原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

昨年10月に 史上最大 4102万桁の「素数」が発見された!!

2025年01月06日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、2024.12.23付朝日新聞記事 「読み上げるのに1年? 最大の素数」より転載したもの。)


 原左都子が中学生時代から「数学」好きである事実に関しては、バックナンバーにて幾度か述べている。
 そのバックナンバー内に既に記載した内容だが、再度それを以下にまとめておこう。

 原左都子の「数学」好きの本質は、中2の数学の授業に遡る。
 ある時、授業中に数学担当の若き男性教諭が雑談にて言い始めるには、「皆が今ノートに点や線を鉛筆で書いているが、「点」や「線」とは“概念”であり、通常ノートに鉛筆で形作って書ける存在のものでは無い。 数学学習のために便宜上、こうやって書いているだけだ。」

 これに対し、生徒から反応が出るのはいつものことだが。
 ある男子生徒曰く、「先生、何言ってるの。点も線もちゃんと鉛筆でノートに書けるよ~~」
 
 ところが、私の反応は違った。 (元々冷静な生徒であったため、口には出さなかったが。) 
 内心、(へえ、そうなんだ! 点や線は本当はノートには欠けない“概念”の世界の産物なんだ!!)  この時の我が脳内反応の強烈さは、凄いものがあった! 何だか頭をぶん殴られた程の衝撃・感激と共に、私なりに「概念」なる世界を初めて体験する思いだった。

 そんなこんなで、元々小学生時代から得意な「数学」が、その後数倍面白くなり。 
 その後は高校卒業まで「数学」愛好生徒で過ごせたことこそが、後に私が「理系(医学部)」進学を選択する主柱となったものだ!



 話題を、朝日新聞記事「読み上げるのに1年? 最大の素数」に戻し、その記事の一部を以下に引用しよう。

 素数とは何? 1とその数自身でしか割り切れない自然数のこと。 2,3,5,7,11 と無限に存在するが、どの数が素数になるか規則性は解明されていないし、素数を求める計算式も見つかっていない。
 今回見つけた素数は 41024320桁あり、1ページに2500桁詰め込んでも、全部印刷するのに1万6千枚を超える。 1桁を1秒で読み上げると、全部読み上げるのに1年以上かかってしまう巨大な数だ。 (中略)
 発見者は、米半導体大手エヌビディアの元従業員で、30代のプログラマー。 世界中にあるGPU(画像処理装置)のパソコン千台をネットワークでつなげ、同時並行で大量に高速計算し。 今年10月12日にそれが素数であることを発見した。 (中略)
 これが、何か役に立つの?
 巨大な素数自体はすぐに何かの役には立たない。 ただ、発見はロマンであり、素数を見つけるプロセスはコンピュータの発展に繋がる。 技術革新を促すため10億桁を超える素数の発見に25万ドルの賞金もかけられている。
 ちなみに 今回の発見者であるデュラントさんは、発見に1年の時間と200万ドルの自己資金を費やしたらしい。
 素数が無限に存在する事は2千年以上前の古代ギリシャ時代に証明されているが、双子素数が無限に存在するかは「双子素数予想」と呼ばれ、世界中の数学者が挑む超難問。 メルセンヌ素数が無限に存在するかもわかっていない。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 最後に、原左都子の感想だが。

 いやはや 30代の若き女性プログラマーが、今回の「(今まででは)最大の素数の発見者」である事実が素晴らしい!

 その女性プログラマー氏の発言かどうかは不明だが。
 漫画化された記事の中に、「素数の発見そのこと自体は、すぐには役に立たない。 だが、それを見つける過程がコンピュータの発展につながったりする。」 と書かれている。


 とにかく、4102万桁を超過するとの「史上最大の素数」がこの度発見されたこととは。
 この世の「数」の歴史における、新たな素晴らしき事実であることには間違いない!!😃 
 

「成人力」日本トップ水準というが、「成人力」って一体何???

2024年12月14日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、2024.12.11付朝日新聞記事「『成人力』日本トップ水準だけど 親学歴に比例 読解力の差が拡大」より転載したもの。)


