原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

国は「フリースクール」支援の前にその実態把握を

2015年01月31日 | 教育・学校
 原左都子は、以前より「不登校」を肯定している。

 これに関し、本エッセイ集開設当初の2007年10月2日バックナンバー 「『不登校』という選択肢」 に於いて私論を展開しているため、以下にその一部を要約して紹介しよう。

 私は基本的に不登校肯定論者である。 
不登校対策に取り組む場合、学校や教育委員会の都合観点からではなく、あくまでも当該子ども本人の人権を守り将来を考えることを主眼として実施されるべきだ。  ところがその現状とは相変わらず学校や教委の権威が優先され、子どもの人権や将来性を省みずただひたすら子どもを“学校へ戻す”方策しか採られていない傾向が否めない。 この現実を私は大いに憂慮している。
 我が国の公教育とは、誰しもが好む好まざるにかかわらず人生に於いて通り過ぎねばならぬ場である。 なぜならば小中学校は学校教育法に基づき義務化されているため、一部の特例を除いて子ども達は皆学校へ通うことを強制されているためだ。
 ところがこの「学校」という場は子ども皆を強制的に通わせる場である割には、実は至って特異な場所であるとの私観を抱いている。 外部との接触や交流がほとんどない閉ざされた空間であり、普段は生徒と教師及びその他少数の職員しかいない場だ。 たまに参観日や各種行事で生徒の保護者はやって来る。その他は運動会等で来賓や地域の人達が訪れる以外、誰も出入り出来ない場所なのだ。 一般家庭以外でこれ程外部の人間が入り込む余地の無い「閉鎖的空間」は他に類を見ないと言って過言でないだろう。 外部の人間が入り込まない場、イコール、多様な価値観が交錯し得ない場である事を意味する。
 このような閉鎖的空間に生徒達は毎日毎日、健気にも朝から夕方まで通い続けねばならない運命と相成る。 すなわち、成長期の大事な時期に子どもが家族以外に日頃かかわる大人は、学校の教員しかいないとも断言出来よう。 そんな子ども達が置かれている学校での閉塞感を考察した場合、不登校に陥る方がむしろ健全であるようにさえ私は思えてしまう。
 私は元々子どものバランスのとれた成長のためには学校は週3日程度でよく、後は様々な経験をし多様な価値観に触れるために、子どもの個性や能力や好みに応じて学校とは異なる場で子どもが成長できる機会があれば理想的と考えている。  その意味で「不登校」という選択肢とは、極論ではあるが子どもが学校以外の場を知り体験するまたとはないチャンスであり、それにより人々の多様な価値観に触れることが叶う絶好の機会であると考える。
 もちろん、現実の「不登校」とは子どもそれぞれに事情があり学校へ行けない事を余儀なくされた現象である事も心得ている。 誰も好き好んで「不登校」を志向する訳ではなく、小さな心に大きな傷や苦悩を抱えた上での苦渋の選択結果なのであろう。 だからこそ、学校や教委の権威ばかりを優先し、短絡的に子どもを学校へ戻そうとする過ちをこれ以上繰り返さないで欲しいのだ!  小中学校は義務教育化されてはいるが、決して学校へ行くことが“アプリオリの善”ではない事を万人に理解して欲しい思いだ。
 過去に於いて私は不登校対策が主たる任務の小学校相談員に2度応募して、「不登校肯定」の見解を明言し2度共不採用となった事実について、バックナンバーで述べている。 採用試験時の集団面談に臨んだ経験から懸念するのは、応募者の全員が(採用側の教委に迎合しているのか本心かは不明だが)「不登校否定」の見解をアピールしていたことである。 どのような方策を採ると子どもを学校に戻せるかについて応募者皆が異口同音に熱弁するのに辟易とさせられた。 あの応募者達の中の誰かが公教育現場に相談員として採用されている現実を思うと、私は心底心が痛む。 
 「不登校対策」とは学校という狭い一世界内の整合性が取れればよいとの短絡的な発想ではなく、どうかくれぐれも当該子ども達のために行われるべきことを念頭に置き、広い視野での対策をお願いしたいものである。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)


