原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「溝」を乗り越えてよいお年を!

2012年12月29日 | 時事論評
 (写真は、アルゼンチン ブエノスアイレスのタンゴレストラン劇場。 この劇場では、客席でディナーを食しながら絢爛豪華なタンゴショーを観覧することが出来る。
 我々はブエノスアイレス到着初日の夜、一緒に旅をした美術家氏の知人で同じく美術家としてご活躍中のブエノスアイレス在住Javier氏及びGustavo氏にこの劇場へ誘っていただいた。参考のため、4名の会話は英語にて行われた。
 舞台上手(かみて)が観覧できる前列特等席で、アルゼンチン料理のディナーを頂きつつ、2時間半に及ぶタンゴショーを堪能した。)


 今年の我が師走の日々は、例年になく慌しく過ぎ去っている。

 11月下旬に突然舞い込んできた、知人よりのアルゼンチン旅行への誘(いざな)い。 
 そしてアルゼンチン出発直前である12月上旬に、これまた突然の知らせであった義理姉の膵臓癌による入院。

 その後の義理姉の続報をここで述べることにしよう。

 義理姉は、配偶者氏より自分が末期の膵臓癌に罹患していること、及び余命が1年以内であることを告げられたようだ。 我が身内から聞いたところによれば、その告知の後も義理姉は毅然とした態度で闘病を続けているとの話である。 余命1年であるならば、それなりの残りの人生を過ごしたいとの意向で、新年早々にはホスピスへ移転して治療に励むとの事である。 加えて抗癌剤投与によっても後1年しか持たない命であるならば、その副作用により心身に大打撃を受けつつ余生を過ごすより抗癌剤治療を拒否したい意向も、自らが医師に告げたとの事だ。
 そして先日、入院後2度目の開腹手術を受けた姉である。 今回の手術は、体内に溜まった膵液の除去、及び癌が大きいために十二指腸を圧迫し食物が通過しないため、十二指腸を全摘出して胃と腸を繋ぐとの施策だったらしい。 それにしても、前回の開腹手術の傷がまだ癒えていない段階での早くも2度目の手術…  それにも耐え、余命告知にも耐え、自分に残された1年足らずの余命を自らの余命設計の下、気丈に生き抜こうとの姉の精神面での強靭さを私は敬服申し上げるしかない。

 そんな姉の気丈さに周囲の人間が助けられている現実である。 高齢で要介護の身である義母が比較的冷静さを保っていることに、今後義母のバックアップをする立場にある私の負担も軽減されるというものだ。
 義理姉にとっては、後1度しか迎えられないであろう新年が近づいている。 義理姉なりの「よい年」であることを祈ってやまない。


 話題が変わるが、毎年12月に発表されるその年の世相を表す漢字は 「金」 と、私のアルゼンチン外遊中に発表されたようだ。
 
 ところが、私は帰国直後パソコンのネット画面で僧侶が大きく毛筆で 「溝」 と書いている画像を発見した。 (あ~~、そうなんだ。確かに今年は日本内外を取り巻く社会で「溝」が深まった1年だったなあ。)と、その選考の絶妙さに拍手を贈りたい思いになった。 日中、日韓をめぐる領有権問題の激化然り、国内政権の混乱や政府と国民との「溝」の深まり…等々、まさに様々な社会的局面で大きな人為的「溝」を構築してしまったこの1年である。

 「金」ねえ……   確かにロンドン五輪での日本選手の活躍は光るものがあった。 ただ、「金」に該当する出来事と言えばそれのみで、金のように重厚で光り輝く歴史を何ら刻めていない今年の世相ではなかろうか?
 昨年の「絆」も嘘臭さが漂っていて、元々集団嫌いの原左都子にとっては嫌悪感すら抱かされる選考だったものだ。 大体、「絆」「絆」と騒ぐ人間に限って、ろくでもない人間関係しか築けてないものと私は昔から感じてきている。
 この種の虚しさが漂う選考はやめるべきではなかろうか?  もっと現実を見据えた漢字を選択して国民皆が真の未来を見つめられてこそ、この世の発展が望めるものと私は考えるのだが。
 さて、来年新政権は「溝」を埋められるであろうか?


