原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

某臨床医師M先生のブログが、大晦日の本日忽然と消えた!

2018年12月31日 | 人間関係
 今回の我がエッセイテーマは、決して元旦を迎えるには相応しい内容ではない事実を冒頭から断りしておく。


 実は3年程前から、私は某臨床医師先生(M先生とさせて頂こう)を尊敬申し上げていた。


 当該gooに医学関連専門記事ブログを公開されているM医師先生より、我が「原左都子エッセイ集」に読者登録を頂戴したのは、2016年の事だった。

 ブログの紹介文を読ませて頂くと、何でも「60代に臨床医にして心筋梗塞にて倒れたものの、その現場がご自身の臨床職場だった故に一命を取止めた」」云々とある。
 ついでにM先生のブログ読者を拝見すると。  これが何故か「医学」ド・ド素人の(高齢域に達した??)女性ばかりではないか!!
 この現状に正直申し上げてゲンナリさせていただいているうちに月日が過ぎ去り…。

 何がきっかけだったかの記憶が薄れているのだが… 
 私の方からもM先生宛に「読者登録」をさせて頂いた後に、こちらから初コメントを記入させていただいたところ。

 M先生よりの初コメント返答が、今でも忘れられない。
 「原左都子さんからは初コメントでしたか? ずっと以前よりお知り合いだったような感覚です」云々の回答を頂戴した。
 このご返答に気を良くした私は、その後M先生のブログに随時コメントを入れさせて頂く事と相成った。

 例えば、M先生が1995年1月17日に勃発した「阪神神戸大震災」直後に医療ボランティアとして現地に駆けつけられたブログ記事を読み、大いに感動した私は。
 「M先生は、あの日医療ボランティアとして現地で活躍されたのですね! 」と題するコメントを記入させて頂くと共に、2018-01-17の我がエッセイテーマとしてその内容を記載し公開させて頂いた。
 その内容のごく一部を反復させていただくと。
 阪神大震災時のボランティア活動に際し、「余りの状況に足が動かなかった事」、さらにはそれを被災者の皆さんが支えて下さり励まされたとのご記述。 その現実をあれから23年が経過した今、赤裸々に語られるM先生の素晴らしさに感激申し上げました!  等々の記載をさせて頂いた。

 これに対し、2018-01-17 22:14:46に頂いたM先生のご回答とは。
 原さん、今晩は。
 あの日、偶然にも夜勤でした。仮眠中の物凄い揺れに驚いたものでした。 幸い当病院の建物に被害は無く。 幾らか冷静さを取り戻したのですが、神戸への入り口に充、尼崎市の病院には懇意にしている医者が居りその人に連絡をいれました。 偶然にも夜勤でした。 彼の病院は被害は軽微であること、神戸の方の状況は不明であること、分かり次第連絡をしてくれるということでした。
 夜勤明けの看護師たちと話し合い、勤務開けに緊急の医療資材の確認やそれを持ち出すことが可能か、などを手分けして行う、同時に足の確保などを話し合い等‥準備を整える作業に入りました。
 尼崎から連絡が入り、4病院が倒壊の恐れがあること、また病院の多くが臨時的に野戦救護所的に運営されつつある事など、また「合流したい」との申し出もあり、私たちは平常勤務の医師との申し送り(時間前だったが)も済ませ、尼崎に向かいました。
 合流場所の阪神尼崎駅からは、緊急チームが急遽編成され、自己紹介もそこそこに彼らの道案内で長田地区に向かいました。
 後はもう何が何だか分からないままに、動いていました。 現地では、野戦救護所みたいな状況でしたが、病院関係者の手伝い、消防や警官のグループに合流、応急処置と病院への橋渡し役などを手分けして行ったのを記憶しています。
 現地では、被災をしたけれど比較的軽症だった人たちが中心になって、倒壊した家屋、火災した家屋の確認や、行方不明となっている人の捜索などが行われていました。
 というような状態でしたが。 取り敢えず「動けた」ことに、幾らか「使命の一端を担えることが出来た」のではないかと自負もしています。
 私は緊急医からその一歩を踏み出していたので、その点は自然に動けたとも言えます。
 長くなりましたが、今から23年前の出来事はある意味私の原点の一つでもあります。
 折に触れ、3・11とかなりの部分重なり合うのですが、これからも記述していこうと考えています。
 (以上、臨床医M先生宛に記したコメントに頂いた返答だが、これ程までに誠意ある詳細のご回答を頂戴した。)

