原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「うるう年」はともかく、「うるう秒」をどうしましょう?

2012年02月29日 | 学問・研究
 本日は2月29日である。
 4年に一度しかないこの日の存在を、皆さんは如何に捉えていらっしゃるのだろう?
 
 元々学校嫌いの私の場合、例年より1日多く学校へ行かねばならない事が子ども心に苦痛に感じたものだ。
 その後成人して社会人となった頃には給与が“月給制”であったため、1日分多く働いて損した気分にも襲われた。

 そんなくだらない原左都子の私的感情は二の次でよいのだが、「2月29日」という日の存在により一番被害に遭われているのは、この日が「誕生日」であられる方々ではなかろうか?
 さしあたって 1人/1500人 程の類稀な確率でこの世に生命を授かったであろう人物は、残念ながら私の周囲には今まで存在しない。 
 以前メディアを通してこの日生まれの方がコメントを述べておられるのを見聞した記憶がある。 2月29日が4年に一度しか訪れずとも当然毎年年齢を重ねる訳だが、そのお祝いを1日早い28日にしてもらうにせよ、やはり自分がこの世に生を受けた日が4年に一度しか訪れないのは寂しい、との見解をその人物が述べられていたような記憶がある。
 その心情を重々理解可能だ。


 「うるう年」と聞くと、私の脳裏に真っ先に浮かぶのは「オリンピック」である。
 ひと昔前までは夏季、冬季共に同年のオリンピック開催だったため、(あくまでも自宅のテレビで)その観戦を好む私は“今年はスポーツ中継が十分楽しめるぞ!”と心が浮き立つ気分になったものだ。 
 現在のオリンピックは夏冬2年置きの開催へとスケジュールが変更されているが、今年の「ロンドン夏季オリンピック」も楽しみだ。  経済危機真っ只中の欧州圏(参考のためイギリスはユーロに参加していない)で開催される今回のオリンピックではあるが、これを良き機会として、さらに国際・国内経済を圧迫するような事のない真の意味での“良質”のオリンピック開催に期待したいものである。


 ところで、皆さんは 「うるう秒」 をご存知であろうか?

 「うるう年」はともかく、「うるう秒」が如何に科学的に処理されるのか?こそが、宇宙の中に存在する我ら地球の恒常性の維持、そして今後の地球のグローバルな発展の観点から心配な原左都子である。

 ここで「うるう秒」に関して、朝日新聞記事を参考にしつつ説明しよう。
 「うるう秒」とは1972年に導入された概念である。
 地球の自転に基づく時刻(世界時)から0.9秒以上ずれないようにするため、世界で合意したある時に原始時計の時刻に「1秒」挿入するという施策により、「時間」世界の標準時に合わせる措置を取ろうとの考え方である。 (原左都子の記憶によれば、過去においてこの「1秒」挿入が世界規模で何度か実施された時があったと心得る。)

 ところが、現在はコンピューター制御社会へと世界中が移り変わっている。
 そんな目まぐるしいまでの社会全体の情報化に伴い、今の時代に於いて不定期に「うるう秒」挿入を実行する事が、コンピュータープログラム上で実に困難な事態へと世が移り変わったのである。 
 (参考のため、次回の「うるう秒」挿入時期は、今年7月1日予定だったそうだ。)

 ITU(国際電気通信連合)は1999年からこの「うるう秒」の検討を続けてきているのだが、今年1月19日に行われたスイス・ジュネーブの会合に於いて、この問題は先送りされることと相成ったようだ。
 その理由とは上記に記した通り、現在世界規模でコンピューター化が進展した事実故に他ならない。


 最後に原左都子の私論で締めくくろう。

 この「うるう秒」問題を原左都子の単純思考で考察・分析して簡単にまとめて説明するならば、 要するに、 「宇宙及び地球」の遠い未来の整合性と、 「コンピューターにより発展を遂げている実社会」に於ける現世の利害  とを単純に天秤にかけた場合、どちらが重いのかという命題ではなかろうか?

