原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

明日、やっと義母のお骨を墓地に納骨です…

2025年02月28日 | 人間関係
 それで、今回の一連の「義母の死」にまつわる業務は終了します。

 
 この原左都子にとって、これ程までに本人の死去から、葬儀、納骨と積極的にかかわったのは、この義母の死の後始末が我が人生における初めての体験でした。


 いえいえ、葬儀に出席したことは何度もある。
 その中で一番大変だったのは、実父の葬儀だっただろうか??
 実父の葬儀は郷里の実母が喪主となったのだが。
 どうしたことか、その実母が予想していない程の「大規模葬儀」を執り行ったのだ!!
 そんなこと、控えめに生きて来たと思しき父親が望んだわけも無いはずなのに。 何故か実母が盛大な葬儀を実施した!!

 「父が亡くなったからその葬儀に一家で出席するように」との実母の指導に従い、亭主と未だ幼稚園児の一人娘を幼稚園を欠席させて郷里に向かったところ。
 既に実家には、実母が集められるだけの親戚筋を集合させていた! その数40名程だっただろうか??? 狭い郷里の実家が人で溢れたいたことを思い起す。
 ところが様子がおかしいのは、実母が父の親族と自身の親族を分離して、それぞれ別部屋に集合させていたのだ。 その実母の親族部屋がピーチくぱーチクとの賑やかなこと!! まるで葬儀の場ではなく、どんちゃん騒ぎが始まりそうな勢いだった!
 片や実父の親族は、仏壇がある部屋に通され、皆が静粛にしていた…

 未だ幼稚園児だった我が幼き娘にとって、どんちゃん騒ぎの方が面白いに決まっていて、実母の親族部屋で楽しく過ごしてくれたのは良かったのだが…

 深夜の12時が近づいて、おそらく実母本人が寂しかったのだろう。 
 「これから“通夜”をするので、皆さん残って下さい!」と指令する。
 娘のこの私とて、本日急に実父の葬儀に呼ばれて疲れ果てている… 明日の葬儀は出席するとして、もう寝かせて欲しいのが本音だ。 ただ、実娘の立場としてそれは許されないと判断して、通夜に付き合った…

 結局、実母の親族のみが残って夜中の2時頃まで「通夜」(と言っても実母が自分の親戚と話し続けたのみだったが。)が続けられ。

 翌日は、葬儀場は朝9時の予約だったと記憶しているが。
 真っ先に娘の私が現場に出向いて、葬儀場にて来客に挨拶せねばならない。
 実母が招いた葬儀客が、なんと!! 親族、近隣住民の方々含めて50名程だっただろうか! 
 実母の親族の中で一番の近親者である私が、その全てに挨拶せねばならないのは私自身の勘で心得た! そして、来場者(ほとんど知らない人ばかり!)全てにご挨拶を施し。
 その後も、実母がまめに動く人間でないのを重々承知している私が、葬儀が無事に進行するように心得つつ動こうとしていたところ。
 葬儀社の方が、「親族のどなたかが、葬儀場の“お棺”を見守っていただけませんか?」との要望で、これも私が引き受けた。 (正直言って、これで私はやっと寛げたのが本音だ…)😱 

 長くなるので後は省略するが。


 とにかく、我が父の葬儀程心身共々疲れた葬儀は無かったと結論づけられる。

 こんな、「疲れる葬儀」など施して死者が嬉しい訳もなかろうに!!
 私は今でも、実父の葬儀を盛大に実施せんと企んで、それを実行した郷里の母親の馬鹿さ加減を軽蔑し恨んでいる。


 そんな身にして…

 親族集めてどんちゃん騒ぎせずしても。

 死んだ人のために葬儀を実行して 墓に入れる作業とは、実に大変である事実を思い知らされている今回の「義母の葬儀」関連事象である。
 (実際、実母の葬儀喪主である亭主が激務続きで、現在体調不良状態です…)