 これなど、ほんの一例に過ぎない。
 ただ一ブログファンからのコメント返答として、ご自身の臨床医師としての“極み”を語って下さったM先生の人生の一部に私は魅了されたものだ。


 その後もM先生のキャパシティの大きさに甘えさせて頂いた私は、好き勝手なコメントを入れさせていただいた。

 その最後のM先生よりのコメントへ返答させて頂いた我がコメントが、M先生との最後の交流となった。
 その我がコメント文章を以下に紹介させて頂こう。

 パラメディカル分野で医学を学んだ私ですが、もしも我が学生時代にM先生の「講義」を拝聴できたならば、基礎医学方面ではなく臨床現場への就職も視野に入れたかもしれません。
 当時の(特に私が学んだ過疎地では?)医学教育に於いて、“患者さんと如何に向き合うか、等々「医療倫理」分野の教育が全くなされていなかった記憶があります。 その意味で医学教育も進化を遂げている感覚を抱きます。
 患者としてのM先生が周囲の医療チームに恵まれておられるのは、M先生のご人格の賜物でしょう。 “類は友を呼ぶ”と申しますか、M先生のお弟子さん医師先生達が、先生の教えを受け継がれている様子が十分に伝わりました。 確かにM先生は“恵まれた患者さん”かもしれません。 M先生はそんな恵まれた医療体制の下、今後も急速に快方に向かわれる事でしょう! 雑談の中に重要な命題がある事を、私も日頃よく経験します。
 (以上、私と臨床医M先生との最後の交流コメントを紹介したもの。)


 「医学」分野出身の原左都子が、臨床医師先生であられるM先生とgooブログ上で交流させて頂いてわずか3年足らずだ。
 その間に、M先生より学ばせて頂いた功績の程は絶大だ。

 本日2018.12.31の大晦日に、突然ブログを閉鎖(終焉)されたM先生。
 その行動に出た(?)M先生のポリシーが痛い程理解出来る気もする一方。 
 やはり辛くも悲しくもある。  せめて、M先生が生命を繋げておられる事を私は信じ続けたい…。
 

横浜中華街にて“年忘れ会”を開催しました!

2018年12月31日 | 旅行・グルメ
 (写真は、昨日実施した我が家の“年忘れ会”の会場となった 横浜中華街 萬珍楼點心舗 の玄関先。)


 引き続き、昨日撮影した横浜中華街の風景と、萬珍楼の料理、お土産品等のフォトチャンネルです。

横浜中華街にて


 (写真の縦が転換されていない事実に関しましては、時間の経過と共に解決するものとgooに期待します…)


 この我が家の“年忘れ会”の言い出しっぺは亭主だったのに、案の定、昨日午前中になって「ドタキャン」を私に告げるではないか!
 ただいつもの亭主の悪い癖であり、それを予想していた私は敢えてレストランの予約は控えていた。

 以前のエッセイにて公開したが、“年忘れ会”を近くのファミレスでしよう、と提案した私に対し、「それは無いだろう。年忘れ会は是非共名店だよ!」、と言い返したはずの亭主が…
 ただ、新年を目前にしてもう怒るのはやめよう。 (アンタ来なくたって、娘と二人で楽しんでくるよ~~~、一人で侘しく家で夕飯食べてろ!) 程度のものだ。


 そして、昨日娘と二人で中華街へ出かけた。
 我が家から横浜中華街までは、東京メトロ・東急東横線・みなとみらい線の直通運転により、電車乗り換え無しで行ける場所にある。
 しかも昨日電車に乗ったところ、さすがに年末のこの時期、皆さん郷里へ帰省したり旅行に出かけたりして首都圏を離れているのだろう。  座席に空席が目立つ。

 これじゃあ、横浜中華街も空いてるかなあ? と予想したら、それは大間違い!
 みなとみらい線元町・中華街駅に降り立った途端に、人で溢れている。

 とりあえず、中華街を散策しつつカメラ撮影をして。
 以前訪れた時には無かった「雑貨屋」へ立ち寄ってみる。
 何故か横浜中華街にインド雑貨屋が複数軒存在するのだが、インド旅行経験のある私には懐かしくもあり興味深い。
 その店舗で、私はイヤリングを買い求めた。 これはインドの原石を細工して作られた品だが、店舗オーナー手作りらしい。 しかもその価格表示が面白い。 原石ひとつひとつの値段が表示されていて、その合計額と共に価格を設定したようだ。 確かに石が素材であるため、多少重いが。
 娘が買い求めたのは中国製(?)らしき飾り物だ。 これも、インド風であり中華風でもあり異国情緒豊かなお土産だ。 (フォトチャンネル最後に、これらお土産物写真を掲載しています。)


