原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

弱者をいたぶる金融機関のマイナンバー登録強制

2016年04月28日 | 時事論評
 (写真は、私の手元に届けられた某生命保険会社よりのマイナンバー強制登録指定用紙。)


 皆様のお宅にも、諸金融機関からマイナンバー強制登録申請用紙が届いているであろうか?

 少し前までは“任意”でのマイナンバー登録願いが届けられたが、そもそも断固としてマイナンバー制度反対派!の我が家としては、無視を決め込み放置・廃棄処分して済ませて来た。

 
 ところが、先だって某生命保険会社より届けられたマイナンバー登録は“強制”との事だ。
 しかも、その内容がよ~~く読まない事には分かり辛い事に腹立たしさを煽られる。 (強制ならばせめてもっと万人に分かり易く書けよ!

 上記写真をご覧いただきたい。
 要するに、今回のマイナンバー登録強制に際し、既にマイナンバーカードを取得している対象者と非取得者を分けて登録させる必要があるとの事だろう。
 マイナンバーカード取得者は、当然ながらそのカード自体が現在の我が国に於いて「最高にして最強の自己証明書類」であるため、それをそのままコピーして送付すると済むようだ。

 マイナンバー制度自体に反対している私など、国家に迎合して今後マイナンバーカードなどを作ろうとなどの意思が毛頭ない!
 つまり、現時点で私が所有しているのはマイナンバー「通知カード」のみだ。 まさかその事態を責めようとの民間金融機関の魂胆ではない事には助けられるが、その場合の手続きが実に鬱陶しい。
 私が思うに、金融機関が手書きの書面を送付してそれを返信して済むならばまだしもマシなのだが、そうではないのだ。
 再び上記写真をご覧頂きたいが、あえて“手書き”を回避する手段を採ったと思われる。(要するに、高齢者顧客等に手書きさせたなら誤記の恐れがあると判断したのだろう。)
 これが実に鬱陶しい。 金融機関所定のフォーマットにマイナンバー「通知カード」と「運転免許証」の実物を書面の切り込みに差し込み、それをコピーしたものを送付せよとの指示だ。 
 ちょっと待ってよ。  我が家など自宅にプリンターがあるからそれの実行が可能だが、もしもそれがない顧客には外部のコピー機で自腹出費してそれを実行してでも、強制登録用紙を金融機関まで送れと言うのか??


 それがその通り!である事実こそが、原左都子がマイナンバー強制登録制度を「弱者いたぶり」と結論付ける故だ。

 私自身は上記の措置で済んだものの、現在高齢者有料介護施設に住む義母の場合そうはいかない。

 偶然だが、義母も私が契約している上記の生命保険会社と取引(参考のため取引内容は私も義母も個人年金保険なのだが)があり、義母の手元に当該「マイナンバー強制登録用紙」が送付されたとの連絡があった。
 認知症状が悪化する義母にとって、その書面の読解力が無い事など重々承知だ。 早速義母の住むケアマンションに参上して、その手続きを身元引受人である私が代行する事態と相成った。
 義母の場合もっと複雑なのは、自己証明書類として「運転免許証」を取得していない事だ。 顔写真が無い証明書にて自己証明をするためには、証明書類が2部必要との記載だ。(まったく行政は何処まで弱者をいたぶれば気が済むのか…
 やむを得ない。 ここは身元引受人の私がひと肌脱いで動くしかしょうがない。 
 と言う訳で、一昨日義母の住民登録地である某大都心に位置する区役所へ出かけた訳だ。 (その帰り道で“女優にスカウト”された話題は前回の我がエッセイ集にて公開した。 マイナンバー制度に怒り心頭の私にとって、多少の心のオアシス事件だったとも言えるが。)

 ただ皆様もご存知だとは思うが、国家が国民皆に強制する「マイナンバー制度」とは、国家財政巨額破綻の現状に際し、政権こそが国政失敗を顧みるべきなのにそれを実行せず、身勝手にも末端国民からカネを巻き上げようとの制度である。
 その代行のために、末端に暮らす弱者である私が義母の住む施設を尋ねさせられたり、その義母の公的書面を取得するがために幾日もの日数を費やし、我が貴重な時間を無駄に費やすはめになった事が許し難いのだ! 


