原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

見た目と実年齢のギャップをどう埋めましょ?

2012年05月31日 | 自己実現
 「実年齢より若く見られたい」…
 巷の美容関連広告上で、現在このフレーズが溢れかえっている。

 「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いても、“実年齢より若く見える事の価値の程” をテーマとしたエッセイを再三公開してきている。
 ここで私論を一言でまとめるならば、 「その価値はさほどない」 との結論となる。
 と言うよりも、むしろ私の場合は年齢相応に見てもらえない事による“弊害”こそが大きい現実を、自身の経験談を交えつつ綴って来ている。


 つい最近も、その類の会話を幾度か経験した。

 いつも通っているトレーニングジムで年配男性に声をかけられた事例。 
 「最近、“お連れさん”の姿を見かけませんね。」
 「ああ、あれは私の娘なんですが、学校が始まったのでジムに来る時間が取れないんです。また娘が夏休みに入ったら連れてきます。」と応じる私に、 驚いたように、
 「えっ!? あの“お連れさん”は娘さんだったんですか?!?」

 娘を初めて同伴した別の場での事例。
 「これ、私の娘ですが、今日一緒に連れてきましたのでよろしくお願いします。」
 「えーーー! ○さん(私のこと)て、こんな大きな娘さんがいらしたのですか??!」

 3月にアートフェア東京会場でお会いした画家の城戸真亜子さんとの会話に於いても、
 「娘の好みを尊重して、こちらの絵を購入させていただきます。」と申し上げたところ、
 「えっ? こちらの方、娘さんでいらっしゃったのですね!」と、真亜子氏が返して下さった。

 これらの事例の場合、年齢云々の問題ではなく私に「母親」らしい雰囲気がないという観点の話なのかもしれない。  まあそうだとしても、私自身にも実際と見た目に大きなギャップが存在することは確かなようだ。


 今回この記事を綴るきっかけを得たのは、朝日新聞5月26日付朝刊「ひととき」欄への投稿である。
 早速、71歳女性よりの 「見た目より若いのよ」 と題する投稿を以下に要約して紹介しよう。
 私が老け顔を意識したのは30歳を過ぎた頃だった。 結婚式に出るため衣装を借りにいったところの店員さんに「まだ40になってないですよね?」と言われ、驚きつつも「まだ少し先です」とだけ答えた。  バスツアーで同席した女性に「何年生まれ?」と聞かれ正直に答えたところ、彼女も正直者だったらしく「思ったより若いのね。」  やはり旅行中に親切な男性が階段で「危ないですよ」と手を取らんばかりに気遣ってくれる。挙句の果てに「昭和1けた生まれでしょう?」 私は16年生まれ。「かろうじて2けたですよ」と答えつつ、せっかくやさしくしてくれたのだから肯定しておいてもよかったかなと思った。  つい最近もツアーの女性グループと同席した食事の時「何年生まれ?」の質問が出た。私の答えにやはり驚きの声。 すっかり慣れて、もはや楽しんでしまっている。
 

 原左都子の私論に入ろう。

 投稿者ご自身も書いておられる通り、この投稿内容から何だかほのぼのとした楽しい雰囲気が私にも伝わって来るのだ。
 この投稿を一読して、私は2つの意味合いでプラスの感覚を得させてもらえた。

 その一つとは、例えば旅先等の“一期一会”の人間関係を如何に作り上げるかとのテーマとなろう。
 投稿者女性からは、旅先の場において人と人とのコミュニケーションを一時なりとも成り立たせるべく配慮している姿が見て取れる。  “見た目よりも老けて”見られている自身を卑下するでもなく、投稿者女性は自身に話しかけてくる他者の心理を見抜き、それに沿うべく対応できている。  この「客観力」は素晴らしい、と私は感じる。
 階段で手を差し伸べてくれた男性の事例に関しては、おそらくこの女性が醸し出すそんな雰囲気を感じ取って、その種の“やさしさ”が男性から自然と出たのではないかと私は判断する。 せっかくそういう場面に直面したならば、この女性も自身の本性を曝け出しておくと今後の新たな展開もあったのかもしれない… (などと、お年寄り同士の恋愛を身勝手に煽ってる私だね…

 もう一点、この投稿よりプラスに感じる事象とは、近年施行された個人情報保護法など超越してご年配の方々がコミュニケーションを楽しまれている情景である。
 既に70歳を超過されている年代の人々の付き合いにおいては、まず年齢を確認することがスタートラインなのであろう。
 ところが原左都子程の現役世代の年代においては、上記個人情報保護法の確固たる“強制力”により、今となっては見知らぬ他者に対して「年齢」を尋ねることなど“御法度”の時代背景と相成っている。

