原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

幼稚園バス内園児放置後熱中症死事件に心が痛む…

2021年07月31日 | 時事論評
 表題の事件に関するネット情報を以下に引用しよう。


 福岡県内の私立保育園の送迎バス内で29日、男児が倒れているのが見つかり、その後死亡が確認された事故で、園側がこの日、園児の出席確認をしていなかったことが捜査関係者への取材でわかった。 死因は脱水症状などによる熱中症だったことも判明。男児は施錠されたバス車内に約9時間にわたって放置された可能性があり、県警は園関係者から事情を聞いている。
 県警によると、女性園長(40歳代)は29日朝、バスを運転して当該園児を含む園児7人を迎えに行き、園児はバスの後部側の座席に座った。園には午前8時半頃に到着し、園長はバスを施錠。 園長も、園児を誘導する職員も園児の降車確認はしなかったという。
 同日夕頃、保育園からの帰りのバスに園児が乗っていないことに母親らが気づき、午後5時15分頃、同園駐車場に停車していた朝の迎えに使ったバスの前方の席で冬生ちゃんが発見された。 車内には登園時に持つバッグが残されていた。司法解剖の結果、死亡したのは午後1時頃と推定されるという。
 園長は調べに対し、「園児たちを朝、降ろした際に鍵をかけた。(〇〇ちゃんがバスに)乗った認識はあった。その後、降りたものだと思っていたが、確認したわけではない」と説明しているという。
 また、保育園の担任はこの日、〇〇ちゃんがいないことに気付いていたという。 欠席する際は、保護者からは園長に連絡することになっており、担任は園長に連絡があったと思い込み、確認はしなかったという。 園職員はこの日、園児の出席確認や点呼を行っておらず、県警は日常的に出欠確認をしていなかったとみて運営実態を調べている。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 早速、私事に入るが。

 我が家でも遠い過去に娘を幼稚園に通わせていた時期があるため、他人事でなく心が痛む事件だ。

 我が家の娘は生まれ持って「発達障害」を抱えていたため、その教育指導に於いてはおそらく人よりも数段入念にケアを実行してきた。

 幼稚園へ入園させることすらためらったものの、当時の地元児童相談所の指導者氏より、「むしろ、早めに幼稚園に入れた方が〇〇ちゃんの成長に繋がるかもしれない」云々の指導を受け。 
 元教育者でもある母親の私としては、決してそのご意見を鵜呑みにしたわけではないが。 どうも娘本人が入園を嫌がらなかったため、3歳時に3年保育で幼稚園へ入園させた。
 
 ラッキーだったのは、当幼稚園が登下校時のバスの利用に関して保護者の自由選択制を採用していたことだった。
 私は迷わず園バスは利用せず、保護者(私の事だが)が送り迎えをする方式を採用した。
 娘の足で片道20分程の道程を、雨の日も風の日も猛暑の日も台風の日もひたすら手を繋いで幼稚園まで届け、そして迎えに行った。

 その時の様子を、後日既に大きく成長した娘が母の私に語ってくれたことがある。
 母(私)問うて、「あなたは幼稚園時代に、随分と真面目に毎日幼稚園へ通ってくれたのだけど、あの時どんな心境でそうしたの?」
 娘応えて、「あの頃は、実際何の認識も無かった。 何で幼稚園へ行くのか、それに何の意味があるのか、等々、本当にまったく分からないままに。 とにかくお母さんが毎日手を繋いで幼稚園まで連れて行ってくれるし、迎えに来てくれるからそうした。」

 という事は、我が家の娘の場合はもしもバス通園させたとて、それに素直に乗って幼稚園へ通ったのだろうが…??
 ただ親の私の方は、日々幼稚園まで娘と手を繋いで連れて行き、連れて帰ることにより、園の入口で直接園職員に子供を引き渡すことができるし、日々職員と直接挨拶や少しの会話をすることが叶ったのは有意義だったと振り返る。

