原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“手抜き”の中にどうやって「愛」を入れ込むか?

2020年07月30日 | 人間関係
 (冒頭写真は、2020.07.26朝日新聞内全面広告より引用したもの。)


 5日前にも同じシリーズの広告を紹介した。

 その回のテーマは「ジム(ランニング)」だったが、我が現在一番に入れ込んでいる趣味のため筆がスムーズにすらすら進んだ。


 今回のテーマは180度転換して、我が一番苦手(というよりも、もっと積極的に“嫌い”)な料理だ。
 そんな我が料理嫌いな実態を綴った2008.08.17公開バックナンバー「料理嫌いな女」の一部を、以下に引用させていただこう。

 自信を持って言うが、私は料理がとことん嫌いだ。
 料理が“苦手”と表現するならばまだしも可愛げもあろうが、“嫌い”と明言する程の真正の料理嫌いである。
 なぜ私が長い期間独身を通したのかと言うと、本当のところは人様に料理を作って「どうぞ、召し上がれ。」などという、背中がむず痒くなるような殊勝な心がけを一切持ち合わせていないためと言っても過言ではない。
 (男性の皆さん、私を嫁にもらわなくて大正解でしたね!!)

 私がなぜ料理が嫌いなのかと言うと、その第一の理由は料理に費やす時間がもったいなくてしょうがないのだ。
 独身時代は特に、やるべき事をいつもいつも山ほど抱えている私にとって、基本的に料理に費やす時間はない。私の生活における料理の優先順位は最下位であった。
 かと言って食べる方は大好きなのである。自分で料理を作らない分、外で食べ歩いたり出来合いの料理を買い込んだりして食べたものだ。独身貴族の身でグルメ三昧の日々を送り、舌だけは十分に肥えている。

 料理が嫌いなもうひとつの理由は、基本的に私は破壊的思考よりも建設的思考を好むためでもあると自己分析している。
 私にとっての料理とは、食材を撒き散らし油を飛ばし、周辺をギトギトに汚染し破壊していく行為なのである。この汚染と破壊が耐えられない。 そのため、私が料理を作ると一動作毎に掃除、片付け作業が入る。至って効率が悪いのだが、周囲を汚染したまま次のステップにはどうしても移れないのだ。

 私は見合い結婚だが、お見合い時にこの“料理嫌い”については公約事項として名言した。そして、現在の連れ合いはそれを承諾した上で成婚に至っている。
 ところが蓋を開けてみれば、この公約はすっかりどこかに吹っ飛んでいて料理をぞっこん依存される日々である。結局は恐るべき“飯炊き女”の日々が待ち構えていたのである。  (中略)
 
 特に亭主の長期休暇等で1日3食“飯炊き女”の負荷を課せられ続けると、私の内部に料理ストレスがどんどんと蓄積してくる。そしてこれが許容量を超えると爆発してしまうのだ。 昨夜、ついにこの大爆発を起こしてしまった。子どもも呆れる大バトルを亭主と展開してしまった。
 お盆休みも後、今日1日の我慢だ。何とか持ちこたえよう。

 料理嫌いの母(私のこと)にとってもっと気に食わないのは、子どもへの愛情を料理(母の手料理)で測ろうとする社会風潮だ。 
 子どもの保育所入園の際の面談で、「好きな食べ物は何ですか?」との質問が来た。想定内ではあるのだが、私にとっては嫌悪感を抱かされる質問である。子どもが「スモークサーモン」と無邪気に答えたところ、「お母さんの手料理の中から答えてね。」と来た。父子家庭等への配慮にも欠ける発言である。「その言葉、待った!!」と印籠をかざして抗議したいところではあるが、何とか抑えた。結局はこの保育所の旧態依然とした権威主義的体質が我が家の教育方針と相容れず、子どもを入園させなかったのだが。

 もちろん、私なりの食教育は子どもに対し日々行なっている。栄養バランスの重要性、摂取カロリーの適正性の維持、そして子どもの体調、体型の管理に関しては厳しい母である。その成果もあり、子どもは今のところ健康で理想的な体型を維持し続けている。  

 そうは言っても、世間の大多数の人々の理想はやはり“料理好きな”女性であろうなあ。その気持ちはわかるよ。
 だって、この私も料理好きな奥様が欲しいくらいだもの。 

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 このエッセイは反響が大きく沢山のコメントを頂戴したが、その中の一つ、某男性より頂いたコメントとそれに対する我が返答の一部を紹介しよう。
 
