原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ダンスの基本は “踊らにゃそんそん”♪♪

2013年02月27日 | 旅行・グルメ
 (写真は、徳島「阿波おどり会館」にて阿波踊りを踊り表彰された原左都子。 手に掲げているのは“優勝旗”と“表彰状”。  後方は、阿波おどり会館専属連「阿波の風」の踊り子さん達。 2月19日撮影。)


 今回の我が徳島旅行は空港到着後太平洋側県南部の町を訪れる旅程で、その方面の宿を予約していた。
 ところが徳島駅に到着してみると、眉山が雪景色となる程のあいにくの寒さである。 この寒さの中海の町を観光するのは厳しいと判断し、夕方まで徳島駅近辺屋内で過ごすスケジュールに変更した。
 さしあたって駅ビルで昼食を取り、ビル内ショッピングセンターをブラ付いたのだが、駅ビルにして人がまばらである。 何処の店に入っても客は我々のみだ。 これでは商売上がったりではないかと要らぬ心配をさせられる。
 しかも多少なりとも流行っている店とは全国展開のチェーン店ばかりの厳しい現実でもある。 地方も巻き込み資本力によりチェーン展開している大規模企業が、全国を制覇している現状を見せ付けられる思いである。 地方色も何もあったものではない実に寂しい現実だ… 
 
 駅ビルから外に出ると駅前のバス乗り場でバスを待つ人々がいるものの、やはり人気(ひとけ)は少ない。

 数十年前に国鉄(現在のJR)を利用して学校に通っていた頃の方が、ずっと人が多かった記憶がある。 日本が高度経済成長期末期頃の時代背景だった。
 当時は徳島駅の正面真ん前に「名店街」、左側に「南海ストア」と称するビル、そして右側には「ポッポ街」と名付けられた商店街があり、それらショッピングセンター内洋装店(今で言うところのブティック)で洋服や靴や鞄を買ったり、レコード店を訪れたり、はたまた喫茶店で飲食をしたものだ。
 「オイルショック」の時代を経て、その後の「バブル経済」大崩壊も既に通り越し、現在に至っては「リーマンショック」の追い討ちをかけ経済不況が長引く中、過疎地の商店街がすっかり無惨に変わり果ててしまっている。  特に我が高校への通学路だった駅の左側方面など、駅前だというのに何の建物もなく空き地が目立つ。
 「名店街」も昔とはまったく様相が異なりショッピング街など一切なく、1階にコンビニ、2階は飲食街、3階以上はホテルと化している。 「名店街」の隣には書店があったはずだが、これも見当たらない。
 
 新町川を渡る手前辺りに「つぼみや」という小規模なデパートがあったが、これもずっと以前より他店舗に変貌している。 そして極めつけは、「東新町(ひがししんまち)商店街」が実質上姿を消していることである。 商店街入口右側に存在していた「丸新デパート」は当の昔に経営破綻し陰も形もないし、商店街とは名ばかりで既に形骸化して人の姿がほとんど見当たらない状態だ。 店舗の多くは昼間からシャッターを降ろし、開店している店舗にも“風前の灯”感が漂うのが見て取れる… 
 おそらくこの現象は何も徳島に限った事ではなく、悲しいかな日本国内多くの自治体商店街が同じ運命を辿っていることであろう。


 さてこの辺で、表題及び冒頭写真で紹介している「阿波おどり会館」へ話題を切り替えよう。
 
 眉山麓に位置する「阿波おどり会館」は、比較的新しい観光施設であるようだ。 
 そもそも徳島の阿波踊りは、8月中旬に徳島市を筆頭として県内各地で繰り広げられる徳島最大の祭典であるが、開催期間が短いのに加えて期間内のみ全国各地から押し寄せる観光客でごった返す事を緩和する目的で設営されたのが「阿波おどり会館」と私は認識している。 

 我が子が小さい頃徳島へ帰省した折に、叔母夫婦に誘われて当該会館へ行ったのが最初だった。

 ここで現在実施されている「阿波おどり会館」昼のプログラムを少し紹介しよう。
 阿波おどり会館専属連である「阿波の風」による40分間の演出により、古風なおどり・現代のおどり、そして 花・鳥・風・月になぞる阿波おどりを表現した後、ステージで観客も一緒に阿波踊りの体験が出来る内容となっている。


 何せ、音楽好き、ダンス好きの原左都子だ。
 「阿波おどり会館」昼のプログラム最後の、観客も一緒に踊れる場面に“病み付き”になってしまった…
 子どもが小さい頃は娘が踊る姿の撮影に親として精進していたものの、娘が大きくなった暁には、母である私自身が好き放題踊りたいとの思いが優先されるに決まっている!