 この個人情報保護法こそが、一般市民間の人間関係形成に於いて最大のネックとなってしまっていると私は感じる。 
 この法律の意義を真に理解していないと思しき一般市民同士の関係に於いて、「個人情報にかかわる話は避けねばならない」との認識が蔓延ってしまっている。 そのため人と人との関係作りが“遠回り”になることを余儀なくされている現実だ。

 “初対面同士で年齢を聞いて、聞かれて何が悪い!?” と、私など感じる種の人間である。
 人を勝手に若く見て身勝手で失礼な対応をする前に “真っ先に年齢を聞いたらどうなの?” と主張したい思いを若き頃よりずっと引きずっている私だ。


 そんな折、原左都子が昨日訪れた美容院に於ける新たな担当美容師氏の対応は十分に“合格”だった。
 以前にも公開したが、私が通っている美容院はウィッグ専門会社経営であるため「個室対応完全予約」制を採用している。 ところが前回まで担当してくれていた美容師氏が転勤し、今回新たな美容師氏の担当となった。
 この美容院では「カルテ方式」を採用しているのだが、我が新たな担当美容師氏(男性)が今回自分の顧客となる私の過去のカルテ情報を十分に確認した上で、昨日対応してくれたのだ。  これは感激である。 過去に於いては恐らく「個人情報保護」観点から故であろうが、担当者が変わる度(おそらく若い世代の)担当者に対してこちらからいちいち“事情説明”をせねばならなかったのに比して、ずい分と楽チンできた思いだ。
 その上、新担当美容師氏は「お客様と同年代です」と自己紹介して下さる。 これも良かった! そうなるとその後個室内で2人の会話がはずまない訳がないのは歴然の事実だったという事だ。 


 今回のエッセイのテーマは 「見た目と実年齢のギャップをどう埋めましょ?」 と題した。

 そのギャップを埋めるために一番手っ取り早い手法とは、“年齢を公開すること”と結論付けたい思いだ。
 こちらから他者の年齢を尋ねることは控えた方が良い場合もあろうが、自分から年齢を語る事がどうして否定されねばならないのだろう?
 「自分の方が年上だと公開して、それを根拠にえばるな!」 との若い世代よりのご意見もあろう。
 だが、私はあえて自分の年齢を公開したい思いだ。 何故ならば見た目の程はともかく、相手がたとえ初対面であろうと同時代を生き抜いてきた“同士”との会話とは、自然体で楽しく活気付ける時間と場を共有できる源泉となるからに他ならない。 “見た目が同じ位の若き世代”との会話に参加して同調を無理強いされる事とは、正直言って時折窮屈で鬱陶しい場合もある。

 原左都子に娘がいるように見えようがそうでなかろうがそんな事は二の次でよいのだが、 今後年老いて更なる他者との充実した関係を続けるためには、ますます「年齢」がキーワードになりそうに考察する私だが、如何であろうか?

生活保護者を量産する前に行政がやるべき事

2012年05月28日 | 時事論評
 本日昼のNHKニュースによると、東京都板橋区とは「生活保護者」を特異的に数多く抱える自治体であるらしい。
 その現状を受けて、先だって板橋区在住の「生活保護者」を対象に就労意欲及び就労活動の実態に関するアンケート調査が実施されたとの事である。 その結果、就労活動を行っている「生活保護者」は4割にしか満たず、しかもその活動をハローワーク等公的機関に頼っている市民は数少ないとの報道であった。(私の記憶に頼っているため正確でない場合お詫びします。)

 このニュースを見聞した私は、先程ネット上で上記実態に対する板橋区の対策に関して検索し以下の記述を発見した。 早速紹介しよう。
 東京都板橋区は、増え続ける生活保護受給者の就労支援策の強化で区内3福祉事務所で相談から職場紹介まで一貫して支援する仕組みを整備することを決めた。 年150人程度の就職者の増加を目指す。 2012年1月30日に発表した2012年度当初予算案で関連経費6285万円を計上した。
 3福祉事務所の無料職業紹介事業所の機能を生かし、4月以降、求人開拓や職場紹介を積極的に進める。 これと並行して、個別相談やセミナー、開拓職場での就労訓練などを効果的に組み合わせ、就職を実現していく。 
 板橋区内の生活保護者は12年度、前年度比7.1%増の1万9000人超(月平均)に達する見込み。 新年度予算案に生活保護費約334億円(前年度当初比4.7%増)を盛り込んでいる。 板橋区の2012年度当初予算案は、一般会計の総額が1815億3000万円(前年度当初比3.2%減)。区民税減収などの歳入不足を補うため、財政調整基金から約52億円を繰り入れる。
 (以上、ネット上の情報より転載)


