原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「終身雇用時代」は終焉する… さて、どう生きよう!??

2025年04月06日 | 仕事・就職
 かく言うこの原左都子は「終身雇用」に身を浸すことなく、自ら主体的に職業チャレンジを幾度も成しつつ今までの人生を歩んできた人材であると言えよう!!


 国立大学医学部出身の私であり、新卒当時のうら若き時代には我が専門の医学業務がより取り見取り放題に存在する時代背景だった。

 そんな私がチャレンジしたのは、郷里を捨て上京して医学業務に励むとの選択だった。
 これが、大正解!!  
 とにかく好奇心旺盛な私は、医学業務はもちろんの事。 大都会・東京にて遊び放題、好き放題の天真爛漫な生き方を主体的に成したものだ。

 そんな暮らしに多少飽きが来る30歳直前期に、私は自身の経済力一本で首都圏に単身で暮らすマンション物件を買い求めると同時に。
 2度目の大学入学との思い切ったチャレンジをした。
 生活費に関しては、大学長期休暇時に医学業務を集中的に頑張ったり、また夜間はラウンジコンパニオンをしつつ、生活費を稼いだ。 これらの経験も、我が新たなキャリアとして人間の幅を広げるのに大いに役立った。

 晩婚ながら37歳にて婚姻に至り、38歳で一女をもうけ。
 しばらく育児に励みつつも娘幼稚園時に医学業務に舞い戻り、理化学研究所にて医学実験に励んだものだ。
 それ以前の独身時代には 「高校教諭」の誘いがあり、その業務にも数年精を出した。
 4年半との短期業務だったが、2度目の大学での専門を活かしつつ全く異業種分野でも活躍することが叶ったのは、我が人生において何ともラッキーだったと言えよう。
 その後 (上述の如く)またもや医学業務に舞い戻り、その専門を活かして業務に励むことが叶った。
 
 そんなこんなで 我が職業人生活はその後も面白おかしく、しかも長く続行することが叶ったものだ。



 さて、話題を変えて2025.04.05付朝日新聞夕刊記事内に「変わる終身雇用 必要な備えは」と題する記事があった。

 早速以下に要約引用しよう。
 
 定年まで同じ会社で働き、老後は余生を楽しむ。 こんな人生を思い描いた人もいるのでは? でも今や、終身雇用は崩れ、長寿社会の中で老後の年金に不安が募るなど、「定年まで」の人生は終わりつつある。
 会社を辞めて次のステージに進んだり、定年後も働き続けたりするため、どんな備えが必要か。
 臨床心理士の広川進氏(65)に話を聞いた。
 「今までうは55歳になってキャリアの終盤で不本意な仕事になっても、あと数年我慢すれば定年まで勤めることができた。 でも、これからは畑違いの仕事でかなりの期間、働くことも十分あり得ます。」
 企業は激しい競争にさらされ、全ての社員を安定して雇用し続けることは難しい。 (中略)
 とくに1990年代前後のバブル期に入社した人が持つ「会社への根拠のない愛」に気を付けねばならないと言う。 (中略)
 では、どう備えればよいのだろうか。 最近仕事に必要なスキルを学び直す「リスキリング」という言葉もよく聞く。 (途中大幅略)
 むやみに転職したり、会社を辞めたりすることをすすめるわけではない。 今の仕事を何歳までやれるか、他の部署で経験を活かせるところはないか、などを考えることが大切だと言う。 収入が減っても、別の好きなことをした方が幸せかもしれない。 そうしたことを考えるきっかけになる。」
 とは言え、中高年が再就職するには勇気がいる。 
 そこで大切なのは「人間関係」だ。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を要約引用したもの。)



 我が人生において 大きく2度転職をして。 
 両者共々成功したと自負している原左都子の意見を、述べさせていただこう。
 
 職業の専門に関してだが。
 
 確固とした専門力を誇れる分野の専門資格を(国家資格等々の形で)まずはゲットするべきと、アドバイス申し上げたい。
 参考だが、原左都子がゲットした資格は主に2つだが。 両者共々「国家資格」である。 
 医学分野の資格は「臨床検査技師」であり、教育関連資格は「教職免許高校『社会科』『商業科』」だ。
 これらをゲットしていなければ、その種にありつけない職種であるからこそ、(特に教職など)比較的高齢域に達した後に高校教育現場への教諭としての就業が難なく叶ったといえよう。