 ここで、我が国の政権が実施せんと企んでいる「マイナンバー制度」に関する情報を、以下に国家の公的「マイナンバー」ページより少しだけ紹介しよう。

 マイナンバーは、住民票を有する全ての方に1人1つの番号を付して、社会保障、税、災害対策の分野で効率的に情報を管理し、複数の機関に存在する個人の情報が同一人の情報であることを確認するために活用されるものです。   マイナンバーは、行政を効率化し、国民の利便性を高め、公平かつ公正な社会を実現する社会基盤であり、期待される効果としては、大きく3つあげられます。
 1つめは、所得や他の行政サービスの受給状況を把握しやすくなるため、負担を不当に免れることや給付を不正に受けることを防止するとともに、本当に困っている方にきめ細かな支援を行えるようになります。(公平・公正な社会の実現)
 2つめは、添付書類の削減など、行政手続が簡素化され、国民の負担が軽減されます。また、行政機関が持っている自分の情報を確認したり、行政機関から様々なサービスのお知らせを受け取ったりできるようになります。(国民の利便性の向上)
 3つめは、行政機関や地方公共団体などで、様々な情報の照合、転記、入力などに要している時間や労力が大幅に削減されます。複数の業務の間での連携が進み、作業の重複などの無駄が削減されるようになります。(行政の効率化)
 マイナンバーはいつから誰がどのような場面で使うの?
 平成28年1月からマイナンバーを利用します。
  平成28年1月から、社会保障、税、災害対策の行政手続にマイナンバーが必要になります。 このため、国民の皆様には、年金・雇用保険・医療保険の手続、生活保護・児童手当その他福祉の給付、確定申告などの税の手続などで、申請書等にマイナンバーの記載を求められることとなります。
 また、税や社会保険の手続きにおいては、事業主や証券会社、保険会社などが個人に代わって手続きを行うこととされている場合もあります。このため、勤務先や証券会社、保険会社などの金融機関にもマイナンバーの提出を求められる場合があります。
 (以上、現在国家がネット上で公開している「マイナンバー制度」に関する情報より一部を引用。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 税制度に関して国家がやるべき事とは、法人等の“巨額脱税”こそを取り締まる方策を強化する事ではあるまいか?!
 ところが、これさえ実施不能な程に「国家と巨大民間組織との癒着」が進んでいると私はずっと以前より把握しているが…

 確かに、底辺に暮らす庶民の中にも脱税を企てている人物や組織が存在するのかもしれない。 
 それを「弱者は潰し易い」との観点で“しらみ潰し”手段で脱税実態をかき集めマイナンバー制度にて増税を企もうとの政権の意図も、分からないでもない。
 あるいは特に安倍政権は(既に廃れた)アベノミクス経済政策に於いて、ここ2,3年は大企業保護・支援に邁進したばかりに経済政策大失策を経験してしまっている。
 だから故に、今後は底辺庶民をいたぶろうとの魂胆か?

 末端に暮らす庶民の立場としては、「マイナンバー制度」とは、弱者虐待制度としか言いようがない。

 私など、義母が契約している金融機関へのマイナンバー強制登録のために、その処理を代行した人件費を国家から今すぐ賠償して欲しい思いすら抱いている!

大都市繁華街で突然「女優になりませんか?」とスカウトされたらどうする?

2016年04月27日 | 自己実現
 昨日(4月26日)午後に放映されたNHKスタジオパークのゲストが 大地真央氏だった。

 大地氏は現在、NHK連ドラ「とと姉ちゃん」主人公の祖母役としてご活躍中だ。 

 大地真央氏は元宝塚歌劇団月組男役トップスターであられ、現在も女優として活躍されている事は皆さんもご存知であろう。
 原左都子と大地真央氏との共通点とは、同学年(大地氏は1956年2月5日のお生まれで私の方が4か月程早いが)であり還暦を迎えたばかりの年代である事、及び身長(大地氏は166㎝らしい)がほぼ同じという事だろうか。