 時が過ぎ去るのは実に早いもので、上記エッセイを公開した後既に7年以上の年月が経過している事実に感慨深い思いすら抱く。
 その後、(出生時に若干の不具合を持って生まれ出た)我が娘に関しては義務教育内で様々な課題や懸念が数多く存在したものの、娘から「不登校」を訴え出る事は一切なかった。(単に訴える能力に欠けていただけの話かもしれないが)  とにもかくにも親として身勝手ながらも、我が娘が無難に義務教育課程を通過出来た事実に心より安堵しているのが正直なところだ…


 朝日新聞本日(1月31日)付朝刊一面記事によれば、「フリースクール国が支援 公的位置付け検討へ」 とのことだ。 
 その内容を要約して以下に紹介しよう。
 不登校の小中学生が通う「フリースクール」への支援のあり方について、文科省が法改正も視野に入れ検討し始めた。 現行制度では「フリースクール」へ通わせても就学義務を果たしたと満たされない事実だ。これに対し、フリースクール内での学習を制度上如何に位置付けるか、施設の質を維持する仕組みをどう作るか、経済的に支援が必要な子供達の学習をどう扱うか、等々に関して政府は2015年度までにまとめる予定という。 更には、既存の「フリースクール」の実態を把握するための調査にも乗り出すと国の検討会議は発言しているらしい。

 
 最後に原左都子の私論に入ろう。

 私自身が「不登校」肯定派にして、実は現存する「フリースクール」の実態をまったく認識していない現状である。 そうだとして、政府が今回その「フリースクール」を支援するとの方針自体は一応応援したいものだ。
 ただしそれ以前の課題として、現存する「フリースクール」の実態を調査・指導するべく政府が動くのは当然の責任であろう。
 巷ではNPO団体等々による(現行法制度下に於ける)脱法行為も目立つとの報道も認識している。 それら団体設立に対し国からの「設立許可」が安易過ぎるのではないのか?との懸念も、私はずっと抱いて来ている。
 これを「公教育」内に当てはめるに際しては、他の業種以上に認可基準を厳格にするべきだ。
 
 何度も繰り返すが、私自身は「不登校」肯定派である。
 とは言えその受け入れ先が何処でも許されるはずなどない事を、今後「フリースクール」を支援しようとしている国家に重々伝えておきたいものだ。

遠隔地に一人暮らす高齢母の我がままにどう対処する?

2015年01月29日 | 人間関係
 今回のエッセイテーマはいつもと180度観点を変えて、原左都子からの“悩みの相談”に読者の皆さんにお答え頂く趣旨で綴ろう。 
 何卒良きアドバイスをお願い申し上げます。


 本日午前中に、我が郷里にて一人暮らしの実母より電話が入った。 電話の要件とは、「病院で実施した検査結果に問題はなかった」との報告である。 (なら、それで済む話なのだが…)

 話を元に戻すと、1ヶ月程前に母から「心臓が苦しい気がするので近くの主治医を受診したところ『心臓バイパス検査』を他病院を紹介して実施しましょう、なる回答」との事だ。
 それに応えて私曰く、「電話で貴方の元気そうな声を聞いていると、おそらく心臓異常は心理的な問題範囲内で大丈夫とは思うけど、貴方自身が心配ならば地元主治医先生の指示に従って検査をしてもいいんじゃないの?  ただし心臓バイパス検査とは高齢者の体には大いなる負担がかかるから、その辺もきちんと主治医に相談してからにしてね。」

 私自身が元医学関係者(地元国立大学医学部へは郷里の我が家から通っていた)である事を重々承知しているにもかかわらず、母自身は医学の心得が一切ないが故に“素っ頓狂な質問”をいつまで経っても私に浴びせかけるのが困りものだが…。 
 それは高齢者の特質として、我が母の悪い癖は「(医学素人である知り合いの誰それが)病院へ行った方がいいと言う」なる、専門筋にとってはどうでもよい比較をすぐさま私相手に持ち出す事であり、これに困惑させられ続けている。
 そこで私も論理性を持って母の問いに応える。  「私の場合、医学経験者故に素人考えでものを言う訳にはいかない。 それでももし貴方(母)が私の意見よりも他者の意見に沿って病院にて検査を受けたいのならばそうすればよい。“信じるものは救われる”なる格言もある。 ただ高齢者故の“検査によるダメージ”も視野に入れて、検査を受けるか否かは最終的には自分で決断するべきだ。」

