原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

親不孝者の行く末は…

2009年07月31日 | 人間関係
 私は親不孝者なのだろうか?

 と言うよりも、これは子としてはラッキーな状態と表現してよいのか、この年齢になって未だ親の介護等の世話とは縁のない暮らしをしている。
 周囲を見渡すと、痴呆症になったり体が動かなくなった状態の親であるお年寄りの介護や世話に直接、間接にかかわっている私と同年代の人々は少なくない。

 なぜ私が親の介護等の世話に未だに無縁なのかと言うと、まず、私の父親は60歳代の若さで突然死したが故に、周囲の手を煩わせることは一切ないままこの世を去ったのである。
 既に亡くなっている義父に関しては、一定期間それ相応の介護を要する身ではあったのだが、有難くも義母が“親の介護に子どもの手を煩わせたくない”という殊勝な考えの持ち主でおおせられ、自らが一手に義父の世話を受けて立ってくれたため、私も亭主も義父の介護にかかわらないままだった。
 そして我が母も義母もそれぞれが現在後期高齢者に達する一人暮らしではあるものの、両人共に気丈な性分が幸いしているのか、そこそこ元気に暮らしてくれているお陰で、未だに世話の必要はない状況なのである。

 お盆が近づきつつあるが、今夏は我が子のスケジュールの都合で帰省できない私に、郷里の母は「私はまだ大丈夫だから帰って来なくていいよ。それよりも、○○ちゃん(母にとって孫である我が子のことだが)にあんまり無理をさせないように大事にしてあげなさい」と言う。
 その言葉に甘えて今夏は郷里へ帰省しないにもかかわらず、私は母に大喧嘩を売ってしまった話を以下に展開しよう。


 子の立場として、まだ生存中の親の遺産相続に関して皆さんはどのように対応しておられるのであろうか。
 我が母など気丈そうに振舞っている割には、どうやら前々から自分の死後の遺産相続等の後始末をすべて次女である私(母の相続人である子ども二人のうち、長女は米国永住予定のため)に一任するつもりの様子なので、母の頭がボケない内にと配慮した私が思い切って以下の様にアドバイスしたのだ。「自分の遺産相続に関しては、お母さんの頭が明瞭なうちに自分自身の意思でその配分等を考えておいた方がいいよ。私にすべてを任せられても、私の勝手でどうこうする訳にはいかない話なんだからね。」
 これが、母親の逆鱗に触れた模様だ。 後日、母から“抗議”の電話が来たのには参った。 娘としては母の意思を尊重してあげようとして気を配った上での話なのに…
 この話、後に私が察したところでは、我が母も元気そうに見えても結局は加齢と共に思考能力が私の想像以上に弱まっていて、遺産相続等の計算を自らする等の厄介な事象に心を傾ける事自体が億劫なのであろう。 恐らく我が家においては、相続争い等の事態に展開することもなさそうだし、母としては(日頃信頼している??)次女であるこの私に、自分が死んだ後でその計算や配分を一任したい思いのまま死を迎えたいのであろうと再確認させられたのだ。

 それにしても、それを一任される子どもとて大変だ。親が生きているうちにある程度の法的手続き等を母自らが行ってくれないことには、それを相続させられる子どものその後の手続きは混乱を極めるし、税法上の損失も大きいのではないかとも察する。
 こういう場合、近くに住んでいるならば頻繁に母の元に通ってその手続き等を伝授するという手段もあろうが、とにかく遠隔地の場合そうもいかない。
 しかも我が家の場合、(上記のごとく姉が米国在住であるため)私一人にその負担を背負わされている状況にある。

 相続人の一人である私としては、母の死後の手続き上の負担を少しでも軽減して欲しく持ち出した話だったのだが、後期高齢者にこの話は厳しかったのか??
 そのように慮った私は、後日、電話でたわいない話をすることにより“和解”を図ったのであるが、結局は母の死後の後処理の負担が私一人に重くのしかかったままである。