 何と言っても同年代の女性が如何に生きておられるのかは気にかかるものだが、中でも大地氏のようにずっと”普遍的な美しさ”を保たれつつ活躍している女性は、やはり尊敬・羨望の対象だ。
 ドラマ「とと姉ちゃん」の出演女性の中でも、大地氏は群を抜いて美しい。 おそらく出演女優陣の中で最高齢であるにもかかわらず、若き孫3人や娘役女優氏よりずっと美しく私の目には写る。 

 昨日のNHK「スタジオパーク」にてもその美しさの程をじっくりと拝見したが、とにかく非の打ちどころがないのだ。 いくら美しい女性と言えども、還暦過ぎれば誰しも顎の下が多少弛んできたり、疲れると目の下にクマが出来たりする。 その種の“衰え”とは化粧品を塗りたくって隠せるものでもなく、やむを得ず“生き恥”を晒しつつ外出せねばならないものだ。


 さて、昨日も義母財産管理関連の所用があり、その“生き恥”外見を晒しつつ外出した。

 大都市ターミナル駅から程近い区役所へ行った帰り道、老若男女で大混雑する駅前のメインストリートを人混みをかき分けつつ足早に歩いていた。

 そんな私に、後ろから声を掛けながら付いて来る男性がいる。
 どうせろくでもないキャッチセールスだろうと思いつつ、無視を決め込もうとしたところ、
 「綺麗な方ですね。 少しお話よろしいでしょうか?」
 (ん?? 綺麗だと? 年寄り捕まえてよくぞそこまで言ったものだ)と呆れつつ、「とんでもございません。」と手短に返しつつ足早に歩き続けていると、
 男性も同じスピードで付いて来て、「綺麗な方なのでどうしてもお話させて頂きたいのですが、女優になる気はありませんか?」
 (こりゃまた、大それたキャッチセールスだな!)とびっくりポンを決め込む私に、自分の名刺とパンフレットを手渡す。
 「女優の適性はございませんので。」ときっぱりとお断りするのだが、相手もひるまない。 
 「我が社では40代50代の女性も活躍しています。 是非、ご家族とも相談されて女優のオーディション面談を受けて頂けませんでしょうか?」
 (要するに、私が40代か50代に見えたのね。 あまり嬉しくもないなあ~~。) 
 
 (いやはや、若き頃には原宿や新宿辺りで同様のスカウトを何度か経験しているが…  ただ、確かに端役の女優とはこうやって街ででも素人をスカウトした方が、芸能プロダクション側としてはお安く使えるのだろうし…  小遣い稼ぎ程度の軽ノリで、オーディションだけでも受けてみるのも悪くはないかも。)
 などと不謹慎にも考えつつ、「どうしても、苗字と電話番号だけを伺っておきたい」との営業担当男性の要求に沿って、苗字と家の固定電話番号を教えた。 後日私の意向を再確認するため連絡すると言う。


 家に帰りつき、上記のびっくりポン出来事を亭主に話すと。
 「ああ、今時端役のシニア女優がどこも品薄のようだとテレビでもやっていたよ。 面白半分でオーディションへ行ってみたら」とあっけらかんとしている。

 そうは言われても、と思いつつ、一点気になる事がある。
 つい先だっても街を歩いていて、社交ダンスクラブ入門をスカウトされた。 その時貰ったパンフレットを元に後にネットにて検索すると、随分と破格高額の授業料がかかるようだ。 やはり社交ダンスとは、上流社会の貴婦人でないと嗜めないよなあ、と諦めた。

 同様に、もしかしたら端役出演ギャラより、事前のレッスン料が高額かもしれないとも憶測した。
 と言うのも、我が娘を小さい頃に児童劇団に入れていた時期があるのだ。 その時の入所条件を思い出した。 必ず端役子役として何らかの番組に一度は出演させるもらえるが、そのためには劇団のレッスンを受ける事が必要条件だった。 娘の場合は「演技」「歌唱」「ダンス」指導を強制されたが、同時進行で習っていた「クラシックバレエ」に比し、「ダンス」指導が如何にも中途半端だ。 「演技」「歌唱」も同様だったが。 それでも、我が子をテレビ出演させたいとの意向が強靭だった家庭は、その劇団の条件に従ったようだ。
 我が家の場合は、あくまでもサリバンの立場で娘の教育指導対策の一環として劇団を経験させるのが目的だったため、結局1年間で児童劇団は退会させ、「クラシックバレエ」の続行を選択した。