 「阿波おどり会館」昼の部とは県外団体客誘致を主目的としているようで、外には観光バスが駐車できるスペースを確保している。 そのためか我々親子が個人で訪ねると、いつも県外観光客の皆さんが中央席を陣取っておられる。
 そんな中にあって徳島出身の原左都子がステージで観客の一員として阿波踊りを踊ったならば、初心者であられる県外客の皆さんよりも少しだけ上手なのも決まりきっているのだ!?
 今回も絶対賞を取れると予想しつつ踊ったら、案の定一等賞を頂いてしまった…

 いえいえ、私などに賞を頂ける事には別の理由があることを重々承知である。
 基本的にダンス好きな私だが、素人の私が伝統芸能である「阿波踊り」を易々と踊りこなせる訳はあり得ない。
 なのに何故私が表彰されるのかと言うと、原左都子こそ無類のダンス好きだからに他ならず、その熱い思いが全身に表出しているだけの話との結論となる。

 表題に戻ろう。
 ダンスの基本とは“踊らにゃそんそん”であることには絶対間違いない。
 ダンス(踊り)をこよなく愛し、音楽(ぞめき)が流れれば身体がそれに反応して自然とスイングし始める私のような音楽天然質の人間こそが、いい年をして恥ずかしながらも“優勝旗”をゲットできるということであろう。

南国阿波に雪が舞い…

2013年02月25日 | 旅行・グルメ
 (写真は徳島駅前から撮影した眉山の風景。)

 
 2月19日、出発前の東京も時折雪がチラつくあいにくの厳寒の気象条件の下、私は大学が春休み中の娘と共に四国徳島へ旅に出た。

 午前中に羽田から搭乗した徳島行きの航空便内で、既に機長よりのアナウンスにより徳島市の天候は“みぞれ”、気温が2℃との情報は得ていた。

 今年は2月下旬の今尚、全国各地で厳しい寒さを記録し続けている様子だ。
 その例外ではなく、南国徳島にして昼間の気温が2℃。  これは私が数十年前までこの地で生を営んでいた時代にも数える程しか経験していない寒さである。

 徳島阿波踊り空港(今時の各地の空港は観光客誘致のため土地柄を活かした様々な名称を工夫しているようだが)に降り立つと、機内機長アナウンスの通り冷たい“みぞれ”が舞い降りている。 
 みぞれ風に吹かれつつ空港より外に出た我々親子は、そそくさと徳島駅行きバスに乗り込んだ。

 
 バスが徳島駅に到着後、真っ先に驚いたのが上記写真の眉山の雪景色である。

 私自身は徳島市には在住していなかったため、子どもの頃から眉山の風景を日々観察していた訳ではない。 高校生になって自宅から汽車通学をする事となり、徳島駅から程近い眉山を目にするようになった。 ただ当時は受験勉強に追われ、眉山を見上げ観賞する余裕など一切なかったのも実情である。


 ここで「眉山」をご存じない方々のために、少し紹介しよう。
 先だってNHK昼番組「昼ブラ」でも全国放送されたため、その番組をご覧になった方のご記憶に多少あるかとは存じつつ…