 その後我が母は地元主治医紹介先大病院へわざわざ出向き、3日がかりで諸検査(“心臓バイパス検査”に際し体に負担が掛からないか否か等々の諸検査)を受けて来たのだと言う。
 ところが(私の思惑通り)検査結果に一切の異常がなく、「心臓バイパス検査」など受ける必要性も全くなかった様子だ。
 そんな事は元より承知の私にとっては、「(元々分かっていたけど)良かったじゃないの!」と応えた。


 ところがこの返答が“癪に障った”らしき実母が私に訴え出た事が、今回の私からの“悩みの相談”である。
 「あんただけだよ。いつもいつも私の病状に関して“元医学関係者”だからと言って『恐らく大丈夫』と言い続けるのは!  特に地元の血縁妹夫婦はすごく心配してくれて『もし手術等になったら自分らが付き添う』とまで言ってくれているのだから、娘のあんたから御礼の電話を入れて!」

 私の回答だが、「ちょっと待って欲しい。今回の貴方の病状に関しては諸検査結果がOKだったならばそれで済む話だ。 貴方が実の妹夫婦(私にとっての叔母夫婦)のお世話になることに関しては自分の好きにすればいいと前から言っているし、実際にお世話になった暁にはすぐさま直後に御礼をするとも言っているよ!  そもそも私は40年程以前に上京して我が郷里との付き合いが一切ない状況だ。 それでも、もし貴方がそんな叔母夫婦に対して御礼を言って欲しいと言うならば、次女の私ばかりでなく、米国に住む貴方の長女に御礼を言わせても済む話だろ!!」

 ここで実母が“ぶちぎれた”のを私は聞き逃していない。
 我が母が昔から実娘である我が姉の扱いに困惑していた事実を、妹の立場の私も幼少の頃より十分に把握済みだ。
 どうしても母の立場で自力で扱い切れない姉に関して、昔から次女である私の力量に依存されていた記憶がある。  事実上姉の世話を幼き頃より妹の私に頼り切り、自分自身は定年まで公務員の仕事に“逃げて来た”母にとって、今更妹の立場である私から「米国の姉に御礼を言わせろ!」なる発言は予期せぬ大打撃!だったことであろう。


 この件に関して、実は本日昼間に我が亭主にも相談した。
 そうしたところ、(東京生まれ東京育ちの)我が亭主より予想だにしない“妙案”が提示されたのだ。
 亭主曰く、「(米国の姉に礼を言わせる件は捨て置くとして、我が郷里の)母の実妹夫婦宅へ○子(私の事)一人で一度きちんと挨拶に行って来るべきだ」

 確かにそれが正解かと感じた私だ。
 我が故郷と言えども、その地を去って後40年近くに渡る長年の都会暮らしが長引き、郷里の「習性」や「掟」を理解不能になっている自分に気付かされる。
 ここは一旦過疎地田舎に一人で旅をして、おそらく“大いなるカルチャーショック”を私側の力量で乗り越えつつ、老母の今後の対応に関して親族と今一度じっくり話し合って来るべきかとも考えた…。

 それにしても検査結果に問題が無かった事を喜ぶべきなのに、何故年寄りとはこれ程までに他者(特に頼り易い人間)に対する依存心が強いのだろう?? 
 母の言い分を聞いていると、むしろ入院でもして周囲に手を焼かせたいとの思いが見え見えで、そこまで年老いてしまった親を持つ身として悲しくなるばかりだが…  

教職員削減と並行し教員資格見直し及び準教員の採用を

2015年01月27日 | 時事論評
 本日(1月27日)昼過ぎに見た民放テレビ番組内で、3歳児(幼稚園に通っているとの事)を育てている女性タレント2名が出演し、育児談義を交わした。

