原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

公務員宿舎建設再開に断固反対する!!

2011年09月30日 | 時事論評
 なんで国家公務員に宿舎がいるの!? 
 仕事内容に見合わない高額の報酬を国民の血税から分捕っているんだから、自分が住む家くらいは自分で買うか借りるかするように国は公務員達に指導するべきだよ! 


 いきなり宿舎の話題から離れるが、本日昼のNHKニュースによると、人事院勧告により来年度の公務員の月収はたったの0,23%のみ引き下げられる事になったらしい。 しかもボーナスに関しては引き下げず据え置かれるとのことだ。
 菅内閣時に公務員の給与7,8%引き下げ法案が提出されたが、これに関して現場公務員達の労働組合に準ずる組織からの反発が大きく、未だに継続審議中との事でもある。
 私論になるが、民間労働者の失業率が高く、やっと職を得ても臨時採用の身分で年収100~200万円程度で生活する労働者が世に溢れている現実である。 それに比して、その能力の如何にかかわらず一旦就職すると定年まで失業の心配が無いに等しい公務員の給与はどう考察しても高額過ぎる。 野田内閣は一刻も早く公務員給与引き下げ法案を通過させるべく努力するべきだ。

 ついでに本日のニュースでは、公務員の定年を65歳まで延長する案に関しても報道していた。 日本の社会がこれ程までに危機状態である今、何故いつまでも公務員の身分ばかりが保障されねばならないのか?? 一般庶民とのその大いなる感覚のズレが不可解極まりない私だ。


 それに拍車をかけるごとく、過去における事業仕分けで「凍結」となった埼玉県朝霞市の国家公務員宿舎建設事業が再開された、とのことだ。
 “ムダを削る”会議で凍結された事業が、大震災復興財源のため増税が検討されている最中に復活することへ違和感を表明する声が国民の間で多く上がっているようだが、原左都子もまったく同感である。 今この時期に建設を再開するとする国政の判断が不可解極まりない。

 「財政がこれだけ厳しい時に福利厚生をやる会社ありますか?」、と民放のテレビ番組に於いて批判発言をした人物もおられるようだが、まったくおっしゃる通りだ。
 その総事業費約105億円を今こそ大震災復興財源とするべきなのは当然である。

 先だって発足した野田政権の下で内閣府特命担当大臣に返り咲いた蓮舫氏に関しては、もはやその実力を認める国民はいないことであろうが、この人物の政治家としてのポリシーや主体性の無さには今さらながら辟易とさせられる。
 自分が事業仕分けに於いて「凍結」を決定した事業を、今になって建設再開が妥当だと述べる蓮舫氏の、周囲に流されつつ我が身を守るべく行動しかとれないその“能無し”かつ優柔不断ぶりには唖然とするばかりである…

 現在首相である野田さんも、もう少ししっかりしてはどうなのか!??

 この公務員宿舎建設事業の再開に関しては、すでに2010年12月に発表されていたようだ。
 ネット上の報道によると、 宿舎事業を所管する財務省が「政務3役が中心となりオープンな場で民間有識者のご提案」を聴きながら建設「再開」を総合的に判断したとのことだ。 ちなみに野田新首相は09年の事業仕分け時は財務副大臣の立場にあり、10年末の凍結解除の決定時には財務相だった。凍結解除は野田氏が了承した形のようだ。

 上記報道によると、「民間有識者のご提案」との会合も怪しい雰囲気だったらしい。 どうやら、その場に集められたのはいつものことながら大学教授等の世に言う“知識人”との範疇の人物達であったようだ。 
 この“知識人”達の中の一人の教授は「この会合では個別の公務員住宅事業についてではなく全体的な官舎のあり方を話し合った。基本的には国家公務員の高い質を維持するために必要な処遇だという意見が多かった」とのみ述べているとのことでもある。

 参考のため、「事業仕分けを100万回やったところで無駄の削減など出来ない」との見解を表明している、過去における「事業仕分け」に出席したジャーナリスト氏も存在するとの話は原左都子にとっても興味深い。
 その人物は、「凍結」とは「しかるべき手続きを経た後中止になるはずだ」と思っていたそうだ。 「官僚のやりたい放題をコントロールできない政治家がトップでは、事業仕分けをしたところで無駄の削減などできない」と、相当頭にきている様子とのことである。
 このジャーナリスト氏のご意見と同様の見解を「原左都子エッセイ集」バックナンバーにおいても既に指摘している。 2010年10月バックナンバー「事業仕分け“パフォーマンス”にうんざり…」がそれであるが、報道陣を会場に呼び込んで国民の前で力無き民主党政権の“パフォーマンス”のみを繰り返す事業仕分け影像には実にうんざりである。 
 決定事項を官僚が言うままに覆す事業仕分けなど、即刻廃止するべきだ!


