12月24日クリスマスイブの日の朝日新聞社会面の目立たない場所に、“赤プリ”に関するちょっぴりセンチメンタルな記事を見つけた。
おそらく今回の記事が「原左都子エッセイ集」本年のラストエッセイとなることを予想して、今年はセンチメンタル気分も兼ね備えつつ静かに我がエッセイ集の“有終の美”を飾ることにしよう。
今日(12月29日)あたりから既に年末年始の帰省ラッシュが始まっているというニュースを見聞する年の瀬に、今さらながらクリスマスの話を持ち出す原左都子の“旬感覚のズレ具合”を何卒お許しいただきたいものである。
今年のクリスマスも私は娘を引き連れて、東京五反田ゆうぽうとホールへ松山バレエ団による「くるみ割り人形」公演を観賞に出かけた。
例年通り松山バレエ団の「くるみ割り人形」の舞台は絢爛豪華この上ない。
松山バレエ団は2008年に創立60周年を迎えている。 現在60歳を超えて尚現役プリマドンナとして舞台に立たれている“看板バレリーナ”の森下洋子氏を筆頭として、全国にバレエ教室を展開し大規模組織で若手ダンサーを育成しつつ60年超の長きに渡り日本のバレエ文化を先導しながら発展を続ける松山バレエ団の底力を、今年もこの「くるみ割り人形」の舞台で十分に実感できた思いだ。
そんな松山バレエ団の歴史の重さを刻むがごとくの絢爛豪華な舞台を観て帰宅した後に目にした上記朝日新聞“赤プリ”の記事は、実に切ないものとして原左都子の心に染み入ったのである……
以下に、朝日新聞に小さく掲載されていた 「最後まで 赤プリは赤プリらしく」 と題した記事を要約して紹介しよう。
東京都心に輝く高さ100メートルのクリスマスツリー。ホテル丸ごと客室を使って描く聖夜の象徴。 3年前まで「赤坂プリンスホテル」だった現在のグランドプリンスホテルは来年3月に閉館する。巨大ツリーも今年で見納めだ。 「クリスマスには赤プリ」 それが若者の憧れの時代があった。客室係である平間氏は当時熱に浮かされたようなバブル期である1983年にオープン仕立ての赤プリ新館に入社した。 だがバブル景気後ホテル業界の状況は変わり名門ホテルですら値引き競争を余儀なくされ、外資系超高級ホテルが都心にそびえ立った。 そんな中、赤プリは02年に巨大ツリーを始めた。プライドを守り抜く心意地だったのかもしれない。 平間氏は客室灯をつけて回る従業員の指揮をし続けて来たのだが、仕事を終えた帰宅時に近くの駅から「○号室の明かりが消えている」とチェックし続けてきた。 そんな平間氏が今年はツリーをじっと眺めた。「子どもの最後のおめかしだから」と…。 平間氏もこの冬、定年を迎えた。
“赤プリ”(旧 赤坂プリンスホテル 現 グランドプリンスホテル)が、丹下健三氏設計による超高層40階建てホテルの新館建設後わずか28年!という短期間にして来年の3月に取り崩され閉館することに関しては、「原左都子エッセイ集」2010年4月の時事論評バックナンバー 「赤プリの落日」 においても既述している。 (参考のため、歴史的建造物である赤プリ旧館に関しては一部保存されるとのことであるが。) そして新赤プリ亡き跡地である都心の赤坂紀尾井町一等地には、新たに複合施設のビル群が建造されるとのことだ。
“赤プリ”とはまさに我が独身貴族時代真っ盛りの頃に新館が建設され、その後バブル期の象徴のごとく東京の都心一等地に全面ガラスの建物が煌びやかに存在を誇っていたものである。
当時はおそらく全室満室時代であったが故に新館全客室を使用してのクリスマスイルミネーションは不可能だったのだろうが、バブル期の若者のトレンディスポットとして最大限の脚光を浴び続けていたものだ。
