原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ジョギング女性にムラムラ…、怖いねえーー!!

2020年11月30日 | 自己実現
 本日昼間、私は週2回のノルマであり楽しみでもある「5㎞ランニング練習」をこなしてきた。


 これをせずして、原左都子の主たる原動力である “達成感”が成り立たない!
 それ故に必ずや何があっても週2ペースでランニング練習の時間を確保して、それを実践し続けている。


  ここで、私が週2ペースでランニング練習をしている場所の写真を紹介するならば。

          


          

 ここは私が住む市町村の陸上競技場周辺の、つい最近の風景だが。
 確かに都心にしては特に平日は人影が少ないかもしれない…



 話題を大幅に変えよう。

 本日朝見たネット情報を引用しよう。

 東京・葛飾区の公園で、ジョギングをしていた40代女性に性的暴行を加えようとした上、ケガをさせたとして、無職の21歳の男が逮捕されました。
警視庁によりますと、無職の金子一義容疑者は今月、葛飾区の公園で、朝にジョギングをしていた40代の女性を押し倒してカッターナイフを突きつけ、性的暴行を加えようとした上、ケガをさせた疑いがもたれています。女性は抵抗した際、顔などに全治2週間ほどのケガをしました。
金子容疑者は散歩中の人に犯行を目撃されて逃走していましたが、女性の証言などから公園近くに住む金子容疑者が特定されたということです。調べに対し、金子容疑者は容疑を認め、「前を走っていた女性の後ろ姿をみてムラムラした」などと供述しているということです。



 私見に入るが。

 そういう事態が発生するであろうことを、私も日々想像しつつランニング練習に励んでいる。

 まあ私の場合は、既に高齢域に達しているが故に。
 自らのその危険性は低いと思っているのだが…

 今時市民ランナーにして男女限らず、やたら自身の身体を誇るべくランニングスタイルで練習に励む人種を私もよく見かけるのだ。
 以前も我がエッセイ集にて公開した記憶があるが。 例えば、男性が下半身身体にフィットするべくスタイルでランニング練習をしている姿を見かけることもある。
 女性側も、同様かも知れない。


 いえいえ今回の事件は、ランニング練習中の女性を狙ってわいせつ行為をしいたとの事実こそが、罪に問われるべきであろう。
 我が日々のランニング練習の感覚を語るならば、本気で練習しているランナーほど、実際問題心肺機能が必死状態であろう。
 そこを悪漢に不意打ちされる事実とは、まさに命を失う事態に等しいのではあるまいか?!?


 何はともあれ、必死でランニング練習中の女性を性的対象として狙うなど、とことん勘弁して欲しいものだ!!
 (素人ランナー側も、ランスタイルがあまりにも過激になることを避けるべきかもしれない!??)

朝日新聞読者が選ぶ「阿久悠トップ10」

2020年11月29日 | 音楽
 (冒頭写真は、昨日2020.11.28付朝日新聞別刷「be」 “今こそ!聴きたい!” コーナーの今回のテーマ「阿久悠」に於いて選抜されていたトップ10。)


          
           朝日新聞当記事より転載したもの。


          
    こちらは、「また逢う日まで」を歌っていた頃の尾崎紀世彦氏。


 冒頭写真の「阿久悠トップ10」を一見すると、1970年代頃のヒット曲に阿久悠人気が集中している印象がある。

 今に至って尚スタンダードナンバーばかりで、(コロナ禍以前は)一人カラオケに行くとこの私も好んで選曲し歌っていた楽曲ばかりだ。


 中でも原左都子なりに特別な思い出があるのは、4位の「時の過ぎゆくままに」なのだが。
 ジュリー(沢田研二氏)が歌ったこの楽曲は、1974年秋のヒット曲と記憶しているが。  ちょうど私が米国UCバークレー大学夏期エクステンション留学を1ヶ月間こなして帰国した時に国内で流行していた。
 留学に出かけたのは未だ初夏の季節だったのが、帰国してみると時は秋へと移ろいでいた。 (当時は今と異なり、8月終盤になると季節が急激に秋へと姿を変えるのが普通だった。) 
 ジュリーが歌うこの曲を耳にし、我が短期留学は既に“思い出”域へと消え去る運命にあることを、その郷愁感と共に嫌でも実感させられたものだ。😪 