 とにもかくにも「終身雇用時代」が終焉しようが、どうなろうが。

 職業界にて自身の身を立てるためには。
 理屈抜きで その分野の確固とした資格(特に国家資格)をゲットするのが、大いに有効な手段であろう。
 

本日、認知症義母の「青色申告」代行業務を無事に果して来ました。

2025年01月29日 | 仕事・就職
 今年の申告に於いては、良き「青色申告」担当者氏に恵まれまして。

 
 何ら問題無く、義母の「青色申告」業務代行を果すことが叶いました。


 これが、本日実施して来た義母の不動産貸付業「青色申告」書類の一部です。


          

 義母のこの「不動産貸付業・青色申告業務」を代行して、既に10年以上の年月が流れていると認識していますが。
  
 代行者である原左都子自身が高齢化している現状に於いて。
 
 この申告作業が、年齢を重ねる毎に重荷になっているのが正直なところですが。

 それでも、年に一度のこの業務を無事にこなす都度。
 (いえいえ、年間を通じて各種領収書や申告に要する資料を集め保存して、それを計算材料に使用するための整理作業が必要なのはもちろんの事ですが。)

 とにかく、確定申告の今の時期にこの作業を無事終えますと。

 多大な達成感があるのも事実です。


 義母が生きている限り、既に高齢域である原左都子のこの「青色申告代行業務」は続きます。

 私の能力範囲で出来得る限り、今後もこの作業を頑張り抜きたいと思っています。 

 

本日午前中は、「メゾン原」の“減価償却計算”を頑張りました!

2025年01月15日 | 仕事・就職
 この「減価償却」に関して、ネット情報を引用しよう。


 減価償却とは、減価償却資産の取得に要した金額を一定の方法によって各年分の必要経費として配分していく手続きです。 使用可能期間が1年未満のものまたは取得価額が10万円未満のものは、その取得に要した金額の全額を業務の用に供した年分の必要経費とします。 減価償却資産とは、法人税法施行令第13条に掲げるもので、事業の用に供しているものをいいますが、資産を事業の用に供したか否かは、業種・業態・その資産の構成および使用の状況を総合的に勘案して判断することになります。

 (以上、ネット情報より転載したもの。)



 そもそも この「減価償却」概念とは。
 おそらく元々は法人企業等に対して採用された「税法上の優遇措置」であろうと、私は解釈している。

 この「減価償却」概念が、現在では一般市民の例えば「賃貸物件管理」にも応用されている実態だ。

 という事で。

 原左都子が(もう10年以上の年月が経過しただろうか?)毎年確定申告時に担当している「メゾン原」の税務申告時にも、ほぼ毎年の如くこの「減価償却」計算が必要とされているとの訳だ。


 本日私が計算しようとしたのは、「メゾン原」内に年末に設置した「豊島区ゴミ収集箱」及びその設置に伴う雑草処理等も含めた総額金額にかかる「減価償却費」に関してなのだが…

 ところが 亭主が言うには。
 未だその「豊島区ゴミ収集箱」に関する領収書が、「メゾン原賃貸管理会社」から届いていない!とのことだ!

 まあ、「メゾン原」の青色申告は 1月29日を予定しているため、その日までに領収書が間に合えば問題ないのだが。
 それを待っていては、「減価償却計算」が間に合わないと考えた私は。

 亭主に「ゴミ集積箱」の見積書が届いてるか、を確認した。
 そうしたところ、「届いている」との返答!!

