一昨年、茨城県取手市で女子中学生が自殺した問題で、市の教育委員会はこれまで「いじめの事実は確認できなかった」としていたが、昨日5月30日一転して自殺との関係性はわからないものの、友達から悪口を言われるなど、「現在はいじめはあったと認識している」と釈明した。
2015年11月、茨城県取手市で当時中学3年生で15歳だった少女が自殺し、両親は女子生徒が残した「いじめられたくない」と記した日記や同級生の証言などから、自殺の背景にいじめがあったと訴えている。
この問題で市の教育委員会は「いじめの事実は確認できなかった」として、去年3月いじめ防止対策推進法に基づいた「重大事態」に該当しないと議決したが、30日の教育委員会の臨時会で当該議決を撤回し、遺族への配慮に欠けたものだったと謝罪した。
さらに、これまで「いじめの事実は確認できなかった」と一貫して主張してきたが、一転して自殺との関係性はわからないものの、女子生徒から悪口を言われるなど「現在はいじめはあったと認識している」と認め、釈明した。
市の教育委員会は本日5月31日、文部科学省からヒアリングを受けることになっていて、その中では「当初いじめの事実は確認できなかった」とした経緯や、「重大事態に該当しない」という議決に至った判断などについて説明するものと見られる。
(以上、ネット情報より引用。)
冒頭より、私見に入ろう。
学校教育現場に於ける「いじめ」による子どもの自殺事件は数多く、いつまで経っても文科省や地元教委及び学校現場がそれを撲滅出来ないどころか、むしろその事件数が増加しているような感覚すら抱かされる。
そんな中、今回のいじめ自殺事件に関して、同じく女子を産んだ母親の立場から少し“特異的な無念さ”を抱かされる私だ。
この“特異的”無念さは、昨年8月に青森県の女子中学生がいじめにより自殺に追い込まれた事件発生の際にも、我が脳裏を過った。
先程、昨年夏発生した上記自殺事件に関するネット情報を発見したため、以下に要約して紹介させて頂こう。
青森市立浪岡中2年の女子生徒(13)が列車にはねられ死亡した問題で、遺族が29日生徒の遺書の一部を公開した。「もう生きていけそうにないです。いじめてきたやつら、自分でわかると思います。二度としないでください」といじめ被害を訴えている。いじめたとする複数の生徒の名前もあった。
同級生の話では、生徒は中学1年のころから教室にいる時や体育の授業中に、無視されたり暴言を吐かれたりしていた。 1年の3学期ごろからは、週に数回しか学校に来なくなった。 生徒の父親らは8月29日、いじめの有無などを調査するよう学校に要請した。
生徒は1年の1学期に学年生徒会の会長を務めた。 入学当初はバレーボール部で、途中で美術工芸部に移ったという。 津軽民謡に合わせて踊る「手踊り」の学外チームにも所属していた。
生徒は新学期の始業式翌日の8月25日午前、青森県藤崎町のJR北常盤駅で列車にはねられ、死亡した。ホームから飛び込んだとみられる。
(以上、昨年夏に発生した女子中学生いじめ自殺事件に関するネット情報より引用したもの。)
原左都子の私見を続けるが、冒頭の茨城県女子中学生と下の青森県女子中学生には“特異的共通項”があるのだ。
その一つは、ご両人共外見的容姿に恵まれていた、という事。
そしてもう一つは、わずか中学生にして“特異的”に優れた才能を開花させていたとの点だ。
茨城県女子中学生の場合、ニュース報道によればピアノの腕前が素晴らしいとのことで、大舞台にてピアノ演奏する場面がニュース内で映し出された。 高校は音楽科を志望しているとの事で、誰が見ても既に趣味範囲を超越し前途有望であることが歴然なのだ。
片や青森県女子中学生の場合、ニュース報道にて舞台で津軽民謡「手踊り」を踊る姿が放映されたのだが、その「手踊り」との専門分野で既に卓越した技能を磨いていて、これまた前途有望であった事だろう。
青森県少女の場合、「手踊り」の姿を映した写真がコンテストの最高位受賞に輝いたが、被写体本人が自殺したとの事で、一旦グランプリ受賞が却下された事態がニュース報道された。 これに対し、何ら却下する必然性が無いとの世論により、再び受賞が復活したニュースも流れたため、皆様もご記憶かと推測するが。
いじめ自殺に追いやられた少女達と「女子」という事のみが共通項である娘を23歳半まで育てて来た私は、今後も続くであろう我がサリバン業を思い起こさざるを得ない。 おそらく普通(この言葉も変だが)の母親が抱く感想とはまったく異なるであろう、何とも言えない“無念感”に駆られるのだ。
