今朝、いつものように「原左都子エッセイ集」編集画面における “過去のアクセス解析 TOP50” を閲覧したところ。
表題の如く、ブログ本体ではなく「コメント欄」のみがTOP50内にランクインしていた。
この現象は、gooブログ歴17年目に入っている原左都子にして初体験だ!
我が「原左都子エッセ集」の場合、2007年の開設当初は当然ながら「コメント欄」をオープンにして、皆様からのコメントを日々受け付けていた。
ところが残念ながら、2011年頃からこのコメント欄に“歓迎しないコメント”が押し寄せ始めた。
それでも真面目で律儀(ホントです!?!)な私は、それらの“歓迎しないコメント群”にも必ずやなるべく好意的な返答コメントを書き入れていた。
ただ、無理とは続かないものだ…
これを続けていたのでは、肝心要の我が「原左都子エッセイ集」の続行が不能となるのが目に見えている!
それは是が非でも避けたい!! と決断した私は。
好意的なコメントを頂けるファンの方々には申し訳ないと考えつつも、「コメント欄閉鎖」の措置を採用する方策を採用した。
その後年月が流れ、現在の“コメント欄閉鎖”状態の「原左都子エッセイ集」はファン数が激減しつつも、お陰様で続行が叶っている。
さて、それでは昨日“過去のアクセス解析TOP10 内にランクインしていた、2008.08.27付エッセイ宛に頂戴したコメントを,以下に一部削除して以下に再掲載させていただこう。
12 Comment
文明の副作用 (愛煙家)2008-08-27 17:53:37こんばんは
>無痛化する社会
文明が発達して無痛化という副作用があっても
人間は長所と短所を持っているんですから
長所と短所のある人間が作った文明らしいと楽天的に考えたいですね。
余談
>ご本人から「自分に対するアクセスは今後一切しないように。
書き込んだ文章は即刻削除して欲しい。」という趣旨の抗議文が私の元に届いた。
ブログって
ブログ仲間と楽しみたいだけの人と
ブログで十人十色の個性を楽しみたい人がいますね。
ブログ仲間以外お断り主義はどうにもなりませんよ。
人間の趣味趣向は
ブログもペットも一緒ですよ。
犬派もいれば猫派もいれば
アンチペット派もいれば
気にしない派もいますし
残念なのは
気にしない派のブロガーが少ないような気がします。
愛煙家さん、お気持ちはお察し致します。 (原左都子)2008-08-27 18:15:55
愛煙家さんのような反応は私は好みます。
どうしてかと申しますと、更なる私の意見を書かせていただけるからです。これぞブログの公開性を活かせる場面ですね!
愛煙家さんがおっしゃる事は私も既に理解しております。
ブログはたとえ公開性があるとはいえ、現在のブログのあり方を考察しますと、既に何千万人(?)という万人が綴るブログであるため、見たくなければ見ないで済みます。
そういう風にある程度の自由度があるお陰で、たとえ“仲良し倶楽部”ブログであれ個人が自由に展開すればそれで済むのが現状です。
私もそれは既に心得ておりまして、訪問するブログを選択して楽しんでいます。
今回私が記事内で取り上げましたのは、公開性のある場面(要するに誰でも書き込める場面)での出来事でした。
もちろん、私も十分にブログ生活は楽しんでおります。
元々、閉鎖的なブログにはさほど興味はありませんし、訪問させていただいておりません。
ブログ上で、今後も有意義な意見交換を楽しみたいと考えております!
今後共、よろしくお願いします。
Unknown (編集長)2008-08-28 02:23:10ご無沙汰しております。
にやにやしながら(失礼)読まさせていただきました。
文章ってのはなかなか相手に伝わらない場合がありますよね。また相手の読解力にもよるのでしょうが・・・
私なんか特にPCの前に座るときは片手にグラスを傾けながらですので。誹謗中傷でもサラッと流してしまうんですが???