 さて、“年忘れ会”会場である萬珍楼點心舗を訪れるに先立ち、萬珍楼本館へ立ち寄ってみる。
 その玄関先は物凄い混雑ぶりだ。 やはり支店の點心舗に食事処のターゲットを絞っておいたのが正解のようだ。

 萬珍楼點心舗に到着し「予約を入れていない」事を告げたところ、快い歓迎を受けた。
 既にレストラン店内は混雑していたものの、ちょうど良き場所に二人席が空いていて、そこに案内された。 店内の展望もよく、比較的落ち着ける場所だ。

 そして飲兵衛の私がまず注文したのが、萬珍楼自作の「かめ出し紹興酒」熱燗デカンタ500mlだ。 最初一口飲んだところ、酒好きの私にして若干“きつい”。 これ失敗したかなあ、などと思ったのはほんの束の間、二口目からは徐々に美味しさが増すではないか!  結局、一人でこれを飲み干すことと相成るのだが、悪酔いもせずちょうどよい気分で食事を終えられた。
 (料理に関しては娘の好み中心に注文したため割愛する。 何せ飲兵衛の私にとっては、酒のセレクトこそが充実した食事時間を過ごせる要でもあるしね。)

 帰り道に亭主へのお土産品の「肉まん・あんまん」と「甘栗」を買い、電車に乗る。
 電車内が空いているのを良き事に娘と二人でホカホカ作りたての「あんまん」を行儀悪くも座席でつまみつつ…。
 家に帰り着き、「ごめん。あんまんは二人で電車内で食べたよ」と亭主に告げると、「別にいいよ。 それより萬珍楼の料理を見たい」との要望に従い、我がカメラ映像を見せてやった。

 それを見ながら「肉まん」にパクつきつつ、亭主の“年忘れ会”は無事に終了した。


「原左都子エッセイ集」の“英語版”を発見しました!

2018年12月29日 | 自己実現
 (写真は、本日朝ネット上で発見した「原左都子エッセイ集」(英語版)の映像。)


 これ、Googleの英語翻訳機能により英語翻訳されているようだが、ネット上で英語版を発見出来るという事は、どなたかが我がエッセイ集を英語翻訳してお読み下さったということだろうか?

 そう言えば、「原左都子エッセイ集」訪問者の中には外国人の方々も少なくないし、また諸外国の検索画面にても我がエッセイ集が検索出来たりもする。

 参考だが、「原左都子エッセイ集」Googleの英語翻訳版のURLは、
  Google検索  https://blog.goo.ne.jp/4456hs 
  Translate from Japanese to Engish (あるいは他外国語)でいとも簡単に出来るようだ。


 いはやはブログ開設後11年以上経過した今頃になって、自分が執筆したエッセイ集の英語翻訳版と初対面し実に驚かされた。
 しかも本日午前中、英語翻訳版にざっと目を通したところ、これがなかなか素晴らしい翻訳ぶりなのだ。
 
 私は過去に於いて外国人知人用に、我がエッセイ集紹介を英語にて記した文書を作成しようと志した事がある。
 例えば、「エッセイ集」を英語で何と訳すか? 散々考えたものだ。
 この英語翻訳版では、あっさりと「essay collection」  これには唸った!

 あるいは、カテゴリーの翻訳も素晴らしいの一言だ。
 「時事論評」が、「Current affairs commentary」
 「学問・研究」」は、「Academic reseach」
 「健康・医療・介護」は、「Heath,Medical,Nurssing Care」 等々……

 ついでに、最新記事である時事論評カテゴりー「IWC脱退、またもや安倍政権の独りよがりで乱暴な政策か!?」 に関しては。
 「Withdrawal from IWC,again Abe's politeness and a rough policy! What?」と訳されている。 この翻訳力にも、日本語著者である私としては唸らされるなあ!!


