とは生命保険、損害保険等々の分野にかかわらず、「入るは天国、出るは地獄」 が常識の世界との事である。

 特に高齢者の身内を抱えている皆様は、当該高齢者が過去に加入している(強制的に加入させられている)保険内容を早期に(身内高齢者の頭が明瞭な内に)再確認しておくことを是非ともお勧めしたい。

一子(いちこ)よ、もう一度東京で頑張ろう!

2015年07月20日 | 自己実現
 本日のエッセイは、現在NHKにて放映中の連続テレビ小説 「まれ」をご覧になっていない方々には分かりにくい内容であることをあらかじめお断りしておく。

 今年4月にNHKドラマ 「まれ」 の放映が開始して以来ほぼ4が月が経過し、物語が後半戦に入っている現在、主人公である 希(まれ)は既に自分が目指していた“パティシエ”としてある程度の地位を築くに至っている。


 ここで私論を展開しよう。

 これぞこのドラマが嘘臭い所以であり、さほどの高視聴率が得られない最たる理由ではあるまいか?
 NHK連続テレビ小説では毎回恒例となっているが、若き主人公女性のドタバタ劇を描くなるスタンスの典型例を逸脱していないドラマ展開の今回の「まれ」だ。 

 それにしても今回の「まれ」に関しては、主人公をパティシエとして成功に導くストーリー展開が早急過ぎるのではあるまいか?
 我が記憶によれば、主人公まれがパティシエになるべく頑張ったのは、能登にて開催された素人ロールケーキ大会出場(当然ながら落選)、その後横浜へ移動後に自分が目指すケーキの「味」にこだわり自ら就職先を決定した場面のみだ。
 その後のまれは、単に就職先に“厚遇”され続けているとしか捉えられない。 何故厚遇されるかの理由とは、まれには天性の「味」を見極める特異性があるとシナリオは言いたいようだが、たかが未熟な若造にそんな能力があると現実世界にて実際に認められる事などほぼあり得ない。

 しかも本日(7月20日)放映のドラマ内容によれば、まれは なんと! 店長氏よりの厚遇によりフランスに“パティシエ留学”させてもらえるとの事だ!??
 ちょっとNHKさん、嘘八百もいい加減にしないと、世の“パティシエ”を目指している若者達が安易にパティシエになれると勘違いしないとも限らないよ~~。  我が娘が一応、それを目指す仲間もいる私立大学学科に所属しているのだが、栄養学・食品衛生学等々学問基本分野を含め本人が相当の努力をして尚且つ(親の資金力がなければ)、成し遂げられない職種と私は捉えているんだけど…。

 しかも主人公まれは横浜のケーキ店に就業した後は、ただ単に店主シェフの言いなりになるばかりの存在だ。 例えば「メレンゲを作れ!」と指示されればそれに躍起になるし、「フランス菓子ケーキ」を作れと言われればそれをめくら滅法成し遂げようとする…
 これを“下積み”と理解するべきかもしれないが、私に言わせてもらうならば職人とは元々地道に下積みを重ねるべきなのは当然でしかなく、 まれ本来の“パティシエ”なる職業に対する熱意の程が一切描かれていないドラマと解釈するしかないと、現在マイナス評価している。


 そんな中、ドラマ内で光り輝いているのが、脇役である まれの女友達「一子(いちこ)」の存在だ。

 一子はドラマ内で中学生の頃から、「私は東京に出て必ずモデルになる!」と宣言していた。
 残念な事にオーディションに受かる事はなく、一子はとりあえず大阪に出てブティック(洋服店)の店員の身分で頑張ると同時に、ブティック仲間達と楽しい大阪三昧をしいてたようだ。
 (その後、何故一子が郷里である能登へ戻ったのかの記憶が私にはないのだが)結局一子は自分が最初から目指していた東京へ単身にて上京し、その場で独り身にて生活を繰り広げるに至る。

 最初はアパレル系で働いていた一子だが、そこがあえ無く倒産した暁には、キャバクラにてキャバ嬢をする事と相成る。
 ただ、この場でのNHKの一子の描き方に私は同感する。 一子の場合、単に周囲に流されてのキャバ嬢生活ではなく、虎視眈々と次なる展開を狙っていたのだ。 キャバクラに来た顧客のコネを頼り我が身を復活させようと虎視眈々と狙った一子こそが、東京暮らし女性の勝者として讃えられるべきであるまいか!

 何で、NHKシナリオはそんな一子を郷里に戻そうとするのか!?  それって、ド田舎から上京する若き女子(過去の私も含め)にとって大いなる“偏見”としか考えられないのだが。 

 一子の場合、自分がキャバクラにて出会った男性を一子側が丸め込み、ネット放映したバトルに於いて勝利した「安価スイーツ」をコンビニ販売に転化すれば成功の第一歩だったと私は捉える。 これなど、まさに一子が自力で勝ち取った勝利であり、中途半端なパティシエとして他力本願にチャンスを与えられ続けているまれよりよほどレベルが高いと私は判断する。
 なのに何故、それをNHKのシナリオは中途半端に終わらせ、一子を一旦能登へ帰らせたのか!  


 本日(7月20日)の 「まれ」放映によれば、能登に戻った一子に対し、母が言い放った言葉に助けられる思いだ。
 「東京へ出て成功を勝ち取りたいのならば、今更能登へ帰って来ないでもう一度上京して、一子の思いを果たすべきだ。」
 そして、一子は再び上京して自らの思いを成就するとの 今後の「まれ」物語展開に一応安堵した私であるが…


 最後に、原左都子の私論を記そう。

 真面目な話、実際ちょっと勘弁して欲しい。 
 安易に上京する若き女性すべてが“阿呆”だから田舎に戻れ!と言いたいようなドラマ展開にはまったくもって辟易とさせられる。
 他方、まれのごとく“一応”の目的がある女性に関しては、都会に出没する事を奨励するがごとくのステレオタイプの描き方は、今の時代に至って一体全体どうしたものか??!

 そんな中、ドラマ「まれ」内で一子自身がいつも口癖のごとく発言する言葉に賛同する私だ。
 「田舎は仲間意識が強すぎて私は嫌悪感を抱く。 だからそれの延長線で、田舎の食べ物など食べたいとも思わない。 もういい加減にして欲しい。 私を田舎から解放してくれ!」

 上京後既に40年近くの年月が流れている原左都子にとっても、一子同様に本当にいい加減にして欲しい事柄がある。 それは、上京後40年近く経過した私にいつまでも郷里より同窓会の便りを寄越す連中が存在する事実だ。
 私は今後も東京こそを我が真の故郷として、喜んでこの地に骨を埋める覚悟である。
 なに? 郷里開催の同窓会に今更出席しろだと??  何のためだ。 貴方達が郷里で頑張っている姿を上京して頑張っている私に今更認めて欲しいのか!?  その種の自己証明手段としての郷里での同窓会などに誘われるのは、本気で鬱陶しく勘弁して欲しい思いだ。 (個人的に私に是非会いたいとおっしゃるなら、その旨伝えて下されば同窓会でない場でお会いしますよ。) 

 最後に、話題をNHK連続テレビ小説「まれ」に戻そう。
 我が私見によれば、他力本願でしか動けない主人公まれより、失敗を繰り返し落胆失望しつつも、自分の意思で再びの上京を目指している一子の将来性こそを有望視している。
 とにかく一子よ、今一度初心に戻って再び上京して頑張ろう!
 私は、貴方こそを応援しているよ!