本年最後を締めくくる記事として到底相応しいとは思えない意表を突くテーマであるのだが、先だって新聞で見た表題のごとくの読者の相談内容がどうも脳裏から離れない私である。
それでは早速、朝日新聞12月26日別刷「be」“悩みのるつぼ”に掲載された35歳主婦による「セックスレスで枯れそうです」と題する相談を以下に要約して紹介しよう。
結婚11年、二人の子どものいる主婦であるが、45歳の夫に「(セックスレスのまま)現状維持で父母でいよう」と言われた。 そもそも20代で娘を産んだ後からセックスレスだった。夫は子どもは一人でいいと言い、何も知らない義母には「兄弟が欲しい」と言われ私に原因があるように思われ悩んだ。そこを何とか夫を説得して息子を産んだ。 以前、ある作家が男女関係で大事なものとして「トキメキ」「性欲」「親睦」のうち二つあれば良好である、と書いていた。私には皆無であり、相手との将来展望も考えられない。 一方で、夫は離婚してもいいと言うが、生活面が比較的安定しているし子どもや家庭も大事だし、趣味も堪能できるのでその環境は大事にしていきたい。 心では「私は母」と思っても心は乱れる。わびしさを捨てることは出来ない。人はこうして枯れていくのだろうか?
早速私論に入ろう。
この相談、今まで読んできた“悩みのるつぼ”の相談の中で一番「重く」て「辛い」のではないかと私は心を痛めるのだ。
なぜならばこの主婦は未だ35歳の若さ! しかも、子どもを産んだ後の20代から既にセックスレスとは… 驚くばかりであるが、今の時代はそういうものなのであろうか?? これが例えば50代、60代以降の主婦の相談であるのならば、また意味合いも大きく違ってくるのであろうが…
しかもその若さであるのならば、妻に対する性的欲求を既に失い離婚してもいいと豪語している亭主などとっとと切り捨てて、子どもを連れてでも離婚して女としての新たな幸せを求めてもよさそうなものである。 それなのに、内面から湧き出る性的欲求を抑えつつ、現状に妥協しようとして健気にも自己の心理操作を試みているところがこれまた辛い。
相談の主婦曰く、生活面が安定している、子どもや家庭が大事、趣味も堪能できる、…… 。
それらを天秤にかけた場合、セックスレスの現状の方が重いからこそ、この主婦はこのような相談を新聞に寄せているのであろう。
ここで私事を述べても何の参考にもならないのは承知の上であるが、私は40歳近くまで我が信条に従って独身を貫いてきている。 その信条とは、仕事や自分自身の生きがいの充実等々多々あるのだが、正直に言うと「恋愛」の充実というのもその大きな理由の一つであった。
「恋愛」とは生命体における究極で最高の人間同士のつながりなのではないかと私は実感してきている。 その究極の快楽をできるだけ長く享受し続けたいがために、法的にそれが許される「独身」というスタンスを貫きたいとの心理があったのも、我が長き独身を全うしてきた包み隠さぬ理由でもある。
この主婦が相談内に引用している、ある作家による男女関係で大事なものの三種の神器、「トキメキ」「性欲」「親睦」の中の二つあれば関係が良好である、との記述とは、双方の恋愛関係が育まれてきた後にある程度年数が経過したカップルに通用する神器なのではなかろうか?
極端な場合、長年連れ添っている多くの夫婦の場合、「トキメキ」「性欲」は既に消え失せ、たとえ「親睦」のみが残っていたとしても、それが一つの神器として十分に夫婦関係が持続できるのかもしれないと私は考察するのだ。
ところが、わずか30代の主婦がこの三種の神器を持ち出してまで、セックスレス妻である現状を正当化しようとしていることが何ともやるせない。 この相談者の場合は夫婦関係が既に崩壊していると結論付けざるを得ないと私論は捉える。
それでは、この主婦は今後如何なる選択をすればよいのか?