 いやもちろんのこと、有職者等々保護者も多様だ。 そんな多様性に即して、通園を園バスに依存する選択肢も当然であろうことは重々把握できている。


 さて今回の事件の場合は、保育園側の通園バス運行があまりにもずさんである日常との実態だったようだ。

 バスの運転を担当していた園長が、園児降車後のバス内点検を怠っている事実、園児を誘導する職員も園児の降車確認をしていない事実。 そして、園児の出席確認や点呼を行っていない事実。
 
 不運が重なり、当該男児はその日33°Cまで上昇したとの暑さの中バス内にひとり取り残され、司法解剖の結果、死亡したのは午後1時頃と推定されるとの最悪の事態に至ってしまった…

 幼き園児のご冥福を祈るしか方策がとれない身で申し訳ない、としか言いようがない実に悲しい事件だ…


左都子の「自然科学概論」 小講座 Ⅸ

2021年07月30日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、原左都子2度目の大学にて受講したA先生による「自然科学概論」講義ノートより転載したもの。)



 今回の自然科学概論は「ラテン中世の科学」がテーマですが、時代が中世へと移りゆきます。

          
 ラテン語圏の世界は、学術的には暗い状況にあった。
 ラテン語に翻訳された資料や書物が無かった。

 “十二世紀ルネサンス”と呼ばれた頃に、様々な方面で大きな変化が表れた。
 水車の利用等による農業技術改革がおこり、修道院を中心に働くことが重視され、生産力が拡大した。
 これにより、人々の自由時間が増大し、都市が発達して、大学がうまれた。

 大学 University はギルド名が置き換えられたものであり、自主的に発展していった組織である。 自主権を認めてもらうための闘争があった後、存在が認められた。 特殊なギルトといえよう。

 シルヴェステル2世(オーソヤックのゲルベルトウス《ジルベール》945~1003)はイスラムにあこがれカタルニア地方へ出かけて行き、古代及びアラビア科学の継承をした。
 コンポートウス文書は天文学の知識を集大成したものだが、レベルは低かったようだ。
          
 12世紀に入ってから、本格的翻訳活動が自然発生的になされ、学術活動が活発になった。

 バズのアデラート(1116~1187)は、アル・フワリズミーの天文学の翻訳をした。 また、アラビア数字をヨーロッパへ紹介した。

 クレモナのジェラルド(1114~1187)は、プトレマイオスの“アルマゲスト”の翻訳をした。(1175)
 ところが、実はそれ以前にシチリア島で翻訳されていたようだ。(1160)
 シチリアはイスラムの統制下にあったが、ノルマントの征服によりラテン世界へ統合された。

 アリストテレスはラテン語に翻訳され次々と紹介された。 
 プラトンは、『ティマイオス』『メノン』のみ紹介された。 プラトンの場合、数学は自然研究の位置づけだったが、アリストテレスは数学は自然研究として認めていない、との違いによる扱いの差のようだ。

 ガリレオは、ものが動くことイコール落体の運動、というように数学的規則性により現象の整理をした。
 着眼点を全く変えた。

          
 数学的科学も紹介された。 エウクレイデス「原論」、プトレマイオス「アルマゲスト」、アルキメデスの著作の一部。

 光学(現在の幾何光学)も紹介された。
 
 これらは、アリストテレスの科学にうまく収まらなかった。
 アリストテレスの科学が純粋な科学であるのに対し、上記の科学は中間科学scientia media  との低い位置づけとして捉えられた。

 何故、アリストテレスのみ紹介されたのか。
 それは、スペインが窓口となったためである。
 “アリストテレス主義” のスペインの哲学者 アヴェロエスはCommentatorであるが、高い評価を得ていた。

 その一方で、反アリストテレス運動も13世紀に表面化した。
 ヨーロッパの世界観と調和しない。
 キリスト教的世界観に対し、重要項目に於いてアリストテレスは異なる主張をしていた。 
 ● 形相 エイドス(イデア)は質量と一緒になって実体になる。
 ● エピステーメー : 正しく必然的な原理に基づき論証をする。

          
 アリストテレスは、空虚は存在しえない。 背景に物理学があり、論証可能であることが重要、とするのに対し。
 キリスト教は、神が望みさえすれば作り出すことができるとしていた。

