原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“孤独死”が怖い人とはそもそも他力本願志向者じゃないか?

2017年01月30日 | 時事論評
 この原左都子など長かった独身時代より、人間とは一人で生きて一人で死んでいくもの、と信じて疑っていなかった。

 その思考は晩婚後も変わらない。 と言うよりも、変わり様が無い現実だ。
 何故ならば、親族の皆が私の世話・介護に期待する一方、誰一人として私の老後の面倒を看てくれる気など毛頭無い事が歴然としているからだ。 
 (参考のため、若干の事情を抱えている娘には、“私は100歳超まで生きるから、母娘でずっと仲良くしようね。” と時々冗談交じりで話したりする。 少し切実な課題であるが、本心で娘をこの世に残したままサリバンの私は死に切れない。)

 いや、実際万が一、私が若死にしにそうになったら親族の皆はどうする気なのだろう??
 ところがこれまた親族の誰もが、私はいつもピンピンしていてずっと元気なものと信じて疑っていない有様だ。
 ある時亭主に聞いてみた事がある。 「もしも私が重い病に倒れ若死にしたらどうする?」 そうしたところすかさず、「〇子が病気する訳がないよ」  反論して私曰く、「でも事故死なども考えられるよ」  亭主曰く、「〇子の場合せいぜい骨折程度だよ。最悪の場合でも何か月か入院したら退院できるよ。」

 いやまあ、それ程までに私がいつまでも元気で家族のために働き続けると信じてもらえている事実とは、有り難い話であろう。


 そんな私は、近しい人を“孤独死”で2人亡くしている。
 その一人は実父だが、60代の若さで急性心筋梗塞で突然死した。 父の場合、決して孤独死ではないのだが、自宅で苦しんでいるのを母が発見した時には既に手遅れ状態で、一人であの世へ旅立ったようなものだ。
 あるいは我が生涯に於ける唯一と言える腹心の友も、やはり60代で一人暮らしの自宅にてくも膜下出血にて孤独死した。 ちょうど4年前の出来事だ。  彼女の場合は、正真正銘の“孤独死”だった。 死後ご親族が発見するまでにある程度の日数が経過していたとの事で、その後葬儀を済ませた後に、生前親しかった私に連絡を頂戴した。

 それらの経験がある私は、“孤独死”とは他人事でない感覚を必然的に脳裏に描いている。
 行く行く私は孤独死を遂げる運命にあろう。 その際に、死後なるべく周囲へ迷惑を掛けない体制を整えておくべきと日々考えている。


 さて、朝日新聞1月18日付別刷「be」 “between” のテーマは、「孤独死はひとごとでない?」だった。

 当然ながら、原左都子の回答は「いいえ」である。
 その理由とは上記に記した通り、人生の最後に及んでも自己単独責任で死をまっとうしたい故だ。 そのため孤独死を我が事として捉えていて、特段恐れていないという意味で「いいえ」と応えよう。

 朝日新聞の回答によると、私と同じく「いいえ」と回答したのは30%。 その他70%は、孤独死を我が事として恐れおののいている様子だ。
 
 ところがこの記事をよく読むと、「いいえ」と回答した少数派30%の人々のご意見が我が思考と大幅に食い違う事に愕然とさせられる。
 要するに、“孤独死など他人事”と考える読者のほぼすべてが「死に際に助けてくれる人物が身近にいる」故、と結論付けられそうだ。

 ははあ、要するにこの設問の回答者とは未だ若き世代が多いのかもしれない。
 あるいは高齢域に達している身で、ご自身の親族等々身内のどなたかが自分の死を看取ってくれると信じ疑っていない“ノーテンキ人種”がこの世に蔓延っている証拠か??
 
