原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

リクルートスーツが映えるも映えないも本人次第

2014年12月31日 | 仕事・就職
 本エッセイ集 2014.9.18 バックナンバーに於いて、「リクルートスーツの『過ち』と『憂鬱』」と題するエッセイを綴り公開している。
 以下に、その一部を要約して再び紹介しよう。

 学校嫌い・集団嫌いで“誉れ高い”原左都子が、「リクルートスーツ」なるものの存在を好意的に捉えている訳もない。
 私自身が就職して社会に旅立った40年近く前の時代には、「リクルートスーツ」なる用語は元より、それらしき“皆お揃い”のスーツを着用せねばならない(義務とも表現可能な)慣習すらなかったように記憶している。  私の場合新卒での就職先が「医学国家試験取得専門職分野」と特殊だった事も大きな理由であろうが、そもそも私は「就職活動」なるもの自体を一切経験していない。  3月卒業前の秋口に自分自身で就職先候補を選択し、当該事業主体が実施する新卒対象入社試験日に11月頃試験会場へ直接出向いたものだ。 その際に何を着て行ったかの記憶すらないが、少なくともそのためにスーツを仕立てたり購入した記憶は全くない。
 話題を現在大学3年生の我が娘に移行するが、娘曰く、「そろそろ自分の大学でも後期授業が始まった後に、大学のサービスで“リクルートスーツ”着用の上での就職用写真を撮影してくれるようだよ。」
 う~~~ん。  集団迎合を忌み嫌う母の下に育っている我が娘にも、いよいよ「リクルートスーツ」なる(学校の制服に準ずる集団服)を強制される時が忌まわしいまでも到来してしまったか… そうだとして、今の時代に迎合してでも我が娘の就職を成就してやらねばならない親の責任の程も実感させられる。  で、その親の責任とは何なのか? 世間に迎合して我が娘に「通り一遍のリクルートスーツ」を着せる事が親の責任であるはずがないのだ!!
 そこで原左都子は考えた。  少なくとも、我が娘には“娘に似合うリクルート風スーツ”を是非共着せて就職活動に臨ませたいと!   これこそ、あくまでも新卒学生に「一律にリクルートスーツで就職活動や就職試験に臨め!」と指示・命令する雇用側事業所に対する原左都子のせめてもの反撃である
 新卒者受入れ側組織体は、新卒者である若い世代から「何故リクルートスーツで就職試験に臨まねばならないか?!」との質問に、適切な答えが返せるのか!?   その自信が一切無くて、まさか「これが日本企業の採用常識だ」とか「我々も皆その常識に従って行動してきている」等々、答えにならない答を新卒者に返しつつ、それに従順に従う主体性無き若者のみを採用している現実と言えないだろうか?!?  いつ経営破綻するかもしれない企業内で採用者側こそがいつまで自分の身がこの企業で持ちこたえられるのかと怯えているからこその、現在の新卒者採用実態ではないのか!??
 20歳を過ぎた(既に成人に達している)若者相手に「リクルートスーツ」着用義務を煽り続け、国政さえもが旧態依然として(と言うよりも旧時代に逆戻りしようと企んでいるようだが)日本国民の個性を潰し続けて、この国の将来発展・存続が可能とは到底思えない私だ……
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約して引用。)


 その後、秋口より娘と共に(娘に似合いそうな)リクルートスーツを求めて店舗を彷徨い、試着を繰り返させてきた。
 ところが、“娘に似合う”以前の問題として、ウェストが特異的に細い娘は5号のスカートさえもダブダブ状態だ。  体全体のバランスがいいのか悪いのが、誂え済みのスーツでは娘の体型にフィットしない。 ここはオーダーに切り替えるべきかと頭を悩ませていたところ、某店の店員氏より、「スーツ専門店に行かれてはどうですか。その方が品揃えが豊富です。」とのアドバイスを頂いた。
 実はその手段を私が心得ていない訳ではなかったのだが、スーツ専門店とはまさに「制服屋」であり“皆が横並び”のスーツを買わされる羽目になることを恐れ、敢えて避け通して来ていたのだ。
 ただ娘の大学にての履歴書掲載用の写真撮影が迫った暁に於いて、親としてここはとにかく何でもいいからリクルートスーツを用意してやらねばならない使命感を抱いた。


