原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

横浜みなとみらいへの小旅 (フレンチコース編)

2015年05月30日 | 旅行・グルメ
 (写真は、横浜某ホテルにてのフレンチコースの一部を撮影したもの。)


 せっかく横浜を訪れたならば、中華街で中華三昧しよう!との我が希望に対し、娘はあくまでも「フレンチ」がいいとの要望だ。

 これには、娘なりの理由がある。

 現在娘は食分野単科女子大学の4年生に進級しているのだが、娘の「卒業研究」が“外食場所の座席が人の心理に及ぼす影響”ナンタラカンタラ…であり、それを外食処現場にて実地観察したいとの要望である。

 何故我が娘が「卒研」のテーマを上記のごとく“外食場所の座席”を対象として掲げたかに関しては、母である私の影響力が大きい事は間違いないであろう。
 何分“料理嫌い”な私であるため、娘幼少の頃より外食場所に頻繁に連れ出している。

 そこで私が一番に切り出すのが、「この座席では寛げない」 「隣の話がうるさくて迷惑だ!」 等々、座席に対する不満が数多かった事実を認めるしかない。

 それは娘成人後も続く我が課題だった。
 とにかく都心に住む私が外食に出かけた場合、何処の食事処も混雑している。
 それを承知の上だが、そうだとして、もう少し座席配置に配慮出来ないものか… 、云々と娘相手に苦情を並べまくった事実も認めざるを得ない。
 
 そんな中、都心部に於いても座席配置が行き届いている食事処が“無きにしもあらず”なのだ!
 これは実に感激である。
 狭いスペースに屏風を立てたり、机の配置を工夫する事により隣客との接触を避けるべく工夫している飲食店に偶然出会うこともある。 そんなラッキーに出会えたならば、私などすぐさまその店舗の常連と相成る。


 今回の横浜みなとみらい小旅に於いて、娘が「中華街」を避けたかった思いは母として理解可能だ。
 過去に連れて行った横浜中華街食事処が、いずこも混雑していた故であろう。
 加えて中華の場合は大人数で食する場合“丸型回転テーブル”が用意されるが、たかが二人で訪れたなら片隅の狭い座席を提供され、身を小さくして食事をせねばならない運命となろう…。

 それに比しフレンチの場合は、まず大勢のグループで押し寄せる事態は考えられない。
 2名との少人数でも、必ずや比較的広いテーブルに案内され、係員氏が丁寧に対応して下さる。
 我が娘はこれに“味を占めている”のではなかろうか? とも推測する。

 我が娘の「卒研」が如何なる食事処に標的を定めているのかは私の知るところではないが、娘は娘なりの育成環境の下に「卒研」を進めるものと解釈しつつ、今回はフレンチディナーを食する事と相成った。


 それにしても、横浜とは大都会東京の間近に位置しているにもかかわらず、食事処がさほど混雑していない状況を再確認させられる。
 今回我々親子が訪れたのは、山下公園対面にある某ホテルのレストランなのだが、とにかく私など顧客がいない事実に感激だ ! 担当の係員氏が“我々のためだけに”フルコースをテーブルまで運んで下さるだけでも贅沢感を堪能させて頂けるというものだ。

 娘の「卒研」に何らかの役に立ったのかどうかは不明だが、私と同様“周囲の喧騒”を嫌う娘にとって、中華街へ行くよりも混雑がないフレンチレストランでの食事がおそらくある程度有用だった事であろう。

 顰蹙ながらも飲兵衛の私にとっては、当該ホテルフレンチ処に於いてイタリア産フルボトル白ワイン(ほとんどを母の私が飲みつくした…)が実に端麗美味だったことを付け加えさせて頂こう。

横浜みなとみらいへの小旅 (人形の家編)

2015年05月29日 | 旅行・グルメ
 (写真は、横浜の博物館 「横浜人形の家」 に展示されていた人形の中で、昨日原左都子が一番“気に入った”人形を掲載したもの。)


 私が一見して上記写真の人形を“お気に入り”になる理由など、自分自身が既に分析済みだ。

 とにかく、スリム体型であること。
 そして、華奢な手が私自身とダブる。
 しかも、前髪を垂らしているところも私そっくりだ!