 眉山とはその名の通り、何処から見ても人間の「眉」の形をした山である。
 徳島市街に隣接し、徳島市の景観を代表する山である。(松島奈々子主演同題名の映画が放映された事をご存知の方もいらっしゃるであろう。)
 最高地点は山の中央部にある標高290mの峰だが、徳島市中心街に近い東部にある少し低い峰が広く山頂と呼ばれている。最高地点には登山道の途中の小さな休憩所があるのみだが、山頂付近は比較的開発が進んでいる。 山麓には春日神社等々数々の神社や寺院が集中している寺町界隈や眉山湧水群がある。(NHK「昼ブラ」でも紹介されていたが)
 一帯は眉山公園となっていて、西部には西部公園、地蔵越がある。 また眉山ロープウェイ、眉山ドライブウェイが通っている。 山頂からは徳島市内をほぼ一望でき、天気の良い日なら淡路島や和歌山県の紀伊山地も望む事ができる。
 山頂には種々の自然交流施設や明治天皇碑、太平洋戦争戦没者を慰霊するパゴダ(ミャンマー式の仏塔)、賀川豊彦の文学碑、一等三角点「眉山」、眉山送信所、眉山ロープウェイ山頂駅などがある。 山頂一帯は眉山公園になっており、自動車でアクセスできる。 近年では、眉山にほど近い西新町地区において徳島市が構想・計画している再開発事業による景観への影響が議論となっている。
 (以上、ウィキペディア情報より要約引用)


 私が進学した徳島市蔵本町に位置する国立大学医学部キャンパスが、眉山の西側麓に存在していた。
 上記ウィキペディアに記されている眉山のドライブウェイを、当時のボーイフレンド達と共に車やバイクで幾度かドライブした記憶もある。
 原左都子にとって何とも思い出深い青春時代の“眉山”でもある。

 ただ、眉山をめぐる再開発事業への景観の影響に関する議論が市民の間で生じている事は元より、現在過疎地である徳島が抱えている地方財政難に関しても重々慮れる昨今の我が郷里徳島への帰省である。

 引き続き我が故郷への旅行記に兼ねて、原左都子の視点で過疎地が置かれている厳しい現状を探っていくこととしよう。

若者よ。 フラれたならば、さっさと次へ行こう!

2013年02月18日 | 恋愛・男女関係
 本日(2月18日)午後1時頃より国会テレビ中継を斜め見していると、自民党政権の安倍首相が、野党民主党議員より(カネの)“バラ撒き”の定義について質疑を受けていた。
 民主党議員曰く、「自民党論理によれば高齢者消費税減税措置案とて一種の“バラ撒き”と解するがどうなのか」云々…。  この野党よりの質疑に対し安倍首相は上手くかわす回答をしたものだと、私は一瞬ではあるが評価した。

 原左都子自身は無党派層であることに関しては当エッセイ集バックナンバーにおいて再三述べているが、前民主党政権が打ち出した“カネのバラ撒き”政策には断固として反対派を貫いて来た。
 さて、安倍首相が如何なる回答をするのかと興味深かったのだが、この方、結構頭の回転は速いのかとの印象を抱いた本日の国会一場面である。

 加えて、安倍政権副総理及び財務大臣兼内閣府特命担当大臣でもあられる 麻生太郎氏 が次なる質問に応えていたが、麻生氏の印象とは政治家と言うよりも「役者」と表現した方がよさそうな感覚を一国民として以前より抱かされる。
 国会たるものまさかオペラ劇場ではなかろうが、それにしてもこの種の人材が国会答弁を国民に親しみやすい方向へ導いても多少許されるのかもしれない、などと考える私のような国民は即刻バッシング対象となるのであろうか?? 

 前置きが長引き恐縮だが、「原左都子エッセイ集」に於いてそろそろ時事問題を綴りたい思いは山々なれど、弱音を吐くと、ここのところ多忙を極めていてエッセイ執筆に十分な時間が取れない現状である。
 明日より国内旅行を控えていることもあり、本日も“恋愛・男女関係”カテゴリーでお茶を濁そうとしている魂胆をご容赦願いたい。


 さて、「原左都子エッセイ集」に於いておなじみの朝日新聞2月16日“悩みのるつぼ”の相談内容は、20歳男子大学生による 「振られた相手をあきらめたい」 との題目だった。

 この題目のみを一見して私がとっさに抱いたのは、今回上記に掲げたエッセイテーマのごとく“フラれたならば、さっさと次へ行けばいいじゃないの?!”との感想だった。

 ともあれ、以下に相談内容を要約して紹介しよう。
 岡田斗司夫先生に相談があります。 僕は20歳の大学生ですが 彼女いない歴=年齢 の人間です。 この前、勇気を出して気になる女性に声をかけ2人でフェルメールを見に行きました。僕にとっては初デートでしたが、その帰り意を決して告白したところ案の定フラれました。 フラれるのはこれが初めてではなく、高校生の頃は美人であれば誰でもよく世に美人なんてごまんといると思いそこまで感傷的になりませんでした。 しかし、今回は相手の人柄にひかれて好きになったのでこの女性でないとダメと思うようになり、次の恋にいけません。 このままでは彼女に対してストーカーになってしまいそうで自分が怖いです。 思いを断ち切る方法はありませんか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談より要約引用)

