原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

明川哲也氏の新展開

2008年03月31日 | その他オピニオン
 私は、「お気に入りの有名人は?」「尊敬する人物は?」等の類の質問に対して、「明川哲也氏」と応えることにしている旨については本ブログでもう3回位述べてきているため、ご存知の読者の方も多いと思われる。

 「お気に入り」と「尊敬」とでは意味合いがまったく異なるではないか、との感想をお持ちの方もいらっしゃることと推測する。
 私はテレビは滅多に見ない、ネットもあまり検索しない等、普段マスメディアにはほとんど接しない生活をしているという理由により、元々「有名人」と名の付く方々のことをほどんど知らないのだ。もちろん、情報が暴力的に氾濫している今の時代であるから、世間が「有名人」だと騒いでいる人々の名前ぐらいは嫌でも頭の中に侵入してくるのだが、それらの人物の人となりを存じ上げたいと思う程興味をそそられる有名人には、滅多やたらとはお目にかかれるものではない。
 一方「尊敬する人物」の方であるが、これとて歴史上の人物を持ち出す程の初々しさもなければ、ましてや、親や恩師や先輩等、身近な存在の人物については普段より覚めた目で観察、分析する習性のある私にとっては元々「尊敬」の対象とはなり得ないのだ。

 そんなこんなで、両要素を兼ね備えている人物として白羽の矢が立ったのが「明川哲也氏」なのである。(明川哲也さん、ご迷惑な事とは存じますが、何卒ご容赦下さい。)
 なぜ、明川哲也氏なのか。これについては、バックナンバーで再三述べてきているのだが今一度繰り返すと、明川氏は繊細なハートの持ち主でいらっしゃるのに心が大きな人物であると共に、明川氏の思想の根底にすべての人間の人格をまずは認めようとするハート、包容力の大きさを感じさせていただけるためである。加えて、図々しいのではあるが私と思考回路に共通点があるように感じるのだ。

 テレビ、ネット等のマスメディアにはほとんど接しない私が、普段、情報収集のよりどころとしているのは新聞である。
 私は朝日新聞の長年の愛読者であるのだが、昔から朝日新聞の様々なコラムが好きだ。各方面、分野でご活躍中の方々が執筆されたコラム(特に連載もの)のエッセイを読ませていただくと、その執筆者の人となりを直(じか)に感じさせていただくことができるからである。
 明川哲也氏は、朝日新聞朝刊で連載中の「相談室」の回答者として長年読者(?)の相談に対する回答を担当されているのであるが、その回答ぶりから私は上記のごとくの明川氏のご人格を感じ取らせてただき、ファンになったといういきさつである。

 実は、私はそれ以前の明川氏をほとんど存じていなかった。“ドリアン助川”の芸名で音楽活動をしていらっしゃったという情報は得ているのだが、実際にその時代の明川氏をほとんど認識していなかった。
 そんな折、私が明川氏のファンであることを知った当ブログの読者の方から、明川氏の“ドリアン助川”時代の音楽活動の映像を送信していただいたことがある。その映像を見て、私は少なからずショックを受けた。明川氏のモヒカン頭の外見に…。 音楽を通じて自己主張をされている若かりし頃の明川氏の思いは通じるのだが、その外見には到底受け入れがたいものが私にはあった。(明川さん、ごめんなさい。)

 時代は移り変わって、明川氏は現在「創作家」を名乗っていらっしゃる。今の明川氏の多少白髪混じりの優しそうな眼差しの外見には現在の明川氏の人物像が垣間見れて、なかなかの雰囲気なのである。

 そんな明川哲也氏が、哲学者の永井均氏、作家のあさのあつこ氏と共に、朝日新聞4月第2週から、毎週金曜夕刊「こころ」のページ「悩みのレッスン」と題したコラムで、若者と共に考えるコラムを展開されるということである。
 明川哲也氏の一ファンとしては、見逃せないコラムである。この記事を元に我がブログもまた私論を展開していけそうである。
 
