原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

中途採用を強化する企業が増えているらしい

2024年05月31日 | 仕事・就職
 冒頭表題に関して、早速2024.05.27付朝日新聞記事「中途採用を強化 大手もシフト メガバンク、新卒しのぐ勢い『人材多様化』」の一部を以下に引用しよう。


 中途採用を強化する企業が増えている。 これまで新卒採用に重きを置いていた大手でも、人手不足や事業環境の変化に対応するため、知識や経験をもつ中途採用に注目している。 転職に前向きな社員も増える中、企業には人材が定着、活躍できる環境づくりが求められる。 (中略)
 人事担当者は、「即戦力としての採用や、人材の多様化により強靭な組織構築を目指すため、今後も中途採用は拡大する方針」という。 (中略)
 企業が中途採用を強化するにあたって、「昇進、昇格に限らず、専門職をめざす働き方や社内公募制度を強化するなど、自社の中でも社員が自律的にキャリア形成できる機会を都と飲めていくことが大切ではないか:」と指摘する某求人サイトもある。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)」



 原左都子の私事に入るが。

 この私も教員採用(高校教諭だが)において、いわば「中途採用」を経験している身だ。

 高校教諭をはじめ学校教諭の場合、毎年4月が新年度スタートであるため、「中途採用」との表現は使用しないのだが。
 私の場合、そもそも他業種(医学分野)業務の経験者であったため、30代半ばにての高校教諭としての採用に際し「中途採用」との言葉は使用されず、あくまでも「新採用」にての高校教諭スタートだった。

 いずれにせよ、社会人としては既に十年余りの経験を積んだ後の高校教諭採用だったこともあり。
 元医学関係者としては かなりの“異業種組織”への転職にもかかわらず。 何らの戸惑いも迷いも無くすんなりと「高校教諭」業務に馴染め、生徒達と共に面白おかしく楽しく充実した教諭経験を全うすることが叶った。

 高校教諭途中で高齢出産をするに至り、残念ながら高校教諭は中途退職となったが。

 その後も我が子が幼稚園時頃にまたもや医学業務に舞い戻り、その後“即戦力”として活躍したものだ。


 私の場合は、元の職種(医学)と後の職種(教育)共々、国家試験等々の受験合格資格が必要な免許制度の下に確固とした専門知識・能力を要する職種だったがために。 
 両職種共々 何らの不都合も無く業務に取り組むことが叶い、充実した人生を送ることが叶ったものだ。



 冒頭の「中途採用強化の企業が増えている」との話題に戻そう。

 当然ながら 現在中途採用を強化している企業が欲する人材も、「即戦力としての採用や強靭な組織構築を目指すための施策」と事業主が発言している通り。

 それなりの優秀な社員の確保を目指す目的で実施されているのであろう。

 その分野の職務経験が皆無の原左都子には、何らの発言権も無い事は承知だが。

 見方を変えると。
 要するに「新卒採用者」とは、とりあえず使い物にならない存在であり短期間での成長を望んでも無理なため。 
 今後は、既に専門能力を備えて即企業の業務に突進可能な中途採用人材確保に邁進するぞ。
 と言っているようにも聞こえるなあ。😵 😷 


 もう既に高齢域に達している原左都子故に、現在の諸企業がどこの誰を採用しようが関係の無い話題なのだが。

 企業の存続・成長を支えているのは、人の力には間違いであろう。

 「新卒採用」「中途採用」それらの如何にかかわらず。
 企業にとって大切な職員を大事に確実に育てる能力を、企業側も絶えず刷新するべく努力を重ねて欲しいものだ。
 

再掲載 「どうしても『科学』よりも上位に立ちたい『政府』の歪みと過ち」

2024年05月30日 | 学問・研究
 ここのところ「原左都子エッセイ集」において、再掲載ものが多発している事実に関しては認めるが。


 新たなエッセイ資財を無理やり追及するよりも。 
 原左都子の頭が今よりも冴えていた時代に記載・公開した我がバックナンバーエッセイを読み返しては、その内容の充実ぶりに同感する機会が多くなってきている。(ナルシストか、お前は!?!)😖 