編集長さん、私も夜はグラス片手です。 (原左都子)2008-08-28 11:29:09
私のブログの場合、コメントを歓迎し必ず返答申し上げることを公約しておりますので、それはそれは様々な反応を寄せていただけますし、基本的に必ず返答申し上げております。
ブログの使命が公開性にあることを考慮しますと、これが本来あるべき姿であり、また、こんな拙いブログを皆さんがお読み下さって、時間を割いてコメントを記入して下さることに感謝感激です。
そして、公約通り、別便でのコメントも含めて必ず返答申し上げておりますが、その実は、歓迎しないコメントも少なからずいただきます。
そういう場合は、私もグラス片手です。適当にあしらった返答コメントを書いた後、私の方から訪問させていただくことはありません。それでも、またその方からコメントを頂いたりもします。すると、意外や的を射たコメントであったりもして、またブログ上のお付き合いが再開したりもします。
ネット関係とは面白いものですね。
言論関係はピッタリ (愛煙家)2008-08-28 12:53:07こんにちは
大阪は雨の昼休みです。
余談ばかりですみません。
>私の持論ですが、ネット上のバーチャル世界で人間関係を築いていく事はそもそも不可能ではないかと考えています。
>それは人間関係ではなくて“言論関係”でしょうね。
ネットがHNではなくて本名を使って日常生活と同じルールにすれば、人間関係になると思いますが、HNでOKの世界には日常生活とは違う世界の意識がないと楽しめないと思いますが、ブログはオフ会をしたりしますから不思議ですよね。このエディッタの質問でもネットを通じて結ばれたカップルもいますし例外も必要とされるんでしょうね。
言論関係はピッタリです。
言論関係が嫌いな人が利用することもありますね。自己満足がしたいから書き込んで同意されないとキレる。
>無視することによりいずれ必ず時間が解決してくれます。
日常生活でもネットでも無視だけは共通って不思議ですね。
愛煙家さん、自己満足は人に迷惑をかけずにやって欲しいものですね。 (原左都子)2008-08-28 21:48:49
私のブログではコメントを大々的に受け付けておりますが、(コメント欄ですのであえて本音を言わせていただきますと)自己満足コメントが少なくないのが実情です。
私のブログの記事に対するコメントとしての意味があまりないようなコメントも寄せられます。
それでも、一応年長者としての責任もありますし、すべてのコメントに返答を書かせていただいております。
皆さん、ネット上であれ他者とのコミュニケーションを求めていらっしゃるのでしょうね。そのお気持ちも理解できるという意味合いもあり、公約通りどのようなコメントにも私は返答は書かせていただきます。
ただし、好まない相手に関しましてはその後は無視です。日常生活よりもネット上が無視しやすいので助かります。
ハンマーで殴られる (kuisin)2008-08-29 15:43:26ども、kiuisinです。
日々便利になっていく社会の中、私は今年の夏を団扇一本で乗り切りました・・・(たまにクーラーの効いた部屋に逃げ込んだりはしましたが、自分の部屋では一切つけませんでした)
慣れってすごいですねー・・・結局乗り切れました(笑)
クーラーの効いた世界で、この国の名物“風流”を楽しめるとは思えないんですがね~。緑と水に囲まれれば暑さなんてすぐに剥ぎ取られます。
現在は更新を停止しております私のブログにも、いくつか否定的なコメントを頂いたことがあります。我が身を恥じて消してしまったある記事を除き、全て公開状態にしてあります。
もの凄くへこみます・・・。やっぱりその時その時の全力を否定されるのは辛いものがあります・・・。
しかし、励みになるのも確か。最初は「なにくそー!」って気持ちで挑んでても、後々冷静になってから真摯に受け止めれば、これほどこちらの考えを理解した上での意見だったんだなぁと感謝の溜息が漏れます。
ブログの本質は「公開する“日記”」ですから、もちろん身内での近況報告を目的としたブログも存在すると思います。同じ公開でも、私は小説や詩を、原さんは自己のオピニオンと、公開対象が様々ですから、ブログもいずれもっと細分化する必要性があるんじゃないかと思いますが・・・。
衝撃的な経験は、人の中に“バネ”を残す。
そしてその“バネ”で、人はさらに飛躍できる。
“バネなし”若者世代の若造が偉そうに語りまして、すみません・・・。
同感です。そして・・・。. (ガイア)2008-08-29 17:58:08
まず最初に、森岡氏の評論とそれに対する原さんの私論に私が同感である事を表明します。
次に、森岡氏の評論が中学生の国語の宿題の一つである「評論文解読」に採り上げられている事を評価したいと思います。読んで考える力を養うには中学生のみならず、大人にとってもこの森岡氏の評論は適切であり、深い示唆を与えている様に思われるからです。
更には、コメンテイターのコメントと原さんの回答に関連して記します。
論議の主軸がブログですが、これらを拝読し、私も様々な事を考えさせられました。ここでは、ブログでの私の体験を綴ってみます。
私のブログのみならず、私がブログを通して存じ上げた友人が酷いコメントの書き込みを幾度となくされました。それは、他人を誹謗・中傷もしくは屈辱するような内容、または他人の名誉や信用を傷つける内容であり、決して許されるものではありませんでした。
大人気ないからと最初は無視をしましたが、悪質なコメントの書き込みが続きましたから、私は相手に幾度も論理的な反撃のコメントで回答しました。
その内、良識ある方々から応援のコメントが寄せられる様になり、酷い書き込みをした相手は諦めたようです。それ以後、私や友人へのコメントはありません。
言論の自由が保証されているとは言え、公共性を伴ったブログサイトでこの様な言葉の暴力に因るコメントの書き込みが許される筈がありません。大人の常識のレベルも落ちたものです。これも無痛化する社会の現象だと捉えます。
さて、最初の森岡氏の評論とそれに対する原さんの私論に関連させて、私の雑感を記します。
文明とは何か、文明の進歩とは何を以って言うのか。本当のところ、この辺の議論が現代社会に於いては不明瞭になっていると思われます。
そもそも文明の進歩と言う概念は、近代ヨーロッパの所産であり、わが国は近代国家を目指してヨーロッパの文化を受け入れた頃からこの概念を正義として来たのではないでしょうか。
文明の進歩という概念から程遠い沢山の民族との出会いが、寧ろ文明や文化の本質を浮き彫りにさせるのだと思います。
プりミティブな民族は、無痛化する社会ではありません。人間が本来持っている恐怖や戦き、見えないものへの畏敬の念、研ぎ澄まされた五感、そのようなものを持ち合わせていると考えます。
文明から程遠いと思われる民族やその社会から学ぶ事の方が、今の私たちには多いのではないでしょうか。
kuisinさん、バネのある人間でありたいですね。 (原左都子)2008-08-30
09:13:57さすがに小説家のkuisinさん、表現がすばらしいですね!