 昨日いつも通っているスポーツジムでランニングと筋トレをしてきた私である。 
 このジムも昨日で仕事納めだ。  小さな子供連れの親子が「よいお年を!」と年末恒例の挨拶を交し合っている。
 それを聞いた3歳位の男の子が「よい年、って何?」と母親に大声で尋ねている。 確かに1年に一度しか交わされない挨拶であるため、小さい子どもにとっては聞きなれない言葉であろう。
 その質問に如何に母親が応えたのかに関しては、残念ながら聞き取れなかった。

 これを聞いて思い出したのは、我が実姉が若かりし頃、「おめでとう」と言う正月の挨拶を毛嫌いしていた事である。 (さすが血は争えないもの、“天邪鬼”気質DNAが私とソックリで恐ろしいくらいだ。
 当時大阪の大学生だった姉が毎年正月に帰省して怒って曰く 「何が目出たいんや!!」  
 たかが挨拶の決まり文句にそれ程腹を立てずとてよいものをと思いつつ、内心それに同感していた私でもあるのだが…

 さてさて、来年はどんな1年になることだろう。
 アルゼンチンタンゴのごとく、絢爛豪華で活気付いた新年が訪れることになど期待しようもないが、末期癌及び短い余命と現在毅然と闘っている義理姉の爪の垢を煎じて飲み、私なりの「溝」を乗り越えつつ充実した新年を迎えたいものである。

クリスマスの日に出会った妖精のごとくの少年達

2012年12月26日 | 旅行・グルメ
 (写真は、アルゼンチン ブエノスアイレスの観光スポット コロン劇場 の直ぐ近くに位置するホテルロビーにて撮影したクリスマスツリー。  南米では今の時期真夏であるが、このように街のあちこちにクリスマスの飾り付けを発見することが出来る。  写真右側が原左都子。 左側は今回アルゼンチンにて国際美術賞を受賞され、その授賞式に私をお誘い下さった知人の美術家氏。
 参考のため、ブエノスアイレスのコロン劇場とは、イタリアのミラノ・スカラ座、パリのオペラ座と並んで「世界三大劇場」の一つの地位を保ち続けている劇場であり、現在に至って尚世界最高峰のクラシック演奏やオペラを堪能する事が可能な劇場とのことだ。)


 今回の「原左都子エッセイ集」記事内容は、上記の写真とさほどの関連がないことを最初にお断りしておく。

 それにしても日本国内に於いて「クリスマス」の位置付けが年毎に簡素化しつつあると皆さんお感じではなかろうか?  と言うよりも、日本に於いては「クリスマス」を楽しむ慣習など既に消滅したと言ってよい程に、衰退した文化の一つと表現できそうにすら私は感じる。
 
 それを身近に実感したのは、我が家においては娘の要望により毎年実施していた「クリスマス」の飾りつけを、今年は取り止める決断をした事実によってである。 
 私はそもそも宗教心のない人間であるし、室内飾り付けの手間の煩わしさを考慮すると正直なところそんなもの二の次でよかった。  ただ、娘がそれを楽しみにしているならば実行に移すつもりでいたのだが、娘曰く「街でクリスマスの飾り付けをあまり見かけないし、近隣の一般家庭でもどこも飾り付けをしてないよ」… 
 確かにその通りだ。 数年前までは煌くばかりのクリスマスイルミネーションを誇っていた近隣住居も年毎にそれを縮小し、大震災後は何処も飾り付けを自粛しているのかとも見受けられる。 そして今年に至っては、さらにその自粛の程が街中に浸透しているかの様子だ。

 そして私はアルゼンチン旅行を終えた後、成田からのリムジンバスにての帰り道にもそれを再認識させられた。
 特に一昔前に舞浜辺りのディズニーリゾート近辺高速道をクリスマス時期に通行した場合、そこにはクリスマスイルミネーションが溢れていた記憶がある。 ところが現在に至ってはイルミネーションどころが、千葉県に位置するディズニーリゾートの高速道の周辺に昔は数多く出店していた店舗すら皆無で、その風景が“真っ暗闇状態”なのだ。 
 アルゼンチンの経済力の程が不安定極まりないのと平行して、我が国日本に於いても同様の事態を余儀なくされていることを、成田からの帰り道であるディズニーリゾート近辺の“真っ暗闇”風景で再認識されつつ自宅へ急いだ私である。


