(写真は、徳島「阿波おどり会館」にて阿波踊りを踊り表彰された原左都子。 手に掲げているのは“優勝旗”と“表彰状”。 後方は、阿波おどり会館専属連「阿波の風」の踊り子さん達。 2月19日撮影。)
今回の我が徳島旅行は空港到着後太平洋側県南部の町を訪れる旅程で、その方面の宿を予約していた。
ところが徳島駅に到着してみると、眉山が雪景色となる程のあいにくの寒さである。 この寒さの中海の町を観光するのは厳しいと判断し、夕方まで徳島駅近辺屋内で過ごすスケジュールに変更した。
さしあたって駅ビルで昼食を取り、ビル内ショッピングセンターをブラ付いたのだが、駅ビルにして人がまばらである。 何処の店に入っても客は我々のみだ。 これでは商売上がったりではないかと要らぬ心配をさせられる。
しかも多少なりとも流行っている店とは全国展開のチェーン店ばかりの厳しい現実でもある。 地方も巻き込み資本力によりチェーン展開している大規模企業が、全国を制覇している現状を見せ付けられる思いである。 地方色も何もあったものではない実に寂しい現実だ…
駅ビルから外に出ると駅前のバス乗り場でバスを待つ人々がいるものの、やはり人気(ひとけ)は少ない。
数十年前に国鉄(現在のJR)を利用して学校に通っていた頃の方が、ずっと人が多かった記憶がある。 日本が高度経済成長期末期頃の時代背景だった。
当時は徳島駅の正面真ん前に「名店街」、左側に「南海ストア」と称するビル、そして右側には「ポッポ街」と名付けられた商店街があり、それらショッピングセンター内洋装店(今で言うところのブティック)で洋服や靴や鞄を買ったり、レコード店を訪れたり、はたまた喫茶店で飲食をしたものだ。
「オイルショック」の時代を経て、その後の「バブル経済」大崩壊も既に通り越し、現在に至っては「リーマンショック」の追い討ちをかけ経済不況が長引く中、過疎地の商店街がすっかり無惨に変わり果ててしまっている。 特に我が高校への通学路だった駅の左側方面など、駅前だというのに何の建物もなく空き地が目立つ。
「名店街」も昔とはまったく様相が異なりショッピング街など一切なく、1階にコンビニ、2階は飲食街、3階以上はホテルと化している。 「名店街」の隣には書店があったはずだが、これも見当たらない。
新町川を渡る手前辺りに「つぼみや」という小規模なデパートがあったが、これもずっと以前より他店舗に変貌している。 そして極めつけは、「東新町(ひがししんまち)商店街」が実質上姿を消していることである。 商店街入口右側に存在していた「丸新デパート」は当の昔に経営破綻し陰も形もないし、商店街とは名ばかりで既に形骸化して人の姿がほとんど見当たらない状態だ。 店舗の多くは昼間からシャッターを降ろし、開店している店舗にも“風前の灯”感が漂うのが見て取れる…
おそらくこの現象は何も徳島に限った事ではなく、悲しいかな日本国内多くの自治体商店街が同じ運命を辿っていることであろう。
さてこの辺で、表題及び冒頭写真で紹介している「阿波おどり会館」へ話題を切り替えよう。
眉山麓に位置する「阿波おどり会館」は、比較的新しい観光施設であるようだ。
そもそも徳島の阿波踊りは、8月中旬に徳島市を筆頭として県内各地で繰り広げられる徳島最大の祭典であるが、開催期間が短いのに加えて期間内のみ全国各地から押し寄せる観光客でごった返す事を緩和する目的で設営されたのが「阿波おどり会館」と私は認識している。
我が子が小さい頃徳島へ帰省した折に、叔母夫婦に誘われて当該会館へ行ったのが最初だった。
ここで現在実施されている「阿波おどり会館」昼のプログラムを少し紹介しよう。
阿波おどり会館専属連である「阿波の風」による40分間の演出により、古風なおどり・現代のおどり、そして 花・鳥・風・月になぞる阿波おどりを表現した後、ステージで観客も一緒に阿波踊りの体験が出来る内容となっている。
何せ、音楽好き、ダンス好きの原左都子だ。
「阿波おどり会館」昼のプログラム最後の、観客も一緒に踊れる場面に“病み付き”になってしまった…
子どもが小さい頃は娘が踊る姿の撮影に親として精進していたものの、娘が大きくなった暁には、母である私自身が好き放題踊りたいとの思いが優先されるに決まっている!
「阿波おどり会館」昼の部とは県外団体客誘致を主目的としているようで、外には観光バスが駐車できるスペースを確保している。 そのためか我々親子が個人で訪ねると、いつも県外観光客の皆さんが中央席を陣取っておられる。
そんな中にあって徳島出身の原左都子がステージで観客の一員として阿波踊りを踊ったならば、初心者であられる県外客の皆さんよりも少しだけ上手なのも決まりきっているのだ!?