 年寄りの片田舎での一人暮らしとは過酷な現状であることはこの私も重々想像がつく。
 一方この私も長い独身時代を貫いたお陰で、それに伴い十数年の一人暮らしの“独身貴族”時代を堪能してきている。私の場合はまだまだ年齢が若く、その一人暮らしの舞台が大都会であったが故に、自由を満喫できる環境が整っていたものである。
 それに引き換え我が年老いた母が置かれている一人暮らしの現状とは、我が若かりし日々と比較できるはずもなく、悲惨とも言える現状であろうことは私も心得ているつもりだ。

 今はまだ元気そうに暮らしているとは言え、そんな過酷な環境にあっての一人暮らしの母の心境も察しつつ言葉を選んで対応することが、遠隔地に住む子どもの役割なのであろう。
 
 いずれは私にも訪れる老後であるが、若かりし頃に一人暮らしを堪能、満喫し切った私など、老後も一人が理想と今尚思うのは、まだまだ健康な心身を維持している若気の至りの今だから故であろうか??
     
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何故その男にすがり続ける?

2009年07月29日 | 恋愛・男女関係
 三橋香織被告が、当時30歳の亭主の頭をワイン瓶で殴って殺害し死体を切断した挙句、住居近辺等数箇所に遺棄した事件が起きた時にも、私はそう感じたものである。

 DV(ドメスティック・バイオレンス)夫の殺害を企てる前に、歌織被告にその夫から「逃げよう」という発想が湧かなかったものなのか??


 先日千葉県において発生した、次女の母親を殺害後次女を連れ去って逃げた男の事件も不可解なまま解決がなされていない状態であるが、どうやら次女の心理状態が未だ解明されていない様子である。
 報道によると、次女は容疑者が車で逃亡中に逃げる機会がありながら逃亡先の沖縄まで容疑者と共に行動していたらしい。千葉県警によると、次女が恐怖で逃げられなかったとみているとの説明なのだが。
 ネットの出会い系サイトで知り合った二人はその後容疑者の男の暴力が原因で別れた後、男のストーカー被害に遭い、次女は警察に相談しつつも男との関係を断絶していなかった模様でもある。


 DV被害者女性の恐怖心とは、実際に被害に遭った者でなければ言い尽くせないほど“壮絶な恐怖”であるようだ。 
 実はこの私にも、20歳代後半の独身時代に交際相手の男性より“DV一歩手前”の暴力を受けた経験がある。 元々友人関係だった私とその男性は話題の共通性もあり、なかなか好感度の相性で、一緒に飲み食い、ドライブ等々と会合を重ねるうちに恋愛関係に入りかけた時のことだ。
 初めて2人きりの密室状態になった時、突然その“暴力”は始まった。私の意に反していきなり“押さえ込み”に入られたのだが、その押さえ込みの力の理不尽なまでの威圧感に身動きできなくなった私の頭を占領したのは、“恐怖心”のみだった。 全身全霊を込めて“解放”を訴えるのだが、その力はさらに増強されていく…。 詳述は避けるが、その後も相手男性の強引な“暴力もどき”の行為が続き…  結果としては大事には至らずに解放してもらえたものの、「この関係はダメだ…」との結論のみが私の脳裏を過ぎった。
(ここで少し補足説明をすると、二人が密室関係に入ることに関してはもちろん同意の上での成り行きなのだが、そういう関係においても、“暴力”と判断されるような一方的な力づくの行為とは“恐怖心”のみを抱かされることを、その時我が身を持って実感させられたのである。)
 その男性との友人関係期間は結構長かったのだが、“暴力的気質”の持ち主だとは、うかつにもまったく察知できていなかった。 ただ後で思えば、例えばドライブ中に急に怒り始めたり等の短気な一面(車の運転とは生来の気質が表面化しやすいと一般に言われているが)があったことを後で思い出したりもした。