 ちなみに地元の朝霞市の政策企画室によると、「市としては(事業再開を)歓迎している」ということだ。
 実は原左都子はその埼玉県のド田舎に一時暮らしていたことがある。(残念ながら、我が子は学校でいじめに遭うわ、住民とのトラブルがあるわで、我が人生において一番冴えない時期であった…) 米軍跡地の広大な土地が再開発されつつ成り立っているあの地には、今でも二度と訪れたくない思いが根強い。
 その上で、朝霞市が公務員宿舎建設を歓迎する思いは理解できる。 そうでもしなければ、何ら利点の無いあの地の今後の開発がままならまいのではあるまいか??(住民の皆様には大変失礼な表現であることを詫び申し上げます。


 さて、野田さん。
 本エッセイ集において再三貴方への批判的論評を繰り返している原左都子であるが、やはり貴方の政治家としてのポリシーが蓮舫氏同様に私には見えない。(いや、秘書が書いたメモしか読めない蓮舫氏よりは口達者なことくらいは分かるよ。)
 野田氏の国会答弁を聞いても一見無難な回答をしているようではあるが、何を国民に伝えたいのかが私は未だに把握できないでいる。(前首相の菅さんの方がずっと明白だった。当然ながら反発心も抱きつつ、私には菅さんの思いは聞き取れた気がする。)
 野田さんは総理に就任後、外遊等もこなしつつ精力的に活動している日々をメディアを通して国民にアピールしようとしていることは理解できる。
 ただ一国の総理とは外遊をしてなんぼというものではなく、政治家としてのポリシーが感じ取れてこそ存在意義があるというものだよ。

 今回の朝霞市における公務員宿舎建設に関しては、貴方の過去の発言から鑑みてもこの建設を阻止し続ける責任があるはずだ! その責任の程を、今現在どれ程把握できているのか!?

 結局、野田氏は官僚に丸め込まれているだけの存在である。
 民主党は政権発足時に「政治主導」を公約の目玉としていたはずである。 野田氏が「官僚主導」に戻った政治を遂行したいのならば、国民の前でそう明言してからにして欲しいものだ。
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迷い道くねくね

2011年09月28日 | 雑記
 普段の生活の中で様々な「迷路」にはまって、そこから抜け出ることの出来ない恐怖心を抱いた経験は誰しもあろう。
 人の人生そのものが「迷路」を彷徨う道程であるとも言えるのだが、今回の記事では原左都子が過去において実際に道に迷った幾つかの経験について語る事にしよう。


 つい先だって行きつけの美容院へ行ったのだが、この美容院は最近店舗を別のビルへ移転した。 駅を降りてから新店舗があるビルへの道程は比較的簡単なため、迷うことなく到着した。 ところが、美容院の中へ入って困惑するはめとなったのだ。

 店舗内がまるで「迷路」だったのである。
 まずは受付でトイレがどこにあるか尋ねたら、「ご案内します」との事で店員氏が導いてくれた。 その斜めに入り組んだ通路を歩みつつ(これ、一人で受付まで帰れないぞ)と心配していたら、店員氏がトイレの前で待っていてくれた。 やはり店内で迷う客が多発しているのであろう。
 参考のためこの美容院は全個室ブース対応であり、数多くのブースが店内に配置されている形態である。
 その個室内で担当美容師氏と新店舗の「迷路」構造談議となった。 その美容師氏の話から、やっと何故にこのような「迷路」構造とならざるを得なかったのかを理解できた私である。
 ビル自体が三角形なのだ。    その構造に合わせてスペースを有効利用するべく店内レイアウトにしたところ、「迷路」構造とならざるを得なかったのだと推測した。
 それにしても「会計は受付でお願いします」と言われても、受付までの道程が分からない私に「ご一緒します」との事で無事に帰宅できた。 
 (余談であるが、消防法上あの構造でも認可されたのか不安感を抱く私だ…


