昨日(6月28日)午前3時、我が義理姉が癌闘病の末に命を閉じた。
享年 63歳 の若さだった。
義理姉が突然入院したとの情報が身内に届いたのは、昨年末12月の事だ。
この時点での我が痛切な思いを「原左都子エッセイ集」2012年12月バックナンバー 「『余命告知』という家族に課せられる重責」 と題する記事に於いて綴っているため、その一部を要約して今一度反復させていただこう。
義理姉が突然入院したとの情報が身内に届いた。
身内曰く、「十二指腸潰瘍らしいが…」 私も過去に十二指腸潰瘍を患った経験があるが、それにしてもそれが理由で突如入院とは相当潰瘍が悪化しているのであろうか??
その翌日、身内、義母及び義理姉の息子が病院へ出向き詳細を確認することと相成った。 その情報によると、姉が医院を受診した当初のきっかけは貧血症状だったようだ。 腹部の痛み等の症状は特段なかったとのことでもある。 医院にて諸検査の後、急きょ入院を指示され大病院にて諸検査と相成った。 それと平行して貧血の程度が重度のため即刻輸血が施されたとのこと。 さしあたっての各種検査の結果としては、貧血は消化器系からの下血によるもの、そして膵臓に腫瘍があるとのことでもある。 マイクロスコープによる胃腸検査の結果、特段胃腸に異常は見当たらないようだ…。 近いうちに膵臓の腫瘍を摘出する手術実施予定との事だ。
その話を身内から聞かされた元医学関係者の私の脳裏には、一瞬にして暗雲が立ち込めた…。
輸血が必要な程の大量下血!?! さしあたり胃腸の異常が見当たらないとの事は、その下血は膵臓の腫瘍に由来していると考えるべきだ。 だとすると、その腫瘍は既に相当悪化していると判断可能だ。 手術で摘出できるとよいが… 私の診断では義理姉は「膵臓癌」に間違いない。
その後まもなく、義理姉は手術を受けた。 手術の結果、義理姉は私の診断通り「膵臓癌」だったのだが、その悪化度合いが私の予想よりはるかに進行していた! 医師の説明によると、癌が大きく動脈を傷つけるため手術によっては摘出不能、今後抗癌剤投与で様子をみるとの事だ。(後に抗癌剤投与は義理姉の意思により拒否したのだが)
そして医師より付け加えられたのは、義理姉の「余命は長くて1年、短ければ3か月」…
私が知る限りでは義理姉は早期に父母から生前贈与された財産をフル活用し、贅沢三昧の暮らしぶりのようだ。 常にブランド物で身を包み、社交ダンスを趣味として、海外旅行にも頻繁に出かけていた様子だ。 親しい友人達とランチにディナーの日々グルメ三昧だったとの話も義母より多少見聞している。
そんな義理姉に親族は如何なる「余命告知」をするべきなのか??
(以上、「原左都子エッセイ集」昨年12月バックナンバーより一部を要約引用)
その直後、義理姉は2度目の手術を受けた。 それは膵臓癌が大き過ぎて十二指腸を圧迫し、食物がそこを通過不能なため十二指腸を切除するとの内容だったようだ。
それと同時に、義理姉は自分自身で膵臓癌を察知して自ら医師に余命を問うたらしい。(その場面には残念ながら私は立ち会っていないのだが) その結果、義理姉は果敢にも自分の「余命」を受け入れ、余命期間はホスピスで過ごしたいとの自らの意思を表明した。 それと同時に「抗癌剤投与」も拒否したとのいきさつである。
まもなくホスピスに移って後、義理姉はごく近しい親族を除き、(私も含めて)すべての人物との面会を拒絶した。 (その時点で既に義理姉は元の容貌をすっかり失い“痩せこけて”いたとの身内の談話だ。)
その後の義理姉闘病情報は我が身内に頼らざるを得ないのだが、義理姉は自らの余命を知りつつも比較的冷静なホスピス生活を送ったようだ。
そして今年5月に入り、義理姉は「死は自宅で迎えたい」との最後の意志表明をした。
その意向に従い義理姉は5月中旬頃に自宅に戻った。 その時点でホスピスにおいて体中に繋がれていたチューブをすべて外し、自宅で「死」を待つ段階に入ったとのことだ。
後は経口水分摂取のみで命を繋ぐ事と相成る。 当該時点での医師診断は「余命2,3日」……
ところが義理姉は担当医師の“後2,3日持つかどうか…”の最終段階余命宣告に反発するかのごとく、経口水分摂取のみで命を繋げる日々が続くのだ!
