(冒頭写真は、2018年4月にスウェーデン大使公邸にて開かれた祝賀会に集まった歴代ノーベル賞受賞者ら。 朝日新聞記事より転載したもの。)
早速、2021.09.28付朝日新聞 科学面より「日本の研究力 受賞ラッシュの陰で低下傾向」と題する記事を、以下に要約引用しよう。
2008年以降、日本の自然科学系のノーベル賞受賞者は15人で、米国に次ぎ世界トップクラスの「成果」をおさめてきた。
08年の物理学賞では。日本が伝統的に得意とする素粒子理論の分野で、南部洋一郎氏、小林誠氏、益川敏英の日本生まれの3氏が独占した。 この年は、緑色蛍光たんぱく質を発見した下村氏も化学賞に選ばれ、過去最多の4人が受賞した。
14年の物理学賞も、青色発光ダイオードの発明で、赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏の3氏が占めた。
ただ、喜んではいられない。 ノーベル賞の受賞につながる研究成果をあげた年から受賞するまでには20~30年程かかっている。 つまり過去の科学水準の高さを示すものであって、今の実力を示しているわけではないのだ。
実際、ノーベル賞ラッシュと時期を同じくして、日本の研究力の低下も目立つようになってきた。
日本は、他国に比べて研究開発への投資が伸び悩み、論文総数も頭打ちだ。
その理由はさまざまだ。 研究職を目指す博士課程進学者の減少や、業務多忙による大学教員らの研究時間の減少など、人材や研究領域の多様性の低さ、海外留学生の減少による国際化の停滞、など、課題は山積している。 国が産業応用などを重視するがあまり、その土台となる基礎研究力が失われているとの指摘もある。
政府は01年にまとめた第2期の科学技術基本計画で「50年間でノーベル賞30人程度」とする目標を掲げた。 今世紀の自然科学系の受賞者は18人。この20年間は「過去の遺産」に支えられ、順調に推移してきたかに見えるが、今後も受賞者を輩出していくには、科学技術力の立て直しが急務となっている。
(以上、朝日新聞「科学」ページ記事より要約引用したもの。)
原左都子の感想に入ろう。
科学分野エッセイのバックナンバーに於いて、再三述べてきているが。
特に自然科学研究の成果を語るに際して、「数」「数」また「数」…… 、これ一体どうしてしまったのだろう???
「文学賞」等の人文学分野に於いては、そういったこともあり得るのかもしれないが。 (失礼な発言でしたらお詫びしますが。)
少し前の我がエッセイ集科学分野のエッセイ内で、以下の記述をしている。
上記朝日新聞記事内にある「博士課程進学者の減少」問題はまさに今の時代、科学技術発展に於いて切実な課題であろう。
我が亭主がその道のりを歩んだ時代とは、博士課程進学者がまだしも何とかなった時代背景であったことと振り返る。 亭主の場合、研究活動のため某大手民間企業にやっとこさ就業できたのが35歳時だったのだが、亭主実家の経済力に支えられてそれが叶ったと聞いている。
今の混沌とした時代背景に於いて、博士課程を修了後名だたる論文を世に発表するのに要する年月を考察すると。
確かに、博士課程に進学する人材確保が困難な時代であることを察してあまりある。
上記記事は「ノーベル賞」に関しても触れているが。
私は某国立開発法人研究所へ医学基礎実験担当者として通っていた時代に、「ノーベル賞」に関して見聞した事実がある。
それを暴露すると。 「あれは順番待ちだ。ノーベル財団側は早めに受賞者を決定している。」
これに関しては、後に私も他の分野の受賞で十分に納得した。 平和賞のマララ氏等… (中略)
原左都子の結論としては、科学技術力の国家間競争・比較は「論文引用数」ではなく、あくまでも研究内容でものを言うべきではなかろうか。
(以上、我がエッセイ集バックナンバーより引用したもの。)
加えて、私が主張したいのは。
冒頭写真にも、2015年度ノーベル物理学賞受賞者であられる梶田隆章氏が中央右寄りに映っているが。
日本学術会議会長職を任されている東大教授の梶田氏も、昨年から政府とのごたごたに巻き込まれ難儀され続けている様子だ。
これに関するネット情報の一部を、以下に引用しよう。
先だって行われた菅義偉首相と日本学術会議の梶田隆章会長の会談。梶田氏は新会員任命拒否問題で、理由の説明と除外された6人の任命を求める要望書を手渡したが、初顔合わせということもあって踏み込んだやりとりはなかった。だが、譲歩するつもりはない政府と、学術会議の溝は深い。「学問の自由」の侵害との指摘もある問題を巡る混乱は収束の兆しが見えず、与党内には長期化への懸念も広がり始めた。
(以上、ネット情報より引用したもの。)
馬鹿げた政府の自己利益追求故の過ちに、天下のノーベル物理学賞受賞者を巻き込まないで欲しい、と私は切に嘆願したい!
どうか、くだらない政権維持思想のために、せっかくの逸材である科学者を犠牲にして研究時間の無駄をさせるのではなく。
今後は、そのまたとない科学力が後進育成のために役立つことに、是非とも期待したいものだ。