原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

認知症義母との“珈琲タイム”より“一人酒”を楽しむ女でありたい

2019年05月31日 | 医学・医療・介護
 (写真は、昨日原左都子が“一人酒”を楽しんだ回転寿司屋にて撮影した一風景。)


 昨日は、定例の義母の耳鼻科付き添い日だった。
 
 いつもそうだが、この日は朝から憂鬱な気分に襲われる。
 ただこの生業をこなさずして、我が保証人としての生きる道は無い。


 昨日の東京は一時ほどの猛暑ではないものの、風が強く外に出るとやはり暑い。 そんな天候が我が憂鬱に追い打ちをかける…。

 義母が暮らす高齢者施設へは、地下鉄駅を下車した後にタクシーを利用するのだが。
 タクシーに乗車すると、タクシー内にクーラーがかかっておらず暑い! ただ運転手氏の立場になると、おそらくクーラーかけっぱなしでは底冷えがするのだろう。 ここでハンカチを出して汗を拭くのも厭味ったらしいかと配慮し、その暑さを我慢したまま施設に到着する。

 施設の義母の部屋へ入ると、どうしたことか! これまた外よりも暑いではないか!!
 いつもの事なのだが、エアコン取り扱いを心得ない義母が、デタラメ設定にてエアコン操作している事が判明したものの。
 この現象はエアコンのみならず、他の家電やポット、時計等々も同じである事実は義母に関する本エッセイ集・バックナンバー内でも記載済だ。 (それを義母がすべて“故障”と騒ぎ立て、我々保証人は幾度もの買い替えを余儀なくされている… )
 昨日のエアコンも、何と「暖房」!!に設定されていた。 それに本人が気が付かない程に認知力が麻痺状態との悲しい事実だ…

 とにかくすぐに耳鼻科へ出かけねばならないため、エアコンを切ろうとすると。
 義母が「〇子さんは珈琲はどう?」と、声を掛けて来る。

 これもいつもの決まり文句だ。
 義母の施設内女性友人が、同じ耳鼻科へ行った後に必ずや付添いの娘さんと近くにある“コメダ珈琲店”へ立ち寄り、母娘の団欒をしているのが羨ましくて仕方のない義母であることを承知している。
 自分もそれをやりたくて(と言うよりも、それを嫁である私とした事実を施設内で自慢したいのが本音だろう。「今日はね、耳鼻科の帰りに嫁と珈琲店へ寄って、色々楽しくお話したのよ。」 てな具合にね… )
 義母の気持ちも重々分かるが、やはり実の娘と嫁とを一緒くたにされても… との思いが私側にあるのも本音だ。 同じく母に認知症があれども、実の娘の立場ならば喧嘩をしつつも母親とのある程度本音の会話が成り立つことだろう。 ところがこれが一旦嫁の立場となると。
 そうはいかないよ。 嫁の私側が100%義母に配慮する“究極ストレスが溜まる珈琲タイム”になることなど見え透いている。 悲しい事に、そんな嫁である私の苦悩の程が一切想像出来なくなっている義母でもある。
 いえいえ晩婚当初は、義母からプレゼントされた超高層タワー物件マンション新居入居前の半年間、義母経営の都心アパートにタダで入居させてもらっていたのだが。  その当時、義母の希望に従い、私の仕事休暇日に珈琲タイムによく付き合ったものだ。 会話内容がフィフティー・フィフティーとは言えないものの、まあ客観力ある嫁の私が少し遠慮目に振る舞えば、義母との結構楽しいひとときを過ごせたものだ。
 それが、認知症に苛まれた今と成り果てては…… 

 
 さて、昨日の耳鼻科受診は義母の補聴器点検のみだったのだが。

 義母の補聴器担当である“ギリシャ彫刻張りイケメン氏”(我がエッセイ集継続読者の皆様はご存知と想像するが)は残念ながら昨日都合がつかないとの事で、代替者である、これまた何とも外見の可愛らしさのみならず顧客対応の優れた若手女性が担当して下さった。
 いや、一体どうしたの? と思う程に、この補聴器会社は社員に恵まれているようだ。 おそらく経営者の方針がそういう事なのだろう。 要するに、補聴器と言えばその使用者のほとんどが高齢者か、あるいは身体的弱者の立場の方々だろう。 そんな社会的弱者顧客相手に営業を行うに際して、顧客に失礼無きレベルの教育が徹底しているものと私は判断する。