 明日はその総集編として、亭主と共に義母の「墓入れ」を実行してきます。

 人の「葬儀」とは喪主にとってはまさに体力勝負であって、決して甘くないです…


昨日、義母が入居していた高齢者介護施設へ義母の遺品を引き取りに行きました。

2025年02月27日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、昨日原左都子が自宅に持ち帰った義母の高齢者介護施設の遺品のほぼ全部。)


 義母が亡くなったのが去る2月15日、葬儀が2月19日だったので、葬儀後1週間が経過しての 義母の施設部屋片づけ作業だった。

 義母の部屋に到着してみると 騒然としているというのか 部屋中雑然としたままで、我が第一印象としては、(これ持ち帰り品を探すのが大変だなあ!)😵 だった。
 まあ 元々持ち帰るものは最小限にしようと考えていて、残りは廃棄処分を予定していたため。 とにかく、持ち帰り品を探す作業に集中することとした。


 まずは、「貴重品」からと考えて。
 義母がコレクションしていた“宝石類”を探したところ、これがどういう訳かごく少数しか無い。😶 ???
 (その理由を詮索するべきで無い)と心得つつ、義母が持ち込んだよりも大幅に少ない“宝石類”を探索した。

 その結果が 冒頭写真の左上の指輪2個と、右上の真珠のネックレス等々のみだ。
 いや実際、この私も義母がこれ以外の宝石類を施設内で普段から身に付けていたのを何度も見た経験があるのだが… 
 いや、もういい、義母が死去した後にこの話題を施設内で出すべきでないと心得た。

 写真の中で一番高価なのは、左上の指輪の一つだ。 この指輪は、プラチナ900と18金の合金の中に小さなダイヤモンドが22個ちりばめられたものだ。
義母のお気に入りの様子で、この指輪をいつも身に付けていたため、これを発見できたのはラッキーだった。
 後の宝石は大した価格でないし、私の記憶では発見できなかった宝石類もさほどの高額では無いと判断し、諦めた。

 次なる“獲物”は、右下の毛皮のストールだが。
 この毛皮が何の動物の毛皮であるかは私は知らないが、とにかく義母が何枚か持ち込んだ毛皮製品のうち、これしか残っていなかったため持ち帰った。 
 その他の洋服類は、私が気に入ったものを持ち帰らせて頂いた。

 お洒落が趣味の義母の部屋には、3つの洋服ダンスとクローゼット、そしてベッドの横に沢山の洋服が陳列されていたが。 まあ洋服に関しては、そもそも義母と私では身長差が激しいし体型が大いに異なるため、ブラウス類を数枚のみ持ち帰らせていただいた。 (上記写真を参照下さい。)


 実は、昨日はこの私も義母が持ち込んだ私物に関して、大いなる“不可思議感”を抱いていたのが正直なところだ。
 如何なる“不可思議感”であるかを説明すると。
 義母が施設に持ち込んだであろう数量と比較して、残された数量が極度に少なかった事実だ。(特に、貴金属品に関して。)

 反復するが、その件に関して今更施設を追跡するのはマナー違反と、私は昨日のうちに結論づけた。
 ここは静かに、今残されている義母の遺品の一部を粛々と持ち帰るべきであろう。

 おそらく 何処の高齢者施設であろうが、死去退室後に同様の問題が発生していることであろうとも推測する。


 とにかく、昨日亭主と2人で義母亡き後の施設内の片づけを実行した。 

 部屋内の不用品等の残品は、 十数万円の我が家の費用負担で専門業者が実施して下さるらしい。


 昨日、義母の施設訪問が最終日だった我々夫婦は。

 施設長氏に、義母に対する厚遇のお礼を心より申し上げて、施設を後にした。

 

今やネット接続不要のAIパソコンが普及し始めているらしい

2025年02月25日 | 時事論評
 (冒頭写真は、2025.02.18付朝日新聞記事「ネット接続不要AIPC 自動で作画もページ記録も じわり普及」より転載したもの。)


