原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

一周忌法要の日に我が目に映った親族たちの光景

2014年06月29日 | 人間関係
 癌告知より7カ月間に渡る壮絶な膵臓癌闘病の後、昨年6月末に63歳にて命を終焉した義理姉の一周忌法要が、昨日都内墓地にて執り行われた。


 一昨年12月に身体の異常を訴えた義理姉の体内は、既に癌に侵されていた。
 即刻入院となり諸検査の結果、「膵臓癌末期、手術不能」の診断が下ると同時に、親族は余命3ヶ月~1年の宣告を受けた。
 本人自身が担当医にその事態を確認した上で医師より提示された余命を受入れ、抗癌剤投与を一切拒否して死期を待つ選択を下した。
 今後の将来に向けてまだまだ数多くの夢を抱いていた義理姉は、ホスピスでの病床にありながらそれら夢の実現を目指していたようだ。 と同時に近しい親族以外の面談を一切遮断し、心静かに死期を待つ覚悟も備えていた…。 
 昨年5月頃、医師より「後数日の命…」の診断が下った日、義理姉は自宅に戻って「死に際」を迎える選択をした。 ところがその後の生命力の程が物凄かった。 自宅ではホスピスにて体内に繋げていたチューブ類すべてを取り外し、経口投与可能な流動物のみ摂取状態でその後1ヶ月以上も命を繋いだ。 
 そして6月末のある日の早朝、義理姉は自宅ベッドにて静かに息を引き取った… 

 昨年7月初頭に施された義理姉葬儀の日は、夏の時期にして爽やかに晴れ渡り空気が澄んでいた印象がある。
 義理姉が亡くなった日の早朝に、自宅の庭に黄色の大輪の花が開花したそうだ。 それをご主人が押し花にして葬儀会場に持参し、棺桶に奉納しお別れした事が昨日の事のように我が映像として蘇る…。


 あれから1年が経過した。

 昨日の義理姉一周忌法要は、あいにくの梅雨時期末期の雨天に見舞われた。
 少し遅れてやってきた義母が、「1年なんて直ぐに過ぎるものね。 それにしても今日はこの雨模様で参列して下さった皆さんに申し訳ない思いだわ…。 あの子(義理姉)は気性の激しい所があったから、一周忌にこんな雨を降らせたのかしらね……」
 結局、墓地にての法要の時間帯は雨が降りやまないままだった。


 その後、一周忌会場は故人(義理姉)のご主人氏が事前に予約してくれていた「洋食店」へと移ろいだ。

 これに参加したのは、私も含めて6名である。 その内訳とは、義理姉血族が3名、後は血縁関係の無い親族達(私もその一員)である。

 ここで今回一周忌法要を迎えた我が義理姉親族に関して少し説明するならば、元々実業家一家であり過去の時代に於いて少なからずの営業利益を上げ続けて来た一族である。
 先々々(?)代が江戸日本橋に起業し代々引き継いで来た事業だが、残念ながら昭和戦後世代に移行して以降は、義理姉及び我が亭主が家業を引き継ぐ意思がないことが判明した時点で、義理母の判断にて事業すべてを“赤の他人”に有償で営業譲渡したとの歴史がある。
 現在に至っては手元財産運用の一環として「不動産貸付」を実施しており、その財産管理一切を長男の嫁であるこの私が義母より一任されている事に関しては、バックナンバーにても公開している。

 以上のような親族内の“力関係”の中、法要の席で血縁関係の無い私から発言出来る事柄など限られているのは重々承知の上だ。
 二次会「洋食店」会場にても、過去に事業を継続して多額の利益を計上し続けた“実質的権力者”である「義理母」中心に事が運ぶことなど「他人」の立場である私も重々承知の上だ。
 