 本日も、我が過去に公開したエッセイ 2021.11.11公開の冒頭表題のバックナンバーを以下に再公開させて頂こう。


 冒頭より、朝日新聞本日2021.11.11付 “科学季評”  京都大学前総長 山極寿一氏による、「真鍋さんからの苦言 すれ違う政治と科学」の後半部分を以下に要約引用しよう。

 さて、ノーベル賞受賞に際して真鍋叔郎さんが語ったことが耳に痛く響いている。 その一つは。日本の科学界は政府とコミュニケーションをとれていないという批判である。 それはコロナ対策でも同じことが言える。
 日本学術会議は、1度目の緊急事態宣言発出の1か月前である20年3月6日に幹事会声明を発表し、コロナ対策で国際的な連帯を訴えるとともに、継続してこのウィルスに関する最新の科学的な情報を発信し続けてきた。 また7月3日には、感染症の予防と制御を目指した常置組織を国とすべての地域に創設することを提言した。 しかし、国はこういった意見を重視せず、独自の判断で経済を優先させた対策を採り、オリンピック・パラリンピックへ向かった。 9月末には日本学術会議が推挙した6人の会員の任命を菅首相が理由も言わずに拒否し、世界の学術界の大反発を招いた。 なぜ、こういったことが起こるのか、私たちは真剣に問い直さなくてはならない。
 二つ目の真鍋さんの苦言は、日本で好奇心に基づく研究ができているかという問いである。 2年前に京都で開かれたSTS(科学記述と人類の未来に関する)国際フォーラムで、各国の代表が集まって基礎研究の推進について議論したことがある。 その時、「好奇心に基づく研究こそが重要」という発言が多かったことが強く印象に残っている。 今、日本の国立大学は運営費交付金を削減され「選択と集中」によって補助金獲得競争を強いられて疲弊している。 組織のために骨身を削って計画書や報告書の作成に追われ、教員は十分な研究時間がとれない。 研究者一人当たりの支援者の数でも日本はドイツの3分の1、中国の5分の1である。 今年、トップ10%の日本の研究論文の数が世界で10位に落ちたのも当然の結果と言える。
 答えの見つかりにくい近視眼的なテーマばかりにしがみついていては、常識的な論文は書けても、ノーベル賞に結び付くような研究もイノベーションも生まれない。 先進国の中で、日本だけが博士課程進学率が落ちているのも気になるところだ。 若い世代の研究者を雑務から解放して、好奇心を全うできるような環境を作らなければ、科学技術国日本は資源のない、世界から注目されない国に成り下がってしまうだろう。

 (以上、本日の朝日新聞“科学季評”より、京都大学前総長 山極寿一氏の「苦言」の一部を引用させていただいたもの。)

 原左都子の記憶によれば、今回の“科学季評”論者の山極寿一氏とは、日本学術会議の前会長であられた方だ。 (参考だが、現会長はノーベル物理学賞受賞かつ現東大教授の梶田隆章氏が引き継がれている。)

 山極氏の論評の一部を今一度繰り返すと。
 日本学術会議は、1度目の緊急事態宣言発出の1か月前である20年3月6日に幹事会声明を発表し、コロナ対策で国際的な連帯を訴えるとともに、継続してこのウィルスに関する最新の科学的な情報を発信すると共に、7月3日には、感染症の予防と制御を目指した常置組織を国とすべての地域に創設することを提言した。 しかし、国はこういった意見を重視せず、独自の判断で経済を優先させた対策を採り、オリンピック・パラリンピックへ向かった。
 9月末には日本学術会議が推挙した6人の会員の任命を菅首相が理由も言わずに拒否し、世界の学術界の大反発を招いた。
 