 我が身に照らすと、今回の事例もやはり事務所より何らかの事前レッスンを要求され、そのレッスン料収入を当てにしている事も十分に考えられる。 まあ、下手なりに「ダンス」も「歌」も趣味の私だから、レッスン料が安価ならばそれを経験しても無駄にはならないかもしれないが…

 街で私をスカウトした営業担当男性から電話が掛かって来たら、それを確認してみてもよいのかもね。

 
 元々“遊び心”旺盛な原左都子としては、とにかく何事も経験だ。
 昨日貰ったパンフレットで早速当該事務所の情報収集作業も実施したところ、都心に実在している事には間違いないし、大物俳優等は所属していないものの、ある程度名の通った俳優や歌手等が活躍している事務所の様子だ。
 ただ、原左都子の感想としては、若き時代にこの種のキャッチセールスを受けるよりも、今の年代になってのサプライズの方がよほどインパクトがある事は歴然だ。

 まあ還暦過ぎた身にして、サリバン業や義母や実母の介護にばかり明け暮れるより、たまには羽目を外して遊んでみるのもよかろうか??

やみくもに上昇し続ける健保の料率

2016年04月23日 | 時事論評
 昨日(4月22日)付朝日新聞記事によると、2016年度の大企業の会社員らが入る医療保険「健康保険組合連合会」の健保平均保険料率は、過去最高の9.1%になったとの事だ。

 早速、当該記事を要約して以下に紹介しよう。
 健保連が4月21日、全国9組合のうち、1378組合の集計結果を速報値として公表した。 それによれば、保険料率を引き上げたのは215組合(15.6%)、引き下げたのは86組合(6.2%)、1077組合は据え置いた。
 会社員の医療保険料は月収に保険料率を掛けて計算し、原則として会社と本人が折半する。 
 保険料率の平均が上昇したのは、高度な医療が広がり支出が増えたことが要因だ。 健保連副会長の白川氏は、75歳以上が入る後期高齢者医療制度への負担が17年に増えることが予想されるとして、「今年度は引き上げを見送り、来年度の引き上げに備えた組合が多かったのではないか」と分析した。
 (以上、朝日新聞 4月22日記事より一部を要約引用したもの。)


 一旦、私事に入ろう。

 一昨日、私は義母が入居している高齢者有料介護施設へ出かけた。 今回の訪問は、義母の認知症状の進み具合に関して、身元引受人の立場でケアマネジャー氏と話合いを持つ事が主たる目的だった。
 予想通り他の入居者の皆さん同様、例外なく義母の認知力は低下の一途を辿っているとの認識で双方が一致した。
 
 その一方、施設より身元引受人宅に届けられる「月報」の中の一資料「調剤薬剤一覧表」に記載されている処方薬剤がまたもや増加している事に気付いた私は、その資料を持参しケアマネ氏に質問した。
 「“アルツハイマー様症状を抑える薬”とやらを処方されたと義母からも聞いているが、そうでなくとも劇薬の数々を処方されてしまい、その副作用と自らの体調の悪さが混合した状態で苦悩している高齢者相手に更なる薬剤を処方するとは、担当医療業社は一体全体高齢者の命を如何に捉えようとの主旨で医療を実施しているのか!?」 (実際は慎重に言葉を選び失礼無きよう丁寧に表現したのだが…。 我が訴え趣旨の真意はそういう事だ。
 この我が質問に対し、ケアマネ氏は後に施設のナース氏に確認を取ってくれ、「身元引受人(私の事だが)のご意思の程は十分に把握しておりまして、当該薬剤の処方は担当医とも相談しまして取り止め措置を採りました。」との事で、ホッと安心した私だ。