 いえいえ、決して私本人は少女時代よりこれ程可愛らしかったはずはないが、これぞ我が理想の外見姿だったような気分がそそられる思いだ。


 冒頭から私感を展開して恐縮だが、昨日の小旅は 「横浜人形の家」を訪れるのも一つの目的だった。

 と言うのも、「横浜人形の家」がオープンしたのは私が横浜に住む以前のことだったと記憶している。
 一度は訪れたいと欲しつつ、独身時代は多忙に明け暮れる日々を過ごし、当該ミュージアムを訪問する事が叶わなかった。
 時が流れ、娘を産んだ後も横浜を訪れる機会は数多かったが、どういう訳か「人形の家」を訪問する機会が得られずして今に至っている。

 そして昨日、いよいよその地を訪れる機会を我が“積極的意思”にて持てたのだ。

 平日である事が幸いしたのか、横浜人形の家内はほぼ我々親子のみだ。
 しかも、館内は「(フラッシュ撮影禁止)との条件付きで写真撮影OK」との事でもある。  そんな恵まれた条件下で、特に娘は館内を写真撮影しまくった様子だ。

 
 館内に入って気が付いたのだが、「横浜人形の家」に展示されている人形の数たるや実に物凄いものがあるのだ!
 それを特に感じたのは、2階ワールドフェステバル会場に行った時だ。 世界中各国の人形達が所狭しと陳列されているのに加え、我が国日本各地の郷土色豊かな人形達も美しく展示されている。

 更に3階へ行く手前で見つけたのが、冒頭写真にて紹介した人形である。
 この人形に関する説明書があったのか否かに関する我が記憶が朧であるものの、”バービー人形”の隣に展示されていた事実を思い起こすに、おそらくそれ位の昭和の時期に作成された人形なのであろう。
 そうだとすると、現在の若年層女性にも浸透しているファッション感覚がこの時代に作成された人形から感じられるのが凄い!

 3階にまで上がると、「コレクションモール」と題して、西洋と日本を比較した芸術性に優れた人形達の展示や「人形師の工房」が展示されている。

 企画展示室では、NHKにて放映された「シャーロックホームズの世界展」の展示があった。
 残念ながら当該番組をさほど視聴していない私としても、劇中で人形が使った“小道具”類の展示には唸るものがあった。

 「横浜人形の家」博物館の素晴らしところは、小劇場(全席147席)の「あかいくつ劇場」を抱えている事実だ。
 実は昨日も当該小劇場にてピアノの生演奏が披露されていたが、我々は残念ながら時間不足で端折ってしまった事をお詫び申し上し上げたい思いだ…。


 当博物館のミュージアムショップは1階に位置するが、残念ながら私が欲した(冒頭写真)人形の「レプリカ」は販売されていなかった。
 もしも今後、当該ミュージアム経営団体にミュージアムショップを維持可能な財力があるのであれば、たとえレプリカであろうが“売れそうに思える”人形がショップにて多数販売されていてもよいのではないかと、残念に思った次第だ…

横浜みなとみらいへの小旅 (マリンタワー編)

2015年05月29日 | 旅行・グルメ
 (写真は、横浜マリンタワー展望フロアより撮影した 山下公園。 右手に見える大型船は氷川丸。)


 6月が近づき蒸し暑い陽気の昨日、私は現在大学4年にして就活戦線真っ只中の娘を誘って、横浜みなとみらい地区へ小旅に出かけた。


 横浜には花の30代独身時代に7年間ほど居住した時期がある。

 晩婚後は当該住居を賃貸物件として昨年まで活用していたため、年に何度か仲介確認等々の用件で横浜に出かける機会があった。
 昨年賃借人選択に大失敗しオーナーチェンジ物件として売却後は、その失敗の痛手を引きずる身として「横浜」の印象が一気に悪化してしまい、自ずと足が遠のいていた。