 その「見積書」を利用して、メゾン原「豊島区ゴミ収集箱」に関連する減価償却計算が出来ることとなり。

 大いに安堵している身だ…



 不動産仲介者さん。 今時は特に大都会に於いては不動産業界が大盛況との事実を十分把握しておりますが。 

 どうか、零細不動産賃貸者の身にもなって頂いて。

 この「確定申告時」におきましては、早めのデータ処理に必要な書類(領収書等)の送付をお願い申し上げます!!😡 😷 




今年も「税務申告」の季節がやって来た…

2025年01月12日 | 仕事・就職
 (冒頭写真は、某「青色申告会」より送付されている本年の義母の青色申告書類封筒。)


 年齢を重ねる程に、この「税務申告」処理が億劫になっている私だ…


 いえいえ 私自身は既に現役職業人を退職している関係で、大した税務申告作業は無いに等しいと言えるのだが。

 どういう訳か、と言うより。
 原家の中でおそらく「税務」に一番詳しいと思われている私が、亭主と婚姻以降原家の全て(義母と亭主)の税務申告を一任されているのだ。 (参考だが、この私は2度目の大学・大学院にて「経営法学修士」を取得し。 税理士試験「税法3科目免除申請」を国税庁に提出し、受領されている立場である。)

 この原家の税務申告を引き受けたのは、既に十数年前に遡るだろうか。
 当時の我が脳内は まだまだ冴えていて、何らの障壁も迷いも無く毎年スラスラスイスイと税務申告書類を仕上げ、青色申告会まで持参したものだ。


 ところが…
 年月の流れとは無常であることを、近頃税務申告時期になると思い知らされる…

 昨年など 青色申告会場にて、私が仕上げて持参した義母の「青色申告所」内に 記載ミスが発覚したのだ!!
 いやまあ、基本的には青色申告を利用している皆さんがその道のプロである訳ではないため、「青色申告会」の担当者はとても親切に対応して下さるので何らの問題も無いのだが…
 私としては、過去にその専門の学問に励み、税理士試験「税法3科目免除申請」を国税庁より授与されている立場にある事実に、私なりのプライドがあるのだ!!😛 

 実際昨年の我がポカミスには、自分自身が大きな痛手を負った気分に陥り。
 今年こそは、完璧な「税務申告書」を仕上げて青色申告会を訪れるぞ!! なる意気込みがあるという訳だ。

 
 青色申告は 一般の確定申告よりも、毎年早期に開始する。

 この私も、いつも早めの予約を入れている。
 今年も 1月29日がその「義母の青色申告」日なのだが。
 後、2週間少し後にその申告日が迫っている現実の中、本日その申告書作成作業に入った。

 この作業が面倒なのは、例えば「医療費」など、その領収書を1年がかりで集めねばならない。 (参考だが、今現在は国税庁が国民個々人の「医療費」を計算したものをネット上で検索・閲覧可能らしいが… その手段を今まで利用した経験が無いため、とりあえず今年の申告ではいつもの通り「手計算」にて算出予定だ。)
 まあこの作業は、時間はかかるが大して頭を悩ませることは無いのだが。

 義母の場合、「不動産賃貸業(メゾン原)」の税務申告が第一義のため、この計算が面倒だ。 
 とは言えども、「不動産の減価償却計算書」などは、あらかじめ青色申告書より送付してくれるのだが。  (ちょっと待って!! 今手元にないぞ!!)
 この種のトラブルは毎年の事で。😱 
 その場合は昨年の計算書を持ち出して、私の手計算で仕上げる羽目になる…ただそんなに難しい計算でもないなあ。😜 
 


 私ももっと若ければ、こんな計算お茶の子さいさいだったのだが…

 やはり人間も70歳が近づくと、細かい面で落ち度が多くなることを実感させられる。


 義母の「(メゾン原)不動産貸付業」青色申告が終了したら、次は亭主と私の確定申告だ。

 こちらは、義母の税務申告に対してかなり難易度は低いのだが。
 毎年のように、税務署から「新たに〇〇作業がネットにて出来るようになりました」なる連絡が入るのが、私にとって返ってストレスだ!!😡 

 「昨年通り(手計算で)やらせてくれ!!」と叫びたくもなりつつ、こちらも我が家の税務担当である私が処理して提出します…


 そうそう、昨年は「メゾン原」内に区から強制的に 貸主である我が家の“自費!”にて、ゴミ収集箱を設置させられたりもした!