今でこそ大学を卒業してやっとこさ新入社員として就職にありつけ、社会人2年目に至っている我が娘だ。 その点に関しては我が娘としては大いなる“快挙”であり、親の立場からもどれほど嬉しく思っていることか。
ただ、その23年間の道程は容易いものではなかった。
2歳から音楽を嗜ませ4歳からピアノを始めさせたものの、家で母の私が付きっ切りで指導しようが、発表会では誰よりも一番下手な演奏をするのがやっとこさの事実。 あるいはクラシックバレエを習わせても、いつまでたっても舞台では下手(しもて)の端っこが我が娘の定置。
それならば小学3年生から習わせている造形・美術分野はどうかと親の私が必死になったところ、一度はこれを自分の専門とせんと頑張った娘だった。 だが、美大受験に際し「デッサン」につまづき、高3直前に「もう、やめたい…」と娘に泣きつかれた時には、母のサリバンも「もう、やめよう!」と覚悟を決めたものだ。
その間ずっとサリバンの私が二人三脚で学習指導を徹底していた事が功を奏して、娘は私立中学受験合格も大学公募制推薦合格も果たしたのは良かったが…
結果として、大枚叩き時間をかけた割には、我が娘にはピアノもバレエも美術分野に於いても何らの専門力が身についていないのが正直なところだ…… (参考だが、クラシックバレエに関しては現在“観賞”趣味に繋がっているのに加え、サリバン母のダンス好きの影響か、娘も現在“ヒップホップ”に形を変えて余暇時間にプロの指導を受けるに至っている。)
それを思うと、上記のいじめ自殺にて命を落とさざるを得なかった娘さん達ご家庭の親御さんなど、素晴らしい子供さんに恵まれ、今までそのフィードバックを貰いつつ幸運な日々を過ごされたはずだ。
どうして、その素晴らしい才能ある娘さんをいじめ自殺から生前守ってあげられなかったのだろう。
(この議論に関しては、今回はあえて素通りする事とするが。)
出生時のトラブルにて不具合を抱えてこの世に生まれざるを得なかった愚娘(いえいえ、私にとっては誰よりも立派に成長してくれたかけがえのない娘だが)の世話を23年半もして来ているサリバン母の私にとっては、そんなにも優秀な娘さんを何故死に至らせたのか… と実にもったいなくて“無念”でいたたまれない話題なのだ……
最後に、私論でまとめよう。
学校が小中義務教育制度を貫いている以上、そこに通う子供達の生命を守るのは教育制度側の責任だ!
それを第一義とする事を忘れる事無く、文科省、地元教委、学校現場は、原点に立ち戻って「いじめ問題」等々子どもの生命を脅かす事態に誠心誠意対応し続けて欲しいものだ。
2015年11月、茨城県取手市で当時中学3年生で15歳だった少女が自殺し、両親は女子生徒が残した「いじめられたくない」と記した日記や同級生の証言などから、自殺の背景にいじめがあったと訴えている。
この問題で市の教育委員会は「いじめの事実は確認できなかった」として、去年3月いじめ防止対策推進法に基づいた「重大事態」に該当しないと議決したが、30日の教育委員会の臨時会で当該議決を撤回し、遺族への配慮に欠けたものだったと謝罪した。
さらに、これまで「いじめの事実は確認できなかった」と一貫して主張してきたが、一転して自殺との関係性はわからないものの、女子生徒から悪口を言われるなど「現在はいじめはあったと認識している」と認め、釈明した。
市の教育委員会は本日5月31日、文部科学省からヒアリングを受けることになっていて、その中では「当初いじめの事実は確認できなかった」とした経緯や、「重大事態に該当しない」という議決に至った判断などについて説明するものと見られる。
(以上、ネット情報より引用。)
冒頭より、私見に入ろう。
学校教育現場に於ける「いじめ」による子どもの自殺事件は数多く、いつまで経っても文科省や地元教委及び学校現場がそれを撲滅出来ないどころか、むしろその事件数が増加しているような感覚すら抱かされる。
そんな中、今回のいじめ自殺事件に関して、同じく女子を産んだ母親の立場から少し“特異的な無念さ”を抱かされる私だ。
この“特異的”無念さは、昨年8月に青森県の女子中学生がいじめにより自殺に追い込まれた事件発生の際にも、我が脳裏を過った。
先程、昨年夏発生した上記自殺事件に関するネット情報を発見したため、以下に要約して紹介させて頂こう。
青森市立浪岡中2年の女子生徒(13)が列車にはねられ死亡した問題で、遺族が29日生徒の遺書の一部を公開した。「もう生きていけそうにないです。いじめてきたやつら、自分でわかると思います。二度としないでください」といじめ被害を訴えている。いじめたとする複数の生徒の名前もあった。