 他家に嫁いだ立場の「他人」にとっては、嫁ぎ先一族内の力関係を把握せずして一族の一員として機能し得ない事を、この期に及んで改めて学習する思いだ。
 

 などと不謹慎な私事を綴り公開している以前の課題として、義理姉一周忌法要がすべて修了して帰宅した昨夜、ケアマンションに住む義理母より夜遅い時間帯に電話を頂戴した。

 「〇子さん(私の事)にはいつもお世話になっています。 本日は娘(私にとって義理姉)の一周忌に参列して下さいましてありがとうございました。 今後も青色申告等私の所有財産管理に関しては〇子さんにお世話にならないと事が済みませんので、引き続きどうか何卒よろしくお願いします。」 

 一族の要の立場で未だ君臨しそれを一族皆が暗黙の内に認めている“義理母”より、所有財産管理統括を今後も継続して欲しい意向を改めて受けたからには、私も今一度気持ちを引き締めその使命を果たし続ける事となろう。

頑張り方を誤らなければ、必ず夢は叶う!

2014年06月27日 | 自己実現
 今回のエッセイを綴るきっかけを得たのは、6月21日朝日新聞の“教訓”と銘打ったコラム記事を見た事による。
 その記事の題目によると、 「頑張れば夢かなう、ウソ」 

 (そうじゃないだろう、頑張れば夢とは叶うものだよ。)、と言い返したいのが我が私論である。
 もっと正確に表現するならば表題の通り、“頑張り方を誤りさえしなければ必ず夢とは叶うもの”だと、私は常々肝に銘じつつ行動している。


 一例を挙げると、前回公開したエッセイ「不動産という“生き物”の育て方、旅立たせ方」にて記述した自己所有不動産物件売却とて、私にとっては“ここ一番の頑張り対象”だった。

 私の人生に於いて今回の所有賃貸借不動産売却とは大きな課題であり、我が身にずっしりとのしかかった難題だった事は間違いない。
 この物件の売却時期等の条件判断を誤れば将来に渡り大損失を計上し続けるとの予見の下、如何に売却するかの手段方策選択に関して私は慎重に検討した。

 とりあえず、不動産仲介国内最大手企業に相談を持ち掛けた。 過去に於いて2度我が家の不動産物件売却仲介をお願いしている企業でもあり、おそらく“お得意様”として優待してくれる事に大いに期待した。
 ところが私の考えが甘過ぎたようだ。 (要約すると)「“貧弱物件”は我が社では取り扱えません。」とのけんもほろろの回答が返って来た。
 その後ひとまず、私は売却作業を休止した。 もうしばらく賃借人氏(よりの物件の瑕疵に対する苦情)の動向を見守りつつ、今後の売却対応を考慮しようとの方針に改めた。

 6月下旬のある日、ネット上で不動産売却に関する“役立ちそうな”情報を発見した。 すぐさまその情報にアクセスするなり、数社より「我が社が売ります!」「我が社こそがその専門です!」なる電話連絡が鳴り響くではないか!!  それに驚いている暇など無いばかりに、全ての企業が異口同音に我が物件売却に関する有意義な情報を披露してくる。 それら各社からの情報を私は短時間ですべて余すことなく聞き取り、現在の我が物件が如何なる価格や条件の下売却可能かを瞬時にして判断したのだ!

 このネット媒体にアクセスした事が、今回の「売却実行」に繋がった事は事実だ。
 結果としては一番高値を付け売却に関して一番熱心に動いた企業を、我が所有物件売却仲介企業と指名し私は売り出すに至った。

 上記不動産売買劇に於いて、私が如何に頑張ったのかに関して説明するならば、とにかく“情報収集”に心掛けた事だ。 昔ながらの志向で“大手に頼めば上手くいくだろう”などとの感覚とは遠い昔のノスタルジーに過ぎない事実を私は実感させられた次第だ。
 (余談だが、新鋭企業にも欠点が内在している事実を今現在痛感させられている。これに関してはまたの機会に述べよう。)
 とにもかくにも、所有物件を売却出来るに至った現在、我が頑張り方向を誤らなかった事実を自分で褒めたい思いだ。


