原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

夏の終わりに旅に出ます

2013年08月26日 | お知らせ
 連日の猛暑に、記録的豪雨…

 地球上に生命を宿す我々に、今年の夏は何とも厳しい試練を与え続けてくれました。

 特に酷暑による熱中症で体にダメージを受けられた方々や、豪雨による浸水、崖崩れ等の被害に遭遇された国民の皆様には心よりお見舞い申し上げます。


 原左都子にとりましても、今年は特別に厳しい夏でした。
 6月末に義理姉を癌で亡くし、その葬儀や納骨の儀式、そして残された親族間の財産分与等の後始末に、猛暑の中追われる日々でした。



 明日からしばらく旅に出ます。

 まだまだ残暑厳しい日本列島ですが、しばしの期間大都会東京の喧騒から離れて、ゆったりと田舎の自然に触れ、不器用なりの親孝行でもして参ります。



 その間、「原左都子エッセイ集」の執筆を一休みさせていただき、一時パソコンから距離を置きマニュアル生活に戻ります。



 秋の訪れと共に、エッセイ執筆を再開する予定でおります。    
 

 
 

五輪招致より原発事故後処理にこそ尽力するべき

2013年08月24日 | 時事論評
 今回のエッセイは、前回公開の「安倍政権は原発事故の後始末を最優先課題とせよ」の続編の形となる。


 昨夜テレビニュースを見聞した私は、安倍政権が深刻な状況に陥っている東京電力福島原発事故後処理をないがしろにしている(と言うより“ひた隠し”と表現した方が適切か?)理由が理解できた思いだ。(その理由に関しては、下で述べることにする。)

 「原左都子エッセイ集」前回のエッセイ内容を、以下に少し振り返らせていただこう。
 東京電力福島第一原子力発電所から高濃度の汚染水が漏れた問題で、原子力規制委員会は8月21日、トラブルの深刻さを示す国際原子力事象評価尺度(INES)を「レベル3」(重大な異常事象)に引き上げる決定を下した。  一方で、海外では福島原発汚染水による海洋汚染への懸念が広がっている。
 私論に入ろう。 今回の福島原発汚染水大量流出事件に関して、まさか政権がそれをまったく知らなかったとは考えられないにもかかわらず、何故安倍政権がすべての事故後処理を政権の僕(しもべ)組織とも表現可能な「東電」に委ね、自分らは原発汚染など一部の国民の犠牲範疇とそ知らぬ顔で「原発推進」を景気対策の一目標と掲げ、国民からの“票取り”に励んだのであろう。 
 私に言わせてもらうと、今回の「レベル3」福島原発汚染水漏れ事故に関するメディア報道も“生ぬるい”。 今回の原発汚染水漏れ事故に対しては海外こそが敏感に反応しているのに、原発事故を発生させた当事国である我が国の国民が、何故もっと大々的に騒がないのか!? なる疑問を抱かざるを得ない。
 しかも、安倍政権は1年以上前に国会に於いて法案が可決された「被災者支援法」を放置している現状に、福島原発事故自主避難者らから提訴されている現実だ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」前回のエッセイより一部を引用。)


 昨夜私はNHK7時のニュースを見聞して、愕然とさせられた。

 何でも、2020年夏季五輪の開催都市決定が9月7日に迫っているという。
 それに先立ち東京五輪招致委員会は昨日8月23日に、国際オリンピック委員会(IOC)総会開催現地のブエノスアイレス渡航に向け、東京都庁で招致成功を祈願して出陣式を行ったとの事だ。 その記者会見の場で猪瀬東京都知事は「チームニッポンの結束力が増してきている。(総会で)揺るぎない自信を謙虚に示したい」と決意表明したとの報道である。

 ここで一旦、原左都子の私論を述べよう。

 私はそもそも世界規模のスポーツ祭典とは、国家間の経済格差等の条件を度外視してでも、世界各国で満遍なく施されるイベントであるべきと解釈している。 
 (IOCの最終決断とは「IOCにとって五輪を開催し易い」事や「IOC委員に何らかの恩恵が得られる」事に偏り勝ちである事を承知の上での見解だが)、祭典の主役である選手や役員の安全を保証できることを最低条件とした上で、世界各国に開催のチャンスを与えるべきと我が理念に従って捉えている。
 その方が一部の経済強国にさらなる経済効果をもたらす弊害を阻止できる事はもとより、政治文化その他の格差を、スポーツ選手や観客が普段訪れる機会が少ない国でもじかに体験できる機会が得られる効用があると私は信じている。