 さらに厄介なのは、“DV気質”の男性(女性も?)とはどうやら“ストーカー気質”も同時に備えているようなのだ。
 後日、その男性に別れ話を持ち出した私に対し、男性は普段会うときのように至って紳士的に「一時の気の迷いで申し訳ないことをした」等々と謝罪し、付き合いを継続したい意思を表明する。 ただ、人間の持って生まれた“気質”とは、努力や時間の経過では変わりにくいことをその時既に認識していた私は、そんな男性を突っぱねる形となった。
 ところが、その後電話での誘いが続く。(参考のため、当時は庶民の連絡手段とは電話しかない時代で、ナンバーディスプレイ装置は元より留守番電話すらまだ一般に普及しておらず、電話が鳴れば出ざるを得ない状況にあった。) 会う事を断り続ける私に、相手の男性は(当時の言葉を用いると)“ノイローゼ気味”になってしまい、電話口で「二人で死のう」と訴えられた時には、この私もビビりつつ自分の落ち度を反省したものである。
 結局は、それでも断固として会う事を拒否し続けたことが功を奏した様子で、電話の回数が減り始め、自然消滅の形で二人の関係は終焉し、その後大事には至らずに済んでいる。


 さて、話を冒頭の三橋歌織被告や、千葉の事件に戻そう。
 DV夫を殺害する前に、交際相手に母親を殺害される(未だ捜査中で結論は出ていない模様だが)前に、とにもかくにも、暴力、ストーカー相手から逃げられるうちに逃げ切ることが被害女性にとって先決問題ではないかと、皆さんも感じておられるのではなかろうか。

 ところが、“暴力”とは悲しいことに、被害者に恐怖心をもたらし、その恐怖心で被害者をかんじからめにしてしまう“洗脳力”があるところが厄介なのだ。
 話が飛躍するが、ヒトラーの独裁やイラクのフセイン政権等、歴史的観点からも、人民とは自らが生き延びるために独裁者の成すがままの政権の“思う壺”にはまらざるを得ない状況下に置かれることは事実である。
 “暴力で訴えるDV相手”とは、その暴力により正常な頭脳のはたらきを失わされている被害者にとっては、まさに“独裁者”なのである。


 DV問題に詳しい学者は以下のように話す。
 「DV被害者は逃げながら暮らしを再建しなければならない。安心して逃げるのを助けるのが“DV防止法による保護命令”である。…」(朝日新聞7月27日トップ記事より引用)

 それ程に、DV被害者が置かれている現状とは切羽詰まっていて過酷な状況にあることは私もわきまえている。 
 とにもかくにも、“暴力男”にすがって言いなりになっていないで、過酷な状況の中にも自らの理性を取り戻せるなるべく早い時期に、公的なDV救済機関等も頼りつつ、勇気を持ってDV加害者から“逃げ切って”我が身を守って欲しいものである。 
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高校無償化公約は安直過ぎる

2009年07月26日 | 時事論評
 民主党は本気でそのような公約を打ち出しているのか?

 その財源確保案に国民公平性はあるのか?

 そもそも高校無償化の前提として、現行の学校教育体系における“高校の義務教育化”の議論こそが優先されるべきではないのか?


 7月20日(月)朝日新聞一面トップ記事を目にした私は、“無鉄砲”とも捉えられる民主党の上記「公約」に一瞬我が目を疑った。

 その記事によると、民主党は総選挙で政権交代が実現した場合、来年度からすべての国公立高校生の保護者に授業料相当額として年間12万円を支給し事実上無償化する方針を固めたということだ。 高校進学率が98%まで達する中、民主党は学費を公的に負担するべきだと判断し、マニフェストにも盛り込む考えだという。
 その実現のために年間約4000億円の追加予算が必要と試算し、国の事業の無駄を洗い出し、「不要」と判断したものを廃止、縮小することで財源の確保が可能としている。
 他にも、中学生までの子どもがいる家庭に対し、月2万6千円の「子ども手当」を支給する方針で、その財源確保として配偶者控除を廃止するため、妻が専業主婦で子どものいない65歳未満の世帯は負担増となる、とのことである。


 どうやら、政治にも“流行(はや)り”があるようだ。
 政府が、マスメディアが、“少子化、少子化”と騒ぎ立て、それがこの世の“元凶”であるかのごとくの社会風潮が作り出されてしまうと、「子育て支援」する振りをして国民にお金をバラまきさえすれば手っ取り早く国民の人気が取れるぞ、とでも民主党は考えたのであろうか???
 総選挙で政権交代が実現しそうになった今、民主党が早い時期に国民に“迎合”しておこうと焦る気持ちはわからなくもないが、このような“安直発想”には嫌悪感を抱かざるを得ない原左都子である。