 その番組内で、「幼稚園教員からママ達への要望 これだけは避けて欲しい」(正確ではないがそのような要旨の)3項目が取り上げられた。
 以下に紹介しよう。

   ①  園児間のいざこざを直ぐに「いじめ」と誤解して教員へ訴えるのは避けて欲しい。
   ②  お弁当に子供が嫌いな食べ物を入れないで欲しい。
   ③  母親達が幼稚園内で自分の友達を作ろうとするのは控えて欲しい。


 早速、原左都子の私論に入ろう。

 民放テレビ番組で取り上げられたのがあくまでも義務教育“前段階”の「幼稚園」であるため、幼き子供を大勢抱え日々悪戦苦闘を強いられている厳しい職場指導者(保育士)としては、やむを得ない要望なのかもしれない。

 ただこれが一旦義務教育現場ともなれば、教員側がこんな“泣き言”を言って済まされるはずがないのだ。


 上記3項目に関して、原左都子が母親の立場で過去に実際経験して来た私事及び私論を語ろう。 (その前提として、我が子の場合産まれながらに若干の不具合を抱えていた事をお断りしておく。)

 まずは、① 「園児間のいざこざを『いじめ』と誤解して保育士へ訴えるのは避けて欲しい」 との件。
 我が娘の場合、親の視点からはどう贔屓目に考察しても、残念ながら娘側から“いざこざ”を起こせる能力を備えずして生まれ出てしまっていた。 
 これに関して、義務教育である小学校入学前には十分に相談(地元教委が実施する“就学前相談”)に臨んだ後に入学させた。 さすがに公立小学校入学後は(“就学前相談”が功を奏したのか)1年生時の担任に恵まれた。 そのため、親側の私が娘の“異変”に気付き「いじめ」を「いじめ」としてすぐさま把握し学校へ訴えたところ、担任先生が早急に対応し善処してくれた事が後々娘成長の良き結果に繋がった。

 ② 「お弁当に子供が嫌いな食べ物を入れないで欲しい」 との件。
 我が娘の場合(私立小学校受験に失敗し)小学校は公立へ行く結果となり「給食」のお世話になった。
 ところが私立幼稚園(途中転園で2園を渡り歩いたが)に於いて、同様の苦悩を経験している。 特に転園後の私立幼稚園担任保育士が“お弁当指導”にこだわっていた。 親が持たせたお弁当を完食するまで遊ばせない方針を貫いている現場に私はちょうど居合わせた。 「我が子の場合、生まれ持った事情で食が細くお弁当を完食出来ないのは承知しておりますので、どうか残しても容赦願えますか?」なる我が願いに対し、その保育士は「ならば、子供さんが食べられる物だけ弁当に入れて下さい。」 (親の体裁としてそうはいかんよな~~ なる感想を抱きつつ)、当該私立幼稚園の“杓子定規”弁当指導の大いなる落ち度を指摘出来るべきすべもなかったものだ……

 
 ③ 「母親が幼稚園内で自分の友達を作ろうとするのを控えて欲しい」 との件。
 え~~??  これなど私にとっては好都合!! なる私感を真っ先に抱いた。 (原左都子自身の信条として人間関係には元々こだわりがあるし、特に“ママ友”連中との付き合いなど我が子幼少の頃より可能な限り避けたい人種だった。) 故に、これを教育者側から言ってもらえたならば“超ラッキー”の一言なのだが… 
 むしろ教員経験がある私に教員側の立場から言わせてもらえるならば、母親達の仲が良い方が教員としては教室運営がやり易いとすら感じるのだが、今の時代変遷を遂げているのだろうか……


 ここでやっと、表題テーマに掲げた本題に入らせて頂こう。

 朝日新聞1月10日付夕刊記事によれば、安倍政権は2015年新年度より「公立小中教職員定数削減」方針を固めたとのことだ。
 早速、以下にその記事の一部を要約して紹介する。
 2015年の公立小中学校教職員定数について、政府は少子化に伴い自然減少を上回る教職員削減を2年連続で決定した。 文科省は学校統廃合の支援を強化する方針で、その統廃合により教職員自然減よりさらに教職員が不要になるとみている。 そのため、定数が減ったとしても少人数教育が必要な授業方法を実現可能な見通しだ。 文科省の当初の予定では、今後10年間で3万人を増やす計画だったが、財政状況が厳しく断念。  財務省も、小1で導入されている35人学級を40人に戻す事で教員定数を削減するよう求めていたが、教育関係者からの強い反発もあり現実しなかった。