 そして年末が差し掛かったクリスマスの日に、私は娘を伴って某スーツ専門店へ足を運んだ。
 そこで把握したのは、「専門店」ならではの“商法”(法律の方ではなく“売り方”との意味だが)が存在する事実だ。

 店内にはほとんど顧客がいない。 そこに訪れる客個々に必ず店員氏が一人専属で付く。 そして時間をかけてあれやこれやとアドバイスしつつ、“抱き合わせ”商法でスーツ以外の附属品(鞄、靴、ワイシャツ、コート、ベルト等々)の購入を煽って来るのだ。 (これはまるで呉服屋と同じである事に、私はすぐさま気付いたのだが。)
 そして自社が販売している商品の優位性を宣伝する事も忘れない。 「お母様、娘さんが今後就活に於いて集団面接に挑んだ場合、数人が横一列に並ぶ事になります。 そうした時に、必ずや弊社のスーツが一番高級である事を面接者は見抜くでしょう!」
 海千山千の原左都子など、こんな話を聞かされてもアホらし過ぎて思わず吹き出しそうになるだけだ。 (えっ、何処の面接者がスーツの価値の程を一見して見抜けるの? もし見抜けたとしたとて、スーツが高級だからと言って、それで新人を採用する訳などないだろ!!)と内心はせせら笑いつつ、店員氏が一生懸命訴えて下さる事に報いねばならない義務を年長者として負っていると思い直した。

 救いだったのは、確かにさすが「スーツ専門店」! サイズのバリエーションが豊富だった事実だ。
 娘の体型に合う上着、スカート、スラックスを、娘の体型を一見して揃えて下さった事には感謝した。 それでも尚スカートのウェストを縮める“直し”と、スラックスの裾上げをお願いした。  加えて“抱き合わせ商品”である就活用バッグと靴、ワイシャツ(就活写真撮影の際には必ずや「白」が鉄則であるらしいが)、そしてベルト(スラックスには必ずベルトを締めねばならないらしい)すべてを買い揃え、合計数万円也の会計を済ませて帰宅した。  (呉服屋にて着物一式を買うより2桁安価だった事実に、庶民としては心より安堵したのだが…)


 昨日の12月30日に、直しが終了したすべてのスーツを引取りに娘がスーツ専門店を訪れた。
 その際、「もう一度、試着しますか?」との店員氏の言葉に娘が応えたのを、母としては双方を評価するべきと考える。
 そして、娘が昨日持ち帰ったスーツ一式は店舗内で見るより確かに「黒色」が美しいと感じた。
 娘もまんざらではない様子だ。 秋口から(母の意向により)難航したリクルートスーツ選びが年内に集結して安堵した様子でもある。


 とりあえず、今後娘が就活に臨まねばならない事実に対する親の「入口」責任を果たせた感はある。

 ただ、娘よ。 今の時代に於ける就活とはそれ程甘くはない。 リクルートスーツの“黒色”が美しかった人物が優先的に採用されるなど絶対にあり得ない!! 
 貴方は確かに(先だって歯科医先生がお褒め下さったように)“見た目”に於いておそらく得をしていることであろう。 そして対人能力に於いても成長しつつあると母も評価する。

 それでも尚、自分の専門力を最大限開花するべく大学卒業まで精進し続けよう。
 その精進こそが貴方の輝かしき将来に繋がる事を、この大晦日の日に母から今一度伝授しておこう!

我が子を褒めてもらえる親の誉れ

2014年12月28日 | 教育・学校
 この年末に歯の被せ物が外れるアクシデントに見舞われ、昨日私は行きつけの歯科医を受診した。

 何分 “病院へは(極力)行かない主義” の原左都子だ。
 歯科医とて例外ではないのだが、身体の他の部分とは異なり一旦虫歯と化した歯が自然治癒する事は絶対にあり得ない。 被せ物が外れた歯を放置しておいたのでは今後悪化の一途を辿るばかりだ。

 そうだとしても元医学関係者にして徹底した“病院嫌い”の私にとっては、歯科医の敷居がどうしても高い…  (来年まで受診を先延ばそうか…)なる逃避思考が大人げなくも脳裏を彷徨う。 
 ただ冷静に判断した場合、年末年始の長い医院休診期間内に我が“ボロ歯”がさらに悪化するのは歴然だ!  ここは勇気を振り絞って年内に歯科医受診しておかねば、“ボロ歯抜歯”との最悪悲惨な結果となりそうな事実が目に見える。
 そして私は昨日午前中に受診の予約を入れた。 幸いな事には、行きつけの歯科医院は昨日が本年最後の診療日だった。


 当該歯科医院を訪れるのは、ほぼ4年ぶりだった。
 にもかかわらず歯科医先生は私の事を覚えているばかりか、我が娘を褒め始めて下さるではないか!