 原左都子も「生活保護」に関する情報を巷で時折耳にする機会がある。 次にその事例の一部を紹介することにしよう。

 「今の時代、下手に働くよりも生活保護を受けた方が楽チンだし、その審査は結構簡単に通過できるようだ。 自分もそうしようかなあ。」 (発言主は冗談半分だったようだが、都内に不動産物件を所有しているものの現在収入源がなく多少生活に困っている人物の談話である。)

 「原左都子エッセイ集」バックナンバーのコメント欄にも、医学分野の仕事上実際に生活保護受給者と係った人物より、「比較的豊かな生活をしている」とのレポートを頂いている。

 我が身近にもその実例に近い人物が存在する。
 いわゆる“玉の輿”に乗って裕福な相手と婚姻した当該女性本人は現在“左団扇”の暮らしをしているのだが、その女性の遠方に暮らす実家一族が皆「生活保護受給者」であるとの事だ。
 こういう事例の場合、行政上如何なる判断が下されるのであろうか?
 本人には何らの所得も資産もないこの“玉の輿”女性には、「生活保護者」である血縁家族を援助する義務は法律上発生しないのだろうか?? 
 と考察した場合、現行法上では確かに“玉の輿”女性にその法的義務はないと判断されそうな気が原左都子もする。 女性のご亭主が自主的にその援助を申し出れば話は別だろうが、そうでない限りこの女性(子供は一生産まない主義のようだが)は、ご亭主亡き後の遺産を自分の家族に分配するとの方策となろうか?

 これに近い話題が、人気お笑いコンビ「次長課長」河本氏のニュースだったのではなかろうか。 
 ところが、こちらは「生活保護者」である対象が河本氏のご実母すなわち“血縁親族”であるため、法的な判断が上記事例とは異りそうだ。
 私は“お笑い系”には疎いため河本氏に関する知識がない上に、氏に現在一体どれ程の“稼ぎ”があるのかも一切存じていない。  それにしても今回河本氏が実母の「生活保護受給」に関して “めちゃくちゃ甘かった、一部返還します” とメディアを通して詫びる姿を辛い思いで見守った私である…。  お母上が現在生活保護者であるということは、ご本人もそれなりの人生を歩みつつ芸能界で現在の成功を勝ち取ったのではあるまいか?
 ご実母の「生活保護」の実態を見逃していたと本人は言うが、芸能界の不安定要因を優先してあえてその対応をお母上に続行させていたとも考察できる河本氏の心情を思うと、少し切ない思いにもなる……


 ここで少しだけ「生活保護」制度について補足説明をすることにしよう。
 
 「生活保護」制度とは、人間が「生きる権利」を市民の税金で守ろうとする制度である。
 「日本国憲法」は、国民が「健康で文化的な最低限度の生活」を送る権利を保障している。 これに基づく「生存権」の一つとして「生活保護」制度が存在する。 

 ところが現在、国の政治経済の失策混乱により全国で200万人を超過する「生活保護者」を行政は量産してしまっている。 これら政治経済の失策混乱は今後益々増強するとの見通しである。

 そうなると、今後一体「生活保護者」の面倒を誰がみるの?  との議論となろう。

 野田総理率いる現在の民主党政権幹部は、早い話が手っ取り早く「消費税」を増税して今まで以上に国民市民よりの血税投入を強化するとの手段で、国民全体の社会保障をしていこう! と主張していることは皆さんご存知であろう。
 もちろん、税金の種類によってそれが「国庫」財源となるか「地方」財源となるかは異なる。 そうとはしても、上記東京都板橋区の事例のごとく特異的に数多い「生活保護者」を抱える自治体には、「国庫」「地方」関係なく結果として市民の巨額の血税が投入され続けるのだ。


 今回、表題に掲げた 「生活保護者を量産する前に行政がやるべき事」 の私論に移ろう。

 対象が何であれ行政が一旦「社会保障」との名目を掲げさえすれば、それが庶民に“正当化”されるはずと安直に判断し、それにお金を注ぎ込む政党は「よき政党だ」と信じさせよう、とのその単純思想自体から見直すべきではないのか。
 そんな訳はない。 我が国において政権政党が劇的に変わろうとも結局その政権施策が国民に受け入れられず、経済難が続行している我が国の現状をもっと鑑みるべきである。


 「生活保護者」対策に関しては行政が突っ込んで個人情報調査を強化するべきだ。

 例えば上記に紹介したが、我が知り合いには都内有数の立地条件下に資産価値が高そうな不動産物件を所有しているにも係らず、現在収入がないことを理由に「生活保護」の申請をしようかと冗談半分ながらもたくらんでいる人物が存在する。
 あるいは、自身は“玉の輿”に乗って「左団扇」の生活をしつつ、田舎の血縁家族の「生活保護者」を放置している人物もいる。
 この種の事例の場合、公的財源に優先して個人財産や家族の財産を救済策に当てるさせるという手立ては打てないのであろうか?