 更に、2007年開設初期バックナンバー至るまでその「翻訳力」の程を一部抜粋して確認してみたところ。  な、な、何とエッセイ総本数2000本を超過している我がエッセイのすべてに於いて、この「英語版」のほぼ完璧な事!
 途中、日本語のままに残されている箇所もあったが、おそらくあれはシステム上のトラブルか何かであり、翻訳力とは別の事情であろう。
 はたまた我がエッセイ集に於いて、一本のみ全文英語のエッセイが存在するのだが。 これを確認したら全文オリジナルそのままだった。 むしろ私としては英語翻訳機能に「添削」して欲しかったものだが。

 一点のみ難点は、我がペンネームである「原左都子」の“左都子”の翻訳力が無い点だ。
 これが表題からして「Kyoko」になっていたり、「left ナンタラ」と訳されていたり…。 まあ、現時点での翻訳AI機能として“固有名詞”翻訳は無理な課題なのだろう。


 英語力を何らかの手段でブラッシュアップしたいと常々目指している私にとって、この「原左都子エッセイ集」“英語翻訳版”は、そのブラッシュアップ手段として今後大いに役立ちそうだ。
 自身が記したエッセイを「英語」で読み返すことにより、その学習が叶うとは何とラッキーだろう。

 この年末の時期にそんな偶然に出会えた幸運を喜びつつ、今後“英語翻訳版”「原左都子エッセイ集」にて英文の読み書き力を学び直そう! 


P.S.
 大変申し訳ございませんが、上記記載のGoogle検索にて我が「原左都子エッセイ集」“英語版”が私自身も現在検索不能な状態です。 ネット英語翻訳に長けている読者の皆様に、如何なる手段でアクセス可能かに関するご伝授を頂けましたならば幸甚です。

 更に追記
 私の推測では、おそらく「原左都子エッセイ集」“英語版”(諸外国語版も含めて)は、どなたかが翻訳してお読み下さっている時間帯のみネット上で閲覧可能なのでしょう。 常に閲覧可能とした場合、個人情報保護の観点からも問題があろう事とも推測します。

IWC脱退、またもや安倍政権の独りよがりで乱暴な政策か!?

2018年12月27日 | 時事論評
 冒頭から、朝日新聞本日2018.12.27朝刊記事より、政府による「商業捕鯨30年ぶり再開」に関する一面記事及び社説を以下に要約して引用しよう。

 政府は26日、鯨の資源管理をしている国際捕鯨委員会(IWC)を来年6月末に脱退し、7月から日本の排他的経済水域内で役30年ぶりに商業捕鯨を再開すると発表した。
 (以下、社説より引用するが)、結論もそこに至る議論の過程も納得できない。 
 IWCは、鯨の保存(保護)と共に捕鯨産業の秩序ある発展を目的としている。 資源量の多寡にかかわらず捕鯨を否定する反捕鯨国の主張は、確かに条約の趣旨から逸脱している。
 だが、日本は各国間で主張の相違があっても、国際協調主義や法の支配を基本において、問題の解決にあたる姿勢をとってきたはずだ。 自国の主張が通らないからと言って、国際条約から脱退するとの判断はこれに背く。 日本の外交にマイナスの影響を与えかねない。
 漁業に限ってみても、資源の国際管理は重要性を増している。 国際協調を軽視すると見られれば、今後の公証での不利益につながる懸念もある。
 日本の南極海などでの調査捕鯨に対する国際司法裁判所等よりの批判に耳を傾けた結果として捕鯨をやめ、南極海から撤退するというのえはれば、対話の糸口になるだろう。 だが、水産省は「日本が商業捕鯨を再開する以上、続ける必要がなくなった」と、自国の都合を中心にした説明をしている。 
 今回の脱退決定にあたって政府は国民に開かれた議論を避けてきた。 国会での突っ込んだ議論もなく、審議会などのプロセスも経ていない。 商業捕鯨再開後の捕獲頭数においても具体像が示されていない。
 様々な論点が残るにもかかわらず、なぜ性急に脱退に突き進んだのか、説明が求められる。
 (以上、朝日新聞一面及び社説より要約引用したもの。)


 一旦、私見に入ろう。

 昨夜のテレビニュース報道内で安倍政権 菅官房長官による上記「商業捕鯨再開発表」を視聴し、上記朝日新聞社説同様、安倍政権のあまりにも性急で乱暴とも言える捕鯨再開発表に、驚かされるやら呆れるやらだった。
 何故、これ程性急に捕鯨を再開せねばならないのかの説明が一切無く、ただただ「再開する!」事実のみを棒読みで伝える菅氏の横柄とも言える態度には、いつも愕然とさせられるが…。