 我が過去における「迷路」にはまった最大の恐怖と言えば、子どもが喜ぶ遊園地での出来事である。
 我が子が幼少の頃に一家で遊園地へ出かけ、そこのアトラクションの一つである「鏡部屋」に入場した。 そこでは子どもは身内と一緒に行動し、私が単独行動となった。
 入場者の後に着いて歩いていたつもりが、何故か私のみ出口に辿り着けない。 鏡部屋であるため我が親子の姿も鏡を通して見えていたのに、既にその姿が見えなくなってかなりの時間が経過したように感じた。 その他の入場者の姿もすべて入れ替わっている。 (これは本気で迷路にはまり込んだぞ)との恐怖心が襲ってくる中、係員を探そうとしてもその場所にさえ辿り着けない。 一体どれ程の時間が経過したのか訳が分からなくなる中、(とにかく誰かの後についていくことだ!)と冷静さを取り戻した私は、必死の覚悟で入場者の後を追ってやっと出口に辿り着くことが出来た。

 この話は上記の美容院の事例と共通すると分析するが、人間とは上下左右、東西南北の“四方向の視点”を見失った場合脆いことを実感させられる。 
 えっ、それは単に原左都子の弱点に過ぎないよ、ですって??


 次なる「迷路」は我が身内の失敗談である。
 我が子を帝王切開で出産した後1週間後に母子退院と相成った。 身内が車で出迎えに来てくれたのはよかったのだが、通常20分もあれば到着する我が家にいつまで経っても辿り着けない。 車を運転させると道に迷い易い我が身内の習性は私は既に把握済みであるが、一番心配したのが産院から同乗してくれていた義母である。 
 身内に向かって、「ちょっとどうしたの? まだ着かないの?? ○○ちゃん(娘のこと)は産まれたばかりだし、○○さん(私のこと)はお腹を切ってまだ1週間なのよ。 二人共休ませてあげたいから、早く家に到着してよ!」
 義母の配慮心には感謝しつつも「いつもの事で慣れていますよ」とも言えず、ゆったり構える私である。 結局2時間を要した出産後の帰宅であったが、娘も私のお腹の中にいたころより身内の“迷い癖”に慣れていたのか、上機嫌での帰宅だったものだ。


 最後の「迷路」話は、おそらく飲兵衛の皆さんならば必ずや経験されているであろう失態について語る事にしよう。
 飲兵衛で名高い原左都子は、我が独身時代に数々の飲み処を訪れている。 その中でも「迷路」として思い出深いのは “横浜ロチェスター” をおいて他にない。
 この“横浜ロチェスター”とは先程ネット検索したところ残念ながら2006年に閉店したとのことだが、「シアターパブ」とでも表現すればよいのだろうか、とにかく劇場のごとく広いスペースが売り物だったものだ。 横浜西口から地下2階に下りて直ぐに行ける恵まれた立地条件もあり、独身時代横浜に居住していた私は彼氏等と共にこのパブに足繁く通ったものである。
 「シアターパブ」と表現したが、ここはその大規模展開にもかかわらず一旦席につけば落ち着ける雰囲気が私の好みでもあった。
 ところが、店舗が広い故の欠点もあるのだ。 酔っ払いとは足繁くトイレに通うものである。 トイレへ行った後自分の席への帰り道が分からなくなるのは自己責任と言えども困惑させられる。 そうした場合やむを得ず店員氏に自分の席を尋ねるのだが、この“横浜ロチェスター”においては店員氏の誰に尋ねてもきちんと我が席に案内してくれたものだ。
 これが今思い返しても不思議である。 顧客が300名ならば店員氏も2、30名配置しているのだが、どの店員氏に尋ねても必ずや我が席に連れ戻してくれるプロ根性に私は感激し、頭が下がる思いだった。


