原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

一般人も、歯が命?!!

2009年04月29日 | 医学・医療・介護
 自分の血液を“栄養源”の一つとする機会は滅多にないかもしれない。

 好き好んでそうした訳でもないのだが、夕方歯科にて抜歯した後の歯茎から血液が少量ずつ滲み出るのだ。何を食べても何を飲んでもその血液が入り混じり、すべての食べ物がヘモグロビンの鉄分を豊富に含んで血生臭い味と化す、というその日の私の何とも不本意な夕飯だったという話である。


 一昨日、私は我が人生における9本目の抜歯をしてきた。
 人間の永久歯は親知らずを入れて全部で32本。そのうち既に9本抜歯したということは、私に残された歯はあと23本しかない! しかも、残された歯のほとんどが既に虫歯でボロボロ状態… 
 行政や歯科医師会は、80歳にして20本歯を残せるように日頃から歯の健康を保つことを以前より国民に奨励している。 80歳までにまだウン十年の年月を生き延びねばならぬ私であるが、果たしてこの歯の状態で今後我が生命を保持し得るのか??
           

 ではここで、私の痛々しい9本の抜歯遍歴を簡単に披露することにしよう。

 まず1本目は早くも高校生の時のことだ。奥歯の1本の虫歯が悪化して痛み出した。元々歯並びが悪い私の口の中で、その奥歯は上顎の歯列の内側に生えていたのだ。噛み合わせにはまったく貢献していないその虫歯を、歯科医師の判断で抜歯することになった。この奥歯は口の内側に向かって近隣の奥歯と根が交錯して生えていたため、抜歯には大いに難儀し1時間半を要した。 抜歯後私は発熱し寝込むこととなる。

 続いて大人になってから親不知4本を抜歯した。これら4本は完全に成長せずして既に虫歯となり、4本とも抜き去った。

 そして10年ほど前に奥歯の一本の根が真っ二つに割れ、歯茎のトラブルが多発し噛む力も弱まったため抜歯しブリッジにした。 もう一本の奥歯も同様に根が真っ二つに割れたのだが、歯科医師の判断で歯の半分だけ残すことになり、傷みの激しい半分のみを抜歯した。ところが残した半分も1年後に使い物にならなくなって結局抜歯となり、その半分の歯で支えていた自由診療のブリッジ代金 ¥100,000- はわずか1年で泡と消え去った… 

 そして今回も同様にブリッジを支えていた2本の奥歯の根が真っ二つに割れ、2月に1本、そして一昨日残りの一本を抜歯したといういきさつである。自由診療代金合計20万円のブリッジの寿命は、今度は3年間だった…。
 今後私は、一体いくらの金を歯の治療に注ぎ込めば済むのやら… 


 潔癖症で几帳面な性格の私は、決して日頃の歯の健康維持を怠っている訳ではない。幼少の頃より歯磨き習慣は十分に身に付いている。それでも遺伝的に歯が悪いと思われる私は、どうしても虫歯の進行をくい止めることができないでいる。
 現在では糸ようじに歯間ブラシ等々の歯のケア製品を総動員して、食後の歯磨きの都度丁寧な歯の手入れを励行している。

 それでも歯の悪化を防ぎ切れない理由として、元々虫歯になりやすい口内環境であるのに加え、子どもの頃より“歯軋り”の悪癖があるせいと自己分析している。“歯軋り”や歯を食いしばるという行為は、歯と歯茎に大きなダメージを与えることは既に知られているが、この悪癖により私の奥歯の根が次々と真っ二つに割れて、抜歯に至らざるを得ないものと自分では推察している。
 歯を食いしばることに関しては自分でコントロールが可能なため、物事に熱中しやすい私は、常に意識して歯をリラックスさせることを心がけている。
 一方で“歯軋り”に関しては、睡眠中の無意識の行為であるが故に自己コントロールが困難だ。日頃のストレスが夜中の“歯軋り”に連動しているとも考えられるため、日頃よりなるべくストレスを溜めないように心がけたいものだが、人間そうもいかない。


 一昨日の抜歯後、案の定夜中から発熱し、昨日は37℃台の微熱でパソコンの画面を見ると頭痛に悩まされた。
 抜歯後の歯茎が安定して新しいブリッジを作れるまでの今後1ヶ月以上の期間、私は片方2本の歯抜け状態を余儀なくされる。 これがまた体に悪い。食べ物が十分に噛めないため食事がまずいし、胃が消化不良状態となり全身に悪影響を与える。
 まさに、“無くしてわかる親と歯のありがたさ”だ。
 歯とは人間にとっての生命維持の源であることを、身をもって実感させられる。

