原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「教科書のページ数と子どもの学力は相関するか?」

2024年10月21日 | 仕事・就職
 多忙な1日を送り、夜の今になって我が「原左都子エッセイ集」を覗いてみると。

 2015.11.30付けにて公開した冒頭のバックナンバーが、現在の我がエッセイ集トップの位置に君臨していた。


 せっかくの現在1位の冒頭表題の我がエッセイ集バックナンバーを、以下に再掲載させていただこう。


 私は過去に於いて高校教員経験があるが、私が受け持っていた教科は「社会」の一部と「商業」全般である。

 その時代の高校現場に於ける「教科書」の位置付けは、義務教育課程の小中学校とは異なり、学校現場に一任されていたのではあるまいか?
 と言うのも、私の場合、公立高校と私立女子高校での教員経験があるが、両者共に教科書使用に関しては教科担当教員に任せられていた。

 この自由度に大いに幸いした私だ。

 とにかく学問に関して確固たるポリシーを持っていた私には、そもそも“教科書に従って”つまらない授業を施そうなどとの発想が出るはずもない。
 加えて、一見“悪(ワル)”そうな子ども達の目の輝きに一旦感動を受けたものなら、教科書に従った通り一遍の授業を展開し、授業中に生徒達にお喋りしたり寝られる事こそが、こちらこそ許し難い。 (などと偉そうに言っても、授業中喋る子も寝る子も多かったのですがね…)
 一方、我が授業の賞賛生徒も少なからず存在したことを付け加えておこう。 (「先生って、毎日家で一生懸命授業の準備をして来てるのが伝わるよ。」などと黄色いくちばしで褒めてもらえる事もあった。)
 
 と言う訳で、私の場合は教科書に全面的に依存した授業などただの一度も実施せず、自分自身で毎時間レジメを作成して授業を執り行った。 その準備作業とは、おそらく皆さんの想像をはるかに超えて過酷だったと振り返る。

 ただ、例外はあった。

 例えば、社会の一科目「現代社会」などは、私自身が過去に生徒の立場で高校の授業にて未経験の、当時としては新しい科目だった。 一体如何なる科目なのかとの下調べ目的で、当時発行されていた「現代社会」の教科書を読み込んだ経験はある。 これがなかなかまとまった良き科目と実感した。 その教科書を参照しつつ、やはり自分で毎時間レジメを作成して授業を進めたものだ。

 あるいは、商業科の一科目である「商業法規」に於いて、副読本を利用した経験もある。
 それには私なりの確固たる理由があった。 たとえ相手が高校生と言えども、法律を学習させるにあたり「現行法規」を紐解き参照せねば授業が進められる訳もないのだ。 
 そこで私が真っ先に考えついたのは、市販されている「六法」の活用だった。 が、一番安価なものでも¥1,000ーを超過していたのに加え、生徒各自に書店に行って購入せよと指導しても、誰も買う訳がない事は十分承知していた。 
 そうしたところ、教科書の「副読本」の位置付けにある書物が存在する事が判明した。 これを利用すれば市販品よりもずっと安価だし、学校の教科書業者を通して生徒全員に私から配布する事も可能だ。
 私が当時利用したのは、㈱一橋出版社による「新商業六法」なる副読本だったのだが、この内容が実によくまとまっているのだ。 しかも市販品よりも安価である。
 それでも生徒達から、「せんせ~~、そんなもの買ってくれと家で言ったら、うちの母ちゃんがまた出費かと泣くぞーー。」とのご意見を複数賜ったものだ。  そんな生徒達の思いも十分に察して、「ホントに申し訳ないけど、この六法は貴方達が卒業した後にも必ず役に立つから、お願いだから買って。」と生徒に嘆願した事が今となっては懐かしい。
 教員である私のたっての希望により強制的に生徒に副読本を買わせた以上、もちろん授業中に当該「新商業六法」は十二分に活用した。
 ただその後時代の変遷や政権の移り変わりと共に法律改定が相次ぎ、今となっては役に立たない書物となっている事実を、遅ればせながら当時の生徒達にお詫びしておこう。

