日々高視聴率を記録している NHK連続テレビ小説「花子とアン」も、残すところ後2ヶ月、いよいよ終盤期に入る。
本日の場面では関東大震災に突入し、今後の物語の舞台が大きく方向転換しそうな気配である。
ところで原左都子は、現在放送中の連続テレビ小説「花子とアン」を好意的に捉えて“いない”事に関してバックナンバーで紹介している。
その内容を少し振り返ってみよう。
甲府の貧しい小作農家に生まれた主人公 花 が「神童」であるとのドラマ設定であるが、裕福な子女が通う東京の著名女学院に、給付生として入学出来た事実の描き方が粗雑過ぎる事を私は指摘した。 私の視点からは如何に好意的に考察しようが、残念ながら花には「神童性」が感じられないのだ。
その後も 花 は特段の努力もせずして、時は乙女期へと移行する。 どうやら、花とは(当時のレベルで)英語力のみには長けた乙女に成長しているようだが、これまたその成長過程の描き方が貧弱極まりない。
そうこうしているうちに、女子学院への転校生として華族出身の“葉山蓮子”が物語に登場した。
仲間由紀恵氏演じる、その役柄の濃厚さに衝撃を受けた視聴者が多かった事であろう。 それ故にこのドラマは未だかつて高視聴率を挙げていると私は理解している。
ここで少し、ドラマ名 葉山蓮子(後の加納蓮子)に関する補足説明をしよう。
葉山(加納)蓮子氏とは、実在の人物である。
ウィキペディア情報を頼り、以下にその人物像の一端を紹介しよう。
柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年(明治18年)10月15日 - 1967年(昭和42年)2月22日)は、大正から昭和時代にかけての歌人。本名は宮崎子(みやざきあきこ)、旧姓:柳原(やなぎわら)。大正三美人の1人。白蓮事件で知られる。 父は柳原前光伯爵。 母は前光の妾のひとりで、柳橋の芸妓となっていた没落士族の娘[1]奥津りょう。
大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。
NHKドラマ「花子とアン」内でも、過去に実在した柳原白蓮氏の生き様をほぼ忠実に、葉山(加納)蓮子として描いていると、私も理解している。
片や主人公である村岡花子の描き方に関しては、物語終盤に差し掛かろうとしている現在、未だ主人公の存在感の無さに辟易とさせられている。
これ、どうしたのだろう?? HNKはドラマ終盤に入って尚、白蓮を出すことにより「花子とアン」の視聴率が稼げることを虎視眈々と狙っているとしか考えようがない。
あるいは、主人公の妹役 かよ を利用して視聴率を稼ぐとの魂胆か??
いずれにせよ、主人公である 花(本人曰く花子)の生き様の描写力に欠けている事は確かだ。
(もしかしたら、亭主役の男優がそもそも肉体派であることが災いしているのだろうか?? 申し訳ないが、原左都子自身もあの男優が体を張って映画に出演したらしき“肉体映像”を垣間見て以降、げんなり感が否めないのだが…)
ところで私は、登場人物の一人である宇田川満代氏との当時の“売れっ子”女流作家がドラマ内で発した見解に、いたく同感させられたものだ。
この宇田川満代氏に関する情報を、ネットより得たので少し紹介しよう。
花子とたった1歳違いの明治27年生まれで北川千代という児童文学作家がいた。 三輪田高等女学校在学中『少女世界』『少女の友』に投稿を重ねデビューするという経歴を持つ。 その後児童雑誌『赤い鳥』で作品を発表する。
村岡花子が交流があったのは宇野千代であるが、童話でデビューというならばむしろこちらの北川千代の方が近いものはある。 昭和4(1929)年の市川房枝の婦人参政権運動を支持する女流文学者たちの署名に北川千代は花子と共に名を連ねていた。 北川千代の顔は山田真歩(宇田川満代役)と相当に似ている。
(無断転載をお詫び申し上げます。)
この宇田川満代女史(あくまでも「花子とアン」内登場人物の名前に過ぎないが。)が、雑誌編集担当氏より「白蓮に関する小説を書いて欲しい!」とドラマ内で嘆願された直後に、言い放った言葉がある。
「申し訳ないけど、私は白蓮には興味がないの。」
その後その雑誌担当者が「それでは自分が書きます!」と言い返した後、宇田川満代が「好きにすれば。」と応えた事が原左都子として実に印象的だ。
最後に原左都子の私論を展開しよう。
実は私本人も宇田川満代氏同様に、白蓮の生き方にはさほど興味がなくなりつつあるのが現実である。
「花子とアン」のドラマ物語は“作り物語”としては一応面白く日々欠かさず見ている身にして、白蓮の生き方には日々失望する連続である…
時代の趨勢とはいえ、何故白蓮は石炭王である加納家に嫁いだのか。 そして白蓮は加納氏の財力を利用して自らが書き留めた「白蓮歌集」を出版した。 しかも加納伝助氏の財力のみを頼りに、青二才の学生との「駆け落ち」が叶ったのも歪み無き事実だ…
その後の白蓮の実情とは駆け落ち青年との間に子供を設けたものの、その後も世の陰で青二才学生に身を委ねるばかりで、何ら自分らしい自己主張も自己実現もないまま、子供と共に陰の人生を歩み続けるはめとなる。
そんな蓮子氏の「他力本願」駆け落ちは(史上でも事実叶ったらしいが)、今の時代、これを物語としてドラマ化にするには、誰も羨まない、もはや形骸化した恋愛形態ではなかろうか…。
これをNHKが史実に忠実に基づくのではなく、現在にも通用するストーリー展開に改ざんする事に、私は期待したいものだ。
それよりも何よりも、主人公である 花 の存在感の無さを、今後如何にNHKが描き直して物語の結末を迎えるつもりなのか、一視聴者として少しは期待申し上げたいものだ。