 ところで、私は「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて幾度か阿久悠氏を取り上げている。

 その中から、2008.10.20付バックナンバー 「転がる石」 を以下に引用させて頂こう。
 このエッセイ、年月の経過にかかわらず皆様にスタンダードにお読み頂いているエッセイだが。 我が(ナルシスト)自己評価でも「名作」に位置付けたい作品でもある。😱 😜  

 コメントの一部も含めて、紹介しよう。


    十五は 胸を患って
    咳きこむたびに 血を吐いた
    十六 父の夢こわし
    軟派の道を こころざす
    
    十七 本を読むばかり 
    愛することも 臆病で
    十八 家出の夢をみて
    こっそり手紙 書きつづけ

    転がる石は どこへ行く
    転がる石は 坂まかせ
    どうせ転げて 行くのなら
    親の知らない 遠い場所

    怒りを持てば 夢破れ
    昂りさえも 鎮めつつ
    はしゃいで生きる 青春は
    俺にはないと 思ってた
    
    迷わぬけれど このままじゃ
    苔にまみれた 石になる
    石なら石で 思い切り  
    転げてみると 考えた
     (以下略)

 上記の詩は、07年8月に70歳で亡くなった作家阿久悠氏の「自伝ソング」であるらしい。02年に歌手の石川さゆり氏が歌い、発表している。

 さて今回の私のブログ記事では、突如として話はインドから淡路島へと飛ぶ。

 阿久悠氏は兵庫県の淡路島の出身である。にもかかわらず、本人曰く“淡路島を意識した歌はひとつもない” らしく、小説「瀬戸内少年野球団」でさえ“舞台が淡路島である必然性はなかった” とのことである。
 “故郷からは意識して逃げ回ってきた。風土という言葉のうち、土の部分が嫌いでね。東京がいい。土のない人がたくさん歩いている。” と1992年のインタビューで阿久悠氏は応えている。
 このように故郷の歌を残さなかった阿久悠氏だが、淡路島を舞台にした自伝的な小説をいくつも残しているという。
 01年、癌闘病中に長編小説「転がる石」を出版し、手術が成功した後に初めて書いた歌の一つが上記の詩「転がる石」だそうだ。
 郷里の淡路島の書店の壁には、次のように応えた阿久悠氏のインタビュー記事が貼られているという。“淡路島の風景、情景とかいったものが、僕の精神形成の基本になったことは間違いないでしょうね。” そして、阿久悠氏が76年から構えた静岡県伊東市の高台の別荘から見下ろす相模灘は、淡路島の穏やかな海にそっくりだそうだ。
 (以上、朝日新聞10月18日(土)別刷記事「うたの旅人」“故郷の歌を残さなかった”より抜粋、要約。)

 私(原左都子)は淡路島に程近い地方の出身で、子ども時代には淡路島を対岸から眺めて暮らしている。
 そんな地方から東京に出てきて“転がる石” となっている私に、この阿久悠氏による「転がる石」は重なる心象風景として訴えてくるものがある。
 胸も患わず、父の夢も特に壊さず、決して愛に臆病でもなく、家出した訳でもなく、はしゃいで生きる青春を十分に全うした私ではあるが。
 そんな私も“故郷の歌は残さない”人種であるような気がする。 風土のうち「土」の部分が嫌いだという阿久悠氏の感覚も理解できる気がする私は、同様に東京がいい。
 土のない人がたくさん歩いている東京で、“石なら石で思い切り転げて生きよう” としている私にも。 実は潜在的に故郷の原風景があって私の精神形成の基本になっているのであろうか、とふと考えたりもする。