 あれの費用も、必ずや青色申告時に申告するぞ!!


再掲載 「教科書のページ数と子どもの学力は相関するか?」

2024年10月21日 | 仕事・就職
 多忙な1日を送り、夜の今になって我が「原左都子エッセイ集」を覗いてみると。

 2015.11.30付けにて公開した冒頭のバックナンバーが、現在の我がエッセイ集トップの位置に君臨していた。


 せっかくの現在1位の冒頭表題の我がエッセイ集バックナンバーを、以下に再掲載させていただこう。


 私は過去に於いて高校教員経験があるが、私が受け持っていた教科は「社会」の一部と「商業」全般である。

 その時代の高校現場に於ける「教科書」の位置付けは、義務教育課程の小中学校とは異なり、学校現場に一任されていたのではあるまいか?
 と言うのも、私の場合、公立高校と私立女子高校での教員経験があるが、両者共に教科書使用に関しては教科担当教員に任せられていた。

 この自由度に大いに幸いした私だ。

 とにかく学問に関して確固たるポリシーを持っていた私には、そもそも“教科書に従って”つまらない授業を施そうなどとの発想が出るはずもない。
 加えて、一見“悪(ワル)”そうな子ども達の目の輝きに一旦感動を受けたものなら、教科書に従った通り一遍の授業を展開し、授業中に生徒達にお喋りしたり寝られる事こそが、こちらこそ許し難い。 (などと偉そうに言っても、授業中喋る子も寝る子も多かったのですがね…)
 一方、我が授業の賞賛生徒も少なからず存在したことを付け加えておこう。 (「先生って、毎日家で一生懸命授業の準備をして来てるのが伝わるよ。」などと黄色いくちばしで褒めてもらえる事もあった。)
 
 と言う訳で、私の場合は教科書に全面的に依存した授業などただの一度も実施せず、自分自身で毎時間レジメを作成して授業を執り行った。 その準備作業とは、おそらく皆さんの想像をはるかに超えて過酷だったと振り返る。

 ただ、例外はあった。

 例えば、社会の一科目「現代社会」などは、私自身が過去に生徒の立場で高校の授業にて未経験の、当時としては新しい科目だった。 一体如何なる科目なのかとの下調べ目的で、当時発行されていた「現代社会」の教科書を読み込んだ経験はある。 これがなかなかまとまった良き科目と実感した。 その教科書を参照しつつ、やはり自分で毎時間レジメを作成して授業を進めたものだ。

 あるいは、商業科の一科目である「商業法規」に於いて、副読本を利用した経験もある。
 それには私なりの確固たる理由があった。 たとえ相手が高校生と言えども、法律を学習させるにあたり「現行法規」を紐解き参照せねば授業が進められる訳もないのだ。 
 そこで私が真っ先に考えついたのは、市販されている「六法」の活用だった。 が、一番安価なものでも¥1,000ーを超過していたのに加え、生徒各自に書店に行って購入せよと指導しても、誰も買う訳がない事は十分承知していた。 
 そうしたところ、教科書の「副読本」の位置付けにある書物が存在する事が判明した。 これを利用すれば市販品よりもずっと安価だし、学校の教科書業者を通して生徒全員に私から配布する事も可能だ。
 私が当時利用したのは、㈱一橋出版社による「新商業六法」なる副読本だったのだが、この内容が実によくまとまっているのだ。 しかも市販品よりも安価である。
 それでも生徒達から、「せんせ~~、そんなもの買ってくれと家で言ったら、うちの母ちゃんがまた出費かと泣くぞーー。」とのご意見を複数賜ったものだ。  そんな生徒達の思いも十分に察して、「ホントに申し訳ないけど、この六法は貴方達が卒業した後にも必ず役に立つから、お願いだから買って。」と生徒に嘆願した事が今となっては懐かしい。
 教員である私のたっての希望により強制的に生徒に副読本を買わせた以上、もちろん授業中に当該「新商業六法」は十二分に活用した。
 ただその後時代の変遷や政権の移り変わりと共に法律改定が相次ぎ、今となっては役に立たない書物となっている事実を、遅ればせながら当時の生徒達にお詫びしておこう。