 (決して、私は朝日新聞の“回し者”ではございません。あくまでも明川哲也氏の一ファンとして、今回のブログ記事を綴らせていただいたまでのことです。)
 
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池袋モンパルナス

2008年03月29日 | 芸術
 一昨日の3月27日、“池袋モンパルナス”の発祥の地である東京都豊島区西池袋に、満開の桜のごとく華々しくひとつの素敵なギャラリーがオープンした。

 そのギャラリーの名は「B-gallery」。
 「B-gallery] については、後ほどその詳細を読者の皆様にご紹介するとして、まずは“池袋モンパルナス”の話から始めよう。


 “池袋モンパルナス”とは、昭和の初めから戦争頃まで、東京都豊島区西池袋周辺に画家、音楽家など様々な芸術家が集い、いくつものアトリエ村が誕生した現象のことをさす。その時代、世界の芸術の中心であったパリ、モンパルナス地区の名にあやかってその名が付けられたという。
 その頃、池袋周辺には美術を志す人たちのために多くのアトリエが立ち並び、「村」を形成した。それぞれ、「すずめヶ丘」「桜ヶ丘パルテノン」等と呼ばれていて、「桜ヶ丘パルテノン」は多い時で70軒ものアトリエがあったそうだ。
 まだ名もない画家や彫刻家、音楽家等様々な芸術家が住みつき夜な夜な池袋駅周辺の飲み屋に繰り出し、街には芸術と猥雑の入り混じった不思議な活気が漂っていたらしい。
 この池袋は、パリに憧れ西洋美術の影響を敏感に受け止める、当時の日本、いや世界でも稀な芸術の前衛の街であったという。
 “池袋モンパルナス”の名を流行らせた詩人で画家の小熊秀雄は次のように詠った。

       池袋モンパルナスに夜が来た
       学生、無頼漢、芸術家が街に出る
       彼女のために神経を使へ
       あまり太くもなく、細くもない
       ありあわせの神経を -

 そんな“池袋モンパルナス”ではあるが、時代の変遷で多くの芸術家が戦争のため召集され芸術運動としては終末を迎えることとなる。軍国主義の政治環境の中で、この“池袋モンパルナス”が、退廃的、不健全と評価されたことが影響している。

 時代が巡り巡った現在、この“池袋モンパルナス”にも新風が吹いている。周辺に住む様々な芸術家達が、様々な新しい試みを展開している。


 さて、話を「B-gallery」オープンに戻そう。
 「B-gallery」のオーナーは美術家の長はるこ先生でいらっしゃる。
 長はるこ先生は造形・絵画教室の主宰者でもいらっしゃり、私事で恐縮だが、我が子がその教室で小さい頃よりお世話になっている関係で、私のブログの常連として頻繁にコメントを頂戴している方である。
 私のブログの読者の方から、美術家の長はるこ先生とはどのような方なのか、とのお問い合わせをいただいていることもあり、今回本記事でのご紹介と相成った訳である。

 長はるこ先生は「B-cushionシリーズ」という独自に紡ぎ出された版画の分野で朝日新聞にも作品を3か月間連載され、現在世界的にご活躍の美術家でいらっしゃるのだが、詳細については後述する連絡先で再確認いただくことにしよう。


 それでは、「B-gallery」オープンの詳細をお伝えしよう。

   長はるこ展
   B-cushion 10年の軌跡
   2008年3月27日~6月1日(日) 14時~18時、月曜定休   

    〒171-0021  東京都豊島区西池袋2-31-6
                 (自由学園 明日館 西隣)
    TEL&FAX  03-3989-8608
    E-mail    baru@beige.ocn.ne.jp
    URL    http://www.harukocho.com./b.html 

   なお、4月5日までの自由学園見学会の期間中は21時まで開廊
    (歴史的建造物である重要文化財自由学園での桜見学会において、
     桜バウンドケーキ、桜クッキー、チェリービールも楽しめます。)
                        