 具体的に言うと、自治体市民よりの「生活保護」申請に当たって特に個人財産に関してはその調査を厳密に行うべきではなかろうか。 高価値資産を所有している場合など、当然それを売却して生活費に当てさせる事から行政指導を始めるべきではないのだろうか?
 それに加えて、当人への就業指導も欠かせない行政の役割であろう。

 東京都内23区内に住んでいる原左都子としても、「生活保護者」を数多く抱えている板橋区に於いては、その現実に甘んじ放置することなく今後共区を上げて対処して行く事に期待したい。

「読み聞かせ」って教育者側の傲慢・自己満足だよ

2012年05月26日 | 教育・学校
 (写真は、朝日新聞5月21日付4コマ漫画 いしいひさいち氏作「ののちゃん」より転載)

 いつものごとく写真が鮮明でなく見辛いため、今回の漫画登場人物のセリフを以下に紹介しよう。

 ののちゃんの担任   「猫久保さん、なんかえらそうよね『読み聞かせ』って。
 猫久保さん      「いえいえ、これは。」
 猫久保さん      「本は自分で選んで『読み」なさいと言い『聞かせ』るんです。」
 ののちゃんの担任   「『言い聞かせる』がまたえらそうだわ。」
 猫久保さん      「いえいえ子供たちが選んだ本に口を出しちゃいけないと…」
 猫久保さん      「自分に言い聞かせてるんです。」
 校長(?)      「結局なにもしないんじゃないですか。」


 早速、原左都子の私論に入ろう。

 ののちゃんの担任先生(確か“藤原先生”と記憶しているが)、よくぞ言ってくれた!との思いである。 
 私も以前よりまったく同見解で、表題のごとく、この“教育言語”から教育者側の傲慢さを匂い取り嫌悪感すら抱かされる言葉と認識している。
 
 この「読み聞かせ」とやらの言葉を私が意識し始めたのは我が子が幼少の頃であった。
 参考のため、「読み聞かせ」の由来と歴史をウィキペディアより以下に参照してみよう。
 読み聞かせ(よみきかせ)とは、主に乳幼児期から小学校年齢の子供に対して、話者がともに絵本などを見ながら音読する行為である。 1896年に巌谷小波が京都の小学校で行った口演童話(こうえんどうわ)がルーツであると言われている。 乳幼児期の情操教育・文字の習得などに効果があるとされる。 年齢が上がっても読書への導入としても有効であり、集中して話を聞く訓練にもなりうるため、小学校で読み聞かせの時間を取っている教諭も少なくない。
 (以上、ウィキペディアより引用)


 我が子幼少の頃より“お抱え家庭教師”として君臨し続けている原左都子にも、当然ながら娘相手に「読み聞かせ」を施した経験はある。
 ただ子供とは親の背中を見ながら育つ事を実感であるが、当時より「読み聞かせ」との言葉に嫌悪感を抱きつつそれを実行する私の態度には自然と“とげとげしいもの”があったのだろうか??
 結局、我が子は「読み聞かせ」を好まなかった。
 いや、それは単に「読み聞かせ」た本の内容が子供の見聞きする能力レベルに釣り合っていなかったのではないのか? 等々と、世の教育者と名乗る方々からご意見が届きそうな事も重々想定内だ。  そこのところは、子供の個性を尊重し、その能力を客観的に分析評価する事に重点を置いていた私の判断には狂いはなかったと結論付ける。
 あるいは親である私が義務感で「読み聞かせ」をやっていたのではないか、とのご意見もあろう。 それに関しては部分的に受け入れ可能な私だ…。

 と言うのも、特に家庭内に於ける子供の教育に際しては必然的に親の興味関心が優先されるであろうし、そうであってよいと私は結論付けるのだ。
 我が子の例を挙げると、実に「音楽」を好む子だった。 日常生活の中で自然に歌や踊りを楽しむ私につられ、物心ついた頃よりやはり自然と私と共に音楽を楽しむようになった。
 事情を抱えて出生し、幼少期には言葉や運動能力の有意な遅れを余儀なくされていた我が子である。  そんな娘が遅ればせながら言葉を学んだのは「歌」からであり、体を動かす楽しさを知ったのも「音楽」からであったと、当時自宅内で撮影したビデオを見つつ振り返ったりもする。
 例えば、我が子が1歳半の頃に母子で楽しそうに歌い踊るビデオを保存してある。(昨年、娘の成長記録ビデオをすべてDVD化した私だが)  当時まだ日常生活の中で我が子の発語がないと認識し困惑懸念していた私だが、そのビデオによると娘が歌の歌詞の一部を明瞭に発語出来ていることに今さらながら気付かされたりもする。
 加えて(手前味噌な話で恐縮だが)、我が子には「絶対音感」がある事を幼少の頃ピアノを習っていた時に教師より指摘された(それ以前より私自身も気付いていた)のだが、これに関しても1歳半頃のビデオで既にその片鱗を見ることが出来るのだ。 