 となると、むしろ当該設問に「はい」と応えた多数派こそが自分の未来を直視出来ているとも捉えられよう。


 当該朝日新聞記事は、一般的に「孤独」とされている概念にも議論を展開している。
 それを以下に要約して紹介しよう。
 
 誰にも看取られる事無く息を引き取り、一定期間発見されない孤独死。 高齢化、核家族化が進む中、「ひとごとでなない」と思う人が増えている。 不安の声が寄せられる中、「望むところだ」「良くないものとして捉えるのはどうか」という声も。 自分の望み通りに死にたいと願う人は多いようだ。
 平成28年版「高齢者社会白書」では、孤独死を「誰にも看取られることなく亡くなった後に発見される死」としている。 「おひとりさま」は増え、日本人男性の生涯未婚率が2035年で29%になると推定する。
 そんな中、「孤独死が悪として取り上げられる理由はない」との意見もある。 「孤独死が悪ならば、高齢者独居者でそのリスクが高い人達全員を施設へ入れないといけなくなる」 「死を看取られるから幸せともいえない」 「人生の最後が一人だったことが寂しい事か、悲惨な事か? 少し表現を変えて欲しい気もする」 等々の様々な意見が交錯している。


 最後に、原左都子の結論でまとめよう。

 実父の突然死、あるいは腹心の友の自宅での孤独死……
 様々な辛い経験を身近に重ねて来た私は、自身の死に関しても“孤独死”こそが理想、との腹が据わっている。
 そんな私は(娘以外の)親族皆の死後を看取った後は、孤独死こそを希望したい。
 
 近年に至っても、身内親族や自身の支援者・ファン等を出来る限り集めて自分の葬儀を実行したいとの“勘違い人種”は政界や芸能界に於いて今尚存在し、自身の葬儀を大々的に執り行っている。
 それを実行可能な経済力ある人間は、身勝手に実行すれば済む話なのだろう。

 片や我が身を含めた庶民は、後世に残される者にこそ配慮を成すべきだ。
 そのように結論付けたならば、“孤独死” こそが最高にして最大の死に様ではあるまいか??

 ただし反復するがそれを実行するには、必ずや次世代に自分の死に際に迷惑を及ぼさない配慮を成せる程度の経済力と美学を生前に貫き、伝達しておくべきだろう。

小池さん、数十年も放置している都道路計画の実行をスピーディに願いたい!

2017年01月28日 | 時事論評
 東京都心に位置する我が義母所有の不動産物件が、東京都道路計画に引っかかっている。

 
 そもそも当該都道路計画が東京都から発表されたのは、数十年前の事だったらしい。 その後、ずっと計画実行はうやむやにされ、「計画凍結」状態が5年程前まで執行され続けた。
 これが、大変。  あくまでも「計画凍結」であり「中止」ではない。 そうするとどういう事態となるかと言えば、道路計画に引っかかった住民に建物“建替え不能措置”が強行されるのだ。

 12,3年程前にどうしても建物建替えを実行したい義母が、今一度東京都道路担当係を訪れ、新築に建て替えられられないか問うたところ、やはり建て替えは不能との事。 ではいつになったら道路計画が再考されるのかと尋ねても、担当者により回答が大幅に異なるとの体たらくの有様。
 やむを得ず義母が取った行動とは、建物大改築だ。 某社の「新築そっくりさん」を利用し大規模改築を実施するのにかかった費用は、スッパリと新築にする費用よりも大幅に高額の数千万円を計上した。

 その後、義母は6年程前に高齢者有料介護施設へ入居し、5年程前より義母の介護保証人を担当している義母の長男夫婦の我々が、当該不動産(賃貸業を営んでいるがそれらもすべて含めて)の管理実務を日々執り行っている。(ほぼそのすべてを私が担当している実情だが…)

 
 4年程前の事だっただろうか、東京都より義母宛に通知が届き、やっとこさ当該道路計画を実行に移すとの発表だ。
 その後全体説明会や個別説明会(すべて我々夫婦が出席)を経て、2年程前より実際の現地土地面積の測量等々、立ち退き準備処理(これも私が現地にて対応)に入った。

 ところがどっこい、当該都道路計画反対派が大多数の現状だ。
 それら反対派の皆様のお気持ちの程は重々理解可能だ。 道路を作るからこの地から出て行くけ! と、東京都より無責任に強制されたところで、代々受け継いで来た地を捨て去り出て行くなど通常易々と受け入れられるはずもない。 しかも数十年前に道路計画を発表しておきながら、無責任にも長期の「計画凍結」をやらかし、その後また急に道路計画を実行すると言い出すいい加減な都政のあり方。

