今朝 知人よりメールが入って、どういう訳か冒頭に記したNHKドラマ「らんまん」に関する話題が展開した。
「らんまん」と聞いて。 既に「ん?? 何だ?」と訳が分からない程に、このNHK連ドラは既に3作前のものとなっている。
現役時代は医学関係者として長年身を立てた原左都子であり。 過去にはまさに万太郎の如く、実験室にて一人で医学実験に励む機会が多かった私にとって、今思い起しても実に印象深い連ドラだったものだ。
そのNHK連ドラ「らんまん」に関して公開した冒頭の我がバックナンバーの一部を、以下に再掲載させていただこう。
何だかここのところのNHK朝ドラ「らんまん」を視聴していると。
万太郎に感情移入し過ぎて、出来る事ならば万太郎に変って田邊教授とやり合いたくなる程だ!!
ネットより本日放映された「らんまん」情報を、以下に引用しよう。
NHKの朝ドラ「らんまん」8月1日(2023年)放送回。 東京大学の理学部は帝国大学理科大学と改められ、田邊(要潤)がその初代教頭に就任した。 田邊教授は万太郎(神木隆之介)の書いたムジナモ発見の論文に、自身の名前が掲載されていないことに激怒。 万太郎は、大窪(今野浩喜)の協力を得ながら、田邊との共著として書き直す。 しかし田邊の怒りは静まることなく、万太郎の東大出入り禁止は解かれることはなかった。
万太郎も少し胡坐をかいていたか...
落ち込む万太郎は、もう一度田邊宅へと謝罪しに向かう。 万太郎は心を込めて許しを請うが、教授は頷かない。
田邊教授の怒りの気持ちもわかるのだが、万太郎の新種発見にのっかって世界に名をあげようとしたのは教授である。 しかし思い通りにならないと激怒しているのだ。 邪魔な万太郎を排除して自由になったというけど、そうであろうか。 感情をぶつけて一時的に爽快なだけであろう。 地位も名誉もある田邊教授に足らないもの、また田邊自身も欲しいものを万太郎が持っている限りは、「呪縛」から解かれることはない。 そのことを田邊教授も実は知っているのだ。 このことに気づいているから現実が辛い。 名誉欲でがんじがらめになっている田邊教授には、万太郎を思いのままに手に入れることでしか、心が満たされることはない。
一方万太郎は、田邊教授のおかげで東大で田邊教授の集めた資料を利用して研究ができていることに、少し胡坐かいていた。 泥棒教授のもとで情報を泥棒して逆鱗に触れた万太郎。 泥棒同士がもめているというのも哀れな話である。 図鑑を作る話は教授が万太郎から強奪ではないか。(中略)
しかし、この2人が相反しあって、植物学会にはひとつもいいことがない。万太郎が寄り添ってきているのだから田邊教授に受け入れてほしいが、そう簡単にはいかなそうだ。
(以上、NHK公式サイトより引用したもの。)
原左都子の感想に入ろう。
冒頭表題に掲げた通り、とりあえずこの私が万太郎ならば自分が東大植物研究所まで持参した「土佐の標本」(かなりの量が存在したと記憶しているが)をすぐに返却してもらうべく動くだろう。
これらの“所有権”は、如何に考察しても東大研究所や田邊教授に移転している訳がない! いくら田邊教授が「ここに置いて行け!」と命令しようが、その所有権者は万太郎であるはずだ! 強制執行してでも、それらの標本は万太郎が持ち帰りたいものだ!
その行為が叶うならば、いくら田邊教授が「自分も東大植物研究所の総力を挙げて植物図鑑を出版する!」と意気込もうが、土佐(及びその周辺)地域の図鑑の出版は困難と想像する。 (要するに「全日本植物図鑑」と言えども不完全なものしか完成しないはずだ。)
その間に、万太郎は田邊教授が成そうとしている「大日本植物図鑑」程大規模ではないにせよ。
自分の出身地である「土佐周辺」の詳細な植物図鑑を、せめても田邊教授に先駆けて出版可能となろう。
加えて私が思うには。
最初に万太郎が訪ねた東大植物研究所の比較的近い場所に存在する「博物館」の力添えを得るとの方策も取れると推測する。
あの博物館に、人が良さそうで万太郎にも協力的な博物館員が2名存在したではないか!
あれらの研究員達の協力体制があれば、「大日本植物大図鑑」ならずとて、それなりの特異性のある「植物図鑑」の発行は可能かとみるのだが…。
とにもかくにも、万太郎は田邊教授(及び東大植物研)とはここできっぱりと縁を切るべきではなかろうか!?!
最後に話題が史実に飛ぶが。
私が少し前に見たネット情報によると、万太郎はその後ロシアの植物学で世界的に著名なマキシモビッチ博士の元に行くべく計画を立てたものの。 残念ながらそのマキシモビッチ博士が病気にて他界してしまい、それが叶わなかったとの記述があった。(もしも私の記憶違いでしたらお詫びしますが。)
それでも結果として万太郎(牧野富太郎氏)は植物学者として大成したからこそ、このように現在ドラマにて取り上げられている訳であり…
そうだとして、今現在の「らんまん」はまさに万太郎にとって“どん底期”なのであろう。
万太郎が愛する植物と共に育ちゆく生命体の素晴らしさを満喫しつつ、万太郎が「植物博士」として大成していく過程を今後も見守りたいものだ。
万太郎に感情移入し過ぎて、出来る事ならば万太郎に変って田邊教授とやり合いたくなる程だ!!