 確かに現世に生き「コンピューター」の存在に多大なる恩恵を授かっているこの私も、現実問題として今現在「うるう秒」を全世界で挿入する事によるその作業の困難さや経済的損失が如何程に甚大なものかは想像可能である。  その「うるう秒」一発措置が世界規模で上手く作動すればよいが、もしも一地域たりとて失敗に終わった場合の世界の政治経済上の混乱も多大なものとなる事は想像がつく。
 
 そこで未熟な原左都子の提案となるのだが、「うるう秒」ではなく、「うるう分」あるいは「うるう時」などの実行はどうであろうか? などと思い浮かぶのだ。 そうする事により議論を次世代に先送り出来るメリットがありそうにも考えるのである。
 ところが原左都子が素人考えでこのような提案をせずとて、世の中には当然ながらこの種の議論も既に存在している現状だ。 

 ここでまた未熟な私の提案であるが、やはり未来にこの議論を持ち越すとの考え方も成立し得るのではなかろうか?
 今現在の世界規模の政治経済の混乱を考えると、今年7月に実行予定だった「うるう秒」導入措置を先送りした今回のITUの判断は正解だったのかと原左都子も感じる。

 だからと言って、ならばこのまま「うるう秒」問題を“なし崩し的”に先送りしてよいはずもなかろう。
 宇宙規模や永遠の時空間規模でこの世の恒常的持続を考慮した場合、人間をはじめとする諸生物が地球上に生を受け繁殖を繰り返す事を欲する限り、今後も暦や時間概念はそれら生命体にとって決して侮ってはならない概念であろう。

 ITUが今回「うるう秒」実行を先送りしたとは言え、今後も我々年配者はその分野の後進の科学者を地道に育成し続ける事を怠ってはならない。 
 地球上に生命体が存続する限り、宇宙規模の課題である「うるう秒」問題を継続するべき思いを後世に伝承していく事こそが肝心かと私は心得る。 

来年こそ、マラソン大会に出るぞ!!

2012年02月27日 | 自己実現
 世は空前のランニングブームだそうだ。

 元々“天邪鬼気質”で世間に同調・迎合することを好まない原左都子の場合、決してそれが世のブームだからそうしている訳ではあり得ないのだが、現在の私の趣味の一つとして“ランニング”に励んでいる事は事実だ!


 私の場合、それはひょんなきっかけからであった。

 3年程前から健康維持目的でスポーツジムへ通い始めたのだが、その頃よりランニングマシンに乗る習慣がついた。
 元々“運動音痴”の私の場合、そもそも社会に出て以降自主的にランニングをしようなどと思う場面に出くわす機会がまったくなかったものだ。  そんな私はまずウォーキングから開始したのだが、ランニングマシンに乗っている周囲の皆さんが汗をかきつつせっせと走っておられる。 これに競争心をかきたてられた私は、のんびりとウォーキングなどしている場合ではなくこれを模倣するべき!と思い立ったのがランニングに挑む最初のきっかけだった。
 長年“走った”事がない人間にとって、これが実に辛い事を実感である。 当初時速6km程の歩行速度でジョギングを始めたのだが、歩行とは異なり一時両足を宙に浮かせる“ジャンプ動作”がこれ程までに体力を消耗するものかと実感させられたものだ。
 その後も私なりに努力をしつつ、ランニングマシンでやっとこさジョギングペースの時速7kmで30分程走れるまでに上達した後に、個人的事情があってそのスポーツジムは退会した。

 どうしても自らが欲する“個人ダンスレッスン”を中心としたエクササイズを実行する事により今後も健康維持を計りたい意向の私は、公営体育館のジムにそのレッスンの場を移した。 ところがそのジムにおいてもスタジオスケジュールの変更により、ダンスレッスンの時間を短縮せざるを得ない事態となった。
 そうなったならば、このジムにおいては私が以前より欲していた“ランニング”の充実にこそ頭を切り替えようと即決したのである。  幸いな事にその場が総合体育館であり、館内に「ランニング走路」が整備されていた!
 
 そして私は今年1月よりこの体育館の「ランニング走路」で週1回ランニング力の充実を図ることと相成るのだ。  この体育館の「ランニング走路」の場合、一周全長が172mと短い事も“運動音痴”の原左都子にはさしあたり幸いした。

 走路を走ってみると、これがものすごく“快感”なのだ! 
 と言うのも、それまでランニングマシン感覚に慣れていた私にとっては、実際に自分の足で地面を“蹴って前進する”という動作が、機械の上に乗るのとはまったく別物である事に初めて気付かされた事態だったのだ。  自分の二本足で走路を踏みつつ体を前に出し進んでいくこととは、人間としてこの世に生まれ出たから故の快感であることに私は初めて気付いたとのいきさつである。


 話が変わるが、「原左都子エッセイ集」2009年5月のバックナンバーにおいて 「逆上がりの屈辱」 と題する記事を綴り公開している。
 ここでその記事の一部を紹介しつつ、子ども時代に私が置かれてた現状を少し振り返らせていただく事にしよう。

