我がペンネーム原左都子の「さとこ」の由来は、上京後の現役職業人時代に職場で呼ばれていた“あだ名”より引用したものだ。
我が本名ファーストネームは決して「さとこ」ではなく、別の名前である。
では何故職場で「さとこ」あるいは「さとちゃん」「さとさん」と呼ばれていたかに関しては、これも個人情報保護に接触するためここでは割愛させていただこう。
郷里での学生時代までは本名ファーストネームで呼ばれるのが通常で、「さとちゃん」はただの一度も耳にする事が無かった呼び名である。
そんな私にとっては何だか少し大人になった気分というのか、とにかく職業人として自立できた証しとも表現出来そうで、この「さとこ」「さとちゃん」……の呼び名は私自身大のお気に入りだった。 (だからこそ、今こうやってペンネームとして使用している訳だが。)
私はそもそも、日本特有とも言えそうなこの“ちゃん”の愛称を昔から好んでいる。 (これに関しては、バックナンバーでも複数回述べているが。)
まさに何とも愛らしい響きだ。 子どものみならず、大人間でも“ちゃん”付け呼称とは、お互い信頼関係がある証拠とも捉えられるのではなかろうか?
ところが、時代は大きく変遷しているようだ。
ここで、我が娘が通っている職場の事例を挙げるならば。
業務に必要な会話はもちろんあるが、基本的に個人的な話題は出ないらしい。
ただ、例えば少し空き時間があると自発的に自分自身の趣味の話題を出したりする人物は存在し、それをきっかけに周囲で話が弾むことはあるようだ。
ところが話題に加わらない人物に対して「君は、貴方はどうなの?」等と、会話に誘い込むことはタブーのようで、決して巻き込むことはしないのがマナーの様子だ。
例えば娘が夏季休暇を申し出た時にも、「どこへ行くの?」等の問いがだだの一人からも出なかったとの話だ。
帰国後出勤して米国土産を配った際に、初めて「アメリカへ行ってたのね。」との反応が出たようだ。
ましてやプライベート上の友達でもない限り、職場内で「ちゃん」付けで呼ぶ事などあり得ないとの話である。 もっと言うなら、氏名の氏で呼ぶのが職場内マナーであり、まかり間違ってもファーストネームでの会話は無いとの事だ。
現役時代は職場内で「さとこ」「さとちゃん」」と呼ばれ慣れていた私にとっては信じ難い話だが、これが現在の職場の“対人関係スタンダード”なのだろう。
とにもかくにも、「セクハラ」「パワハラ」等々職場内でハラスメント概念がこれほどまでに歪んで横行してしまっている現在、誰しもそれで訴えられる事は是が非でも避けんと必死なのでもあろう……
我が感想だが。
「さとこ」「さとちゃん」と呼ばれて、それをセクハラだなどと感じた事はただの一度も無かった私にとっては、職場内でそんな愛称を用いる事がむしろ潤滑油的な役割を果たしていた感覚すらある。
さすがに私が係長まで昇格して部下を十数人持った暁には、部下からその愛称で呼ばれた事はない。 それでも同僚や上司からは普通に「さとちゃん」「さとさん」と呼ばれ続けたものだ。
さてここで、昨日ネット上で発見した「同僚が女性警視に『ちゃん」付け…公務災害認定」と題する情報を以下に要約して引用しよう。
警察庁に勤務する40歳代の女性警視が、元同僚の男性警視のセクハラを受けて精神疾患になったとして、同庁から国家公務員災害補償法に基づく公務災害として認定されていたことがわかった。 国家公務員がセクハラによる疾患で公務災害認定されるケースは珍しい。
女性警視は認定後の今年4月、精神的苦痛を受けたとして男性警視に損害賠償を求めて東京地裁に提訴し、現在審理が行われている。
この訴訟に証拠提出された同庁や人事院の内部文書によると、男性警視は2014年、関西地方の県警から同庁に転任し、女性警視と同じ部署に配置された。
その後、女性警視が15年1月、「セクハラを受けている」と上司に申告。 男性警視が女性警視を「ちゃん」付けで呼んだり、酒席や職場で卑わいな言動を繰り返したりしたと主張した。
同庁は調査の結果、同年2月に男性警視によるセクハラがあったと認定。 女性警視は同年3月以降、極度のストレスで目まいをおこし抑うつ状態などと診断されたが、同庁はこれについても「長期間のセクハラで強度の精神的負荷を受けたことが原因」と判断し、人事院と協議の上、昨年3月に公務災害と認めた。
一方、男性警視側は訴訟で、「ちゃん」付けで呼んだことは認めたが、「セクハラはしていない」として請求棄却を求め、セクハラを否定する元同僚の陳述書も証拠提出した。
今回の認定について、警察庁は「個別の件には答えられない」としている。
(以上、ネット情報より要約引用したもの。)
先程この情報に関して更なる詳細の検索を試みたのだが、残念ながら発見出来ずじまいだ。
と言う訳で事件の詳細が把握しにくいのが現実だが。
以下の私見は、その上での論評に過ぎないが…。
訴えを起こした40代女性警視と、セクハラで訴えられた同僚男性警視との関係の詳細が実際分からない。 同僚と言うからには、最低限職場では対等な関係であるべきだろう、とは思うものの…。
訴えた女性警視が「ちゃん」付けがそれ程嫌ならば、その旨相手男性に直言して早期にその呼称を辞めてもらえばよかったのではないのか?、なる疑問符が我が脳裏を過ぎる。
ましてや、職場内での卑猥行為に関してはその犯罪に遭った直後に訴え出るべきだった。 しかも、酒席など嫌ならば出る必要はないだろうに、何で出たのだろう??
私に言わせてもらうならば疑問符だらけの事件であるが、それでも男性警視のセクハラが認定されたとの事実を鑑みるに、確かに男性警視側にその実態が存在したのだろう。
(それにしても、自分の事案でこれ程の訴えを起こさなければ事を済ませられない女性に、警視の任務が務まるのか?? なる疑問符も湧くが…… )
最後に、私論で締めくくろう。
何とも、“不器用”と言うか、“生き方が下手”と表現するべきか、あるいは“すべてを訴訟に頼れば済むと思っているのか??” 嘆かわし時代にこの世は後退してしまったものだ。
職場の「生産性」を考察するならば、共に働く職員達の人間関係がスムーズであるに越したことはないだろう。
そのためには、人と人との関係に於いてハラスメントと騒ぎ立て「一線」を画するよりも、人間関係が潤滑である方が理想であるに間違いない。
私は「集団嫌い」ではあるが、決して「人間嫌い」ではない。
過去の職場に於いて、私の事を「さとちゃん」「さとこ」「さとさん」と呼んで下さった方々との交友関係を、未だに懐かしく思い出したりもしている。
今後高齢域に達する程に、私の事を「さとちゃん」なる愛称で呼んで下さる方々との交友が激減する運命なのだろうが…
私はこの「さとちゃん」の響きが、今でもとても好きだ。
2018.10.22 追記だが。
当該goo ブログ上にて「さとちゃん」と名乗る人物が、大いなるアクセスを記録している様子だ。
確かに「さとちゃん」とは日本人女性名にして一般的である事だろう。
当該人物を一切心得ない「原左都子」にして、偶然ながら“かぶって”しまっている現状が実に不本意・心外であるのが事実だ。
今後は、私側は「原左都子」のペンネームを是が非でも貫こう!!