 ここで補足説明をさせて頂こう。
 我が娘は持って生まれた若干の不具合があり、幼少の頃より歯科医院にて“かたくなに口を閉じてしまう”との事情を抱えていた。 そこで私が頼ったのは、そんな娘の歯科診療を実施してくれる小児歯科医院だった。 中学卒業頃までその歯科医に診察をお願いしたのだが、(我が判断に過ぎないが)この歯科医院の体質に辟易とさせられる部分が幾つか存在した。
 そんな中、我が娘の歯が父親DNAを受け継いでいた事が幸いし虫歯が発生しにくい体質だったようだ。 いえいえ、家庭内でのサリバン先生(私の事だが)の予防医学教育が開花したとも言えよう。  我が娘幼少の頃より、母である私が徹底した歯磨き指導等、歯の健康維持政策を実施し続けた事も娘の歯の健全維持に繋がったと自負している。
 幸いな事に娘の高校では歯科検診が無かった?(あったとしても、歯科診療を強制されなかった)時期をクリアして、娘はその間歯科医院を訪れる事なく大学に進学した。 
 現在娘は大学3年生だが、そろそろ就職活動も始まることだし現時点で今一度歯科医受診させておくべきとサリバン先生である私は目論んだ。 
 そうした場合、何処の歯科医を頼るべきか?  (内心、この子はまだ歯科医師の前で口が開けられないのか??)との不安感が漂ったものの、思い切って私の主治医歯科医先生の所へ一人で行かせたのだ!

 一体全体、我が子は歯科医院でどうなっているのかと気をもみつつ自宅で娘の帰りを待っていたところ、娘は笑顔で帰宅した。  そして母の私に告げるには、「いい歯科医先生だったよ。 私のカルテの名前(ギリシャ哲学から名付けている)に興味を持って下さって、お父さんは何をされていますか?と先生が尋ねて下さるから『父は物理学研究者ですが、私の名前は母が付けました。』と応えると、『お父さんはどのような物理学分野の研究をしているのですか?』とも聞いて下さるので、私が分かる範囲でそれに応えると『そうですか』と興味深そうに言いつつ、快く診療して下さったよ。」
 その後娘は当該歯科医院へ3度程通い、その都度歯科医先生と“学問論議”を交わした風だ?!?

 (余談であるが、これを娘小さい頃より周囲へ吹聴するべく指導しておけば、我が娘も今までの人生に於いてもっと周囲から高い評価を得られたのかもしれない、と今更ながら感じなくもない。  ところが娘がこれを自分から発するには時間を要した。 それは私自身が個人情報保護観点が強まった時代背景に配慮しつつ、娘には周囲への個人情報公開を控えるべく指導して来たためだ。   それとは裏腹に、娘の友達等の個人情報が早期から漏れ出ている。 “例えば○ちゃんのお父さんは医師だとか弁護士だとか”それらの事実とは、子供本人がそれを周囲へ吹聴したからであろうか??  あるいは親がそれを子供に吹聴するべく仕立て上げたのか…… 私には未だかつて理解しにくい話なのだが…)


 とにもかくにも昨日我が行きつけの歯科医を受診したところ、歯科医先生より開口一番「娘さんは美人ですね! それに加えて教養があられる」とお褒め頂いた事は、親としての誉れである事には間違いない。
 この言葉が欲しくて、私は娘のサリバン先生を長年勤め上げたとも言えるのだ。

 私はこれまで「個人情報保護」に慎重になり過ぎたのであろうか?
 と言うのも何故、娘幼少時代の周囲の子供達の父親の職業が公になっているのか、その意味が今尚理解しかねるのだ。
 ただ幼少の頃に“父親の職業”等他力本願理由故に周囲より高く奉られた子供達が、今現在如何なる人生を歩んでいるのかなど計り知れない事実であることは否めない。 

 そうした場合、我が子が成人した後今に至って初めて、他者に聞かれて両親の職業等も含め今まで自分が歩んで来た経歴の一部を述べられる事になった事実を評価するべきであろう。


 それにしても昨日行きつけの歯科医先生から我が娘の事を褒められた事実は、母の私にとって予期せぬ素晴らしい年末のサプライズだった事には間違いない。

 これで私は何だか心ウキウキと良い新年を迎えられそうだ!