 例えば「持久走」であるが、これは原左都子が子どもの頃は大の苦手だった種目である。 ところが現在(10年程前)小学生の我が子と一緒に公園を走ると“ゆっくりペース”でいいならば以外や以外いつまでも走れるのだ。先に音(ね)を上げた子どもを休憩させて、一人で連日一体どれ位の距離を走ったことだろう。   それから「縄跳び」である。体力には自信がないもののリズム感には大いなる自信のある原左都子にとって「縄跳び」は子どもの頃から得意種目だったのだが、何十年かのブランクを物ともせずやはり我が子よりも数段上手い。子どもの指導も放ったらかして公園で一人で没頭して跳びまくった。 「ボール投げ」もやった。折れそうな細腕だった小学生の頃の私は9m投げるのがせいぜいだったのに、現在も相変わらずの折れそうな腕で投げると20m程飛ばせるから不思議だ。
 何年か前にテレビの対談番組で女優の桃井かおり氏も同様のことを話しておられた。
 昔子どもの頃できなかった「逆上がり」等のスポーツ種目が、50歳を過ぎて体が老化の一途を辿っている今、不思議と何でも出来てしまうのだと。 それは単に体力や技術的な問題のみならず人間的成長がものを言っている、云々…  そのような趣旨の話をされていたと記憶している。
 まさに原左都子も同感だ。 人生経験を積み重ねていく中で自然と体力面・技術面の力が向上し、体の各部位の効率的な使い方というものを誰に教わる訳でもなく心得てくるように感じる。 子どもの頃には指導者に「これをやれ!」と強制されるがままに訳が分からずただただやみくもに頑張っていたことが、今では力加減を心得るようになっている。
 それに加えて人間としての“成功感”が一番大きくものを言っているように原左都子は感じている。 人生における様々な分野での成功体験を通じて自信が芽生え、チャレンジする対象事象の如何にかかわらず「自分は絶対出来る!」のごとくのエネルギーが内面から湧き出てくるのだ。 このような精神力こそが力強い後ろ盾となって、我が体を突き動かしてくれるように感じる。
 この話の極めつけとは、昔の学校においては“出来の悪い子を責める”教育がまかり通っていた所に行き着くのではあるまいか?  その一例が「逆上がり」であったが、当時の私は周囲の皆のように簡単には出来ず、指導者から「何であんたは出来ないの!」と責められ続けた。(責めるより、ちゃんと教えろよ!と内心反発しつつ)その後小学生のうちに「逆上がり」が出来るようになった原左都子であるが、残念ながら“ひねくれ者”の私ににとっては何らの達成感もなかった。 豆だらけで血が滲み鉛筆を持つにも痛む手を見つつ、歪んだ教育により根拠のない“劣等感”を抱かされた屈辱的な「逆上がり」を、もう金輪際しなくて済むという開放感のみが我が幼な心に残り清々したものだ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより要約引用)


 その後年月を経た現在尚“天邪鬼気質”を保ち続けている私であるが、近い将来是非共市民マラソン大会に出場したいとの健気な希望を抱いている。

 そんな折に目にしたのが、昨日(2月26日)実施された「東京マラソン」の話題であった。
 朝日新聞2月23日夕刊の記事によると、マラソン大会は今や市民からの人気が過熱していて何処の市民マラソン大会も出場するための競争率が高倍率であるとのことだ!
 いや~~~、知らなかった
 申し込めば直ぐに出場可能と捉えていた原左都子の考えは甘過ぎたようだね~~


 そんな私宛に知人から届いたメールが素晴らしい。
 原さん(私のことだが)の現在の5kmのタイムが30分ですか。 東京マラソン十分に走れます。 本年8月1日から応募受付開始です。 2013年2月24日、一緒に走りましょう。 是非応募して下さい。
 ありがとうございます! 
 自分の現在のタイムが世間では如何程の位置付けかも認識しないまま、負けず嫌いの私はただひたすらトレーニング走路で走り続けてそのタイムを記録しているだけの事だったのだが、この知人からのお誘いは今後の我が市民マラソン大会出場に向けて大いなるエネルギー源となった。

 市民マラソンに出場するためには高い競争率を超えねばならないようだが、それまでまだ1年程の月日があるようだ。
 原左都子なりにもっと距離とタイムを上げる事に精進しつつ、来年の市民マラソン大会に挑もうじゃないか!!

