原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

東京五輪「看護師500人確保」発言に医療関係者が激怒問題、即刻五輪中止を発表せよ!

2021年04月30日 | 時事論評
 冒頭から、先程見たネット情報の一部を引用しよう。


 東京五輪で「看護師500人確保」発言に医療関係者が激怒 元五輪選手「肩身が狭い」

 2021/04/30 07:00 

   東京五輪・パラリンピックに向けた5者協議に4月28日、出席した橋本聖子会長(C)朝日新聞社
 
 東京五輪・パラリンピック組織委員会の武藤敏郎事務総長が4月26日の会見で、大会期間中の医療人員として看護師500人の確保を日本看護協会に依頼したことを認めた。この発言に医療関係者、世論の怒りが収まらない。
 新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく緊急事態宣言が東京、大阪、京都、兵庫で発令され、医療体制が逼迫している地域もある。都内の病院に勤務する医療関係者はこう語気を強めた。
 「関西圏で急拡大する変異ウイルスが首都圏でも感染拡大して収束の見通しが立っていません。個人的にはロックダウンした方が良い。それぐらい危機的な状況だと思います。そんな中で東京五輪の期間中に看護師500人を確保したいって…。看護師はどこの病院も不足していてやりくりが大変なんです。組織委員会の人達は少ない人員で働いている医療現場を一度見に来て欲しい」
 
 SNSやネット上でも批判コメントが相次いだ。
 「今でさえ通常の仕事やコロナ対応で追われているのに、仕事場を移しコロナ対応に当たる余力などほぼ皆無でしょう。感染力の強い英型やインド型の二重変異株ウイルスの感染の危険に晒されるし、既に心身共に限界でしょう。余計な仕事を増やすJOCや政府や都は負担も考えず、信じられない」
「これ、看護師の大量退職を招かないかな…? 看護協会が要請に応じてしまった場合の仮定になるが、五輪担当で送り込まれる看護師が出ることになる。恐らく、何らかの批判が看護師当人に向けられることは予見できる。それを避けたい看護師は、退職の道を選ぶことがあっても不思議ではない」
 そして怒りの矛先は東京五輪に内定が決まったアスリートにも向けられ、「アスリートの皆さん、医療従事者の過酷な仕事ぶりを見ても、五輪に出たいと言えますか?」などの意見まで飛び出している。 (中略) 
 「五輪に出場が内定している選手たちは責めないで欲しい。選手たちに落ち度はありませんから」
 組織委員会の橋本聖子会長は28日、国際オリンピック委員会(IOC)などとの5者協議後に記者会見し、「ギリギリの判断として無観客という覚悟を持っている」と語った。東京五輪に向けて問題が山積する中、政府、組織委員会、自治体、国際オリンピック委員会の決断が注目される。

 (以上、今朝見たネット情報より一部を引用したもの。)


 私見に入るが。

 まさに“開いた口が塞がらない”とはこのことだ。
 よくぞまあ、東京等に“コロナ禍緊急事態宣言”が発令されているこのコロナ禍医療逼迫状態時期に。 
 東京五輪・パラリンピック組織委員会事務総長が日本看護師協会宛に、「五輪開催のために看護師500名を派遣せよ」との究極非常識発言が出来たものだ!

 しかもコロナ死者が全国で10,000名を超えた現在、早急に東京五輪開催を中止に持ち込むべきだ。
 橋本聖子氏もIOCに迎合して、この期に及んで「ギリギリの判断として無観客という覚悟」などとの寝とぼけた発言をいつまでもしていないで、一刻も早く五輪中止発表をして欲しいものだ。


私も“友達を作らない主義”といえよう

2021年04月29日 | 人間関係
 表題の結論から説明すると。

 子ども時代はともかく大人になって以降は、「友」とは“作る”ものではなく“自然発生的に出来上がる”性質のものではなかろうか??