 「芸能人は歯が命」とのCMのフレーズが昔あったが、芸能人のみならず一般人にとっても“歯が命!”である。 
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ある少女の“孤独”

2009年04月26日 | 教育・学校
 その少女には母親がいない。
 現在17歳(16歳??)。 いわゆる“父子家庭”で父親との二人暮らしである。

 小学校低学年までは、少女は公立小学校に併設されている学童保育所で放課後を過ごしていたようだ。高学年の児童は預からない学童保育所だったため、小学4年生以降は夜までの長い時間を子どもがどう過ごすか、家庭内で考えざるを得ないことになる。

 そんな娘に父親は子犬を与えた。 ところが、幼い少女に犬のしつけ、調教など出来る訳もなく、保健所にさえ無届状態だったようだ。
 学校の放課後になると、少女は連日友達グループを家に連れ込み、集合住宅内で子犬と共に大騒ぎして遊ぶようになる。その騒音や、建物内のエレベーター等の至る所に犬の排泄物を目の当たりにした住民から苦情が出始め、管理組合を通じてその家庭に注意を促すことになる。
 ところが、深夜の帰宅になることも多くほとんど家には不在の父親は、日頃の娘の悪戯の実態を露知らない。犬を飼っていることに関しては保健所には届け出た模様だが、「我が家の娘はそんなことはしていない」と話し合いにはまったく応じず、門戸を閉ざしてしまったようだ。
 
 その後反抗期に入った娘は、父親の留守中に奇怪な行動に出始める。家中の窓を開け放して大音量で音楽の騒音を撒き散らしてみたり、バルコニーの手すりを金属製の棒か何かで叩き続けたり、そこから大声で叫んでみたり、北側のベランダに布団を干して何時間もその布団を叩き棒で叩き続けたり…。

 そんな少女の姿を見かねた私は思い切って持ち前の老婆心を発揮し、少女の保護者宛に、失礼がないように重々配慮したつもりの一通の手紙をしたためた。
 「お嬢さんは寂しくてストレスが溜まっているのではないのか。心を外に解放できるように、お嬢さんの興味のあることに何でもいいから打ち込ませてあげる等の配慮を要するのではないか、云々…」
 これが、とんでもなく余計なお節介だった様子だ。父親の逆鱗に触れてしまったようで、我が家はその後、その父娘の目の敵の存在となってしまう。

 中学生になった少女は多少落ち着いたかに見えたものの、やはり奇怪な行動は続き、集合住宅の玄関先で友人らと座り込んで雑談をしている姿を見かけるようになる。 そのうち異性にも興味を持つようになった様子で、早くも家に男の子を連れ込む姿も目にした。
 高校受験が近づくにつれ友人らは塾にでも通うのか、少女が単独で行動する姿を見かけることが多くなってきた。

 中学を卒業した少女は、どうやら高校には通っていないようだ。定職にも付いていない風で、昼間は在宅していることが多い様子だ。たまに見かけるその姿は、金髪に近い茶髪にお化粧をし、超ミニスカートといった派手ないでたちである。
 17歳(16歳?)になっている現在、少女が何を思って何をして生きているのかは不明である。一つだけ感じるのは、今尚我が家を目の敵にしているような嫌悪感が彼女から“グサリ”と伝わってくることである。(我が家にその少女と同世代の娘がいて、少女の目には、我が家が“一見”幸福そうに映るという背景もあるためかと、私は推察するのだが…)

 保護者が話し合いに応じてくれたなら、少女の心を救う手立てもあったはずだ。ピシャリと門戸を閉ざされてしまったのでは、周囲の一般市民はプライバシー保護や個人情報保護の観点からも手の差し伸べようがない。


 子どもは決して一人で育つことは出来ない。特に義務教育終了まではどうしても保護者の後ろ盾を必要とする。 
 母子家庭、父子家庭等「ひとり親」家庭において、2人きりでの暮らしを余儀なくされている家庭は現在急増中であろう。親から見てしっかり者の子どものように感じても、年端のいかない幼い子どもが一日のうちの何時間もを毎日一人で過ごさざるを得ないこととは、大人の想像を遥かに超えて過酷な実態であろう。そのような環境の中で、子どもの健全な精神が育つはずもない。
 