 料理を相当嫌っておられるご様子ですね。
 原さんのお母さんはお料理はどうだったんですか? 
 私の料理観としては、特に女性がするべき仕事と決める必要は無く、夫婦間でその役割をどちらかが担えばよいと思います。勿論交互でも可。 (以下略)
 
 〇〇さん、理想的な旦那様でいらっしゃいますね! (原左都子)
 〇〇さんがおっ察しの通り、これは母の影響力と育て方が大きいのです。
 私の母は定年までフルタイムで働いた人間なのですが、家庭での食事の支度は祖母が主に担当していましたので、私は小さい頃に母が台所に立つ姿をほとんど見ずに育っています。
 そして、母は娘(私と姉)に対し“奥様”になることよりも職業人として自立することを望んでおりました。結婚など二の次でよいと考えていた人です。まさにそれを実践し、私は独身が長かったのです。
 やはり、親の背中や考え方の影響力は大きいですね。 

 (以上、コメント欄より一部を引用したもの。)



 この我が実母に関してだが。
 我が中3時に祖父母の家を出て、親子3人暮らしになった。(姉は本人の希望で祖父母宅に残った。) そうなると、自ずと母が3度の飯の支度を担当するようになるのだが。
 実母に関して言うとやはり料理嫌いだが、手先が器用なのと味のセンスが良くて出来上がった料理はいつも美味しかった。
 ところが、この実母の究極悪い癖とは。
 台所で料理を作りながら、私が近くにいるといつも「歯痒い! 歯痒い!」を繰り返しながら料理作りをしたものだ。 要するに、(私は仕事をしているしこんなことしたくもないのに何で私一人がせっせと作らねばならないんだ!!)と無意識に私に訴えて来たのだ!  (ならばそれを家族に直に訴え出て、たとえば娘の私にも料理を手伝わせる等の方策が取れたであろうに、そんな改革心が実母には一切無かった。)
 その行為は決して父の前ではしなかった。 要するに暗に私に甘えての言動なのだが…
 この実母の悪癖は、私が上京した後に帰省した際にも続いた。 やはり台所に立ちながら、私が近くにいると「歯痒い!!」を繰り返しながら料理を作った。 これを聞かされるのが嫌で嫌で、帰省しても娘と二人でホテルにて宿泊し外食する習慣となったとも言える。 (そんな我が心境を、実母は本気で未だに知らない…。酒好きの私が旧友達と会合していたと信じている。)


 こんな反面教師の愚かな実母は、同じく料理嫌いな私に「教訓」を残してくれた。

 それこそが、表題の「手抜きの中にどうやって“愛”を入れ込むか?」である。
 要するに嫌々ながら料理を作っていいが、決してそれを周囲に暴露しない! との鉄則だ。

 冒頭の広告は、「本当は自分が笑顔でやれる範囲のことを、ほどほどにやるくらいがちょうどいい」との結論に達しているようだが。
 私に言わせてもらうに、「ほどほどにやる」はよしとして。 人間とは、嫌いな事を決して笑顔ではやれないものだ!! それは勘弁して欲しい!

 
 我が結論としては。
 「笑顔でやれずとて、手抜きの中にも“嫌い”との気持ちを隠しおおす“思いやり”」こそが肝心要なのではなかろうか?

昨夜、またもや“大量PV”のプレゼントを頂戴しました!

2020年07月30日 | 自己実現
 (冒頭写真は、昨夜12時~1時頃にかけて頂いたPV。)



        
         本日公開(昨日分)のPV数がご覧の通り10,000超となっている。 我がエッセイ集に頂ける普段のPV数がほぼ4~5000前後のため、その合算でこの数値となっている。


 編集画面を確認すると、そのほとんどを Chrome より頂戴した様子だ。




 どちらのどなたかは存じませんが、大量PVプレゼント誠にありがとうございます!