 この事実こそが、国民の皆さんの記憶に新しいことであろう。
 にもかかわらず日本政府は岸田政権に移った後もこの事実を(おそらく故意に無視し続け)、旧態依然とした自民党政権を引き継いでしまい、科学界との接触を何ら持たずして平然としている始末だ。

 国立大学の研究補助金や運営費交付金削除問題に関しても。
 結局は自民党政権の科学研究軽視・無視(というよりも、その分野の人材との交渉力ある政府人材が存在しない、というのが正解なのではないだろうか?)を決め込む始末だ。

 最後に、誤解を恐れず原左都子が語るならば。

 何故、政府が「日本学術会議」を邪険にし続けるのかと言えば。

 (特に安倍政権以降は)研究者達と対等に渡り合える人材が政府(政権)内に誰一人として存在しない故、と結論付けられそうにも捉えてしまう。😱

 それならば尚更、政府側こそが(無知を理由にいつまでも空威張りしていないで)胸襟開いて、専門学者の皆さんに科学研究分野の教えを請うことから再開するべきではないだろうか?

 それこそが、我が国に於いて“政治と科学の距離”を縮める第一歩ではなかろうか?!!

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載したもの。)



 2024.05.30日現在の、原左都子の感想を述べよう。

 現在に至っては、「日本学術会議」なる組織の存在意義も当該組織を管轄する政府の実態もかなり変化(劣化)しているのではあるまいか??

 と言うよりも。

 原左都子自身が上記引用文内で述べている通り。

 日本政府は岸田政権に移った後もこの事実を(おそらく故意に無視し続け)、旧態依然とした自民党政権を引き継いでしまい、科学界との接触を何ら持たずして平然としている始末。


 こんな状況下において、原左都子自身も現在の「日本学術会議」の有り様を詳細には把握できていないのが正直なところだが。

 「日本学術会議」が、我が国の今後の科学の発展にプラスの影響を及ぼせない“歪んだ存在”に成り下がっているのであるならば。

 思い切って「会議」の存在自体を白紙に戻しては如何だろうか!??!
 

再々掲載 「心がへこむこんな日には酒の話でもしよう」

2024年05月29日 | 自己実現
 「心がへこむ」と言ったとて。

 既に高齢域に達している私の心(そもそも「心」と表現可能な大それたものが未だ我が心身に宿っているだろうか??)も既に「高齢域」に達しただろうなあ。

 若い時代に比して 確かに「感受性」や「共感力」(「共感力」これに対しては元々さほど無い方で、「反発力」が勝っていると自己分析する私だが…)


 そんな私は、我が「原左都子エッセイ集」において “酒”カテゴリー”を設けている。


 さて、過去のPopular entries top 10内に、2019.11.27付「心がへこむこんな日には『酒』の話をしよう。」がランクインしていた。

 “自画自賛”が得意なナルシスト?の私😜 だが、なかなかよくまとまった“酒談義”じゃないか!?!? 😖




 以下に、再々掲載させていただこう。


 今年の東京地方の天候は一体どうなっているんだ?
 10月末まで夏日が続いたと思いきや、11月後半に入ってからは寒い雨天続きだ。  先週あたりから真冬の寒さで昨日は最高気温が10℃に届かず、外出時には既に真冬のコートにマフラースタイルだ。
 どんより曇ったり、大雨だったり…  実母の件等で心がへこむ身に、この天候が我が心の憔悴感に拍車をかける。

 そんな折、goo編集画面我がエッセイ集閲覧数「トップ50」内に、2017.11.11公開 「もしもこの世に『酒』がなかったら」 がランクインしていた。 早速以下に要約引用させて頂こう。
 原左都子の波乱万丈の人生が成り立たなかったかもしれないと思える程に、「酒」とは私にとって無くてはならない必需品的存在だ。
 (2017.11.11)付朝日新聞別刷「be」“between”のテーマは、「お酒のない人生は損なのか?」だった。
 早速その問いに対する朝日新聞読者の皆さんの回答を紹介すると、「はい」が41%、「いいえ」が59%。