 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
 そうなのか…  そうやって若い男が安易にストーカー行為に入ってしまうのか?!?
 “ふった”側の若き女性の立場になって考察すると、何とも怖い相談内容である。
 この事例の場合、とにもかくにも女性の人権擁護の立場から弁護意見を述べたいものだ。 どうか男子学生さん、今後何らかの気を紛らわす方策を見つけることに専念して、女性の事を忘れる努力をしませんか。


 今回の相談者である20歳男子が、回答者として評論家の岡田斗司夫氏を指名している点が多少気になる私だ。
 岡田氏は何年か前の「原左都子エッセイ集」バックナンバーのコメント欄へコメントをお寄せ下さっている。(そのバックナンバーも“悩みのるつぼ”の恋愛関係相談内容を取り上げたものだったのだが。) 
 現在「原左都子エッセイ集」は諸事情によりコメント欄を閉鎖しているが、当時より“悩みのるつぼ”ファンであった私は岡田氏から直接コメントを頂戴した事実自体に驚かされたものだ。 (我が現実世界の友人である女性陣が岡田氏よりのコメントをどれ程羨んだことか…。) 岡田斗司夫先生は恋愛・女性関係に精通されている方なのかと、我が周囲の反応により当時再び認識させていただいたものである。

 さて、今回の相談者であられる岡田斗司夫氏のご回答には多少の異議を抱く私だ。
 岡田氏によれば、女性には「恋愛価格」と「友達価格」があるとのご持論のようだ。 しかも、「人格が悪く」て「美人」である“嫌な”女性も存在するとの記述であり、「人柄がよく」「友達価格」の低い女性は誤解した男性がいきなり告白してくる???  あるいは、ご自身は「プチ有名人」であるから恋愛価格が多少高い、とも記述されている。

 ここで再び原左都子の私論に移るが、岡田斗司夫さん、貴方が“悩みのるつぼ”で究極の歪んだ持論を披露された意図を私は理解できる気もするのだ。 こうでも書かねば、近い将来に本気でストーカーに変貌するやもしれぬ男子大学生の“フラれた”女性への思いを止められない事実を慮ったものと信じたい。 
 現にストーカーをせんとしている男子大学生の現在の“目線”に立たねば、ストーカー行為など阻止できないものであると私も同意する。

 しかも岡田斗司夫氏は回答欄最後で、男子学生の目線に立って相談者を擁護するべく言及をしている。 「でもあなたは私と違って、自分より高嶺の花に挑戦して振られるのを怖れなかった。男同士だから分かる“男の価値”はきっと1千万円以上。正直、ちょっと尊敬です。」

 この岡田氏のアドバイスに相談男子学生も大いに救われたことであろう。

 
 美しさ、醜さ、人柄の良さ、人柄の悪さ、…   人間とはそれらの要素の微々たる部分部分の組み合わせ集合体でしかない。  人間一人ひとり皆がそれぞれ持って生まれたDNAを、現実社会の環境要因に左右されつつ育成発揮しながらこの世に生き延びているのだ。

 気に入った相手にはどんどんアタックしようではないか。 もしもフラれたところでストーカー行為などとの究極の迷惑行為に走る必要は何もない。
 若き世代には、今後も様々なDNAを持ちそれを育みつつ生きている多種多様な人材との出会いが待ち構えているぞ!


   P.S. 