 もう一例、原左都子が「頑張り方を誤らなかった」事例を述べよう。

 時は30年程前の時代に遡るが、私は当時30歳手前にして二度目の大学受験に踏み切った。 
 その際に頑張り方を誤らなかった事実とは、大学側から提示された特別選抜課題である。 これが当時の私にとって“お茶の子さいさい”内容だったと表現可能だ。 願書提出に際する「志望動機小論文」、それにパスした後の現地試験会場では「英検2級レベルの英語試験」、更なる小論文課題お及び「面接」が課せられた。 事前に試験内容を十分情報収集し(この課題ならば現在の私の実力で十分に合格可能だ!)と予測していた私であるが、すべての試験に於いておそらく高得点を挙げられたものと自負していたところ、案の定「合格」通知が届く結果と相成った。
 参考ではあるが、私はこの大学及び大学院に於いて凄まじいまで精力的に学業に励んだ結果、修士課程を修了して「経営法学修士」を取得するに至っている。 今尚、当時の指導教授氏より毎年“直筆入り”年賀状を頂戴している事実に、感謝申し上げたい思いだ。 


 私事の“サクセスストーリー”記述が長引いてしまい恐縮だが、以下に冒頭に記述した朝日新聞記事内容を要約して紹介しよう。

 「頑張れば夢叶う、ウソ」 との記事を担当したのは、お笑いタレント千原兄弟の兄氏であるようだ。
 その記述の一部を要約して紹介しよう。
 「27歳で上京して痛感したが、頑張ったら夢叶うのはウソ。 運やタイミング、色んな奇跡が重なった後に成功が待っている。」 「若い芸人にはまず、好きなことを仕事にできるだけで幸せやと思って欲しい。 一発屋をバカにする人もいるけど一発も当てられへん人がほどんど。 俺も一発も当ててへんしね」


 最後に、私論に入ろう。

 そういう事情がおありだったのですね、千原兄弟のお兄様。
 原左都子の推測によれば、もしかしたら千原兄弟の弟氏が現在ある程度成功をゲットしている事実に比し遅れをなしている現状下で、この記事を公開したのではないだろうか?

 何だか、千原兄氏の思いが理解できる気もする私だ。

 それでも、私は「頑張り方を誤らなければ、必ず夢は叶う!」と信じている。

 夢と言っても多種多様であろうが、如何なる夢とてそれを実現するに至るまでの努力精進の過程なくして、それを叶えられる訳がないであろう。
 その努力精進の過程とは、時代と共に変遷する性格があるのも当然であろう。

 今の時代に至っては、とにかく「情報収集力」こそが夢実現の要ではないかと私は考察する。

 至るメディアで情報が溢れている現在の時代背景に於いては、無駄に我武者羅に頑張る以前の課題として、自分が頑張りたい分野の情報収集を実施する事こそが先決問題と心得る。
 その情報源を有効利用しつつ個々が目指すべく方面に向かい効率的に切磋琢磨する事こそが、成功を勝ち取り自分の夢を叶える一番の条件ではなかろうか。

不動産という“生き物”の育て方、旅立たせ方

2014年06月25日 | 自己実現
 一昨日、私は28年程前に購入し現在賃貸借物件として運用している自己所有マンション物件を“旅立たせた”。

 要するに、「オーナーチェンジ物件」として売りに出し、その売買契約を締結して来たとの事である。


 この物件に関しては「原左都子エッセイ集」内で幾度か記述してきているが、一番最初に公開したエッセイ 2007年12月バックナンバー「住宅ローンの早返し」より、今一度紹介させて頂こう。