 この原左都子、コンピュータに触れたのはかなり早期だったと振り返る。
 医学業務に励んでいた20代後半期に、業務の一部をコンピュータ依存することとなり。 当時係長だった私が自分から申し出て、そのコンピュータ業務の担当者になったのだが。

 当時のコンピュータ(1980年代初頭頃)とは、今のようなパソコンではなく、大型コンピュータだった。
 入力方式は今と同じでキーボード入力するのだが、そのJIS配列になかなか慣れず。 思い切って「英文タイピスト資格(2級)」を取得して、文字入力がスムーズになってから本調子でその業務をこなしたものだ。

 そのキーボード入力(ブラインドタッチの高速打ち)能力は、今尚我が“キーボード打ち”人生の強い味方となってくれていて。
 当該「エッセイ集」もその恩恵で、2000字を超過するエッセイも難なく短時間での入力が叶っている。


 さて、冒頭の朝日新聞記事の一部を以下に要約引用しよう。

 AI(人工知能)によサポート機能がスムーズに使えるパソコンがじわりと広がっている。 高級品のため、普及にはまだ時間を要すると言われるが。
 キーボードを状の専用キーを押すと、生成AIが立ち上がる。 雑に描いたイラストも完成した絵に仕上げてくれる。表示したページと文字はPCが自動で記録し、メモを取らなくても後から検索をかけられる。
 基本ソフトウェア「ウィンドウズ」を手掛ける米マイクロソフトは、AIを用いた様々なツールを開発。 オンラインで飲み使える機能のほか、一部はあらかじめPCに組み込み、インターネットに接続しなくても使えるようにした。
 (中略) この1,2年で発売されたAIPCの他にAIの推論や処理に特化した「NPU」という処理装置を搭載。 AI関連の処理はNPUが担う事で、電力消費を抑えつつ、処理速度を速めている。 (中略)
 最近、家電量販店には当たり前のようにAIPCコーナーが設けられている。 (中略)
 課題は「PCの平均価格の倍ぐらい」という導入費用。 (中略) 
 価格の動向は「25年後半頃から一気に普及価格帯まで下がり、買い替えが進む」と予想する。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 最後に、原左都子の感想だが。

 そうなんだ。
 今や “AIパソコン” の時代が到来しているのだなあ。

 この私が「英文タイピング試験2級資格」を取得したのは、今から40数年前の話だが。
 当時からその資格があるがために、パソコンや(当時は「ワープロ」が大々的に普及し始めた時代だったが)ワープロの入力が実にスムーズで。 本業は医学(後に教育分野も経験)なのだが、それらの研究データをまとめたりするのに大いに役立ったものだ。
 その能力があるが故に高校教師時代にも、商業科の「ワープロ指導教師」に任命され、生徒達にキーボード作業の面白さ・楽しさ・有意義さを伝える事が叶った。
 ただし、「タッチタイピング(ブラインドタッチとも言われる)能力」の育成は容易ではなく、キーボードを高速かつスムーズに打ち込める能力を確実に身に付けて卒業できる生徒は ごく少数だったのが残念だ。


 
 それにしても、世がまさに AIPC時代に既に移り変わっている事実に驚かされる。 
 まだまだ、それらAIPCの価格は冒頭写真の通り高額のようだが。
 
 と言いつつ この原左都子など、高齢域に達した今現在のパソコン利用とは。
 普段はこの「原左都子エッセイ集」執筆に限られている事実が、寂しいなあ。 
 年賀状も、既に「お終い」通知を出したし…

 ただ考えようによれば。

 我が現役時代の「筆記」中心時代から、「パソコン」利用に変遷する時代を積極的に乗り越えつつこの世を渡って来れているとの。 

 “過渡期世代”故の世の変遷を体験できているのは、素晴らしい事実であろう。
 

トランプ大統領の外交の特徴は「脅しに基づいた取引、勝者総取りの交渉」

2025年02月23日 | 時事論評
 本日のエッセイは、2025.02.19付朝日新聞「時事小言」より、順天堂大学特任教授・国際政治学者・藤原帰一氏による「利益最大化を狙うトランプ外交 友好国ほど脅す標的に」を引用させて頂く。