専業主婦の妻から「小遣い」もらってる夫をどう思う?

2012年02月25日 | お金
 「なんで俺だけ稼いで、働かない妻から『小遣い』もらうわけ?」  と素朴な疑問を投げかけているのは、 2月17日朝日新聞別刷「be」“結婚未満”のコラムの中に登場した27歳のヒデトくんである。


 「妻は専業主婦で夫は小遣い制?」 と題する上記コラムを、早速以下に要約して紹介しよう。
 現在28歳で公務員のカナは外資系企業で働くヒデトと合コンで知り合い、優しくマメな彼と結婚したい意向である。 ヒデトがオーブンレンジを買い替えるのに付き合ったカナが言うには、「私、専業主婦になったら毎朝パンを焼くのが夢なんだ。…」 それに驚いたヒデト曰く、「カナは専業主婦になりたいの?公務員なのに仕事を辞めるつもり?」 カナもびっくりして「もちろんだよ」 
 公務員の場合制度が整っているため、職場では結婚・出産で仕事を辞める女性は少ない。 でもカナは料理上手で銀行マンの父を支えた専業主婦の母のような結婚生活を送りたい意向だ。 カナの親友の高校教師であるエイコにそんなヒデトの事を愚痴ったら、エイコから「サラリーマンと専業主婦の夫婦って高度経済成長期以降の特殊な形態だし、このご時世に専業主婦は危機管理的にも勧めない」と言われてしまった。 そんなエイコに対して「主婦には家計の管理だってあるし」と反論したカナに、エイコの亭主イサムまでもが「カナちゃんが専業主婦しながらダンナは小遣い制にすると言うわけ?」と突っ込んでくる。 そこにヒデトも同調して「なんで俺だけ稼いで、働かないカナに『小遣い』もらうわけ?」と言う。  さらにヒデト曰く、「俺は家事も育児もいずれ起こる介護のことも考えているけど、カナは結婚をイメージでしか考えていないんじゃないか?」……
 その後、カナにはヒデトからのメールの返事も少なくなりデートの誘いもない。 カナが母親に泣きつくと「カナのことをもっと大事にしてくれる人と結婚するために、パパに頼んでお見合いをしたらどうかしら?」との母親からの返答である。

 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。

 「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いて、若い男女の結婚問題や「主夫」「イクメン」課題を幾度か取り上げてきている。 それらの我がエッセイに於いては、自立した女性の経済力を頼りたい魂胆が見え見えの若き男性側からの訴えを参考にして、その角度から「主夫」「イクメン」を志向している現代の“軟弱亭主”の心理の側面を取り上げたため、私論としては到底歓迎できない意向を表明している。

 今回の朝日新聞コラム事例の場合、ヒデトの思考はそれら上記の“軟弱亭主”とは明らかに異なって、ヒデトなりの主体的意思が感じ取れるのだ。
 それに対して女性のカナこそが軟弱である。 何故に“専業主婦”を目指すのかがこの記事内では不明である。 母がそうしたから自分もそうしたいとのカナの論理であるようだが、今の厳しい時代に、親友のエイコが言う通りその単純な論理が今後家族を持ち一生に渡って共同生活を営む上で通用し続けるとカナは信じているのであろうか?? 
 どうやら、カナの母親の考え方からして軟弱極まりない。“パパに頼んでカナをもっと大事にしてくれるお見合い相手を探しましょう”との母親の軟弱志向を受け継いでしまったカナのようだが、ここはカナも既に28歳。 もっと視野を広くして今後自分が生きる社会の未来を見つめ、何が幸せなのかを今一度再考するべきであろう。


 朝日新聞よりの引用が長引いたが、今回の「原左都子エッセイ集」のテーマは表題のごとく「専業主婦の妻から小遣いをもらっている夫をどう思う?」である。 これに関して読者の皆様は如何に考え実行されているのかをお聞きしたいものだ。

 早速私事に入らせていただくが、原左都子の身内がほぼ1ヶ月後の今年4月に定年退職を迎える。  元々晩婚のため婚姻後未だ18年半程度の短い我が夫婦歴であるが、身内の定年に当たり今後の家計のやりくりに関して先だって身内と再議論をした。