 2020年夏季五輪に開催地として立候補しているのは、東京に加えて、トルコのイスタンブール、そしてスペインのマドリードである。
 我が国日本は既に夏季五輪の東京のみならず、冬季五輪も札幌、長野に於いて開催済みである。  スペインに関しても、バルセロナで既に夏季五輪を経験している。
 そうであるならば、当然ながら2020年夏季五輪は、未だ五輪開催経験のないトルコ・イスタンブールに決定するのが当然と私は心得るのだが如何だろうか?! 

 原左都子の上記五輪開催国に関する見解に反論が出そうなことは十分承知だ。
 トルコでは、何ヶ月か前まで国内で民主化を求める「反政府デモ」が勃発していた。
 我がエッセイ集今年6月バックナンバーに於いても、「トルコ反政府デモの行方を暖かく見守りたい」なるエッセイを綴り公開している。 ただトルコ国内デモに関しては死者を一人も出していないと心得ているし、その後エルドアン政権もメディアや国民の対応を沈静化するべく動いていると認識している。

 国内の動きを沈静化すれば済むのか? との反論も届きそうだが、それで沈静化する問題の方が方策が取り易いのも事実であろう。 
 おそらく五輪に参加する世界各国の選手や役員達も、“原発事故及びその後の汚染水処理失敗”とのこの期に及んで不気味な課題を抱えている国よりも、民主化を望む国民と政権とのいざこざによる一過性の事件が沈静化した国の方こそが「安全」との判断が下せると、原左都子は結論付ける。


 しかもだ。
 
 本日(8月24日)午前、安倍首相は中東・ペルシャ湾岸のバーレーン、クウェート、カタール各国と、東アフリカのジブチを訪問するため、政府専用機で羽田空港を出発したとのニュース報道である。
 安倍首相は湾岸協力会議(GCC)の議長国であるバーレーンのハリファ首相と会談し、GCCとの閣僚級戦略対話の開催で合意する見通し。 中東3か国への訪問を通じ、原油・天然ガスなどの安定確保を図りたい考えで、ジブチでは海賊対処にあたる自衛隊員を激励する予定。のようだ。
 加えて、国際オリンピック委員会(IOC)総会を控え、2020年夏季五輪東京招致への支持拡大も視野に入れるとの事だ。 安倍首相は出発に先立ち、羽田空港で記者団に対し「すべての訪問地で『2020年は東京』と訴えていきたい」と語ったとの報道だ。


 自民党安倍総理の外遊の派手さは、昨年末実施された衆院選に自民党が大勝して後ずっと続行していることを国民の皆さんもご存知の通りである。
 「アベノミクス」経済政策で少しばかり名目上の経済指標が上昇し、それに伴い7月の参院選でも大勝してしまった事実を国民皆が認めているとでも勘違いしている行動であろうか!?
 あるいは、実は安倍氏自らも現在の「アベノミクス」政策の今後の不確実性と短命を認識した上で、今のうちに外遊目的で海外視察するのを得策と捉えると同時に、国内からの原発事故後始末失敗に対するバッシングを避けたい目的で、それが届かぬアフリカ等の国に逃避行しているとも想像可能だ。

 それにしても国民の皆さん、安倍首相が乗る政府チャーター便を一発飛ばすのに、如何ほどの国税が費やされているかご存知であろうか???
 我々市民が諸外国に行く時に、ちょっと贅沢して“ビジネスクラス”を予約した場合の割増料金費用から計算しても、安倍首相がチャーター便に費やすその莫大な“国税無駄使い”の程が推測可能という事であろう。
 安倍首相の外遊による国費無駄使いとの馬鹿げた行動を今すぐに終焉させ、福島原発事故後処理こそに政権に地道に尽力させるべく国民は行動しようではないか!