 早速上記朝日新聞記事「『成人力』日本トップ水準だけど……」を、以下に要約引用しよう。

 経済協力開発機構(OECD)が10日、成人社会生活スキルをはかる「国際成人力調査」(PIAAC)の結果を公表した。 日本は前3分野で1~2位。 散文や中2分野で1位だった前回に引き続き、世界トップ水準を維持した。
 PIAACは2011~12年に行われ、今回が2回目。 31か国・地域の約16万人が参加し、日本は無作為抽出された5165人が、タブレット端末で解答した。 3分野は、①読解力 ②数的思考力 ③状況の変化に応じた問題解決能力。(中略)
 OECDが示した問題のイメージは、「パンとクラッカーが古くなった時の変化に関する記事を読み、解答欄の文章の正誤を解答」 ②は「零下15~同20度の冷凍室について、示された温度が許容範囲かどうかを解答」、③は「午前8時半までに子供を学校に送り、買い物を済ませて9時半までに帰宅する最速ルートを地図上で解答」など。 (中略)
 フィンランドは前回、3分野いずれも2位。 日本との順位が逆転した理由について、文科省の担当者は、「フィンランドで高得点を取った人の割合が増えた」と説明。 同国では修士や博士課程に進む人が多い点を背景の一つに挙げた。
 OECDの分析はでは、日本も約10人に1人が基礎読解力が足りていないと指摘。 また日本を含む多くの国で、10年前より、親の学歴に比例して読解力の差が広がっているとした。
 OECDの教育・スキル局長は、日本について「高学歴の労働者でも『職場で必要とされる具体的なスキルが足りない』と考える人が多い」と指摘。 リスキリング(学び直し)の必要性を主張した。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 早速、冒頭表題に関する原左都子の結論を述べよう。

 このOECDの今回の調査が世界各国の人の「成人力」水準を調査したものとは到底思えない。
  そもそも「成人力」とは何なのか、の定義を明確にしてからこの調査を実施して欲しいものだが。 
 OECDとしては、おそらく「読解力」「数的思考力」「「状況の変化に応じた問題解決能力」の総合力が「成人力」であると言いたいのだろうが。
 原左都子の解釈では、それらの総合力を「成人力」と表現するには多大な無理があると結論づけたい。

 新聞記事を読み進めると、OECDが言わんとする「成人力」とは「読解力」であり「数的思考力」であり、はたまた「状況の変化に応じた問題解決能力」それらの総合体。 である、と言いたい思いは分からなくはない。

 そうだとして。 その調査結果を点数化して、やれフィンランドが1位だ、日本が2位だ、スウェーデンが3位だ、等々のランク付けをして公開することの意義が掴みにくい。  
 図の総合得点(冒頭写真をご覧下さい)が物語っている通り、少なくとも上位5か国の点数を見比べても、大した得点差が無いのが実態だ。 
 (下位国との差には有意差があるであろうと想像するが。)

 しかもだ。
 今回の調査結果に関して。
 我が国の文科省担当者が「フィンランドで高得点を取った人の割合が増えた」との事実について、「同国では修士や博士課程に進む人が多い点を背景の一つに挙げた」とあるが。
 修士課程修了者である原左都子に言わせてもらうに、「修士・博士課程とは自身の専門学問に関する研究を極める場であることは事実だが。 それがイコール、直に自身の「読解力」や「数的思考力」や「状況に応じた問題解決能力」を高めるのかとの言い方はどうだろうか???
 確かに、そのような能力が元々高かったが故に緻密な研究を進めることが叶って、修士や博士をゲットできたのかもしれないが。 
 しかもこんな場で、「親学歴」どうのこうのの議論が出て来ることにも首をかしげるしかない。


 国際的な調査である割には、OECDの結論づけ方に大いなる歪みがあるように感じるのは原左都子だけであろうか??

 世界人類のリスキリング(学び直し)に関しては、もちろん賛同するが。

 「親学歴」がどうのこうの等々の議論まで登場する今回のOECD調査には、首をかしげるばかりだ…
 

再掲載 「左都子の『経済史』小講座」

2024年09月19日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、1985年頃に 我が2度目に入学した大学にて受講した「経済史」の定期試験対策として、私が模範解答??としてまとめたもの一つ。)



 昨日(2020.05.03)に引き続き、本日は2度目に入学した大学の2年時に受講した「経済史」の定期試験対策としてまとめた解答を紹介しよう。
 (繰り返しますが、2度目の大学にての我が専門は「経営法学」であり、決して「経済学」ではありませんでした。  さらに参考ですが、我が1度目の大学にての専攻は「医学」でした。  内容は順不同です。)


        

        

        


        


        

        

        


        


        


        


        

        


        

        



 いやはや 過去に公開したエッセイ内の「写真」を再公開する作業とは、実に難儀であることを実感させられます。😱 
 特にこのように同じ様な文面形式の写真のひとつひとつの分別作業は、神業に近い程の困難さでした。😫 

 よって、おそらく同一写真がダブっていないとは思いますが。
 掲載していない写真がもっとあったかもしれません。



 この「経済史」の授業は2度目の大学2年次に受講したが、おそらく必修ではなく選択科目だったと記憶している。

 ご覧のごとく大変厳しい授業だった。
 指導教授氏が実に真面目で熱心な方で、頭が下がる程にきちんと専門を教授して下さった。
 残念なことに学期途中で60代前半の若さで急死され、その後どうなったのかの記憶がない。  今講義ノートを見直すと、63年1月29日までノートがとられているため、おそらくほぼ年度の授業を終える頃に急死されたのだろう。