 数々の「迷路」に彷徨いながらも原左都子がいつも我が居所に帰り着けている事実に感謝すると同時に、今後も我が人生における「迷路」を享受しつつ歩み続けたいものである。
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「無実の罪」の痛み

2011年09月26日 | 時事論評
 本日、私の周辺に予期せぬ不快な事件が2件立て続けに発生した。
 両者共に、我が家の集合住宅1階玄関において発生した出来事である。

 その1件は、皆さんも一度はご経験があるのではないかと思うのだが、新聞等古紙回収の際に引き換えにもらえるトイレットペーパーが、我が家の分のみ「ない!」のだ。  
 我が家はオートロックの集合住宅であるため、各新聞販売店の回収日にはオートロックの外の玄関先に古紙を置く習慣となっている。 古紙をまとめて梱包した上に部屋番号と名前を記載した紙を添付して出しておくと、その紙の上にトイレットペーパーを置いていってくれるシステムとなっている。

 このトイレットペーパーがなくなる“被害”は何も今に始まった事ではなく、そしてこれは我が家のみに限らず広域で紛失事件が発生している模様だ。
 現在の住居に転居した当初はこれが日常茶飯事だった。 周辺に不審者がうろついているとの情報もあり、新聞販売店側もその対策に乗り出した時期もあった。 その成果があったのかここしばらくは“被害”に遭っていなかった。
 本日の被害の場合、我が家のトイレットペーパーのみがないという点が多少ひっかかった私である。 まあ、おそらく偶然我が家ののみが何らかの理由で紛失したのであろう。たかがトイレットペーパー1個の事である。 そんなものどうでもいいよと自分を言い聞かせつつ、釈然としないわだかまりが漂うのが人間の性というものか……

 
 もう1件も上記と時を同じくして発生した。
 我が家の集合住宅1階の集合郵便受けの中に本日配達されていた各種配達物の中に、「ご住人様」との手書きの宛先が記載された開封状態の封書があった。
 その封書の差出人は某大手宅配業者なのであるが、この内容を読んで何ともいえない不快な気分に陥った私である。
 その封書の内容をかいつまんで紹介すると、我が集合住宅の一室に配達したメール便が行方不明状態である。 もしも貴宅に間違って配達されていたり、問い合わせ先が分からず困っている場合は以下の連絡先に一報願いたい、とのことだ。

 これを一読して私の脳裏に一番に過ぎったのは、「お宅の郵便受けに誤配したのに、お宅から連絡が来ずに困っているんだよ。盗人たけだけしい行為などしてないで、早く自分が盗みましたと申し出ろよ!」と警察署の取締り室で自白させられている光景である。
 もちろん、その種のメール便は我が郵便受けには届いていない。
 この宅配業者の封書に記されていた文書をあくまで善意で解釈するならば、何らかのトラブル原因により目的宅に届いておらず、そのクレームを受けた末端の宅配業者が困り果てて、我が家も含めた(広い意味での)顧客さえも疑ってこの手の封書を寄こす手段に出たのであろう。

 原左都子が分析するに、メール便が目的宅に届かなかった原因とは種々推測可能である。
 上記のトイレットペーパー紛失事件のごとく、不審者が集合郵便受けに配達されている当該メール便を持ち去ったのかも…。 と言うのも、配達者の郵便受けへの入れ方が雑で外にはみ出ている場合が多い実情なのだ。) あるいは乱暴な指摘であろうが、配達者自身がその配達物を持ち去った…。(そんな事件も過去において発生しているしね…) その種の自社の事由や外因的な原因追求をした後に初めて、広い意味での顧客を疑ってかかるべきではないのか!?

 原左都子としては、この封書に関しては“痛くない腹をさぐられた”思いでどうしても納得がいなかいため例外的に業者の実名をここで公表することにするが、それは 「ヤマト運輸」 である。
 この業者にこちらから宅配便を出すことは稀だが、到着便を受け取る機会は数多い。 どうか顧客の信頼を失わないためにも、今後は社内での徹底したトラブル原因を究明した後に初めてこの種の封書を投函して欲しいものだ。
 