 
 少し前に亡くなられた脚本家・劇作家の橋田壽賀子氏は、生前どうやら「友達を作らない」主義であったらしい。

 それに関するネット情報の一部を以下に引用しよう。

 橋田さんは生前「友達をつくらない」と語った理由をこう明かしていた。
「かつて『友達や家族など人間関係ができればそこに執着するし、期待してしまう。後から、もっとああすればよかったと後悔も生まれる。それが煩わしいから』とおっしゃっていました。だからピン子さんと一緒にクルーズ船旅行をしたときも、船室は別々。橋田さん流の“線引きの美学”があったから、ピン子さんが橋田さんの入れ歯を見たのはあんなに一緒にいたのに臨終のときが初めてだったそうです」(TBS関係者)
 シニア生活文化研究所代表の小谷みどりさんはこうした人間関係が今後ますます理想となってくると予測する。
 「いま、ひとり暮らしの高齢者は増加の一途を辿っています。結婚していても子供がいなかったり、90代になれば子供に先立たれていることも少なくない。
 つまり、いま家族がいる、いないにかかわらず、最期はひとりになる人が爆発的に増えていくということ。人生の最期にいい関係を築けるのは、必ずしも血縁とは限らないのです」
 線引きされた人間関係を築きながら、終活にもぬかりなかった。特にこだわったのは、自宅で最期を迎えたいという願望だ。
《もちろん自宅で死にたい。私は病院が嫌いなんです。家の中で倒れても救急車は呼ばないで、と周囲にも伝えています》

 (以上、ネット情報の一部を引用したもの。)


 上記ネット情報を読むと、橋田氏は決して天涯孤独だったわけではなく、一緒にクルーズ船旅行に出られる友はいたようだ。
 ただ、船室は別々だったとのこと。

 原左都子の私事だが、もの凄く分かる!!
 私にも一緒に海外(知人の職業上の所用のお供役だったが)へ出かけられる知人女性がいて、(旅費は2人で二分の上で)インドやブエノスアイレスへお供した。
 (知人女性をH氏とするが)、H氏はどうも“怖がり”で、我が「シングル2部屋でお願いしたい!」との訴えを退け、「どうしてもホテルはツインを予約して同室にしたい!!」、と嘆願する。 
 実際問題、彼氏と旅に出るならばともかく、友人・知人関係に於いて何で一つの部屋で一夜を共にせねばならないのか!?! 一人マイペースで寛ぎたい私としては苦渋の同意だったものだ。 
 旅程が長くなる程にストレスが溜まり最終日には怒りが爆発しそうになったが。 世界を舞台に活躍するH氏との関係を今後長く続行したい思いが我が根底にあり、何とかこらえた。

 余談だが、我が娘と2人旅行の際に、私は一度シングル2部屋を予約したことがある。 娘の自立教育も兼ねての実践だったが、これは良き結果が出た。
 我が予想よりも娘はずっと自立心旺盛だったようで、何らの問題も無くシングル部屋ライフを過してくれた。
 どうやらその種の分野では“超越”している娘であることに助けられる。(私が死んだ後もこの娘、一人でこの世を生き抜けるかも???)


 橋田氏に話題を戻すが。
 『線引きされた人間関係を築きながら終活にもぬかりなかった。特にこだわったのは自宅で最期を迎えたいという願望。 もちろん自宅で死にたい。私は病院が嫌い。家の中で倒れても救急車は呼ばないで、と周囲にも伝えている。』
 とのことのようだが。
  
 まさにこの原左都子も全く同様の考えだ。
 橋田氏の場合、それを伝えられる人物が周囲に複数おられて幸せだったのだろう…
 たかが庶民の私の場合、それを娘に伝えてどうなるか?? との課題もある。 終活に関しては既に確固とした我が思想があるが、実際如何にそれを実行するかに於いては今後に持ち越す宿題だ。


 表題にテーマを戻そう。

 現代の世に於いては、「友達がいない…」と嘆く高齢者が量産されている様子だ。
 そんな事案を嘆く以前の問題として、今後のご自身の生き様がどうあるべきかを分析・考慮・実行してみては如何か? とアドバイスしたくもなる。
 