 我が家など例外中の例外だ。  もはや義母は介護施設に入居したし、元々義母と同居していない我々一家も当該地には今後も縁が無い。 後は当地の賃貸物件に住む入居者氏達の同意を得らられば、道路計画に従い立ち退きに同意する事は可能だ。


 ところが、まだまだ課題は盛沢山だ。
 何せ、東京都の対応のすべてが後手後手に回っている。 それは反対派が大多数である事が一番の理由だろうが、それにしても同意派に対する対応もいい加減だ。
 例えば我が家特有の課題として、敷地の半分程が道路計画外となり、その残される地の有効利用を今後考慮せねばならない。 都はその種個々の特殊事情にも積極的に対応すると説明会で宣言しつつ、いちいちこちらから電話で問い合わせをせねば動かない都の体質には変わりない。

 これにしびれを切らせた我が亭主が、東京都に噛み付いた。 残される地を将来活用するため、早期にその計画を立てたい、と。   さすが、直接何度も訴えると都も動くようだ。
 その後、都は残される地の綿密な活用手段の事例を提示して来た。 それによれば、ある程度の高さのビルが建設可能なようだ。(と言うよりも、そもそも当該道路計画の目的の一つに木密地域火災対策があるため、道路沿いの住居は鉄筋3階建以上の建築を強制される。) しかも計画道路が都心の幹線道路の役割を果たすため、商業施設としての活用可能性が高いと。 ただし実際に道路が建設されない状況下では更地で放置するしかなく、とりあえずはせいぜいその更地を駐車場等々で活用するしかない、との返答でもある。

 我が家としては、我々の代で当該道路建設の結論を見たいものだ。
 と言うのも娘の代までずれ込むと、娘にその対応実行力があるのかどうかとの “我が家特有の課題” が残る故だ。
 そのためにも是非とも、東京都には道路計画実行を急いで欲しいのだが…… 


 昨日我が家に訪れた客とは、当該都道路計画に伴う建物調査を実行を担当している民間企業の係員氏だった。
 民間企業の係員氏曰く、「都から委託されている建物調査の委託期間が2月末で切れるため、早急にご自宅へ伺いたい」との事だ。  それならば、との事で、我がスポーツジムトレーニングも取りやめにして、昨日午後に自宅までお越し頂いたという訳だ。

 係員氏の建物物件調査の内容が細部までに及んだ事に、大いに安堵した。
 冒頭にて記した通り、義母所有建物物件は10年程前に“数千万円にも上る”大改築を実施している。 それを「物件評価」に上乗せして貰わない事には、我が家としても納得不能だ。  その辺の事情も十分把握してくれたのが救いだ。 
 ただし、民間企業係員氏も言う。 「今尚反対派が多い現実において、物件調査がままならない状況下にあります。」
 私が応えて、「そうでしょうね。 貴社の物件調査が2月末までに終了しない暁には、都がちまちまとそれを引き継ぐのでしょうかね?? そうなると、道路計画は遅れるばかり。 結局、いつになったら都が道路着工に踏み切れるのか不透明との結論なのでしょうね… 」


 原左都子の結論に入ろう。

 いやはや、東京都であろうが何処であろうが、一旦自己所有不動産が自治体の道路計画になどはまると、地獄をみるものだ。

 小池知事に今一度申し上げたい。
 貴方は昨年夏の都知事選挙公約の一つとして、「都内木密地域道路計画を早急に実行に移す!」と高らかに宣言していた事実を私は記憶している。

 貴女もあらゆる分野でご多忙であられる現状も、一都民として把握申し上げている。

 それでもどうか、特に数十年の年月に渡り道路建設計画を「凍結」状態にしてその地の住民を苦しめ続けた道路計画から優先して、真意に早急に計画実行着手される事に期待申し上げたいものだ。 

“べっぴんさん(美人)” は得か?