 話題が大幅に変わるが、昨日、大学がやっと年末年始休みに入った我が娘と共に東京と千葉との境目辺りにある葛西臨海公園地域を訪れた。

 昨日は12月25日 まさにクリスマス当日であるのだが、メトロ電車内にはその雰囲気がまったくない。
 そんな中、私が座席で軽い眠りについていると近辺から男の子達の会話が聞こえてくる。 その会話内容から判断するに、どうやら我が娘と同い年すなわち19歳くらいの年頃の少年達であろうか??
 今時電車内で会話を交わす乗客とは、昼間のおばさん連中か家族連れ、あるいは夜間の酔っ払い連中ぐらいの迷惑な喧騒であるが、この少年達はそれらの乗客とは異質で私にとって音量をわきまえた“耳障りではない会話”を交わしているようだ。
 少し目が覚めかかった私の前の席がちょうど空いた様子で、上記の少年達4名がその座席に並んで座ったようだ。 まだ眠い状態の私がぼんやりと前席に座った少年達を観察したところ、なんとも可愛らしいイケメン揃いではないか!!


 その時、何故か我が脳裏に浮かんだのは往年の「フォーリーブス」だった! 
 「フォーリーブス」をご存知ない方々に少し説明すると、昭和40年前後のグループサウンズ全盛期に「ジャニーズ事務所」よりデビューした歌って踊れる4人の少年グループである。 “SMAP”や“嵐”の大先輩と考えてもらえばよいであろう。

 しかも、メトロ前席4名の少年達の会話が私にとっては純粋で可愛らしいことこの上ない!
 今時、19歳ぐらいの年齢にして少年らしき心を育んでいるとは奇跡的ではなかろうか?  我が娘も同類であるのだが、少年達を未成年と想定して、このような教育を育んで来ている少年達の親の教育力を評価したい思いである。

 私名付けて「フォーリーブス」の4人の少年達は、我々同様に東京メトロ有楽町線終点である新木場駅で降車した模様だ。 おそらく、その後はJRに乗り換え舞浜に降り立って「ディズニーリゾート」へと向かうものとも推測した。 
 穢れなき少年達は、このクリスマスの日にディズニーランド(あるいはディズニーシー)で彼女でもゲットするつもりであろうか?

 
 そうだとしても、今時少年4人で連れ添って行楽地に出かける姿を私はほとんど見かけない。(少女も然りである。) 
 今時の若者群像としては、個人行動か、はたまた中高生にして早くもカップルか、あるいは集団行動の場合“グレている”男女連中どもか、はたまたネットででも知り合った年齢差チグハグカップルにしか遭遇出来ないものだが、それが今時の日本の都会の常ではなかろうか??

 そんな時代背景に生きている未成年の娘を持つ親の身として、昨日のクリスマスの日に往年の「フォーリーブス」のごとくの可愛らしい妖精のような4人の少年グループに出会えた事は、私にとって素晴らしいクリスマスプレゼントだったと慮るのだ。

アルゼンチンの物価と通貨ペソの謎

2012年12月24日 | 旅行・グルメ
 (写真は、アルゼンチンブエノスアイレス レコレータ墓地にて。 たまたま写っている右側の女性は中国人団体観光客のようだ。  参考のため、現在のアルゼンチンでは中国人観光客を見かけるものの日本人にはまったくと言ってよい程遭遇しない。 
 レコレータ墓地とはブエノスアイレスの主要観光スポットの一つである。 墓地が観光スポット??と驚かれるかもしれないが、墓地には数々の彫刻やアーティスティックな建造物が並んでいる。 エビータの墓があることでも有名。)


 ブエノスアイレスでの一番のお楽しみと言えば、何と言っても市街の至る所に所狭しと立ち並ぶ小店舗にての買い物やカフェでのティータイムではなかろうか。
 今回の旅行の大半をそれら店舗とカフェめぐりで過ごしたと言って過言でない。
 
 ブランド志向の日本人が海外旅行に出かけた場合、免税店で安物ブランド品を買い漁るのが常のようだが、元々原左都子はブランド志向ではないためその種の行動にほとんど興味がない。 
 私の海外旅行の一番の興味・楽しみとは、地元の人々が如何なる暮らしを営んでいるか、その日々の生活の一端に触れる事に尽きる。
 そういう意味では、ブエノスアイレスという街は実に楽しい旅行先であった。