 最後に今一度、原左都子の私論を展開しよう。

 (幼稚園はひとまず度外視して)小中学校内で「いじめ」問題が繰り返され、「給食が(アレルギー等の問題で)食べられない児童に対する個別対応手遅れ」等の課題満載の公教育現場に於いて、更に教員数を減らそうなる国家の政策に、子供を持つ国民の立場としては異議を唱えざるを得ないのではなかろうか。

 そこで原左都子の私論だが、国の方針に従って教職員を削減するとの方針に沿った改善策を唱えよう。
 教員数を削減するとの国の改革案に、条件によっては同意してもよいのかと考察できそうな気もする。
 と言うのも、現在の我が国の教員免許制度とは“安易過ぎる”感覚があるのだ。  様々な免許資格(医学分野や税務分野等)を取得して来ている原左都子にして、「教員資格」程取得が“楽で簡単”だったものはないとも表現出来る故だ。

 もしも今後国政がどうしても公教育現場に於ける「教員削減」を主張し続けるとした場合、その他教育関連資格取得者を教育現場に「準教員」として採用する等の方策が打ち立てられるのではあるまいか。 その「準教員」の補助により「いじめ対策」や「アレルギー対策」等々個々の児童生徒が抱える諸問題の、より細やかな対応が可能となると考える。
 そうした場合、「準教員」の上部に位置する立場の「主たる教員」の“(資格取得をもっと厳格にするとの意味合いでの)格上げ措置”を実施しても遅くはなかろう。

 (繰り返すが)私自身が「高校・中学教員免許」を(我が他の資格取得に比較して)無試験で“簡単に”取得出来たとの感覚が否めない。 加えて、地元教委から大学を通しての“逆縁故”(恐らく私が学内で成績優秀だった??との理由)にて、過去に於いて実際問題簡単に教壇に立ててしまっている。

 そうであるとすれば、私レベルでも今後まだまだ再度教壇に立てるとの論理ではなかろうか? 
 ならば、今後の学校現場も“人材活力”を有効活用するのが得策と判断出来よう。

 公教育現場はいつまでも(コネや癒着及び形式的採用方針に依存していないで)世間に溢れている“有能人材”を主体的に掘り起こしては如何なのだろう?!? 
 それこそが今後の真の国家財源食い潰し削減に繋がるぞ!と言いたかったのが今回エッセイ趣旨だが…。

アレルギー科医師の“指針外れ”は今に始まった事でない

2015年01月24日 | 医学・医療・介護
 原左都子にも軽症ながら「アトピー性皮膚炎」がある。
 元医学関係者の私にしてあくまでも自己診断に過ぎないのだが、(今思えば)幼少の頃よりこの症状を抱えていた事を記憶している。 その後長年に渡りその症状が治まっていたが、高齢期に差し掛かろうとしている現在、アトピー性皮膚炎が再発している感を抱いている。

 それでも“病院へ行かない主義”の私の場合、決して皮膚科を受診せず薬剤にも頼らず、ただひたすら“痒み”に耐える日々を送って来た。


 先週、美容院へ行った時の事だ。
 担当美容師氏が私のヘアカット中に、「耳後ろの皮膚炎がとんでもなく悪化しているので、早急に皮膚科を受診するべきです!」と(元医学関係者の)私相手に指導し始めるではないか!  
 実は、この美容師氏も手にアトピー性皮膚炎(原因物質は「毛染剤」との話だが)を抱えている事態を私が見抜き、近い過去にそれを指摘した事がある。 (ただし今時たとえ美容院と言えども「個人情報」に配慮して、自分が元医学関係者である事実を一切明かしていないのだが。)