 早速私見だが。
 その結果にとりあえず安堵した私である。  意外や意外、酒を飲んでも“損をしていない”と思っている朝日新聞読者が4割以上を超えている事実に、少し勇気を得た。
 一昔前と異なり現在は “ハラスメント” 概念が幅を利かせ過ぎて、飲兵衛が大手を振って酒を楽しめない時代背景と移ろいでいる。 特に外で飲酒する場合など周囲に心配りをしつつ、酔っ払って周囲にご迷惑を掛けぬよう、醜態を晒さぬようと、自己規制しつつの飲酒が実態だ。 (それが分かっていて何故酒飲む? 嫌なら飲むな!と酒嫌い派からバッシングを受けそうだが、それでも飲みたいのが飲兵衛が飲兵衛である所以とも言えるのだが…)

 ここで、上記記事に「いいえ」と応えた “(要するに)酒のない人生は得”、と回答した読者の理由の程を紹介しよう。   「健康を害さない」 「酒での失敗がない」 「酒がなくても食事は美味しい」 「お金を浪費しない」 「酒に溺れることがない」 「面倒な付き合いが不要」 「酒に頼らずに語り合える」 「酔っ払わなくてすむ」

 今一度私見だが。 
 元々酒が飲めない体質の方々のご意見は是非とも尊重申し上げたい。 「健康を害さない」 「酒がなくても食事は美味しい」 などはその典型的回答であろう。
 飲兵衛の立場として一番分かりにくいのは、「酔っ払わなくてすむ」とのご意見だ。 何のために酒を飲むのか? それは酔うためだろうと心得ている私としては、理解に苦しむ回答だ。 まあ要するに、限度を超えて酔っ払った経験に基づくご意見なのであろう。
 異論もある。 「健康を害さない」 「お金を浪費しない」 「酒に溺れることがない」 「面倒な付き合いが不要」 がその対象だ。 酒を飲む人間の皆が、決して健康を害したり、金銭浪費したり、酒に溺れたり、面倒な付き合い、を敢えてしている訳ではない。 その種のご経験をされて失敗を経験した方々の個人的なご回答と心得させて頂こう。
 私が一番引っかかるのは、「酒に頼らずに語り合える」との回答だ。 これ、酒好きな人間に対する侮辱とも受け取れる発言との気がする。 誰しも酒飲まずして語り合えて当然だ!  むしろ酒の席では重要案件を持ち出さないのが礼儀だ。 酒に頼っての付き合いとは、そもそも人間関係が成立していてこそ成り立つ場である。 その意味で、酒の席とは「語り合う」場ではない事を弁えて参加・不参加を決定するべきだろう。

 更に、表題に掲げた「もしもこの世に酒がなかったら?」との朝日新聞の問いに対する回答を紹介すると。
 「何も変わらない」 「お金がたまっていた」 「もっと健康だった」 「友人・知人が少なかった」 「ふさいでいた」 とある。
 正直言って、原左都子も「友人・知人が少なかった」に該当するのかと、我が身を多少悲観的に振り返る。
 確かにもしもこの世に酒が無かったかあるいは私が飲兵衛でなかったならば、元々 “生真面目” “理屈っぽい” “融通が利かない” “アウトサイダー” “天邪鬼” 気質の私は、単なる「嫌われ者」として世を渡る運命にあった事も考えられなくはない。😨
 そんな私も酒が飲めることによって得た人間付き合いは数多い。 我が良き部分を引き出してくれた酒に、心から感謝したいものだ。 
 それにしても、「ふさいでいた」なる回答が信じ難い私の場合、酒に寄らずとも“ふさがずに生きる”方策は自身で開拓出来たであろうと心得る。
 最後に、朝日新聞最終章の記述を紹介する事により、この「酒」エッセイの結論としよう。