 参考だが、私が2度目に通った大学・大学院は首都圏に位置するさほど規模の大きくない歴史ある公立大学だ。 もしかしたら世間では“2流”のイメージがあるのかもしれないが??  何の何の素晴らしい教授陣を揃えた、「一流」の授業提供が特徴だったのではあるまいか?!!
 2度目に入学する大学・大学院としてこの大学を選んだのが大正解だったと、今でも感謝している。😀



 2024.09 現在の後記だが。

 上記写真の原本である「2度目の大学講義ノート集」は、今現在尚 我が書斎にずらりと陳列してある。

 膨大な数の「学術資料集」とも言える“しろもの”であり。
 少し前までは、我が家を訪ねて来られる“学問好き”連中が、必ずや「この莫大な資料は何??」と興味深そうに尋ねて下さっていた。😜 

 私が、「私の2度目の大学の授業ノートをまとめたものですよ。」と自慢げに応えると。 
 「ちょっと見ていい??」と尋ねて下さるので。
 「ご自由にどうぞ!」と応えるのが我が内心の楽しみでもあった。😁 


 高齢域に達した今となっては、その種の友も激減してしまっているが…😭 

 とにもかくにも、私本人にとっては何にも勝る“完璧自作”の「学術資料集」であり。
 はたまた 我が過去の「学業経験証明書類集」とでも言える、貴重な蔵書である。


我ら哺乳類が恐竜の影を出て、新たな覇者になるまでの3億年のドラマ

2024年09月12日 | 学問・研究
  (冒頭写真は、2024.09.07付朝日新聞「書評」ページより転載したもの。)


 9月も中旬に入って尚、私が住む東京では連続猛暑日が続く日々だ。 この猛暑、後1週間程日本列島に居座るとの報道もある。😫 
 哺乳類として生まれ出た人間である私の生命も、こんな厳しい気象状況の中いつまで持つのだろうか?? と不安感に煽られたりもする昨今の地球環境だ…


 そんな折に 朝日新聞「書評」ページより、表題にて紹介した話題が取り上げられている書物の存在を発見した。


 早速、以下にスティーブ・ブルサッテ著 「哺乳類の興隆史」に対する朝日新聞デジタル企画報道部記者・小宮山亮麿氏による書評「絶滅と進化と 3億年のドラマ」と題する書評の一部を、以下に引用しよう。

 怪獣っぽくてカッコイイ恐竜たちと比べると、地味さが否めない我ら哺乳類。 ただ、その歴史を語る本書はじわりとこころにしみる、少し大人向けの読み物だ。 (中略)
 哺乳類の祖先が爬虫類と分かれたのは3億年以上も前。 とはいえ、当時はうろこに覆われてしっぽも長く、素人目にはトカゲにしか見えない姿だった。 そこから1億年かけて体に毛が生えたり、代謝が上がって体温を保てるようになったりと、哺乳類ならではの特徴を出すものが現れたのは、恐竜の登場と同時期だったらしい。
 そして6600万年前、小惑星の地球衝突で恐竜が滅ぶ。 ご先祖たちも大打撃を受けたのものの、一部がかろうじて生延びた。 体が小さくて何でも食べられる、著者がいうところの「ゴキブリの哺乳類版」だった。
 ライバルがいなくなり、爆発的な進化がそこから始まる。 そして生まれた巨大なゾウ。 空を自由に飛ぶコウモリ、硬い草でもモリモリ食べるウマ、大海原を回遊するクジラ…… 彼らがどれだけスゴイ能力の持ち主か、本書は語り尽くす。
 が、巨大恐竜時代にも、木登りしたり泳いだり滑空したりと、体は小さくても多様な哺乳類がいた。 末期に多かったのはコアラのようにおなかの袋で子供を育てる有袋類の祖先になったグループ。 でも小惑星衝突で多くが滅んだ。  残ったものも隅に追いやられ、今はオーストラリアなど限られた場所にしかいない。
 マンモスは1万年程前から激減し、やがていなくなった。 ほかの巨大哺乳類も短期間でほぼ全滅。 大きな原因は人間による殺戮だという。
 長編ドラマはなお進行中。 主役か適役か。 私達は今のところ、そのメインキャストでもある。

 (以上、朝日新聞「書評」ページより一部を引用したもの。)



 最後に、原左都子の感想だが。

 いや~~~~~~。 
 当該本著者のスティーブ・ブルサッテさんに、それを論評された朝日新聞社の小宮山さん。

 お陰様で、猛暑続きでダレまくっていた原左都子の目を覚まさせて頂きましたよ!!

