原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「デザイナー誕生!」

2024年12月10日 | 恋愛・男女関係
 本日も、「原左都子エッセイ集」バックナンバーの再掲載でお茶を濁させていただこう。

 このバックナンバーの公開日が2008.07.05付となっているため、2007年9月開設の原左都子エッセイ集としては 未だ初期段階のバックナンバーだ。
 しかも カテゴリーを「芸術」としているが、実はその内容は “恋愛もの”のエッセイである。



 それでは、以下に再掲載します。

 
 先だって、東京都文京区にある「印刷博物館」を訪れた。
 この博物館は大手印刷会社に併設されている博物館なのだが、コミュニケーションメディアとしての印刷の価値や可能性を紹介することを目的に、印刷の過去、現在、未来をわかりやすく伝える展示を行っている。
 「デザイナー誕生:1950年代日本のグラフィック」と題する特別展に興味を持ち先日平日昼間に一人で訪れたが、展示物の前で熱心にメモをとるデザイナーを目指していると思しき若者団体等で結構混雑していた。(写真は、特別展のパンフレット)
 この博物館は入場料が安価な割には結構楽しめる。個人的にはもう少し空いているとより理想的だが、広い空間に印刷に関するユニークな展示が工夫されていて最後まで飽きない。

 特別展「デザイナー誕生…」は期待通り楽しめた。1950年代は、戦後とグラフィックデザイン史上最も躍動的な1960年代を結ぶ、戦後デザインの礎を築いた時代であるそうだ。その当時のポスター、新聞・雑誌広告、冊子、包装紙、パッケージ、書籍、関係資料等合わせて500点が展示されていた。
 日本のグラフィックデザインが世界的に認められた60年代の土台となった50年代、国内経済の再起をかける日本にとって、日本の復興と“メイド・イン・ジャパン”のイメージ向上のためのアピールとして、グラフィックデザインは積極的に欧米の手法を取り入れながら発展していった。(「特別展」パンフレットより要約)
 ちょうどその時代にこの世に生まれた私にとっては、どの作品や資料も遠き日のノスタルジアに駆られるような懐かしい展示ばかりだった。

 唐突な記事の展開となるが、ここから話がガラリと変わる点ご了承いただきたい。
 
 私は20代後半に工業デザイナーを職業とする男性と出逢った。この男性は本ブログの恋愛・男女関係バックナンバー「偶然の再会」で既に登場している。
 実はこの彼は私の数多い波乱万丈の恋愛遍歴史上、今尚一番充実したお付き合いができた実感がある人物だ。 彼は、私の長~~い独身時代に私の方から積極的に結婚を願望し“赤い糸”を意識した唯一の男性でもあった。 残念ながら彼の方に結婚願望が一切なかったため結婚は断念したが、私にとってお付き合いが一番長く続いた相手でもある。

 当時私は医学関係の仕事に励んでいた時期でありお互いの職種は全く異質なのだが、物事の考え方や価値観が非常によく似ていた。 彼と会うと、とにかく話がはずんだ。 喫茶店や居酒屋で何時間話し合ってもいつも時間が足りない位共感し合えた相手だった。
 彼は当時、製造業大手企業に工業デザイナーとして勤務していた。 すばらしい業務経歴の持ち主で、彼がデザインした製品数点がグッドデザイン賞を受賞している。 そのうちの一点である目覚まし時計を当時彼がプレゼントしてくれたが、この時計は今尚現役で活躍中で毎朝私を目覚めさせてくれている。  仕事の合間に個人的にもデザインに励み、新人デザイナーの登竜門と言われる銀座Mデパートのデザインコンペにも入賞し、入賞作品展を一緒に見に行った思い出もある。
 自分の工業デザイナーとしての職業をこよなく愛する彼は、会うといつもデザイナーが経済社会で果たす役割について熱く語っていた。 新製品開発をデザインによって牽引し、新しい時代の創造を率先して果たすのがデザイナーの役割だと教えてくれた。 そのためには好奇心旺盛に様々な分野の事象に興味関心を持ち、情報収集し知識を得て、常に研ぎ澄まされた感性を磨く必要があるとも語り、それを実行している人だった。 分野が全く違う私の話にも興味を持っていつも真剣に聞いている人だった。 そんな彼の瞳はいつもキラキラと輝き、遠い未来を確かな目で見つめているように私には映った。
 一方で感性が豊かで繊細で情が深く、とても優しいハートの持ち主でもあった。
 