 来週インドへ旅立って、日々石として転げながら暮らす東京からも故郷からも一時心がトリップすると、何が私の原風景なのか、ほんの少しだけ見えそうな気もする。


  Comments

 響きます、私の心に。 (ガイア) 2008-10-20 21:43:49

 見事なエッセイですね。心に響きます。
 一寸、石川啄木を思い出しました。
 コメントはこれだけです。


 ガイアさん、この詩の響きと“淡路島”に惹きつけられました。 (原左都子) 2008-10-21 10:31:30

 ガイアさん、ありがとうございます。
 インド旅行の諸準備中で多忙な中、ふと目を通したこの新聞記事の阿久悠氏の詩と“淡路島”に惹きつけられました。
 私が住んでいた家から自転車で行ける距離に海があって、海に行くといつも変わらぬ姿で淡路島が直ぐ近くに浮かんでいました。あの島を見て私は育っています。
 淡路島はもしかしたら私にとって、一つの原風景であるのかもしれません。
 そして、淡路島であれ東京であれインドであれ、人が住み生を営む場は、人々の心に様々な姿、形の原風景を与えてくれるのでしょう。

 (以上、本エッセイ集2008.10バックナンバーより本文及びコメントの一部を引用したもの。)
 

“コロナ第三波” が猛威を振るう今…

2020年11月28日 | 時事論評
 (冒頭写真は、朝日新聞本日2020.11.28付朝刊記事より転載。)



 昨夜公開したエッセイの続編となるが。

 そのエッセイの我が結論部分のみを、以下に再掲載しよう。

 本日昼間、私はテレビニュース報道にて。
 この“コロナウィルス第三波”の直撃を受け。
 医療現場が今まで以上に大混乱状態である映像と、それに関して語る現場の医療関係者の苦しく辛い実情を思い知った。
 まさに、“死ぬべき運命にある人を死なすべく選択肢しか無い!” との現場の切迫感を垣間見る思いだった。
 諸外国の医療現場に於いては、既にその選択肢を採用して来ている医療現場も多数存在することであろう。
 菅首相の対応にもの申したいが。
 菅首相の対応が、未だこの“コロナ禍第三波”に対して適切な政治指導を施せないでいる現実とは。
 要するに、そういう事実(“死ぬべき運命にある人を死なすべく選択肢しか無い!”)との方策を目指しているとのことですよね!??

 (以上、本エッセイ集昨夜公開したエッセイの最終部分を引用したもの。)



 早速、朝日新聞本日の「社説」の一部を以下に要約引用しよう。

 いったん決めた方針にこだわり、事態を悪化させてから慌てて次の手を打つ。 さまに「失敗の本質」を見るようだ。
 政府は昨日新型コロナ対策本部で「Go To 事業」見直しを決めた。 先週末に、感染拡大地域を目的値とする旅行を事業の対象から除外することを表明したが、「出発地」とする旅行についても、利用を控える措置をとることにした。 大阪市と札幌市に直ちに呼びかけるという。
 感染症などの専門家でつくろ政府分科会の提言に応じず、一昨日同事業に関する貴社の質問から逃げるように立ち去っていた。
 所信表明演説で「爆発的な感染は絶対に防ぐ」と表明しながら、首相は経済活動の維持に軸足を置いてきた。 だが、感染拡大の兆しを見つけたらまずは封じ込みを優先し、状況が落ち着いてから少しずつ活動を再開することが、結果として経済にも好影響を与える。 春夏の感染拡大で学んだ反省や教訓が活かされているとは言えない。
 いま、政府・自治体が最善を尽くさねばならないのは「医療崩壊」を食い止めることだ。
 第三波とされる現在の流行では重症者の治療にも支障が出る寸前にきている。 政府、自治体、医療界が協力し、対応可能は病院から従業者を応援派遣するなどの調整を急ぐべきだ。
 入院先にどの程度の余裕があるか、その実態が把握されていない恐れも指摘されている。
 患者を受け入れるには、あらかじめスタッフの配置や勤務を見直す必要があり、準備に時間がかかる。 見かけ上の占有率を元に議論していると、現実との間に齟齬が生まれてしまう。 正確な状況がわかって初めて、適切な対策が打てる。   足元のデータの確認と共有を進めなければならない。
 医療機関への支援と従事者の待遇の充実は、待ったなしの課題だ。

 (以上、朝日新聞本日の「社説」より要約引用したもの。)