 哺乳類の一部である人類の歴史って、爬虫類から別れた3億年以上前から繋がる大歴史だった事実を思い起すと同時に。
 この私もそんな学習を過去にする機会があったはずなのに、それが忘却の彼方となり果て… 

 現在に至っては愚かな生命体と成り下がり、情けなくも今夏の猛暑続きを嘆き、努力を怠る日々でした。😭 😭 

 早速 当該ブルサッテ氏による「哺乳類の興隆史」を購入し、読み込んで。

 まだ後1週間続くとの予報の猛暑日の連続を、打破せんと頑張ります!!


光が波であり粒子でもある事実を最初に指摘したのはアインシュタインだった。

2024年08月31日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、少し前の朝日新聞記事より転載したもの。  あくまでも原左都子の私見だが、この写真を見ると アインシュタイン氏はかなりイケメンだったと判断できそうだ。)😊 

 
 原左都子エッセイ集に於いて、過去に幾度も当該アインシュタイン氏に関して綴り公開している。 (よろしければ、本エッセイ集「学問・研究」カテゴリー等々をご覧下さい。)

 何故かと言うと、30歳過ぎて後に2度目の大学として受験・合格し入学した大学にて、自身の当時の専門ではなかった「科学哲学」の授業に大いにハマり。
 その講師先生(某私立大学の教授であられ、我が大学には講師の立場で来られていた。)の授業に没頭したがために、アインシュタイン氏の業績に触れることが叶ったが故だ。



 そのアインシュタイン氏に関する話題を取り上げた朝日新聞記事に、久しぶりに触れることが叶った。

 冒頭写真が、当該朝日新聞記事内のアインシュタイン氏の映像だが。 (私が今までに見たアインシュタイン氏の映像の中で一番イケメンだと評価する。)


 表題に記した「光が波であり粒子でもある事実」に関しては。
 我がエッセイ集バックナンバーにて、再三公開して来ているのだが。
 久々に朝日新聞記事にて目にしたので、ここで少しだけ再掲載させていただこう。

 量子もつれの存在に疑問を呈したのアインシュタインだったが、何も量子論全体を否定した訳ではない。 光が波でもあり粒子でもあること(光量子仮説)を最初に指摘したのはアインシュタインだし、彼は量子論の創始者の一人だといえる存在だ。
 アインシュタインが問題視したのは、光子の偏光の向きが縦と横のどちらに観測されるかは偶然に支配されており、確率的にしか予測できないという考え方だ。 このような考え方は、デンマークの「コペンハーゲン解釈」とよばれる。
 一方のアインシュタインは、光子の偏光の向きは、「観測する前から決定していた(実在していた)はずだと考えていた。 このような性質を「実在性」という。 実在性がやぶれるコペンハーゲン解釈は間違っていると考えていた。
 アインシュタインは、物理学者マックス・ボルンへの手紙の中で、「神はサイコロをふらない」という表現を使ってコペンハーゲン解釈に疑問を呈している。 また物理学者アブラハム・パイスに対しては、「月は君が見ているときにしか存在しないとほんとうに信じているか」と問いかけて、実在性がやぶれることへの疑問を口にしている。
 アインシュタインは、そのような量子論の考え方の矛盾点を突く論文を1935年に発表した。 論文のタイトルは「物理的実在記述は完全だとみなせるか?」というものだ。
 そこで提示された現象こそが、「量子もつれ」だった。 (中略)
 この論文は、アインシュタインと二人の物理学者との連名で発表された。 この論文で発表された現象(量子もつれ)は、彼らの名前の頭文字を取って「EPRパラドックス」とよばれた。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 いやはや、夏の終わりにアインシュタインがらみのエッセイを綴れる幸せを満喫させてもらい、大いなる自己満足感に浸っている原左都子だ。

 「量子もつれ」に関しては、我が記憶によれば過去に複数回「学問・研究」カテゴリーにて綴り公開している。


 今現在となっては、世間では「アインシュタインの業績」を疑問視する声もある、との報道に触れる機会もあるのだが… (この件に関しては、原左都子は現在勉強不足故に論評不能の立場だが…)

 上記の如く最新の朝日新聞記事にて、アインシュタインの業績が取り上げられた事実を鑑みるに。
 世の科学者の(アインシュタイン等々過去の科学者に対する)評価が割れているとの一現象であり。

 それら意見の相違や論争が存在する事実こそが。
 今後の科学の発展を目指そうとする科学者たちの本気の姿勢であろうと、私は高評価したい!!