 明日(2月19日)より数日間、南の地方へ旅立ちます。  
 
 しばらく「原左都子エッセイ集」の執筆をお休みさせていただきますが、もしよろしければバックナンバーをお楽しみいただけましたら幸いです。   

“人間ジュークボックス” 私もできますよ~♪

2013年02月16日 | 音楽
 (写真は、「ジュークボックス」の元祖とも言える「蓄音機」や「オルゴール」「自動演奏ピアノ」等々の写真。 原左都子が2011年8月に訪れた石川県金沢市に位置する“金沢蓄音器館”のパンフレット写真より転載。)

 現在放送中のNHK連続テレビ小説「純と愛」に於いて、 「ジュークボックス」 が一つのキーワードとなっているようだ。
 主人公純の“おじい”(祖父)が沖縄宮古島で経営していたホテルに、この「ジュークボックス」がロビーに燦然と置かれていた。  時は流れ行きホテル経営が武田鉄矢氏演ずる父親に移行した後には、その「ジュークボックス」はロビーの片隅に放置されたままとなる。ただし既に壊れていて音は発しない状態だ…。  ところがホテルの破産と共に、ロビーのジュークボックスも純の目の前で廃品として何処へ回収されてしまう…。 とのドラマのストーリー展開である。

 「ジュークボックス」なるものをご存知の国民は、おそらくある年代以上の世代の方々に限定されるであろう。
 そこでまずは「ジュークボックス」とは何かに関して、ウィキペディア情報を参照しつつ以下に私なりに紹介しよう。
 ジュークボックスとは現在言うところの「自動販売機」の一種であり、内部に多数のレコードを内蔵し硬貨を投入すると任意の音楽を演奏する機械である。
 ジュークボックスが発展する以前の19世紀の時代には、(冒頭写真のごとく)オルゴールや自動ピアノが存在していた。 
 1889年に米国サンフランシスコに初めてジュークボックスが設置された記録がある。 その装置とはエジソン蓄音器に聴音管を4つ付け、硬貨投入口を独立に動作できるシステムであったようだ。  その後電気録音とアンプが考案され、1927年にはレコードを選択できるジュークボックスが発売され成功を収めた。 1950年に45回転のシングル版が登場した後はその方向へ移行した。
 "juke box" という用語は、1940年ごろからアメリカ合衆国で使われはじめたらしい。 元々西部劇によく出てくるような飲食やギャンブルを楽しむ店を "juke joint" と呼んでおり、それが語源となっているとのことだ。
 1940年頃から60年代にかけてジュークボックスは極めて収益性の高い産業だった。 日本には戦後に進駐軍が導入したとのことで、1970年代まで飲食業やホテルなどに設置されて全盛期を迎えたと言われている。 しかし1980年代になるとCDやカラオケの登場で市場が小さくなり、従来型のものは姿を消した。
 (以上、ウィキペディア情報より要約引用)


 音楽好きの原左都子も、70年代頃までの若かりし時代には様々なシーンで「ジュークボックス」のお世話になって来ている。

 我が記憶によると、喫茶店やゲームセンター、はたまた一部の小規模ディスコにジュークボックスの設置が施されていた。 100円コインを入れ自分が好きな音楽をセットすると、その楽曲が客室空間全体に流れるシステムだ。 当時の「ジュークボックス」装置の魅力とは、“この楽曲が聞きたかった! この曲で踊りたかった!!”と志を同じくする見知らぬ顧客間での有言無言のコミュニケーションが成り立つ事だったのではなかろうかと私は懐古するのだが、皆さんはいかがであろうか?

 その後年月を経て、私が最後に「ジュークボックス」を経験したのは、我が子が幼き頃に訪ねた東京池袋サンシャインシティに位置する「ナンジャタウン」に於いてである。
 昭和の時代を再現したアミューズメントパークである「ナンジャタウン」に、何と昭和時代の産物であるジュークボックスが設置されていた。  おそらくこれは当時の最新鋭技術により復活させたデジタル版機種であることには間違いないが、それでも私はジュークボックスの存在自体に感動し100円を投じて娘の好みの楽曲を選択させたのだ。  当時のナンジャタウンのジュークボックスはキャラクターも一緒に動いてくれる大掛かりな装置だったことのみは憶えているが、今となっては娘が何の曲を選択したかの記憶すらない。

 そんな「ジュークボックス」ありき日々は当の昔に過ぎ去り、まさに今はカラオケ時代に変貌を遂げている。


 さて、冒頭のNHK連続テレビ小説「純と愛」に話を戻そう。

 先週の当該ドラマ内で放映された“人間ジュークボックス”に大いに対抗意識を燃やされた原左都子である。
 何でも、ドラマの中では今まで一言も口をきかない暗い少女だった“かすみちゃん”とやらが、暗い少女時代に一人で歌を歌い“人間ジュークボックス”に成れるがごとくの歌唱ボキャブラリーがあるとの事だ。