2017年01月27日 | 自己実現
 本日はスポーツジムへ行く予定だったのだが、午後になって急な来客があり行きそびれてしまった。

 そのため少し空き時間が出来たので、軽ノリエッセイでも記して時間潰しをしよう。
 (などと言いつつ、最近の「原左都子エッセイ集」は著者である我が脳の劣化と共に、内容が軟弱化しつつある事実は十分に自覚しております…… )  

 
 朝日新聞1月24日付夕刊記事に、「べっぴんさんって やっぱりお得?」なるコラムがあった。
 今回の表題は、その記事表題をそのままパクったものである。

 その設問に応える形で、読者(?)と思しき3名+1名の女性のご意見が掲載されていた。 以下にそれら一つひとつを紹介しつつ、原左都子の論評を加えよう。

 <その1>  55歳中学校講師氏のご意見から。
 若いうちは美人が得だが、働き出してある程度の年齢になれば買いたいものは自分で買えるし、老いは皆平等にやって来る。 美人は若い頃とギャップがあり過ぎて気の毒かもね。 

 原左都子の論評。
 それは絶対に違う。 決して老いは皆平等にはやって来ない。 まったく別の観点から、老いてこそ人間は美しさを増すものと私は信じこの世を生きて来ているし、今後もそのポリシーの下に生き抜くつもりだ。
 ただ、それには条件がある。 若き時代より如何に自分の人生を自分自身で演出し如何なる努力を積み重ねつつこの世を生き抜くかにより、老いた後の美しさに差が出て当然だろう。

 こんな所で、昨春街でシニア女優にスカウトされた事件を思い出してみよう。
 その後、某化粧品CM出演の最終書類選考に残り、オーディション会場へ行った時の事だ。  私同様街でスカウトされたと思しき熟年女性達が十数名集まっている。 人間観察を得意技とする私は、待ち時間にオーディションに集まった熟年女性達を虎視眈々と観察した。 確かに顔の作りが良かったり、私のように(??)体型に於いてある程度の若さを維持している女性達の集合体であろう事には納得した。 
 ところがどうしたことか、そこに集結したシニア女性達のどなたにも何らの魅力も感じられないのだ。(失礼ながら、いい年をして“そういう事”にしか興味がなさそうな女性陣と表現するべきか…)  要するに街中でスカウトされる女性達とは、あくまでもその外見のみで識別されたに過ぎないという事だ。
 人間の真の美しさとは何か? との原点に立ち戻った場合、面接前よりこんなオーディションに参加した私が愚かだったとの結論しか出ない。 CMに出演する事自体が恥と面接会場で悟った私が、採用される訳もなかった。 

 <その2> 27歳女性のご意見。
 「街コン」に行ったのだが、綺麗な顔をしている女性でも、表情が硬いと男性からあまり声をかけられなかったようだ。 親しみが持てる表情が大事ですよね。 表情美人は得だ。

 原左都子の論評。
 その通り!  若くして素晴らしい事実に気が付きましたね!
 まさに、真の美人とは単に“顔の作りがよい”(これ自体が元々好みが分かれる課題)のではなく、内面から溢れ出る表情こそが相手に訴えるものがある、との論評は我が得意分野だ。 だからこそネットなどで知り合うのではなく、特に若き世代の人々には現世で直に表情豊かに相手と知り合って欲しいものだ。
 ところで「街コン」て何?  それに私も参加したいなあ~~~。

 <その3> 33歳(おそらく美人らしき)女性のご意見。
 メーカーの営業担当のため、見た目は大事と痛感している。 綺麗なだけで会社のPRになる。 ただ、美人だとそれだけで仕事とは関係なく言い寄られることもあるし面倒臭い。
 
 原左都子の論評。
 おおー。そうか、良かったじゃん。 と、とりあえずエールを送りたいものだが、ちょっと待って欲しい気もする。 それ程自分自身が美人であることを自覚しつつ行動する必要もないのではなかろうか?  それって自身が真にやりたいことを実行出来ていない証拠とも結論付けられそうだ。 もしも貴女が自分に課せられた営業分野でバリバリ頑張り始めたならば、きっと貴方の外見的要因のみで言い寄る男も自然に減ると思うよ。

 <その4> 美容ジャーナリスト・エッセイスト氏のご意見。
 今の時代は化粧品も進化して、女性が綺麗になるのがそう難しい事ではなくたった。 普通に美しいのみではもはや得をしない時代かもしれない。 外見の美しさと別の分野で自らの美しさを訴えるのか効果的かも。 本来、美しさのみで得られる幸せとは小さなもの。 外見的美しさのみで人生を変えようなんてしたら失敗する。 生まれつきの美人も、年齢を追うごとに知性とかセンスとかを加えないと、本来の美しさが薄っぺらく見える。 