 さすが「アトピー性皮膚炎」経験者である。 すぐさま、我が耳後ろの皮膚炎悪化に気付いたのには参った。
 しかも美容師氏はまだ続ける。 「それを放置しておくと大変な事になります。早めに皮膚科を受診して医師の指示に従うべきです。」
 (現在の医療体質に対し疑問符が多い故に私は基本的に病院受診をしないとは決して言えず)、「皮膚科へ行ったところで、どうせ“ステロイド剤”を塗れと薬を渡されるだけでしょ?」と問う私に対し、美容師氏が言うには「飲み薬も渡されます。」
 「一体如何なる飲み薬??」と尋ねたいものの、それを聞き出せなかった…。 それにしても、その“飲み薬”とやらを毎日飲んでいるとの美容師氏の回答にもビビったものだ。 (塗り薬のステロイド剤の恐怖に怯えている私にとって、“飲み薬”なる更なる恐怖を煽られつつ)美容室を去った後、私はやはり皮膚科を訪れる気には到底なれない。

 
 ここで、我が「アトピー性皮膚炎」受難歴を振り返ろう。
 わずか3歳頃の幼少時より、耳裏症状が発生した事を記憶している。 とにかく、耳の後ろが痒いし爛れていた。 症状が悪化した時には、耳たぶが剥がれ落ちそうな程に痛んでいた。 それに母が気付いて病院受診したのか否かに関しては記憶が無いのだが、幼稚園へ通う頃には既に完治していたように思う。
 こと「耳の裏」に関してはその後大した病状は出なかったものの、身体の各所にアトピー性皮膚炎の一症状と自己診断するべく軽症状を経験しつつ50代を迎えた頃のことだ。
 やはり(左耳限定だが)耳裏症状が出始めた。 イヤリングを愛好している私は、咄嗟に“金属”によるアトピー性皮膚炎勃発かとも捉えた。 それにしても、右耳は何ともないのに“左耳”のみが被害を受けている現状を如何に捉えるべきか悩んだ。
 その後、症状が悪化したり少し回復したりの周期を繰り返しつつ現在に至っている。
 それでも、上記美容師氏の“ご指導”に従って皮膚科を尋ねようとの意思は私には全くない。 何故ならば、まず「ステロイド剤」なる塗り薬を処方される事実が歴然だからである。 ましてや「飲み薬」なるものは是が非でも回避したい私にとって、皮膚科を受診する意味が一切ないからだ。


 ヒトに発生する「アレルギー症状」に多様性があるのは皆さんもご承知の通りだ。
 そうだとして下手をすると死に至る重症アレルギー反応を起こす患者にして病院「アレルギー科」を訪れる事の危険性を、朝日新聞1月5日記事を要約つつ以下に紹介しよう。
 アレルギー科の医師が関連学会の定める指針と違う治療をしている実態が目立つとする調査結果を、厚労省がまとめた。 
 食物アレルギーによる呼吸困難などの経験がある患者例では、学会が薦める自己注射「エピペン」を(死に至る等の)緊急時に使用する事が推奨されている。 ところが「エピペン」処方をする医師は半数以下にとどまっている。 
 「アレルギー」とは、アトピー性皮膚炎や喘息、花粉症等々多様な病気があり、全てに詳しい医師はいない。 にもかかわらず、アナフィラキシー症状を訴える患者の緊急時に備え「エピペン」を処方すると応える医師が半数近くに過ぎない。
 片や、アトピー性皮膚炎の患者に“ステロイド剤”の使用に関して指針から外れた指導をしている医師も少なくない実態だ。
 学会の指針から外れないような指導を患者にして欲しい、との学会理事長の談話である。
 (以上、朝日新聞記事より要約引用。) 


 ここで少しではあるが、「アレルギー反応」の一症状である「アトピー性皮膚炎」に関するウィキペディア情報の一部を紹介しよう。
 アトピー性皮膚炎とは、アレルギー反応と関連があるもののうち皮膚の炎症(湿疹など)を伴うもので過敏症の一種。 アトピーという名前は 「場所が不特定」 という意味のギリシャ語 「アトポス」 から由来し、1923年 コカ(coca) という学者が 「遺伝的素因を持った人に現れる即時型アレルギーに基づく病気」 に対して名づけた。 「アトピー性皮膚炎」 という言葉が医学用語として登場するのは、1933年である。 医学用語としては気管支喘息、鼻炎などのほかのアレルギー疾患にも冠されるが、日本においては慣用的に「アトピー」のみで皮膚炎のことを指すことが多い。
 一般に慢性に経過するも適切な治療により症状がコントロールされた状態に維持されると、自然寛解も期待される疾患であると明記されている。