 そんな彼にも悩みがあった。 企業という狭い枠の中でデザイナーが果たせる役割には限界があり、加えて専門性が高い割には報酬が見合わないことを嘆いていた。 そして、その後彼は敢えて危険を覚悟でフリーを目指す道を歩むことになる。 私が恋愛の対象として彼とお付き合いをしたのは、彼がフリーになった直後あたりまでだ。
 その後もこの彼とは友人としてのお付き合いが続くのだが、彼はフリーとして成功し、デザイン界において輝かしい業績を残している。 彼がデザインした商品が何点もヒット商品となり市場に出回っている。
 最後に彼に会ったのは彼との出逢いから約10年後、お互いにまだ独身で私が見合い結婚をする直前頃だった。 “もし結婚することになったらお互いに知らせようね。”と約束したきり、私は結婚したことを彼には知らせないまま現在に至っている。 

 彼は後々の私の人生にまで大きな足跡を残している。
 私が医学の道を一旦退き30歳にして新たな学問を目指したのも、彼の影響力によるところが大きい。
 それ以来、彼以上の相手にめぐり合えなかったために私は恋愛結婚は諦め、見合い結婚に至ったとも言える。
 素人の私がよく分からないなりに芸術分野を好んでいるのも、まさに彼の影響力である部分が大きい。

 彼は今、どうしているのだろう。 さらにビッグになってデザイン界で今尚活躍しているのであろうか。 

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 (以上、「原左都子エッセイ集」初期頃のバックナンバーを再掲載したもの。)




 2024.12現在の我が記述に入ろう。

 この彼氏との付き合いに関するエッセイは、2007~8年頃に何本か公開している。
 その中で、今思い出す出来事を少し書いてみよう。

 「赤い糸」とでも表現すればよいのか、この彼氏とは大都会東京の街中でよく“偶然に”会った。 (新宿駅前高野フルーツパーラーの入り口、中央線の車内等々で。)
 これに関しては、そもそもお互いの当時の自宅が中央線沿線にあり、近かったとの理由が大きい事は認める。

 ところが、一番因縁を感じたのは。
 既に別れて数年が経過し、私が2度目の大学生だった30代前半期の事だ。
 地下鉄丸ノ内線・東京駅にて構内の一番後ろの車両に私はいつも乗るのだが。 その電車が「東京駅」に到着した際、そのドアのそばで私が立っていると、偶然そのドアからその彼氏が電車に乗り込んで来たのだ!!
 どうして彼だと分かるかというと。 その彼氏は身長が190cmあり嫌でも目立っていた!
 あまりにも偶然だったのにお互いに驚き、とりあえず霞が関駅で降りて喫茶店にでも行こう、とのこととなった。
 残念ながら、その後の記憶があまり無いのだが。
 おそらく、近況でも語り合ったのだろう。 既に別れた二人でありお互いに“大人的対応”に終始したのかもしれない。

 その後、電話があったかもしれないが。
 二人の関係は既に終焉しているとのお互いの共通認識の下、関係がぶり返すことはなかった。


 その偶然の再会から、既に40年程の年月が流れて。

 意味不明に無責任に原左都子が思うに、その彼氏は長生きしていないような感がある。
 何故かと言うと、その後ただの一度もその彼氏と都心で偶然出会うことが皆無であるが故だ…


80代で 恋人が出来たお母さん、素晴らしいじゃないですか!!

2024年11月02日 | 恋愛・男女関係
 本日のエッセイテーマは、2024.11.02付朝日新聞「悩みのるつぼ」相談より引用する。


 早速、50代女性による「恋人が出来た母に不信感」と題する相談を以下に要約引用しよう。

 離れた場所に住む80代の母の事で相談です。
 5年前に父が亡くなった後、母は自立して一人で暮らしており車で30分のところに住んでいる。
 数カ月前の帰省時、母から趣味で知り合った数歳年下の男性と 父の三回忌後から交際していると聞いた。 (中略)
 姉と妹とは「母が幸せなら見守ろう」と決めたし、妹は「人生の最後で好きな人が出来た母は幸せ者」、夫は「お母さんが幸せならいいのでは」と言う。 年齢的にも、母の最後の青春を認めてあげるべきかもしれない。
 しかし、父の死後わずか2年で他の男性に浮かれ、相手の元妻を悪く言う母に不快感や憤りを感じ私は口論の末に絶交し、相手の男性にも不信感がぬぐえない。
 心の持ち方、母との今後の付き合いについてアドバイス頂きたい。

 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」より転載したもの。)



 原左都子の私見に入ろう。

 基本的に私は、婚姻者の離婚後や相手の死後の再婚に関しては 自由に行えばよいと考える派だ。
 相談者のお母上の場合も夫の死後5年後の再婚との事、何らの問題も無いであろう。
 相談者がおっしゃる通り、お母上のお相手の過去のパートナーに対して愛情が無かった、などとの母からの要らぬ話は無用としても。
 とにかく 相談者のお母上が今後一緒に生きるパートナーを見つけてくれた事実とは、子どもにとってはむしろ「吉報」と私は捉える。 まさに、相談者の姉妹がおっしゃる通り、「人生の最後で好きな人が出来た母は幸せ」ものであるし。 相談者にとっても、今後母親の世話が省けてラッキーと思えば済む話題では無かろうか??