 私見に入ろう。

 まったくもって、上記朝日新聞「社説」がおっしゃるとおりだ。

 冒頭写真のごとく昨日の都内の感染者数は過去最高の570人。 そして国内死者数も31人と過去最多に並んでしまっている。😨 

 原左都子の予想だが。
 この状況は寒さが厳しくなるこれからの真冬の時期に、更に最悪事態に到達すると予測する。 都内の1日の感染者数は必ずや1000人に到達する、との専門筋からの発表もあるようだ。
 政府が少しでも急いで「医療崩壊」阻止に本気で動かない限り、“コロナ第三波”データの最悪化が留まるところを知らない状況となろう。

 菅首相の“コロナ禍”対応に関してだが。

 失礼ながらあの方、(医学を含めた)科学をまるで心得ておられないようにお見受けする。 (未だ解決をみていない「日本学術会議」騒動の際に、それを強く感じさせられた。)😩 
 自身に心得が無いのならば、専門筋とのルートを自ら開拓しそれに依存しても良さそうだが。 どういう訳かその行動を一切取らないのも、まるで前安倍首相同様だ。 
 何故それをしないのかを想像するならば。 失礼な発言であることは承知だが、それら科学者と対等にかかわれる自信が無いから故ではなかろうか? それならば側近や部下を有効活用して、とにかく情報収集をするとの方策もあろうが。 その努力も怠り、いつまでも“木偶の坊”首相としてのさばる気なのか? との印象が、私にはあるのだが。  (あまり発言が過ぎるとまた過去のようにネット上で“言論統制”に引っかかり、我がブログが検索画面から削除される事態に陥りそうなためこの辺でやめておくが…)😱 


 実際問題、コロナ禍解決のために政府が一番尽力せねばならないのは、「医療現場」であることに間違いない!
 何をさておいても、患者救済のために命をかけるのは医療現場従事者の皆さんである。
 その事実を菅首相及び政権閣僚達にも、今こそ思い起こした行動をとって欲しいものだ!
 

加藤官房長官よ、あなたこそが官房長官の立場で菅首相に今後の“コロナ対策”を提案せよ!

2020年11月27日 | 時事論評
 まったくもって、国内の“コロナ禍・第三波”の勢いがとどめを知らない現段階において。



 以下に、先程見つけたネット情報を引用しよう。


 国と小池知事のGoTo対立論 加藤氏「建設的でない」

 

 新型コロナウイルスの感染拡大が続くなかでの観光支援策「Go To トラベル」の一時停止の判断をめぐり、国と小池百合子都知事との対立が指摘されていることについて、加藤勝信官房長官は27日午前の記者会見で「議論自体が建設的ではない」と述べた。
 トラベルの一時停止をめぐり、政府は「感染状況などを把握している都道府県知事の意向を尊重するのが基本」との立場。 一方、小池氏は東京都が除外されるかどうかの判断について「国に判断する責任がある」と主張してきた。
 加藤氏は小池氏の主張の正当性を会見で問われ、「この問題でどちらがどうという議論をすること自体あまり建設的ではなく、都道府県や市町村と政府が一体となって取り組んでいくことが大事だ」と指摘。「トラベル事業は国が実施する事業だし、運用に関する判断は国が最終的に行う。ただ、感染状況や医療提供体制の状況を最も把握しているのは都道府県知事だ」と強調した。

 (以上、先程見たネット情報より引用したもの。)



 本日昼間、私はテレビニュース報道にて。

 この“コロナウィルス第三波”の直撃を受け。
 医療現場が今まで以上に大混乱状態である映像と、それに関して語る現場の医療関係者の苦しく辛い実情を思い知った。

 まさに、“死ぬべき運命にある人を死なすべく選択肢しか無い!” との現場の切迫感を垣間見る思いだった。


 諸外国の医療現場に於いては、既にその選択肢を採用して来ている医療現場も多数存在することであろう。



 菅首相の対応にもの申したいが。


 菅首相の対応が、未だこの“コロナ禍第三波”に対して適切な政治指導を施せないでいる現実とは。


 要するに、そういう事実(“死ぬべき運命にある人を死なすべく選択肢しか無い!”)との方策を目指しているとのことですよね!??


大人になった“のび太くん”、十分カッコいいよ!