その答えは、社会学者の上野千鶴子氏がこの相談において述べておられる回答の一部を以下に紹介しよう。
結婚の契約からセックスをはずしてもらうよう夫に交渉しよう。 夫婦関係にはセックスに応じる義務が含まれているため(この相談者の関係は)既に“ルール違反”である。 だが、普通こういう相談とは「トキメキ」の相手が現れて初めて現実的になるものであり、おそらくこの主婦は「トキメキ」や「性欲」の経験にのめり込んだ経験がないのであろう。
「トキメキ」や「性欲」とは確かに人生の醍醐味であるが、そのコストは高く付く。 その覚悟がこの主婦にあるのなら、今から人生を味わい尽くそうと思っても決して遅くない。
「トキメキ」や「性欲」を堪能し続けたいのであれば、一生独身を通し続けられる程の強靭な精神力や経済力を培ってからにした方が良さそうだと、長い独身時代を謳歌してきた私も結論付けるのである。
その一方で、「親睦」とは一生持続したい人間関係の基本であることも実感である。
それでは早速、朝日新聞12月26日別刷「be」“悩みのるつぼ”に掲載された35歳主婦による「セックスレスで枯れそうです」と題する相談を以下に要約して紹介しよう。
結婚11年、二人の子どものいる主婦であるが、45歳の夫に「(セックスレスのまま)現状維持で父母でいよう」と言われた。 そもそも20代で娘を産んだ後からセックスレスだった。夫は子どもは一人でいいと言い、何も知らない義母には「兄弟が欲しい」と言われ私に原因があるように思われ悩んだ。そこを何とか夫を説得して息子を産んだ。 以前、ある作家が男女関係で大事なものとして「トキメキ」「性欲」「親睦」のうち二つあれば良好である、と書いていた。私には皆無であり、相手との将来展望も考えられない。 一方で、夫は離婚してもいいと言うが、生活面が比較的安定しているし子どもや家庭も大事だし、趣味も堪能できるのでその環境は大事にしていきたい。 心では「私は母」と思っても心は乱れる。わびしさを捨てることは出来ない。人はこうして枯れていくのだろうか?
早速私論に入ろう。
この相談、今まで読んできた“悩みのるつぼ”の相談の中で一番「重く」て「辛い」のではないかと私は心を痛めるのだ。
なぜならばこの主婦は未だ35歳の若さ! しかも、子どもを産んだ後の20代から既にセックスレスとは… 驚くばかりであるが、今の時代はそういうものなのであろうか?? これが例えば50代、60代以降の主婦の相談であるのならば、また意味合いも大きく違ってくるのであろうが…
しかもその若さであるのならば、妻に対する性的欲求を既に失い離婚してもいいと豪語している亭主などとっとと切り捨てて、子どもを連れてでも離婚して女としての新たな幸せを求めてもよさそうなものである。 それなのに、内面から湧き出る性的欲求を抑えつつ、現状に妥協しようとして健気にも自己の心理操作を試みているところがこれまた辛い。
相談の主婦曰く、生活面が安定している、子どもや家庭が大事、趣味も堪能できる、…… 。
それらを天秤にかけた場合、セックスレスの現状の方が重いからこそ、この主婦はこのような相談を新聞に寄せているのであろう。
ここで私事を述べても何の参考にもならないのは承知の上であるが、私は40歳近くまで我が信条に従って独身を貫いてきている。 その信条とは、仕事や自分自身の生きがいの充実等々多々あるのだが、正直に言うと「恋愛」の充実というのもその大きな理由の一つであった。
「恋愛」とは生命体における究極で最高の人間同士のつながりなのではないかと私は実感してきている。 その究極の快楽をできるだけ長く享受し続けたいがために、法的にそれが許される「独身」というスタンスを貫きたいとの心理があったのも、我が長き独身を全うしてきた包み隠さぬ理由でもある。
この主婦が相談内に引用している、ある作家による男女関係で大事なものの三種の神器、「トキメキ」「性欲」「親睦」の中の二つあれば関係が良好である、との記述とは、双方の恋愛関係が育まれてきた後にある程度年数が経過したカップルに通用する神器なのではなかろうか?
極端な場合、長年連れ添っている多くの夫婦の場合、「トキメキ」「性欲」は既に消え失せ、たとえ「親睦」のみが残っていたとしても、それが一つの神器として十分に夫婦関係が持続できるのかもしれないと私は考察するのだ。
ところが、わずか30代の主婦がこの三種の神器を持ち出してまで、セックスレス妻である現状を正当化しようとしていることが何ともやるせない。 この相談者の場合は夫婦関係が既に崩壊していると結論付けざるを得ないと私論は捉える。
それでは、この主婦は今後如何なる選択をすればよいのか?
その答えは、社会学者の上野千鶴子氏がこの相談において述べておられる回答の一部を以下に紹介しよう。
結婚の契約からセックスをはずしてもらうよう夫に交渉しよう。 夫婦関係にはセックスに応じる義務が含まれているため(この相談者の関係は)既に“ルール違反”である。 だが、普通こういう相談とは「トキメキ」の相手が現れて初めて現実的になるものであり、おそらくこの主婦は「トキメキ」や「性欲」の経験にのめり込んだ経験がないのであろう。
「トキメキ」や「性欲」とは確かに人生の醍醐味であるが、そのコストは高く付く。 その覚悟がこの主婦にあるのなら、今から人生を味わい尽くそうと思っても決して遅くない。
「トキメキ」や「性欲」を堪能し続けたいのであれば、一生独身を通し続けられる程の強靭な精神力や経済力を培ってからにした方が良さそうだと、長い独身時代を謳歌してきた私も結論付けるのである。
その一方で、「親睦」とは一生持続したい人間関係の基本であることも実感である。