 それ以前の問題として、今の社会の実態を捉えるのも大手宅配業者の任務ではないのか? これ程荒廃した日本社会において、最低限実行可能な手段としてメール便は郵便受けから“はみ出さない様に”入れて欲しものである。 それが不能ならば、安価なメール便など廃止して各戸に持参するとの手立てもあろうに。 どうしても安価なメール便を導入し続けるならば、トラブル発生による損失も覚悟の上とするべきである。 
 安直な経営方針の下で「無実の罪」を着せられる庶民の痛みも少しは理解した上で、今後は事業展開する努力をして欲しいものだ。


 私は過去において、「無実の罪」を着せられそうになった経験が他にもある。
 それは、若かりし頃海外旅行に行くに当たってスーツケースをレンタルした時の事だ。
 スーツケースを貸し出す前に担当女性が各所を点検する“ふり”をしつつ、「このベルトの留め金が壊れていますが、それでもよろしければレンタルします」との事だ。 それを若気の至りの私が快く承諾して帰国後レンタル会社に戻しに行くと、別の担当者が「このベルトは貴方が壊しましたね。この賠償責任は貴方にありますので修理の実費を支払ってもらいます。」……
 その種の手段で当時のレンタル会社とは収益を上げているのだなあと実感させられつつ、当時経営学分野の学問に興じていた私も頑張った。 「これは元々壊れていたことは貸出し時の担当者承知の上です。 私は決して壊していません!! 無実です!」 これに対して別の担当者曰く「皆さん、そうおっしゃるのですよ」……  「だったら、当時お借りした時の状況を知っている母がたまたま上京していますので、その母を証人としてここに連れて来ます!」
 (実は母もそんな取るに足りない事など明瞭には記憶していなかったのだが)実際に母を連れて再度レンタル会社に乗り込んだ私の勢いに驚いた相手方は、「そこまでおっしゃるあなたの言い分は正しいと感じます」とのことだ。 引き下がれない私は「お金を払えと言うならば払いますよ。 ただこんな事で犯罪人に仕立て上げられては今後の人生に傷を負いますので、どうしても無実である事のみは命を張ってでも主張します!」と涙ながらに訴えたものだ。
 その後は当然のことながら、こんなくだらないトラブルなど御免被りたい思いでレンタル利用は一切避け通している私である。


 新聞等古紙回収の引き換えにもらえるトイレットペーパーの行方に関しては二の次でいいとして、大手宅配業者である「ヤマト運輸」の今回の対応は一体どうしたことであろう??

 宅配業者システムを一切認識していない原左都子であるが、もしかしたら末端配達組織とは社会的弱者のフランチャイズなのだろうか?
 そうであるならば本部に安くこき使われ責任だけは転嫁される末端組織の苦悩もわからなくはないが、どう考察しても今回の個人宛への封書の内容は顧客の「無実の罪」を問うものだよ。

 日本の大手企業たるもの、国政が短命状態を余儀なくされ世界的に経済情勢が混乱状態であれども、少しは底辺に生きている庶民同士のせめぎあいも視野に入れた対応をするべきではないのか!!?
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お互い自立した関係を維持するために

2011年09月24日 | 恋愛・男女関係
 本日(9月24日)の朝日新聞別刷「be」において、一見関連はないが私の視点からは共通項が見出せそうな男女関係を取り上げた2本の記事を発見した。


 その一つは 「手料理が食べられない彼」 と題して、若い未婚男女のすれ違いを綴ったコラムである。

 この題名のみ読んで、自称“正統派料理嫌い”として世に名を轟かせている原左都子(本エッセイ集2008年8月バックナンバー「料理嫌いな女」を参照下さい。)など、こんな男性こそが私の結婚相手として理想だったのに、何故私に結婚を申し込まなかったのか… と残念でさえある。