 アリストテレスは、多世界説を否定する。
 キリスト教は、可能性として多世界もあり得たが、神の望みによりひとつになった、とする。

 参考だが、イタリアの哲学者 ジョルダノ・ブルーノは世界説を説いたが、異端扱いされ処刑された。
 アナキスは、量より質、完全性、統一的な世界が完全として、多世界説を否定した。

 反アリストテレス運動が起こり、アリストテレス崇拝者はキリスト教徒として認められなかった。


 

 最後に、原左都子のひとりごとだが。

 どっと疲れたなあ。😵 
 このシリーズの執筆は、実際“重労働”です。😫 
 それでも哲学者 A先生の大ファンだった私は、まだまだ頑張りますよ!!


へえ~、私が住む東京メトロ線が更に発展するんだ

2021年07月29日 | 時事論評
  冒頭から、ネット情報を紹介しよう。


 東京の地下鉄の新線計画の中で実現に向かうのは2線。1つは東京メトロの有楽町線延伸で、豊洲から江東区を縦断して住吉まで延ばす計画。 東京都東部の観光拠点へのアクセスや、交差する東西線の混雑緩和が期待される。

 東京都は新型コロナウイルス感染収束後に訪日外国人を大きく増やし、東京の国際力強化を狙う。Co2削減など環境に配慮した都市作りの面からも、地下鉄整備は世界的に進められる傾向にある。

 ■硬直していた新線計画
 事業の主体としてはかねてより東京メトロが浮かんでいたが、2004年に東京メトロが設立された時、新線の建設は行わない方針をはっきり表明していた。
 東京メトロにとって、新線建設で会社の財務が傷めば早期の上場にマイナスだ。このため、東京の地下鉄の新線計画が2016年に整備対象として示された後も、誰が事業主体になるのかや費用負担をめぐって硬直していた。
 東京メトロの株主として、新線を建設してほしい東京都。一方、国(財務省)は、株の売却益を東日本大震災の復興財源に充てるために確実な売却を望んでいた。
 東京メトロは、財務の心配なく上場し、民間企業としてより自由に事業を展開したい。それぞれの条件が折り合わなかった。
 しかし去年から、新線建設と東京メトロ株売却の両方の機運が盛り上がり、公的な財政支援を使うことなどで東京メトロによる新線建設と株売却を両立させる策が、国交省を中心に議論された。

 ■株2分の1の売却で、新線にGO!
 15日に出た国交省の有識者会議の答申は、地下鉄の新線計画2線について「早期の事業化を図るべき」とし、東京メトロに事業主体になるよう求めた。完全民営化をめざす経営に悪影響を及ぼさないように、公的な補助金や融資を活用することが適切だとしている。
 また、株式の売却は段階的に進め、当面、国と東京都が2分の1ずつを売却して、新線建設への関与と復興財源の確保ができるようにした。それぞれが許容できるぎりぎりのバランスが示されたのだ。
 これを受けて国交省は、来年度予算の概算要求で新線建設にむけた調査費を要求する方針。新線建設への一歩を踏み出す。

 東京都は新線を最大限に生かして魅力的な国際都市になれるのか?民営化に向かう東京メトロは、民間企業として経営のガバナンスも高める必要がある。
 国(財務省)は復興財源のために、最良の時期と形での株売却が望まれる。
 それぞれの課題をかかえながら、10余年後の首都東京を見据えた大プロジェクトがスタートする。

 (以上、ネット情報を引用したもの。)



 原左都子自身も、東京メトロ沿線に住んでいるが。
 この路線沿線に現在の住まいを選んだ理由が、まさに“利便性”だった。

 特に当時3年後に中学進学を控えていた娘の通学の利便性を考慮して、この地に住居を買い替えて引っ越してきている。
 それが大正解で、娘は中高生時代はメトロ線を利用し乗り換えて学校へ通った。
 その後進学した大学もメトロ路線を乗り換えて通える場所にあり、引き続き自宅から4年間通学してくれた。
 新卒での就職先も、多少遠くはあるもののメトロ線からの乗り換えで日々電車通勤している。