 あれから1年が経過しようとしている今、そろそろ花の独身時代を過ごした「横浜」に行ってみる気が湧いてきた。
 ちょうど就活中盤戦に入ろうかとの娘が、昨日ならば時間が取れるとのことだ。 “グルメ三昧”を第一目的として、東京メトロ副都心線から乗り入れ直行で、東横線とみなとみらい線経由にて横浜を訪れた。


 上記写真は、横浜マリンタワー展望台から撮影した山下公園の風景だ。

 私が横浜に居住していた頃の山下公園とは、浮浪者の格好の住み処となっていて公園と言えども薄汚れた場だった印象がある。
 昨日マリンタワーから眺めた山下公園は、一転して緑が美しい公園として生まれ変わっていた。
 後に下に降りて山下公園内を散策してみると、外国人観光客や近くの市民の憩いの場として機能している。 主都東京の大規模公園ほどの混雑もなく、それぞれが海を眺めつつ公園内で寛ぐ姿に癒される思いだ。


 昼食は、山下公園の真ん前にあるマリンタワー1階に位置するイタリアンカフェ&ダイニングでグルメを楽しむ事とした。
 上階の展望台は修学旅行中の生徒達等県外からの旅行客が圧倒的多数のようだが、1階のカフェはどうやら地元の人達が多い様子だ。
 山下公園に面したテラスが人気のようだが、多少海風が強いこともあり、我々は室内窓側の席で山下公園を見ながらイタリアンを楽しむ段となった。


 (横浜みなとみらい小旅は、次回、次々回へと続きます。)

安倍さんは “森見て木を見てない” よね!?

2015年05月27日 | 時事論評
 私が今回のエッセイにて言いたい 「木」 とは“国民一人一人”の意味合いだ。

 安倍晋三氏程、一人一人の国民(特に底辺庶民達)が視野に入っていない一国の首相は、未だかつて存在しなかったのではなかろうか?

 それを一番感じさせられるのは、安倍政権が民主党より政権奪取直後より高らかに掲げる「アベノミクス経済政策」に於いてだ。 これ程底辺国民をないがしろにする経済政策は今までに類を見ないであろう。
 安倍政権発足直後に人為的金融操作により株価を大幅に吊り上げ、極端な円安に持ち込んだ。 それにより確かにごく一握りの上層部企業や、円安に恩恵を与る企業は現時点では表向き潤っているかに見える。 
 そんな目くらませ心理操作により、「ほ~~ら、底辺庶民達よ。我が国はこんなに経済が活気づいたよ。お前らにもそのうち上層部から“おこぼれ”が回ってくるから、今後も自民党に票を入れて指示しろよな~!」
 ところがどっこい、単なる人為的金融操作によって上層部からの“おこぼれ”が底辺まで滴り落ちて来る道理がない。 にもかかわらず、大方の国民達はアベノミクスの目くらませ心理操作に引っかかり未だ目が覚めず、相変わらず自民党政権支持率が我が期待ほどの下降線を辿らない始末…

 つい最近川崎市で発生した簡易宿泊所の大火災など、まさに悲惨極まりない。
 昨日の報道によれば、死者が10名に上っているとの事だ。 周辺では法令に違反する建築の疑いがある簡宿が35棟確認されている。 市はこのうち32棟について、6月1日から所有者に3層以上の使用停止を申し入れることを26日に決めた。 対象は500室以上にのぼり、宿泊者には民間アパートへの転居を促す。(以上、ネット情報より引用。)
 原左都子の私論だが、これ程の底辺庶民を放置し続けて上層部の経済活性化のみを視野に入れておきながら、今更ながら底辺宿泊施設相手に「建築法に基づき簡易宿舎を指導する」との“上から目線お達し”を公開して、一体誰が喜ぶと考えているのか!!  政権が採るべき行動とは更なる“か細い木々に過ぎない弱者いたぶり”ではなく、「真正弱者保護」であるべきだ。
 