 私は20歳代半ばを過ぎた頃から“結婚しないかもしれない症候群”だった。 結婚しないならば、早めに独り暮らしのための自己所有住居を取得したいという漠然とした考えがあった。
 30歳に近づいた頃まだ独身だったため、いよいよ住宅購入実現に踏み切った。 そして、(当時)首都圏で人気No.1私鉄の急行停車駅から徒歩4分の築4年2DKマンション中古物件を購入した。 既に全額現金購入できるだけの資金を蓄えていたのではあるが、税務対策等の理由で住宅ローンを組んだ。 その頃は高金利時代でこの物件の住宅ローン金利は8%を超えていたが、独身のうちに7年間で自力完済した。
 この物件は現在まだ所有しており、現在賃貸し家賃収入を得ている。 私の独身時代青春サクセスストーリーの象徴、形ある集大成とも言え、手放せない。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を紹介したもの。)


 この物件に私自身が7年間住んだ後、独身時代を終焉して婚姻に至り転居する段と相成った。
 その後も特段当該物件を手放す必要性が発生しなかったことが幸いして、私は(上記の通り)我が独身時代サクセスストーリーの象徴として手放さずにいた。
 その後賃貸物件として投資運用対象としようと志した私は、幾度か賃借人募集をかけ、入居を希望する方々に賃貸借してきた。


 ここで一旦、私論(と言うよりも「私観」と表現するべきか)に入ろう。

 不動産とは“生き物”だとつくづく実感させられる。 
 この感覚とは、子どもを育てている親の思いと重なる部分がある故だ。

 以下は我が所有物件を「この子」と呼ばせてもらおう。

 「この子」を私が買い求めたのは、様々な意味合いで“お利口さん”だったからに他ならない。 立地条件が抜群、独り暮らし用にしては部屋は広いし、とにかく私にとってはすべての面で優等生の「この子」だった。
 婚姻後「この子」を賃貸借物件として利用するに際しても、「この子」がいい子であってくれるがために次々と入居者に恵まれ、私は「この子」の稼ぎのお陰で潤ってきたとも言える。

 ところが、「この子」の親である私の失敗とは、「この子」の旅立ちの時期を誤った事に他ならない。
 いい子だ、いい子だと、「この子」の頑張りにずっと期待した私は、親である我が手元に置き過ぎたようだ…。
 「この子」が“もう旅立たせてよ…” と泣いて訴えていたにも関わらず、私は自分自身のとりあえずの収益に期待し過ぎ、それに気付かないでいた…

 そんな時、「この子」の体内に病弱の診断が下った。
 ある程度の期間“賃貸借物件”としての使命を果たして来たが、その体内に致命的な瑕疵が発見されるに至ったのだ。 排水管設備の不具合により「この子」に関して入居者氏よりクレームが届いた。 それにすぐさま対応した私だが、多額の損失を計上するに至った。

 その時点より、私は「この子」を将来羽ばたける分野へ“売りに出す”事を目論んでいた。
 幸いな事には、「この子」が持って生まれている“立地条件”との利便性により、すぐさま買い手が付いたのだ!
 その買い手企業に関して少しだけ説明するならば、「リノベーション」を目的として我が物件を買い取って下さったようだ。
 参考のため、「リノベーション」とは、築年数が経過した物件を安値で買い取り、大規模リフォームを施して顧客に売却するシステムである。
 ところが原左都子所有物件の場合、決して安価ではなく私が“指示した価格”で売買契約締結に至った事実に、売買仲介会社の手腕の程に感謝したい思いである。
 


 いやはや、「捨てる神あれば拾う神あり」との格言もあるが、今の時代、人も不動産物件もその運命にあるのではなかろうか?

 自分自身や産んだ子供に「付加価値」があると信じるならば、親の立場としてその価値の根拠の程を熱心に訴え続けるに限る。
 それにより我が子が新たな良き人生を歩めることを改めて実感させられたのが、今回の我が不動産物件「売却物語」である。

 我が28年来所有不動産物件の「この子」よ。  私の手元から“納得出来る価格”で旅立ってくれて本当にありがとう。 最後まで親孝行な「この子」だったと嬉しく思っているよ!