 一番画期的だったのはメトロ副都心線が東横線と直結し、その先のみなとみらい線まで直通で行けるようになったことだ。
 今はコロナ禍故に、高齢域に達してやすやすと電車の乗っている場合ではないが。 
 少し前までは娘と二人でこの直通路線を利用して横浜散策や、横須賀方面へよく出かけたものだ。


 今回の新線計画のひとつは東京メトロの有楽町線延伸で、豊洲から江東区を縦断して住吉まで延ばすそうだ。

 豊洲・新木場方面は我が家の最寄り駅から一直線だが、娘が子どもの頃にはお台場方面へ地下鉄利用でレジャーに連れて行った。 
 その際に、未だ2歳だった娘が地下鉄駅の壁の色を知らぬ間に覚えて「次は白、次はピンク、次は虹色……」と私に告げる。 最初は何のことやら分からなかったが、真っ暗闇の地下鉄内では駅に着く都度目にする駅の壁の色こそが、娘にとって一番の興味の対象だった様子だ。 (本エッセイ集バックナンバー「色の後からものが見える」において、このエピソードを紹介しています。)


 最後に、上記引用分の最後の箇所を今一度繰り返しておこう。

 東京都は新線を最大限に生かして魅力的な国際都市になれるのか? 民営化に向かう東京メトロは、民間企業として経営のガバナンスも高める必要がある。
 国(財務省)は復興財源のために、最良の時期と形での株売却が望まれる。
 それぞれの課題をかかえながら、10余年後の首都東京を見据えた大プロジェクトがスタートする。

 このコロナ禍がいつまでこの世に蔓延るのかを思うと、誰しも途方に暮れるだろう…
 まさに庶民の身としては、電車にやすやすと乗れない時期が一体いつまで続くのか計り知れないが。

 10余年後の首都東京を見据えた大プロジェクトはスタートするようだ。
 果たして、その新線を最大限に活かして大都市東京は魅力的な国際都市になれるのかどうか???


左都子の「自然科学概論」 小講座 Ⅷ

2021年07月28日 | 学問・研究
(冒頭写真は、原左都子が2度目の大学にて受講したA先生による「自然科学概論」の講義ノートより掲載したもの。)


 左都子の「自然科学概論」小講座はテーマが変わり、「ギリシャ科学の継承」へと移ります。

 A先生の講義によると、ギリシャ人は法律・政治・文学が得意だったために、それらに関心が無かった(ラテン語の)ローマ帝国へはスムーズに伝承されなかったらしい。
 ギリシャには、プラトン・アリストテレス等著名な哲学者たちが存在するが、ギリシャの学問をラテン語に翻訳したものはほとんど無い、とのことだ。
 

          
 そのローマ帝国は、東がギリシャ語圏、西がラテン語圏と分裂して滅ぶ運命にあった。 
 ゲルマン民族の国家は学術レベルが低く、ローマを理想としていた。

 プラトンの著書「ティマイオス」は前半部のみがラテン語に翻訳されている。(カルキデュウスによると)
 この著書は、プラトン自身にとっては重要な位置づけにないらしいが、科学史上、重要な意味をもつ。
 デモクリトスの影響を受けた「幾何学原子論」では、正多面体を火、空気、水、土、それぞれの元素に結び付けている。
 ある意味では、近代的chemistry(化学)を先取りした思想の本である。

 アリストテレスの場合、論理学上の書作の一部が4世紀前半頃、ボエティウスによりラテン語に翻訳されている。

 エウクレイデス「原論」、プトレマイオス「アルマゲスト」、アルキメデス
に関しては翻訳が無い。
 ローマ時代の医者 ガレノスの著作は、(哲学、科学分野も)すべてギリシャ語で書かれている。
 プラトンの「ティマイオス」は、神の世界の創造につき研究する学者たちに影響を与えた。

          
 「東の世界」(申し訳ないが原左都子として意味不明だが、後述するアレキサンドリアより東とのことか?)において、学問活動の伝統は保たれていく。
 アリストテレスは「アルマゲスト」の注釈を成したが、このように学問活動において、“注釈”が主たる活動となり。
 異教・異端の迫害により、学問が排斥されていく。