ネットより本日放映された「らんまん」情報を、以下に引用しよう。
NHKの朝ドラ「らんまん」8月1日(2023年)放送回。 東京大学の理学部は帝国大学理科大学と改められ、田邊(要潤)がその初代教頭に就任した。 田邊教授は万太郎(神木隆之介)の書いたムジナモ発見の論文に、自身の名前が掲載されていないことに激怒。 万太郎は、大窪(今野浩喜)の協力を得ながら、田邊との共著として書き直す。 しかし田邊の怒りは静まることなく、万太郎の東大出入り禁止は解かれることはなかった。
万太郎も少し胡坐をかいていたか...
落ち込む万太郎は、もう一度田邊宅へと謝罪しに向かう。 万太郎は心を込めて許しを請うが、教授は頷かない。
田邊教授の怒りの気持ちもわかるのだが、万太郎の新種発見にのっかって世界に名をあげようとしたのは教授である。 しかし思い通りにならないと激怒しているのだ。 邪魔な万太郎を排除して自由になったというけど、そうであろうか。 感情をぶつけて一時的に爽快なだけであろう。 地位も名誉もある田邊教授に足らないもの、また田邊自身も欲しいものを万太郎が持っている限りは、「呪縛」から解かれることはない。 そのことを田邊教授も実は知っているのだ。 このことに気づいているから現実が辛い。 名誉欲でがんじがらめになっている田邊教授には、万太郎を思いのままに手に入れることでしか、心が満たされることはない。
一方万太郎は、田邊教授のおかげで東大で田邊教授の集めた資料を利用して研究ができていることに、少し胡坐かいていた。 泥棒教授のもとで情報を泥棒して逆鱗に触れた万太郎。 泥棒同士がもめているというのも哀れな話である。 図鑑を作る話は教授が万太郎から強奪ではないか。(中略)
しかし、この2人が相反しあって、植物学会にはひとつもいいことがない。万太郎が寄り添ってきているのだから田邊教授に受け入れてほしいが、そう簡単にはいかなそうだ。
(以上、NHK公式サイトより引用したもの。)
原左都子の感想に入ろう。
冒頭表題に掲げた通り、とりあえずこの私が万太郎ならば自分が東大植物研究所まで持参した「土佐の標本」(かなりの量が存在したと記憶しているが)をすぐに返却してもらうべく動くだろう。
これらの“所有権”は、如何に考察しても東大研究所や田邊教授に移転している訳がない! いくら田邊教授が「ここに置いて行け!」と命令しようが、その所有権者は万太郎であるはずだ! 強制執行してでも、それらの標本は万太郎が持ち帰りたいものだ!
その行為が叶うならば、いくら田邊教授が「自分も東大植物研究所の総力を挙げて植物図鑑を出版する!」と意気込もうが、土佐(及びその周辺)地域の図鑑の出版は困難と想像する。 (要するに「全日本植物図鑑」と言えども不完全なものしか完成しないはずだ。)
その間に、万太郎は田邊教授が成そうとしている「大日本植物図鑑」程大規模ではないにせよ。
自分の出身地である「土佐周辺」の詳細な植物図鑑を、せめても田邊教授に先駆けて出版可能となろう。
加えて私が思うには。
最初に万太郎が訪ねた東大植物研究所の比較的近い場所に存在する「博物館」の力添えを得るとの方策も取れると推測する。
あの博物館に、人が良さそうで万太郎にも協力的な博物館員が2名存在したではないか!
あれらの研究員達の協力体制があれば、「大日本植物大図鑑」ならずとて、それなりの特異性のある「植物図鑑」の発行は可能かとみるのだが…。
とにもかくにも、万太郎は田邊教授(及び東大植物研)とはここできっぱりと縁を切るべきではなかろうか!?!
最後に話題が史実に飛ぶが。
私が少し前に見たネット情報によると、万太郎はその後ロシアの植物学で世界的に著名なマキシモビッチ博士の元に行くべく計画を立てたものの。 残念ながらそのマキシモビッチ博士が病気にて他界してしまい、それが叶わなかったとの記述があった。(もしも私の記憶違いでしたらお詫びしますが。)
それでも結果として万太郎(牧野富太郎氏)は植物学者として大成したからこそ、このように現在ドラマにて取り上げられている訳であり…
そうだとして、今現在の「らんまん」はまさに万太郎にとって“どん底期”なのであろう。
万太郎が愛する植物と共に育ちゆく生命体の素晴らしさを満喫しつつ、万太郎が「植物博士」として大成していく過程を今後も見守りたいものだ。
(以上、本エッセイ集バックナンバーの一部を引用したもの。)
原左都子の2024.04 現在の感想だが。
いやはや このドラマ、医学関係者として研究室にて単独で実験に励む機会が多かった私にとって、実に興味深いドラマだったものだ。
万太郎はドラマ内で「片眼顕微鏡」を覗いていたが。
さすがに我が現役時代には「両眼顕微鏡」に移り変ってはいた。 それにしても、丸一日その鏡検作業をこなさねばならない日々を過ごしたこともある私にとっては。
万太郎が顕微鏡を覗く光景が、我が過去の医学研究業務と重なったりした。
後に 都内に位置する「牧野富太郎植物園」を訪れて、あのドラマの余韻に浸ったりもした。 (本エッセイ集バックナンバーにて、園内の光景を公開していますので、ご参照下されば幸いです。)
この連休中にも牧野植物園を訪れたいものだが、おそらく混雑しているのだろうなあ…
写真は、「牧野富太郎植物園」内の書斎建物内に保存されていた富太郎博士の蔵書の数々を、原左都子が撮影したもの。