(写真は、昨日原左都子が“一人酒”を楽しんだ回転寿司屋にて撮影した一風景。)
昨日は、定例の義母の耳鼻科付き添い日だった。
いつもそうだが、この日は朝から憂鬱な気分に襲われる。
ただこの生業をこなさずして、我が保証人としての生きる道は無い。
昨日の東京は一時ほどの猛暑ではないものの、風が強く外に出るとやはり暑い。 そんな天候が我が憂鬱に追い打ちをかける…。
義母が暮らす高齢者施設へは、地下鉄駅を下車した後にタクシーを利用するのだが。
タクシーに乗車すると、タクシー内にクーラーがかかっておらず暑い! ただ運転手氏の立場になると、おそらくクーラーかけっぱなしでは底冷えがするのだろう。 ここでハンカチを出して汗を拭くのも厭味ったらしいかと配慮し、その暑さを我慢したまま施設に到着する。
施設の義母の部屋へ入ると、どうしたことか! これまた外よりも暑いではないか!!
いつもの事なのだが、エアコン取り扱いを心得ない義母が、デタラメ設定にてエアコン操作している事が判明したものの。
この現象はエアコンのみならず、他の家電やポット、時計等々も同じである事実は義母に関する本エッセイ集・バックナンバー内でも記載済だ。 (それを義母がすべて“故障”と騒ぎ立て、我々保証人は幾度もの買い替えを余儀なくされている… )
昨日のエアコンも、何と「暖房」!!に設定されていた。 それに本人が気が付かない程に認知力が麻痺状態との悲しい事実だ…
とにかくすぐに耳鼻科へ出かけねばならないため、エアコンを切ろうとすると。
義母が「〇子さんは珈琲はどう?」と、声を掛けて来る。
これもいつもの決まり文句だ。
義母の施設内女性友人が、同じ耳鼻科へ行った後に必ずや付添いの娘さんと近くにある“コメダ珈琲店”へ立ち寄り、母娘の団欒をしているのが羨ましくて仕方のない義母であることを承知している。
自分もそれをやりたくて(と言うよりも、それを嫁である私とした事実を施設内で自慢したいのが本音だろう。「今日はね、耳鼻科の帰りに嫁と珈琲店へ寄って、色々楽しくお話したのよ。」 てな具合にね… )
義母の気持ちも重々分かるが、やはり実の娘と嫁とを一緒くたにされても… との思いが私側にあるのも本音だ。 同じく母に認知症があれども、実の娘の立場ならば喧嘩をしつつも母親とのある程度本音の会話が成り立つことだろう。 ところがこれが一旦嫁の立場となると。
そうはいかないよ。 嫁の私側が100%義母に配慮する“究極ストレスが溜まる珈琲タイム”になることなど見え透いている。 悲しい事に、そんな嫁である私の苦悩の程が一切想像出来なくなっている義母でもある。
いえいえ晩婚当初は、義母からプレゼントされた超高層タワー物件マンション新居入居前の半年間、義母経営の都心アパートにタダで入居させてもらっていたのだが。 その当時、義母の希望に従い、私の仕事休暇日に珈琲タイムによく付き合ったものだ。 会話内容がフィフティー・フィフティーとは言えないものの、まあ客観力ある嫁の私が少し遠慮目に振る舞えば、義母との結構楽しいひとときを過ごせたものだ。
それが、認知症に苛まれた今と成り果てては……
さて、昨日の耳鼻科受診は義母の補聴器点検のみだったのだが。
義母の補聴器担当である“ギリシャ彫刻張りイケメン氏”(我がエッセイ集継続読者の皆様はご存知と想像するが)は残念ながら昨日都合がつかないとの事で、代替者である、これまた何とも外見の可愛らしさのみならず顧客対応の優れた若手女性が担当して下さった。
いや、一体どうしたの? と思う程に、この補聴器会社は社員に恵まれているようだ。 おそらく経営者の方針がそういう事なのだろう。 要するに、補聴器と言えばその使用者のほとんどが高齢者か、あるいは身体的弱者の立場の方々だろう。 そんな社会的弱者顧客相手に営業を行うに際して、顧客に失礼無きレベルの教育が徹底しているものと私は判断する。
難なく耳鼻科受診を終えた帰り道。
義母が再び私に問う。 「〇子さん、珈琲はどう?」
いやいや、義母には実に申し訳ないが、その後施設へ義母を送り返した後のケアマネ氏との懇談も控えている。
それを義母に告げると義母が応えて、「ああそうね、それは〇子さんがしてくれないとね」と素直だ。
ただ、義母の嫁である私との「珈琲タイム」の夢は今後永遠に続く事だろう。
近い時期にいつかはその義母の“夢”を「コメダ珈琲店」にて叶えてあげたいとも思いつつ…
今後益々の義母認知症状悪化と並行して、それよりも優先されるのがケアマネ氏との懇談ではなかろううかとも想像しつつ、それを実行し…
義母が暮らす高齢者施設を去った後、真っ先に立ち寄ったのが冒頭写真の「回転寿司屋」だ。
実は昨日は別の食事処にて料理も堪能しつつの“ひとり酒”を堪能せんと志していた。
そんな我が心を誘(いざな)ったのは、いつも“ひとり酒”を悠々と楽しませてくれるこの店舗だった。
心底疲れた時に我が心を癒してくれるのは、ここ、と思い定め。
昨夜も、この店舗へ立ち寄った私だ……
昨日は、定例の義母の耳鼻科付き添い日だった。
いつもそうだが、この日は朝から憂鬱な気分に襲われる。
ただこの生業をこなさずして、我が保証人としての生きる道は無い。
昨日の東京は一時ほどの猛暑ではないものの、風が強く外に出るとやはり暑い。 そんな天候が我が憂鬱に追い打ちをかける…。
義母が暮らす高齢者施設へは、地下鉄駅を下車した後にタクシーを利用するのだが。
タクシーに乗車すると、タクシー内にクーラーがかかっておらず暑い! ただ運転手氏の立場になると、おそらくクーラーかけっぱなしでは底冷えがするのだろう。 ここでハンカチを出して汗を拭くのも厭味ったらしいかと配慮し、その暑さを我慢したまま施設に到着する。
施設の義母の部屋へ入ると、どうしたことか! これまた外よりも暑いではないか!!