 “新プラトン派”は、プラトンとアリストテレスの両者を混合したような派閥であり、神秘主義的で宗教に近い派閥だったが異教と扱われ、迫害された。
 これにより、ヒパチア(女性科学者か?)は殺害された。

 “アテネ アカデミー” のシンプリキオスは、アルキメデスの注釈を沢山書いた。 新プラトン派から迫害され、アカデミーも閉鎖させられた。

 “ネストリウス派”は431年に、異端とされた。
 三位一体説を認めるのが正統派とされ、それを認めないのが異端とされた。
 
 451年にカルゲドンにより唱えられた“単性論”は、歴史上その後も時々息を吹き返している。 ニュートンも、この“単性論者”である。

 とにかく、異端論者の科学者が多かったようだ。
 アレキサンドリアは危険な場所だったため、科学者は東へ逃げた。
 その途中で(エデッサ)アカデミーを創設したが、489年に閉鎖させられている。

          
 そして、ペルシャへ。
 ここでアカデミーの思想が受け入れられ、辛うじて古代科学が伝承される。
 ジュンディシャープル を中心に活動した。
 この町は、特に医学の町として名高い。



 原左都子の後記だが。

 この辺(ギリシャ及び、エジプトのアレキサンドリアあたり)はプラトン哲学から命名した娘が中2の夏に家族旅行をして訪れているのに。
 古代ギリシャにプラトンが創設したアカデメイアのみは現地を確かに見学したが、その他は残念ながら訪れずに帰国している。

 出発前に当該A先生の講義ノートを見ておけばもっと有意義な旅行になっただろうに、と今更ながれ悔やまれるなあ…

 ただ現地は夏場は猛暑を通り越して激暑につき、この辺りを旅行される場合は、真夏の時期を避けられることを是非共お勧めしたい。


「振らないでください」と言われても…

2021年07月27日 | 雑記
 (冒頭写真は、朝日新聞2021.07.16付 記事「大人になった女子たちへ 割と振ってきたけど」より転載したもの。)


          
 近年、この手のアルミ缶入りコーヒー飲料の容器上部に、「振らないでください」と記載されているのをよく見かける。

 私自身は、決してこの手の飲料を購入しないのだが。 
 我が娘が職場の自動販売機にて購入し、職場で飲みきれなかったものを自宅に持ち帰るため、よく目にしている。

 
 これを初めて見た時の我が印象も、上記写真通りだった。

 「振れ」と言われて振るのは簡単だが。
 「振らないでください」との指導は、実際難しい。

 まさに私も、冒頭写真のイラストのごとくの想像をした。 
 「振らないでください」と言われても、例えば歩行中に自然と振れてしまう場合もあろうし、そうしたらどうなるのか??
 まず一番に考えられるのは、“味がまずくなる”ということだろう。 確かにコーヒーに泡を入れ込むと“まずくなる”ことは想像がつく。
 
 炭酸飲料じゃあるまいし、振っても中身が飛び出ることはあり得ないだろう。
 
 年寄りが缶を振ると若い人達に笑われる、との発想は私にもある。😁 


 この記事の筆者氏のご意見を紹介すると。
 たぶん、「開発の果てに振らなくてよくなった」 「(振っていて)誰かがケガした」とか。


 真相は不明だが原左都子理論としては、上記記載の通り「振るとまずくなる」が正解ではなかろうか??

 逆に、振らないと絶対的にまずいか、あるいは役に立たない食料も沢山ある。 
 今思い起こすに、フレンチドレッシング、粒入り果汁飲料、等々。
 そのまま静置しておくと分離したり沈殿する性質のものは、必ずや振って食するのが常識であろう。


 この記事の筆者氏は、現在51歳女性であられるようだが、「割と振ってきた人生だった」とのこと。 「よく振ってから飲んだ」のが人生の半分以上だったそうだ。


 最後に、我が身を振り返ってみるに。

 筆者氏よりもずっと長くこの世を生きてきているが、この私も「よく振ってきた人生だった」と言えよう。
 
 その結果として、やはり「よく振った」との経験則こそが、味わい深く美味しい人生を醸し出せたかもしれない。???