 今後「リノベーション物件」として、更に次世代の世の中で活躍する事を心から祈っているよ!

今時“携帯愛用者”って社会から疎外される立場なの??

2014年06月21日 | 時事論評
 つい3日前に、私は携帯電話を買い替えた。

 と言うのも、5年間愛用して来た2台目の携帯電話(スマホでない従来型)に不具合が生じたためだ。

 その不具合について説明すると、いつもなら一週間に1度充電すれば事が足りるのに、何故か突然1日に2,3回の充電を要するようになったのだ。 しかも電波も届きにくい様子で、携帯を開けてしばらくしないとメール発信等が不能な状態に陥った。

 当初より買い替えを予定していた私は携帯ショップを訪れ、今時の携帯電話がいくらなのか係員に尋ねた。
 そうしたところ、返って来た答えに仰天させられる。
 な、な、何と、現在所有している携帯同様に基本操作項目しか装備していない携帯電話が、3万数千円の値段だと言うではないか! 
 (まあ、そうだよなあ。 これぞ時代の趨勢と言うものかなあ。 今や皆がスマホを持つ時代へと変遷している社会の中で、未だに旧携帯電話にこだわる私のような人種は需要と供給の観点より社会から疎外される運命にあるのかなあ…。)

 係員氏の説明によると、「現在スマホは安価で販売しております。 それでも旧来の携帯愛好者の方にも旧型携帯電話を数は少ないですがご提供しております。 今後もしばらくお子様やご高齢者の方々には提供予定でありますが、一般の方への携帯電話ご提供はどうしても少数にならざるを得ないところがあります。」

 何はともあれ、この時点で携帯電話の高額ぶりに仰天した私は、とりあえず「修理」を申し出た。

 そして10日程の日数が経過して、我が愛用の携帯電話が修理を終えて返って来たのはよかったが…
 携帯ショップの係員氏曰く、「ご要望があった不具合に関しては精査しましたが、原因判明が不能でした。 その他の箇所に不具合が発見されましたので修理致しました。 この度は当社の保険にての修理ですので安価で済みます」  加えて係員氏曰く、「もしかしたら携帯電話が寿命に達しているが故に、今後も同じ不具合が続くかもしれません。」 私応えて曰く、「その場合は、買替しか手立てがないとの事ですね。」 係員氏曰く「そういう場合もあるかもしれません…」


 結局手元に返された携帯電話は、瑕疵部分が少しも修理されていなかったのだ。
 むしろ以前より充電回数が増える事態だし、電波も相変わらず届きにくい状態だ。

 私の場合、ネット通信のほとんどをパソコンに依存しているため、携帯電話が故障しようとさほどの弊害はないと言える。
 ただ我が身を取り巻く身内高齢者の事を思えば、例えば義母など私の携帯電話番号が“命綱”とも表現可能だ。  はたまた郷里の実母など次女の私に固定電話で文句を垂れつつ、私からの携帯Cメール情報を楽しみにしている現実だ。
 ご両人をあの世に送るまでそれらを続行せねばならない使命が、私の背中に乗りかかっている…。


 そして、私は決断した。
 やはり私は携帯電話を買い替えるべきと!

 (それにしても修理に支払った代金が無駄だった…)との反省の下、先だってとは異なる大規模家電量販店内にある携帯ショップを訪れると、他社携帯会社も含めて係員氏達が顧客獲得に血眼状態だ。
 私が「旧来の携帯電話を買い替えたいのですが。」と申し出たところ、快く対応して下さった。 「時間がないのですが、どれ程の時間で買い替えが可能ですか?」と尋ねれば、「とりあえず短時間で契約を実行した後、ご用件を済まされた後に再来店して頂いてOKです!」との回答だ。
 それに従って携帯買い替えを実行してきた私である。