 今回のテーマである「読み聞かせ」に話を戻すと、我が子がそれに興味を示さない現実を鑑み、“お抱え家庭教師”である私は娘に無理強いすることをあえて避けて来た。
 先人達に学んで“良かれ”と親が欲する教育行為が、むしろ我が子の長き将来に渡る成長にとってマイナスとなる弊害もある事実に思いを馳せ、それを避けたいと志した故である。

 「読み聞かせ」の教育上の有効性とは上記ウィキペディアの記述にもあるように、子供自身に今後「読書」に接する機会を与える一つのきっかけを作ることにあるのだろう。
 そういう趣旨であるならば尚更、何も子育てが大変な幼少の時期に親自身が義務感で苛々しつつそれをこなさずとて、他に有効な手段は豊富に存在すると捉えたのだ。 
 例えば原左都子自身は独身時代より新聞を読むことを好み、時間が取れる限り日々それに時間を割きつつ我が時事問題に関する批判精神を育成してきている。  この世に生まれ出てまもなくそんな母の姿を見て育つ娘も、いずれは自然と新聞等メディアよりの社会現象報道に興味関心を持つであろうと期待したりもした。  事実、我が娘にその一面が育っていることに関しては最近本エッセイ集にて紹介したばかりだ。
 しかも、上記漫画に登場した猫久保さんがおっしゃる通り、将来的に子供が興味を持つ分野は多種多様であってよいのは当たり前で、子供自身が何を選んで読書してもよいはずだ。


 もう1年半前頃であろうか、滅多に医療機関を訪れない私が個人医院を受診したことがある。
 その時、その狭い待合室で絵本の「読み聞かせ」をしている母子に遭遇した。
 最初は、確かにこういう場に於いて幼少の子供を静かにさせる手段として、待合室に置かれている絵本を有効利用する手もあろうと感じた。  ところが、子供が母親の「読み聞かせ」に退屈している姿が歴然である!  それでも母親は読む声を荒げてまでそれを続行しようとしている…。  こうなると、その母親の読む声自体が他の患者さん達に大いなる迷惑となるのは当然だ。
 それも承知の上で、現在教育界が推奨している「読み聞かせ」行為ならば世に受け入れられるとの待合室での母親の判断だったのかもしれない、と悲しくも推測した私である…。
 公共の場に於いての「読み聞かせ」とは実に難儀なことを思い知らされた情景だった。
 むしろ、昔のように小さい子供が医院の待合室で暴れる方が自然体として周囲に許容されると思ったりもするのだが、如何なものか?


 今回の「原左都子エッセイ集」記事の結論に入ろう。

 子供達に「読書」を奨励する趣旨で「読み聞かせ」との言葉を提唱した教育界の思いも少しは理解可能な原左都子である。
 ところがもしかしたら、先人達は「読書」の奨励の仕方を大いに誤ったのではなかろうか??

 ここは上記写真の いしいひさいち氏作「ののちゃん」を引用させて頂きつつその結論を導こう。
 「読み聞かせ」との言葉は、教育者側が“えらそう”な立場から子供を指導せんとしている印象でしかない。 
 子供の教育とは、あくまでも子供を主体として成り立ってゆくものであろう。 
 その原点を大人がわきまえられたならば、「読み聞かせ」などとの“命令的”かつ“自己勝者的”な言葉を可愛い子供達に対して発する必要もないであろうに……

 今後子供達に本気で読書を奨励したいのであれば、その言葉を選び直す事から再出発するべきとの思いでこの記事を綴った原左都子である。

時代を超越して存在感を誇るアクセサリー達

2012年05月24日 | 芸術
 (写真は、昨日訪れた東京都目黒区の住宅地にひっそりと佇む 「アクセサリー ミュージアム」 にて買い求めたお土産品。  左は自分用の黒のイヤリング、下は娘へのお土産の赤系素材を使用したストラップ、 2枚の絵葉書の左側は1940年代フランス パリ・ヴァンドーム社製作のラインストーンチョーカー、 右側は1950年代アメリカのベークライトで製作されたチェリーモチーフアクセサリーのセット)