 ここで話題を変えよう。

 朝日新聞 2015.11.20 朝刊に、「教科書会社、教員との距離は 三省堂問題、他者に聞く」 との記事が掲載されていた。
 当該記事の片隅に、「少子化で減る部数」との記載があったのだが、その内容を以下に要約して紹介しよう。
 文科省によると、全国の小中学校や高校、特別支援学校で今年度使われている教科書は計1億2681万冊。 少子化の影響で1985年より4割減だった。 近年はゆとり教育からの転換で教科書の総ページ数は10年間で3割以上増え、製作費は大幅に上がっている。 教科書各社は関連教材などの売り上げ確保を図っているのが実情という。
 (以上、朝日新聞記事より左端にあったほんの一部を要約引用したもの。)

 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 ㈱三省堂による教科書販売に伴う学校現場の校長や教員との癒着事件は、既に皆さんご存知の事であろう。
 学校現場の校長達は、三省堂との癒着により旅行招待や金5万円謝礼金などという(私に言わせてもらうと実にみっともない)せせこましいばかりの癒着に何故長年興じていたのだろうか??

 学校現場教職員とは、そんなせせこましい業者との癒着に安穏としている場合ではなかろう。

 今教育関係者が一番に成すべき事とは、政権による「教科書検定」の実態に興味を持ち対策を練る事だ。
 安倍政権による安保法案改憲政策により、特に「社会」分野に於ける教科書検定が、その歪んた思想で大きく変貌しようとしている。
 この実態こそに、学校長はじめ末端の教員に至るまで興味を持って対応するべきではないのか!?

 それを実行出来て、その実態を子供達に自ら伝えられるごとくの授業を個々の教員が成してこそ、世は少しづつでも良き方向に変遷すると私は信じている。
 学校現場から国家や自治体の教科書政策に異議申し立てせずして、一体誰が貴方達教員の味方をしてくれると考えているのか。

 現政権政策に素直に従い、しかも大規模教科書企業の恩恵を被り少額賄賂を授受し、ましてやその賄賂企業が作成した教科書内容を鵜呑みにして、日々マンネリと授業をしている場合ではなかろう。
 その事を、現役学校教員達に是非とも私から今一度伝えたい思いだ。

 (以上、先程発見した現在の「原左都子エッセイ集」1位のバックナンバーを再掲載したもの。)





 いやはや、元教育者でもある私としては、このバックナンバーが今現在の我がエッセイ集No.1に輝いている事実が、実に実に嬉しい!!

 元々医学者である私が、突如として「高校教師」職に巡り会えたのは30代後半期のことである。
 当時、教師の成り手が少なかった時代背景だったのだろうか??
 どういう訳か 3月終わり頃のある日の夜遅い時間帯に、某県の教育委員会から我が家に電話が入り、「貴方は、4月から県立高校にての教諭職が決定しています。」と言う。

 当時私は元々の本職である「医学」業務にて結構な収入を稼いでいたので、その旨を伝えると。

 教育委員会側も負けていない!
 「いえ、貴方は4月からの県立高校教諭職が決定しています。 とにかく、明日必ず学校まで出向き校長面談を受ける義務があります!」
 
 (事の成り行きに関しては、我がエッセイ集バックナンバーにて綴っておりますので、そちらをご覧いただきたいのだが。)

 結果としては、私はその県立高校教諭を引き受けることとなり、その後3年半(プラス私立高校にて非常勤講師の依頼もありそれも1年間引き受けました。)の年月に渡りその業務に励んだものだ。
 結論を言うならば、その教諭経験は我が人生に於いていろいろな意味合いでかけがえのない期間であったと振り返る。


 何と申しますか。
 「教科書のページ数と子どもの学力が相関する」か否かに関しては、我が結論としては否定的に捉えている形となるが。

 突然自身の身に降って湧いた職種であれ。 
 それを自身が肯定的に受け入れて全身全霊で励めば、後々の立派な自己の業績になる事には間違いない!!
 
 との事だろう。