その後30代で再び大学生になった私が昼間学問に集中するため夜間短時間で稼ぐ手段として当時は高給だったラウンジコンパニオンを目指したのは、もしかしたらその直前に新赤プリ最上階の「トップオブアカサカ」等に客として何度か訪れて、そこで気品よく優雅に働くコンパニオンを見たから故かもしれないのだ。 そういう面でも、原左都子のその後にとって“赤プリ”とは影響力があったと言えるのだ。
新“赤プリ”が開館後わずか28年にして閉館・取り崩しの運命にあるとは信じ難い話であるが、要するに今後の維持管理のメンテナンスに莫大な資金投入を要するからそれを回避した方が得策との理由によるのであろう。 都心のホテル経営の競争激化により“赤プリ”の経営が芳しくない現状を考慮した場合いっそ綺麗さっぱり取り崩して土地を売却し新たな跡地利用計画を展開した方が得策との意図で、今後のプリンスホテルグループが生残りをかけて経営収支を見越した結果であろう。
それにしても世の中には時代を超えて生き残る文化芸術がある一方で、短期間で姿を消さざるを得ない巨大文化建造物もあることを実感させられる思いである。
バレエのごとくの文化芸術とは“人”が第一の資本であるためその“人”を育成することに尽力できたなら後々存続発展し易い分野であるのだろうか? 片や建造物のごとくの物的存在物とはその建設のための費用が膨大であろうし、また後のメンテナンスにかかる費用も多大となるが故に経済面において後々存在しにくい分野なのであろうか?
いずれにせよその収支バランスの判断においてよりグローバルな観点から今後の世の動向を見極めることこそが、この国の真の経済文化存続発展に繋がるものと原左都子は考察するのだ。
最後になりますが、本年も変わりなく「原左都子エッセイ集」にご訪問下さった読者の皆様に心より感謝申し上げます。
60余年の年月を経て今尚生き残る文化芸術団体組織もあれば、他方では著名な建築家の建造物にして30年足らずの短命で消え去る建築文化もある今の時代の趨勢を実感しつつ、来年も我が「原左都子エッセイ集」が目指すべく道を力強く精進して参る所存です。
皆様、良いお年をお迎え下さいますように!
おそらく今回の記事が「原左都子エッセイ集」本年のラストエッセイとなることを予想して、今年はセンチメンタル気分も兼ね備えつつ静かに我がエッセイ集の“有終の美”を飾ることにしよう。
今日(12月29日)あたりから既に年末年始の帰省ラッシュが始まっているというニュースを見聞する年の瀬に、今さらながらクリスマスの話を持ち出す原左都子の“旬感覚のズレ具合”を何卒お許しいただきたいものである。
今年のクリスマスも私は娘を引き連れて、東京五反田ゆうぽうとホールへ松山バレエ団による「くるみ割り人形」公演を観賞に出かけた。
例年通り松山バレエ団の「くるみ割り人形」の舞台は絢爛豪華この上ない。
松山バレエ団は2008年に創立60周年を迎えている。 現在60歳を超えて尚現役プリマドンナとして舞台に立たれている“看板バレリーナ”の森下洋子氏を筆頭として、全国にバレエ教室を展開し大規模組織で若手ダンサーを育成しつつ60年超の長きに渡り日本のバレエ文化を先導しながら発展を続ける松山バレエ団の底力を、今年もこの「くるみ割り人形」の舞台で十分に実感できた思いだ。
そんな松山バレエ団の歴史の重さを刻むがごとくの絢爛豪華な舞台を観て帰宅した後に目にした上記朝日新聞“赤プリ”の記事は、実に切ないものとして原左都子の心に染み入ったのである……
以下に、朝日新聞に小さく掲載されていた 「最後まで 赤プリは赤プリらしく」 と題した記事を要約して紹介しよう。