 一旦「レベル7」の原発事故を勃発させ世界を震撼させた国が取るべき行動とは、一スポーツの祭典に過ぎない五輪開催に浮ついている場合ではないことは明白だ。
 ここは五輪の開催は他国に任せ、国民皆が気を引き締め直して、放射能汚染から脱出するべく時間をかけて努力を重ね続けるべきである。

安倍政権は原発事故の後始末を最優先課題とせよ

2013年08月22日 | 時事論評
  東京電力福島第一原子力発電所から高濃度の汚染水が漏れた問題で、原子力規制委員会は8月21日、トラブルの深刻さを示す国際原子力事象評価尺度(INES)を「レベル3」(重大な異常事象)に引き上げる決定を下した。
 当初、同委員会はこの問題を暫定的に「レベル1」(逸脱)と評価していたが、同日の会合で正式な引き上げを検討すると述べた。 (参考のため、東日本大震災が起きた2011年3月の原発事故自体には、レベル7の評価が下されている事は皆さんもご存知の通りだ。)

 同原発からの汚染水流出の問題は、科学者らが1年以上前から指摘していたという。
 今年7月に入り東電は、汚染された地下水が海へ流れ出していることを確認。 流出を防ぐために地下に壁を設けたものの、汚染水が壁を越えたり横から回り込んだりして海へ流れ込む恐れがあるとの見解を発表していた。
 8月21日になって、同原発で地上のタンクから高濃度の放射性物質を含む汚染水が大量に漏れた問題を受け、東電は、汚染水が近くの排水溝を通じて外洋に流れた可能性を初めて正式に認めた。 東電はタンクの外に出た約300トンの汚染水の大半は地中に染み込んだとみてきたが、排水溝の内部で毎時6ミリシーベルトの高い放射線量が計測された。
 原発の排水溝は堤防に囲まれた港湾内ではなく、外洋と直接つながっている。 問題のタンクから汚染水の漏洩は続いている半面、漏れた箇所や原因はまだ突き止められていない。
 東電によると、汚染水漏れが明らかになったタンク周辺の空間放射線量は排水溝の脇で最大毎時96ミリシーベルトの極めて高い線量を検出。 その後、排水溝内で高い線量が判明し、汚染水の流れを裏付けた。 排水溝にはふたがなかった。

 原子力規制委員会委員は21日午前の定例会合で、「排水溝からは、いきなり海洋に出てしまう。きちっと確認する必要がある」と述べ、周辺の状況を総点検するよう促した。 東電は相沢善吾副社長が同日午後の記者会見で汚染水漏れを受け改めて謝罪するとともに、相沢氏が現地に常駐し、対策を抜本的に見直す考えを示した。

 海外では福島原発汚染水による海洋汚染への懸念が広がっている。

 (以上、福島原発大量汚染水漏れに関するネット上の複数のニュースより要約引用)


 一旦、原左都子の私論に入ろう。

 東日本大震災が勃発した2011年3月11日直後の時期に、福島第一原発事故には「チェルノブイリ原発事故」と並ぶ原発歴史上最悪の「レベル7」判定が下された事は皆さんの記憶に新しいことであろう。
 あの世紀の大震災直後の時期は、福島県民のみならず日本国民全体が未曾有の原発事故の恐怖に怯え、原発被害者である福島県民の方々の避難先を提供したり、自らも原発放射能漏れから身を守るべく行動したものである。
 大震災勃発時に運悪く政権を担っていた当時の民主党政権も、福島原発事故後の対応を第一義に位置付けて政権運営していたと私は記憶している。(その対応のヘボさを幾度となく「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて公開しているが。)  ただ、少なくとも民主党政権時代(野田政権以前)は、たとえその対策手段がヘボかろうが、福島原発事故後の対応を政権行政の上位に位置づけていた記憶があるのだが、どうであろうか?