 立川談志師匠の「酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを(酒が)教えてくれるものだ」という言葉を胸に。 
 まさにその通りだ!
 ダメ人間の私に、酒がどれだけ「お前はダメだ!」と日々教え続けたことか!!(今も少しそうだが…)  自分のダメさ加減をもっと知り探求し続けたくて私は酒を愛好し、今後もその道を欲しているような気もして来た。
 (以上、2017年11月バックナンバーより一部を引用したもの。)

 結びの部分、立川談志師匠の“名言”に唸らされる。 
 実際、もしも私が酒が飲めない人間だったならば、単に“嫌みったらしさ”のみが表出した「嫌われ者」としてのつまらない人生を歩んでしまったようにも想像する。
 特に若い時代程、酒による醜態を晒し失敗を繰り返した。 その都度、内面から湧き出てくる「自己嫌悪」感にどっぷりと苛まれたものだ。 酒のお陰で自分の愚かさ・馬鹿さ加減そして弱さを身をもって知り果たして来た。 そして、そんな自己嫌悪のお陰で、少しは愛される人間にもなれただろうか…

 ここで話題を実母に無理矢理持っていくと、あの人、酒は飲めるのに飲めない(飲んでもつまらない)と信じている人間だ。 何故そうなるのかと言えば、要するに「身体が酒に強すぎる」のだ。
 そのDNAを引き継いでいる我が(HDL満載の)身体も若き時代に酒を初体験した頃、周囲がコップ一杯のビールでほろ酔っているにも関わらず、何杯おかわりをもらっても酔えず(酒ってつまらない…)感覚を抱いたものだ。  その後、周囲の配慮??により日本酒一升瓶を一人で抱え込ませてもらって以降は、やっと酔えるようになった。  その後は、“駆けつけ3杯派”人生をまっしぐらだ!! 
 そんな実母が、自宅で毎年「梅酒」を作っていたのだが、自分で作った梅酒をコップで何杯もガブ飲みだ! それを見た私が「梅酒って、アルコール度が高いの知ってる?」と聞くと。 「ほーかいなあ? 別にこれだけ飲んでもいつもへいっちゃらじゃけんど…」 といいつつ、日々その梅酒を堪能していたものだ。  
 3,4年前に私が帰省した折、自分で買った酎ハイが甘すぎてまずく「これ美味しくないわ」と言うと。 既に80代半ばの実母が「ほな、ちょっと飲んでみるわ」と言った途端、缶酎ハイ一缶を“一気飲み”して曰く、「美味しいなあ!」😱   しかも酔った風でもなく、会話を続行する。  さすがに、“この母にしてこの娘あり”を実感させられる事件だった。
 このように酒にまつわる実母の思い出を語っていると、“憎むべき相手”でもないとも思えてきた。

 やはり、「酒は妙薬」であるのかもしれない…。

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより再掲載したもの。)




 2024.05時点の、原左都子の感想を述べよう。

 故・立川談志師匠の「酒に関する名言」には、今読んでも感動させられる。

 今一度、再掲載すると。

 立川談志師匠の「酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを(酒が)教えてくれるものだ」という言葉を胸に。 
 まさにその通りだ!
 ダメ人間の私に、酒がどれだけ「お前はダメだ!」と日々教え続けたことか!!(今も少しそうだが…)  自分のダメさ加減をもっと知り探求し続けたくて私は酒を愛好し、今後もその道を欲しているような気もして来た。


 感動させられつつも、原左都子は現在更に確実に年老いた。

 特に我が「飲兵衛人生」において、それが顕著であろう。
 もう既に自分のダメさ加減を、酒愛好により証明する必要も無くなりつつあると言えよう。

 ただ、いいなあ。
 自分のダメさ加減を証明する人生。
 これは酒以外の分野でも続行する必要のある、我が今後尚進むべく人生目標となろう。
 

AI自身が研究を加速させて「ノーベル賞」級の発見をする、と言うが…

2024年05月28日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、2024.05.26付朝日新聞記事「AI 科学者を揺さぶる」より転載したもの。)