 上記義母の事例の場合、施設担当者氏が身元引受人の意思を尊重してくれるお陰で、認知症高齢者に野放図な医療を施す事態を最小限に留められていると言えよう。

 ところが一旦世の中を見渡してみれば、高齢者医療が大手を振ってのさばり続けている。 現在の末端医療とは、高齢者無くして成り立たない程に健康保険収入に依存した医療機関が多発している有様だ。
 2年程前に不覚にも骨折して整形外科に通ったことがある私だが、その際にも患者の8割が高齢者だった。 足が痛い、腰が痛いと訴える高齢患者に対して病院がやっている事とは、その効果の程が不明の“リハビリ”とやらだ。 まさに“信じる者は救われる”論理で成り立っているのが現在の高齢者医療と言えよう。 極論するなら“高齢者詐欺医療”と言いたくもなる。

 この高齢者医療にカネがかかるから、現役世代の保険料率を上げるだと!?!  健保連副会長こそが国家の言いなりになる事なく、遠い昔から野放図に繰り返されている国家と医療との癒着現象の実態を少しは把握して欲しいものだ。 医療業界も市民からの保険料収入にまんまと依存する体質を、反省したらどうなのか?
 私など常に「予防医学」こそが現在の医学が目指す真の姿と認識して、それを実行する日々だ。
 そんな私は、「病院に行かない」「健診も受けない」主義を還暦過ぎた今も基本的に貫いている。

 
 私事が続くが、我が家に於いては亭主が(義母譲りの)医療依存派を現在尚貫いている。 これを医学経験がある私から如何様に指導しても、(晩婚故知り合った時に既に年齢を重ねたいたせいか)その姿勢を改めない。 ただその亭主も義母の「薬依存・医療依存」に関しては厳しい事が、私にとっては不可解だ。
 まあ要するに“医療依存派”とは、基本的に“我が身息災派”の軟弱・単細胞人間、もっと悪く言うと“無知派”“他力本願派”でもあるのだろう。(言い過ぎたならばお詫びします。

 それにしても我が家が現在支払っている「国民健康保険料」など、互いの収入の大きな比率を占めている。
 この私など、(現在歯科医に通院している程度で)ほとんど医療に依存しない現実だ。
 昨日も上記の朝日新聞記事を見て亭主と話し合った。 「私など健康保険に入らない方がずっと経済的かもしれない。」と訴えると、亭主が言うには「入院などした際には、やはり入っておいた方がいい。」


 最後に私論だが、まさに「保険制度」とはそんな市民の“弱点を突く制度”と理解している。
 そもそも「保険」とは相互扶助観点に基づき成立している事実を、経営法学修士取得時にも学んでいる。

 原左都子とは「相互扶助」も回避したい程(左欄の“プロフィール”をご覧下さい。)の集団嫌いの人間だが、亭主のアドバイスに従って今後も「国保(国民健康保険)」に無駄金を費やすべきか??
 我が“死生観美学”に照らしても、今すぐ「国保」を脱退しようかと本気で悩んでいる。

一新卒新入社員が見た今時の職場の風景

2016年04月20日 | 仕事・就職
 我が娘が大学新卒新入社員として4月1日に某民間企業へ就職後、20日が過ぎ去った。

 その間、娘幼少時よりサリバン先生の立場で君臨して来た私が、娘の日々の観察を休んだ事など一時とてない。
 ただ、サリバンとして不覚にも4月4日に歯科にて大臼歯抜歯後38℃超の高熱を出し2日間寝込むとの失態も経験した。 その時にも携帯電話を布団の中に持ち込み、そろそろ娘の帰宅時間かと想像しつつCメールを欠かさず入れ連絡を取り合う作業は欠かさなかった。


 (ここではプライバシー保護のため詳細の記述は避けるが)、我が娘は某分野の技術職員(エンジニア)として民間企業に採用されるに至っている。
 大学にて学んだ専門分野とは大きく“畑違い”のその分野を目指したのには、娘なりの理由があった。
 
 サリバンの目線でも娘は大学にて4年間真面目に学業に励み、「フードスペシャリスト」「フードコーディネーター」「食生活指導士」等々食関連の資格を取得した。
 だが、昨年3月より就活を始めた娘にとって、その分野で内定を取ることは困難と判断したようだ。(サリバンから同様のアドバイスもしたが…。) 
 その分野に於いての就職先とはもちろん食関連企業である事には間違いないが、大卒新卒社員にとりあえず課せられるのは、販売や営業、極端な場合居酒屋での客対応等々顧客対応業務だ。
 これぞ、我が娘が大の苦手とする分野である事を一番にサリバンが指摘した。 同時進行で、娘が就活を頑張る事と裏腹に、あっちで落とされこっちで落とされ続け…
 初夏が訪れる頃、方向転換をするべくサリバンから指導したところ、娘も同様の思いを抱いていたらしく本人自らが就活分野を大幅に変更した。