 私事だが、鯨と聞いて私が一番に思い起こすのは、小学生時代の学校給食だ。
 1960年代に過疎地の公立小学校児童だった私だが。 当時の給食のまずさと言えば、それはそれは筆舌に尽くし難い程悲惨だったものだ。 来る日も来る日も、パサパサの山形パンに脱脂粉乳……
 中でも特に我が記憶に残っているのが「鯨肉」である。 繊維質ばかりの肉質で油っ気が一切無く何だかボソボソしている食感に加えて、味付けのまずいこと!  我が地方特有の食習慣だったのかもしれないが、何故かこの鯨肉が学校給食に頻出するのだ。
 元々小食で給食をほとんど食べられない我が身にとって、「鯨肉」の日は拷問に近いものがあった。
 ただ当時から“食の太い児童”は「あれ」をお替りしていたのかもしれない…。 


 話題を変えよう。

 私は本エッセイ集バックナンバーに於いて、我が国の「鯨イルカ漁」に関する私論を2度述べている。
 それは、2010.05.23公開の「『ザ・コーブ』におけるドキュメンタリーのあるべき姿」 及び2011.07.22公開の「続編『ザ・コーブ』におけるドキュメンタリーのあるべき姿」内に於いてだ。
 そのうち前者エッセイ内に於いて述べた「イルカ漁 」に関する記述部分を、以下に再掲載させていただこう。

 「ザ・コーヴ」とはアカデミー賞受賞直後より、特に日本国内において物議を醸し続けている米国映画作品である。
 この映画作品をご存知ない方のために、ここでその内容をごく簡単に説明しよう。
 我が国の和歌山県太地町において昔から伝統漁業としてイルカ漁が行われ、地元では学校給食にも捕獲調理されたイルカが出され食されている現状であるらしい。 これに目をつけたイルカ保護団体がそれの残虐性にのみ焦点を絞り、太地町の許可を得ずに隠し撮りや捏造、恣意的な編集、漁民への挑発や俳優に演技をさせた“やらせ撮影”等々の手段によりイルカ漁の“悪魔性”を強調して制作したのがこの「ザ・コーヴ」であるとのことである。 (途中大幅略)
 最後に、原左都子個人の鯨イルカ等の捕獲漁に関する個人的見解を述べると、正直申し上げて“反対派”である。
 我が国は既に(現在は曲りなりではあるが)一応先進国に位置している。その種の国では、食性において“世界標準”に従うべきではないかと感じるのだ。
 世界の数多くの国々が嫌悪感を抱く食材をあえて食さずとて、“世界標準”の食材を国民に分配することにより国民の健康は十分に満たされる時代のはずである。 それ故に我が国の国政は、特殊な狩猟や漁に頼って生き延びている生産者への方向転換指導に早急に着手するべきと考える。
 我が国においては歴史的に決して特殊な宗教が蔓延っている訳でもない。 その観点からも生産者側、消費者側両面での“世界標準”の食糧指導は容易なはずである。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)

 参考だが、2011.07.22公開の我がエッセイ「続編『ザ・コーブ』におけるドキュメンタリーのあるべき姿」に於いては。 
 その後NHK特集にて放映された、和歌山県太地町にて実際に鯨イルカ漁を実施している漁師一家の様子を視聴し、その苦悩の程を私なりに思い知り、その観点より「鯨イルカ捕鯨」に関し若干の修正私論を述べるに至っている。


 話題を、表題の安倍政権の独りよがりで乱暴な「IWC脱退」宣言に戻そう。

 昨日見たテレビニュース内では、我が国に於いて鯨を食する側の“食材”としての意義に関する発言は菅官房長官の口からはただの一言も聴けなかった。
 ただただ突如として「IWC脱退決定!」が告げられ、私の耳には「そうすると安倍政権が決定したんだから国民の皆よ、それを心しておけよ!!」といつもながらの命令口調だった。

 IWCを突如脱退する事実とは、まさに今後の国際関係に於いて様々な弊害を新たに引き起こす元凶となるのは歴然だ。
 その発表に於いて、今の時代背景に於ける我が国の「鯨捕鯨」の真なる必要性の提示や議論が全く無いまま、安倍政権は暴走を続けようとの有様だ。

 任期終了を3年後に控え、安倍氏は一体如何なる政治理念の下にこのような暴走を続けたいのだろうか???