 地下鉄を利用し、市の各所に容易に出かけられるのが魅力的である。
 ただし、一般市民の皆さんのほとんどは英語がまったくと言っていい程に通じない。 スペイン語一辺倒の様子だ。
 旅行に旅立つ前に得た情報としても、やはりブエノスアイレス市民には英語が通じないのに加えて、態度が横柄で“つっけんどん”な対応をする人が多いとのことであった。  ところが前者は真なりなのだが、後者の“つっけんどん”に関してはとんでもない誤解であり、今回の我が旅行中に関しては市民の皆さんに実に親切に対応していただいたものだ。

 その一例を挙げよう。

 街角で小店舗を経営している男性に「花屋さんはどこですか?」と英語で尋ねたものの、“flower"がどうしても通じない。 なんで flower ごときの簡単な英語すら通じないの??と多少イライラしつつ、たまたま店舗に花の絵があるのに気付きそれを私が指差すと、“Oh! Florence!”と叫ぶや否や、一人で経営している自分の店を放り投げて我々旅人を自ら“Florence shop" に連れて行ってくれたのである! もちろん満面のスマイルで感謝を表現した原左都子だ。

 あるいは地下鉄の駅で切符を買い求めるにあたり、その駅名をスペイン語で駅員氏に告げるのに手間取った私だ。(実はブエノスアイレスの地下鉄は行き先の駅名を告げずに切符が買えるのだが…)  後ろには長蛇の列ができている。 こういう場面において日本の地下鉄では、迷惑な奴!と冷たい視線を投げ掛けられるのが落ちであろう。
 ところがブエノスアイレス市民の対応は違ったのだ。 よく分からないものの「彼女は○○駅と言っているではないか!!」と、後ろに並んでいる皆が私のヘボいスペイン語をそれぞれに聞き取り、それを大声援で反復して応援してくれるのだ! 実に感激の場面だった。   お陰様で無事に目的地に辿り着けることが出来た。
 

 今回のブエノスアイレスの旅は、上記のごとく地元の親切な市民の皆さんとの出会いの連続の集結体だったとも言える。
 いつも海外旅行をして思うことだが、旅行先の国や地域にかかわらず、地元の人々を信じることを優先して言葉は通じずとて“一生懸命”何かを伝えようとする相手に対しては、そんな旅行者の思いに報いようとの感情が自然と市民に湧き出るのではなかろうか。
 
 反面、最初からこの国は危険だ、治安が悪いから要注意などとの警戒心を抱いて訪れる外国人など、現地の人々にとっては鬱陶しさの極みであり排除するしかないのが現実であろう。
 それだからこそ、海外旅行に出かけられる皆さん、行き先の市民の皆さんの「好意」こそを信じた態度を取ろうではありませんか!!
 (最低限、笑顔は必須と私は思うのだが。)


 ところで原左都子にとって、今回アルゼンチンに旅立つにあたり一番懸念していたのは当地の物価の程であり、アルゼンチン全体を鑑みた場合の地域貧富差の実態であった。

 ブエノスアイレスに限って言えば、日本と同程度の物価水準だったといったところであろうか。

 帰国後見聞した12月12日付朝日新聞記事によると、現在のアルゼンチンにおいては政府が故意に「物価操作」を実施しているとのことである。
 確かに私が今回実際訪れたアルゼンチンに於ける「特別区」の位置付けのブエノスアイレスの市民達の暮らしは一応平穏であったようだ。 ところが国全体の経済力を考察すると、失礼ながら農業主体のアルゼンチンとの国家が経済的に安泰であるはずもない。 上記朝日新聞記事によれば、国家によるインフレ率操作の目的の一つとして国内に蔓延る貧困を隠す狙いもあるとのことだ。 
 アルゼンチンという国全体を見渡した場合、日本の比ではなく許されざるべく貧困層が存在する事実にもっと思いを馳せるべきとも省みる、今回の我がアルゼンチン旅行でもある。


 最後になるが、アルゼンチン国内の通貨である「アルゼンチンペソ」の両替が国際間において実に不自由である事実をご存知であろうか?
 今回私が経験した事実を伝えると、日本国内でのアルゼンチンペソへの両替は全面的に不能。 アトランタ空港で両替を試みたところ、手元には数少ないペソしか保管されていないとのことだ。 やっとブエノスアイレス空港でアルゼンチンペソへの両替を実施できた。 
 ところが、帰国時点空港でアルゼンチンペソを他国通貨に両替しようとしたところ、“Bank only" との回答である。 これはアトランタ空港然り、成田空港然りの現状だ。

