本日(3月28日)午前中の枝野官房長官記者会見の中で、枝野氏は福島第一原発事故による半径20km圏内の避難者に対し、以下のような指示をしたようだ。
避難指示の対象となった住民が家財を持ち出すための一時帰宅については「原発から20キロ圏内は汚染されている可能性が高く、大きなリスクがある。特に指示がない限り、決して立ち入らないでほしい」
既に炉心が損傷している恐れがある2号機からは、相変わらず高濃度の放射能が放出され続けている。 近くの海水の汚染度合いは、前回の測定地点より北側の海域でもヨウ素131は千倍を超える測定値を記録しているようだ。 釜石では漁港を再開する動きも出ていると聞くが、一刻も早くこの海水汚染を阻止して欲しいものだ。
さらに恐怖であるのが地下水の汚染である。 地下水の流れは同時に土壌を汚染していくことが明白であり、2号機タービン室内の早急な汚染水の回収除去が望まれる。
このような危機的状況下において、福島原発20km圏内は枝野官房長官も会見で認めた通り、今ここに立ち寄ることは人体への被爆の大きなリスクがあろう。
着の身着のままで避難を余儀なくされた20km圏内の市民の皆さんが、避難生活に必要な家財を持ち出すために帰宅したい思いは重々理解できる。 そのご不便を承知の上で、原左都子としても今はご自身の安全確保を優先いただきたいものである。
今回の大地震における避難者は昨日時点で未だ24万人を超過しているようであるが、震災発生より半月余りが経過して、尚先々の見通しが立たず不便な避難生活を余儀なくされているご苦悩を推し量って余りある。
当エッセイ集のバックナンバー「大震災被災者支援強化に向けての一提案」において、原左都子は、震災の影響がないかあるいは影響が少ない地域こそが、今こそ避難者を受け入れるべきだとの提案をした。
日本各地の自治体とて思いは同じだったようで、その後全国各地で避難者受入れ体制が整い、多くの避難者が既に各自治体の避難所で生活を始めているようだ。 被災地である自治体丸ごと県外避難をしている地域もあると聞く。
ただ、中には被災地域内でのつながりを尊重したり、あるいは受入先への気兼ねや不安から県外移転に踏み切れない避難市民も多く存在するとの報道である。
そのお気持ちも重々察する事ができる原左都子である。 それ故に、災害を受けた地の安全性を確保した上での「仮設住宅」の建設も急いで欲しい思いである。
原左都子が何故に自宅を離れて不自由な日々を送る避難者の皆さんを慮るのかと言うと、それはどう考察しても私自身が避難生活を送れる“キャパシティ”がないと判断しているためである。
今回の東日本大震災のごとくの歴史的大震災にかかわらず、過去における災害に於いて日本各地の市民の皆さんがいずこかに避難を余儀なくされているとの報道を見聞するにつけ、「私は自宅で留まって死を覚悟する方がいい」などと家族に宣言している程だ。
それ程に原左都子にとっては避難生活とは過酷であることが既に想像できている。
私の場合、過去における癌罹患の置き土産である“頭のハゲ”の問題がある。 普段外出する時にはウィッグを使用しているが、自宅では当然ながらそんなものは使用せずガーゼで覆って頭皮をごまかしている。 その“ガーゼハゲ頭”のままでは一歩も人前に出られないことは承知しているが、まさか緊急時にウィッグを被る余裕はないであろう。 奇跡的にウィッグを装着できる時間があったとしても、まさか避難所でそれを被り続けたものなら夜も熟睡できないであろうし、それよりも頭皮が不衛生状態を余儀なくされる。
そんな不自由な思いを半月余りも耐え続けねばならないならば、私はいっそ自宅で“美しく”?? 死に遂げた方がましかとも普段考えているのだが… ところが、我が家族の誰もがこんな私の“苦悩美談”に耳を傾けないのは、“どうせあいつは家族を捨て置いてでも自分のハゲ頭を振り乱しつつ一目散に逃げるに決まっているぞ!” と判断しているからなのか??