 原左都子の論評。
 その通りだね。 ただ、そうやって培ってきた美しさを、既に熟年域に達した女性がどうやって世の評価に値するように表面化すればよいのかこそが、困難な課題だと私は思ったりもするよ。
 何分この世に生きる男どもが、その種の視点を一切持っていないのだから。  男達ってあくまでも愚かな生物に過ぎず、本能的に若き女性の美しさに惹かれるのが本音のようだよ。 


 最後に、原左都子の結論で締めくくろう。

 自分自身のブサイク度合いを土俵の外に置き、女の「美人度」を評価したがる男どもが大勢この世に蔓延っている事実を、実に嘆かわしく思う私だ。
 そんな愚かな事態など放っておいて、自分なりの美を追求するに限る!  なる結論が導けそうな気さえして来た。
 
 その上で、“べっぴんさん(美人)は得か?” の結論を導こう。
 自分自身の美人度を自ら見い出せ、それを対人関係に於いて自己表現出来る能力ある女性こそが、“べっぴんさん” なのかもしれない、と思ったりもする。

 参考だが、本来の意味での べっぴん(別嬪・別品)とは、美しい女性のみではなく、特別に良い品物。 との意味合いもある。

いつから大人になった?

2017年01月25日 | 自己実現
 今回のエッセイは、2本前に公開した「誰が“いい子”で、誰が“悪い子”?」の続編の形となろうか。

 上記のバックナンバーは、現在NHKにて放映中の連続ドラマ「べっぴんさん」を取り上げた内容だが、冒頭から当エッセイの一部を振り返らせて頂こう。
 相変わらず「キアリス」の仕事に翻弄され続けている主人公すみれは、思春期を迎えている娘さくらの深層心理にまったく気付かない。
 片や、自分には構ってくれずあくまで仕事優先の両親に対し心に影を落としつつも、表面的に“いい子”として振る舞うさくらに対し、すみれは「さくらは本当に“いい子”に育ってくれて助かるわ」と褒めつつ、一切の会話の機会を持とうともしない。
 これにとことん心が痛んださくらは、友人に誘われるがままにジャズ喫茶「ヨーソロー」へ出向く。
 この行動が、結果としてさくらの痛んだ心理状態を救う事となる。
 さくらはその場で良き出会いに恵まれる。 特にドラマーの次郎が気に入ったらしきさくらは、次郎が出演するナイトクラブへ綺麗な化粧とドレス姿に変貌して出没する。
 (以上、「原左都子エッセイ集」2本前のバックナンバーより一部を引用。)


 その後のドラマで、母娘両者間で多少の動きがあった。

 ついに娘さくらは家出を決行し、叔母のゆり宅に身を寄せる。 その間も次郎が気になるさくらはジャズ喫茶「ヨーソロー」へ顔を出し、次郎の上京が実行に移されそうな事を知る。 そしてついに本日の放送では、さくらが “高校(女学校?)を退学して今すぐに東京へ行きたい” 旨をゆりに伝える。

 片や母のすみれ側も、ヨーソローのママ等々と話すうちに、自身の見識の狭さに遅ればせながら気付くのだが、娘さくらに如何に接してよいのか方策が見出せず、未だにさくらと話し合う気になれないでいる。

 そんな折にすみれの口から出たのが、表題の「(自分自身が)いつから大人になったのだろう?」との言葉だ。

 一旦、原左都子の私見に入ろう。

 確かに、人間がいつ大人になるのか? とは難しい論題だ。
 結婚して子供が生まれたから大人になる?、などと短絡的に単純に片付けられる訳もなかろう。
 そして最低限その解答は “人それぞれ” であるべきだし、多様性を孕むものでもあろう。

 ただそういう論題が主人公すみれの脳裏にふと浮かんだ事自体、母として成長できそうな予感がする。 そしてその解答をすみれ自身が模索して初めて、娘さくらの成長とも直に向き合えそうな気もする。