 という訳で、南米アルゼンチンへ旅立つ場合、通貨であるアルゼンチンペソは必要分のみ両替するのがベストとの原左都子のアドバイスで今回の旅行記の幕を閉じよう。

「余命告知」という家族に課せられる重責

2012年12月22日 | 医学・医療・介護
 12月初旬、折りしも私が南米アルゼンチンに旅立つ3日前の出来事である。

 義理姉が突然入院したとの情報が身内に届いた。
 身内曰く、「十二指腸潰瘍らしいが…」
 私も過去に十二指腸潰瘍を患った経験があるが、それにしてもそれが理由で突如入院とは相当潰瘍が悪化しているのであろうか??

 こういう場合、元医学関係者の私が直接姉の担当医と面談して病状を聞くのが一番手っ取り早いとは感じつつ、血縁ではなく、しかも普段姉とさほど親しい付き合いをしている訳でもないのに、ここは私がしゃしゃり出るべきではないと冷静に判断した。
 そして翌日、身内、義母及び義理姉の息子が病院へ出向き詳細を確認することと相成った。

 そこで得た義理姉の病状を身内の話により再現しよう。
 姉が医院を受診した当初のきっかけは貧血症状だったようだ。 腹部の痛み等の症状は特段なかったとのことである。 医院にて諸検査の後、医師より大きな病院の紹介を受け早めの診察指示があったらしい。 それに従い姉が早速紹介大病院を受診したところ、急きょ入院を指示され諸検査と相成った。 それと平行して貧血の程度が重いため即刻輸血が施されたとのことだ。
 さしあたっての各種検査の結果としては、貧血は消化器系からの下血によるもの、そして膵臓に腫瘍があるとのことでもある。 マイクロスコープによる胃腸検査の結果、特段胃腸に異常は見当たらないとのようだが…。 近いうちに膵臓の腫瘍を摘出する手術実施予定とも、身内から聞いた。

 身内の話によると、義理姉は一見元気にしているとのことだ。 身内にとって本人の“一見元気そうな”姿の印象が強いのか、医師から上記病状の説明を受け一安心して我が家に帰宅したようだ。
 その話を身内から聞かされた私の脳裏には、一瞬にして暗雲が立ち込めた…。
 輸血が必要な程の大量下血!?!  さしあたり胃腸の異常が見当たらないとの事は、その下血は膵臓の腫瘍に由来していると考えるべきではないのか。 そうだとすると、その腫瘍は既に相当悪化しているとも判断できる。 手術で摘出できるとよいのだが…
 そんな不吉な予感が過ぎった私であるが単なる憶測範疇に過ぎないため、医学的知識のない身内には伏せることにした。 
 そして身内に訪ねて曰く「アルゼンチンへは行っていいよね?」 応えて身内曰く「もちろんだよ。 ○子(私のこと)が家にいたって何かの役に立つ訳ではないし」
 私の診断では義理姉は「膵臓癌」に間違いないと思いつつ、確かに身内が言う通り手術が終わるまでは動きようがないため、私は予定通り南米へ旅立った。

 帰国後、姉の手術は12月19日予定とのことで、私の留守中一家は平穏に経緯していたようだ。 私としても外遊中の姉の手術を免れられ、一家の一員としては一安心である。


 そして手術の翌日である20日(一昨日のことだが)朝、病院へ行った義母から身内へ術後の一報が入ったようだ。
 義母との電話の後、身内から話を聞いた私は愕然とした。
 義理姉は私の診断通り「膵臓癌」だったのだが、その悪化度合いが私の予想より数段進行していたのだ!  医師の説明によると、癌が大きく動脈を傷つけるため手術によっては摘出不能なため、今後抗癌剤投与で様子をみるとの事だ。 
 そして医師より付け加えられたのは、義理姉の「余命は長くて1年、短ければ3か月」…