本日の場面では関東大震災に突入し、今後の物語の舞台が大きく方向転換しそうな気配である。
ところで原左都子は、現在放送中の連続テレビ小説「花子とアン」を好意的に捉えて“いない”事に関してバックナンバーで紹介している。
その内容を少し振り返ってみよう。
甲府の貧しい小作農家に生まれた主人公 花 が「神童」であるとのドラマ設定であるが、裕福な子女が通う東京の著名女学院に、給付生として入学出来た事実の描き方が粗雑過ぎる事を私は指摘した。 私の視点からは如何に好意的に考察しようが、残念ながら花には「神童性」が感じられないのだ。
その後も 花 は特段の努力もせずして、時は乙女期へと移行する。 どうやら、花とは(当時のレベルで)英語力のみには長けた乙女に成長しているようだが、これまたその成長過程の描き方が貧弱極まりない。
そうこうしているうちに、女子学院への転校生として華族出身の“葉山蓮子”が物語に登場した。
仲間由紀恵氏演じる、その役柄の濃厚さに衝撃を受けた視聴者が多かった事であろう。 それ故にこのドラマは未だかつて高視聴率を挙げていると私は理解している。
ここで少し、ドラマ名 葉山蓮子(後の加納蓮子)に関する補足説明をしよう。
葉山(加納)蓮子氏とは、実在の人物である。
ウィキペディア情報を頼り、以下にその人物像の一端を紹介しよう。
柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年(明治18年)10月15日 - 1967年(昭和42年)2月22日)は、大正から昭和時代にかけての歌人。本名は宮崎子(みやざきあきこ)、旧姓:柳原(やなぎわら)。大正三美人の1人。白蓮事件で知られる。 父は柳原前光伯爵。 母は前光の妾のひとりで、柳橋の芸妓となっていた没落士族の娘[1]奥津りょう。
大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。
NHKドラマ「花子とアン」内でも、過去に実在した柳原白蓮氏の生き様をほぼ忠実に、葉山(加納)蓮子として描いていると、私も理解している。
片や主人公である村岡花子の描き方に関しては、物語終盤に差し掛かろうとしている現在、未だ主人公の存在感の無さに辟易とさせられている。
これ、どうしたのだろう?? HNKはドラマ終盤に入って尚、白蓮を出すことにより「花子とアン」の視聴率が稼げることを虎視眈々と狙っているとしか考えようがない。
あるいは、主人公の妹役 かよ を利用して視聴率を稼ぐとの魂胆か??
いずれにせよ、主人公である 花(本人曰く花子)の生き様の描写力に欠けている事は確かだ。
(もしかしたら、亭主役の男優がそもそも肉体派であることが災いしているのだろうか?? 申し訳ないが、原左都子自身もあの男優が体を張って映画に出演したらしき“肉体映像”を垣間見て以降、げんなり感が否めないのだが…)
ところで私は、登場人物の一人である宇田川満代氏との当時の“売れっ子”女流作家がドラマ内で発した見解に、いたく同感させられたものだ。
この宇田川満代氏に関する情報を、ネットより得たので少し紹介しよう。
花子とたった1歳違いの明治27年生まれで北川千代という児童文学作家がいた。 三輪田高等女学校在学中『少女世界』『少女の友』に投稿を重ねデビューするという経歴を持つ。 その後児童雑誌『赤い鳥』で作品を発表する。
村岡花子が交流があったのは宇野千代であるが、童話でデビューというならばむしろこちらの北川千代の方が近いものはある。 昭和4(1929)年の市川房枝の婦人参政権運動を支持する女流文学者たちの署名に北川千代は花子と共に名を連ねていた。 北川千代の顔は山田真歩(宇田川満代役)と相当に似ている。
(無断転載をお詫び申し上げます。)
この宇田川満代女史(あくまでも「花子とアン」内登場人物の名前に過ぎないが。)が、雑誌編集担当氏より「白蓮に関する小説を書いて欲しい!」とドラマ内で嘆願された直後に、言い放った言葉がある。
「申し訳ないけど、私は白蓮には興味がないの。」
その後その雑誌担当者が「それでは自分が書きます!」と言い返した後、宇田川満代が「好きにすれば。」と応えた事が原左都子として実に印象的だ。
最後に原左都子の私論を展開しよう。
実は私本人も宇田川満代氏同様に、白蓮の生き方にはさほど興味がなくなりつつあるのが現実である。
「花子とアン」のドラマ物語は“作り物語”としては一応面白く日々欠かさず見ている身にして、白蓮の生き方には日々失望する連続である…
時代の趨勢とはいえ、何故白蓮は石炭王である加納家に嫁いだのか。 そして白蓮は加納氏の財力を利用して自らが書き留めた「白蓮歌集」を出版した。 しかも加納伝助氏の財力のみを頼りに、青二才の学生との「駆け落ち」が叶ったのも歪み無き事実だ…
その後の白蓮の実情とは駆け落ち青年との間に子供を設けたものの、その後も世の陰で青二才学生に身を委ねるばかりで、何ら自分らしい自己主張も自己実現もないまま、子供と共に陰の人生を歩み続けるはめとなる。
そんな蓮子氏の「他力本願」駆け落ちは(史上でも事実叶ったらしいが)、今の時代、これを物語としてドラマ化にするには、誰も羨まない、もはや形骸化した恋愛形態ではなかろうか…。
これをNHKが史実に忠実に基づくのではなく、現在にも通用するストーリー展開に改ざんする事に、私は期待したいものだ。
それよりも何よりも、主人公である 花 の存在感の無さを、今後如何にNHKが描き直して物語の結末を迎えるつもりなのか、一視聴者として少しは期待申し上げたいものだ。