 その後、娘が一つのターゲットとしたのが、某技術分野企業への就職だ。
 それでも娘が持つ(プラスに表現するなら)“寡黙さ”が災いして、筆記試験は合格するのに面接にて落とされ続ける始末…
 もうダメか…  と一家で諦めかけていた時に娘自らが巡り合い「内定」をゲットしたのが、今春就職した某企業である。
 よくぞまあ、あれ程に寡黙な娘を採用してくれたものだ。(いえいえ、家庭内特にサリバンとの関係に於いてはごく普通に喋くり笑い転げる娘だ。)何せ22年間の二人三脚の歴史が功を奏しているのだが…。

 昨年10月上旬に冒頭の入社企業から「内定」をゲットした娘は、自力で内定を取った事実に何はともあれ感激ひとしおだった様子だ。
 その後、就職先企業指導による「就職前課題」に4月入社までの半年に渡り挑み続け、入社前時点で娘が目指す専門技術分野の「通産省管轄某国家資格」にも合格が叶ったのだ!
 この娘の頑張り力にも感激させられたサリバンの私は、(この子、必ずや当該企業で渡って行ける!)と確信した。


 そして娘は4月1日に入社後、第二週目の4月4日から、(親の視点から考慮しても)実に厳しく専門性が高い「実務研修」を課せられた。
 38℃超の高熱を出して寝ている我が布団の中で、連夜いくら待っても娘からCメール返答が来ない。 一体どうしたのか? 新卒入社したばかりの子供に企業は一体全体如何なる試練を与えているのか?? この事自体が我が病状を更に悪化させる…。

 ただ、2週間の研修後判明した事実とは、採用企業は敢えて新入社員である娘に対して“高いハードル”を通過させたものと理解する。  この試練に耐え切れるならこの新卒新人は使い物になる、との企業側からの課題だったと今は把握している。
 と言うのも入社後3週間を経過した現在、娘は入社前より配属先として指定されていた某出向先に勤務している。 娘の出向先とは、国家の息がかかる某組合組織なのだが…

 娘曰く、「その出向先組織にての業務が生ぬるい…。 私は入社直後に受けた厳しい研修こそによほど達成感を抱けた。 帰りが夜の11時半になってもいいから、私は今後もあの研修時の仕事を担当したい!」
 (さすが、サリバンが指導した娘だ。 それ程までに力強く育ってくれていた事実にサリバン母としては嬉しい限りだ。 ただ、貴方の帰宅時間が夜な夜な午後11時半になるのは、還暦過ぎた高齢母にとっては自分の身を削がれる思いだ。 もうしばらく現在の出向先の様子を見ようよ。)


 昨夜も帰宅した娘に、娘が現在出向勤務している“国家の息がかかる某組合法人”での任務の様子を尋ねた。
 これが実に面白おかしくて、笑い転げた私だ。

 娘曰く、出向先の某組織は超高層自社ビル内の某フロアにあるのだが、そのフロアオフィスには2~300名の職員が勤務しているらしい。
 その“一島”(と表現するべきだろうか)に8名程ずつの職員がまとまっている構造との事だ。 当然ながら、その“島”のリーダーは某組合法人の若手職員である事は想像可能だ。

 「で、新入り社員の貴方は、例えばゴミ処理とかコピー取りとか、お茶入れなどの業務を要求されるよね??」と聞くサリバン母に対し娘応えて、「そんな業務は今時一切ないよ。」

 確かになあ… 
 と時代の変遷を思いつつ更に娘に確認すると、その“島”内の職員達が一日中必要以上の会話をほぼしないとの事だ。
 娘の話によれば、昼飯時も“島”内の職員がバラバラの行動を採っているとの話…。