 既に要介護の身でケアマンションに入居している義母には、その夜、私から連絡を取った。
 さぞや憔悴し切っているであろうと思いきや、意外や意外、冷静に義母が私に告げる。
 「実は私も長女の緊急入院直後からこういうことになるであろうことは想定していた。 今現在は娘の余命3か月と考えて行動するべきと思う。 そうした場合、私の保証人や財産管理を今まで姉に任せていたが今後は長男の嫁である○子さん(私)にもお手伝いいただくことになるし、どうかよろしくお願いしたい。」
 「もちろん、その心積もりは出来ています!」と力強く返答をするのが今の私の責務であり精一杯の返答であろう。


 それにしても、義理姉への「余命告知」をどうするべきか?
 これについても身内と話し合ったのだが、最終決断をするのは姉の一番の身内である配偶者氏と息子氏であろう。 当然ながら血縁でもない私が口出しする場面ではない。

 元医学関係者としてこの種の話題に触れる機会は今まで多く、自分自身は是非共「余命告知」をして欲しいとの考えを貫いて来た私である。
 ところが現実的にこの場面に直面すると、気弱になりその考えが傾いてしまうのはどうしたことか?  病状が悪化しているにもかかわらずとりあえず自分自身が元気であるならば、そのまま放って置いて欲しい思いすらする。
 ましてや抗癌剤投与により心身が大打撃を受けた状況下で、「お前の余命は1年以内!」などと家族から告げられたものなら、癌経験者でもあり抗癌剤の痛みを知り抜いている私としては、もう死に至る階段を上り詰めるしか方策が取れない気もする。


 現在集中治療室で病魔と闘っている義理姉自身は、自分の余命の程を未だ知らないでいるとのことだ。

 そんな姉の人生とは如何程だったのだろう? 
 身内とは言えども私とはまったく別世界の暮らしをしているが故に、それを思い図ることは困難である。
 私が知る限りでは早期に父母から生前贈与された財産をフル活用し、贅沢三昧の暮らしぶりのようだ。 常にブランド物で身を包み、社交ダンスを趣味として、海外旅行にも頻繁に出かけていた様子だ。 親しい友人達とランチにディナーの日々グルメ三昧だったとの話も義母より多少見聞している。

 それはそうとして、「余命告知」とは如何なる家族、如何なる患者にとっても過酷な現実であろう。
 義理姉が歩んだ人生に沿うような「余命告知」が可能かどうか、我が身に照らしてみても究極に困難な課題を突きつけられた我が親族である。

国際線航空機の座席、改善不能なものか!?

2012年12月20日 | 旅行・グルメ
 (写真は、アルゼンチン ブエノスアイレス レコレータ地区に位置する Alvear Palace Hotel 近くの街頭 郵便ポストの横に立つ原左都子)


 日本国内から海外に旅に出る場合、船便を利用する場合を除きそのほとんどが航空便に依存することとなろう。

 先だっての12月10日に出発した南米アルゼンチン訪問は原左都子にとっては海外旅行歴十数回目となるが、そのすべてを航空便に頼った。

 (旅行先当地の時差にもよるが)空の旅も片道10時間程度以内であれば、もはや許容範囲である。 成田(あるいは羽田)から離陸し、座席で配られる機内食を食して眠りこけている間に現地に到着するのが空旅の常である。


 ところが、これが航空便乗継ぎ、あるいは他国空港経由となるとそうは簡単に事が運ばない。

 今から遡ること30数年前、私が20代前半の頃に訪れたヨーロッパ旅行がそうだった。 
 さしあたって英国を訪問するのに、当時は米国アンカレッジ経由便しか運行していなかった。(?) 現在に於いては、おそらく英国へは直行便が往き交っていることであろう。

 これが、大変だ。 
 当時何のためのアンカレッジ経由なのか理解していなかった私だが、もしかしたら航空機の燃料補給目的だったのだろうか?  あるいは、国際線ルートが現在のようにはまだまだ発展していない時代背景だった故だろうか??
 とにかく、その空旅は未だ若かりし我が身体にも実に厳しいものがあった。 結局ロンドン ヒースロー空港に着陸するまで24時間程度の長旅だったと記憶しているが、心身共に疲れ果てての我がヨーロッパ旅行の始まりだった思い出がある。


 さてさて今回のアルゼンチン旅行は、上記ヨーロッパ旅行の比ではない“超過酷な空旅スケジュール”が予定されていた。
 何分、日本から見て地球の真反対側の南半球南米の国への旅行だ。 現在に於いては進化発展した航空便ルートであろうが、それを最大限短小しようとてアルゼンチンに到着するには過酷なまでの長時間フライトをこなさねばならないことは私にも理解可能だ。