生命最終段階において類稀な生命力を発揮する義理姉に対し、我が身内が私に言った言葉に大いなる感銘を受けた。 「姉は自分が老後に住む家を現在建築中だ。(既に義理姉の息子に生前贈与済みだが)自分が建設施工依頼したその家の出来栄えを是非一見してから死にたい意向が強いようだ。」 義理姉建設住居は11月完成予定だが、それを是非共一見して欲しいと私も同感した。
最後に原左都子の私論に入ろう。
現在の医学に於いて治療不能な疾患は未だに数多く存在する事実は、元医学関係者である原左都子としては当然ながら想定内である。
加えて、真面目に健康診断を受けている人を救えない現在の医療世界であることも重々承知している。
義理姉は普段からまめに医院・病院へ通い、欠かさず健康診断を受けていた部類の人物である。 そうであるのに何故、末期の膵臓癌を健康診断過程において摘発不能だったのか!?!
と怒ったところで虚しいばかりであることすら、元医学関係者として理解出来てしまえるところが実に辛い……
現段階での医療の発展とは既に遺伝子分野(はたまた再生医療)へと移ろった。 それによりある程度の遺伝子診断が可能とは言え、それも確率診断の域を超えていないことは愚か、臨床場面ではまだまだほんの少しの病態に関してしか解明されていないのが実情だ。
何故、義理姉は現在の医学において治療が未知数で死を運命付けられた「膵臓癌」になど罹患してしまったのだろう。
それは持って生まれた遺伝子要因が大きいのかとも考察しつつ、今後我が命を如何に繋げるべきかとの命題を突きつけられた思いでもある。
明後日7月1日、膵臓癌に罹患したばかりに短命を余儀なくされた義理姉の葬儀が施される。
既に葬儀会場に花を手向けた。
粛々と、最後のお別れをしてこよう……
享年 63歳 の若さだった。
義理姉が突然入院したとの情報が身内に届いたのは、昨年末12月の事だ。
この時点での我が痛切な思いを「原左都子エッセイ集」2012年12月バックナンバー 「『余命告知』という家族に課せられる重責」 と題する記事に於いて綴っているため、その一部を要約して今一度反復させていただこう。
義理姉が突然入院したとの情報が身内に届いた。
身内曰く、「十二指腸潰瘍らしいが…」 私も過去に十二指腸潰瘍を患った経験があるが、それにしてもそれが理由で突如入院とは相当潰瘍が悪化しているのであろうか??
その翌日、身内、義母及び義理姉の息子が病院へ出向き詳細を確認することと相成った。 その情報によると、姉が医院を受診した当初のきっかけは貧血症状だったようだ。 腹部の痛み等の症状は特段なかったとのことでもある。 医院にて諸検査の後、急きょ入院を指示され大病院にて諸検査と相成った。 それと平行して貧血の程度が重度のため即刻輸血が施されたとのこと。 さしあたっての各種検査の結果としては、貧血は消化器系からの下血によるもの、そして膵臓に腫瘍があるとのことでもある。 マイクロスコープによる胃腸検査の結果、特段胃腸に異常は見当たらないようだ…。 近いうちに膵臓の腫瘍を摘出する手術実施予定との事だ。
その話を身内から聞かされた元医学関係者の私の脳裏には、一瞬にして暗雲が立ち込めた…。
輸血が必要な程の大量下血!?! さしあたり胃腸の異常が見当たらないとの事は、その下血は膵臓の腫瘍に由来していると考えるべきだ。 だとすると、その腫瘍は既に相当悪化していると判断可能だ。 手術で摘出できるとよいが… 私の診断では義理姉は「膵臓癌」に間違いない。
その後まもなく、義理姉は手術を受けた。 手術の結果、義理姉は私の診断通り「膵臓癌」だったのだが、その悪化度合いが私の予想よりはるかに進行していた! 医師の説明によると、癌が大きく動脈を傷つけるため手術によっては摘出不能、今後抗癌剤投与で様子をみるとの事だ。(後に抗癌剤投与は義理姉の意思により拒否したのだが)
そして医師より付け加えられたのは、義理姉の「余命は長くて1年、短ければ3か月」…
私が知る限りでは義理姉は早期に父母から生前贈与された財産をフル活用し、贅沢三昧の暮らしぶりのようだ。 常にブランド物で身を包み、社交ダンスを趣味として、海外旅行にも頻繁に出かけていた様子だ。 親しい友人達とランチにディナーの日々グルメ三昧だったとの話も義母より多少見聞している。
そんな義理姉に親族は如何なる「余命告知」をするべきなのか??