 それでは早速、このコラムの内容を要約して以下に紹介しよう。

 29歳の公務員のタケトは物静かな性格でサークルの女性達からアプローチされるような立場にある。 タケトの両親は自営業で忙しくさらに料理も苦手だったため、一人っ子の彼はコンビニかファミレスで食事を済ませる習慣となっていた。 加えて親戚の家の料理で食中毒になったことや元々の潔癖症の性格もあり、タケトはまったく手料理を食べられない。 そんなタケトが彼女である24歳のモエミと初デートした時に、ファミレスに誘った。 誘われたモエミは多少びっくりしたが「おしゃれな店は知らないからごめんね」と言われ、彼らしいと好感さえ抱いた。 
 一方、モエミは料理が得意である。 「今度タケトさんのマンションで手料理を作ってご馳走したいな」「今度公園でのデートの時にお弁当を作って持参したい」等々を提案したところ、タケトより「手料理は食べられない」ことを伝えられた。 それでもタケトは「モエミちゃんが好きなことは本当だ。ただ手料理が食べられるかどうかは分からない。」との意思が強いようだ。 今後結婚話になった場合、モエミとしてはどのような結婚生活を送ればよいのか想像出来ず困惑している。 タケトはモエミの決断に任せると言うが…。

 原左都子の私論に入ろう。

 これが実話だとした場合、人間の人生とはまさにミスマッチの集合体であることを実感するコラムエッセイである。 私など本気で一生嫌いな料理などせずして生き通したい人間であったため、独身の頃にはタケトのような男性に巡り逢える事を心より希望していたものだ。
 ファミレス、いいじゃないの?! 何が悪い??  私としては夕飯時には「酒」も欲しいがそれにタケトも付き合ってくれるなら、家で嫌いな料理を強要されてストレスを溜め込むよりよほど天国である。
 片や、モエミは料理が得意なのね。 そうすると、やはり貴方が作った料理を喜んで食べてくれる結婚相手を選択するべきだよ。 そんな男はごまんといるよ。 大抵の男はモエミちゃんの料理を是非共食べたいと言うはずだよ。  そうしたならば、モエミちゃんはまだまだ若いことだしここはタケトとは別れて、自分が作った料理を毎日美味しい!と感激しつつ食べてくれる男性をゲットするべきだね。 今後の人生はまだまだ長いんだから、自分が得意とする事を日々評価されて暮らすことこそ幸せの第一義と捉え、結婚相手を探すに越した事はないんじゃないかな??


 さて、もう一つの記事は“悩みのるつぼ”に寄せられた40代女性よりの 「夫に自立してほしいのですが」 と題する相談である。

 これも、早速以下に要約して紹介しよう。

 私は40代後半の会社員、夫と高校生の娘そして義父の4人暮らしであるが、例えばテレビの嗜好や余暇の過ごし方において見合い結婚の夫とは趣味が合わない。
 子どもが小さい頃は余暇は子ども中心に過ごしてきたためさほどの違和感はなかったが、40代後半になっている今、夫の趣味に合わせて好きでもないことに金と労力を使う事に苛立つ。 私自身は一人で何かをする事に対して苦にならないが、夫の方は私がそうすると不機嫌だ。 今後は夫に自立してもらい、私自身が好きなことを楽しむためにはどうすればいいか?

 またまた早速、原左都子の私論に入らせてもらうこととしよう。

 この40代女性の家族構成が“義父”を除くと我が家と同じである。
 上記の40代女性の相談においては義父の存在について一切触れられていないのだが、もしかしたらその存在こそがこの家庭における大いなるネックとなっているのではあるまいか?? 
 私の場合、結婚以前より“家族構成”とは最大の重要項目であると認識していたため、この女性と同じく見合い結婚である私はとことんその“条件”にこだわった。 自分が暮らす家に義父母が同居するか否かによって我が結婚後の人生が大きく翻弄ることを懸念した上で、義父母と同居の必要がない相手をとことん選び抜いたものだ。
 この相談女性の場合、同居OKの条件での見合い結婚だったと推し量ることにしよう。

 その上で、見合い結婚相手と趣味が合わない??  別にそんな事二の次でいいんじゃないの? お互いそれぞれが好きな趣味を楽しめば済む話でしょう。
 私の場合は40近くしての見合い結婚だったが、趣味どうのこうのよりも、お互いが培ってきたバックグラウンドや根底にある考え方こそが選抜基準として重要だったものだ。