 さて、東日本大震災より2年足らずの年月を経て、政権は自民党へと移り行った。
 安倍政権は、既に東日本大震災後日本の時代が進化したのごとく「アベノミクス」経済政策を第一義に打ち立て、日本は景気回復に向けて前進しているとメディアを通して国民に吹聴してばかりだ。 既に東日本大震災など過去の出来事と国民を“目くらませ”するかの勢いで、7月の参院選挙にも大勝してしまった。
 そんな安倍政権は、皆さんもご存知の通り今後の経済政策の要として「原発推進」を主軸の一つとしている。

 今回の東電福島原発汚染水大量流出事件に関しても、まさか政権がそれをまったく知らなかったとは考えにくい。
 ここはすべての後処理を政権の僕(しもべ)組織とも表現可能な「東電」に委ね、自分らは原発汚染など一部の犠牲範疇とそ知らぬ顔で「原発推進」を景気対策の一目標と掲げ、国民からの“票取り”に励んだのであろう。

 私に言わせてもらうと、今回の「レベル3」福島原発汚染水漏れ事故に関するメディア報道も“生ぬるい”。 
 今回の汚染水漏れ事故に対しては海外こそが敏感に反応しているのに、原発事故を発生させた当事国である我が国の国民が、何故もっと大々的に騒がないのか!? なる疑問を抱かざるを得ない。 


 しかも、安倍政権は1年以上前に国会に於いて法案が可決された「被災者支援法」を放置している現状に、福島原発事故自主避難者らから提訴されている現実だ。

 東京電力福島第1原発事故を受けた「子ども・被災者支援法」が成立してから1年以上経つのに、国が支援の基本方針を打ち出さず放置しているのは違法として、福島県の住民や県外への自主避難者ら計16世帯19人が国を相手取った訴訟を8月22日に東京地裁に起こすことが関係者への取材で分かった。
 提訴するのは、福島市や福島県郡山市など国による避難指示区域外から北海道や京都府などに避難した12人と、避難していない福島県の住民ら7人。 基本方針を策定しないことが違法であり、原告が支援法の対象となることの確認を求めた上で、1人当たり1円の損害賠償を請求する。
 支援法は昨年6月、議員立法で成立。一定の放射線量の基準を上回る地域を支援対象とすると規定し、基準線量や支援策などを基本方針として定めるとしている。避難指示区域外からの避難者も救済対象になれば、避難先の住宅支援や継続的な健康診断が可能になるとして自主避難者らの期待は大きい。
 基準について原告側は、年間被ばく線量1ミリシーベルトを主張し、原告全員が支援対象にあたるとしている。
 (以上、ネットニュースより一部を引用。)


 最後に再度、原左都子の私論に入ろう。

 上記損害賠償訴訟の内容全般を十分に把握していない私だが、この提訴とは、現安倍政権が福島原発事故の被災者対応を“ないがしろにし過ぎている現状”にムチ打つ力強さがあると捉えている。 

 確かに「放射能」による被害とは長期経過観察を要するため、今現在はまだその一部のみしか表面化しておらず分かりにくいのが現状であろう。
 それをいい事として放射能被害に関して無知な政権を操る悪人どもが、“寝た子を起こすな”的な我が身息災解釈をしてのさばってはならない。 (どうせ我が政権も直ぐに移りゆくだろうし、たとえ原発事故で将来的に大勢の死者が出ようが、そんな事はずっと後世代の政権に任せて我々はいい思いだけして老後を迎えよう!)とでもたくらんでいるのであろうか??

 2011年3月半ば頃、東日本大震災に伴う福島原発メルトダウンにより大量の放射能を浴びた方々には、どうか今後共国の支援の有無にかかわらず、定期放射能検診を受け続ける事を望みたい。 

短命で死に際を迎えようが、自己の美学を貫きたい

2013年08月19日 | 時事論評
 今年6月末に義理姉を膵臓癌にて亡くし、その49日の法要(納骨)が先日8月15日に執り行われたばかりである事に関しては、前回の「原左都子エッセイ集」にて綴り公開した。

 身近な人物の死去に伴う葬儀や納骨儀式に参列する都度、人間との形でこの世に生を受けた一生命体の身として、如何なる死生観を貫き来たるべく将来に死を迎えるべきかとの、最高最大に重い課題を突きつけられる思いが募る。