 このような場面で、現在の教育行政はその救いを“地域力”に期待しがちであるが、特に都会においては各家庭が孤立化し、“地域”という概念は形骸化して有名無実の存在と化しているのが現状である。  
 いつまでも実体の無い“地域”に周囲の子どもの成長を見守る責任を押し付けるのではなく、行政の責任において、「ひとり親」家庭をはじめとする親との接触が手薄な子供達のための、健全な育成のシステム作りに着手するべきであろう。
       
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運命に翻弄されたサクセス・ストーリー

2009年04月23日 | 芸術
 この映画はむしろ“お兄ちゃん”が主役の、悲劇の物語かと私は見た。

 今年の米アカデミー賞で、作品、監督賞等8部門を独占した映画「スラムドッグ$ミリオネア」の話である。
 昨秋インドを旅行した私は、同行させていただいた美術家氏のお誘いを受け、全編がインドで撮影された同映画を昨日鑑賞してきた。

 インドの深刻な貧富の格差の現状。それにもかかわらずフレンドリーで笑顔を絶やさないインドの中間層以上の人々や、物乞いに暇の無い子供達、道端に座り込んで日がな一日暮らす貧困層の人々を昨秋現地で垣間見てきた私は、あの懐かしい光景が映画で再現されて、インド旅行がフラッシュバックすることを楽しみにしていた。

 今回のアカデミー賞受賞作品はインドのそのような情景を描くと言うよりも、私の予想に反して作品としてのストーリー性が強いものだった。
 まだご覧になっていない方々のために、私観を交えながら以下にそのストーリーを大雑把に紹介してみよう。

 日本でもおなじみのテレビ番組「クイズ$ミリオネア」のインド版で快勝を続ける主人公ジャマールは、史上最高の賞金を目前に不正を疑われ逮捕される。スラム育ちで無学な青年になぜ難題が解けたのか。尋問を通じて彼の過酷な人生が明らかになっていく。

 子ども時代の宗教闘争により愛しい母親を殺され、街を焼かれた幼いジャマールと“お兄ちゃん”が2人で逃げ惑う時に、少女ラティカと知り合い3人で連れ添うことになる。 この時、空腹にあえぐ子供達にコーラを与える親切な大人が現れる。3人はその大人の住処へと向かうのだが、そこには大勢の子供達が匿われていて、食料を与えてもらっていた。
 喜んでそれを食べたまではよかったのだが、実は、この大人は身寄りの無い子どもを餌に物乞いをさせて稼いでいる悪党だったのだ。 
 (インドでは、子どもが物乞いをする時に、不幸であればある程多額のお金を恵んでもらえるため、五体満足な子どもの手足を切り落とす等の手段で故意に不具な体を作り上げる、という類の残酷な話を、昨秋のインド旅行に関連して私は既に見聞していた。)
 この悪党の家では、歌が上手な子の目に薬品を入れて失明させ、“盲の歌手”を作り上げて物乞いをさせる残酷な場面が描かれていた。 
 ジャマールの“お兄ちゃん”は、貧困の中で小さい頃から培ってきていたガキ大将の“ボス的気質”が悪党に気に入られ、子どもであるにもかかわらず悪党の手下として働かされる。 歌のうまいジャマールの目を潰して“盲の歌手”にするためにジャマールを呼ぶよう悪党から指示された“お兄ちゃん”は、隙を見てジャマールを連れて逃げる。 これを追いかけるラティカだが、ラティカのみが取り残されてしまう。後にラティカは“女”である事を稼ぎの源として、悪党に利用されることになる。
 ジャマール兄弟は、その後も“物乞い”と“盗み”を収入源として“たくましく”生き延びる。
 (インドの世界遺産「タージ・マハル」では土足禁止なのだが、観光客が脱いだその靴を盗んでは2人で売りさばいている場面が私には滑稽だった。さすがに現在ではこのような“盗み”を避けるために?、靴は脱がずにビニールで靴をカバーして入場したような記憶がある。)
 たくましく“稼いだ”2人はある程度貧困から脱出して、時は思春期になった。ジャマールはどうしてもラティカが忘れられない。そんなジャマールに「ラティカのことはもう忘れろ!」と釘を刺す“お兄ちゃん”だが、結局はジャマールと一緒にラティカを探す旅に出る。 悪党に「女」として利用されダンサーになって稼がされている美しく成長したラティカを2人は発見する。ところが、悪党に見つかってしまった2人はもう逃げ場がない。その時、“お兄ちゃん”が悪党を銃で撃ち殺す決断をする。
 ラティカを連れて逃げた3人だが、酒に酔いしれた“お兄ちゃん”は、幼き日に母親を殺した敵も撃とうとして更なる悪道へと入り込まざるを得なくなる。そんな自分の行動を露知らないジャマールに、「お前は消え失せろ!」と言い放った“お兄ちゃん”はラティカと共に部屋に入り込み、ドアを閉ざす。
 既にラティカに恋心を抱いていたジャマールは、気性が激しく女を欲している“お兄ちゃん”に対して嫌悪感を抱き、兄とラティカとの関係を想像しつつ、その後最愛のラティカを自分から奪った兄を恨み続ける人生を辿る。
             (中略)
 さらに年月が経過し、どうしても恋するラティカに是非見て欲しいがために、テレビの超人気番組の「クイズ・ミリオネア」に出場したジャマールだったのだが……
 (現在上映中の映画配給会社の知的財産権に配慮し、本ブログではこれ以上のストーリーの公開は避けます。)