 難なく耳鼻科受診を終えた帰り道。
 義母が再び私に問う。 「〇子さん、珈琲はどう?」
 いやいや、義母には実に申し訳ないが、その後施設へ義母を送り返した後のケアマネ氏との懇談も控えている。
 それを義母に告げると義母が応えて、「ああそうね、それは〇子さんがしてくれないとね」と素直だ。

 ただ、義母の嫁である私との「珈琲タイム」の夢は今後永遠に続く事だろう。
 近い時期にいつかはその義母の“夢”を「コメダ珈琲店」にて叶えてあげたいとも思いつつ…
 今後益々の義母認知症状悪化と並行して、それよりも優先されるのがケアマネ氏との懇談ではなかろううかとも想像しつつ、それを実行し…


 義母が暮らす高齢者施設を去った後、真っ先に立ち寄ったのが冒頭写真の「回転寿司屋」だ。
 
 実は昨日は別の食事処にて料理も堪能しつつの“ひとり酒”を堪能せんと志していた。

 そんな我が心を誘(いざな)ったのは、いつも“ひとり酒”を悠々と楽しませてくれるこの店舗だった。
 心底疲れた時に我が心を癒してくれるのは、ここ、と思い定め。 
 昨夜も、この店舗へ立ち寄った私だ…… 
  

公園でランニング中の我が姿を偶然見た亭主に褒められた!?

2019年05月29日 | 自己実現
 (写真は、一昨年開催されたロードレース大会にてスタート地点の映像をプロカメラマンが撮影したもの。 中央黄色Tシャツが私。 転載禁止写真を何とかボカしたため、不明瞭な点お詫びします。)


 5月終盤になり季節外れの猛暑続きだった日本列島だが、昨日になってある程度気温が落ち着いた。

 週末ランニング練習に出かけたかったのだが、あの猛暑の中老体の私がその行為を決行するのは“自殺行為”だ。
 気温が落ち着くのを待ち望んでいたところ、昨日やっとランニング日和になった。


 ここ10年来、自宅近くの陸上競技場や野球場がある大規模公園にてランニング練習に励んでいる私だが。 
 半年程前より、その公園内ランニングコースを変更した。
 以前のコースは、陸上競技場の外周を周回するコースだった。 距離測定がし易い(私の場合は、いつも5kmを完走しているが。)等々のメリットはあるものの、様々な問題点を抱えていた。
 例えば同じコースをぐるぐる回るのは、公園内で知り合った顔見知りの人に声かけしてもらえる等のメリットがある反面、どうしても風景面で飽きが来るものだ。
 加えて道幅が狭い場所が多く、例えば犬の散歩等を集団にて実施しているグループと出会うと、こちらがスピードを落として道を譲らねばならいとの弊害もあった。

 昨年冬頃、この大規模公園内にて距離を測定可能な新たなコースを発見した!
 途中、一般道に出ねばならない等のデメリットがあるものの。 試走してみるに当該一般道がほとんど交通量も無く(と言うよりも違法駐車場と化し、運転手の昼寝場所とも言えそうだが。) 道中イチョウ並木があったりと全般的な風景も良好で比較的快適だ。
 一周1530mのコースのようで、市民ランナーが少なからずランニング練習をしているものの、道路幅が広い事に助けられ接触の危険も無い。 加えて犬散歩集団をこのコースで見かける事も少なく、途中でスピードダウンする必要もなさそうだ。

 と言う訳で、ここ半年程はこの大規模公園内にての“1530mコースを3周 + 400m” の ランニング練習を快適にこなしている。


 さて、昨日に話題を戻そう。

 雨が降りそうなものの、一昨日までの猛暑を思い起こすに実に快適なランニング日和だ!
 “50の手習い”(とは言えども一人勝手に走っているだけだが。)にてランニングを始めて以降10年が経過している私にとって、こんな幸運は無い。
 練習コースは素晴らしいし、天候(曇天こそが日焼けをせずに済むし、ランニングには最高!の天候なのだが)にも恵まれ、快くランニングに励んだものだ。