 そんな折、新聞広告に於いて、原左都子のこれまでの死生観とほぼ一致する書籍の広告を見つけた。

 その題名は、 「どうせ死ぬなら『がん』がいい」

 この書籍の新聞広告に関する記載は後回しにして、とりあえず私事に移ろう。


 私自身が既に十数年前に癌罹患を経験しているにもかかわらず、その後転移再発もなくしぶとくこの世に生き延びている事に関しては、当エッセイ集バックナンバーでも幾度か公開している。
 ただし私の癌の場合は体の表面に発生したことが幸いした。 元医学関係者である私の判断として(良性・悪性の区別は不能だったものの)腫瘍の進行度合いが手に取るように分かったが故に、医療現場で悪性(すなわち癌)と診断された後の早期摘出切除手術が叶った事が幸いしただけの話である。

 一言で「癌」と言ってもその発生部位や悪性度、進行度合等々、それはそれはバリエーションの幅が大きいのが「癌」の現実である。

 冒頭に紹介した義理姉の場合、現在の医学技術レベルではほとんど救えない高死亡率の「膵臓癌」罹患であった。 姉は、主治医を初受診した後すぐさま大病院へ移ったものの、摘出手術が叶わないまま余命宣告を受けるに至った。 
 それでも、余命宣告を受けた直後の義理姉の「死生観」の素晴らしさに感嘆する原左都子なのである。

 私自身は義理姉とは婚姻後さほどの接触がない立場である故に、多少の人物像は心得ているものの、内面的に如何なるポリシーを抱いて生きて来られた人物であるのかはそれまで認識せずして時が流れていた。
 本人不在の場で医師より短くて3か月長くても1年の余命宣告を受けた親族達が、義理姉にその現実を如何に伝えるかと苦悩しているのに先行して、義理姉は自分が罹患した癌の悪性度を既に悟り、自分から担当医に今後の意思を伝えたのだ。
 義理姉の決断とは、後1年足らずの余命を承知してそれを受け入れ、抗癌剤使用を一切拒否したのである。 その後ホスピスへ転院した。
 5月中旬になり、ホスピス担当医の判断でもう死期が近いことを告げられた義理姉は「自宅で死を迎えたい」意向を告げ、直後に自宅に戻った。 ホスピスで体に繋がれていたチューブを全て外し、自宅に戻り経口水分摂取のみで命を持たせる事となる。 その時点での自宅担当医の見解は「長くて後2、3日」との診断だったところ、義理姉は経口水分摂取のみで自宅で1ヶ月生き延び、その後天寿をまっとうした。
 モルヒネ等“痛み止め”薬剤には依存したものの、義理姉は一切合切の「抗癌剤」投与を拒否して余命宣告後7ヶ月間生き延び、後に死に至った。


 上記新聞広告の、「どうせ死ぬなら『がん』がいい」 との書籍に話を戻そう。

 これは慶応大学医学部教授の 近藤誠氏 著作の書籍であるようだ。 実は私は以前にも、近藤氏執筆の別書籍広告を新聞紙上で見た記憶がある。
 どうやら原左都子の医学経験に伴う「死生観」が、上記近藤氏の見解と近いことを以前にも認識した事を思い起こした。

 それでは、新聞広告内に記されている近藤氏著書籍に関する宣伝文章を以下に紹介しよう。
 「検診によるがんの早期発見は、患者にとって全く意味がありません。」 「それどころか、必要のない手術で臓器を傷つけたり取ってしまうことで身体に負担を与えますから、命を縮めます」 「がんの9割は『末期発見・治療断念』『放置』が最も望ましいと思います。」


 原左都子の私論に入ろう。
 
 私自身が本エッセイ集バックナンバーに於いて、検診も受けない主義であるし、なるべく病院にも行かないよう心得ている事に関しては再三記述している。
 それが証拠に私は職場で毎年定期健診を強制される身分から解放された後は、たとえ自治体から検診受診案内が届こうと無視を貫き通している。 病院受診に関しては、自分で診断不能な病理が体内に出現した時には信頼できる主治医を訪れているが、いつも自己診断と医師診断の整合性を自分なりに分析し、対応策は自分で練りつつ現在に至っている。

 上記我が行動は、慶応大学教授 近藤誠氏がおっしゃる通りである故だ。

 そもそも、この国の政権と医学・製薬業界との癒着の長い歴史は強靭なものがある。 
 特に公教育現場や各種職場に於いて、毎年の「健康診断」が義務化されている事実をその組織に所属した人ならば皆ご存知であろう。
 学校や職場の指令に従い、毎年「健康診断」を強制される事が“アプリオリの善”とでもこの国の市民達は信じてそれを真面目に受診しているのであろうか!?! 
 その行動で我が身が一生助かる魔法にでもかかると、我が身息災に感じるのであろうか??