 私の希望としては、(前々回も結論として述べたが)さくらには思い切って次郎を追っかけ上京し、新たな目標に向かい自己実現をして欲しいものだが…
 それにしては、「ヨーソロー」の従業員 かおり(だったかな?)が言う通り、さくらはあらゆる面でポリシーが無さ過ぎる。 親不在の成長期に於いて、一人の時間を有効利用してもっと自分の将来を見つめるべく考え行動しておくべきだったのに、その努力を怠り、適合力に欠けつつも女学校へ惰性で通っているだけだ。 かおり曰く、「上京して暮らすにはお金も要るし、一体どうする気なの? さくらはお嬢さん育ちで考えが甘いよ。」
 実に、かおり発言に100%同感の私だが…… 

 結局、さくらは“お嬢さん”気質を活かし、今後もその分野で生きるしか未来が無いのだろうか??
 今後のドラマの成り行きを見守ろう。


 さて、せっかくNHKドラマより“論評に値するテーマ”を頂いたので、ここで原左都子自身が一体いつ“大人になったのか?” に関して分析してみよう。

 結論から記すと、まだ “道半ば” といったところだろうか?? 

 そうだなあ。 ひとつの転機として、単身上京した事が挙げられそうだ。
 私の場合さくらとは大きく異なり、決して“お嬢さん”人生を歩んでいない。 さくら同様の高校に所属し周囲に“お嬢さん連中”が大勢存在する環境下で、私は虎視眈々と職業人としての未来を目指していた。
 その後、郷里にての学生時代を謳歌した後、私は自らの意思で上京し郷里を去った。
 最初からある程度集中して学業に励み国家資格を取得し専門職社員として民間企業へ就職したとの経歴のため、その職場で真面目に頑張れば経済面では保障されていたようなものだ。
 上京当初はその経済的安定に安穏とキャピキャピはしゃいで過ごしていた時期であり、そういう意味では、決して“大人になった”との表現は相応しくないと自己分析する。

 結婚・出産ねえ。 これも、私にとっては遅ればせながらもあくまでも一つの人生の選択肢の位置付けで執り行ったイベントであるため、これにより「大人になった」との実感は全く無い。


 ただ、一つ言えるのは、私は娘の“子育て”に於いてサリバン先生の立場で全身全霊を傾けたとの自負があるのだ。
 娘を産んで以降23年間の長き年月に渡り、一貫して我が娘の成長を願いつつ最善の行動を取って来た。
 その結果として、曲がりなりにも昨春には娘の社会人としての就業が叶い、今も職場に迷惑をかけつつも日々真面目に仕事に励む娘だ。

 と言う訳で原左都子が大人になれたと感じるのは、娘の教育指導に関して“サリバンとして全力投球出来た事”と結論付けられそうに思うのだが……。

 いえいえ、私には実現出来ていない課題が盛沢山ある。
 その一つとして、娘が近い未来に職場から解雇されるとの予期せぬ非常事態発生も視野に入れ、私が率先して対応せねばならないであろう。

 まだまだ乗り越えねばならない課題が盛沢山の私の場合、未だ大人になり切れない気分だ。

 だが、もしかしたら人生終盤まで切実な課題を抱え、それに対応し続けられる事が可能な人間こそが、最終的に「大人になれる」ような気がしないでもない。

孤独にならなきゃ、強くなれない。

2017年01月23日 | 自己実現
 表題に掲げた文言は、大相撲初場所で初優勝した稀勢の里関が、つい先ほどメディアインタビューに応えて発した一言である。

 実は今回の「原左都子エッセイ集」は、まったく別分野のテーマで論評を展開する予定だった。

 そんな折に昼のNHKニュースを視聴していていたら、稀勢の里関が興味深いエピソードを話したのだ。
 その内容とは親方に関して訪ねられての回答だった。 
 稀勢の里関曰く、「親方が、“横綱とは孤独な業だ。孤独にならなきゃ強くなれない。” といつも言っていました。」 
 この発言を取り上げたメディアインタビュー側が、「その意味が分かりますか?」 
 稀勢の里関応えて曰く、「いや、まだ分かりません。」