 「原左都子エッセイ集」著者の私どもと致しましては、大いなる日々の執筆の励みとなります。


 今後共時折頂戴するこんなサプライズを楽しみに、エッセイを公開し続けて参ります! 😃 


        

池上彰さん、小池氏はそもそも総理を狙える器じゃ無いなりにも…

2020年07月28日 | 時事論評
 冒頭より、本日見たネット情報を引用しよう。


 池上彰、東京五輪「来年の開催は無理」 小池都知事の今後を予想


 池上:コロナ関連のニュースでは来年夏の東京五輪についてもよく取り上げられていますが、年内にワクチン開発ができても開催は無理ですね。できるわけないです。
 池上:つまり、ワクチン開発がうんと早くても、年内にできるかもしれないけど、世界中の選手たち、あるいは選手団の関係者みんなにワクチンの投与ができてはじめて、じゃあ東京に行こうか、ということになる。 本当に限られた先進国の選手は来られるかもしれないけど、世界中の、東南アジアだったり、アフリカだったり、中東だったり、そういう人たちにまでワクチンが行き届いていますか、といったらあり得ないですよね。
 池上:来年の夏は無理です。再来年の夏ならぎりぎり間に合うかもしれませんけど。
 佐藤:しかし、東京五輪ができないということになると、五輪をやるという公約で東京都知事選に再選した小池(百合子)さんは、都知事の座を投げ出して国政に打って出るいい口実になる。 IOC(国際オリンピック委員会)と日本の国の壁によって、五輪をやりたいのに実現できなくて、都民に公約を果たせなかった──。 私は都知事を辞めて、こういう形で国政に打って出る形で、きちんと約束を守る政治をしたいと思うと。出てくるかもしれないですね。
 池上:そうですね。
 佐藤:私が小池さんだったら、そうしますね。 今、スリム化した五輪をあえて公約に掲げていても、できないのはわかっているはずですから。 だから、できないと決まった時に人のせいにして、総理を狙うというのはいい選択ではないか、と考えていると思いますね。

 (以上、本日見たネット情報よりごく一部を引用したもの。)



 原左都子の私論に入ろう。

 この手のネット情報の無責任さに、違和感と反発心を抱く私だ。
 小池知事が2021年夏に東京五輪を開催不能なことなど、見識者は皆既に予想済みの話だ。


 これ程までに、“コロナ禍”が日本中に激増している現況下に於いて、何故今その議論を“それみよがしに池上氏等の”見識者(?)達が繰り返さねばならないのか?!!

 これ、単なる“小池さんいじめ”である事が明白であるのに加え、この議論を今の時期にあえて(専門力も無いくせに単に少し名が売れている事実のみにすがり)繰り返す愚かさに、私はせせら笑いたくなるほどだ。


 私は別段、小池さんの見方をするつもりはない。

 その身にして、今現在都知事として都民の指導のトップに君臨している小池さんの心中を察することが出来る気もする。 
 確かに、小池さんには“コロナ禍”に関する何らの専門力も無いことであろう。
 コロナワクチンの開発が一般市民が考えている程に容易ではない事実など、この私ですら認識出来ている。 それは都知事の小池さんとて同様であろう。
 それを批判する池上さんにその専門力があると言えるか!??
 いえいえ池上さんとの人物は、それを批判するのが現在の仕事なのであろう。
 ならばもっとその専門力を鍛え直した暁に、世にもの申したらどうなのか??


 人の批判とは容易いことは、常に我がエッセイ集にて批判精神を爆発させているこの原左都子とて重々承知の上だ。

 ただ、この私はあくまでも素人の立場でそれを実行してきている。

 その道のプロである池上さんに、今一度申し上げたい。
 貴方の現在の業務が、“世に目立つ人の批判”であることを私は承知している。
 それ故に、貴方が何の批判議論を展開しても許されるのであろう。


 都知事小池氏に話題を戻すと。
 表題に掲げた通り、彼女はそもそも一国家の“総理”を狙える器ではないだろう。
 にもかかわらず、7月の都知事選で莫大な数の得票数を得て都知事にトップ当選した人材だ。
 私は決して小池氏に投票しなかったが、そんな小池氏が持つ“魅力”の程を理解出来る気もするのだ。 

 上記情報内に書かれている、佐藤さんとやらがおっしゃるとおり。
 少なくとも、(専門力は無いが頭の良い)小池さんは、2021夏に東京五輪が開催不能な事実を分かっていると私も捉えている。

 
 後はそれを小池さんがいつ発表出来るのか?、ということに尽きるであろう。

 小池知事の、2021夏東京五輪中止に関する“早期の勇断”に期待したいものだ。😡 

gooの通販サイト “マルシェル”、なかなかの力作揃いです!