 そろそろ上記2記事のまとめに入ろう。

 「手料理が食べられない彼」の場合、未だ24歳のモエミちゃんにとってタケトくんの存在はちょっと重荷であろう。それは理解できる気がする。
 私は決してタケトくんを否定はしない。 そんな子が今時存在しても少しも不思議ではないどころか、それでタケトくんが公務員として健康で充実した生活を送っているのならば、私など十分に結婚相手としてOKだよ。(外食の夕飯時に「酒」に付き合ってくれるかどうかは原左都子にとって最重要課題だけどね。
 2人の結婚生活において“料理”の位置付けが最重要であるとは私は思わない。タケトくんに手料理を食べてもらうことのみが2人の幸せでもなかろう。 と言うのも、逆バージョンだがこれ程の料理嫌いの私が作るヘボい料理で我が家族は結構うまくいってるのよ。
 人間関係とはあくまでも総合力のぶつかり合いであるから故に、個々人が自立できて周囲の人とうまくかかわっていけさえすればそんなことは何とかなるものだよ。

 一方、“悩みのるつぼ”の40代の女性に対しては、その年齢故に上記モエミちゃんに対してよりも厳しいアドバイスを申し上げたい。

 「夫に自立して欲しい」と貴方は言うが、自立できていないのはむしろ貴方の方ではないだろうか?
 我が家の場合、娘が中学生になった頃から既にお互いの趣味を尊重するべく行動に出ている。 どうしても母親との距離が近い娘は私側のポジションにいる場合が多いが、それでもそんな母娘を我が夫はいつも尊重してくれ、我が家はその面では上手く機能している。
 わずか半年後に定年を迎える我が夫に対して、確かに家族から孤立しがちであることについて私も心配ではあるが、それはあくまでも私なりの“配慮”の思いであり、私の方からは趣味の不一致に関する不満など何もない。

 ここは思い切って、相談者である貴方の方から自立して好きな趣味に没頭しては如何か?
 例えば私の場合、娘が中2時点でこの「原左都子エッセイ集」を開設した。 エッセイを血走る目で集中して綴るその時間帯はおそらく背中からオーラが出ており、誰も立ち入る事が出来ない私の聖域である。
 
 ただし自立することとは“自分勝手に好きなことをして気ままに過ごす”事とは大いに意味が異なるはずだ。 相手に対する思いやりの気持ちが必ずや共存しているはずである。
 そして、ご亭主の反応を見てみるといいかもしれない。 それでもご亭主が文句を垂れ続けるならば、お二人の関係は所詮そのレベルなのであろう。 
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台風お見舞い申し上げます。

2011年09月21日 | 時事論評
 本日(9月21日)午後、大型台風15号は東海地方に上陸した模様だ。 このまま強い勢力を保ったまま北上を続け、私が住む関東地方も暴風域に入りそうだ。

 それにしても、今年ほど日本国中が自然災害に見舞われ続ける年も珍しいのではあるまいか?
 冬の北の地方の豪雪被害を始まりとして、3月には未曾有の東日本大震災の発生、その後も各地で大雨洪水被害に見舞われ、つい先だっても大型台風12号の停滞により100名以上の死者・不明者の犠牲者を出している。 それに追い討ちをかけるかのごとくの今回の台風15号の上陸である。 


 昨日、台風12号の猛威により大打撃を受けた地方に住む後期高齢者で一人暮らしの我が母に電話で様子を伺ったところ、母が言うには「ここ1ヶ月程、ずっと大雨ばかりの毎日のような印象」とのことだ。
 ただ、幸いな事に我が母が住む実家は洪水や土砂災害とは無縁の地にあるため、避難指示・勧告が出されるでもなく母は一人で気丈に屋内に待機している様子だ。 
 それでも、大雨の都度母が住む家屋の裏側にある幅1メートル程の水路をゴーゴー音を立てて濁流が通過するらしい。 私は母に釘を刺して曰く、「決してそれを外に見に行かないように。 いつの台風時にも自分の田畑を心配して外に出たお年寄りが、必ずや水路に流され行方不明になったり死体で発見されている。 自分の田畑を災害から守りたいその切実な思いは重々分かるが、これぞ自殺行為だ。」
 加えて悲惨なことに、自治体の避難指示に従っての避難中に川の洪水氾濫に流され命を失う犠牲者が後を立たない現状でもある。
 そこで母が住む自治体地域の避難体制がどうなっているのかに関しても質問した。 そうしたところ、母の地域ブロックでは災害時の避難体制に関して明確かつ詳細なマニュアルが規定されているとのことだ。 我が母のような一人暮らしの年寄りがヨロヨロと一人で避難している途中に予期せぬ被害に遭遇する事態を避けるため、指定された若年層の人物が家まで足労してくれ一緒に避難所まで同行してくれるシステムとなっているようだ。 避難指示が出てその指定人物が家まで迎えに来てくれた時におたおたして迷惑をかける事なく直ぐに出発できるよう、常に非常持ち出しリュックに必需品を入れて避難体制を万全に整えている、との母の回答だ。
 「さすが私の母! それは“お利口さん”だね!」と私が返すと、「初めて○子(私のこと)に褒められたよ」との返答だ。  いやいや、決して母を日頃馬鹿にしている訳ではないが、台風被害の多い地域に住んでいる以上は、たとえ一人暮らしの年寄りとてこれ位の被害に対する自覚なくして自分の命を守れないという事であろう。
 (それに対して大都会に住む私の地域などそもそも“地域”自体が形骸化しているし、災害避難体制のマニュアルなど何もないことを実感させられるなあ…)