 6月末に壮絶な癌闘病の末他界した我が義理姉も、国や自治体から指示されれば素直にまめに検診に通ったり、あるいは心身の異常があれば自主的に主治医を訪れる人物であったようだ。
 そんな身にして、「末期癌」宣告の後はそれを我が事として受け入れ、その後の判断は自ら下したと言う…

 国と民間営利業界との「癒着」が受け入れ難く、普段よりほぼ一切合切の医療措置を拒否しているとも言える原左都子には、理解し難い義理姉の行動・決断である。
 義理姉と私の行動決断様式を分析してみるに、そこには元々培ってきている双方の専門力の差異があるとの結論に達しようか??

 それにしても、一旦「末期癌」の宣告を受けた後の義理姉死に至るまでの「死生観」の建て直し、及びその決意と実践の程がやはり“超人的”なまでに素晴らしいと驚嘆せざるを得ない。
 たとえ短命で死に直面しようが、下手な命ごいなどしてじたばたするのは我が美学に反すると感じつつ、もしも我が身が余命何ヶ月かの「癌」に罹患したとの状況に置かれた場合、義理姉を失った現在の私は「どうせ死ぬなら癌がいい!」との英断が下せそうもない程軟弱状態だ…。

 もしも近々「死」に至る運命を実際告げられるような場面に於いて、我が「死生観」美学を真に貫き通せるのか否かの命題を突きつけらた、今回の義理姉の壮絶な癌闘病死との突拍子もない出来事であった……。

近しき親族内での好ましい人間関係のあり方

2013年08月17日 | 人間関係
 今年のお盆休暇も終盤に近づき、世間では郷里や旅行先からの帰省ユーターンラッシュがピークを迎えているようだ。    

 日本国内至る地で酷暑に苛まれた今夏のお盆休暇だったが、束の間の夏季休暇を古里や旅先で過ごされた皆さんは、良き思い出作りが叶ったであろうか。  

 原左都子自身に関してはそもそも混雑を好まない人種であるため、年末年始、5月の連休、お盆の時期はむしろ意識的に遠出することを避け、自宅から通える範囲内の行動を心がけている。
 特に今夏はちょうどお盆の8月15日、去る6月27日に壮絶な癌闘病の末に他界した義理姉の49日の法要(納骨)が予定されていたため、猛暑とも相俟って何とはなく一家皆で派手な行動を自粛するべく過ごしてきた。


 そんな私も独身時代には仕事の関係で、世間一般の例外ではなくやはり長期休暇のピーク時近辺にまとまった休暇を取る事が多かった。
 仕方がないため大混雑と割増料金を覚悟の上で、その時期に郷里帰省や国内外旅行を予約して出かけたものである。

 郷里帰省に関しては、決してマメにそれを実行する人種ではなかった。 父母共に定年までフルタイムの仕事を抱えていたこともあり、私の方から何らかの気配りをするべく対象でもなかった。 加えて孫でも連れて帰省するならばともかく、40歳近くまで独身だった私が一人で帰省したとて、両親にとって特段のサプライズもないのが実情であろう。 「この夏は海外へ行くから帰らないよ」と伝えても、「好きにしなさい」で済んだものだ。
 帰省が叶った折にも、特段どうということはない。 両親(特に母)は、私が独身の立場でバリバリと仕事や学問に励んでいる事を常に応援する人種であり、下手に早く結婚して妙な苦労を背負い込んでいる女性よりも“あなたは素晴らしい”と、私の事を誇りに思っていたようだ。  そんな母は私の郷里帰省がやはり嬉しい様子で私の滞在に合わせて仕事の休暇を取り、ご近所・親戚や自分の知り合いの所へ、滅多に帰省しない私を引き連れて行っては“娘自慢”を披露していたものである。