 心に残る一言であるし、まったく同感だ。  
 この言葉を聞くなり、私の脳裏には我が長き独身時代中盤頃(20代後半から30代初頭頃)の光景と心情が蘇った。


 今回のエッセイは私事になるが、そんな我が「孤独」を意識した時代の光景と心情を語らせて頂こう。

 新卒で上京し医学関係民間企業に医学専門職社員として入社し、日々精力的に仕事に励んでいた。
 20代半ば頃より、周囲の女性達の結婚・出産退社が相次いだ。 元々結婚願望が希薄だった私故に、その現象自体は二の次の位置付けだった。 というより正直言って(働く意欲が乏しい女性達に職場に居座られるよりも、退職して職場を去ってもらった方が仕事がし易い)程度に受け止めていた。
 ただ実際問題、余暇の話相手だった女性達が次々と退社していく。 後輩女性達と仲良くしたいなどとの意志も希望もまったく無い私は、自ずと社内単独行動が多くなる。 

 それと同時に、当時(1970年代後半時期)は社会がコンピュータシステム化に向けて驀進し始めた頃だ。
 我が職場でも業務をシステム化するために大きく動いていたが、元々勉強好きの私はこれに飛びついた。
 職場でシステム化に携わる人材を育成するのに便乗した私は、主業である医学業務ももちろんきちんとこなしつつ、情報処理第二種試験を受験したり、英文タイプ2級試験(キーボードを高速打ちするためには不可欠だった。)にチャレンジしたりもした。 (結果のみ記載すると、情報処理試験は惜しくも不合格、英文タイプは合格しその技は現在に至ってパソコン高速打ちに活きている
 そのシステム化に際し、我が部署では私が作成したCOBOLプログラムが何年か作動し業務の一端を支える事と相成った。

 あるいは、肝心の医学分野も歴史的変遷を遂げようとしていた頃だ。 医学がモノクローナル抗体分野、そしてDNA分野へとが大きく移ろい行く時代背景だった。 
 免疫学関連業務に携わっていた私は、免疫学関連各種学会に出席するために全国を飛び回り、当時の免疫学トピックスを発表する諸先生方の追っかけもした。 (本エッセイ集2007年バックナンバー「self or not self」にその詳細を記述しておりますので、ご興味がございましたらご覧下さい。)

 そのように意欲的に業務に励み続ける私は、(自然の成り行きだったと考察するのだが)若輩27歳にして職場の係長に任命された。
 とにかく専門力こそが一番に要求されねばならない職業分野だ。 我が判断としては私が職場長に任命されて当然と受け止めていた。(と言うのも、周囲を見渡すと、私以上に専門力を上げようと精進している社員は皆無だったと断言できる故だ。 男性社員含め、自分の私的生活を優先したい人物で溢れていた印象がある。)

 ただ、部下からの反発にも遭った。
 「貴方の独裁的手法が嫌いだ!」と女性部下から直言され、「民間企業とは営利を追求せねばならない使命があり、学校のように“仲良しクラブ”ばかりはやっていられない」と反論した事実も、当エッセイ集バックナンバーにて公開済みだ。 

 いえいえ、だから私が孤独に陥ったという事では決してない。
 我が悩みは、もっとずっと根底に存在した。
 そもそも集団迎合意思に欠ける私だ。
 このまま民間企業で職場長をするとして、私が継続して頑張り続けた暁には、行く行く営利企業集団をもっと上位で統制せねばならぬ立場になることは目に見えている。
 それが私が真に目指す方向か?!? それは絶対に違う!なる思想が我が脳裏を漂い続けていた。

 そして私が選択したのは、当該民間企業を退職するとの事実だった。
 「逃げた!?」とのご意見もあろう。

 ただ、私自身の判断としては若き時代に孤独から「逃げた」のではなく、もっとずっと高位の「孤独」と闘って自己を更に発展させるべき! との自らを戒めつつの次なる未来に続く希望だったと今一度宣言したいのだ。

 その後別分野にて学業に励み、当該分野でもある程度は世の役に立ち、現在も引き続き活躍出来ていると自負している私だ。

 おそらく私自身は「孤独」とは無関係であろうと思ったりもする。

 そんな意地っ張りの私にも、将来に関する孤独の不安は少しある。
 ただそれは高齢域に達しようとする人達皆に共通する不安題材であろうと認識しつつ、今後も「孤独」を味方に付けながらこの世を生き抜きたいものだ!