 ここで話題を変えよう。

 朝日新聞 2015.11.20 朝刊に、「教科書会社、教員との距離は 三省堂問題、他者に聞く」 との記事が掲載されていた。
 当該記事の片隅に、「少子化で減る部数」との記載があったのだが、その内容を以下に要約して紹介しよう。
 文科省によると、全国の小中学校や高校、特別支援学校で今年度使われている教科書は計1億2681万冊。 少子化の影響で1985年より4割減だった。 近年はゆとり教育からの転換で教科書の総ページ数は10年間で3割以上増え、製作費は大幅に上がっている。 教科書各社は関連教材などの売り上げ確保を図っているのが実情という。
 (以上、朝日新聞記事より左端にあったほんの一部を要約引用したもの。)

 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 ㈱三省堂による教科書販売に伴う学校現場の校長や教員との癒着事件は、既に皆さんご存知の事であろう。
 学校現場の校長達は、三省堂との癒着により旅行招待や金5万円謝礼金などという(私に言わせてもらうと実にみっともない)せせこましいばかりの癒着に何故長年興じていたのだろうか??

 学校現場教職員とは、そんなせせこましい業者との癒着に安穏としている場合ではなかろう。

 今教育関係者が一番に成すべき事とは、政権による「教科書検定」の実態に興味を持ち対策を練る事だ。
 安倍政権による安保法案改憲政策により、特に「社会」分野に於ける教科書検定が、その歪んた思想で大きく変貌しようとしている。
 この実態こそに、学校長はじめ末端の教員に至るまで興味を持って対応するべきではないのか!?

 それを実行出来て、その実態を子供達に自ら伝えられるごとくの授業を個々の教員が成してこそ、世は少しづつでも良き方向に変遷すると私は信じている。
 学校現場から国家や自治体の教科書政策に異議申し立てせずして、一体誰が貴方達教員の味方をしてくれると考えているのか。

 現政権政策に素直に従い、しかも大規模教科書企業の恩恵を被り少額賄賂を授受し、ましてやその賄賂企業が作成した教科書内容を鵜呑みにして、日々マンネリと授業をしている場合ではなかろう。
 その事を、現役学校教員達に是非とも私から今一度伝えたい思いだ。

 (以上、先程発見した現在の「原左都子エッセイ集」1位のバックナンバーを再掲載したもの。)





 いやはや、元教育者でもある私としては、このバックナンバーが今現在の我がエッセイ集No.1に輝いている事実が、実に実に嬉しい!!

 元々医学者である私が、突如として「高校教師」職に巡り会えたのは30代後半期のことである。
 当時、教師の成り手が少なかった時代背景だったのだろうか??
 どういう訳か 3月終わり頃のある日の夜遅い時間帯に、某県の教育委員会から我が家に電話が入り、「貴方は、4月から県立高校にての教諭職が決定しています。」と言う。

 当時私は元々の本職である「医学」業務にて結構な収入を稼いでいたので、その旨を伝えると。

 教育委員会側も負けていない!
 「いえ、貴方は4月からの県立高校教諭職が決定しています。 とにかく、明日必ず学校まで出向き校長面談を受ける義務があります!」
 
 (事の成り行きに関しては、我がエッセイ集バックナンバーにて綴っておりますので、そちらをご覧いただきたいのだが。)

 結果としては、私はその県立高校教諭を引き受けることとなり、その後3年半(プラス私立高校にて非常勤講師の依頼もありそれも1年間引き受けました。)の年月に渡りその業務に励んだものだ。
 結論を言うならば、その教諭経験は我が人生に於いていろいろな意味合いでかけがえのない期間であったと振り返る。


 何と申しますか。
 「教科書のページ数と子どもの学力が相関する」か否かに関しては、我が結論としては否定的に捉えている形となるが。

 突然自身の身に降って湧いた職種であれ。 
 それを自身が肯定的に受け入れて全身全霊で励めば、後々の立派な自己の業績になる事には間違いない!!
 