(以上、「原左都子エッセイ集」昨年12月バックナンバーより一部を要約引用)
その直後、義理姉は2度目の手術を受けた。 それは膵臓癌が大き過ぎて十二指腸を圧迫し、食物がそこを通過不能なため十二指腸を切除するとの内容だったようだ。
それと同時に、義理姉は自分自身で膵臓癌を察知して自ら医師に余命を問うたらしい。(その場面には残念ながら私は立ち会っていないのだが) その結果、義理姉は果敢にも自分の「余命」を受け入れ、余命期間はホスピスで過ごしたいとの自らの意思を表明した。 それと同時に「抗癌剤投与」も拒否したとのいきさつである。
まもなくホスピスに移って後、義理姉はごく近しい親族を除き、(私も含めて)すべての人物との面会を拒絶した。 (その時点で既に義理姉は元の容貌をすっかり失い“痩せこけて”いたとの身内の談話だ。)
その後の義理姉闘病情報は我が身内に頼らざるを得ないのだが、義理姉は自らの余命を知りつつも比較的冷静なホスピス生活を送ったようだ。
そして今年5月に入り、義理姉は「死は自宅で迎えたい」との最後の意志表明をした。
その意向に従い義理姉は5月中旬頃に自宅に戻った。 その時点でホスピスにおいて体中に繋がれていたチューブをすべて外し、自宅で「死」を待つ段階に入ったとのことだ。
後は経口水分摂取のみで命を繋ぐ事と相成る。 当該時点での医師診断は「余命2,3日」……
ところが義理姉は担当医師の“後2,3日持つかどうか…”の最終段階余命宣告に反発するかのごとく、経口水分摂取のみで命を繋げる日々が続くのだ!
生命最終段階において類稀な生命力を発揮する義理姉に対し、我が身内が私に言った言葉に大いなる感銘を受けた。 「姉は自分が老後に住む家を現在建築中だ。(既に義理姉の息子に生前贈与済みだが)自分が建設施工依頼したその家の出来栄えを是非一見してから死にたい意向が強いようだ。」 義理姉建設住居は11月完成予定だが、それを是非共一見して欲しいと私も同感した。
最後に原左都子の私論に入ろう。
現在の医学に於いて治療不能な疾患は未だに数多く存在する事実は、元医学関係者である原左都子としては当然ながら想定内である。
加えて、真面目に健康診断を受けている人を救えない現在の医療世界であることも重々承知している。
義理姉は普段からまめに医院・病院へ通い、欠かさず健康診断を受けていた部類の人物である。 そうであるのに何故、末期の膵臓癌を健康診断過程において摘発不能だったのか!?!
と怒ったところで虚しいばかりであることすら、元医学関係者として理解出来てしまえるところが実に辛い……
現段階での医療の発展とは既に遺伝子分野(はたまた再生医療)へと移ろった。 それによりある程度の遺伝子診断が可能とは言え、それも確率診断の域を超えていないことは愚か、臨床場面ではまだまだほんの少しの病態に関してしか解明されていないのが実情だ。
何故、義理姉は現在の医学において治療が未知数で死を運命付けられた「膵臓癌」になど罹患してしまったのだろう。
それは持って生まれた遺伝子要因が大きいのかとも考察しつつ、今後我が命を如何に繋げるべきかとの命題を突きつけられた思いでもある。
明後日7月1日、膵臓癌に罹患したばかりに短命を余儀なくされた義理姉の葬儀が施される。
既に葬儀会場に花を手向けた。
粛々と、最後のお別れをしてこよう……