 
 いくら何でもこの公約は保護者を甘やかし過ぎであるし、“付け焼刃”的政策としか言えないお粗末さである。
 高校進学率が現在98%に達しているとは言え、現行の学校教育法の下で高校とは義務教育ではない。 小中学校に関しては、遠い昔に義務教育であるべき必要性が議論された上でその整合性が国民に容認されているからこそ、国民から授業料“無償”の同意が得られているものと推測する。 現在不況が深刻になって、高校生の子どもの授業料が支払えない保護者が激増しているとはいえ、“お金を配る”という至って安直な政策では「子育て支援」を果たし得ないことは明白であるし、ましてや全国民の同意を得られるとは到底思えない。
 それよりも今民主党が優先するべきなのは、経済情勢の如何にかかわらず、可愛い我が子にたかだが年12万円(公立高校の1年間の学費相当額であるが)の高校の授業料を3年間支払ってやれない保護者を量産している、行政の“醜態の現状”こそを見直すことではないのか。
 経済構造や雇用体制の見直し、また、現行の教育制度改革による“国民が将来に渡って生きる力や自分が産んだ子どもを育てる力のある”人材の育成等、次期政権を獲るべく目論んでいる政党が優先するべき課題は盛り沢山ではないのか。

 現役高校生の子どもを持つ私でさえ、この民主党の安直な“金配り公約”には辟易とするばかりであるが、この民主党の公約にはやはり反論意見が寄せられている。
 朝日新聞7月23日(木)「声」欄に掲載された“子どもいない家にしわ寄せ?”と題する民主党公約反論意見を以下に紹介しよう。
 中学3年までの月2万6千円の「子ども手当て」と合わせ高校卒業までに支給される金額は、子ども一人に対して500万円を超える。その財源確保のために配偶者控除を廃止する訳で子どものいない家庭の負担が増えることになるそうだ。子どものいない家庭とは皆余裕があるのだろうか。そうでなくとも子どものいない家庭とは、今の日本では肩身の狭い思いをしているはず。せめて財源は贅沢品の税率調整や公共事業の削減にはできないものか。

 まさにこの投書者のおっしゃる通りである。
 無駄な公共事業等、政府にとっての“強者政策”こそを早く見直して欲しいものだ。その方面を洗い直すことにより得る財源は“超膨大”であろうと私も推察するのだが…。 民主党には、今後“勇気を持って”その方面の“浄化”政策を展開して欲しいものである。


 とにもかくにも、8月の総選挙により政権交代が果たされるのであれば、次期政権を獲ると意気込んでいる民主党には、弱者の救済を“弱者の犠牲によって”果たすのではない政策を是非共期待申し上げたいものである。

 “金配り”などという、貧困にあえぐ国民をせせら笑うかのごとくの安直な公約はもう勘弁してもらい、長期展望に立った成熟した政策を実行して欲しいものである。
 これでは、自民党政権がこの春配った「定額給付金」などという安直で愚かな政策を模倣しているだけであろう。
(しかも今回の場合、配る範囲がごく一部であるが故にその他の国民の反発を食らうことに気付きましょうよ、民主党さん。)
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我々はどこから、そしてどこへ…

2009年07月24日 | 芸術
 (写真は、東京国立近代美術館に於いて現在開催中の「ゴーギャン展」のチラシより転載)


 “我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか”
 
 これは、フランス生まれの画家ゴーギャンの最高傑作作品の題名である。


 昨日、予備校の夏期講習等で多忙な日々を送っている高校生の我が子をその時間の合間を縫って誘い、東京国立近代美術館へ「ゴーギャン展」を観に出かけた。
 さすがにゴーギャン最高傑作の日本初公開とあって、館内は平日の閉館間もない時間帯にもかかわらず相当混雑していた。

 美術にはズブの素人の私も、このゴーギャンの “我々は……” の作品は画集やマスメディアの報道等で目にすることはあった。
 ゴーギャンが精神的な遺言として制作した “我々は……” における群像表現には、画家ゴーギャンの人間についての哲学的な思索が凝縮されていると語り継がれている。
 そんな画家ゴーギャンの哲学的思索を、一時(いっとき)垣間見ることを楽しみに出かけた私である。