注文したうどんに店員の指が入るのは確かに気持ち悪いが…

2014年12月25日 | その他オピニオン
 レストランで注文した「うどん」を店員氏がテーブルに置く時、器の中に指が入ってしまったのを目撃した場合、あなたは咄嗟に如何なる行為に出るであろうか??

 どうやら朝日新聞「声」欄に投稿した50歳女性は、ご自身が行ったレストランに於いて上記の不運に遭遇したらしい。

 これ、潔癖症で綺麗好きな私も話を聞いただけで気持ち悪い。  その場で吐き気をもよおしてしまい、おそらくその「うどん」を食することが出来ないであろう。 
 

 朝日新聞12月19日付「声」欄投稿から、冒頭の内容を以下に要約して紹介しよう。
 レストランで温かいうどんを注文した。 持って来てくれた女性店員がトレーからそれを片手で持ち上げて置いた時、器が傾き内側にかけた親指がつゆの中に入った。 見なければ問題なかったが、私は見てしまった。 我慢して食べるべきか否か大いに迷ったが、別の店員さんに声をかけて小声でうどんの取替えをお願いしたところ、即座に謝り「言ってくれてありがとう」と言った。 その言葉にホッとさせられ、この言葉だけが救いになった。  ところが、同席した人から「取替えさせるのは非常識だ」と言われた。 指がつゆに入ったぐらいで病気になる訳ではないし、高級レストランでもない店でわざわざ取替えさせた事で周囲にも不快な思いをさせたと言う。 外国ではそんな事にこだわらないし、取り立ててクレームをつけないものだ、とも言われた。  その後は気まずくなり、会話が途切れてしまった。 私はそんなに非常識なのだろうか。
 (以上、朝日新聞「声」欄投稿り要約して引用。)


 ここで一旦、原左都子の私事に入らせてもらおう。

 私は近い過去に上記内容と似たような経験をした事を、この投稿を読んで思い出した。
 それは当時の我が勤務先であった独立行政法人“理化学研究所”の研究施設内に新設された大規模食堂昼飯時の出来事だ。
 私はその場ではあくまでも傍観者の立場だったのだが、職員数人で食堂のテーブルを囲もうとしていた時、一人の若き女性職員が既にテーブルに座っている皆に向かって、自分がカウンターから持って来たサラダのレタスが「茶色く変色したところがある!」と訴え始めたのだ。
 私見だが、その時の我が感覚としては買い置きのレタスの一部が茶色く変色する事など家庭内で日常茶飯事として経験済みだった。 そんな時私が採る手段とは、変色した部分を捨て去り緑色の部分を有効利用して我が家のテーブルに出すよう心掛けて来ている。 

 確かにレタスの茶色い部分をサラダ具材として提供してしまった理研内に展開している(競争入札にて理研への出店が叶ったであろう)民間食堂経営者に落ち度はあろう。 要するにその日理研の食堂に出されたレタスは少し古かったものとも推測する。 そう考察したとて、(国民の税金に基づく)理研側からの職員への昼食負担額とは膨大だった事が明らかな程に、理研食堂とは職員個々人の負担額が至って少額だったものでもある。
 ところがこの場に於いて、テーブルに座っていた私以外の女性職員達は 「明らかに古いレタスだから、今すぐ食堂経営者に文句を言うべき!」との、私にとっては到底考えられない意見で一致してしまったのだ。
 当時これに一番困惑したのが、「レタスが変色している」と言い始めた若き女性職員氏だったと私は理解している。 周囲の反応を受けてレタスの一部が茶色だったことを食堂経営者に交渉しに行った事により、女性職員氏は貴重な昼休み時間を大幅に費やしてしまったものと振り返る。

 
 原左都子が理研を去って既に少なからずの月日が流れているが、今だ思い出すのが、上記「レタス茶色事件」だ。
 当該機関の職員氏達とは現在に至って尚、(ほとんど血税で賄われ)少額自己負担の「昼飯」に“茶色”のレタスの片鱗を見た場合、入札手段にてやっとこさ“理研”との大規模食堂に食事を提供出来る幸運を得た零細民間業者経営の食堂相手に、物申しているのであろうか!?! 
 それこそ茶色変色レタスに体が蝕まれる程の虚弱体質でもない限り、国家関連者たる者がそんなたわいない事実には目をつぶるべきではないのか?? 