 同記事より転載した冒頭写真が、原左都子にとってはある意味で“面白い”ので、その辺の感想を述べよう。
 
 ちょうど何らかの実験中の研究者が、「人間の科学は思惑に懸念?」なる疑問符を脳裏にかすめている。
 そして出した結論とは、「生成AIによる捏造気付かず盗用も?」「AGI科学者の誕生? 人知超える『スーパーインテリジェンス』も?」 なる邪道な懸念を脳裏に抱いている。
 ちょっと、研究者さん。 そんな懸念に振り回されていないで、とにかく ご自身の研究実験を真面目にこなして、貴方なりの結論を出すことが最優先でしょう!
 
 しかもだ。
 AIが仮説を生成し、実験も計画もAIにおまかせ??
 生成AIが論文執筆して、新たな仮説生成も。
 更には、論文の査読者もAI!?!
 そして、有用な物質発見。??


 
 一旦、原左都子の感想だが。

 この私も、医学分野において長年「実験・研究」を主たる業務としてきた人間だが。
 もしも冒頭の写真の如く、「科学のすべてをAIにおまかせ?」時代が近い未来に於いて本気で訪れるとしたら…

 何だか、世も末感が漂ってしまうなあ。😱 😵 

 いやいや、負けず嫌いのこの原左都子ならば。
 私が執り行った実験に対して、AIさんよりいちゃもんを付けられたとしても。
 再再度 この私が更に確認実験を繰り返して、この私が成した再実験こそが有用な結論を導けたことを証明してみせたいものだ。!!?

  実際問題、AIなる人工知能は今始まったばかりではないか!
 いや、AIのここのところの目覚ましい発展ぶりは、この私もある程度は理解できているよ。
 それでも、やはり何かの「欠落」や「不十分さ」を未だ兼ね備えていると私はみている。
 (えっ、なんですって? 老けた原左都子婆さんなど、へでもないぜ、って?!?)

 それでも、AIさん、私は貴方達の欠点も知ってるんだぜ!
 この前、貴方の仲間?が某ネット上のサイトにて「原左都子エッセ集」の批評を自主的にして下さった際に、原左都子を呼び捨てにしたでしょ!
 それに対抗して私は「一般人に対しては日本では呼び捨てにしない習慣があるから、それに従って今後は原左都子に対しては必ず「さん」付けにて対応せよ。」と指示して、貴方の仲間はそれに従ったのに。
 日数が経過して 同じサイトを見てみたら、はやりあなたの仲間??は「原左都子」を呼び捨てにしてた。
 かなりショックだったよ。 
 AIとは、「学習効果」の塊のような存在かと信じていたら、同じ失敗を繰り返しているではないか!!
 それとも、AIの世界も“仲間”により個性があるのだろうか???

 その辺の事情が、この原左都子にも今のところ理解不能なのだが。😖 




 最後に、話題を冒頭の「AI研究がノーベル賞級に?」に戻そう。

 これに関しても原左都子は異議があるなあ。

 「ノーベル賞」と一言で言ったとて、 実際にそのノーベル賞に輝いた(特に科学分野の賞に関して)。 
 この科学者の端くれの原左都子ですら、取得した研究の価値のレベルの程が様々(価値の差が大きい)事実にいつも気付かされるよ。😫 😷 
 (実際問題、ノーベル賞に輝いたとて、さほど世の役に立っていない科学方面のノーベル賞も過去に存在するよねえ?!?)