マンションセキュリティシステム全館総入替の大騒動

2018年12月24日 | 時事論評
 (写真は、先週入替したばかりの新たなマンションセキュリティシステム機能の一つ、我が個別住居の玄関先に取付けられた防犯カメラが玄関ポーチ付近を撮影したもの。 室内ディスプレイ画像により、常にこの確認が可能だ。)
 

 現在の我が家は、婚姻後3度目の買替マンション物件である。
 何故、短期間で幾度もマンション買替を実施せねばならなかったのかと言うと、それにはその時々の様々な事情があった。

 一件目は、我が見合い結婚に“付録で付いて来た”「超高層マンション物件」だった。 (要するに、我が見合い結婚の条件の一つに嫁ぎ先よりの“新築マンション物件購入資金援助”のおまけがついていたのだが。)
 これが我儘な我々夫婦が気に入らず、たった1年半で売却買替と相成った。
 と言うよりもバックナンバーでも既に記載しているが、実際問題、超高層タワー物件とは貧乏人が住む場所ではない事に入居後すぐさま気付かされるはめとなったのだ。 常に強風ビル風が吹き荒れベランダに洗濯ものや布団を干せたものではないわ、エレベーターの待ち時間は長いわ、とにかく管理費・修繕積立金負担が高額だわ等々、実生活を送るにふさわしい棲家ではなかった。
 
 そして二件目だが。 亭主の仕事を優先した場所に住み替えたものの。
 今度は、(生まれ持っての若干の不具合が子供の頃表面化していた)我が子が学校でいじめ被害に遭遇するはめとなり…。 その被害から逃れるため転校を決意して新たな住居に買い替えた。 

 三件目買い替えの現在のマンション物件こそが現在の我が家であるが、早いもので転居後16年の年月が流れている。
 3年程前に「第一回大規模修繕」(総額4000数百万円也。一戸当たりの負担額は約150万円。これを13年間にて積み上げた修繕積立金にて全額賄った)を終え、しばらくマンション物件設備への巨額負担は無いなあ、と安心していたところ。


 今年の春頃、マンション管理組合を通して冒頭の「マンションセキュリティシステム全館総入れ替え」の提案が管理会社よりあった。

 実は我が家は上記「第一回大規模修繕」に関しても、時期尚早との理由で反対派だったのだが。 というのも管理会社による事前調査に於いては、未だ致命的な物件の痛みが無かった故だ。
 ところが管理組合の賛否決議に於いて、賛成者多数により可決してしまったのだ。 まあ何と申しますか今時の庶民は何とも素直と言うのか、管理会社の意向に直ぐに従う傾向があるようだ。 

 ただ、まさか今回の「マンションセキュリティシステム全館入替」に関しては、反対者多数と思いきや。 何とこれも反対派は我が家のみ! ほぼ満場一致で決議されてしまった!! 
 参考だが、入替総額500数十万円也!(一戸当たりの負担額は約18万円と大した金額ではなかったのがその一番の理由であろうが。)

 我が家が反対した理由とは、物件購入時より装備してあった「全館セキュリティシステム」で十分な防災が叶っていた感覚がある故だ。 
 ところが賛同者住民皆さんの意見とは、「16年前の防犯システムでは、現在社会に於いて犯罪が劣悪化している事態に対応不能!」との事のようだ。 私などこれらご意見に対し「住人の皆さん、それ程に何らかの被害に遭われているのかなあ??」としか考えようがなかったものだ。
 ただ確かに、子どもの年齢が低い家庭や高齢者のみの家庭などは、“来るべき犯罪被害”に怯えながら暮らしている実情かもしれない。

 何はともあれ管理組合決議にて「セキュリティシステム全館入替」が決議された以上、それに従わねばならない。


 そして先週一週間かけて、その作業がマンション内で実施された。

 一番斬新なのは冒頭写真で紹介した通り、マンション内個別住居全ての玄関先に「防犯カメラ」が取り付けられた事だろう。  
 確かに室内ディスプレイ画面を一クリックするのみで、個別住居の玄関先の様子がいつでも確認可能だ。

 以前の防犯システムでも装備されていたが、外部からの窓侵入者チェックや火災報知の役割も以前の機種よりも簡単に果たす機能となっていて、いざと言う時の助け舟にはなりそうだ。


 まあそうだとしても。
 
 やはり防犯に一番欠かせないのは、日頃の「個々人の防犯意識」ではなかろうか?

 我が家の場合は、特に娘に対するその教育は幼き頃よりしつこ過ぎる程に実施している。 何分素直な娘がサリバンである我が指導に常に従ってくれるお陰で、幼少の頃より妙齢(既にその年齢は過ぎ去ったか??)に至った現在まで、事無きを得ているのはラッキーだ。

 防犯システムの進化とは現実社会における犯罪劣悪化実態の裏返しであり、決して喜ばしい事ではなかろう。
 それでもその防犯システムを強化したいとの庶民の思いにも寄り添わねばならない、現実社会の厳しさ・悲しさなのでもあろう…