 さて、話題を表題に掲げた「うどん」に戻そう。

 私も庶民の一人として、自分が行ったレストランにてたまたま店員氏が、注文した「うどん」に指を入れてしまった現場を目撃したならば、朝日新聞投稿者同様に辛い思いをした事であろう。
 もしもその場に私一人しかいなかったならば、私はおそらく「すみませんが急に具合が悪くなりましたので帰らせて頂きます。御代はお支払いします。」と言ってレストランからそそくさと立ち去ったものと想像する。
 ところがどういう訳か、朝日新聞投稿者には同じテーブルに被害者である自分を非難する人物が存在したのだ。

 これが原左都子にはどうしても解せない。
 そもそも何故、自分と決定的に考えが異なる人物と食事を一緒に取ったりしたのだろうか?

 家庭内とて、職場内とて、私は自分が嫌いな相手は元より自分から気を使わねばならない相手となど一切食事を一緒にしたくない思いが若き時代より強靭だ。
 特に昼飯など一人で楽しみたい思いに昨今溢れている。 (「原左都子エッセイ集」2009年7月8日バックナンバー「 昼飯ぐらい一人で食べさせてくれ!」 をご参照下さい。)

 今回の事例の場合、「うどん」に指を入れてしまった店員氏がまさか“故意”にその行為をしたのではない事が明らかであるため、話が複雑である。  もちろん、店側の基本的対応としてそのような咄嗟のミスを回避するべく対策が十分に施されているべきだ。(器は両手に持って慎重にテーブルに置くよう店員達に指導する等の)  ところが零細店舗に於いては、その対策を採る事すら困難である事も想像が付く。

 要するに朝日新聞投稿女性の失敗とは、単に、人間にとって大事な食事時間を“自分とは大いに考えが異なる親しくもない相手”と共にしたのが一番の失策だった、との事ではなかろうか? 

「ナッツ・リターン」騒動、むしろ大韓航空の名が売れたのでは?

2014年12月23日 | 時事論評
 このニュースを最初にテレビ映像で見た時、その内容を十分に把握していない段階から私の脳裏にある種の“印象深さ”が刻み込まれた。

 まず、事件のネーミングが凄い! 
 「ナッツ・リターン」  まるで映画のタイトルだ。

 そしてテレビ映像に映し出されたのが、長身モデル体型韓国女性がコートにマフラー姿で公衆の面前で深々と頭を下げる(謝罪会見する)姿だった。
 新作映画公開挨拶のために主演女優氏が公道で会見を執り行ったのかと見間違う程に、その映像は一つの“完成したシーン”として、少なくとも私にとって訴えてくるものがあった。


 さてここで「ナッツ・リターン」騒動に関し、朝日新聞12月19日付記事よりその内容を要約して以下に紹介しよう。
 米ニューヨーク発、韓国仁川行きの大韓航空便は12月5日出発準備を終えて滑走路に向かっていた。
 その時“事件”は起きた。 ファーストクラスに乗っていた大韓航空前副社長の趙氏(上記の長身女性だが)が、客室乗務員女性が差し出した「ナッツ」に疑義を提示した。 社内マニュアルでは袋からナッツを取り出し皿に盛って提出する事になっていた故だ。  趙氏はすぐさま機内サービス責任者を呼んで確認を求めたがそれに応じられたかったため、許しを求める客室乗務員と責任者をひざまずかせて罵声を浴びせたという。  その後、趙氏の指示で旅客機は搭乗口に引き返し事務長を降して、再度滑走路に向かい飛び立った。
 この事件に対し韓国国内から、「財閥令嬢による行き過ぎた行為」との世論が高まっているとの事だ。 令嬢の父親である財閥会長氏もこれら国内世論に対し、「私が娘の教育を間違えた」と謝罪した。
 現在韓国国内では「ナッツ・リターン」騒動を受けて、財閥の世襲経営を問い直すべきだとの主張が相次いでいる。 特に批判の対象になっているのは「財閥3世」達らしい。 朝鮮日報等々によれば、「幼い頃から苦労した事がなく問題を起こすことが増えている」 「財閥3世は道徳性や経営能力面で十分な検証を得ていない場合が多い」 などと伝えられている。  韓国の財閥経営は2世から3世に移る過渡期にあり、「3世の不合理な命令に逆らえない財閥の垂直的企業文化が根付いている事も問題」の指摘もある。
 (以上、朝日新聞「ナッツ・リターン」に関する記事より要約引用したもの。)