 との事だろう。



我が家は「総務省統計局・労働力調査」の対象家庭となっているようだ

2024年10月20日 | 仕事・就職
 (冒頭写真は、表題調査の第2回目の調査用紙を撮影したもの。)


 当該調査は、冒頭写真にも説明書きがある通り。

 政府の重要な調査として統計法に定められた「基幹統計調査」」であり。
 我が国における就業・不就業の実態を明らかにすることを目的としている、との事だ。


 今回の調査は2度目であり、1度目の調査結果は9月中に既に提出済みだ。

 我が家の場合は、現在この住居地には亭主と私の2名のみが住んでいるため、その2名に関して調査内容に回答して提出すればよいのだが。

 1度目の調査時には、当然ながらパソコンから入力して提出しようとした。
 ところが、どういう訳かパスワードを入力しようとすると、「そのパスワードは既に使用されている」との警告が出るのだ!
 この調査に回答するのは初めての事であり、そんな訳があり得ないのだが…
 まさか 他の調査回答者が、偶然私が入力したパスワードを使用しているとするとして。  その偶然性の確立が0に近いと私は判断するのだが…
 と言って、それと異なるパスワードを考えるのは面倒臭いし、私が普段から使用しているパスワードをこんなところで使用するのも避けたいし。 結果としては紙面の調査用紙に手書きで書き込んで、郵送することにした。

 
 どうやら、その1回目の調査用紙は無事に受理されたようで。

 今回 2度目の調査用紙が、配布担当女性により我が家訪問形式にて手渡された、という訳だ。

 その女性が、とてもフレンドリーな方で。
 調査用紙を手渡しつつ、私に一言二言話しかけて下さる。
 例えば、我が家の玄関先には、玄関ポーチ(我が家は集合住宅にして玄関に門扉があるのだが、その玄関先に観葉植物等々が置ける「台」があり、その上に植物を飾ってあるのを女性がご覧になって。
 「ここに台があるのはいいですね!」と言って下さる。 私が応えて、「そうなんです。 観葉植物を置けますし、またこの台の上でちょっとした作業が出来たりして役に立っています。」
 あるいは、「石神井川の桜並木が美しいでしょ!」とも言って下さるので。 「そうなんです! 毎年、桜並木に桜が満開になるのがとても楽しみですし、実に美しいです!!」などと、自慢げに応えたりもしたものだ。😃 😜 

 肝心の「労働力調査」に関しては。
 「インターネット入力提出でも、郵送提出でもどちらでも結構です。」と説明して下さって、帰って行かれた。


 私としては、断然インターネット入力提出が短時間で済んでラクなのだが。
 またもや、「そのパスワードは既に使用されています」との警告が出るのだろうか???
 その時に備えて、この調査専門のパスワードを今から考慮しておこうか?
 いや、別に郵送でも大した手間ではないから、今回も郵送にしようかな?
 ん、いや待てよ。 一体この調査、今後何度続くのだろう???
 それによるなあ。


 ただ、ちょっと待ってくれよ。

 我が家の場合、亭主も私に既に退職しているため、前回と同様の回答を提出することとなるのだが。
 
 おっと。 そう言えば前回の設問内に、「今後仕事をすることは可能か?」なる設問があった。
 この私は、もしも今後我が専門力を発揮できる仕事をする機会があるならば、是非とも前向きに検討したいと考えている身であり!! そのようなYes回答をした!😃 

 それを思い出しつつ、今回の調査票を見てみると。
 その種の設問が、一切無い!!
 (そうか、一度目の調査で「高齢退職者」であることがバレた故に、2度目の調査では それを聞いてもらえないのね… )

 などと、何だか一抹の寂しさに浸りつつも… 😔 

 とにかく 期限内にパソコンか自筆かどちらかで回答して、期限内に提出致します。


高齢者マッチングアプリでスキマバイトしてみたいかも?!?!

2024年08月25日 | 仕事・就職
 冒頭から、最近見た朝日新聞記事「高齢者マッチングアプリでスキマバイト」の一部を、以下に要約引用しよう。

 好きな時間に、日替わりの現場で短時間働く「スキマバイト」が、高齢者にも広がっている。 背景には高齢者の「働きにくさ」と、社会の人手不足がある。
 東京都の某70才の女性は、約1年前半まえからほぼ毎日、スキマバイトのマッチングアプリ「タイミー」を使っている。 既に出勤は480回。65歳以上の登録者の中で突出しているという。 仕事は1日平均4時間。 飲食店の皿洗いやスーパーの品出しなどを担う。
 2年程前に求人雑誌等で必死に仕事を探したが、なしのつぶて。 面接に行っても採用されず、数カ月間みつからなかったことがきっかけ。 今恥取り暮らしで家にいるが、何もしないでいると社会からの疎外感を感じ、体が衰える不安もあった。
 アプリの某運営会社が提供するのは飲食店などの雇い主と働く人を繋げるマッチングサービス。  (中略)
 女性は、体調や都合に合わせて、黙々と手を動かす仕事を中心に選んでいる。 毎回異なるしょくばに初対面の雇い主。 ストレスは少ないが、たまに6,7時間働くと、疲れで「よろよろ」になって帰る日もある。 バイトでの月10万円程度の収入は、生活費や猫の餌代に。 「年金だけでは生活していけないですよ。」 より良い条件の仕事を見つけるため、他のマッチングサービスにも登録したいと話す。 同社によると、今年3月時点で65歳以上の登録者数は約5,1
万人と、1年間で2,1倍に増えた。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 ここで、原左都子自身の「職業経験」を振り返ってみよう。