 美術家長はるこ先生のブログへは、本ブログの book mark (左下)の“B-cushion”から入れます。   
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子どもの学力と家庭環境

2008年03月27日 | 教育・学校
 昨日、春休みに入っている中学生の娘が、数学の宿題にわからないところがあるから教えて欲しいと言って私のことろにやって来た。
 我が家では、子どもの学習は子どもが小学校入学前からずっと母の私が見てきている。塾に通わせたのは私立中学受験のための1年間のみ、それも受験に関する情報収集が主たる目的で、実際の受験指導は私が主体となって面倒を見てきている。

 さて娘の数学の宿題だが、2箇所わからないと言う。ひとつは連立方程式の文章題だ。文章を読んで連立方程式を立て、それを解いて答えを出す問題である。 もうひとつは図形の相似の応用問題である。二つの三角形が相似であることを発見、証明して、そこからひとつの三角形と他の四角形との面積比を求める問題だ。
 中学生時代は英数が得意中の得意だった私ではあるのだが、何分ブランクがあるし年齢的なハンディもある。子どもの数学の面倒を見るのも久しぶりだ。若干の不安感を抱えつつまずは実際に解いてみたのであるが、これが面白いのだ。中学レベルの数学というのは適度な頭の体操に程良いなあ、などと思いつつ楽しくスラスラ解けた。(実際、下手なクイズなどよりよほど面白い。)
 ところが、娘は自分が分からない問題を母の私にスラスラ解かれてしまったのが気に入らない様子だ。ふくれっ面をして黙り込んでしまい口をきいてくれないのだ。小さい頃は学習を母の私に頼りきっていた娘であるが、今では母をライバル視する程の学習意欲が育っていることを私はうれしく思い、後は本人に任せた。

 
 さて話は変わるが、先だっての朝日新聞に「家庭の経済力が子どもの学力に影響している」云々の記事が掲載されていた。
 この記事は日教組が教員に対し実施した調査の結果であるらしいが、小、中、高と学校段階が上がるにつれ、そのように感じる教員が増える傾向にある、とのことである。

 「家庭の経済力が子どもの学力に影響」?? う~ん、一理なくもないが、私は“経済力”よりもむしろ、親の子どもの学習に関する考え方や姿勢、協力体制が子どもの学力向上における第一義なのではないかと考える。


 そもそも、子どもの学力とはどのように育っていくのか。
 生まれつき頭がいい子には学力がつく? この考え方に関しては、そもそも“頭がいい”と言う言葉自体が曖昧な概念である。仮に“生まれつき頭がいい”という概念を認めるとしても、医学的観点からも学習の機会が与えられないならば脳細胞は発達し得えず、死滅していくばかりであろう。
 そうなのだ。学力向上のための必須条件とは“学習の機会が与えられ続けること”なのである。

 さて、そうなると学習の機会の与え方が問題となる。世の中を見渡すと、学校にさえ行かせば、塾にさえ通わせれば、子どもに学習の機会が与えられていると勘違いしている家庭が残念ながら少なくない様子である。 元々学習に対する自主性の高い子どもは、もしかしたらそれだけでも学力は育つのであろう。ただ、そんな子どもは少数派だ。大抵の子どもは学習からの逃避行動に走るのが、むしろ通常の子どもらしさなのではなかろうか。

 子どもを学習に向かわせる、すなわち子どもの学習習慣を育てるのは、これは家庭の役割だ。育児、子育ての一環として、子どもに学習習慣を身につけさせることは子どもの成長、自立のために重要だ。
 「そんなことを簡単に言われても、我が家は親に学力も時間もない」、とおっしゃるご家庭もあるかもしれない。それでも、どうしても、これは家庭の役割だと私は考える。 頭ごなしに「勉強しなさい!」と言い放つのは逆効果だ。 親が子どもと共に学ぶ姿勢が重要ではなかろうか。短時間でもよいので、子どもの学習机の隣に座ってみてはいかがか。「へえ、こんなこと習ってるんだね」と親が共感するだけでも、子どもの学習に対する関心の持ち方は違ってくるのではなかろうか。それほど、子どもとは親に感化される動物であるし、またすばらしく果てしない吸収力を持った生き物である。