 ここで今回の我がフライトスケジュールを紹介しよう。
 今回はデルタ航空利用なのだが、まずは成田から出発して米国アトランタまで12時間のフライト。 アトランタ空港にて6時間を過ごした後、同じくデルタ航空にてアルゼンチン ブエノスアイレス空港まで10時間のフライト。  帰国便も同様にアトランタ経由だが、何故かアトランタから成田までの所用時間が14時間と往きよりも長時間である。

 今回私をアルゼンチンまで誘って下さった知人は、成田-アトランタ往復の座席を「エコノミーコンフォート」指定とされたようだ。 私も帰り便は「エコノミーコンフォート」指定としたのだが、往きは通常の「エコノミー」座席を指定した。
 今回のフライトは満席状態との情報は既にネットで得ていたが、成田から飛行機に乗り込んでみると、な、な、なんと、我が席の隣に巨漢の中国人男性が座っているではないか!!
 こうなると大変だ。 巨漢男性の手足が我が席の1/3まではみ出している。  現在厳しい状況下にある日中外交関係を視野に入れた場合、そんなことにいちゃもんは付けられない。 ただでさえ狭いエコノミー席であるが、私は12時間のフライトを2/3残された座席で耐え抜く決意をするしかない。 救われたのは、隣の中国人巨漢男性が比較的礼節を心得ておられたことだ。 私が眠りこけてその男性のはみ出た腕を枕に利用しても、叱り飛ばされることがなかったのが何よりだった…。

 それにしても、国際線航空機内に於いて満席状態のエコノミー席は実に実に過酷である。
 今回は特に満席故に「中席」しか指定できなかったのだが、トイレに立つ場合通路側で寝ている客を起こさねばならない使命が中席顧客に課せられる。
 加えて客席乗務員より食事が運び込まれた場面においては、それが終了してお膳がすべて回収されないと「中席」の顧客はトイレには行けない運命にもある。
 それを何とかこなしつつ無事にアトランタ及びブエノスアイレスに到着したのは何よりだが…

 「往きはよいよい、帰りは怖い」…  などと、日本の童謡にも歌われているが…

 往き航空機内道中の座席の過酷さを実感した私は、特にアトランタから成田への帰国便14時間のフライトに於いて、「中席」をリザーブしていた“エコノミーコンフォート”を権利放棄して、わざわざ“通路側”のエコノミー席に移る選択をした。  何故ならば、飛行中トイレぐらいは自由に行きたい事を最優先課題と判断したからに他ならない! しかも通路側は「中席」に比して寝る時にも通路にはみだせる自由度もある。
 往路のこの我が選択は大正解で自由にトイレには通えたものの、今度は「中席」のお隣さんに配慮する繊細さが問われるはめとなる…

 
 そうだとしても、国際便航空機内に於ける上記のごとく顧客に課せられる過酷なフライトが今後どうにか改善されないものなのか!?

 それが嫌なら「ファーストクラス」なり「ビジネスクラス」の座席をリザーブすれば済む話と心得ているのが、現在の航空機企業の現状であるのか?
 そういう事なのだろうねえ。 確かに、エコノミーの料金より多少の割増し価格を負担すればそれで事は済む話であろう。


 ただ、ここであえて原左都子は訴えたいのだ。

 世界中で人種差別を横行させている国家・地域は、残念ながら未だ数多い。
 そこへ旅する世界人民もそれに従い、狭い空間である航空機内でその差別的待遇を味わったところで大した損失もないであろうとの航空機会社の発想・魂胆なのか?
 エコノミー席の“虐待”に近い扱いとは、 「カネさえ払えば、いくらでも快適な旅を保障するぜ~」 と航空会社から紋切り型に喧嘩を売られているようで、私は何だか背筋が寒い思いすら抱く。

 最後に私論の結論を述べよう。
 世界各国の航空会社は「ファースト」や「ビジネス」クラスを特権扱いする事に重きを置き続けるのではなく、今の時代に及んでは世界市民が利用する「エコノミー」席の充実こそを目指して欲しいものだ。

 それ程に、現代は世界規模で国外旅行が一般化した時代背景ではなかろうか。