 やはり「医学専門職」こそが主軸となる我が職業経験だったが。 婚姻後の理化学研究所等からのアルバイト採用も含めて、20年程の年月それで生計を立ててきたと言えよう。

 独身最終時期に、公立高校にて「高校教諭」も経験している。 
 これに関しては、私学から依頼があった「非常勤講師」時代も含めると7年間それに携わったことになる。

 ついでに言うと、郷里の医学部学生時代に夏季休暇中のアルバイトとしてウエイトレス経験もある。  これは、1年と2年時の夏季休暇中のみのため短期間経験だったが、当時はまさに若気の至りで実に楽しかったものだ!

 あるいは 2度目の大学生時代の食い扶ちとして、夜間や休日に短時間で高給が稼げる「ラウンジコンパニオン」や「パーティコンパニオン」も頑張った。 
 サービス業であるこの職種により私は学ぶべきものが大いにあり、お陰で一人間としての成長が叶ったと評価する。 この経験無くして、我が現在の人格の程が築けなかったと自負している。 だからこそ、高らかにその経歴を語る人生だ!

 まだあるぞ。
 郷里の医学部生時代の「家庭教師」。 これなども近所での評判が高く、「我が家の子どももお願いしたい!」なる保護者からの希望が絶えなったものだ。 私が卒業した高校に子供を入れたい、との保護者の要望に添えた事を思い起す。

 
 
 高齢域に達している現在、時折、何でもいいから仕事がしたい!、なる要望が我が老体から湧き出て来ることがある。

 それを、60代間近い時期に2度実行に移したりもした。
 現在の住居地である自治体の教育委員会が募集していた「不登校指導者」とやらに応募して書類審査に合格し、当該教育員会へ面接に出向いた経験があるのだが。
 その面接時に、「私は、不登校肯定者です! その観点から是非生徒指導をしたい!」なる我が意思を高らかに述べたところ、2度とも即刻不採用となった… (本エッセイ集バックナンバーにて、公開済みです。)
 教育委員会の旧態依然とした教育方針に愕然としたのみで終わった就活(終活)だったなあ。 



 それにしても、冒頭に紹介したマッチングアプリでスキマバイトを現役でやっているとの高齢女性が、本気で羨ましい限りだ。

 今後機会があれば、原左都子もそのマッチングアプリ・スキマバイトに登録してみたいなあ!
 (上記の如く 職業経験が豊富な人材ですので、お役に立てるかも!?!?)


やりたいことが無いから東京に住む???

2024年07月24日 | 仕事・就職
 今回のエッセイは、2024.07.23付朝日新聞夕刊記事「取材考記」より、くらし報道部 藤谷和弘氏著「『ありのまま』望み 東京出られなくなる若者」より引用しよう。