2020年07月28日 | 芸術
 (冒頭写真は、goo通販サイトにて購入し昨日自宅に届いた「猫のイヤリング」。)





 マルシェルでのお買い物は、これが3作品目だ。



 一番最初に購入したのは、このイヤリングでした。
        
         実に素晴らしい芸術作品です。  すっかりお気に入りで、部屋に飾って観賞してはうっとりしています。 (本エッセイ集バックナンバーにて紹介済みです。)





 そして2個目に購入したのは。
        
         同じくmama-la houseのmama-laさんによるこの“イルカのキーホルダー”をゲットしました!

 
        
         この作品は、現在鞄のチャームとして使用しています。





 そして3個目が、冒頭写真の“猫のイヤリング”です。
        
         こちらが、ほぼ実物大。 いえ、実物の方がもう少し小さいかな?




 mama-laさんの芸術作品は、作品そのものが素晴らしい!のに加えて。
 
 すべての作品が“送料無料”にもかかわらず、厳重な包装に心を配られているのに加え、必ずや手書きのメッセージを同封下さっています。

        


        


 すっかり私は、mama-laさんのファンです!



 goo通販サイト“マルシェル”はネット上にて開店して間もないために、未だ販売している作品数が少ないようですが。
 
 私が購入させて頂いているmama-la houseのみならず、力作揃いです。

 (ただし、商品の価値よりも多少高額かな?? と感じる商品もあるにはあります。 特にgoo上にてブログで名を売っている人物の作品はかなりの高額設定がなされています。 正直言って私はあんなもの一切要らないがファンとは有り難いものであり、経済市場原理に従った価格設定という事なのでしょう。)😷 


 皆様もご興味があれば、一度“マルシェル”を覗いてご覧になっては如何でしょう?

 (決してgooの回し者ではないどころか。 最近我が「原左都子エッセイ集」がgooに邪険に扱われている感覚すらあるのだが…  それって単にオピニオンブログを公開している我が被害妄想だということも重々分かっての記述だが…。  いえいえgooさん、我が言いたい放題ブログをいつまでも公開して下さるのみで、重々感謝申し上げております。) 

“コロナ禍”議論、是非とも冷静・沈着に…

2020年07月27日 | 時事論評
 これ程までに、“コロナ禍”が都市部を中心に猛威を振るっている現状下に於いて。
 
 どういう訳か、国家の首相は既にメディアにその姿を現さなくなってしまったし… また都知事の小池氏も相変わらず科学的根拠無き指導しか展開出来ずにいる…


 そんな折、私は我が「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて、「放射能議論は是非とも冷静・沈着に」と題するエッセイを公開していた事実を発見した。
 2011.09.19公開の当該バックナンバーの一部を、以下に再掲載させていただこう。

   本日(2011年9月19日)昼間のNHKニュースにて、福島第一原発事故関連の報道を2本立て続けに見聞した。

 その一つは、日本原子力学会が本日開会されたニュースである。
 この学会の全体会において、学会長であられる東大教授が以下のような内容の挨拶を述べる影像がニュースで映し出された。
 「3月11日に発生した東日本大震災に連動して福島第一原発事故が生じ、福島県民をはじめとする国民の皆さんに多大なご迷惑をおかけしていることを大変遺憾に思っている。 このような大規模原発事故が発生することは我々原子力学会においても想定していなかった事実を認め、お詫び申し上げたい。」

 私論に入るが、東日本大震災自体は天災であろうが、福島第一原発事故は“人災”であることを本エッセイ集のバックナンバーにおいて再三指摘してきている。
 “人災”である以上、その責任を取るべき人物なり組織が必ずや存在するはずだ。 それは政府であり、そして原発開発、推進、運営に係わった専門家達であろう。 
 その意味で原発研究の専門家集団である 日本原子力学会 の責任は重いものがあると前々より捉えていた私であるが、本日初めて謝罪らしき言葉が聞けた思いだ。 願わくばこの非常時においてはもっと早い時期に学会臨時総会を開催して、上記の謝罪の言葉を福島の皆さん及び国民に向かって発して欲しかったものだ。
 現在開催されている原子力学会総会においては、おそらく今後の原発放射能汚染よりの復興に対する専門的な意見が取り交わされていることであろう。 遅ればせながらでもよいから、どうか一日も早い原発事故収束のために専門家集団は日々精進を続け、その情報を逐一国民に公開して欲しいものである。