 そうこうしているうちに現在我が家の外でも風雨が強まるばかりである。 先程自宅のベランダで育てている2本の枇杷の木が強風にあおられて転倒したため、それを安全な場所に移すべくベランダに出た私こそが飛ばされそうになるし、わずか30秒位の間に大雨に打たれて全身ビショビショ状態だ。 もう外に出ることは避け、室内で待機しよう。


 こんな時に原左都子の過去の台風被害経験を語っている場合でもないのだが、我が小学生の頃に台風の被害により自宅が床下浸水に見舞われた事がある。 
 台風が過ぎ去った後も黄土色浸水の水が引かない状態なのだが、それはまだ幼い私の目にはまるで周囲が突然海にでもなったかのごとくのミラクル世界として輝かしく映ったものである。
 我が家は床下浸水被害だったため、床上浸水を被った家屋と比較した場合一見さほどの被害はなさそうに子供心には感じたものだ。(実はそうではなく、たとえ床下とて一旦家屋が浸水被害に見舞われた場合、当時の不衛生状況を考慮すると相当の被害が後々残ることとなるのだが…… 
 そんな幼き私が姉と共に台風直後に取った行動を、今となっては空恐ろしい感覚と共に懐かしく思い出すのだ。
 我々姉妹が何をしでかしたと言うと、事もあろうにその一見“黄土色のミラクル海”に旅に出たのである。
 幼き姉妹の膝下が黄土色の水に浸かるその“ミラクル海”には、大いなる発見があったものだ。 いつもメダカやフナやザリガニしかいない近くの小川には、どこから流れ着いたのかは不明だがガチョウやアヒルがいた! 「へえ、台風ってこんなものも持って来てくれるんだね!」などと姉と共に感激しながら“黄土色の海”をかき分けつつ自宅に戻り着けたのは幸いだったのだろう。
 後で考察してみるに、当時の我が郷里はいずこの家庭もトイレは汲み取り方式である。 そして下水道も整備されていなかった現状を今省みるに、よくぞまあ“黄土色の海”に旅立って無事に帰還でき、その後も感染症に罹患しなかったものである。

 まさか時代が進化した現在においては、周囲が台風の被害で浸水したからと言ってその“一時の海”に旅に出る子ども達など皆無であろうし、そうではない事と信じたいものだ。


 それにしても国民の皆さんは、昨今の自然災害の規模が世界の科学技術の発展及び経済発展のマイナス面での悪影響と同時進行で甚大化している現状を実感されているであろう。
 そんな地球上に現在生命を営んでいる我々は、今後何をするべきなのであろう???

 コロコロと短命で移り変わる政権に迎合することなのか? 
 自治体が避難しろと指示したら、川が氾濫しているにもかかわらず避難して命を失うことなのか??
 学校の文化祭で指定校推薦を取った生徒が好き放題展開する出し物に素直に従う事なのか???

 これ程までに時代が変遷して自然災害の規模が甚大化している世界に生きている我々が、今後もこの地球上で生き延びたいのならば、そろそろ国民の一人ひとりが自分自身の問題として今後の生き様を主体的に考えていこうよ。
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