 それを終え買い物も済ませて帰宅すると、亭主が先に帰っている。
 
 その亭主が、帰宅直後の私を掴まえて曰く。
 「さっき、〇子(私の事)が公園でランニング練習をしているのを偶然見かけたよ。」
 驚いた私が尋ねて、「えーーーーー!! 一体公園の何処で見たのよ!??」
(と言うのも、“外見スタイルだけは様になっている”自覚は確かにあるものの、実際のところ“ヘボランナー”である事を重々自覚している故に、身内を始め知人には我がランニング姿を見られたくないのが本音だ…… )
 それ故、私が素人ランニング大会に出場する時にも家族には見に来ないよう指導している。(いや、それをせずとも、我が家族は元々我が“雄姿”?? など見ようとも思っていない事と私は理解している。)

 亭主が続けて。
 「自分が思っていた以上に、〇子(私の事)のランニング姿は様になっているし、速いスピードで走れているじゃないか! もっと遅いのかと想像していたが市民ランナーとして何も見劣りはしないよ。 これからも益々練習を頑張ればいいね。 毎日走ったっていいんじゃないの?」

 (いや、ちょっと待ってくれよ。 私にとって亭主に褒められるのはこれが人生2度目くらいの話だ。 その一度は過去に於ける娘に対する教育指導力だった記憶があるものの…。 実際問題、亭主が私本人を褒めたのは後にも先にもこれが初めてではなかろうか??)
 等々との考えが脳裏を彷徨いつつ…

 やはり、「百聞は一見にしかず」なのかもしれない。 
 そうであるならば、我がランニング大会出場時にも亭主を招待すればよいのか?、との思いも抱かされる。
 ただ、それは“我が夫婦の掟”として趣旨が異なる気もする。

 何分、2本前のエッセイにて公開した2007夏実施の「エジプト・ギリシャ家族旅行」以降、我が家は一切合切の“家族3者行動”を終焉して現在に至っている。 これぞ、我が家が末永く上手く機能する方策と私は理解してもいる。

 まあそれにしても、亭主が我がランニング“雄姿”を昨日偶然見かけたとの事実が影響力を及ぼし、今後の亭主の自主行動を触発出来たとの自信はある。

 と言うのも、昨日、そして本日も亭主が“自主的に”ランニングに出かけたのよ。 (何分“三日坊主”の亭主故に、明日以降の事は私も責任が持てんが……)
 

専門力を身に付けてから上京しても少しも遅くない

2019年05月27日 | 時事論評
 少し前の話になるが。

 2019.05.22付朝日新聞朝刊「耕論」のテーマが「東京の大学めざすな?」だった。


 私がサリバンを担当している一人娘が無事大学を卒業し、社会人となって早くも4年目の春を迎えている立場にして。 
 現在の「大学」の制度や「大学」が置かれている現況に関して、興味が薄れているのが実情だ。
 
 そんな我が目に留まったのが、上記朝日新聞の「東京の大学を目指すな?」だった。

 一体どうしたと言うんだ?? と思いつつ記事の冒頭のみ読んでみるに。
 どうやら、東京23区の大学定員を抑制する法律が施行されたらしい。 一極集中化対策として地方の若者の東京流入を抑える狙いであるようだ。 ただ、「東京の大学へ来るな」という不公平なメッセージにならないかとの懸念も存在する、とも記載されている。

 更に記事を読み進めるに… 
 その背景に、“東京の大学入学・卒業 → 大企業入社 → 明るい未来”  との図式が大前提として存在する事実を私は嗅ぎ付けた。


 早速私事及び私見に入ろう。

 これ、要するに「文系」学生に特有の現象ではなかろうか??