冗談はさて置いて、原左都子には癌の置き土産の“ハゲ頭”をたとえクリアできても、それ以前の問題として避難所生活の適性はないと言い切れる思いだ。
元々集団行動が苦手である。 それに加えて人に世話を焼かれる事に関しても多いなる抵抗感がある。 もしも避難所において、どなたかが何らかの“歪んだ”指導をし始めたものなら、それに食って掛かかりそうな体質でもある。 その種の感情を押さえ込んで指導者に迎合する気が一切ない私は、どう考察しても避難所生活は不能である。
そんな私は、本気で今回の東日本大震災において避難を余儀なくされている避難者の皆さんの長い期間に渡る不自由や苦悩、そして精神的忍耐力の程を察して余りある思いなのだ。
海外メディアや、単に“売名目的”と思しき海外著名アーチストが今回の大震災に際して言うところの、“日本は地域コミュニティ力が素晴らしい”とか“日本人の団結力が凄い”等々通り一遍のメッセージには、これ程までに人間関係の希薄化が蔓延している現在の日本における現実を捉えた場合、“そんな実態は当の昔に消え失せているよ”と一日本人として辟易とさせられる思いの原左都子である。 避難所が置かれている現状とは、そんな綺麗ごとの生易しいものではないはずだ。
それを大して売れてもいない日本のスポーツ選手やアーチストどもが、上っ面だけ真似する醜態を晒すなよ! と今ここで訴えたくもある。
もしも、本気で今回の東日本大震災を救援したい思いが日本の“名ばかりの”著名人にあるのならば、自分の名前を売ることよりも少額の義援金でも差し出したらどうなのか?とも言いたくなるのがこの大震災における被災者の現状ではなかろうか?
とにもかくにも、原左都子は表題のごとく自らに「避難生活力」がないことを認める。
おそらく上記の“著名人”達とて、「集団避難生活」という分野においては私と同様にキャパ貧なのではなかろうか?
それならば、避難生活を余儀なくされている方々に対して 若気の至りで偉そーに、「あなた方の多難を乗り越える忍耐力や団結力は素晴らしい!」などと心にもないメッセージを発している場合ではなく、窮地の避難所で生き延びるべく命をかけている避難者の方々に対し、自分なりの実直な手段を模索して本気で支援してはどうなのか!?
今回の大震災にかこつけた売名目的著名人達の中でも特に若年層著名人の、被災者に対する形だけの“上から目線支援活動”を鬱陶しく感じる原左都子であるのだが、どうだろう?
避難指示の対象となった住民が家財を持ち出すための一時帰宅については「原発から20キロ圏内は汚染されている可能性が高く、大きなリスクがある。特に指示がない限り、決して立ち入らないでほしい」
既に炉心が損傷している恐れがある2号機からは、相変わらず高濃度の放射能が放出され続けている。 近くの海水の汚染度合いは、前回の測定地点より北側の海域でもヨウ素131は千倍を超える測定値を記録しているようだ。 釜石では漁港を再開する動きも出ていると聞くが、一刻も早くこの海水汚染を阻止して欲しいものだ。
さらに恐怖であるのが地下水の汚染である。 地下水の流れは同時に土壌を汚染していくことが明白であり、2号機タービン室内の早急な汚染水の回収除去が望まれる。
このような危機的状況下において、福島原発20km圏内は枝野官房長官も会見で認めた通り、今ここに立ち寄ることは人体への被爆の大きなリスクがあろう。
着の身着のままで避難を余儀なくされた20km圏内の市民の皆さんが、避難生活に必要な家財を持ち出すために帰宅したい思いは重々理解できる。 そのご不便を承知の上で、原左都子としても今はご自身の安全確保を優先いただきたいものである。
今回の大地震における避難者は昨日時点で未だ24万人を超過しているようであるが、震災発生より半月余りが経過して、尚先々の見通しが立たず不便な避難生活を余儀なくされているご苦悩を推し量って余りある。
当エッセイ集のバックナンバー「大震災被災者支援強化に向けての一提案」において、原左都子は、震災の影響がないかあるいは影響が少ない地域こそが、今こそ避難者を受け入れるべきだとの提案をした。
日本各地の自治体とて思いは同じだったようで、その後全国各地で避難者受入れ体制が整い、多くの避難者が既に各自治体の避難所で生活を始めているようだ。 被災地である自治体丸ごと県外避難をしている地域もあると聞く。