 最後に私事だが、我が娘も(私のDNAを引き継いでいるのか)誕生直後より重度の「アトピー性皮膚炎」に悩まされ続けている。
 幾度となく皮膚科を受診し、(不本意ながらも)我が子にステロイド剤を塗布した時期もあった。 ところが「これを塗り続けると必ずよくなります」なる医師の指示に反して、一旦回復してもすぐさま再発を繰り返す。 それを医師に訴えると性懲りも無く更にステロイド剤を処方される繰り返しだ…
 こんな恐怖を二度と味わいたくない私は、娘思春期前に皮膚科受診を一切取りやめた。 その後は娘に「とにかく患部を掻き潰すな!」と指導し続けたところ、さすがに大人になりつつある娘に自己制御力が目覚め、痒さに耐える精神力が養われた様子だ。 その後、娘の「アトピー性皮膚炎」も寛解期に入っているように見受けられる。

 それにしても“食物アレルギー”の場合、短時間で死に至る悲劇が十分に起こり得るし、現実問題として「学校給食」現場に於いて幾度となく尊い命が失われて来ている。
 アレルギー科医師に於いては、直ぐにそれに対応するべく能力を身に付け臨床現場で応じるべきだ。
 (「エピペン」の効用に関しては私も周知していないものの)、それがもしもアレルギー学会が言う通りに有効性が高いのであれば、学会の指示に従い食物アレルギー児達を救うべきであろう。

 などと言ってみたって私自身が「ステロイド剤」の副作用を恐れ続けている現実に於いて、娘程に痒さに耐える精神力もなく、左耳の後ろを日々掻きむしり血だらけの現実だ…

女子校育ちでもどんどん恋愛を謳歌しようよ♪

2015年01月21日 | 恋愛・男女関係
 あくまでも我が若き時代の話だが、「恋愛好き」「男好き」で誉れ高い(?)原左都子にして“娘18番茶も出花”の頃から婚姻直前までの長き独身時代に“男っ気”が無かった時期などただの一度もない。


 そんな私としては、1月17日付朝日新聞「悩みのるつぼ」 10代女子大生からの「女子校育ちに『男女で青春』は?」なる相談に、是非共回答申し上げたいのだ。

 それでは早速、上記相談内容を要約して紹介しよう。
 現在一人暮らしの女子大1年生だが、中高も女子校で女子ばかり。 楽で毎日が楽しいのだが、小説やドラマのような「男女で青春」というのがない。  そんな青春物語を大学生のうちに経験したい。 集団で海へドライブしたり誰かの家で鍋パーティをしたり、また喧嘩やドロドロなどもあって悩んだりしたり…  女子大だからと言って出会いが無いわけではない。 他大学のサークル、バイト、SNS。 しかし私は自分の大学の部活に入ってしまい、バイトに関しては親が反対の教育方針のためしていない。 共学に通っている友達みたいに授業やゼミ、サークルで会う男友達ができず、出会った男性も何でも話せる友達として発展しない。 発展しても恋愛関係になってしまう。  私が求めている青春構成メンバーとは何気なく集まって気が合うようなもの。 女友達と過ごす青春も楽しいが、満足していない自分がいる。 冬には男女でスキーやスノボに行くような青春を諦めた方がいいのか。
 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」相談より要約引用。)


 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。

 上記相談内容をよく読むと、この女子大生は「恋愛相手」が欲しいのではなく、あくまでも集団仲間(グループ)としての男友達を欲している様子である。??
 そうした場合、ここでは男性との「恋愛関係」と「グループ内友達」を分けて考察する必要がありそうだ。