 天性の頭の良さに自分自身が気付かずしてその恩恵を受けつつ歩む人生の中で、あくまでもラティカへの純愛を貫くがために兄を憎み続けるジャマール。
 対比的に、貧困の中にあって幼少の頃より持ち前のリーダーシップ力を活かし、貧困から脱出しようと積極的に目論みつつ、自らの野心を貫こうとして年齢を重ねる毎にどっぷりと悪道に染まり行く“お兄ちゃん”。
 この映画は、対照的な兄弟の2人を描いた物語であったと私は考察する。
 最後の最後まで弟のジャマールとその弟が愛するラティカを守り抜き、2人の幸せを願い続けた“お兄ちゃん”の思いが、物語のエンディングまで弟のジャマールに通じないまま映画は終焉する…


 この映画のヒロインのジャマールにとっては、愛し続けたラティカを最後にゲットできて、まさに“サクセス・ストーリー”だったのであろう。 
 だが、何となく、ジャマールの“お兄ちゃん”と私の生き様が重複する部分があるように私には思えてしまうのだ。
 そんな“お兄ちゃん”の方に感情移入してしまった私は、見終わった後にこの映画を心が痛む「悲劇」と捉えてしまうのである…。
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トマトのアイデンティティー

2009年04月21日 | 雑記
 つい先日発見したのだが、Googleの検索画面にキーワードの「エッセイ集」を入力すると、そのトップページにタレント等有名人のエッセイ集に混じって、本ブログ「原左都子エッセイ集」が検索できるのである。
 これには「原左都子エッセイ集」の著者である原左都子自身が驚くと同時に、大変光栄なことと一人で密かにほくそ笑んでいる。
 Azby Clubやgooの検索画面でも、同様に「エッセイ集」で我がブログがトップページで検索できる。
 Googleの場合、「エッセイ集」の検索結果総数が本日現在約755,000件であるのだが、その中で、著者である私がまったく気付かないうちに、我がブログがトップページの上から6番目に位置するまでの成長を遂げていることを発見し、感慨深い思いで自己満足に浸る私なのである。
 (ネット世界なんて明日は暗闇の、先が見えない不確実性の高い世界であることは重々承知しているんですけどね…)

 
 そのGoogleの「エッセイ集」の検索画面トップページに、「原田芳雄エッセイ集」も名を連ねている。(本日つい先程の検索では、「原左都子エッセイ集」の真下に位置しているのだが。)
 原田芳雄氏と言えば、一定年齢以上の方々は知らない人がいない程の、渋い個性が持ち味の大物俳優でいらっしゃる。その原田氏が「B級パラダイス」と題するエッセイ集を綴っておられるようだ。
 
 そのGoogle検索画面の「原田芳雄エッセイ集」を紹介した一節が大いにインパクトがあるのだ。
 以下に、その一節を紹介しよう。
 (原田芳雄エッセイ集 B級パラダイス 俺の昨日を少しだけ <ワニの選書>より) 僕が権力持ったら、いちばん最初にやることは、トマトの栽培を禁止することです。色がヤだしね。あの風情がいやですね。味もヤだし。でも、小さい時分食べていました…