2020年11月26日 | 自己実現
 (冒頭写真は、昨日自宅近くの映画館にて鑑賞した「STAND BY ME ドラえもん2」 終演後館内で購入した ノートとポーチ。)



 のび太くんが大人になった時代へタイムマシンで旅するバージョンのドラえもん映画を観たのは、私にとっては今回が2度目だ。

 1度目に比し私が今回の映画を観て一番に感じたのは、のび太くんが“一見”カッコよくなっていることだ!

 今回の映画は、のび太としずかちゃんの結婚直前から結婚式までが描かれていたのだが。
 のび太くんは、一見して長身スリム体型かつ眼鏡がよく似合うイケメン風の印象だ。
 何せ、若き頃から “長身痩身系”の男に眼がない私… 😍 😜 
 相変わらずデブった大男のジャイアンや、いつまでもチンケな風貌のスネオに比して、その姿は映画映像内で際立っていた。

 もう1人忘れてならないのは、できすぎくんだが。
 できすぎくんは子ども時代はお利口かつ容姿も整った風貌だったが。
 今回の大人のできすぎくんに対する我が印象は、イケメンではあるが没個性の冴えない男の印象があった。 どうやら大学を卒業して大手企業のエリートサラリーマンになっているようだが。 我が好みから言うとイマイチだなあ。 内面から醸し出すインパクトに欠けるというのか…

 ただしのび太くんに関しては、結婚相手としてはやはり“不安材料”は大きい。 映画ではしずかちゃんが「危なっかしくて放っておけない相手」としてのび太くんを結婚相手に選抜したようだが。 
 一応、映画内では最後のシーンでのび太くんが素晴らしいスピーチをしてハッピーエンドに至ったものの。

 このご夫婦、今後のしずかちゃんの力量にすべてがかかっているとも言えよう。
 (いやこの手の相手、原左都子ならば“操る”のが得意かも知れないぞ! 我が亭主など、のび太くんと共通項があるぞ!??  のび太くんよりずっと学際色が強いし、まさにエリート研究者だったが。 反面実生活上何らの役に立たないところなど、のび太くんそっくり!?!)
 しずかちゃん、大丈夫。 しっかり者の貴女ものび太くんと上手くやっていけると私は予想するよ!



 ここで、映画の話に移ろう。


         
     (ネットより転載した、今回の映画の場面の一部。)

 更に、当該映画情報をネットより引用しよう。

 ある日のび太は、古いくまのぬいぐるみを見つける。それは、優しかったおばあちゃんとの思い出の品 だった。「おばあちゃんに会いたい!」ドラえもんの反対を押し切り、タイムマシンで過去へ向かうのび太。 おばあちゃんは突然やってきた少年を、のび太と信じ、受け入れてくれる。そして、「あんたのお嫁さん をひと目見たくなっちゃった」おばあちゃんのこの一言から、ドラえもんとのび太の大冒険が始まる。
 おばあちゃんに未来の結婚式を見せようとするのび太たちだったが、しずかとの結婚式当日、新郎の のび太が逃げた!?のび太を探すジャイアンとスネ夫。信じて待ち続けるしずか。おばあちゃんの願いを 叶えるために、家族、友だち、そして、大好きなしずかちゃんの想いに応えるために、時をかけるのび太 とドラえもん。過去、現在、未来をつなぐ、涙と絆の物語をお贈りします。 
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 この“おばあちゃん”だが。

 我が印象を正直に語ると。
 要らぬ設定だったのではなかろうか? 
 確かに映画のストーリー展開上、この種の場面を取り入れねば場が持たないとも推測するが。

 この“おばあちゃん”こそ、“できすぎ”たのではあるまいか??
 しかも名優 宮本信子氏の音声が、その“できすぎ度”を更に強調してしまっていたと天邪鬼の私は捉える。


 まあでも映画の最後のシーンでは、この“泣き上戸”の原左都子にして案の定泣きましたよ。 (いつ何時も、周囲状況を冷静に判断しつつも涙腺が緩む場面が多々ありますが。)


 昨日の映画館内観賞客は、大劇場にしてたったの“10名程”。😷 
 さすが“コロナ禍・第三波”を市民がわきまえている事実を実感しつつ、映画館を去った。