 それらを一緒くたにして、「今後AIにノーベル賞級の発見を目指させる」と各方面の研究者から言われても、AIさんたちはさほど嬉しくないかも…
 
 などとの発言をするのは、元科学者の端くれであることは間違いないが、既に年老いて心がひねくれた原左都子だけかもね。😜 


今春の大卒就職率は過去最高の 98.1% と「売り手市場」だったらしいが…

2024年05月27日 | 仕事・就職
 早速、2024.05.25付朝日新聞記事 「今春の大卒 就職率過去最高 『売り手市場』続く」より、以下に一部を引用しよう。


 今春卒業した大学生の就職率(4月1日時点)は98.1%で、調査を始めた1997年以降、過去最高となった。 コロナ禍による採用への影響がなほぼなくまり、人手不足感が高まる中で採用活動に積極的な企業が増えた。 厚労省と文科省が24日に発表した。
 2008年のリーマンショックの影響が残る11年卒が、過去最低の91.0%を記録。 その後は上昇傾向となったが、コロナ禍の21年卒と23年卒から再び上昇に転じた。 厚労省の担当者によると、学生に有利な「売り手市場」は来春以降もしばらく続く見通しだという。
 分離別では、文系が97.9%、理系が98.8%だった。 (中略)
 武見厚労相はこの日の閣議後会見で、「学生にとっても選択肢が増えた」と語った。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 私め原左都子は、人生に於いて2度大卒後の就職を経験しているが。

 最初の就活は、郷里にての医学部卒業時だった。
 「就活」と表現したものの、実は就職「活動」というべく類のものは一切経験していない。
 とにかく医学関係者としての就業であり。 文系学生の如く就職に際して「業種を選ぶ」なる選択肢は一切無く、あくまでも国家資格にて取得する予定の「医学関係業務」一本での就職だった。
 2月頃に国家試験を受験しただろうか。 その結果が出るのは4月以降であるため採用側にとっては要するに「青田買い」であり、もしも国家試験不合格の場合の採用者の取り扱いは、就職先により異なったようだ。
 一例をあげると、国家試験不合格者に「採用」決定通知を出していた場合、それを一旦取り下げて、「非正規職員」の形でとりあえず働かせ、次年度に国家資格取得後、やっと「正職員」での採用となるとの例もあったようだ。

 私の場合は 医学分野の国家資格合格通知が届いたため、採用時点の約束通りの正社員としての扱いが続行した。


 この私が就職した医学関係民間企業にも、文系大学卒業者も少数ながら採用されていた。
 その人材が、一体どんな業務を担当していたのかと言えば。
 「事務職員」としての採用が多数だったようだ。 業績が良く社員の報酬が高い医学企業だったため、女性でも独身を貫き事務職員として活躍する女性もいるにはいた。 ただ傍目で見ていると、はやり事務系女子職員には会社側から“肩たたき”がある様子で、強制的に人事異動を繰り返されたりしているようだった。



 話題を、現在の新卒者就職率最高「売り手市場」に戻そう。

 私の場合は何分、専門職(30代の2度目の大学卒業後の就職先は「高校教員免許」取得者の立場での教育現場への採用だったため、こちらも難無く就業先が決定した。 詳細はバックナンバーをご参照下さい。)ばかりの就業であるため、私自身は「就職活動」というものはまるで未経験なのだが。



 単純に「売り手市場」と言ったところで。
 わずか20代前半の若き社会人新人にとって、採用された職場で長年順調に活躍していくこととは並大抵のことでは無いのではなかろうか?

 特に、何らの専門力も無い文系出身学生(失礼な表現をお詫びしますが)が、企業にて与えられた業務遂行をやり遂げてその職場にて勝ち残る道程とは、さぞや大変なのだろうと想像して余りある。

 学生時代に専門力を磨けた医学部出身の私など、その専門力のお陰で晩婚出産後に至っても医学関連職場を渡って行けたものだが。


 
 とにかく、現在は新卒者において「売り手市場」とのその特権を十分に活かして。  
 この春新採用された社会人新人の皆様も、職場にて最大限ご活躍されますように。