 そしてもう一つのニュースは、昨夜愛知県日進市において開催された花火大会にて、福島県川俣町で作られた花火を打ち上げ中止としたとの報道である。
 この花火大会においては福島県川俣市で制作された花火80発を、日進市にて福島原発復興支援目的とのスローガンの下に打ち上げ予定だったとのことだ。 ところがその事実を知った愛知県地元住民より、放射能不安趣旨のクレームがメール等で寄せられたらしい。 開催主宰者である自治体はこのクレームを受け入れ、急きょ川俣市の花火の打ち上げ中止を決定したとのことである。 当然のことながら、福島県川俣市側は困惑を表明しているようだ。

 私論に入るが、この種の復興支援イベントとは企画段階から慎重に計画実行されるべきだったの一言に尽きるのではあるまいか。
 原左都子自身は決して、先だって暴言を吐いて辞任した鉢呂ナンタラ大臣のごとく福島が「死のまち」などとは捉えていない。 いつか遠い未来には必ずや福島の皆さんのかけがえのない郷里として復興する日が来るであろうことを、一国民として祈っている。
 ただ、一旦目に見えない放射能にレベル7で汚染された国や地域がその脅威から復興出来る時期の遠さを、我が過去の医学経験からある程度は理解できる気もするのだ…。 その観点から考察すると、愛知県の自治体において昨夜行われようとしていた川俣市の業者制作による花火の放射能の程を愛知県側の市民が慮る思いも理解できる気もする。
 福島の皆さんの復興支援を是非共行いたい気持ちは国民皆山々であろうが、ここは自治体の長や幹部たるもの放射能の脅威も少しは視野に入れて、企画段階から世間を騒がす結果とならぬよう、そして福島県民の皆さんの感情を逆なでする結果も回避するべく重々配慮した上でイベントを開催して欲しいものである。
  
 (途中大幅略すが。)

 私も当然ながら福島の復興を願う皆さんの思いは重々理解できている。
 ただその思いと、自分の健康を放射能汚染から守っていくこととは元々相容れない命題ではなかろうか?
 先だってのテレビ番組に於いて、とある有名人教授が「福島の野菜や牛肉を食べると健康を害するからできるだけ捨てよう」と発言をして世の物議を醸しているらしい。  当該有名人が発した言葉自体には信憑性があると私も考えるが、確かにこの種の著名人がメディアで発言をする時には視聴者が千差万別であるが故のその影響力の程を鑑みるべきであろう。  ただ、放射能汚染を巡る対応策とはやはり慎重になされるべきというのが原左都子の私論であることは揺らぎ無い。
 土を削ったらそこで子ども達が運動会をしてもOK???  福島はじめ東北地方の野菜や牛肉等の農作物を食べる事こそが復興に繋がる…… ???
 どう対処すれば、その種の短絡的発想から抜け出れないでいる善良復興支援者達の真の放射能汚染被害を守る事が出来るのだろう……  
 日本原子力学会も本日遅ればせながら自らの過ちを認めた事だし、原左都子も真に国民の健康を放射能汚染から守るために今後如何なる行動を取ればよいのかについて、引き続き考えていくことにしよう。

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)



 2020.07.27の今現在思うに。

 2011.03勃発した福島原発問題に関しては、意外や意外、その議論が政権も専門家筋も含め国民全般の間で歪みつつも成り立っていたような記憶がある。
 それは、この原発事故がまさにこの日本国内で勃発した大惨事だったからに他ならないのだろう。


 片や、現在世界を震撼させている“コロナ禍”の場合、どういう訳か国内でこの危機状態に関する議論が未だまとまらない現状だ。
 それはまさに、そもそも国内にて勃発した現象では無い事実であるが故であろう。
 今一度繰り返すが、今となっては国家の首長である安倍氏がこの事案に関して一切姿を現さなくなっている。  都知事小池氏に関しては時折メディアに姿を現すものの、いつまでたっても科学的根拠無き発言にて場を濁すばかりだ。
 要するに政治家達の底辺思想として、“コロナ禍”とは自分たちが蒔いた種では無いとの“他人事”意識がその根底にあるのではなかろうか??


 とにもかくにも、この“”コロナ禍”問題、今後のその解決策を既に国民市民一人一人の思想と行動に委ねられている感覚を、私は既に6月頃より抱いている。

 もちろん自治体によっては、力ある首長の下にその指導力が発揮されていることでもあろう。

 ただ、国民達よ。
 そうではない自治体が大多数である現実下に於いて。 
 今後とも、出来る限り自分の命は自分で守ろう!