 ちょっと待ってよ、かすみちゃん!  とでも言おうか?!?
 この原左都子、特別暗い少女時代を送った訳ではない(多少“天邪鬼少女”だったことは認める…)のだが、私はきっとかすみちゃんに比して歌に関するボキャブラリーが1000倍豊富であることを自負しているよ!!
 それが証拠に、先だっての放送の中で貴方が歌った「ひなまつり」とて3番まですべて正確に歌えるし、愛(いとし)くんのお母さんがリクエストした「朧月夜」など、アルトバージョンをハモれるよ。 それからモーニング娘。の「ハッピーサマーウェディング」ならば歌って踊ってみたいものだよ!

 
 それにしても、NHKドラマが提案した“人間ジュークボックス”に今回いたく感動した私である。
 そうか、そういう職種があったか! と感じながら、これって結局昔からある「流し」と同様であることに気付きつつ…… 

 今時「流し」が流行らないのは十分に理解できる思いだ。
 みんな、人の歌を聞くより自分で歌を歌いたいのよ。 歌好きな人種は皆カラオケに通ってるのが現状だよね~  あるいは、NHK「のど自慢」に出るとか??
 「人間ジュークボックス」との職種は、NHKドラマ内の設定範囲を超越できないのは歴然だね…

 NHK連続テレビ小説「純と愛」もドラマの終盤が迫っているが、ここに来てむやみに“人の絆”を強調し過ぎる不自然さに違和感を抱かされる。  愛(いとし)ママまでが軟弱化する等々シナリオ設定に無理が生じ、現実世界の時代背景とのギャップが大きく開いて来ている事を残念に思う私だが……

バレンタインデーに抱く “甘くて重い” 思い?!

2013年02月14日 | 人間関係
 先だってのNHKテレビ放送に於いて、俳優の中尾彬氏が若手女性タレントから「2月14日は何の日だか知っていますか?」なんたらかんたら…  と声かけされる場面があった。
 それに応えて中尾彬氏が多少鬱陶しそうに、 「何の日? 分からないな~」と返したのが何とも小気味よかった天邪鬼の私である。
 
 いやはや、若輩タレントとして大先輩の俳優であられる中尾氏に軽々しく持ちかける質問ではないであろう。 
 その日の番組のテーマが「チョコレート」だったかどうかの記憶はないが、2月14日に国民の一部にチョコレートを贈る(配る)習慣があろうがどうであろうが、そんな事は原左都子だってどうでもいい話題であり空虚感のみが漂ってしまった…。

 そうしたところ若輩タレントが追い討ちをかけて曰く、「中尾さん、バレンタインデーに決まっているじゃないですか! 中尾さんだって奥様からチョコレートが届くでしょ?」どうのこうのと、またもや恥の上塗りを晒すではないか。 
 「この年齢になるとそういう事もなくなるよ…」と中尾氏が冷ややかに返答したような記憶があるが、まさにおっしゃる通りである。
 NHK番組制作者としては近日中に迫っている「バレンタインデー」を意識して、「チョコレート」の話題を番組テーマとして取り上げたのであろう。 そうであるならば、ゲスト出演者の選択をもう少し配慮するべきではなかっただろうか。


 原左都子はそもそも若い頃より、「バレンタインデー」なる日本に於ける特殊な習慣をさほど好意的に捉えていない人種である。
 それに関して2011年2月に公開したバックナンバー 「男性の皆さん、チョコもらえましたか?」 と題するエッセイの一部を今一度以下に反復させていただこう。