 ところが私が晩婚・高齢出産後に一家での郷里帰省となると、大きく様子が異なるのは自然の成り行きだったであろう。
 特に我が家の場合、(高齢出産時のトラブルにより)多少の事情を抱えた娘を連れての帰省である。  そんな我が一家3人での帰省に際し、実親どもが今までのようには気軽に対応できないであろう事は私の方こそ承知の上だ。 それでもたかが4,5日間の滞在に事無きを得た場合、郷里の父母も世間の親と同等程度に娘一家の帰省を喜んでくれた。

 何度目かの帰省の際、娘が高熱を出してしまうとの私にとっては想定内の事件が勃発した。
 私は元医学関係者でもあり、娘の突発的不明熱発熱等の異常症状対応に慣れているのだが、祖母である母がパニックに陥ってしまい、解熱剤を飲ませるだの何だのと自分勝手な“ド素人”処置をすると言い始める。  「ちょっと落ち着いて欲しい!」と母をなだめるのだが、孫の病態急変に不慣れな我が母がさらに突拍子もない発言をし始めたのだ! 「○ちゃん(我が娘)の容態が大変な時に帰省してくるな!」
 これに唖然とした私は、こちらも売り言葉に買い言葉だ。  「何を馬鹿なこと言ってくれるの! 私の母としての日常とはこれが実態だよ。これに日々耐えて冷静な判断を下しつつこの子を育てているんだよ! 娘の容態が悪い時に帰省するなと言うのは、一生この子と共に実家に帰って来るなと言ってるも同然だよ。 それが理解できないババアなど私の方から願い下げよ!!」  険悪な空気が流れつつも、母は母なりに孫の容態を気遣っていたようだ。

 その後娘の熱は下がり回復に向かった。 数日間の実家滞在の後、すっかり元気になった娘と共に我が一家は郷里を後にした。
 ただ、この事件を教訓と出来ない私ではない。  医学的観点から、我が娘が実家で異常症状が発現しそうな時には郷里へ帰省するべきではないと本気で悟った。 何分、我が親どもは私には医学を修得させてくれたが、自分らはそれを修得していない素人である点も娘の私の方が勘案するべきだ…。
 その後、我が実家に娘を連れて帰省する機会が自ずと減らざるを得ないのは自然の成り行きで現在に至っている。


 まさに、たかが郷里帰省にも様々な人間模様があろう。
 朝日新聞8月3日付「be」の“悩みのるつぼ”は、20代女性よりの「母が嫌で帰省したくない」との表題だった。

 ここでいきなり原左都子の私論に移ろう。
 上記相談女性は20代の若き世代であられる事を勘案して、実家の母が嫌いならば何も郷里に帰省せずとて、好き放題バケーションを楽しめばよいであろう… なる感想を、長い独身を謳歌した私が思い描かないはずもない。
 ところが相談内容を読み進めると、この相談者の郷里ご実家内人間模様が複雑のようだ。 そうとしたところで、既に家を出て自立して暮らしている20代女性に何らの罪も責任もないと私は結論付ける。
 
 上記朝日新聞“悩みのるつぼ”今回の回答者であられる 歌手・俳優 三輪明宏氏の回答内容の最後の部分を以下に紹介しよう。
 相談者の家族のように親子間に距離がなく、密着している状態は危険である。 「親しき仲にも礼儀あり」との心得があれば、一定の境界線からは互いに立ち入らないように出来るはずだ。 「家族は特別なもの」とは勘違いだ。 如何なる関係でも、遠慮しなくなったらお終いである。これは家族とて例外ではない。


 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 たとえ親族・家族間であろうが、人間関係に於いて「特別」なる関係が存在し得るはずがない。 それは三輪明宏氏がおっしゃる通りである。

 血縁関係の人間同士であれ、「礼儀」が存在して当然である。
 これをわきまえ、自分の感情を抑えて心理的距離を置いてこそ健全に成り立つ親族・家族関係である事に間違いない。