 何だか今回の記事は“偉そうな”ことを書いてしまったようで、私自身は好まないパターンではある。
 だが、子どもの学力を伸ばすのは決して家庭の“経済力”ではなく、それは二の次であり、親の子どもの学習に対する考え方や姿勢、そして子どもが学習に励むにあたっての家庭の協力体制なのではないか、との持論を展開したかった訳なのである。
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AO入試、いいと思うけど…

2008年03月25日 | 教育・学校
 入試シーズンが終わり、現在ほとんどの学校が春休みに入っている。この時期、新入生のいる家庭は4月の入学準備に追われていることであろう。


 大学の入学者選抜方法のひとつとして、AO(アドミッションズ・オフィス)入試という制度がある。 このAO入試とは、学科試験重視から脱却し、面接や志願書により受験生の個性や士気の高さ等の総合的な人物評価で合否を決める方法である。

 元々、このAO入試は90年頃から一部の私立大学で導入され始め、その後国公立大学にも広がり、現在ではAO入試を実施する大学は全体の約6割に達している。大学全入時代を控えて、学生の確保などを目的に大学が入試の多様化を進めたことが背景にあり、AO入試は広がりを見せてきたようだ。
 今や大学入学者全体の4割以上が、推薦入試及びこのAO入試による学生で占められているらしい。

 ところが、ここにきてこのAO入試廃止を含めて試験方法の見直しの動きが広まってきている。例えば、国立の九州大学法学部においては、通常の学科試験を受けた学生よりもAO学生の入学後の成績が低い傾向があるとして、2010年度入試からこの制度を廃止する方針を決定した。その他、一橋大学や筑波大学でも一部廃止を決定したということである。
 また、このAO入試は11月解禁が原則とされる推薦入試のように時期的な縛りがないため、学生の「青田買い」につながっているとの指摘もある。一部の大学はAO入試を安易に使い過ぎている、と話す文部科学省の担当者も存在するようだ。

 他方、AO入試で入学した学生の方が一般入試の学生より学業成績優秀な上、やる気もあり目標が明確であると言う大学も多い。個性の光るAOの学生の存在がキャンパスの活性化に貢献しているという報告もある。

 どうやら一概にAO入試と言えども、私の見聞によると大学毎にその実態に大きな開きがある様子だ。
 学科試験を実施しない分、高校の各教科の評定が基準を満たしていることを要求している大学が多い。ところが、この評定自体に高校間格差が存在するのは当然であろう。 その辺を大学はどう判断しどう評価しているのであろうか。
 また、大学毎のAO入試実施方法にも大きな開きがあるようだ。面接時間を受験者1名に対し40分かける大学、それに加えて受験者のプレゼンテーションを要求する大学もある。面接官に関しても受験者1名に対し複数の教官で対応する大学もある。その一方で、そうではない大学もあるのであろう。
 また、入学後のAO学生のフォローアップ体制や、AO入試に合わせた授業の枠組みを制度的に設計している大学もあれば、そうではない大学も存在するようだ。
 このように、AO入試を成功させようとする大学の取り組みの姿勢の如何が、AO入試がひとつの優れた入学者選抜制度として定着するのか、廃止へと向かうのかの分かれ目になっているように推測できる。当然ながら、きめ細かな対応をしている大学ほどAO入試の効果が大きく、優れた入学者選抜方法として定着しているようである。


 では最後に私見であるが、私はAO入試肯定派である。大学とは学生が学業に励む場所である。真に学業に励んでくれる学生を人物評価により確保し、向学心旺盛な学生相手に学問を教授してくことが大学の使命であり、真の存在意義であり、それが今後の大学自らの生き残りにも繋がることであろう。