 私は中高生頃の未熟な時期を除き、我が国の商業主義に操られて世間が騒ぐ“バレンタインデー”との軽薄かつ歪んだ慣習を鬱陶しく感じる人種である。 
 ただそんな私も、この日にかこつけて日頃お世話になっている男性達に“ちょこ”っとチョコなど手渡そう程度の範囲内でこの歪んだ慣習を利用しようと狙ったりもした。 昔企業組織に所属していた時期には大量の“義理チョコ”を配った経験もある。
 その最たるものが「原左都子エッセイ集」バックナンバーで綴った、今尚忘れもしない職場の男性から“強制された”30個を超える義理チョコだったのだ!  職場の男性陣が30人以上もいるのに対して女性はたったの2人…。 この義理チョコを購入するための費用が莫大である事に辟易としつつも当日チョコを配ったら これがな・な・なんと 「海老で鯛を釣る!」 結果となったことをバックナンバーで披露している。 1ヶ月後の3月14日のホワイトデーに届いた“お返し”たるや、“交際申し込み”も含め絢爛豪華だったのだ。
 私が日本においては単に商業主義論理で根付いている2月14日の“バレンタインデー”を肯定的には捉えていないとは言えども、年頃の娘を抱える母の身として毎年これに係わらざるを得ない。 我が娘も母である私の影響を大いに受けつつ育っていることもあり、商業主義に流されるままにチョコを配ることに関して抵抗感があるようだ。 それ故に毎年私に相談に来る。「学校の先生達に配るべきか?」どうかと……。  娘の説明によると、娘が所属している私立女子中高校ではバレンタインデーに生徒が教員にチョコを配ることを容認しているとのことだ。 しかも先生達よりのお返しの内容が凄い! 特に校長のホワイトデーの生徒へのお返しが、なんと! ブランド品だと言うではないか!!?   この一私学の教育現場で繰り広げられているバレンタインデーの実態を一保護者として如何に捉えるべきかと首を傾げつつも、娘には「自分の好きにすればいい」との指導しか出来ない私だ。  結局、今年も先生達へはチョコを配らない選択決断をした我が娘ではあるが…。
 バレンタインデーという日本特有の“歪んだ”慣習に、毎年胃を痛めている若年層の男性陣が日本国内に数多いことであろう。 たかが取るに足りない慣習とは思ってみても、学校で、職場で、あるいは家庭で一個の「義理チョコ」も届かない男性の“侘しさ”や“疎外感”を察して余りある私でもある。  しかも国内製菓業界は“ホワイトデー”なる男性からのお返し慣習も根付かせてしまっている…。
 それにしても男性の皆さん、どうなのでしょう? 一つもチョコが届かなかった方々は世間から見放された感覚ですか?  あるいは本日女性からチョコをもらった男性にとって、そのチョコは本当に美味しいのでしょうか?
 (以上「原左都子エッセイ集」バレンタインデーに関するバックナンバー記事より一部を引用)


 朝日新聞報道によると、現在の「バレンタインデー」の日本国内の慣習は時代と共に様変わりしている様子でもある。
 2月5日朝日新聞記事によれば、恋人以外の人に日頃の感謝を伝える機能を「バレンタインデー」は担いつつ現在成り立っているとのことであるが…

 ところがこれとて記事を読み進めていくと、要するに「商業主義」主導であることを思い知らされる内容である。
 例えば、東京都中央区に位置する「プランタン銀座」が“義理チョコ”に関するお金の調査をしたとの記述だ。 その調査によると職場女性の配布数平均値が10個程度、一個当たりの単価が1280円。その負担が重過ぎるからもっと気軽でインパクトあるバレンタインデーの提案をしたとのことだが…。
 上記に記した通り、私が過去において職場で配布した「義理チョコ」負担総額はもっと多額だった。 時は「バブル経済」期だったことを思い知らされるが、贈る側、贈られる側双方に経済力がある時代だったからこそ叶った我がバレンタインデー「義理チョコ」騒動ではなかっただろうか。

 時代は大きく変遷した。
 この現状においても職場の女性達が男性陣に「義理チョコ」を贈るがためにそれほどの努力をせねばならないのか?  あるいは、それをもらった男性陣が同様の経済負担をして「ホワイトデー」にお返しを義務化されるのだろうか?

 もうそろそろ、日本国民を「バレンタインデー」との“縛り”から解放してあげようではないか。
 日本の伝統的な「贈り物」の儀式は他にも数多く存在する。 それを超越するかのごとく「バレンタインデー」が若者世代を巻き込みつつ我が国の文化領域に潜入し過ぎていると感じるのは私のみか? 

 少なくとも「義理」で贈り物をする悪習など、断ち切るべきであろう。
 何も「バレンタインデー」や「ホワイトデー」なる商業ベースの慣習に頼らずとて、男女は自分の意思で健全な出会いをしてこそ日本の未来があると私は思うぞ。