 この相談者氏が、それ程までに自身の母に対して「依存心」が強かったのだろうか?
 まるで幼児の如く、自身の母を他人に取られるような一抹の不安感が過るのであろうか??

 この私など、施設暮らしが既に10年近くなる実母に、一度足りとて「浮いた」話が無い事実に愕然としていた程だ。
 少しは せっかくの集団施設暮らしの身で、お気に入りのパートナーでも見つけて楽しく暮らしてくれたら、私の実母に対する電話付き合いも減るのになあ…   などと、本心で思ったほどだ。
 参考だが、叔母のさっちゃんの話によれば、実母にも施設内でお気に入りの男性入居者がいた時期もあったらしい。
 それがどうなったのかは全く不明だが、一番最近私が実母の施設を訪ねた祭には、「施設暮らしで楽しいことなど一切無い!!」と、私相手に吐き捨てていたことを鑑みるに…  単に母親の片思いか短い付き合いだったのだろうなあ…


 
 基本的に高齢者の男女交際とは、その余生を考慮するに交際自体も「短命」にならざるを得ないのが運命だろう。

 それでも、私は高齢者恋愛を心より応援したい派だ!!

 高齢域に入って、自身の身体が不自由を強いられて。
 それでも愛する人が現れるとの事実とは、何にも勝る「心を揺り動かすサプライズ」ではなかろうか??
 たとえ そのサプライズにも「別れ」が訪れようと。 
 人生最後に愛する人に巡り会えた幸せを、天国へお土産に持って行きたいものだ!!


大リーガー・大谷選手の花嫁氏、“一般人”といえばそうなのだろうが…

2024年03月07日 | 恋愛・男女関係
 (冒頭写真は、この度大谷選手と成婚した女性に関する週刊誌の報道を、朝日新聞広告欄より転載したもの。)


 早速、この度大谷選手と成婚した女性に関するネット情報の一つを以下に引用しよう。
 
 出身地:東京都
  身長:180cm
 最終学歴:早稲田大学
 所属チーム:富士通レッドウェーブ ポジション/フォワード
 田中さんは2019年から2023年まで、富士通レッドウェーブでセンターフォワードとして活躍されていました。
 また田中さんは、早稲田大学在学中より3人制バスケ3×3(スリー・エックス・スリーの強化選手でもありました。
 「FIBA3×3 U23ネーションズリーグ2019」で代表入りし、東京オリンピックでも3×3女子日本代表の予備選手にも選ばれています。
 世界で活躍されていた田中さんですが、2023年には選手を引退されています。

 (以上、大谷選手の花嫁氏に関するネット情報の一部を引用したもの。)


 今回の大谷選手結婚に関する週刊誌等々のニュースは、早くもお相手女性の詳細を報道するに至っている。

 そのスピード報道に驚くと共に。

 原左都子の感想を述べさせていただくと。

 何処のどなたが仲介したかは知らないが、なかなか大谷選手と釣り合うべく女性を“あてがった”(失礼な表現をお詫びします)ものだと、感心させてもらった。
 東京五輪女子バスケット出場候補者だという、この田中さんとやらの女性だが。 
 身長180cmで、美女であることには間違いない。
 しかも、早稲田大学で4年間学んでいるとのこと。
 (それにしては、“英語が喋れない”との情報も目にしている。 今時の大学で英語ライティングはもちろんのこと、リスニングにスピーキング教育は必修科目のはずだが。 おそらく、その程度のことは田中さんも出来る事であろう。)
 早稲田大学の何学部に所属していたのかに関しては、情報が皆無だが。 
 とにかく五輪出場候補者であったとのこと。 その強化選手としての活動が早稲田大学時代の主たるものであったと想像する。 

 ネット上の写真を拝見したところ、間違いなく美女であられる!