同級生の話では、生徒は中学1年のころから教室にいる時や体育の授業中に、無視されたり暴言を吐かれたりしていた。 1年の3学期ごろからは、週に数回しか学校に来なくなった。 生徒の父親らは8月29日、いじめの有無などを調査するよう学校に要請した。
生徒は1年の1学期に学年生徒会の会長を務めた。 入学当初はバレーボール部で、途中で美術工芸部に移ったという。 津軽民謡に合わせて踊る「手踊り」の学外チームにも所属していた。
生徒は新学期の始業式翌日の8月25日午前、青森県藤崎町のJR北常盤駅で列車にはねられ、死亡した。ホームから飛び込んだとみられる。
(以上、昨年夏に発生した女子中学生いじめ自殺事件に関するネット情報より引用したもの。)
原左都子の私見を続けるが、冒頭の茨城県女子中学生と下の青森県女子中学生には“特異的共通項”があるのだ。
その一つは、ご両人共外見的容姿に恵まれていた、という事。
そしてもう一つは、わずか中学生にして“特異的”に優れた才能を開花させていたとの点だ。
茨城県女子中学生の場合、ニュース報道によればピアノの腕前が素晴らしいとのことで、大舞台にてピアノ演奏する場面がニュース内で映し出された。 高校は音楽科を志望しているとの事で、誰が見ても既に趣味範囲を超越し前途有望であることが歴然なのだ。
片や青森県女子中学生の場合、ニュース報道にて舞台で津軽民謡「手踊り」を踊る姿が放映されたのだが、その「手踊り」との専門分野で既に卓越した技能を磨いていて、これまた前途有望であった事だろう。
青森県少女の場合、「手踊り」の姿を映した写真がコンテストの最高位受賞に輝いたが、被写体本人が自殺したとの事で、一旦グランプリ受賞が却下された事態がニュース報道された。 これに対し、何ら却下する必然性が無いとの世論により、再び受賞が復活したニュースも流れたため、皆様もご記憶かと推測するが。
いじめ自殺に追いやられた少女達と「女子」という事のみが共通項である娘を23歳半まで育てて来た私は、今後も続くであろう我がサリバン業を思い起こさざるを得ない。 おそらく普通(この言葉も変だが)の母親が抱く感想とはまったく異なるであろう、何とも言えない“無念感”に駆られるのだ。
今でこそ大学を卒業してやっとこさ新入社員として就職にありつけ、社会人2年目に至っている我が娘だ。 その点に関しては我が娘としては大いなる“快挙”であり、親の立場からもどれほど嬉しく思っていることか。
ただ、その23年間の道程は容易いものではなかった。
2歳から音楽を嗜ませ4歳からピアノを始めさせたものの、家で母の私が付きっ切りで指導しようが、発表会では誰よりも一番下手な演奏をするのがやっとこさの事実。 あるいはクラシックバレエを習わせても、いつまでたっても舞台では下手(しもて)の端っこが我が娘の定置。
それならば小学3年生から習わせている造形・美術分野はどうかと親の私が必死になったところ、一度はこれを自分の専門とせんと頑張った娘だった。 だが、美大受験に際し「デッサン」につまづき、高3直前に「もう、やめたい…」と娘に泣きつかれた時には、母のサリバンも「もう、やめよう!」と覚悟を決めたものだ。
その間ずっとサリバンの私が二人三脚で学習指導を徹底していた事が功を奏して、娘は私立中学受験合格も大学公募制推薦合格も果たしたのは良かったが…
結果として、大枚叩き時間をかけた割には、我が娘にはピアノもバレエも美術分野に於いても何らの専門力が身についていないのが正直なところだ…… (参考だが、クラシックバレエに関しては現在“観賞”趣味に繋がっているのに加え、サリバン母のダンス好きの影響か、娘も現在“ヒップホップ”に形を変えて余暇時間にプロの指導を受けるに至っている。)
それを思うと、上記のいじめ自殺にて命を落とさざるを得なかった娘さん達ご家庭の親御さんなど、素晴らしい子供さんに恵まれ、今までそのフィードバックを貰いつつ幸運な日々を過ごされたはずだ。
どうして、その素晴らしい才能ある娘さんをいじめ自殺から生前守ってあげられなかったのだろう。
(この議論に関しては、今回はあえて素通りする事とするが。)
出生時のトラブルにて不具合を抱えてこの世に生まれざるを得なかった愚娘(いえいえ、私にとっては誰よりも立派に成長してくれたかけがえのない娘だが)の世話を23年半もして来ているサリバン母の私にとっては、そんなにも優秀な娘さんを何故死に至らせたのか… と実にもったいなくて“無念”でいたたまれない話題なのだ……
最後に、私論でまとめよう。
学校が小中義務教育制度を貫いている以上、そこに通う子供達の生命を守るのは教育制度側の責任だ!
それを第一義とする事を忘れる事無く、文科省、地元教委、学校現場は、原点に立ち戻って「いじめ問題」等々子どもの生命を脅かす事態に誠心誠意対応し続けて欲しいものだ。