ただ、中には被災地域内でのつながりを尊重したり、あるいは受入先への気兼ねや不安から県外移転に踏み切れない避難市民も多く存在するとの報道である。
そのお気持ちも重々察する事ができる原左都子である。 それ故に、災害を受けた地の安全性を確保した上での「仮設住宅」の建設も急いで欲しい思いである。
原左都子が何故に自宅を離れて不自由な日々を送る避難者の皆さんを慮るのかと言うと、それはどう考察しても私自身が避難生活を送れる“キャパシティ”がないと判断しているためである。
今回の東日本大震災のごとくの歴史的大震災にかかわらず、過去における災害に於いて日本各地の市民の皆さんがいずこかに避難を余儀なくされているとの報道を見聞するにつけ、「私は自宅で留まって死を覚悟する方がいい」などと家族に宣言している程だ。
それ程に原左都子にとっては避難生活とは過酷であることが既に想像できている。
私の場合、過去における癌罹患の置き土産である“頭のハゲ”の問題がある。 普段外出する時にはウィッグを使用しているが、自宅では当然ながらそんなものは使用せずガーゼで覆って頭皮をごまかしている。 その“ガーゼハゲ頭”のままでは一歩も人前に出られないことは承知しているが、まさか緊急時にウィッグを被る余裕はないであろう。 奇跡的にウィッグを装着できる時間があったとしても、まさか避難所でそれを被り続けたものなら夜も熟睡できないであろうし、それよりも頭皮が不衛生状態を余儀なくされる。
そんな不自由な思いを半月余りも耐え続けねばならないならば、私はいっそ自宅で“美しく”?? 死に遂げた方がましかとも普段考えているのだが… ところが、我が家族の誰もがこんな私の“苦悩美談”に耳を傾けないのは、“どうせあいつは家族を捨て置いてでも自分のハゲ頭を振り乱しつつ一目散に逃げるに決まっているぞ!” と判断しているからなのか??
冗談はさて置いて、原左都子には癌の置き土産の“ハゲ頭”をたとえクリアできても、それ以前の問題として避難所生活の適性はないと言い切れる思いだ。
元々集団行動が苦手である。 それに加えて人に世話を焼かれる事に関しても多いなる抵抗感がある。 もしも避難所において、どなたかが何らかの“歪んだ”指導をし始めたものなら、それに食って掛かかりそうな体質でもある。 その種の感情を押さえ込んで指導者に迎合する気が一切ない私は、どう考察しても避難所生活は不能である。
そんな私は、本気で今回の東日本大震災において避難を余儀なくされている避難者の皆さんの長い期間に渡る不自由や苦悩、そして精神的忍耐力の程を察して余りある思いなのだ。
海外メディアや、単に“売名目的”と思しき海外著名アーチストが今回の大震災に際して言うところの、“日本は地域コミュニティ力が素晴らしい”とか“日本人の団結力が凄い”等々通り一遍のメッセージには、これ程までに人間関係の希薄化が蔓延している現在の日本における現実を捉えた場合、“そんな実態は当の昔に消え失せているよ”と一日本人として辟易とさせられる思いの原左都子である。 避難所が置かれている現状とは、そんな綺麗ごとの生易しいものではないはずだ。
それを大して売れてもいない日本のスポーツ選手やアーチストどもが、上っ面だけ真似する醜態を晒すなよ! と今ここで訴えたくもある。
もしも、本気で今回の東日本大震災を救援したい思いが日本の“名ばかりの”著名人にあるのならば、自分の名前を売ることよりも少額の義援金でも差し出したらどうなのか?とも言いたくなるのがこの大震災における被災者の現状ではなかろうか?
とにもかくにも、原左都子は表題のごとく自らに「避難生活力」がないことを認める。
おそらく上記の“著名人”達とて、「集団避難生活」という分野においては私と同様にキャパ貧なのではなかろうか?
それならば、避難生活を余儀なくされている方々に対して 若気の至りで偉そーに、「あなた方の多難を乗り越える忍耐力や団結力は素晴らしい!」などと心にもないメッセージを発している場合ではなく、窮地の避難所で生き延びるべく命をかけている避難者の方々に対し、自分なりの実直な手段を模索して本気で支援してはどうなのか!?
今回の大震災にかこつけた売名目的著名人達の中でも特に若年層著名人の、被災者に対する形だけの“上から目線支援活動”を鬱陶しく感じる原左都子であるのだが、どうだろう?