 私が卒業した「医学部」など、世間では“偏差値が高い職業訓練校”と揶揄されているその文言が物語る通り…。 実際卒業後は都会であれ田舎であれ新卒就業が保障されているのに加えて、本人にその意思があれば定年まで(あるいはそれを通り過ぎても)その専門を活かせる分野である。
 
 その“就職有利性”をまんまと利用した我が政策とは。
 郷里過疎地医学部卒業直後に上京し、医学専門(パラメディカル分野)職員として東京本社の民間医学関連企業(東証一部上場企業だが)への就業との道を選んだ。
 その後医学専門職の恩恵に十分与り、私なりに大都会にて今後に渡り生き抜くべく資産も拡大しつつ、この東京こそが我が“活躍の場”!と確信し、別分野へも活躍フィールドを拡大しながら“東京人”としての人生を歩み続けている。
 この大都会東京にこそ我が骨を埋める予定でもある。

 時代を遡れば、私が過疎地の高校生だった1970年代初頭頃より、東京の大学を目指す若者は少なからず存在した。 何分専門分野がまったく異なるとの理由が大きいが、それら面々が現在一体如何なる人生を歩んでおられるのかを知るすべも無い。
 たまに(まさに“たま”だが)出席する同窓会等にて一部の同窓生の現況に触れるに。 (特に女性陣は)東京の大学卒業後早い時期に婚姻に至り、主婦としての人生を歩んでおられる様子だ。 正直申し上げて上京後の生き様が大幅に異なるが故に、今更懇親にしたいとの私からの希望は一切無い…


 今回の朝日新聞記事に、3名の“有識者”らしき人物が朝日新聞の取材に応えているようだが。

 そのうち2名の記述は要するに現在の「文系」がおかれている苦悩中心の記述かと思われ、原左都子にとって興味が無いと言うよりも、我が人生と交錯する部分が少ないのが残念だ。

 そんな中、歴史学者 藤田覚氏が記載されている 「江戸時代に失敗した政策」と題する文面のごく一部を以下に要約して紹介しよう。

 江戸の人口増加の原因は、地方農民が出稼ぎなどで江戸へ流入した結果だ。 なぜ農村を捨て江戸をめざすのかと言えば「食うため」である。 農村を支配する幕末代官の言いなりで「江戸へ行けば何とかなる」と村で考えられ、実際に「何とかなった」のだ。
 奉公を積み主人にのれん分けされるのはごくまれな例だが、食うや食わずの農村に比べ、江戸には様々な仕事があり農民を受け入れる余地があった。 その後、水野忠邦により出された「人返しの法」も政策として出されたが…
 地方の実情を考慮せずして江戸の人口抑制に取り組んでも成果は上がらない。 結果的に「人返しの法」は効果がなかった。 疲弊する地方への支援策に取り組まずに、地方から都市へ来る人間の数を抑制したり、強制的に地方へ戻したりする政策がうまくいくことはない。
 歴史は、そう教えている。
  
 (以上、朝日新聞記事より歴史学者 藤田覚氏の記述の一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。
 
 まさに最後に紹介した歴史学者 藤田覚氏のおっしゃる通りではなかろうか。
 
 再度我が家に話を絞れば、既に娘も大学を卒業し一応大都会の企業に勤務する一社会人として活躍してくれているし。
 サリバンの私とて、40年程前に医学部卒業直後に上京を決断した事実、そしてこの大都会東京こそが我が自己実現の夢を一生に渡り叶えてくれる大舞台と、今尚感謝している身だし。  


 これ、またもや安倍政権の“悪あがき”としか捉えられない現実だ。
 こんな安易な法律施行をしたとて一極集中化対策になどなり得ない事実を、どうして“かの”安倍政権は政権終盤期に際して未だに分からないのか!

 実に腹立たしいのと同時に。

 世の“若手有識者”らしき人物達の論評力の乏しさ(と言うよりも人生経験の浅さ?)に、正直言って落胆させられた朝日新聞記事でもあった。 
 

季節外れの猛暑日が続くこんな日に我が脳裏に巡る光景

2019年05月26日 | 雑記
 (写真は、2007年夏に家族3人で出かけたエジプト・ギザのピラミッド付近で撮影したラクダの写真。 参考だが、当「原左都子エッセイ集」は2007.09 開設のため、エジプト・ギリシャ旅行に関しては本格的に旅行記として綴り公開していない。 今後、機会があれば公開したいものだ。)