 早速、上記記事を以下に要約しよう。

 ドナルド・トランプ米大統領の外交をどう考えればよいのだろうか。
 本来の国際関係では継続的な交渉と合意形成が重視される。さまざまな分野において各国が交渉を繰り返し、合意がうまれたなら条約を制度をつくり、自国も他国もルールを守る。理想論ではない。 交渉の反復、合意やルールの形成と遵守がなければ国際関係から安定が失われ、自国の利益が損なわれるからだ。
 だがトランプの特徴は、脅しに基づいた取引、勝者総取りの交渉である。 相手に最大限の脅しを加え、譲歩を強要する。 ここでの目的は代々の利益を得ることであって、継続的交渉、合意とルールの順守は考えていない。
 (中略)
 トランプ外交の最初の犠牲は国際協力だった。 WHOや気候変動に関するパリ協定からの離脱、そしてUSAID(米国際開発局)の業務執行停止は世界にも米国にも不利益をもたらすと私(藤原氏)は考えるのだが、トランプから見れば国際協力は他国が米国を食い物にする者に過ぎない。
 脅される相手は競合・対立関係にある諸国よりも米国と友好関係にあるカナダ、メキシコやデンマークが先になった。 パナマ運河やグリーンランドを領有し、カナダを米国の51番目の州にするなどという奇怪な政策も発表された。
 日米首脳会談においては石破首相は日米関係の堅持に成功したが、日本に高関税が付与される可能性は残されている。
 ウクライナについては、トランプ政権は侵略の犠牲者であるウクライナを頭越しにして米ロ両国の主導による停戦交渉を進めつつある。 ウクライナは米国から見捨てられようとしている。 (中略)
 ウクライナばかりではなく、米国の同盟国であるNATO諸国に対してトランプ政権が安全を保証しない可能性も生まれた。 つまり共同して侵略者に対抗することは同盟の基礎であるが、米国が同盟関係にある欧州諸国の安全を保証するとは限らない。 (中略)
 トランプ政権にとって、最大減の脅しを加えることで米国が利益を期待できる相手はロシアではなく米国に大きく軍事的に依存する欧州諸国である。 米国に従わないのなら欧州から米軍を撤退してしまえばよい。 先に開催されたミュンヘン安全保障会議ではバンス副大統領が激しい応酬批判を展開し、米欧間の亀裂が露呈した。
 中国については、ロシアに対するような宥和的姿勢は今のところ見られない。 予測された通り対中関税は引き上げられた。 (中略)
 トランプは中国の軍事的脅威よりも、その経済力をより重視している。(中略) 中国の対応によってはトランプ政権が対中政策を転換し、米中協調のもとで台湾海峡の現状維持などの政策が放棄される可能性がある。
 トランプ政権は信頼できるパートナーではなく、何をするのかわからない国際的なリスクとなった。 欧州諸国ばかりでなく日本も、米国を信頼することが出来ないという前提に立った国際関係を強いられている。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)


 
 最後に、原左都子の感想を少しだけ書かせて頂こう。

 この私も、米国トランプ大統領の動向を報道にて注視する機会は多いのだが。
 まさに今までの米大統領とはまるで様相が異なり、トランプ氏の“身勝手な”「独裁」を貫きたい、との印象しか持てないでいる。
 要するに 米トランプ大統領には、「世界平和」などとの観点がさらさらなく、単に自身が好む米国を創り上げ それを死守せんとしている感すらある。

 今までの米国大統領の使命とは、まさに“世界平和の総まとめ役”的な要因もあったように思うのだが。

 トランプ大統領の場合はまったく様相が異なる事実に、今後の世界平和の行く末を懸念するばかりだ…


「高校無償化」問題、真の教育平等と言えるのか?!?!