 なるほどなるほど、横長のキャンバスには十数名の様々な年齢と思しき人々や神や、そして犬や猫やあひる(?)等の動物が、それぞれに何気なさそうに存在する風景が描かれている。
 絵画解説によると、その個々が“生”や“死”の象徴であったり、それぞれの登場人物が人々の営みや愛や悲しみそして祈りの表現を醸しつつ、人間等の生命体がこの世に誕生してから死に至る生涯を描いているようである。
 珍しいことに、この作品の左上にその題名 “我々は……” の文章が3行に渡って小さく描き込まれているのであるが、その題名の文字も作品の一部を構成しバランスよく絵画に溶け込んでいるのである。 絵画作品のキャンバス内にあえて題名の文字を存在させたことが、まさにゴーギャンの“精神的遺言”作品と捉えられている所以とも思われ、何とも興味深いものがあった。

 タヒチで制作されたこの作品は、ゴーギャンの数多いタヒチでの他の作品同様に色彩が特徴的であるように素人の私には感じられる。
 “タヒチ色”とでも表現すればよいのだろうか。 残念ながら私は未だタヒチを訪問したことはないのだが、“土”を連想するその配色からは、タヒチの大地とその地に生を受けた人々の生命体とが一体化して、大地と溶け合って生を営んでいる“土着観”が伝わってくるような、都会に暮らす我々が日常経験し得ないような色彩構成、との感を抱いたものである。
 
 「ゴーギャン展」の“出品目録書”に以下の記載がある。
 “熱帯のアトリエ”に暮らす夢をあたためていたゴーギャンが、南太平洋のタヒチに旅立つのは1891年のこと。タヒチの原始と野生が、造形的な探究にさらなる活力を吹き込むことを期待しての決断だった。しかし、18世紀にイギリス人によって発見され1880年にフランスの植民地となったこの南太平洋に浮かぶ島は、既に文明化の波を受けて大きく様変わりしていたのである。ゴーギャンは、西欧文明の流入によって失われつつあるタヒチの歴史や文化に思いを馳せながら、そこに自らの「野蛮人」としての感性を重ね合わせる。そして原初の人類に備わる生命力や地上に生きるものの苦悩を、タヒチ人女性の黄金色に輝く肉体を借りて描き出したのだ。そのイメージには、タヒチの風土と、エヴァなどのキリスト教的なモチーフ、そして古今東西の図像が豊かに混ざり合っている。
 (以上、「ゴーギャン展」“出品目録書”より転載)

 確かにそうだ。18世紀に当時の大国イギリスに発見されその後フランスに植民地化されたタヒチは、その時代に既に近代化の波に飲み込まれつつあったのだ。
 それでもゴーギャンはタヒチの地にそして土着の人々に、自らの「野蛮人」としての感性が生き長らえることを求め、画家としてイメージを膨らませ制作を続けた結果として、後の世に数多くの名作を残したのだ。


 このゴーギャンの数多いタヒチ時代の作品はパリに戻った後理解されないまま、ゴーギャンは再びタヒチを目指すものの、健康状態の悪化や貧困により制作もままならず画家としての孤独は深まるばかりだったそうだ。
 そのような自らの運命を呪いつつ、その芸術の集大成としてこの“我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか”の制作がなされたとのことである。
  (“出品目録”より要約引用)


 それにしても、画家をはじめ芸術家とは私にとっては何とも羨ましい存在である。
 色、形、音、… そのような感性的表現手段を介在することにより、自己の生き様を、哲学を、その思想を、何百年何千年の後々まで残せるのは芸術家でしか成し遂げられない所産ではなかろうか。

 言葉で語り綴ることはいとも簡単であり、言語とは人間にとって伝達し易い便利なコミュニケーション手段であろうが、どうしても軽薄感が否めないという戸惑いが隠せない部分もある。

 出来得ることならば何百年何千年後にこそ、自らの生き様や思想等の存在が証明されるごとくの“芸術家”でありたい思いも抱かされた、原左都子の今回の「ゴーギャン展」鑑賞だった。 
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車の音と人との共存