 大谷選手との出会いに関しては 巷報道では何処かで二人が知り合って結婚に至った、と書かれている様だが。

 そうではなく必ずや大谷選手の背後には、「花嫁探しプロジェクトチーム」が存在したことであろう。
 そうでなくして、今後大リーグにて1000億円(詳細の金額を私は承知していないが、とにかく一般人には想像不能の巨額収入を今後も引き続き稼ぐことを期待されている大谷選手である。)の収入を得る大リーガーの奥方が務まる訳も無かろう。


 お二人は婚約後、もう既に2,3年の年月が経過しているとも聞く。
 その事実とは お二人の相性の良さを証明している証拠でもあろうし。

 原左都子がエッセイ集のバックナンバーにて公開したような、大谷選手がお相手女性をを“家政婦”との視点で見ることは皆無のお二人の関係なのであろう。

 それだけでも何となく安心させてもらえた、今回の大谷選手ご結婚相手報道だった。
 

「ねえ 彼女、お茶しない??」の古き良き時代

2024年02月24日 | 恋愛・男女関係
 私が郷里から上京した頃は、まさにそんな時代だった。
 参考までに、私が上京したのは1970年代後半時期だ。

 我が上京目的は都内の某医学関係企業に就職するためだったのだが、未だ20代前半期のうら若い乙女(?)時代でもあり。

 休日に都内繁華街(新宿、池袋、六本木界隈)へ出掛けると、見知らぬ男性(というよりも男の子と言うべきか)、から冒頭の声がかかったものだ。
 
 「ねえ 彼女、お茶しない?」

 以前もこの話題をエッセイに書いた記憶があるが。

 これなど至って健全な男女の出会いと言えないだろうか?
 とりあえず サテン(喫茶店のことだが)でコーヒーでも飲みながら、お互いの事を語り合おうよ」てな訳だ。

 その誘いにすべて応じる訳ではないが、我が感覚から(この子、いい子っぽいなあ)と感じた男子の誘いには、よく乗ったものだ。
 とにかくまさにお茶を飲みながら、よく語り合った。
 その第一印象が良くお互いに話しが盛り上がると、とりあえず次回会う約束をしたなあ。 その回が重なって意気投合すると、彼氏(彼女)として認めることとなるとの図式だ。

 もちろん、職場でもお誘いはあった。
 大抵は「夕食一緒に食べよう!」だったものだが、こちらの方は同じ企業に勤めている関係で素性が知れているので、安心度は高かった。
 (社内結婚が多いのもうなずける。皆さん、特に結婚ともなるとそんな安心度を優先したのだろうなあ…)

 片や私の場合は、同企業、同種職業の男性よりも、外部で知り合う男性の方によほど興味があったものだ。

 既に時効が成立している😷 故に、私が上京後若き時代にお付き合いした男性の職業等々を語ると。 「工業デザイナー」、「医師(同業ではあるが職場が全く異なる人物だった)、「IT技術者」、等々)かな??
 ちなみに我が亭主(物理学研究者)は晩婚見合いにて知り合い 即刻婚姻に至ったため、付き合い期間は短かった。



 私事はどうでもよく、勝手に言ってりゃいいとして。😜 

 本日 2024.02.24付朝日新聞「悩みのるつぼ」の相談は、30代男性による「『ぼっち』の僕でも彼女が欲しい」だった。

 参考だが、「ぼっち」とは「ひとりぼっち」のことらしい。 近年、特に独身男性にこの「ぼっち」が多発している模様だ。

 今回の相談者の「ぼっち」さんも、生まれてこの方彼女がいないらしい。
 その身にして、彼女が欲しいとおっしゃる。
 ところが、自身の手札(経済力、容姿、経験値、コミュニケーション能力)を考えると、女性に選ばれる要因も相手を楽しませる自信もないそうだ。😲 
 それでも彼女が欲しいらしく、とにかく一度恋愛をしてみたいとのこと。
 ご趣味は、漫画、アニメ鑑賞、アイドルグループの応援(イベントには行ったことが無いらしい)、とにかくインドアタイプらしい。



 最後に、原左都子の私見を書かせていただこう。

 自身の上京直後を振り返ってみるに、実に“古き良き時代”だったものだ。

 街で声を掛けられてそれに乗ったとて、相手はまさか実はホストのおにいちゃんで大金を貢がされるとの事も皆無。😱 
 いやいや、私に声を掛けてきた男子たちは実に“いい子”だったよ。「ごめんなさい」とお断りしても、すぐに素直に引き下がってくれたし。
 当時は喫茶店で会話が一般的だった(あくまでも私の場合は)が、その会話が成立してまた会おうとなった場合のみに、電話番号交換等々をしたものだ。


 今の時代は「個人情報保護法」の成立や、世の危険性が想像以上に極大している現実下において。
 実際問題、人と人が安易に知り合いにくい社会と成り下がってしまっている… 

 何だか現代の若者を気の毒にも思いつつ。
 こんな世の中において「ぼっち」が増殖するのはやむを得ない現実と、受け取らざるを得ない現状なのか…


DJ SODAさん 胸触られ事件、「財布が見えたら盗んでいいのか」は論旨すり替え過ぎでは??