 今回の記事を綴るに当たり、まず上記「アクセサリー ミュージアム」に関して当該ミュージアムがネット上に公開されているHPを参照しつつ、紹介させていただくこととしよう。
 このミュージアムは、近代ファッションやコスチュームジュエリーに特化した私立美術館としては日本最大の規模を誇っている。 展示されているファッションアイテムは予想をはるかに超えて数多いのに加えて、アクセサリーに用いる素材の美しさを追求せんとした工夫の歴史的原点を十分体感できる美術館でもある。

 当該HPより館長であられる 田中元子氏 の記述を要約しつつ、以下にさらに紹介させていただこう。
 一瞬たりとも立ち止まることのないファッショントレンドはいつの時代も世相を映し、人々の「希望」の姿でもあった。 アクセサリーはそうしたファッションの傍らに常にあり、人々を飾り引き立て、時にはファッションを凌駕する存在感を主張してきた。 流動性が高いファッショントレンドの中にあって、アクセサリーはことさら潔くその場を立ち去っていくが、その動きの中で多くの技法や繊細な手仕事、素材などを失ってしまう結果ともなった。
 1960年代から日本のコスチュームジュエリーに携わり、現在に至るまでその変遷を肌を感じてきた私どもが折にふれコレクションしてきたジュエリー…。 そこには既に伝説化している、遺産とも言うべき職人達の高い美意識と知恵や工夫が結晶化している。 
 この度、私どもが設立した 「アクセサリーミュージアム」 では、これまで私的にコレクションした1950~2000年代に至る近代ファッション150年余のコスチュームジュエリーを文化・風俗といった時代考証を加えて展示している。  多くのものを失っていく一方で、新しく生まれまた蘇るものもあるのがファッションであり、アクセサリーである。 まさにそれは人の、そして時代の一生そのものと言える。
 私どもはこの 「アクセサリーミュージアム」 を通し、コスチュームジュエリーにご興味のある全ての方に、装いと共に生きることの豊かさ、それぞれの時代の持つエネルギーを感じて頂ければと思う。 小規模ながら表面的なものではない真の美しさとは何か、人が装うことの意味を問いながら、現在未来のすべての創造者への刺激となることを祈っている。
 (以上、「アクセサリー ミュージアム」館長 田中氏のHP記述より引用させていただいた。)


 原左都子が上記ミュージアムの存在を知ったのは、昨年も本エッセイ集にて紹介した「ぐるっとパス」を介してであった。 
 ここで参考のため 「ぐるっとパス」 とは、「東京の美術館・博物館等共通入館券実行委員会」が発行する 1冊¥2000ー との超格安にて購入できる、有効期限2ヶ月間内に提携各施設へ入場あるいは割引にて利用可能なチケット綴りである。
 「ぐるっとパス」を購入したのは今回が3度目の私だが、そろそろ目新しいミュージアムを訪問したいと志していた。 そんな思いと共に「ぐるっとパス」のページをペラペラめくっていて発見したのが、上記「アクセサリーミュージアム」だったのだ。

 何十年来スリム体型維持にこだわりお洒落好きな原左都子であるが故に、日頃、洋服と合わせるアクセサリーにも一応の関心がある。 
 かと言って、まさか本物の宝石には手が届く訳もなく(母や義母からそれらを多少譲り受けてはいるがデザイン面でダサくて好まず、ほとんどが鏡台の肥やし状態…)  普段自分で買い求めるのは似非物のアクセサリーばかりであるが、それでも自分なりにコーディネートして決まっている!と思える方が断然居心地がいいのだ!  宝石の価値を知る人にとっては、「何でこんな安物で満足してるの?」との評価となるであろうことは承知の上だが……。

 そんな私にとって、今回「アクセサリーミュージアム」を訪れるに当たり、一抹の不安材料が存在したことも確かだ。 私設ミュージアムであることはHPにて心得ていた。 もしかしてミュージアムショップで高額の宝石購入を強要されるのだろうか?!?
 そんな不安材料が無きにしもあらずだったものの、それでも私は是非共展示を観賞したいと志し昨日「アクセサリーミュージアム」へ一人で出かけた。

 私設のミュージアムとしては予想をはるかに超えてアクセサリーのコレクションが数多く、しかも素晴らしく整備コーディネートされた会場内に於いて、年代別に整然と数々のアクセサリーが展示されているではないか! (絵画や洋服、小物類も展示されている。)
 しかも、昨日はこの時期にしては思わぬ冷たい雨天だったことが功を奏したのか、私一人の来訪者のためにボランティアと名乗られる係の方が会場をずっと案内して下さったのである! (これは実にラッキーだったと後で振り返るのだが、そのボランティアの方のお名前をお伺いせずして大変失礼申し上げました…