いつもの事なのだが、エアコン取り扱いを心得ない義母が、デタラメ設定にてエアコン操作している事が判明したものの。
この現象はエアコンのみならず、他の家電やポット、時計等々も同じである事実は義母に関する本エッセイ集・バックナンバー内でも記載済だ。 (それを義母がすべて“故障”と騒ぎ立て、我々保証人は幾度もの買い替えを余儀なくされている… )
昨日のエアコンも、何と「暖房」!!に設定されていた。 それに本人が気が付かない程に認知力が麻痺状態との悲しい事実だ…
とにかくすぐに耳鼻科へ出かけねばならないため、エアコンを切ろうとすると。
義母が「〇子さんは珈琲はどう?」と、声を掛けて来る。
これもいつもの決まり文句だ。
義母の施設内女性友人が、同じ耳鼻科へ行った後に必ずや付添いの娘さんと近くにある“コメダ珈琲店”へ立ち寄り、母娘の団欒をしているのが羨ましくて仕方のない義母であることを承知している。
自分もそれをやりたくて(と言うよりも、それを嫁である私とした事実を施設内で自慢したいのが本音だろう。「今日はね、耳鼻科の帰りに嫁と珈琲店へ寄って、色々楽しくお話したのよ。」 てな具合にね… )
義母の気持ちも重々分かるが、やはり実の娘と嫁とを一緒くたにされても… との思いが私側にあるのも本音だ。 同じく母に認知症があれども、実の娘の立場ならば喧嘩をしつつも母親とのある程度本音の会話が成り立つことだろう。 ところがこれが一旦嫁の立場となると。
そうはいかないよ。 嫁の私側が100%義母に配慮する“究極ストレスが溜まる珈琲タイム”になることなど見え透いている。 悲しい事に、そんな嫁である私の苦悩の程が一切想像出来なくなっている義母でもある。
いえいえ晩婚当初は、義母からプレゼントされた超高層タワー物件マンション新居入居前の半年間、義母経営の都心アパートにタダで入居させてもらっていたのだが。 その当時、義母の希望に従い、私の仕事休暇日に珈琲タイムによく付き合ったものだ。 会話内容がフィフティー・フィフティーとは言えないものの、まあ客観力ある嫁の私が少し遠慮目に振る舞えば、義母との結構楽しいひとときを過ごせたものだ。
それが、認知症に苛まれた今と成り果てては……
さて、昨日の耳鼻科受診は義母の補聴器点検のみだったのだが。
義母の補聴器担当である“ギリシャ彫刻張りイケメン氏”(我がエッセイ集継続読者の皆様はご存知と想像するが)は残念ながら昨日都合がつかないとの事で、代替者である、これまた何とも外見の可愛らしさのみならず顧客対応の優れた若手女性が担当して下さった。
いや、一体どうしたの? と思う程に、この補聴器会社は社員に恵まれているようだ。 おそらく経営者の方針がそういう事なのだろう。 要するに、補聴器と言えばその使用者のほとんどが高齢者か、あるいは身体的弱者の立場の方々だろう。 そんな社会的弱者顧客相手に営業を行うに際して、顧客に失礼無きレベルの教育が徹底しているものと私は判断する。
難なく耳鼻科受診を終えた帰り道。
義母が再び私に問う。 「〇子さん、珈琲はどう?」
いやいや、義母には実に申し訳ないが、その後施設へ義母を送り返した後のケアマネ氏との懇談も控えている。
それを義母に告げると義母が応えて、「ああそうね、それは〇子さんがしてくれないとね」と素直だ。
ただ、義母の嫁である私との「珈琲タイム」の夢は今後永遠に続く事だろう。
近い時期にいつかはその義母の“夢”を「コメダ珈琲店」にて叶えてあげたいとも思いつつ…
今後益々の義母認知症状悪化と並行して、それよりも優先されるのがケアマネ氏との懇談ではなかろううかとも想像しつつ、それを実行し…
義母が暮らす高齢者施設を去った後、真っ先に立ち寄ったのが冒頭写真の「回転寿司屋」だ。
実は昨日は別の食事処にて料理も堪能しつつの“ひとり酒”を堪能せんと志していた。
そんな我が心を誘(いざな)ったのは、いつも“ひとり酒”を悠々と楽しませてくれるこの店舗だった。
心底疲れた時に我が心を癒してくれるのは、ここ、と思い定め。
昨夜も、この店舗へ立ち寄った私だ……