 おいおい。ニヒルな大物俳優が、権力を持った場合にいちばん最初に思いつくのがトマトの栽培を禁止する事などと血迷った事を言ってないで、権力者として他に思いつくべき事があるだろ!
 などと笑いつつ、意表を付かれるユニークな原田氏の発想についつい唸った私である。どういう訳かこの文章は何とも興味深く私に迫ってくる。(エッセイ集の本文も読まずしての論評を、何卒お許し下さいますように。)


 このトマトの栽培を禁止したい原田芳雄氏の気持ちが、何だか私も少し分かる気がする。

 世にありふれたオーソドックスな食べ物の中に、この私にも嫌いなものが沢山あるのだ。今思いつくところでは、例えば私は“リンゴ”が嫌いだ。見た目は可愛いリンゴであるが、あの酸っぱさと、私に言わせてもらえば中途半端な歯ごたえの食感を、私は小さい頃からどうしても受け付けられないでいる。切った後すぐに茶色く変色してしまう汚らしさも好まない。 “じゃがいも”も子どもの頃は苦手だった。食べていると喉に詰まって窒息しそうな気がするのだ。今現在は多少クリアできているが、気をつけて食べないとやはり窒息しそうだ。 それから、“蒸しパン”が私は嫌いだ。やはりあの食感がいただけない。それにどういう訳か蒸しパンとは他のパンに比して味が絶対的にまずい。 さらには、“いちごショート”のようにケーキの中に生の果物を混ぜ込んだケーキ類の存在も、私には理解し難い。果汁がケーキのスポンジに滲み出てせっかくのスポンジの食感と味を崩してしまい、私に言わせてもらうと、あれは“食べ物とは言わない”。

 それらのすべては、単なる個人の嗜好の問題に過ぎないことは重々承知の上ではある。だが、嫌いな立場の人間からすると、なぜこんなまずい食べ物が生産されて世に蔓延っているのか、原田氏のごとく“栽培”を禁止しよう、と言いたくなる気持ちは多少理解できる。

 原田氏のおっしゃる“トマト”に関しても、私も同様に苦手である。
 ところが、私の姉が小さい頃からこのトマトが大好物で、丸ごとムシャムシャと食べているのを私は側でよく見ている。姉に言わせれば、あの独特の味と食感がたまらない、とのことであった。さらには、我が姉のトマトを最高に美味しく味わうための秘訣は、生の丸ごとのトマトに“塩”ならぬ“味の素”を振り掛けて食することだそうで、それをいつも実行していた子ども時代の姉であった。

 トマトは弁当作りには欠かせない素材である。原田氏が“ヤだ”とおっしゃる色が、私にはとっては赤くて美しいため、私は娘のお弁当にプチトマトを多用している。その我が娘もトマトは基本的に嫌いだそうだが、見た目の体裁のために入れることを娘に承諾してもらい、「食べなくていいからね」と娘に伝える呆れた母親である。(ところが、必ず食べてきてくれる母よりも“お利口”な我が娘である。)


 今回は「原左都子エッセイ集」の“雑記”カテゴリーとして綴った記事であり、何らかの私論の結論を導くことを目的としたものではない。

 その上で、今回たまたま私がネットの検索画面に目を通したことにより、タレント等の有名人(のゴーストライター??)が有名であることに甘んじつつ綴っているエッセイの中にも、他者に訴える何らかの力がある場合もあるのかもしれないということを、検索画面の片隅から認識させていただいたという話なのである。
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運と不運の分かれ道

2009年04月19日 | 自己実現
 朝日新聞別刷「be」土曜日版において、この4月より“悩みのるつぼ”と題する読者の相談に回答者が答えるコーナーが新設されている。

 本ブログの読者の皆様は既にご存知の通り、私はこの種の相談コーナーを以前より好んでいる。 相談者ではなく回答者側の立場で、私ならば如何なる回答を導びこうかと、私なりのバックグラウンドに基づいてあれやこれやと思考することを好むためである。


 さて、今回の“悩みのるつぼ”は、就職活動真っ盛りの大学4年生からの「運、不運で人生が決まるの?」との表題の相談に、作家の車谷長吉氏が回答したものであった。
 折りしも、この春に高校へ進学した我が子の進路の後押しに早くも着手し、今の社会に対し閉塞感を抱かざるを得ない私(事の詳細は前記事「閉塞感からの脱出」をご参照下さい)は、今回のこの相談のやり取りを興味深く読んだ。