 一旦、原左都子の私論に入ろう。

 なるほどねえ。 韓国にも財閥が存在して、その財閥3世が総じて先代から十分な指導教育を受けられないままに裕福な子供時代を送り現役世代となり、挙句の果てに問題行動を起こしている現実……
 我が国にも同じ時代があった(今もか??)と振り返るが、現在の日本に於いて財閥3世(あるいは4世、5世)の能力・実力の程は如何なるレベルなのだろう??  
(今となっては世の底辺を彷徨っている私にとって、その辺の日本国内考察が抜け落ちていた事を今更ながら今回の大韓航空事件で気付かされた次第だ。)


 それにしても、(韓国世論によれば)今回大韓航空が世に恥を晒したとの「ナッツ・リターン」騒動は、国内外旅行で旅客機を頻繁に利用している原左都子にとっては、別の意味合いで興味深いのだ。

 と言うのも、私も航空機内の客室乗務員のサービスに関しては“うるさい”方だ。 (いえいえ決してその場で文句は垂れないものの、後々根に持つタイプである。)
 今回の大韓航空「ナッツ・リターン」の場合も、社内規定に「ファーストクラスではナッツを皿に盛って出す」なる規定が存在していたのならば、従業員はその規定に従うべきなのは当然であろう、と私も前副社長氏に同感する。  かと言えども、離陸直前の航空機を引き戻させる程の強引な措置を取らずとて済んだのかもしれないが、前副社長との身分だったからこそそれが可能だったとも結論付けられよう。


 ここで、我が航空機内で直面した“許し難き”私事を以下に述べよう。

 
 離着陸時には安全確保の目的で「トイレに行くな!」と指示する航空機会社は数多い。 ところが、これが長時間に達する事がよくある。  小さな子供を引き連れた空旅など、どうしてもそんな場面でトイレを利用せねばならない場面は否めない。 
 そんな場に於いて某国内航空会社(JALだが)などは、事前に小さな子供を引き連れている乗客に必ず「今のうちに子供さんをトイレに連れて行って下さいね」と客席まで指示しに来てくれることが幸いする。  ところがこれを一切実行せず、着陸体勢時に子どもをトイレに連れて行ったことをこっ酷く客室乗務員氏から叱られた事がある。
 (それを十分に反省している立場にして、着陸までの時間が天候等の事情により長引く場合、大人とてトイレに行けない事が耐えられない場合もあるのだ。 それ故、世界中の航空機企業にはもう少しトイレタイムを自由化する方向で何とか善処してもらえないものだろうか!?!)

 あるいはくだらない話で恐縮だが、国内線に於いて一昔前には“子供にお土産を配る”のが常識だった時代がある。
 我が娘が幼少の頃、飛行機に搭乗する都度これを幼心に楽しみにしていた。 ところがある時(おそらく機内が混雑していた故と推し量るが)、周囲の子供達に乗務員よりお土産が配られる中、我が子のみ無視されたのだ…   これは母としても辛かった。 それでもまさか、無料サービスでしかないお土産をねだるために乗務員ボタンなど押せるはずもない…  今にも泣き出しそうにしている我が子に何と説明しようかと考え抜いた挙句、私は娘にこう伝えた。 「今日は飛行機内が混雑しているからお土産が足りなかったのよ。 そこでスチュワーデスさんが“お利口さんの子供はきっと我慢できる”と思って貴女には配らなかったのよ!」  少し不満げだった娘も私の説明に納得して、その後幾度国内線に乗ろうがお土産をねだることはなかったものだ。 (それでも尚お土産をもらえた時には、今まで以上に娘が嬉しそうだったのが印象的だ…。) 