 ただし、AO入試の選抜条件は必要だ。向学心だけ旺盛であっても基礎学力がないと大学での学問に耐えられるはずがない。最低限の選抜条件として、大学での学業に耐え得る基礎学力がAO受験者に要求されるのは当然である。 そして、大学側のAO学生受け入れ態勢の基盤づくりも肝要だ。士気の高い学生の意欲をそがない学問教授体制の充実がまずは望まれるであろう。
 
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下戸との飲み会

2008年03月23日 | 
 私は最近外で酒を飲む機会が増えているのだが、昨夜も都内某所の居酒屋で会食をすることとなった。


 いきなり話は変わるが、朝日新聞毎週水曜朝刊に「酒にまじわれば」と題する、歌手のなぎら健壱氏による連載コラムがある。飲兵衛の私はこのコラムに共感する部分が多く、毎週かかさず目を通しては、酒で醜態をさらしてばかりの我が身を鏡に映しているようで苦笑いを繰り返している。

 先週3月19日のこの「酒にまじわれば」は、“自戒せよ”と題して、下戸と酒を飲む場合は下戸に醜態を覚めた目で観察されているので自戒するべき、との話を面白おかしく展開したものであった。
 
 
 さて、私の昨日の飲み会の話に戻って、4名での会合だったのだが私以外の3名が下戸であったり健康上の理由があったり等で酒が飲めない状態なのだ。やむを得ない。一人で飲むしかない。(こういう場合、普通は飲むことを断念するのか?? だが、場所が居酒屋でもあるし、飲兵衛の私がそんなことでへこたれる訳がない。)
「じゃあ、私は一人で飲ませてもらうから。」と宣言すると「どうぞ、どうぞ」とのことで、私は一人で日本酒を注文し飲み始めた。他の皆さんはジュースやお茶を注文して飲んでいる。
 こういう場合にバツが悪いのは、酒を追加注文する時だ。お店の人には女の私が一人だけ飲んでいることは最初からバレている。皆で飲んでいるのなら追加した酒を誰が飲むかは不明だが、一人の場合、追加した酒をすべて私が飲むことがバレバレだ。それをとがめられる訳でもないしその筋合いもないのだが、飲兵衛の私とてやはり羞恥心はある。3合目をお替りした時には、呆れ顔で見られたような気がした。(しかも私、飲むペースが異様に速いんです…。)  被害妄想か??
 一方、不思議なのは飲んでいない3人である。どういう訳か、一人飲んでいる私とのバランスが取れているのだ。決して酔っている私の気のせいではなく、雰囲気はむしろいつもよりもいいくらいだ。 多数決の原理によるものか?
 そうこうしているうちに2時間が経過し、会合はお開きとなったのだが、最後の最後までまったく違和感のない“飲み会”であった。

 ところで、私は昔から下戸と飲む機会が少なくない。
 私の若かりし頃の学生時代の大親友(女性)がパーフェクトな下戸で、一滴たりとて飲めない人だったのだが、どういう訳か彼女は飲み会が好きだった。義理で付き合ってくれる訳でなく、本当に飲み会が好きな人なのだ。何次会まででも夜通し朝まででも付き合ってくれる。そしてどういう訳か、彼女が一番ノリがいいと言っても過言ではないところがおかしい。これは仲間うちでも有名な話で、いつも飲んでいる途中に皆で彼女に「○○ちゃん、お酒も飲まずにほんとに楽しいの?」と確認するのだが、彼女はいつも「すごく楽しい!」と笑顔で応えていたものだ。 そして、理にかなっていると言うのか、納得できるのは、合コンの時などは酔っ払って醜態をさらしている私を含めた馬鹿女どもより、しらふの彼女が一番モテていたということである。


 朝日新聞のなぎら健壱氏のコラムに戻るが、なぎらさんが言う程下戸を警戒しなくてもいいんじゃないかと私は自分の経験から思うのだが。 それを証拠に私は上記の下戸の彼女から酒の上での失言や失態を一度たりとて責められた事はないし、今なおお付き合いが続いている。 彼女が寛容過ぎるだけの話なのか…。 
 
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