 早速、大学生の相談内容を以下に要約して紹介してみよう。
 就職活動真っ盛りの大学4年生であるが、まだ内定をもらっていない。焦ると同時に最近どうしても納得できないことがある。
 それは運と不運である。就職活動を通じて、人の人生がなぜこれほどまでに運、不運に左右されるのかを実感している。個人の運、不運ならまだ実力のうちと納得できても、生まれた時代や環境によって、同じ能力の人間の就職先(就職できないことも含めて)に差が出ることに涙が出るほどである。父もオイルショックの影響をもろに受け、東京では就職が出来ず故郷に戻っての就職で、ついていない世代だった。私たちも、「悪い時代に生まれた」と納得するしかないのだろうか。

 続いて、この相談に対する作家・車谷氏の回答を抜粋要約して紹介する。
 私は遺伝的蓄膿症のため、物心ついた時から鼻で呼吸することができない。口で息をして生きているが、苦しいことだ。手術により盲になる危険性を避け、自分の考えで作家になった。
 世には運・不運がある。それは人間世界が始まった時からのことだ。不運な人は不運なりに生きていけばよい。私はそう覚悟して、不運を生きてきた。自分の不運を嘆いたことは一度もない。嘆くというのは虫のいい考えだ。考えが甘い。覚悟がない。この世の苦みを知ったところから真の人生は始まる。真の人生を知らずに生を終えてしまう人は醜い。己の不幸を知った人だけが、美しく生きている。
 私は、己の幸運の上にふんぞり返って生きている人をたくさん知っている。そういう人を羨ましいと思ったことは一度もない。己れの不運を知ることはありがたいことである。


 それでは、私論に入ろう。

 私自身も若かりし頃に、人間には個人の能力や努力等にかかわり無く、運・不運が存在するような感覚を抱いたことがある。 今思えば、まだまだ人生経験が浅く我が未熟な時代の話である。
 例えば、高校時代の大学進学に関して、(あの子は上京して私立の女子大へ入って“チャラチャラ”できるのに、なぜ私の親はそれを認めてくれないのだろう。なんで私は貧乏たらしく地元の国立理系を目指して地味な勉強を強要されるのだろう、とんでもなく不運だ。)と本気で感じたものだ。

 ところが今となってみれば、それは決して“不運”という概念に属するほどの大袈裟な事象ではなく、取るに足りない青春の1ページの一情景にしか過ぎない事に気付くのである。

 相談者の大学生はお父上の思考の影響を大いに受けていると、相談内容を読んだ私は推察する。恐らくお父上自身がオイルショックの影響で東京での就職が叶わなかった「無念」な話を、息子である相談者に語り継いでいるのであろう。そして、“悪い時代”に生まれたお前も自分同様に“不運”であると、息子に吹聴しているのではなかろうか。


 一方、車谷氏の回答内容にはご苦労を背負われたご自身の人生経験に基づいた説得力が大いにあるのだが、私の見解と大きく異なる部分がある。 
 それは、「世に運・不運がある」とされる根本的な思想においてである。

 実は、私論は「世には運・不運はない」と長年生きてきた現在、捉えるのだ。
 もしも、世に運・不運が存在するとするならば、それは生まれながらにアプリオリに与えられたものでは決してなく、自分自身が後天的に創り出した産物にしか過ぎないのではなかろうか。要するに「運・不運」とは、自分が後天的に培った総合的な実力により左右されると私は考えるのである。

 相談者の大学生が訴える通り、今現在は世界的経済危機のあおりで、就職活動に励んでも志望する就職先からの内定を取ることは至難の業の実態であろう。 長年生きてきているこの私とて、我が娘の近い将来の社会進出を既に懸念し始め、閉塞感にさいなまれる現状である。
 だが私の場合、この現状が「不運」であるという発想には及ばない。ましてや、我が子に向かって「あなたは不運な時代に生まれて残念だったね。」などとは、親としては口が裂けても伝えようとも思わない。

 どのような時代にあっても、如何なる社会情勢の下でも、運とは自分で切り開いていくものとの思想の下に、私自身も、また我が子に対しても今後共弛まぬ努力を促していきたいと考えている。


 「運・不運」の概念の背景には、必ずや“他者との比較”というスタンスがあると私は捉える。自分自身の客観視のためには、それも時には意味を成すであろう。
 だが、自分の人生を切り開いていくのは、如何なる時代も如何なる境遇の下でもやはり自分自身の努力と実力なのではなかろうか。
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