 参考のため、出産退職後現在までは我が家でも私が家計を管理し身内には「小遣い制」を採用してきた。  高齢出産で生まれてきた我が子が若干の事情を抱えていた事もあり、私が「お抱え家庭教師」として娘を支援したいとの事情があったためでもある。 その合間を縫って過去の医学関係の専門力を活かしアルバイトをした経験もあるが、我が独身栄光時代に比して、まさに“スズメの涙”と表現するべく“情けない程の報酬”しか得られなかったものだ…。  そうした場合、職場で無駄な時間を消費して子どもを犠牲にするより、しばらく身内の経済力に頼る方が得策との判断となる。 
 そんな我が家にとっての厳しい時代をくぐり抜け、我が子も立派に成長を遂げてくれこの4月から大学生になる。 偶然時を同じくして身内が4月に定年を迎える事をきっかけに、家計運営に関して再度話し合いの場を設けたとのいきさつだ。

 その結果、身内の定年後は一定条件下にお互い“独立採算制”を執ることと相成った。
 “独立採算制”などと偉そうに言っても、今現在個人的には“不動産所得”の微々たる収入しかない原左都子の場合、日々の必要最低限生活費は身内の“企業年金”を頼ることになる。 それでも身内の定年退職後の“公的年金”に関しては全額身内の自由裁量と決定したのだ! (参考のため、子どもの大学学費に関しては婚姻後積み重ねた預貯金で賄えるからこそ成り立った、我が家の老後“独立採算制”採用結果である。)
 私自身にとっては、4月から発生する「国民年金料」や「医療保険料」そして自らの「小遣い」は、我が微々たる「不動産収入」及び60歳以降は(将来如何程までに減額されるのか不明の)「公的年金」に頼って余生を生き延びることになる。

 それでも、私は身内の定年後の“独立採算制”家計運営事項に合意した。
 何故ならば、第一の理由として、平均的日本市民のごとく30年も40年も身内と連れ添い「専業主婦」として身内に尽くした訳ではないからに他ならない。 しかも私の場合、身内と婚姻する以前の長き独身時代にある程度自分の財産も築き上げていて、それを我が老後に活用できるとの事情もある。
   

 とにもかくにも厳しい政治経済情勢の現在の世の中である。

 こんな時代に於いても、戦後生まれで現在高齢者になっている夫婦間で「奥方は専業主婦、ご亭主は小遣い制」を採用されているご家庭は珍しくもないのであろう。 これに関しては時代背景的観点より多少は許されるのであろかとも思う原左都子である。

 それに比して、今後の厳しい時代に生き抜かねばならない世代である上記のカナちゃんが、未だに“専業主婦志向”だということには疑問符を投げかけざるを得ない思いの原左都子だ。
 カナちゃんのお母上が銀行マンの亭主の加護の下、のんびりと専業主婦を堪能できた時代など当の昔に過ぎ去ったノスタルジーでしかないのよ。
 ここはカナちゃん、その辺をちゃんと未成年時代に家庭や社会から教育されるべきだったね~。 そんな教育がなされないまま28歳にまでなっている公務員のカナちゃんが気の毒でもあるけど、ヒデトくんは思慮深いいい子だと原左都子おばさんが評価するよ。
 
 人に「小遣い」を与えることが許される一種独裁的家計管理者とは、そう易々とこの世には存在し得ないことを再考するべきじゃないのかな~~。  今の時代における人間関係の基本理念として、たかが家庭内においても男女関係なく「独立採算制」を執るべきと原左都子は心得るのだ。
 今現在、専業主婦の奥方から「小遣い」をもらって安穏としている亭主どもも、その安泰感に浸ることなく、奥方の今後の自立のためにも家庭内の金銭の動向を今一度問い直し反撃を起こすべきではないのか!?

“「休眠預金」政府基金繰り入れ”って泥棒行為じゃないの?

2012年02月22日 | 時事論評
 銀行預金口座を開設されている国民の皆さんは誰しも、多かれ少なかれ「休眠預金」を手元にお持ちではあるまいか?

 この原左都子もそうだ。 高校時代より預金に励む事が一つの趣味である()私の場合、現在使用していない銀行口座通帳が10口座以上に及び、おそらく総額1万円を超える「休眠預金」を抱えている。


 「休眠預金」とは何かに関してここで手短に説明しておこう。 「休眠預金」とは、銀行などで10年以上お金の出し入れがない「休眠口座」の預金残高の事である。

 私の場合、決して怠慢で「休眠預金」を放置している訳ではない。
 経済観念が鋭い私は「休眠預金」を抱えている事に関して常にその認識が脳裏にあり、いつかは全額取り戻すべく預金口座通帳を手元に保管している。