 しかも、底辺国民が貧乏に喘ぎ貴重な労働生命を死に追いやっている現実下で、安倍首相は性懲りもなく政府チャーター機にて外遊を続け、財政難で巨額赤字を抱える国家財源から諸外国にヘラヘラと多額の援助金をバラ撒き続けている。 まるで、私財でも寄付するかのような“したり顔”で… (あんたのカネじゃないだろ! 国民の血税だよ!)と怒鳴りたくもなる。
 あの映像を見せられる都度、私の腸は煮えくり返る。  その貴重な財源を、我が子程の若き世代が日本を担う次なる時代まで温存しておいてもらえないものか! と… 
 アベノミクス経済政策は必ずや“バブル”としてはじけ飛ぶ(おそらく2020東京五輪後頃)との持論を内心に抱える私としては、それがはじけ飛んだ後の我が国の経済衰退ぶりが、恐ろしくも目に見える思いだ…。


 さて表題に掲げた「森見て木をみてない」なる文言は、今現在開催中の国会の場で、安倍氏が野党民主党からの質疑に応える際に 「野党は、木を見て森を見ていない」 と答弁した文言から“逆解釈”で引用したものだ。

 現在国会にて審議中の「集団的自衛権」論争に関して、以下にネット情報より一部を引用させて頂こう。
 新たな安全保障法制に伴い、野党側から「自衛隊員のリスクが高まる」という懸念が出ていることについて、安倍総理大臣は 「木を見て森を見ない議論」 と反論しました。
 「『自衛隊員のリスクが高まるといった木を見て森を見ない議論が多い。 自衛隊員のリスク以前に、安保環境が厳しくなってきており、国民の安全リスクが高まってきているのではないか』と」(自民党 谷垣禎一幹事長) それによると、役員会に出席した安倍総理は新たな安全保障法制をめぐり、野党側から「自衛隊員のリスクが高まる」という懸念が出ていることに、「木を見て森を見ない議論」と反論したということです。 安倍総理は新たな法整備について、「抑止力を高め国民のリスクを低くする」と意義を強調したということです。 一方、谷垣氏は「安全保障法制を変えていく時には常に相当な拒否反応がある」と指摘した上で、「一番基礎的なことから説明をしていく。積み重ねていくしかない」と、丁寧に審議を進めていくべきだという考えを改めて示しています。
 (25日20時52分配信のネット常用より一部を引用。)


 上記のネット引用文書が“お粗末”である事実を承知しつつ引用したことを、原左都子としてひとまずお詫びしておこう。

 その上で、本日(5月27日)昼食前の時間帯にたまたまスイッチを入れたテレビ国会中継にて、ちょうど 「木を見て森を見ず」 論議が、野党民主党議員と安倍総理の間で再び交わされてた。
 私の(おぼろげな)記憶を辿り紹介しよう。
 野党民主党一議員より「自民政権が打ち出す“集団的自衛権”決行により自衛隊員の奥方達は自分の夫が一体何処の戦闘現場に派遣されるのか、はたまたその命が如何程保障されるのかと怯えている現状だ。 安倍総理は野党は“木を見て森を見ず”と非難するが、貴方こそ“1本1本の木々である自衛隊員の苦悩が見えていないのではなかろうか。」との発言があった。
 それに対する安倍氏の回答を紹介しよう。 
 国会では全体を見て議論することが求められる。 自衛隊の家族云々の議論を野党は国会の場で持ち出すべきでない。 もちろん、政権も自衛隊員には覚悟を持って任務に就くよう要請した上で隊員を選抜している。皆その覚悟の上で任務に就き忠実に訓練に励んでいるはずだ。 「集団的自衛権」可決後には、現行法下よりもピンポイントに於いて自衛隊員のリスクが増えるかもしれないが、それでも我々政権は自衛隊員には今後の危険性を承知の上で雇用して訓練しているつもりだ。」 
 (以上、本日午前中の安倍氏の国会答弁内容を、原左都子の記憶に頼りつつ多少アレンジして引用したもの。)