 確かに子ども時代とは誰しも、「仲良くしよう!」とのかけ声と共にすぐに友達が出来たことであろう。
 「友達100人できるかな…♪♪ 」なる歌も存在することが物語っているが、子ども時代の友達とはそれで事が済んだであろう。

 それが大人になるにつれ、その様相が変化してくるのが誰しも自然だったのではなかろうか。
 この私も特に若き時代を通り過ぎて後は、自身の諸活動を実施する中で自然発生的に合意・同意出来る相手とまさに自然と近づけたように振り返る。

 その“近づける”人数が自然と減りつつ、人は年老いて行くのではあるまいか?


昨日、新しいパソコンが到着しました!

2021年04月28日 | 自己実現
 (冒頭写真は、昨日午後到着した我が5台目のパソコン。)



 さすがに ✨ピカピカ✨ です! 😁 

 キーボードの「N」キーもちゃんと付いています!!

 
 よく考えてみると、この私のパソコンは5台目です。

 我がパソコン第一号は、マックでした。
 娘が幼稚園児の頃流行していたマックを購入して、娘と二人で“おもちゃ”代わりにして遊んだことを思い出します。

 もちろん、私はメールや文書作成等で利用していましたが。
 そう言えば、当時は未だ“ブログ”は無い時代でしたね。


 ピカピカはよかったが。

 さて、セットアップはいつになることやら。

 連休中には頑張りたいと思っています。


 一番の注意点は、ONEDRIVEにデータが入らないように初期設定することだろう。
 4台目の失敗から、それは重々肝に銘じている。
 あれがために、我が貴重な保存データ(写真、文書等々)を根こそぎ失ってしまっている。
 早過ぎる“終活”と考え自分を慰めたものだが…

 
 5台目は、4~5年は持たせたいなあ。😅 
 

ネット世界に於ける「ウチ」と「ソト」

2021年04月27日 | 人間関係
 今回の表題エッセイは、少し前の朝日新聞記事を大いに参考にさせていただくことをあらかじめ記載しておく。

 
 (申し訳ない事に日付不明だが)先だって見た朝日新聞記事 メディア空間考 「ウチ」と「ソト」 「何でも言える楽園はない」の一部を、以下に要約引用させていただこう。

 ネット空間はどこまでが「ウチ」で、どこからが「ソト」なのだろうか。 新しいSNSが現れるたび、「ここでなら言いたいことが言える」と話題になる。 しかしそのSNSが広まれば、そこはすぐに仲間だけでなく他者も存在する「ソト」になる。
 今まで感じていた「ウチ」という意識は何だったのか。 誰も傷つけず誰からも非難されず、何でも言える楽園なんてそもそもあったのか。 それは錯覚ではなかったか。
 そして、私たちは気づきつつある。 暴言も「冗談だよ」で許され、しかも見知らぬ人に自分の言葉を都合よく届けられる場所なんて、ないのだと。
 
 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 私事に入らせていただこう。

 私め原左都子の場合は、最初にネット関与した時点で既にある程度年齢を重ねていたこと、そして、我がネット活動は当該「原左都子エッセイ集」のみである事実が功を奏したと言えよう。 (現在Facebookも利用しているが、そこではほとんど他者との関わりは無く、単に我が「原左都子エッセイ集」記事の公開場所として利用しているに過ぎない。 有り難い事に、今尚Facebookページにてお読み下さっている希少な方々がおられるのは嬉しいことだ。)

 それでも我がエッセイ集が“オピニオンブログ”であるがばかりに、開設後半年程から4年目程にかけては、歓迎しないコメントや明らかに誹謗中傷と判断可能なコメントが押し寄せたものだ。😨 
 その対応に頭を悩ませた挙げ句、当初“コメント承認制”を採用した。 それでも尚、歓迎しないコメントが後を絶たなかった。 (あれを非公開状態で読ませられるのも、心が傷ついたものだ…)

 我が決断は早かった。 こんなことで心を痛めている場合では無いと!
 (実際、我が娘のサリバン指導教育がまだまだ大変な時期だった。私が今優先するべきは娘の成長であるはずだ!)
 いやもちろん「原左都子エッセイ集」執筆は我が生き甲斐でもあり、それを続行するには“コメント欄閉鎖”に限る!!