 ところが、バブル経済期及びその崩壊と共に銀行は統廃合を繰り返してきている有様だ。 その都度、銀行名が変更に変更を重ねてきている。
 今現在原左都子の手元にある「休眠口座」通帳の一部をここで紹介すると、「富士銀行」「第一勧業銀行」「三和銀行」「太陽神戸三井銀行」「さくら銀行」「あさひ銀行」……  これらの銀行が現在如何なる名称に変遷しているのかを皆さんは即答出来るであろうか??
 経営法学を心得ている私の場合、銀行の統廃合に関しても一時その趣旨に関して学んだ経験があり、銀行グループに関してある程度の知識がある。 そんな私ですら、今現在手元に保管している通帳を何処の銀行に持参すれば「休眠預金」を返却してもらえるのか、即答は出来ない有様だ。

 1つ目の課題として国民が「休眠預金」を返却請求しない最大の理由とは、銀行の統廃合により国民が保持している銀行口座の主が現在如何なる銀行名に移り変わったのかが分からないという、とんでもなく単純な事情故ではなかろうか? 
 そうであるとするならば「休眠預金」を眠らせている最大の責任は銀行側にあるはずだ。


 2つ目の課題に移ろう。
 預金が趣味()の原左都子ならばいざ知らず、何故国民の多くが「休眠預金」を抱えねばならない事態に至っているかに関しては、私が推測するに“金融機関と政府及び企業との癒着”こそが最大の原因と捉えられよう。

 私が過去に於いて何故数多くの銀行口座を開設せねばならなかったのかと言うと、勤務先を変えたり転居する都度、職場や子どもの学校の取引銀行口座を開設することを強いられたからでもある。
 民間企業に関しては、それぞれの取引銀行が存在することは私にもある程度理解可能である。
 ところが私が一番困惑したのは、現在の住居地に転居するにあたって公立小学校から子どもの「給食費」の引き落し先を指定された事である。 (大変失礼ながら)名も知れぬ地元の零細信用金庫に口座を開設せよ、と公立小学校から強制された時には“これだけは勘弁して欲しい”と思ったものだ…。  それでもどうしてもその信用金庫でなければ給食費が引き落とせないとの学校側からの強制により我が家が取った対策とは、零細金融機関の近い将来の経営破綻を見通して年収が低い私の名義でその信用金庫に預金口座を開設することだった。
 今現在もその信用金庫の預金口座を所持しその口座にある程度の預金を積んでいる私であるが、「信用金庫」の未来像とは如何なるものなのだろう? 

 話が私事にずれて恐縮たが、「休眠預金」発生の2つ目の課題として、国民個人が欲さない口座を企業や公的団体がその開設を“強制”することにそもそも無理があるという事ではあるまいか?
 この無理が何故発生するのかと原左都子が分析するに、それは金融機関と企業、そして政府及び地方自治体との癒着しかあり得ないと結論付けるのだ。


 そのように考察した場合、今頃になって政府が「休眠預金」を政府基金に繰り入れたいと言い出したのは、原左都子にとっては“眉唾もの”としか結論付けられない事になる。
 「休眠預金」を東日本大震災被災地企業の支援策に使う検討に入ったと政府が公言すれば、善意で心優しいか、あるいは周囲への同調意識の強い国民の皆さんが、それに同意するであろうと欲したのが官僚主導の野田政権であることを直感してしまう原左都子だ。
 野田首相とは「東日本大震災」復興をその政治理念として掲げ、人材なき民主党内で首相に上り詰めてその政治力を官僚に頼り何とか生き延びている人物であられる。 
 現在国会で「消費税アップ」に関する野党からの質問に四苦八苦しつつ藁をも摑みたい首相が、ここにきて庶民のなけなしの「休眠預金」にまで手出しをしようとの魂胆に至ったのであろう。
 確かに、この「休眠預金」の金額は半端な額ではない。
 朝日新聞の報道によれば毎年800~900億円の単位で発生しているらしく、その金額とは2012年度の政府予算案に盛り込まれた中小企業の資金繰り対策に匹敵する程の規模らしいのだ。

 
 それにしても政府の「この資金を眠らせておかず社会に還元するべきだ」との表明は、原左都子に言わせてもらうとお粗末過ぎる。
 「休眠預金」とは単に金融機関や政府側が身勝手に名付けただけの名称でしかない。 その実態とは持ち主である庶民としては、決して眠らせてなどいない国民個々人が涙ぐましいまでに努力して溜めた財産の一部なのだ!