東京都心に輝く高さ100メートルのクリスマスツリー。ホテル丸ごと客室を使って描く聖夜の象徴。 3年前まで「赤坂プリンスホテル」だった現在のグランドプリンスホテルは来年3月に閉館する。巨大ツリーも今年で見納めだ。 「クリスマスには赤プリ」 それが若者の憧れの時代があった。客室係である平間氏は当時熱に浮かされたようなバブル期である1983年にオープン仕立ての赤プリ新館に入社した。 だがバブル景気後ホテル業界の状況は変わり名門ホテルですら値引き競争を余儀なくされ、外資系超高級ホテルが都心にそびえ立った。 そんな中、赤プリは02年に巨大ツリーを始めた。プライドを守り抜く心意地だったのかもしれない。 平間氏は客室灯をつけて回る従業員の指揮をし続けて来たのだが、仕事を終えた帰宅時に近くの駅から「○号室の明かりが消えている」とチェックし続けてきた。 そんな平間氏が今年はツリーをじっと眺めた。「子どもの最後のおめかしだから」と…。 平間氏もこの冬、定年を迎えた。
“赤プリ”(旧 赤坂プリンスホテル 現 グランドプリンスホテル)が、丹下健三氏設計による超高層40階建てホテルの新館建設後わずか28年!という短期間にして来年の3月に取り崩され閉館することに関しては、「原左都子エッセイ集」2010年4月の時事論評バックナンバー 「赤プリの落日」 においても既述している。 (参考のため、歴史的建造物である赤プリ旧館に関しては一部保存されるとのことであるが。) そして新赤プリ亡き跡地である都心の赤坂紀尾井町一等地には、新たに複合施設のビル群が建造されるとのことだ。
“赤プリ”とはまさに我が独身貴族時代真っ盛りの頃に新館が建設され、その後バブル期の象徴のごとく東京の都心一等地に全面ガラスの建物が煌びやかに存在を誇っていたものである。
当時はおそらく全室満室時代であったが故に新館全客室を使用してのクリスマスイルミネーションは不可能だったのだろうが、バブル期の若者のトレンディスポットとして最大限の脚光を浴び続けていたものだ。
その後30代で再び大学生になった私が昼間学問に集中するため夜間短時間で稼ぐ手段として当時は高給だったラウンジコンパニオンを目指したのは、もしかしたらその直前に新赤プリ最上階の「トップオブアカサカ」等に客として何度か訪れて、そこで気品よく優雅に働くコンパニオンを見たから故かもしれないのだ。 そういう面でも、原左都子のその後にとって“赤プリ”とは影響力があったと言えるのだ。
新“赤プリ”が開館後わずか28年にして閉館・取り崩しの運命にあるとは信じ難い話であるが、要するに今後の維持管理のメンテナンスに莫大な資金投入を要するからそれを回避した方が得策との理由によるのであろう。 都心のホテル経営の競争激化により“赤プリ”の経営が芳しくない現状を考慮した場合いっそ綺麗さっぱり取り崩して土地を売却し新たな跡地利用計画を展開した方が得策との意図で、今後のプリンスホテルグループが生残りをかけて経営収支を見越した結果であろう。
それにしても世の中には時代を超えて生き残る文化芸術がある一方で、短期間で姿を消さざるを得ない巨大文化建造物もあることを実感させられる思いである。
バレエのごとくの文化芸術とは“人”が第一の資本であるためその“人”を育成することに尽力できたなら後々存続発展し易い分野であるのだろうか? 片や建造物のごとくの物的存在物とはその建設のための費用が膨大であろうし、また後のメンテナンスにかかる費用も多大となるが故に経済面において後々存在しにくい分野なのであろうか?
いずれにせよその収支バランスの判断においてよりグローバルな観点から今後の世の動向を見極めることこそが、この国の真の経済文化存続発展に繋がるものと原左都子は考察するのだ。
最後になりますが、本年も変わりなく「原左都子エッセイ集」にご訪問下さった読者の皆様に心より感謝申し上げます。
60余年の年月を経て今尚生き残る文化芸術団体組織もあれば、他方では著名な建築家の建造物にして30年足らずの短命で消え去る建築文化もある今の時代の趨勢を実感しつつ、来年も我が「原左都子エッセイ集」が目指すべく道を力強く精進して参る所存です。
皆様、良いお年をお迎え下さいますように!