今回も絶対賞を取れると予想しつつ踊ったら、案の定一等賞を頂いてしまった…
いえいえ、私などに賞を頂ける事には別の理由があることを重々承知である。
基本的にダンス好きな私だが、素人の私が伝統芸能である「阿波踊り」を易々と踊りこなせる訳はあり得ない。
なのに何故私が表彰されるのかと言うと、原左都子こそ無類のダンス好きだからに他ならず、その熱い思いが全身に表出しているだけの話との結論となる。
表題に戻ろう。
ダンスの基本とは“踊らにゃそんそん”であることには絶対間違いない。
ダンス(踊り)をこよなく愛し、音楽(ぞめき)が流れれば身体がそれに反応して自然とスイングし始める私のような音楽天然質の人間こそが、いい年をして恥ずかしながらも“優勝旗”をゲットできるということであろう。
今回の我が徳島旅行は空港到着後太平洋側県南部の町を訪れる旅程で、その方面の宿を予約していた。
ところが徳島駅に到着してみると、眉山が雪景色となる程のあいにくの寒さである。 この寒さの中海の町を観光するのは厳しいと判断し、夕方まで徳島駅近辺屋内で過ごすスケジュールに変更した。
さしあたって駅ビルで昼食を取り、ビル内ショッピングセンターをブラ付いたのだが、駅ビルにして人がまばらである。 何処の店に入っても客は我々のみだ。 これでは商売上がったりではないかと要らぬ心配をさせられる。
しかも多少なりとも流行っている店とは全国展開のチェーン店ばかりの厳しい現実でもある。 地方も巻き込み資本力によりチェーン展開している大規模企業が、全国を制覇している現状を見せ付けられる思いである。 地方色も何もあったものではない実に寂しい現実だ…
駅ビルから外に出ると駅前のバス乗り場でバスを待つ人々がいるものの、やはり人気(ひとけ)は少ない。
数十年前に国鉄(現在のJR)を利用して学校に通っていた頃の方が、ずっと人が多かった記憶がある。 日本が高度経済成長期末期頃の時代背景だった。
当時は徳島駅の正面真ん前に「名店街」、左側に「南海ストア」と称するビル、そして右側には「ポッポ街」と名付けられた商店街があり、それらショッピングセンター内洋装店(今で言うところのブティック)で洋服や靴や鞄を買ったり、レコード店を訪れたり、はたまた喫茶店で飲食をしたものだ。
「オイルショック」の時代を経て、その後の「バブル経済」大崩壊も既に通り越し、現在に至っては「リーマンショック」の追い討ちをかけ経済不況が長引く中、過疎地の商店街がすっかり無惨に変わり果ててしまっている。 特に我が高校への通学路だった駅の左側方面など、駅前だというのに何の建物もなく空き地が目立つ。
「名店街」も昔とはまったく様相が異なりショッピング街など一切なく、1階にコンビニ、2階は飲食街、3階以上はホテルと化している。 「名店街」の隣には書店があったはずだが、これも見当たらない。
新町川を渡る手前辺りに「つぼみや」という小規模なデパートがあったが、これもずっと以前より他店舗に変貌している。 そして極めつけは、「東新町(ひがししんまち)商店街」が実質上姿を消していることである。 商店街入口右側に存在していた「丸新デパート」は当の昔に経営破綻し陰も形もないし、商店街とは名ばかりで既に形骸化して人の姿がほとんど見当たらない状態だ。 店舗の多くは昼間からシャッターを降ろし、開店している店舗にも“風前の灯”感が漂うのが見て取れる…
おそらくこの現象は何も徳島に限った事ではなく、悲しいかな日本国内多くの自治体商店街が同じ運命を辿っていることであろう。
さてこの辺で、表題及び冒頭写真で紹介している「阿波おどり会館」へ話題を切り替えよう。
眉山麓に位置する「阿波おどり会館」は、比較的新しい観光施設であるようだ。
そもそも徳島の阿波踊りは、8月中旬に徳島市を筆頭として県内各地で繰り広げられる徳島最大の祭典であるが、開催期間が短いのに加えて期間内のみ全国各地から押し寄せる観光客でごった返す事を緩和する目的で設営されたのが「阿波おどり会館」と私は認識している。
我が子が小さい頃徳島へ帰省した折に、叔母夫婦に誘われて当該会館へ行ったのが最初だった。
ここで現在実施されている「阿波おどり会館」昼のプログラムを少し紹介しよう。
阿波おどり会館専属連である「阿波の風」による40分間の演出により、古風なおどり・現代のおどり、そして 花・鳥・風・月になぞる阿波おどりを表現した後、ステージで観客も一緒に阿波踊りの体験が出来る内容となっている。
何せ、音楽好き、ダンス好きの原左都子だ。
「阿波おどり会館」昼のプログラム最後の、観客も一緒に踊れる場面に“病み付き”になってしまった…
子どもが小さい頃は娘が踊る姿の撮影に親として精進していたものの、娘が大きくなった暁には、母である私自身が好き放題踊りたいとの思いが優先されるに決まっている!
「阿波おどり会館」昼の部とは県外団体客誘致を主目的としているようで、外には観光バスが駐車できるスペースを確保している。 そのためか我々親子が個人で訪ねると、いつも県外観光客の皆さんが中央席を陣取っておられる。
そんな中にあって徳島出身の原左都子がステージで観客の一員として阿波踊りを踊ったならば、初心者であられる県外客の皆さんよりも少しだけ上手なのも決まりきっているのだ!?
今回も絶対賞を取れると予想しつつ踊ったら、案の定一等賞を頂いてしまった…
いえいえ、私などに賞を頂ける事には別の理由があることを重々承知である。
基本的にダンス好きな私だが、素人の私が伝統芸能である「阿波踊り」を易々と踊りこなせる訳はあり得ない。
なのに何故私が表彰されるのかと言うと、原左都子こそ無類のダンス好きだからに他ならず、その熱い思いが全身に表出しているだけの話との結論となる。
表題に戻ろう。
ダンスの基本とは“踊らにゃそんそん”であることには絶対間違いない。
ダンス(踊り)をこよなく愛し、音楽(ぞめき)が流れれば身体がそれに反応して自然とスイングし始める私のような音楽天然質の人間こそが、いい年をして恥ずかしながらも“優勝旗”をゲットできるということであろう。