 
 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 “森見て木を見ず”して務まるのが、悲しいかな、元々日本の歴代総理大臣の宿命とも考察出来よう。

 そうだとして、現在政権を牛耳っている安倍晋三氏に対しては、“特異的事情”が背景にある故ではないかと私は勘ぐっている。 
 (本エッセイ集バックナンバーでも既に記したが)、安倍氏が抱える“特異性”とは、自身の子供(跡継ぎ)がいない事ではなかろうか。  世襲が当たり前の代々続く日本の政治家一族として、これぞ“破滅的”事情と推察するのだが…  おそらく日本の政界歴史上、次世代を継ぐ子供がいない総理など安倍晋三氏のみではなかろうか!?
 何故、安倍晋三氏が後世をこの世に産まなかったのかに関しては私には計り知れない事実だが、大変失礼ながら、その事実こそが結果として “森を見て木を見ない” ご自身の人格を創り上げてしまったものと私は考察するのだ。

 人間にとってそれ程までに我が子とは“愛しい”存在であるが故の、一底辺庶民である我が考察に過ぎないが…

50過ぎた女が自分の外見容姿にこだわる理由

2015年05月25日 | 自己実現
 (写真は、2015年5月横浜マリンタワー入口付近にて撮影した原左都子。)


 表題に「50過ぎた女」なる文言を用いたが、原左都子の場合、後4か月少しで還暦を迎える老後への“カウントダウン年齢”に達している。

 その立場としての感想だが、50歳に成り立ての未だキラキラ輝いていた頃と、その後10年の年月を経てもはや60代突入間近の老いぼれた現在とでは、外見要因に於いては自己診断でも「雲泥の差」を感じざるをえない事実を否定しようがない。

 1週間に一度のペースでスポーツジムへ通っている私だが、“50の手習い”でジムへ通い始めたのがまさに50代前半期だった。
 その頃より、(我が若き時代と比して体重自体には変化はないが、何故これ程ボディーラインが悲惨になるのか??)なる自身の体型に対する“経年劣化”の程を十分感じ取っていた。 それでも50歳ちょっと過ぎの頃には、周囲の人達が「スタイルがいいわね!」などと褒めて下されば結構いい気分なれるレベルの単純ぶりだった事を、今更ながら過ぎ去りしノスタルジー時代として思い起こす…。


 つい先だってスポーツジムへ行った時の事だ。
 会えばお喋りする比較的親しい(お互いの年齢は個人情報に配慮し公開していないがたぶん同年代の)女性氏が、筋トレに励んでいる私を見つけて「体は細いのに、パワーがあるわね!」と声掛けして下さる。
 実は私自身は60歳を目前にして、(何でこんなに“ずん胴体型”に移行してしまうの!!)と自分自身が怒りに満ちる程の許し難き体形変化に悩まされているのだ。
 確かに「体重」の変動はない。加えて長身にして手足が細長い事に助けられ、全体像を一見すると“細い”印象を受けるのだろう。 ただ「体の基幹部」のみが“ずん胴”に移り行くのが困りものだ。 ジムでもそれに対応する筋肉トレーニングを続けているにもかかわらず、むしろトレーニングを積む程に“ずん胴”度が増すようにすら感じられる。
 とりあえず「体が細い」云々と声掛けして下さった女性には、「何をおっしゃいますやら。現在“部分太り”に困っているんです!」と応えた。  それに対して、「冗談辞めて下さいよ。貴方が細い体型を維持し続けている事をジムの女性皆が羨ましく思っていますよ。」と咄嗟に返して下さった事に一応安堵せねばならない程に、我が“部分太り”の実態は切実だ…