 そんな現在の時代の趨勢が十分に分かる気もするし、私が若き頃より職場がそうであったならば、単独行動を愛好していた私にとっては楽が出来た気もする。
 そんな意味で、この現象を私は「進化」と捉えたい思いも抱く。
 昔の職場に於いては、とにかく女性陣は“お喋り好き”が大多数だった。 それがプラスに働く職場もあろうが、そもそも仕事中の私語を慎むべきと考えていた私など、部下に対する指導に難儀したものだ。

 NHKが発信した「無縁社会」の実態が職場にも蔓延っている現実を、新卒入社早々の娘より聞く話で再確認した思いでもある。

 (おっと、新入社員の立場の娘が話してくれた“面白おかしい話”とは職員の皆様のプライバシーにかかわる話題であるため、ここでは割愛させて頂こう。 それにしても他人の観察力の鋭さがサリバン譲りである事に驚かされる。 ただこの話を聞いて、娘が当該職場に馴染んで行けそうな感覚を抱けた。)

 何はともあれ、我が娘には「専門力を確かに身に付ける」事を第一義として、今後も自分がゲットした職場組織で達成感を抱けるべく精進して欲しいものだ。

「家事」ではなく「衣食住関連業務」とでも称したらどうか?

2016年04月18日 | 仕事・就職
 冒頭より再度、熊本県はじめ九州地方に発生している大震災のお見舞いを申し上げます。
 被災者の皆様は避難所や自家用車内等々にて不自由な生活を強いられている事実と存じますが、くれぐれも身の安全を第一義として守られますことをお祈り申し上げます。


 さて、エッセイ本題に入らせて頂こう。

 4月から放映されているNHK連ドラ「とと姉ちゃん」が、原左都子の個人的感想だがまったく面白くない。
 何が面白くないのか説明せよ!と言われても、未だ始まったばかりのドラマのためそれすら論評不能なのだが、とにかく日々このドラマを見てはダレ続けている。
 視聴率は好調らしい。 それは新ドラマ開始直後に於いてはいつもの事だ。  このドラマシリーズを見ている国民とは、何十年来“惰性”でテレビのスイッチを入れ、それを眺めているとの事だろう。 故に、真に視聴率で勝負するのはこれからが踏ん張り時!、と私は判断している。
 私の場合は昼の天気予報及びニュースを確認する流れで、そのまま昼ドラ再放送を見る(というより眺める)習慣がついている。 ドラマが面白いか否かにかかわらず、在宅の折には必ずその習慣があるというだけの話だ。

 まあそれでも、一点だけこのドラマの“いい部分”を発見した。
 それは、(西島秀俊氏が扮していた)父親亡き後、母と娘3人の女性一家4人が平等に「家事」を分担しつつ、何だか穏やかな家族風景を醸し出している点だ。  あくまでも個人的感想だが、これにはほのぼのとした風情を感じさせられる。 ここに一人でも男が存在したならば、(現世に於いては“男も家事をせよ!”どうのこうのの小競り合いが発生して)これだけの“ほのぼの情感”は描けない事だろう。
 ただ残念ながら、本日(4月18日)の放送より舞台が母の実家がある東京に移る様子だ。
 またまた、私にとっては当該ドラマの“面白さ”の行く末が未知数と相成ってしまった。 


 さて、「原左都子エッセイ集」長年の読者の皆様は、私には若き頃より結婚願望がさほど無かった事を既にご存知であろう。
 その後も、「主婦」だの「家事」だのとの単語を忌み嫌う私だ。 そのため、例えば結婚後再就職活動をする際にも、決して自分の肩書きを「主婦」などとは記さず、「無職」で統一して来た。 それほどに、私は「主婦」なる言葉に今尚嫌悪感を抱き続けている。
 そんな私だが、実は家庭内では一家を牛耳る立場にある。 
 (あくまでも家庭内での話だが)私は、「総務大臣」「財務大臣」「外務大臣」「消費生活担当大臣」「高齢者医療担当大臣」「災害大臣」「文部科学大臣」「防衛大臣」等々…  「少子化対策大臣」以外の大臣として家庭内で君臨している立場だ。