 「アクセサリーミュージアム」に於いては、入口受付から年代順にコスチュームアクセサリーが展示されている。
 まず2階の入口を通過すると、そこには「アールデコ」の世界が広がっている。

 原左都子にとっての“アールデコ”との出会いは、東京都庭園美術館に位置する“旧朝香宮邸”であったことに関しては既に本エッセイ集バックナンバーにおいて綴っている。
 その時、ルネ・ラリック氏による正面玄関ガラスレリーフ扉の写真も昨年10月に現地に訪れた時点で紹介した。
 遡って我が30代独身の頃、そして昨年10月と2度訪れた“旧朝香宮邸”であるが、アール・デコとは、1925年にフランス・パリに於いて開催された美術博覧会の略称を由来する名称であることや、皇族の子孫である朝香宮家が何故この白金台の地にアール・デコの館を建てるに至ったのかについては、その時代に朝香宮家の先祖である皇室の子孫が1922年当時にフランスに留学したからとの事、加えてその頃のフランスはアール・デコの全盛期であったと記憶している。
 その後“アールヌーボー”の時代に突入し、“曲線美”を強調する歴史へと移り変わる。


 今回、原左都子はアクセサリーミュージアムで展示物の数々を観賞させて頂きつつ、そこに展示されているコレクションの特徴とは、その「素材」にこだわって製作されたことを実感させていただけた。
 例えば「ガラス」一つにしても、“アールデコ”の時代より、そこに“カゼイン”や“魚の鱗”等を混入することにより輝きを微妙なものとした新素材を造り出し、宝石としての地位を得たとのボランティア氏のお話があった。
 時代を現代に移すと、私も子ども時代に記憶にある「セルロイド」とは壊れやすい学用品のイメージしかないが、これもアクセサリーとして立派な地位を築いた時代があったこともその美しい作品と共に観賞できた。

 とにかく、「アクセサリー ミュージアム」 のミュージアムとしての素晴らしさは必見である。 
 しかもミュージアムショップに於いても“高価”な宝石を強要されることもない。 原左都子のごとく手頃な価格の手土産を抱えて帰宅した殿方が、奥方や娘さんを喜ばせる事も可能であろう。



 P.S.  当「原左都子エッセイ集」の記事にメッセージを頂戴しましてありがとうございます。 大変申し訳ございませんが「アクセサリーミュージアム」に関するご質問に関しましては、当該ミュージアムへ直接お問い合わせいただけましたら幸甚と存じます。 よろしくお願い申し上げます。(5月24日記)

世紀の天空ショー

2012年05月21日 | 学問・研究
 (写真は、本日東京23区内に位置する我が家から観測した 金環日食 経時変化の様子を、原左都子がスケッチしたもの)

 冒頭から実に申し訳ない思いでおります。
 「なんだ、この小学生よりもヘボい絵は!」と、皆さん呆れておられることでしょう。


 それはとりあえず隅に置かせてもらう事として、私が住む東京都内でも本日の5月21日に、全国規模では932年ぶりという世紀を超えた 金環日食 を観測することが叶った!

 2日程前よりそわそわ落ち着かなかった私である。 と言うのも歴史的天空ショーが繰り広げられる21日当日は「曇り」との天気予報が出ていたためだ。
 決して「天文学」に詳しい訳ではないが、我が子幼少の頃よりプラネタリウムを観賞することを好んでいる私である。  何と言っても、我が地球からは大空である宇宙の営みに思いを馳せるだけでも、人間という“実にちっぽけで薄っぺらい存在”のはかなさを一時であれ思い知らせてもらえる事が叶う、そんな時空間を実感できる瞬間を私は好むのだ。


 ここで、上記の我が“小学生よりも下手くそ”な 金環日食 経時変化スケッチに関して補足説明をすることにしよう。
 
 朝いつも通りに起床すると天空は雲がかかってはいるものの、少し前より買い求めておいた「日食グラス」で東の空を観測すると、ちゃんと太陽が見えるではないか!
 その時のとりあえずの我が感想とは、「今時の季節の太陽とはほぼ真東に出没しているのだなあ…」と言ったところだ。(普段、太陽をじっくり見る機会などないからねえ…)  と言うのも我が家の台所は東側に位置していて台所に窓がある。 朝飯の支度をしながら、とりあえずはその窓からの観測と相成ったのだ。 (台所で朝飯を作りつつ片手間の観測スケッチ故に、このレベルの絵しか描けなかったと自己弁護しておこう。