 上記大韓航空の「ナッツ・リターン」騒動に話を戻そう。

 この事件、むしろ前副社長氏である3世女性趙氏は、あえて航空機内の規定に関し厳しく対応したとも理解可能だ。 何のための「航空機内規定」であるかを再考した場合、それは“お客様が命”だからに他ならないのではあるまいか?
 韓国国内の諸財閥が如何なる事業を展開しているかは私には図り知れないが、その末端企業として航空事業等のサービス業を展開している以上、「顧客サービス観点」をモットーとするべきだ。

 今回の趙氏の場合、自分の我が儘により実行してしまった不祥事であったかもしれないが、その行為が今後の大韓航空のサービス向上に繋がる事に私は是非とも期待したい。
 “ファーストクラスではナッツをお皿に入れて出す”と大韓航空内で規定されているのであれば、それを守り抜くのが組織末端で働く人材の使命と私も心得るのだが、如何だろうか?
 それに異論があるのならば、客室乗務員達は事前に地上にて社内上層部に改善策を提示しておくべきだったはずだ!

ノーベル賞の真価

2014年12月21日 | 時事論評
 朝日新聞12月20日別刷「be」“ランキング”のテーマは 「2014年の重大ニュース」だったのだが、このランキングの中に、我が予想通り 「青色LED発明3氏にノーベル賞」 がランクインしている。

 参考のため、上記朝日新聞2014年重大ニュースランキングを以下に紹介するならば、
   1位    STAP細胞真偽騒動         
   2位    御嶽山の噴火
   3位    消費税8%スタート
   4位    ソチ五輪フィギュアで羽生が金
   5位    青色LED発明の3氏にノーベル賞     (以下略)    と続いている。

 前回の我がエッセイ集にてSTAP事件を取り上げたばかりの原左都子にして、「STAP細胞騒動」が1位にランクインしている事に多少驚いた。
 おそらくこれは“朝日新聞読者アンケートによる結果”故と解釈する。 (私の頭脳も良くも悪くも、相当朝日新聞に感化されている事を物語る結果のような気もするが…)


 さて、今回のエッセイ本題に入ろう。

 上記ランキング5位に位置付けている「青色LEDノーベル賞」受賞については私も異論はない事に関し、少し前のバックナンバーに於いて公開済みである。
 むしろ今回の日本人ノーベル物理学賞3氏受賞の快挙は、その基礎研究段階から応用研究期を経て既に地球規模にて多大なる経済効果がもたらされている内容故に、世界中の誰しもが分かり易い受賞であり異議を唱える人はいない事であろうと推測する。


 ところが私は去る12月10日にストックホルムにて開催された「ノーベル物理学賞授賞式」のメディア映像を見ていて、受賞内容とはかけ離れた“無駄”画面を見せられ仰天させられる羽目と相成った。
 その画面とは、受賞者の一人である名古屋大学教授天野浩氏の(失礼ながらド派手なだけで決して美しくない)奥方が、授賞式内外でさも自身がノーベル賞受賞者であるがごとく表舞台にしゃしゃり出た“顰蹙事態”に関してである。  (片や美女で誉れ高い中村氏の奥方など、一切メディアの前には姿を見せなかったことが印象的だ。)


 「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて、私は主要国元首の奥方(いわゆる“ファーストレディ”)が、公的場面に於いて如何なる行動を採るべきかに関して2度程私論を展開している。
 その中の一つ、 2009年10月26日バックナンバー 「ファーストレディの真価」 と題するエッセイ内容の一部を以下に再現しよう。
 主要国元首会談等の会合に必ず大統領(首相)夫人が同行している報道をマスメディアから見せられて、昔から私は大いに違和感を抱いている。 何で旦那の仕事に奥さんがのこのこついて行かなきゃいけないの? まあ夫婦だからついて行ってもいいとして、公の場にまでしゃしゃり出て記念写真まで一緒に入り、それが世界中に報道されるって、おかしな話でしょう?  ファーストレディって言うけど、外見だけ着飾って、旦那の仕事に金魚のウンチみたいにつきまとって、あらかじめ仕立てられた慈善行為のパフォーマンスだけマスメディアの取材のためにする事のどこがファーストレディなんだか、私には理解しかねる。 
 しかも逆はあり得ないのだ。 例えば(故)サッチャーさんの旦那が元首会談にのこのこついて来たのを私は見たことがない。 米国大統領選に出馬中のクリントンさん(女)は、クリントン元大統領にはいつも同行していたけれど、現在出馬中のクリントンさんに旦那がくっついている姿も見ない。 男女平等意識の高い国々でさえこの有様なのはなぜであろうか。 政界における単なる慣習と済まされて済む話か?
 (以上、「原左都子エッセイ集」開設当初の2007年10月バックナンバー記事より引用)