2025年02月22日 | 時事論評
 私自身は、小中高・大学(2大学卒業)・大学院と学業経歴を積んでいる人間だ。 (参考だが、2度目の大学・大学院は私自身の自費にて入学・卒業している。 要するに、親の負担になったのは、公立高校時代の少額の授業料と。 一度目の国立大学医学部の授業料も親の負担だったが、驚く程に少額だった!!)
 ただの一つとして「授業料無償化」の恩恵に授かっていない。

 我が娘(現在31歳)も同様で、小中校・大学(中高大学は私学を卒業している)も、その学費全てを親の負担にて卒業させていて、何らの授業料無償化には縁が無い。

 そんな身にして、近年の我が国の「学校無償化」の急激な動きに驚かされるばかりだ。
 もちろんのこと、特に優秀な子供さんのご家庭に授業料負担の荷が重い場合には、無償化の恩恵に授かるのは好ましい事と考える。

 一方 親が裕福な家庭にまで、国家や自治体がそれ程までに授業料無償化サービスをしなくてもいいのではないのか??? なる疑問符が我が脳裏をもたげるのが正直なところだ…



 2025.02.21付朝日新聞「NEWSダイジェスト」欄に「高校無償化『恒久財源確保が責務』と題する記事があった。
 以下に、一部を要約引用しよう。

 衆議院予算委員会は21日、財源や経済などをテーマに集中審議を開いた。 高校無償化をめぐり、石破首相は「歳入、歳出の両面の措置を徹底的に行い、安定的まつ恒久的な財源を見出すことは政治の責務だ」と述べた。
 これに対し、自民党某氏は党内での議論を踏まえ「高校無償化をするために、他の教育予算を減らすようでは本末転倒と言う意見がある」と指摘。 財源確保の方法について、首相に問いただした。
 首相は、恒久財源の確保の重要性を強調。「子ども達が大きくなった時に負担してもらいましょうという先送りがあっていいとも思っていない」と述べた。
 高校無償化を巡っては、与党が新年度当初予算案への賛成をとりつけるため、自民、公明と日本維新の会の3党が政策合意に向け最終調整を進めている。 協議が整えば3党首が会談して正式合意する見通しだ。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 この「高校無償化」問題を含めて、教育無償化問題に触れる都度、原左都子が思う事がある。

 もちろんのこと、子ども達皆が大いに学業に励んで、社会人となった挙句にはそれぞれの進路を目指して頑張り。
 将来的には国や自治体を支える側に回って労働力を提供することにより。 自身の生活が豊かになったり、その恩恵で世が発展していく事実は素晴らしい事との認識は十分にある。

 ただし、子どもたち個々の個性に多様性があるのは当然だし。
 はたまた 各ご家庭の経済力・教育力等々の実態も、大いに異なるのが世の常であろう。
 
 それら国民皆を一緒くたにして、すべての子ども達に「教育無償化」を強制的に実行する! との国や自治体の志向には首をかしげる私だ。

 特段国や自治体の世話にならずとて十分に経済力のあるご家庭は、自身の子ども達の教育費を自由に出費して、自由に進路選択をするのは当然の権利であろうし。
 逆に そうではないご家庭においては、今まで通りに各種「奨学金」等々のお世話になりつつ精進していいはずだ。


 
 この国家や地方自治体の「教育無償化」が、医学分野の「高額医療費助成」等々の他分野に大きくしわ寄せが来ているとの話も聞く。
 
 この私も 3年前に左膝複雑骨折のため手術入院をした際に、その「高額医療費助成」の恩恵を受けた身だ。
 私の場合は元々「高額医療」と言えども大した金額では無かったのだが。
 そうではなく 命を失いかねない疾患等々で多額の医療費を要する患者さんの場合、この「高額医療費助成」金が少なくなる事実とは、まさに国民の命取りにも繋がりかねない。


 どうか、国家や自治体は、そのような状況にも十分に配慮しつつ。

 国費や自治体費を、市民に如何に配分するべきか、を。
 今後、もっとグローバルな視点から慎重に議論して頂きたいものだ!