 
 地方出身で、「本当は地方に住みたいけど、いま東京に住んでいる人、知っていますか」 
 こんなメールを何人かの知合いに送った。 東京一極集中に関する取材で、地方から東京に若者が引き寄せられる理由を探りたいと思っていた。
 岩手県出身の会社員某男性(23)に話しを聞くと、「東京に住みたくて、住んでいる」という。 東京でやりたいことがあるからかと思ったが、違った。
むしろ、やりたいことがないからですね」 (途中大幅略)
 2011年の東日本大震災後、男性の地元には都会から多くの若者がボランティアできて、そのまま岩手に定住した人もいる。
 私も岩手に赴任していたとき、取材した。 自由だが孤立した都会の生活を離れ、「一人でい活きている感覚が無い」と語る若者の表情は喜びに満ちていた。
 「自分が何がしたいのか」と考えるようになったのは。答えが見つからず「何者にでもなれる」東京を選んだ。
 価値観や働き方の変化が進み、住む場所は選びやすくなった。だが、情報が溢れ、選べるけど決められない。 そんな時代に鍵となるのが、「何者にでもなれる」と言う感覚かもしれない。 (中略)
 自由だが孤立した都会の生活を離れ、「一人で生きている感覚が無い」と語る若者の表情は喜びに満ちていた。
 価値観や働き方の変化が進み、住む場所は選びやすくなった。 だが、情報が溢れ、選べるけど決められない。 そんな時代に鍵となるのが「何者にでもなれる」という感覚かもしれない。 (途中大幅略)
 物理学者のBossBさんに「ブラックホールは吸い込みません!」と突っ込まれた。 東京に関して「ブラックホール」という言葉を使いたいのならば、「一度東京に出たら出られない、出たくなくなる、という意味で使っていただきたい」と言う。
 完全に盲点だった。 不明を恥じるとともに、「出られなくなる」という視点は重要だと気付かされた。 一極集中の行方は、日本社会の将来を占う。 今後も様々な角度から掘り下げたい。

 (以上、朝日新聞「取材考記」より一部を引用したもの。)



 原左都子の偏見かもしれないが。

 朝日新聞記者の、特に「文系出身者」が書かれた記事を読ませて頂くと。
 我が直感の反応として、「ちがうなあ…」なる違和感を抱かされざるを得ない。

 その前例を上げると、朝日新聞社で既に次長にまで上り詰めておられる大学「教育学部」ご出身の女性記者の〇〇さん(スミマセン、忘却しましたが敢えてこのままにさせて頂きます。 後に調べましたところ、岡崎明子氏との方です。)が医師の診察時の態度に関する論評をされていた記事があった。
 その際にも私ども原左都子は 医学者として大いなる違和感を抱かされ、反論エッセイを熱く綴り公開させていたいたものだ。 (参考ですが、当該バックナンバーは、今尚 我がエッセイ集の人気記事として日々ベスト50内にランクインしています。)


 そんな原左都子が、当該「取材考記」に関して御意見させていただこう。

 元々ド田舎者の原左都子だが。 過疎地郷里から単身上京して既に40数年の年月が経過している。

 その間に 過疎地郷里へ帰りたいなどとの発想が出たことが、ただの一度も無い!!
 大都会東京で、特に医学を筆頭とする学問・研究で得た能力を十二分に発揮しつつ。 あくまでも自己評価に過ぎないが、十分に業績を上げながら(イコール:ある程度恵まれた報酬も得続けて)しつこくも面白おかしい人生を生き抜いてきている我が身だ!


 
 そんな原左都子として、言わせていただきたいのは。

 「やりたいことが無いから東京に住む?」など、東京にて成功している人間に対して失礼千万だ!!

 「やりたいことが実現できる(提供してくれる)要素満載の東京」だからこそ。
 原左都子の場合は職業に加え(それ以外の分野でも??)私なりの成功を勝ち取って来れたと自負している。

 既に高齢域に達している私だが。
 今後も一生 この大都会「東京」にて私らしく生きるための自己実現を、積極的に続行したいものだ!!


通販大手A社からの我が家宛の宅配便が消えた事件 続報

2024年06月02日 | 仕事・就職
 本日のエッセイは、昨日公開の冒頭表題事件の続報となるが。


 とりあえず 昨日公開エッセイの一部を、以下に再掲載させて頂こう。

 昨日夕刻の事だ。
 我が家の亭主が、家に帰って来るなり私に告げる。
 「通販大手A社に配達をお願いした宅配便に関して、“宅配ロッカー内に配達しました”との通知が届いているにもかかわらず、届いていない。 自分が思うには、部屋番号を間違えてロッカーに入力したのではなかろうか??」
 
 話題を、宅配便一般の現在の動向に戻そう。

 A社のみならず、近年は「宅配ロッカーへの配達」は常識として。 
 「置き配」と称して、留守宅の玄関先に無防備に宅配物を置きっぱなしにする宅配方法も一般的になってしまっている。
 
 我が家の場合はまだしも、集合住宅1階の表玄関がオートロック方式のため、外部者が建物の中に自由に出入りできないし。
 建物内の個々の住居に鍵のかかる門戸が存在するため、その門戸内に何とか荷物を届けて下されば安全面では特段の問題が発生しないかもしれない。 (それが証拠に、現在までは「置き配」で事故は発生していない。