 そうこうして、我が「原左都子エッセイ集」はコメント欄閉鎖後既に10年の年月が経過している。



 そんな私の、今現在のネットおける「ウチ」と「ソト」との区別感覚とは??
 正直言って今尚その区別感の実感が掴めない、と言うのが正解だろうか??

 「原左都子エッセイ集」開設初期時にはそれが確かにあった。
 (現在の若造達の例外ではなく)、我がエッセイ集に素晴らしい、あるいは肯定的なコメントをお寄せ下さる方々は「ウチ」。
 そうでなかったり、誹謗中傷コメントを寄せる奴らは「ソト」…


 ただ、今現在この事案を考察するに。
 考察する程に困難な課題である事に気づかされる。

 というのも、所詮“ネット世界”での課題に過ぎない。
 一度とてお会いしたことがない相手と少なからずの年月ネット上にての会話が叶ったとして、それが「人付き合い」と言えるのか???
 との不信感に、どうしても現在尚苛まれてしまう私だ。

 つべこべ言っていないで、たとえネット上であれお会いした相手が気に入ったならば、その付き合いは「ウチ」と自身が認めた故だからそれでいいのではないのか。との我が心からの返答もあるのだが…


 そう言ってみても我がFacebookにいつまでも反応を頂くのは、現実世界で直接お会いしている少数人物に限られている。

 これぞ、ネット世界の「ウチ」と「ソト」をも如実に表現しているのかとも思えたりもするし…


 (最後に追記だが。  たとえキーボードの一部が欠落していようが、記したいと欲したテーマのエッセイ記述に際しては障壁が感覚的に無いものですね。)
 

結局パソコンは買い換えることとしました。

2021年04月27日 | 雑記
 2019.11に購入した我が4台目のノートパソコンの生命が、たったの1年5ヶ月だったとは…


 私のキーボードの打ち方が、余りにも激しく荒いかもしれない…
 何せ、28歳時に「英文タイピング検定2級」を取得して以降、(パソコンは元より)英文タイプを打つのもワープロを打つのも、超高速ブラインドタッチ打ちを40年近く続行してきている。

 ただ、過去に購入したワープロもパソコン3台も故障することは無かった。
  
 はやり、この4台目のキーボードの寿命は短すぎる。
 17万円で購入したパソコンが1年半しか持たない?? 合点がいかないが、修理に数万円も要するとなると買い換える方が無難ではなかろうか?
 
 そして早速昨日ネットより、現在使用中のパソコンのランクアップ版を購入した。 本日午後に到着予定だ。


 パソコンを買い換えてそれを使用可能になるようにセットアップするのも大いなるストレスだ。

 まったくもって、5月の連休が近づいているこの時期に嫌になるなあ…
 (とは言っても、どうせ“コロナ緊急事態宣言下”にあるし、連休中ずっと新しいパソコンのセットアップでもして暮そうか… )


 で、今一体どうやって故障パソコンのキーボードを打っているかを説明すると。
 剥がれたキーは剥がしたままにして。
 その下に“ポチ”が出ているのだが。(下の写真を参照下さい。)
          

 この真ん中のポチ部分を指で押せば文字が書ける。 
 ただし、私の場合は“ブラインドタッチ(キーボードを見ないで画面のみ見ながら打ち込む方式)のため、Nキーを使用する都度キーボードを見て、Nのポチの正確な位置を確認せねばならないのが大きなストレスであり、時間もかかる。

 実際、タイピングの都度ストレスのために胃が痛む思いであるし、この「N]一つに掛かっていつもより2倍以上のタイピング時間を要してしまう。

 しばらくは胃が痛い日々が続きそうだ。


 しかしまあ、お金って予期せぬところで羽生やして飛んで行くものだね……😫