 今回は3台目の携帯買い替えだったのだが、自宅に持ち帰った新品携帯電話機が3万ウン千円と高額だった割には、前回の機種に比して少しも進化を遂げていない事に改めて愕然とさせられている。

 まあ、それでも電池充電力は上がった事は確かな事だけが買い替えの成果である。
 ところが、どうしたのだろう?? 相変わらず電波到着力に難点を抱えている我が新規購入の携帯電話である。 例えばパソコンから携帯電話に転送している受信メールを確認すれば事が明白だが、その時差が甚だしいのだ。 1時間程遅れるのはいつものこと、下手をすると昨日パソコンが受信したメールが携帯には次の日に届く事態を如何に解釈すればいいのだろうか??

 まさかまさかこの事態を携帯会社が元より想定した上で、今時まだ「旧携帯電話」にこだわる顧客を社会から故意に“疎外”しようとしていないと信じたいのだが…。

 社会の動向や流行に従って「スマホ」に買い替えれば事が容易なのかもしれないが、私にはしばらくその意向はない! と言い切れる。


 さてさて携帯やスマホの世界に詳しい皆様、この業界がこの先何を目指し、何を企んでいるのかの実態をご伝授下されば幸いなのだが…

通学路の事故・事件、教委の下手な対応では今後も阻止不能だ!

2014年06月19日 | 時事論評
 昨日(6月18日)午前8時20分頃、北海道旭川市の丁字路交差点で乗用車とRVが衝突し、近くを自転車で走っていた高校2年生の男子生徒も巻き込まれた。
 この事故で、高校生と乗用車の20代の男女2人が死亡、RVの女性(75)にけがはなかった。
 道警旭川中央署などによると、RVが国道を右折しようとしたところ、対向車線から直進してきた乗用車と衝突したとみられる。 乗用車は弾みで自転車を巻き込み、近くの電柱にめり込んだ。

 また、千葉県市原市内では17日、登校中の女子中学生が男に車で連れ去られそうになった事件が発生した。
 この事件を受け、市原市教委は小中学校に集団下校の実施や保護者に迎えに来てもらうよう指示するなど対応に追われた。 小中学生の保護者らは「怖い」「通学路の安全を徹底してほしい」などと述べ、不安な表情を浮かべた。
 同市東国吉の事件現場付近では、パトカーや市の防犯パトロール車も深夜まで巡回した。 現場近くの中学校では、生徒の下校時に合わせて警察官が立ち、移動交番車が校内に止まるなど警戒にあたっていた。市教委幹部は「保護者には長期的な地域の見守りに協力してほしい。児童、生徒が1人で帰ることのないよう指導を徹底したい」と話した。
 小中学校側もこの日、学校行事の中止や集団下校のお願いなどを含んだメールを保護者らに一斉送信し、注意を呼びかけた。 仕事で事件現場を通ることが多いという男性(42)は「地元の人以外は通らない道。自分にも中学生の娘がいるので怖い」と話していた。
 (以上、つい最近起きた中高生登校中の事故・事件2件に関する情報をネットより引用。)


 この手のニュース報道に接して原左都子がいつも脳裏に抱くのは、もしもこの子達が“不登校生徒”だったならば、命を落とさず、あるいは後々まで事件のトラウマに苦しまずに済んだのに…、との無念感である。
 この子達が好きで学校に通っていたならばまだしも少し救われる部分もあろう。 が、義務教育故に仕方なく通学している道中で事故・事件に遭ったとすると、未来ある人生を棒に振らざるを得なかった事態に何ともいたたまれない思いだ。


 ここで私事に入るが、原左都子自身が小中高時代はバリバリの「学校嫌い」だった。
 にもかかわらず、まだまだ人格形成途上の未熟者だった故に現在の私のように社会の理不尽さに異議申し立てするすべも知らず、ただただ“義務感”と持って生まれた“律義さ”に後押しされつつ、行きたくもないのに日々学校へ真面目に通い続けた。 
 今となっては、当時の私は何と「アホ」だったのだろうと実に悔しい思いだ。 もっと早期から、社会に対抗する闘志を燃やすべく人格を育成しておくべきだった!と反省しきりである。