 まず政府が取るべき対策とは、法的観点からも銀行等の金融機関へなけなしの金を預けている庶民の権利を守ることではなかろうか?
 銀行側が身勝手に「休眠預金」などと名付けた預金だが、その実態とは自らの怠慢による経営失策、及び企業や政府との癒着結果に過ぎないのだ。 零細預金者である国民の「休眠預金」返還請求には“多大なる費用が発生する”などと泣き言を言っている場合ではなく、身銭を切って積極的に応じる体制を構築するべきだ。
 そのためには上記の通り政府は、バブル期前後に統廃合を繰り返し銀行名をコロコロと変更することにより預金者の目くらませをて、「休眠口座」を増大させるに至った金融機関の責任を今一度明白にするべきである。

 こんな場で「東日本大震災」を持ち出し国民の“お涙頂戴”と“義務感”を煽って、「お前の“休眠預金”を差し出せ!!」と迫る政権の態度とは如何なものだろう? 
 これって何だか “カネ出さない奴は、大震災被害者を見捨ててるよね~~” なんて、小市民が国政からいじめを受けているがごとく感覚を抱くのは私だけなのだろうか??

 法治国家である我が国において、「休眠預金」の今後の扱いも、まずは国民皆の整合性を期待したい思いの原左都子なのだが…。   とにかく金融機関と政府が一旦預金者に返却する対策を構築した上で、その使い道を個々人が吟味決定するのが世の道理というものであろう。

子どもの職業選択に多大な影響を及ぼす要因とは?

2012年02月20日 | 仕事・就職
 NHKが現在放映中の連続テレビ小説「カーネーション」が相変わらず面白い。
 それ故に、「原左都子エッセイ集」に於いて「カーネーション」を取り上げるのは今回で3度目の事となる。


 もう1ヶ月程前の話になろうか?  「カーネーション」主人公 糸子 が妻子がある事を知りつつ短い間恋をした“周防さん”との関係の描き方が美しかった。
 糸子の一時の素敵な恋ではあったが、人倫に外れている故に周囲からの批判を浴びつつのストーリー展開だった。 そんな恋にして、周防さん役の男優氏の何とも“繊細”かつ“はかない”存在感に切なさを駆り立てられたものだ。 
 結果として、2人の“かりそめの恋”の行く末が「すっきり」「きっぱり」短期間で終焉を迎えることになったいきさつも、気丈な糸子さんらしさが十分に表現できていて納得できるものだった。


 さて、今回の本エッセイ集で取り上げたい「カーネーション」の名シーンとは、糸子の三女聡子の職業選択に関する場面である。
 2月18日(土)の「カーネーション」に於いて、三姉妹の中で一番出番が少なかった三女聡子がやっと取り上げられた。

 ここで「カーネーション」を見ていない方々のために少し補足説明をすると、世界的に活躍する服装デザイナーであるコシノ3姉妹(コシノヒロコ氏、ジュンコ氏、ミチコ氏)のお母上小篠綾子氏の一代記を取り上げたのが、今回の「カーネーション」である。
 長女ヒロコ氏(役名優子)、次女ジュンコ氏(役名直子)に関しては既に幼い頃より現在に至るまでその成長の過程がドラマ内で数多く展開されてきた。 ご両人共に元々母譲りの天才肌に加えて、性格的にも大阪岸和田の洋裁界きっての豪傑ともいえる「小原洋裁店」のオーナーであり母である糸子譲りの“負けず嫌い”気性をそのまま受け継ぎ、そのみなぎるパワーを現在の成功に繋げて来ている。
 
 豪傑姉達の影に隠れて、三女のミチコ氏(役名聡子)のみはテニスに於いて全国制覇まで成し遂げたもののドラマの中では存在感が薄かった。
 そんな三女聡子がテニス大会で全国制覇を成し遂げた後に母糸子の前で宣言した言葉が、同じく未成年者の娘を持つ母である原左都子の心髄をグサリと突いてきたのだ……

 母糸子から「あなたはテニスの実力で実業界に入るんでしょ?」と問いかけられた時の聡子の表情が、原左都子の娘が昨年「美術分野の進路を辞めたい」と突然言い出した時の表情とまったく同じだったことに私は愕然とさせられた…
 その後聡子が糸子に訴えた思いには、親として涙が止まらない私だったものだ…
 「寂しかった…」「家族の中で私一人が仲間はずれだった…」 「もう辛くて嫌だから私はテニスをきっぱりと辞めて、みんなと同じ洋裁の道に進みたい」