 前者の「恋愛相手の作り方」に関しては海千山千の原左都子に是非共お任せ願いたいものだ。 
 一方、後者の「男性を含むグループ交際」に関しては“集団嫌い”の私にとって、今となっては苦手分野かもしれない。

 それでも、我が若き時代には「男女グループ交際」もごまんと経験して来ているぞ。
 私自身は「共学」一辺倒で「女子校」経験がただの一度も無いものの、進学した大学の専攻分野は女子がほとんどだった(他専攻分野は男子が圧倒的に多かったが)関係で、相談女子と同じく近き周囲は女子で溢れていたと言えよう。 

 そうだとして私は(大学進学以降は)「男女グループ交際」も大いに堪能した。 それをどうやって経験したかと言うならば、その主たる媒体は要するに「合コン」である。(過去の時代には「コンパ」と呼ばれていたが。) 女子学生が多い我が専攻分野に、学内他学部学科男子学生連中よりの「合コン」の依頼が押し寄せたものだ。 常に“恋愛志向”の私がこれに参加しない訳もない。 日程が許す限り必ずや積極的に出席した。
 私の記憶によれば出席男子の中に恋愛対象相手が存在しなくてガッカリする事の方が数多いのだが、それでも今後グループで会う約束をして、その後グループ交際が続いたものだ。(ただ若気の至りで必然的に一人抜け、二人抜けしてグループの寿命は短かったかもしれない。)
 あるいは、「合コン」によりラッキーにも(私好みの)恋愛対象となる男子と巡り合える事もあった。 そんなカップルが2、3組発生すればそれらカップルでのグループ交際も成立した。 (ただこれにも多いなる弱点があった。) グループ交際している一組のカップルが破局決別すると、自ずとグループ交際は終焉したものだ…

 ここで再び我が結論だが、「男女交際」の行き着くところとはそもそも“1対1”交際が理想との事ではあるまいか?
 上記相談女子大生が望んでいる「集団男女グループ交際」とて、“1対1”交際なる最終目標を土台として執り行わるスタートライン、及び中途経過としての意味合いしかない可能性が強いように私は感じる。
 それが証拠に(私の過去の経験からは)、もしもグループ内に於いて「個々の男女恋愛交際」なる噂が広まった時点で周囲が「勝手にやれよ」と白け嫌気がさし、グループ解散と相成る運命ではなかろうか?

 
 それでは、今回の「悩みのるつぼ」回答者であられる 社会学者 上野千鶴子氏回答のごく一部を以下に紹介しよう。
 ただ~の友達が恋人に変わるぅ…… という歌詞もあるが、異性の友達は恋人予備軍のプール。 片思いという名のこれも単なる妄想、最近ではストーカーとも呼ぶ。
 女子校生の場合ハンディはあるが「青春」に遅いも早いもないから、何事も一長一短として女子文化と共学文化、両方を越境して楽しんで下さい。


 最後に、原左都子の私論を述べよう。

 相談女子大生の場合、上野氏ご回答こそが今後の指針となるのかもしれない。

 ただこの私など、“恋人をただの友達に(一時)変えた”経験はあれどもその逆は皆無だったため、こと恋愛に関しては社会学者 上野氏とは180度異なる私見を一生貫き実践していると言える。 
 若気の至り頃の私にとって男友達などいつ何時も単なる友達の範疇でしかなく、その後一切(心ときめく)程の恋人候補ではあり得なかったものだ。  (それでももし現在は時代が進化していて、若き世代の女性が友達男性を「彼氏候補」として捉えられるキャパがあるのならば、恋愛対象に成り得るのかもしれないとも考察するが…。)
 早い話が私論としては「グループ男女交際」などと七面倒臭い事を言っていないで、心ときめく男子がいるならばとっとと素直に恋愛に突進すればいいんじゃないの? と言いたいところだ。 それこそ若さ故の特権ではないのか?

 恋愛とはまさに個人の内面から湧き出す感情と意思で執り行ってよい“究極の自己表現”ではなかろうか!? 
 若き世代こそ、そのような内面感情にかませた恋愛が堪能可能なまたとない“レア”な機会と捉え、それを是非とも推奨したい私なのだが…。