2009年07月22日 | 時事論評
 思わぬところに“落とし穴”とは存在するものだ。

 HV(ハイブリッド)車はモーターで動くが故に低速ではほとんど音がしない構造であるため、歩行者等に危険を知らせる目的で、HV車に何らかの音を出す装置を装備する検討を国土交通省が始めたとのニュースを見聞して、感じたことである。

 従来の車が出す騒音とは相当の音量であるため、例えば都市部の高速道路の脇には周囲の住民への配慮から高いフェンスが張り巡らされたり、大型車両は道路の中央車線を走行するように義務付けたり等の騒音対策が施されてきている。
 HV車は静かさの点でも優れた車との認識が私にもあったのだが、その静けさには思わぬ弊害の一面があることに納得である。


 我が住居の近辺の道路は小路が小刻みに縦横に入り乱れているのだが、通行車両も通行人も少ないため、信号や歩道がほとんどない。 ところが、こういう通行量の少ない道路こそが子どもにとっては時たま通行する車への対応が困難と判断した私は、我が子が小さい頃より信号のない交差点を安全に渡る指導等を再三行ったものだ。左右確認はもちろんのこと、家屋の塀や植樹等で視界が遮られている交差点は車の“音”にも注意するように言い聞かせてきたものである。

 そう言われてみれば近頃、この私でさえも車が直ぐそこまで近づいているのに音が聞こえて来ずに驚く場面に直面することが多くなったような気がする。
 そうか、そのはずだ。 HV車が世に出回っているためだったのだと納得だ。


 自動車大手各社は、この危険を知らせる発音装置を既に考案中の様子である。
 例えばトヨタでは、走行中に「チャイム音」が常に鳴るHV車を走らせて効果を検証したそうだ。一定の効果は見られるものの「音が不快」との意見が多かったり、視覚障害者からは「音は聞こえるが、車だとは思わない」等の指摘も出ているらしい。 ホンダのHV車“インサイト”の場合、低速でもエンジンが稼働するため今のところは問題はないそうだが、「将来的には静音性の問題に対応しながら開発を進める必要がある」としている。
 その「音」は運転者が適時に判断して出すのか、車自体が常時自動的に発するのか等の課題や、チャイム、ブザー、メロディー、擬似エンジン音など、音の候補に関しても様々な検討がなされているそうである。 (どれにしても、耳障りでうるさそう…
 (以上、朝日新聞7月16日記事より要約して転載)


 それにしても、世の中とはなかなかうまく立ち回らないことを実感である。 せっかく低騒音車が開発されて街が静けさを取り戻せる時代が到来したのに、安全確保のために、わざわざ音を出す装置を取り付ける必要性に迫られるとは、何だか理不尽な観も否めない気もする。

 「音」以外の手段で、人と車が共存できる手立てはないものだろうか。
 例えば代替案として「光」などはどうか? 光の場合騒音は発しないが、視覚障害者にとっては用を成さない場合もあろうし、また、夜間等においては“光公害”をもたらす恐れもあってこれまた困難であろうか?


 発想を大きく変えて、道路交通法自体を大幅に見直すという手段もあろう。 政府が目指している今後の「エコ未来社会」におけるHV車や電気自動車等の増産、社会への定着と共に、車の静音傾向に見合った法改正を車の変遷に従い行っていくべきであることは言うまでもない。
 それと共に、歩行者等交通弱者にとって“優しい”道路の整備も車の静音傾向と共に見直されるべきでもある。


 それはまだまだ未来の“夢物語”であろう。
 差し迫った問題として、車の静音化に伴う歩行者等の交通弱者を救うべきなのは言うまでもない話で、国土交通省や自動車大手各社にはとりあえずの安全対策を緊急に打ち出して欲しいものである。

 その上で、科学技術の発展の成果として民間企業が誕生させたせっかくの車の“静音性能”を今後の公害対策の一環としても活かすべく、政府には道路交通の根本的な発想の転換を長期計画の下続行して欲しいものでもある。
 そういう発想は、必ずや交通弱者保護の観点とも合まみえるものであると、私は信じるのである。 
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