 日本全国の皆様、猛暑お見舞い申し上げます。 
 特に本日は北海道佐呂間町にて5月としては国内最高の39,5℃を記録したとの事、くれぐれも熱中症予防に励まれますように。

 この季節外れの猛暑も3日目ともなると、多少身体が暑さに慣れてきたようだが。
 実はこの私も一昨日の金曜日には「熱中症」ではないか? との自己診断を下さざるを得ないような体調不良に悩まされた。 それでも水分補給と適度な休養を重ねるうちに何とか持ち直し、その後厳しい暑さに身体が順応している様子だ。


 そんな中この猛暑が我が脳裏に、2007年夏に家族で出かけた「エジプト・ギリシャ・(地中海クルーズ)旅行」を思い起こされせてくれた。

 何と言っても、我が人生に於ける最高の「猛暑経験」とは、この「エジプト・ギリシャ・(地中海クルーズ)旅行」をおいて他に無いであろう。 
 (何故、地中海クルーズがカッコ付になっているかに関して解説するならば。 あまりの厳し過ぎる猛暑、及び食べ物が口に合わない等々の理由で、当時12歳と若輩だった娘が“下痢”と当時の持病39℃を超過する“不明熱”に襲われてしまったのだ!  やむを得ずギリシャのホテルにて2日間安静にさせる措置を取ったため、地中海クルーズは一家で権利放棄措置を取り、行きそびれてしまった… ) 

 とにもかくにも、エジプトもギリシャも想像を絶する猛暑だった。(気温にすると、連日40度を超えていたのではあるまいか??) 我が娘のみならず、高齢者の中にも体調不良を引き起こす旅行者が発生した様子だった。 この私とて帰国後は体重が3kg減少、とのダメージを受けたものだ。

 ただ概して旅行とはそれを実行している最中は厳しい環境下にあれども、後で思い起こすにすべての光景や映像が実に感慨深いものだ。 それが病みつきになり、旅行好き人種は旅行を繰り返すのだろう。


 冒頭写真にてエジプト現地のラクダを紹介したため、このラクダに関して説明を加えておこう。
 これらラクダはギザのピラミッド観光客を狙い、“乗馬”ならぬ“乗ラクダ”目的で現地のラクダ使い氏達が飼育しているようだ。
 娘は怖がって“乗ラクダ”しなかったのだが、私と亭主は果敢にもそれに乗った!
 これが想像以上にラクダの背中が高いのだ!! 写真をご覧頂いてもお分かりの通り、おそらく地上3メートルの高さだ。 命綱も何もない状態で、これに乗らねばならない。
 乗る時にはラクダが前足を下して座ってくれるのだが、立ち上がる際には一気だ! 地上に振り落とされてしまったものならば、頭を強打して日本への帰国がままならないことも十分に想像が付く。 どれ程力づくでラクダのコブにしがみついたものか!
 結果としては、奇跡的に振り落とされることなく生還が叶ったものの… 

 我が国日本とは異なり、特に(先進国ではない)海外旅行先とは観光客の安全面をまったく度外視している観光地が存在する事実を初めて体験したものだ。
  
 そのほぼ1年後に、私は知人美術家女性の恩恵でインド個人旅行へも出かける機会を得た。(参考だが、このインド旅行は10月実施だったため、季節的に最高に心地よい時期だった。)
 その際に今度はゾウに乗ったのだが、ここではエジプトよりも安全面では配慮があったのに助けられた。 ゾウの上にちゃんと身を委ねられるロープが張られていたのに、どれ程安堵したことか。
 ところが別の関門が我々に襲い掛かるではないか! ゾウ使い男性が始終我々の方を振り返りつつ、英語にて「チップ出せ!」「チップ出せ!」の脅迫連呼なのだ! (おそらくインド旅行にて同じくゾウに乗った方々はご経験されているだろうが… )
 そのチップを渡さずして、我々はゾウから降ろしてもらえない程のプレッシャーがゾウライディング中ずっと続いたものだ。 (さっさとチップを渡しておけばよかったのだが、案内係よりの「チップを渡すと癖になるから絶対に渡すな!」との指導が前もってあったのだ… )
 いえいえチップなど安価なものだが、とにもかくにも、せっかくのゾウライディングこそをゆったりと楽しませてもらいたかったのが本音だ。
 