 上記6時20分時点では、まだ太陽は 円 状態だった。
 その後雲が広がり少し太陽が見えにくくなったものの、よく観測すると右上が少し欠け始めている!  ちょうど娘を起床させる時間帯と相成り娘を叩き起こして2人で太陽を観察した時の様子が、上記6時40分頃の右上が明らかに欠けた状態だった。
 ここで補足するが、我が娘は昨日まで「日食」が何事なのかを全く心得ていなかった。  (現在の義務教育とはこの種の教育を施さないのだろうか? あるいは我が娘にとっては少しも興味を抱けないような教育内容だったのかもしれない…。 それじゃあ万人に平等に施すべく義務教育の存在意義がないよなあ~~) 
 私の場合は小学校時点で “部分日食” であったものの学校の授業中に観察した記憶がある。 その時には“下敷き”をフィルターにして日食を観察したのだが、担任教員自体が義務感で行っている事を直感できた私にとっては、少しも面白みの無い授業だったものだ……。 それでもその時の様子を“つまらない思い出”として鮮明に記憶している私だが、現在に至っては目を傷めるとの医学的根拠により学校現場における“下敷き覗き行為”は禁止されているとの報道である。
 そんな我が過去を振り返り、昨日娘に対し「日食」について私なりに教育伝授し娘の興味を煽りつつその実地観測を楽しみにさせていたのだ。 
 今朝6時40分頃起きて来た娘と共に観測したところその成果の下、右上が明瞭に欠けた太陽の姿を観測する事が可能と相成った!
 
 その後やはり雲が多いものの、月が太陽に重なっていく経時変化をスケッチできた。 

 東京に於いては、7時32分頃から「金環日食」が観測可能との先だってよりの報道だったが、我が家の上空は運悪くちょうどその頃から雲が太陽を覆い始めるではないか!  これでは一番美しい状態の金環日食が観測できない!と焦り始めていたところ、幸いなことに雲が少しずつ薄くなり始めた。 
 そして7時35分には、薄くなった雲がフィルターとなって“肉眼”にて世紀の「金環日食」を娘と共に観測できたのである。  娘も初めて“肉眼”で目にする「日食」を堪能した後、いそいそと大学へ向かった。  


 太陽の手前に月が重なり太陽が金色のリング状に光って見える金環日食は、私が住む東京以外の地域でも広範囲に渡って観察されたようだ。
 ただ、残念ながらあいにくの悪天候により今朝それが観測できなかった地域もあるとのことだ。

 国立天文台によると、国内で金環日食が観測されたのは1987年9月23日の沖縄以来約25年ぶりのことであり、そして冒頭に記した通り、日本の広範囲に於いては平安時代の1080年以来、まさに932年ぶりの天空ショーだったとの報道である。


 参考のため、今後日本国内で手軽に観測できる「天空ショー」を以下に少し紹介しておこう。

 2012年6月6日には、金星が太陽の前を横切る「日面経過」との現象が全国で観測できるとのことだ。 今回の観測を逃がすと今後100年以上観測できないらしいのでこれは必見である。
 それより少し先立って、6月4日には満月が欠ける「部分月食」も観測可能のようだ。夕方から宵にかけての現象であり西日本では満月が欠けたまま昇ってくるとのことで、その地方ではこれもお楽しみであろう。
 その後も今年8月14日には月が金星に隠れるらしいし、少し先の話をすると2014年5月頃には西の空で「水星」が見ごろとなるとの記述もある。


 本日昼のNHKニュースに於いても、「金環日食」を楽しんだ国民の皆さんの様々なコメントが紹介されていた。 
 その中で、原左都子と共通するのは「(宇宙で繰り広げられる出来事を観察すると)自分の存在の小ささを思い知らされる」との見解である。
 そのNHK昼の「金環日食」トップニュース後にすぐ、国内政権のごたごた報道(本日は原子力発電問題だった)が展開したのだが、まさに人間の営みの現実とは“阿呆らしく愚かな”ことに改めて愕然とさせられ興ざめした私だ。

 どういう訳か原左都子が本エッセイ集「時事論評」カテゴリーで政権関連記事を綴ると、いつもIP及びPVが突然大幅に下落するのだ。
 その根拠とは庶民の皆さんが「時事」にさほどの興味を持っておられない故だと分析している私であるが、「時事問題」特に政権関連話題とは、現世の人間にとって実につまらない対象でしかないのだろうと再確認させられる思いだ。
 
 こんな素晴らしい“世紀の天空ショー”を宇宙からまざまざと見せ付けられると、せせこましい地球上で愚かな闘いを繰り広げるしか脳の無い人類とは、実に微小な存在であることを再確認させられる。
 そんな事実を一時でも認識する機会を宇宙から得られる事は、この地球上に生命を得た人類の少しばかりの幸福であるのかもしれないとも実感する私である。