2023年08月22日 | 恋愛・男女関係
 冒頭から、ネット情報を引用しよう。

   繰り返される性被害者の非難 識者「財布が見えたら盗んでいいのか」
 
 韓国の女性アーティスト「DJ SODA(ソダ)」さんが、大阪での音楽フェスティバルで観客に突然胸を触られたとSNSで声を上げた。 これに対し、DJ SODAさんの服装のせいではないかなどという反応が相次いだ。「露出が多いのは危険」「服装を変えるべき」――。内閣府「女性に対する暴力に関する専門調査会」委員で広島大学准教授の北仲千里さん(56)は、どう見たか。
  • DJ SODAさん「フェスで性被害」、主催者が男女3人を刑事告発       
 大学の授業でよく学生たちに伝える例があります。「かばんが開いていて、中に入っている財布が見えていたら、盗んでいいのか」「玄関の鍵がかかっていない他人の家に黙って上がり、テレビを見ていいのか」
 性暴力の被害者に対し、「隙があったから」「誤解される服装や言動をしたから」といった言葉が投げかけられがちです。でも、窃盗や住居侵入などと同じように考えてみてください。人の物を盗んだり家に押し入ったりしてはいけないように、人の体を許可なく触ることは犯罪です。

  (以上、ネット情報より引用したもの。)



 この事件に関する映像を伴ったニュース報道を、原左都子もテレビニュースで何度も見た。

 それを見た、正直な感想を述べさせていただくと。

 一番の“諸悪の根源”は、スタッフがSODAさんを高い舞台からずっと下の位置にある観客席に降ろしたことではなかっただろうか??
 年季が入っているこの私など、あの“胸あらわなSODAさん”を男性スタッフが抱きかかえて下へ降ろす”映像からして、“卑猥感”が否めなかったものだ。😫 

 そうしたところ、当然ながらSODAさんが一目散に観客席に走り寄る。
 これって、「SODAさんに直接触れられる演出なのだろうか??」と勘違いする観客も存在したかもしれない。

 しかもだ。
 何人かの男性に胸に触れられた後も、SODAさんは満面の笑顔を振りまきつつ観客の握手に応じている。
 もしも 一番最初の男観客に胸に触れられた時点で、「Don't touch my breast!!」と怒りと共に叫んだならば、そこで音楽フェスティバル自体が中断したのではなかろうか?

 私の推測だが、若手タレントがそんな事をして舞台を中断したならば後で“痛い目に遭う”に決まっているとの判断から。 SODAさんは舞台上では屈辱を我慢し、笑みを作り続けたのではあるまいか??


 いろいろな意味から、この事件フェスティバルの主催者の演出に落ち度があり過ぎるような気がする。

 そもそも元々、舞台の最後にSODAさんらを舞台から降ろして観客の直近まで連れて行く、なる演出が予定されていたのであろうか?
 そうではなく観客の熱烈要請に応えて、最後にそのような場を急遽しつらえて スタッフがSODAさんらを舞台から降ろした感がある。


 上記引用文中にある 某女性大学准教授氏のご見解に関しては、大きく的を外されているような感も抱く。
 「性暴力の被害者に対し、『隙があったから』『誤解される服装や言動をしたから』といった言葉が投げかけられがちです。でも、窃盗や住居侵入などと同じように考えてみてください。」とおっしゃるが。

 今回の事件は、プロ集団がイベントを行っている最中に発生している。
 SODAさんにとっては“隙へったくれ”は何ら関係ないし、この場がイベント会場舞台であり、自身が好んで“誤解される服装や言動”をしていた訳では決してないであろう。
 考えようによれば、スタッフに舞台下まで引きずりおろされて観客の手がちょうど自分のあらわな胸に届くところに連れて行かれ、何人かに触られても笑顔を保ち続けたSODAさんの“プロ根性”をプラス評価するべきだろう。


 SODAさんは、その後以下のような発言をしている。
 「特定の国を非難するためこの事件を公論化させたのではない」

 そのSODAさんの発言を有難く思いつつ。


 男性どもよ。
 自分の手が届くところに女性の綺麗な乳房が偶然表れようが、絶対的に安易に触ることなかれ!!だ!😡 

 自身の力量で愛する彼女や伴侶を求め自らの愛でゲットした後にのみ、それに触れる特権を得るという事だぞ。