 ここで原左都子の娘の私事に入らせていだたくことにしよう。
 現在高3で4月から某大学への入学が決定している我が娘は、元々美術系志望だった。 美術に関して私も身内もまったく経験がない故に自分達ではその分野は指導しかねるため、親である私が取った対策は娘を“美大予備校”に入学させる事だった。
 そこで我が娘なりに2年間修行に励んでいたのだが、高2の秋頃から母の私に美術系の進路に関して“違和感”を訴え始めていた。 既に1年半もその分野で修行している娘にとって単にそれは一時のスランプあるいは迷いと捉えた私は、「まあ受験勉強とは元々厳しいものだし、美術方面とてそういう事もあるのは常だろうからもう少し頑張りなさい」等々と無責任に励ましたものだ。
 ところが高2の2月になって、娘が「どうしても美大予備校を辞める!」と本気で宣言するではないか!
 その時の我が娘の表情こそが、今回の「カーネーション」の三女聡子とまったく同じだったのに驚かされたものだ。

 娘の場合は元々言葉少ない性質の子であるため、聡子のように「寂しかった」「自分だけが仲間はずれだった」等々と言葉で自分の思いを表現することは決してなかった。 ただ、その時の我が娘の表情と共に今後目指したい進路を娘から聞いて母として気付いた事があった。
 娘が呈示した新たな進路先とは、“一応”理系だったのだ。(“一応”と表現するのは、現在の学問領域とは様々な分野が融合しているため、昔のごとく一概に「文系」「理系」と2分割不能だからである。)

 何だか“ガッテン”できた私である。
 実に我が娘は親の専門とはかけ離れた“美術系”を高1時点で目指した事により、その後家庭の中で「自分だけが仲間はずれ」感を抱き「寂し」い思いを募られたのだろう。
 ここで参考のため、私も身内も分野は違えど元々理系の出身者である。 家には理系の書籍が山程書棚に並べられている。 そんな家庭環境の下で育った未熟な我が娘が大いに分野が違う“美大予備校”で頑張りつつも、親が一生助けてくれそうもないことが想像できる辛い日々に寂しさが募ったのではあるまいか?

 そんな娘の突然の進路変更訴えの心理が理解できた我々両親は、すぐさま娘の意向を尊重してやった。 そしてその直後から娘第一志望大学への秋の「公募制推薦」を目指し親子で突進したのである。

 現在、大学入学前の娘は大学から課せられた推薦合格者対象の「化学」「生物」課題に前向きに取り組んでいる有様であることは、既に本エッセイ集のバックナンバーで述べている。
 高2の2月まで“美大”目指して頑張ってきた娘は、今現在親の力も借りつつ「化学」「生物」課題に励む日々である。 
 このまま4月には大学生に突入する娘の心情とは「カーネーション」三女聡子同様に、基本的心理部分で家族と言う「仲間を得て」「寂しく」ない思いで満たされ、頑張り続けてくれるのではあるまいか?


 最後に今回の本エッセイ集のタイトルである 「子どもの職業選択に多大な影響を及ぼす要因」 に関する原左都子の私論を述べて締めくくろう。

 その結論とは「家庭環境」を置いて他にはないのではあるまいか?

 いえいえ親や先祖より引き継いだDNAをはるかに超えるべく資質をお持ちの方々は、当然ながら自らの力量で「家庭環境」など軽々超越してこの世で活躍されている事であろう。 
 原左都子自身もド田舎の「家庭環境」などとっとと吹き飛ばして上京し、その後は自らの力で自分自身の人生を演出してきたと自負しているぞ。  (ところが我が親にとっては私などまだまだ未熟な存在らしいのだが…

 それにしても、これから社会に旅立とうとする未熟な世代にとって一番参考になるのはやはり「家庭」をおいて他にはないように考察する。
 もちろんそうではなく、中には学校の先生等の指導者や周囲の大人の影響を受けて育った子ども達も存在することであろう。 それこそが社会やコミュニティが子どもを育成する理想像とも言える。  
ところが、周囲の人間関係が充実していた昭和30年代に社会に羽ばたく年齢だった「カーネーション」の三女聡子ですら、当時の熱血テニス教師や地域コミュニティよりも、自分の母の指導力や姉達の影響力こそを信じて「職業選択」した結末である。


 やはり我が子の将来の職業選択に絶大な影響を及ぼすのは「家庭環境」であることを肝に銘じて、各家庭は子育てに精進するべきではないだろうか?!