 今回のA社よりの配達の場合、1階集合玄関の宅配ロッカーへの配達だったので、留守の際の一番安全な配達手段だったと言えよう。

 ところが、だ。
 亭主曰く、その宅配物が宅配ロッカーに配達されていない、と言うのだ。
 そして通常 宅配物を宅配ロッカーへ配達した場合、その旨の伝票を必ず郵便ポストに入れてくれるはずが、その伝票も無かったらしい。

 そこで、亭主は配達元の通販大手A社に連絡を入れて、荷物が配達されていない旨を告げたらしい。
 それに対するA社の担当者の解答は、「配達係は集合住宅の宅配ボックスへ配達しました」との回答のみだったと言う。

 その後の亭主の対応を知らないのだが。

 この私も普段より通販大手A社をよく利用しているため、分かるのだが。
 とにかく 急ぎの用件で連絡せんとしても、「電話連絡」が不能となっているのがA社はじめ現在の大手企業の常識だ!!
 この私の場合、パソコンキーボードタイピング能力が高いため、いくらでもキーボード打ちにて問題点を的確に指摘した連絡文書を、高速で短時間で仕上げて提出することが可能だ。
 それでも回答が返されるのに随分と時間を要するし、返された解答の焦点がズレていたりして、イライラさせられたりもする。
 これ、大手企業側が“確信犯”であえて顧客のトラブルの“目くらませ”を企んでいるのではなかろうか?!? とすら感じてしまう…

 今回の亭主のA社による“宅配物行方不明事件”に関しては、明らかにA社の末端配達担当者の何らかの手落ちであることに間違い無いであろう。

 亭主が言うには、配達者が部屋番号を間違えて宅配ボックスへ入れたのではないか? とのことだが。
 そして亭主は本日自らその調査に入って、集合住宅の管理人氏と話し合ったと言う。
 そうしたところ、ひとつ判明したのは。 我が家と同階の別住居の方が長期不在中らしいのだ。 そのため、宅配物が宅配ボックスに届けられたまま放置されていると言う。
 もしかして昨日亭主宛に届けられる予定だった宅配便が、その長期不在の方の住居と部屋番号を間違えて宅配ボックスに入れられたとしたならば…

 いつまで経っても、宅配物は亭主の手元に届かないこととなろう。
 
 (昨日公開のエッセイの一部を再掲載したもの。)



 本日になって事の詳細が判明し、通販大手A社からの亭主宛の宅配物は無事に手に入った。

 結果を言うならば亭主の推測通り。
 亭主宛に届けられる予定だった宅配物は、A社配達担当者の部屋番号勘違いミスにより、我が家と同階の現在長期不在中の別住居の部屋番号にて宅配ボックスに入れられていた!!

 ところがその事実が判明したとて、管理組合規則にて他者の部屋番号のロッカーは原則解錠不能扱いとなっているのだ。

 これが何ともラッキーなことに、本日その「管理組合会合」の年に幾度かの開催日であり、管理組合役員たちがマンション正面玄関付近に集結していたのだ!
 その会議の場で、即刻「部屋番号違いの宅配ボックスの解錠が可能か否か?」が話し合われた結果、全員一致で「解錠OK!」の決定が下り。

 即刻 管理会社係員の手により、長期不在中別住居部屋番号の宅配ボックスを解錠したところ。

 亭主宛の通販大手A社よりの宅配物が確かに入っていた、との結論だ。


 
 結論としては、明らかに通販大手A社側の部屋番号配達ミスだった訳だ。😡 😱 
 
 私の意見としては、この結果を配達依頼者である亭主からにA(アマゾン)社へ報告して何らからの謝罪を要求するべき! と訴えたにもかかわらず。

 それをするそぶりが全く無い亭主だなあ… 😖 


 とにもかくにも、現在ネット通販が世に蔓延している時代背景において。
 特に末端配達者の人材不足の実態は切実であろうし、実際配達業務にかかわっておられる末端労働者たちの過重労働の実態も把握出来てはいるが…

 どうか、部屋番号の間違いにも十分配慮しつつ、最後まで配達業務を正確に全うして頂きたいものだ。