そうなんです、バネのある人間でありたいものです。たとえ、へこむような経験をしても、また元に戻ったりさらに飛躍していくためには心にバネが必要ですね。
無痛化してしまった心の中はバネではなく“棒”なのでしょう。一度ポキンッと折れたらそれでおしまいですね。痛みを味わいそれをプラスの方向に転換していく強さを育んでいくことで“棒”をバネに変えていけるのでしょうね。
私も結構へこみます。平気そうに振舞っていますが、マイナスイメージのコメントなどをいただくと実は夜も眠れない程悩み考えてしまいます。
でも、何とか立ち直って必ず返答を書いているのは、私の心にも一応バネがあるからだと思います。
お若いkuisinさんが、そこまで悟っていらっしゃることを私はいつも尊敬の念で見させていただいています。
kuisinさん、新人賞頑張って下さいよ!
ガイアさん、たかがネット、されどネット… (原左都子)2008-08-30 11:08:02
この記事は“無痛化”を取り上げたのですが、私が中で綴ったブログ仲間批判関連の無痛化に関する一例の話がインパクトがあった模様で、皆さんからネット関連のコメントを多くいただきました。
ネット生活においてご苦労をされている方々が多く存在するようで、コメント欄においてネット談議が展開されました。
この現象はやはり“無痛化”と大きく交錯するものと思われます。
なぜ、誹謗中傷を行なう人がいるのか。それは、本人自身が心に傷を負っているためでしょう。たとえどのような傷を負おうが、(上のコメントの)kuisinさんのおっしゃるように心にバネがあれば、それをはずみにしてプラスに転化していくことができるはずです。
ところが無痛化社会にどっぷり漬かって、少しの傷にも免疫力がなくなっている人が多いのでしょうね。自分の傷を自分の中で処理できずに、他者を痛めつけることで発散するという貧弱な行動をとってしまうのでしょう。
ブログ生活が1年になろうとしている私ですが、ネット社会の明暗を私なりに観察してきました。
当初のように、無邪気にブログ生活を楽しめなくなっております。無痛化に慣れきった人々があまりにも多く、同類の仲間作りをして我が身のみを守ろうとしていたり、上記のごとく誹謗中傷言動を企てる人種が増殖しているためです。
それでも、綴り続けます。無痛化集団に迎合することなく、あくまでも私自身のスタンスを貫きつつ…。
学校の評論文課題に関してですが、私もそもそも長文読解問題というのは答が定めにくく採点に苦慮するものであると捉えています。
評論文を生徒に読ませることに関しては有意義なことですので、課題の出し方として、今回私がエッセイを綴ったように、読後に生徒それぞれに自由にエッセイを綴らせるのか最善の方法かと思います。
私も娘に対しては、文章をよく読むようにのみ指導しています。
科学技術の発展自体はすばらしいことですが、文明や歴史の伝承が疎かになっているために大きなアンバランスが生じているのでしょう。
便利さのみを享受して後は何に対しても興味を持たないような人種ばかりを排出している背景には、やはり公教育の責任は否めないように思います。
痛みを感じ、それをバネにできる心豊かな人生を送りたいものです。
(以上、一部割愛したが、「原左都子エッセイ集」遠い過去のバックナンバーに頂戴したコメントを再掲載したもの。)
「原左都子エッセイ集」公開歴17年目に突入している我が身にして。
過去に愛読者から頂戴した貴重なコメント群とそれに対する我が返答のごく一部を公開させていただいた。
これ程までにコメント欄が充実(きちんと両者の意見交換が成立しているとの意味合いで)したブログを見ることは、後にも先にも無い。
gooブロガーである現在の原左都子にとっての一番の失策は、過去に於いて類まれに繫栄していたこの「コメント欄」を閉鎖したことと言ってよいだろう。
ただブログ界自体もブロガー達も、現在では大きく変遷を遂げている。
時代の流れに逆らっては、この世を渡れない事実も重々把握している私だ。
「コメント欄」を廃止せねば、この原左都子自身の日常生活が成り立たなかったことに鑑みて。
2011年の「原左都子エッセイ集」に於けるコメント欄閉鎖措置は、“正解だった” との結論で締めくくろう。