 私の場合、時代背景によるのか、育った地域が過疎地だったためか、幸いにも登下校中に事件・事故に遭う事なくして現在まで命を繋げている。 
 ただ私自身が根っからの「学校嫌い」だったが故に、行きたくもない学校への登下校時に命を落とさざるを得ない児童・生徒の「犬死」の無念さが我が身に沁みるのだ…


 そんな私は我が娘の小中高登下校の安全を、母親の立場で積極的、主体的に守ってきた。
 特に小学校時の登下校に関しては、当エッセイ集バックナンバーにても幾度か記述している。 少し反復すると、親である私自身が娘と共に学校指定通学路を何度も一緒に歩くことにより、危険個所のチェックと娘への危険回避教育を施した。 更には学校が定めた「通学路」の瑕疵を学校長へ直訴する事により、我が子の通学路特例を申し出て許可を得、それを実行してきた。

 それよりも一番肝心要なのは、我が子の安全(危険回避)に対する親自身からの教育であろう。 これを親こそが執拗に繰り返す事により、我が子の安全を見守れると私は信じてそれを実行してきている。
 子供の成長に応じて通学路の危険性の分野(交通安全、誘拐拉致等々)が変遷するものだが、その分野をわきまえつつ、親自身が日々我が子を指導する事によりある程度は登下校時の事故・事件を防げるのではないかと私は考えている。

 
 その観点から考察すると、6月18日に発生した北海道旭川市の交通事故の現場に偶然巻き込まれ犠牲になった男子高校生及びご家族の無念を、今一度思い描いて尚いたたまれない思いだ… 
 この事例などは、警察庁の今後の交通指導強化に頼る他方策が取れないようにも考察する。

 片や、6月17日に発生した千葉県市川市の女子中学生車内連れ込み事件現場の風景を本日テレビのニュース報道にて一見した私は、愕然とさせられた。
 上記ネット情報内にも記されている通り、この道路は大森林の中にあって視界も悪く、普段は地元の人しか通行しない道のようだ。 これ程までに全く人気(ひとけ)がない道路を、何故学校は通学路として定めているのか? これじゃあ、女子生徒に事件に巻き込まれろ!と学校や教委が促しているも同然だ! 

 しかもこの種の事件が起きた際に、地元教委や学校現場、そして警察側がいつも“決まり文句”のように言い始める対応策にも、愕然とされ続けているのが一般市民の感覚ではなかろうか? 

 ほ~~ら、あなた方の子供が危険な目に遭ってるのだから学校PTAで会合でも持って、社会の底辺に生きている国民のお前らがもっと主体的にパトロールでもしろよ! あるいは、親の責任として自分で子供を学校へ連れて来いよ。  学校現場を含めた自治体や国家が出来る対応とは限られているのだからね~~~。 さっさと子供を守るべくパトロール班でも作って我が子達を守ってくれたら、我々の責任を問われることはないんだぞーー。

 いつもいつも国家や自治体がそう言い続けて来た挙句の果てに、小中高校現場の登下校時の児童・生徒の犠牲者は全く改善されないどころか、その被害の程が拡大されているように感じるのは私だけだろうか?


 元々学校嫌いの私など、極論ではあるがこの際「義務教育課程」自体を廃止してはどうかとまで言いたくもなる。
 登下校時に可愛い子供を事件・事故で失う事態を避ける一つの方策として、民間活力も利用し子供の教育方策を多様化するとの手段を採用する事も、近未来の教育像として成り立ちそうな展望もある。
 ちょっと本気で、その事業案でも立ち上げようかと思い始めた原左都子だ。