 話題を今年のノーベル物理学賞授賞式に戻すが、名古屋大学教授天野氏の奥方氏は、何故あれ程までに授賞式にて(あくまでも夫氏の業績である)「ノーベル賞受賞式典」出席に単に妻の身分でこだわったのであろう?  未だ学生身分の子供2人まで引き連れて授賞式会場を訪れ、メディアの質問に奥方が最大限応えている映像が何度も映し出された。
 夫が「ノーベル賞」を受賞する事とは、それ程までに奥方の栄誉なのだろうか???
 自分自身で物事を成し遂げてこその我が栄誉!とのポリシーの下生き延びている原左都子にとっては、たとえノーベル賞であろうが旦那の業績評価祭典にチャラチャラつきまとうなど、一生に渡り到底理解不能な現象なのだが……


 ここで話題を表題に戻し、「ノーベル賞」自体の真価を問おう。

 少し古くなるが、朝日新聞12月5日付夕刊に「ノーベル賞メダル競売で5.7億円」との記事があった。
 以下に要約して紹介しよう。
 DNA二重らせん構造発見者の一人、ジェームス・ワトソン氏(86)が受賞したノーベル賞メダルが、12月4日、ニューヨークで落札にかけられ約5億7千万円で落札された。
 ワトソン氏と一緒にノーベル医学生理学賞受賞した故クリック氏のメダルは昨年競売にかけられ約2億7千万円の値段が付いた。  ワトソン氏はこれに真似て自分が受賞したメダルを競売にかけたらしいが、得た資金を大学等への寄付に回すと言う。


 最後に私論に入ろう。

 現在に於いては世界規模での栄誉であろう「ノーベル賞」自体の“真価”の是非が問われる程に、科学・文化が(ある意味で歪みつつ)発展した現状ではなかろうか。

 「なぜこれがノーベル賞受賞??」  なるエッセイを「原左都子エッセイ集」に於いて公開し続けており、それらに少なからずのアクセスを頂戴して来ている。 (直近で言うならば、平和賞受賞 パキスタンマララ氏に関しても我が異議を唱えている。)

 ここは「ノーベル賞」を受賞した(してしまった)人物こそに、ご本人が世界に於いて置かれている今後の活躍の意向の程を問いたい思いだ。
 既に高齢域に達している「ノーベル賞」受賞者にとっては既にその進路を失っている事であろう。 それだからこそ、「ノーベル賞メダル」を競売にかけその収益(財力)で今後の世界科学発展に寄与したいとの受賞者の切なる思いは私にも重々通じる。

 反面「ノーベル賞」を受賞したとの事実を、今後のご自身の科学研究の更なる糧にせねばならない若き年代の受賞者達に物申したい。
 特にノーベル物理学賞授賞式に見た目だけ派手な奥方(及び一家を)伴い、メディア情報を通して自分勝手なパフォーマンスを日本中に繰り広げた若き研究者の方(天野浩氏だが)に言いたい事がある。

 天野浩さん、若年層の貴方が今後本当にもう一度ノーベル賞を受賞できるレベルの基礎研究をこの世に公開可能なのか??
 それがもしも叶わない場合、先輩に真似てノーベル賞メダルを競売にかけ何処かの科学教育機関へ寄付するべきと私は思うのだが…
 貴方達一家(特に奥方)がノーベル賞受賞式典会場内外で、日本のメディア報道を通してまるで奥方自身がファーストレディにでもなった気分に浸り、派手ないでたちでみっともなくも大騒ぎした映像の迷惑責任がのしかかっていると私は判断するのだが、如何だろうか……