 その“働き”に対し十分な評価を家族からもらっている(?)身としては、今更ながらその任務を家庭内の誰かに(私が早死にしない限り)受け継いで欲しいとも考えていない。
 適材適所こそが人間の職に於いての生きる道との思考がある私としては、それらの能力に欠如している家族を捕まえて、今更、それを「お前らが担当せよ」だの、「私の苦労を理解せよ!」だのと訴える気もない。
 ただ一点心配なのは私が一家で一番先にこの世を去った場合、一体この家庭がどうなるのか??程度だ。
 そこまでは私の知った事ではない故に勝手に暮らしてもらえばいいだろうし、そうなった時点に於いては我が家族達もおそらく多少の努力が出来る能力を有していると捉えている。


 話題を変えよう。

 朝日新聞 4月16日 “悩みのるつぼ”相談は、18歳大学生女性による 「家事をせず母の悪口を言う父」 だった。 
 以下に、その内容を要約して紹介しよう。
 18歳の大学1年生だが、父は自分で洗濯ものを畳んでしまう事をしない。 母がそれをやる。 父は「あいつ(母)がやるべき事だ」と主張する。 なぜ父がそう考えそれが正しいと思っているかが全く分からない。 母は働いているので時間が足りず、洗濯ものが溜まってしまうこともある。 すると父は怒り出す。 そんなに怒るなら自分でやれば、と私が提案しても、「あいつ(母のこと)は昔から…」と母の過失失敗について話を始め、私の質問の答えが返って来ない。  弟も自分の弁当箱を洗わなくなった。 私はそれはおかしいと声を上げたが、父はおかしくないと言い、母は疲れている。 家にいるのがつらい。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より、18歳大学生女性の相談より要約引用したもの。)


 一旦、原左都子の私論に入ろう。
 我が亭主も、洗濯ものを畳まないどころか、結婚以降「家事」なるものすべて一切をしない。 ただ上に記した通り、私も娘も含めその事態に際し現在に至って“許容”可能な家族関係を保っている。
 もちろん私とて娘の指導・教育に多大な労力と時間がかかったサリバン時代には、それに関し十二分に亭主を責め、互いに(離婚を視野に入れた)激戦も繰り返して来た。
 ただ長き独身時代にある程度の職業経験を積んでいた私は、サリバン激務時代以前より人材配置の「適材適所」感覚があった。
 うだうだ亭主を責めるよりも、私が「家事」のすべてを挙行する事がよほど効率的であるし、家庭内の安泰が保たれるし、その方が我が子の成長にも結び付くと。
 しかも我が家に於いては、亭主の穏やかな性格にも助けられていると結論付けられる。
 時折、私が亭主に尋ねる。 「もしよかったら貴方もこの家事を担当する?」 そこで返って来る回答とは、「○子(私の事)がした方が上手くいくよ」
 そんな亭主の持つ先天的な“可愛らしさ”についついその気にさせられる我が家の「家事」は、私が死ぬまで100%担当する事だろう。


 朝日新聞相談者である18歳女性の家族関係が大いに気になる。

 相談者が父親を責める一方、母親の姿が一切見えない相談内容だ。
 もしかしたら、そもそも一家が上手く機能していない家庭かもしれない。 そんな家庭に対して如何なるアドバイスをすればよいのか困難だ。
 この家庭の場合、母親側にも大いなる責任がありそうな気もするのだが、相談者の娘さんが父親を責めている現状に即して私からその観点でアドバイスをしておこう。

 今の時代、家事を実行するに当たって父も母もへったくれもないであろうが、もしも貴女の父親が「家事」なる事柄を卑下していると仮定して…
 職場でも家庭でも人の能力発揮には何の変わりもない。 能力ある人材こそが何処でも生き残れると私は考える。 相談者のお母上は職場での仕事に加えて「家事」一切をこなす能力に恵まれているのではあるまいか? だからこそ、父親はそれの一切合切を母親に任せているのかもしれない。 
 決してよく働く事が「損」ではあり得ない。 怠け者よりも働き者の方がよほど充実した人生を歩めるものと、私は信じている。 

 それが老後に差し掛かったならば、まさにその差が歴然となる事だろう。
 「家事」すなわち、自分自身の「衣食住関連業務」を自ら遂行不能な人間など、高齢域に達したり(あるいは極論だが大震災等々の予期せぬ激甚被害に際し)、まず一番最初に命を絶つ運命にあろう。