 話題を大幅に変えよう。

 朝日新聞5月23日付“悩みのるつぼ”の相談は、50代女性からだった。 その相談内容を以下に要約して紹介しよう。
 最近、容色の衰えが気になり始めた。元々外見にはこだわらない方だが。 十人並の容姿で特にコンプレックスはなかった。 しかし、たまたま若き男性従業員に接した時、生まれて初めて自分の容姿に引け目を感じた。 その後年齢相応のやつれた自分の顔を見るとどうしたものかと悩み始めた。 機会があってメーキャッブ指導も受けたが、その顔が好きになれない。 普段はノーメイクで緊張感の無い生活をしている事も影響しているかもしれない。 娘は私と対極の「盛りメーク女子」だ。 50年生きて自分自身を受容出来ていたはずが、容姿のことで悩むとは思いもよらなかった。 外見を気にしないと言いつつ、自分がおばさんである事を認められないだけかもしれない。 あこがれる年長女性はいるが、その人を目指す気にもなれない。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談より一部を要約引用。)

 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
 ははあ。 この50歳ちょっと過ぎの相談女性は、職場の若き男性に“恋心”を抱いたな。
 いいじゃないの、その恋心を今後も貫けば。  と思ったところで、相手男性は相談女性には興味がないようだ…。
 そこで相談50代女性が考え付いたのが、「メイクでもして自分が少しでも綺麗になれば相手男性も多少は自分に興味を持つかも…」   ところが更に悲惨な事には、自分のメイク顔が自分すら認められない状態…。

 今回の“悩みのるつぼ” 回答者であられる 経済学者 金子勝氏の結論部分のみを以下に紹介しよう。
 相談者であるあなたが容姿の衰えが気になりだした直接の契機よりも、その背景を考えてみよう。 「勤めを数年前に辞めたこともあり、緊張感の無い生活も影響しているかもしれない。」とあなたは気付いている。 外で働き他者との関係を意識していくことで人間として輝く面もある。 その喪失が容姿の衰えを意識させていると思える。  心掛けて社会的に活動する時間を増やし切り替えをして母親としても充実した時間を過ごせば年齢相応に美しく輝くことが出来よう。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”に回答者 金子勝氏が応えた内容の一部を要約したもの)


 最後に、4か月後に還暦を迎えようとしている原左都子の私論で締めくくろう。

 経済学者の金子勝氏とはご自身の人生経験に於いて、一度たりとて奥方に“浮気”されたり、“浮気”されそうになったとの修羅場をくぐって来られていないのだろうか??  あるいは金子氏の奥方が相当に“出来ている”人物でおられ、たとえそのような背景的要因があろうとて、何もなかった振りをしてご立派に金子氏の奥方使命をまっとうされておられるのであろうか!?

 と思うほどに、この相談の回答を金子氏に依頼した朝日新聞は「失敗だった」と結論付けざるを得ない。
 むしろ、恋愛関係に詳しい岡田斗司夫氏か、あるいは、ご結婚経験はないもののパートナーには不自由しておられない上野千鶴子氏に、当該相談の回答権を委ねるべきだったのではなかろうか??

 と言うのもこの相談女性とは、ご自身のご結婚以外には「恋愛」を体験していらっしゃらないのではないかと推測するのだ。 そんな“無垢な人生”を50代に至るまで続けた挙句に、やっと職場で若き一男性に対して“はかなき恋心”を抱いたしまった。
 そうしたところ、自分の年老いた外見容姿が気になってしょうがなくなり始めた…

 ここで原左都子の実体験の詳細を語る事は控えるべきだが、分かるよ分かる、その思いは…
 そうだとして、それでいいじゃないか! そんな思いを50代過ぎて実感できる事こそを自身の実体験として肯定し、(あくまでも水面下で)今後の“若さ”維持のエネルギーに転換していけば済む話だ。
 
 実際問題、(決して表沙汰にはしないが)我が人生など外部からもらうその種のエネルギー源の大いなる支えがあってこそ、我が体型維持努力に繋がっていることに絶対間違いない! 

 単なる社会進出や母親業から得られる自己満足のみでは、決して還暦近くまで自分が望む体型の維持努力など成し遂げられないものだ。 そう思いませんか?私と同年代にして理想体型(を含む外見)を維持されようと努力している女性の皆さん!