 ただこれとて、後で振り返ると貴重な我が旅の思い出の1ページである。


 最後に、今回のまとまりのない我がエッセイを振り返らせて頂くならば。

 連日の猛暑が我が脳裏にもたらしたのは…

 エジプトでのラクダの思い出と、インドでのゾウの思い出だったと言う訳だ。

 いやいや、いいじゃないですか! こんな思い出は季節外れの猛暑にでも接しない限り振り返る事の無い、我が過去の旅がもたらしてくれた貴重な光景に他ならないだろう。
 
 本日は、読者の皆様には我がくだらないエッセイにお付き合い下さいました事をお詫び申し上げると同時に、感謝申し上げます! 
 

高齢の母が娘に感謝や謝罪の言葉を発する可能性は低い

2019年05月25日 | 人間関係
 冒頭より、先週末に起った我が郷里の実母との「事件」に関して、2019.05.19 付バックナンバーエッセイ「郷里の高齢者施設に暮らす実母からの驚愕訴えに唖然!」の一部を、以下に再掲載させていただこう。


 昨夜の事だった。 郷里の高齢者自立支援施設に暮らす実母より、珍しく夜7時過ぎに電話が入った。 こちらはちょうど夕食中で酒も入っている。
 (こんな時間に鬱陶しいなあ…)と思いつつ電話口に出るなり…  「大変な事になった! 助けて欲しい!」と実母が叫ぶ。 
 一体何が起きたのかと思いきや…  実母が切羽詰まりつつ早口で続けるに、「米国の姉が(事実婚中の4度目の米国人亭主と一緒に)この施設へ私に会いに来たいと言って来た。 始めは私に米国へ来るように言われたが、とてもじゃないがこの高齢では無理だ。 それを姉に訴えると、それならば姉達がここに来ると言う。 それだけは絶対にやめて欲しい! (4度目のご亭主はともかく)あんな恥晒しの長女にここに来られたものならば施設中の笑い者だ! あの娘に来られるならば、私の方が思い切って米国へ行こうと思うがどうか?!?」
 ( 途中、我が一家が抱えている米国在住の姉とのトラブルや現状に関し記載した部分を割愛させていただくが。 )
 冒頭の実母からの電話の続きに戻ろう。 
 私応えて、「貴方がその高齢身体で米国へ行くには付添人が2人必要だ。 要するに単独渡米など絶対に無理!! せっかく姉夫婦が貴方に会いに来ると言っているならば、来てもらえばいいんじゃないの?」
 実母応えて、「頭が痛い問題だ…、あの姉から現在の写真が届いたりするが、とんでもなく老け込んで見るに忍びないし。 元々の異常性格に加えて、今となってはあのみすぼらしい風貌でここに来られても私の立場が……、どーのこーの……」
 私が内心で思って、(それにしても身勝手な実母だ。 おそらく施設内では、日々米国在住の姉自慢で花を咲かせているのだろう。 そりゃそうだと思うよ。 下の娘はたかが東京暮らし、それに比し長女は米国在住と言っただけで過疎地の年寄り達は驚き賞賛してくれる事だろう。 しかも、おそらく実母は姉が若き頃ミスインターナショナル県代表に選出された事実も自慢しているに違いない。 その後英語力を活かし、米国日本総領事館にて仕事をしている事実も自慢の種にしていると想像する。 ところが、いざ本人が来るとなった暁に! 姉のみすぼらしい実態をやっと思い浮かんだに違いない。 あんな娘に来られ本性を晒されたものでは、私の立場がすべて否定されてしまう! と、とことん焦った挙句、私に電話を寄越したのだろう。)
 それでも私は、昨夜の電話では「せっかく来ると言う姉の意向もくんでやったら」と締めくくると、実母は、「明日、もう一度米国の姉に電話をかけて相談してみる…」と何だかとても辛そうに言って電話を切った。
 本日朝になり、少し考えを変えた私から再度実母にメールを入れた。
 その内容とは、「姉の件だが、姉が貴方の施設へ来るのがどうしても嫌ならば、正直にその旨を伝えたらどうか? 私が想像するに、実際姉が日本の貴方の施設へ来て直接貴方に会うと、大喧嘩になりそうな予感がする。(これには前例がある。 姉が子どもを産んだ時に実母が米国へ行った際、両人が日々大喧嘩を繰り返しつつ、両人それぞれが日本の私宛に電話を掛けて来ては、アイツが悪い! いやアイツが悪い!の愚痴の言い合いだったものだ…。 そんな事を今更繰り返すならば… ) 高齢域の貴方の寿命こそが縮まる事を懸念する。」とメールに書いたのだが… 
 その後、実母からの連絡は途絶えている。(少し、その精神状態の程が気にかかる…。) 
 当然ながら、既に縁を切っている米国の姉からの連絡は一切無い。(これには心底安堵しているのだが…。) 

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を再掲載したもの。)

 
 と、ここまで書いたところで、地震だ! 
 早速テレビを付けて地震速報を確認すると、私が住む東京23区は“震度4”との速報!
 津波の心配は無しとの報道で一安心。 


 気持ちを入れ替え、エッセイ執筆に戻ろう。 

 その後一週間経過したが、実母からの連絡は一切無い。 これを「吉」と読むか「凶」と読むかの判断が出来ずにいるのだが…
 ただそもそもこの事件、あくまでも実母と米国の姉との二者関係間の問題だ。 私が口を挟む必要もお節介を焼かねばならない責任も無いだろう。 その我が結論に基づき、引き続き放置することとしている。


 さて、本日2019.05.25付朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談は、50代女性による「母と音信不通のままでいい?」だった。
 
 回答者であられる社会学者 上野千鶴子氏のご回答のみを要約して以下に紹介しよう。

 熟年離婚した母を支え続けてきた相談者女性。 その母と音信不通だというが、それは母側が選んだことのようだ。 結果として貴女の妹の元へ去った母であり、貴女には遺産が残らない代わりに、介護の負担もかからない。 そのままそっとしておいては如何か。
 「本当にこれでいいのか?」と自問する貴女の気持ちを腑分けするに、「娘としての義務」「母への愛情」「母から感謝や謝罪が欲しい?」「母が妹を選んだことに対する嫉妬心?」…
 世に愛し合えない親子など沢山いる。 貴方の高齢の母が貴方にありがとうやごめんなさいを言う「奇跡」」が起きる確率は低そうだ。 貴女にとって母が負担であった事実は文面からも読み取れる。 このまま母から静かに忘れ去られることが貴女にとって平穏、と推測する。
 今後会うか会わないかはお互いの選択。 もしもあなたが次に母に会うのが「死に顔」だったとしたら。 それが母の選択だったと、肩から“母という名の重荷”を下してやりましょう。
 (以上、上野千鶴子氏による回答の一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 我が母娘関係に於いては、本エッセイ集バックナンバーに於いて幾度となく記載している通り。
 
 私側の感覚としては、20代前半期に単身上京して自立した時点で“郷里も親も捨て去った”気持ちに揺るぎが無い。
 実際問題、上京後は実親どもより一切合切の経済支援を受けず、心理面での支援も最小限にとどめつつ、私は独立心旺盛にこの世を堪能して来ている身だ。

 表題に掲げた通り、実母に対し(参考だが実父は60代の若さで突然死を遂げている)何の感謝も謝罪も要求せずして、一方的にあちらから押し寄せる次女である私に対する要望や相談には快く乗っている立場でもある。
 表向きの「感謝」や「謝罪」を聞かされるよりも、実母として現在の施設にての余生を楽しんでくれる方がよほど嬉しいのが現実だ。
 実際、今回の電話相談に際しても、(何でこの事件に無関係の次女の私に電話を寄越すの??)の思いが正直なところだった。
 我が実母に関する「相続問題」は既に解決済のため、上記朝日新聞相談のような苦悩が一切無い事に助けられる思いもするが…

 それにしても、殊 「母」と「娘」に関する人間模様とは、一生に於いて“鬱陶しい”事実を実感させられるのは、この原左都子とて例外ではない……。