(写真は、アルゼンチン ブエノスアイレスのタンゴレストラン劇場。 この劇場では、客席でディナーを食しながら絢爛豪華なタンゴショーを観覧することが出来る。
我々はブエノスアイレス到着初日の夜、一緒に旅をした美術家氏の知人で同じく美術家としてご活躍中のブエノスアイレス在住Javier氏及びGustavo氏にこの劇場へ誘っていただいた。参考のため、4名の会話は英語にて行われた。
舞台上手(かみて)が観覧できる前列特等席で、アルゼンチン料理のディナーを頂きつつ、2時間半に及ぶタンゴショーを堪能した。)
今年の我が師走の日々は、例年になく慌しく過ぎ去っている。
11月下旬に突然舞い込んできた、知人よりのアルゼンチン旅行への誘(いざな)い。
そしてアルゼンチン出発直前である12月上旬に、これまた突然の知らせであった義理姉の膵臓癌による入院。
その後の義理姉の続報をここで述べることにしよう。
義理姉は、配偶者氏より自分が末期の膵臓癌に罹患していること、及び余命が1年以内であることを告げられたようだ。 我が身内から聞いたところによれば、その告知の後も義理姉は毅然とした態度で闘病を続けているとの話である。 余命1年であるならば、それなりの残りの人生を過ごしたいとの意向で、新年早々にはホスピスへ移転して治療に励むとの事である。 加えて抗癌剤投与によっても後1年しか持たない命であるならば、その副作用により心身に大打撃を受けつつ余生を過ごすより抗癌剤治療を拒否したい意向も、自らが医師に告げたとの事だ。
そして先日、入院後2度目の開腹手術を受けた姉である。 今回の手術は、体内に溜まった膵液の除去、及び癌が大きいために十二指腸を圧迫し食物が通過しないため、十二指腸を全摘出して胃と腸を繋ぐとの施策だったらしい。 それにしても、前回の開腹手術の傷がまだ癒えていない段階での早くも2度目の手術… それにも耐え、余命告知にも耐え、自分に残された1年足らずの余命を自らの余命設計の下、気丈に生き抜こうとの姉の精神面での強靭さを私は敬服申し上げるしかない。
そんな姉の気丈さに周囲の人間が助けられている現実である。 高齢で要介護の身である義母が比較的冷静さを保っていることに、今後義母のバックアップをする立場にある私の負担も軽減されるというものだ。
義理姉にとっては、後1度しか迎えられないであろう新年が近づいている。 義理姉なりの「よい年」であることを祈ってやまない。
話題が変わるが、毎年12月に発表されるその年の世相を表す漢字は 「金」 と、私のアルゼンチン外遊中に発表されたようだ。
ところが、私は帰国直後パソコンのネット画面で僧侶が大きく毛筆で 「溝」 と書いている画像を発見した。 (あ~~、そうなんだ。確かに今年は日本内外を取り巻く社会で「溝」が深まった1年だったなあ。)と、その選考の絶妙さに拍手を贈りたい思いになった。 日中、日韓をめぐる領有権問題の激化然り、国内政権の混乱や政府と国民との「溝」の深まり…等々、まさに様々な社会的局面で大きな人為的「溝」を構築してしまったこの1年である。
「金」ねえ…… 確かにロンドン五輪での日本選手の活躍は光るものがあった。 ただ、「金」に該当する出来事と言えばそれのみで、金のように重厚で光り輝く歴史を何ら刻めていない今年の世相ではなかろうか?
昨年の「絆」も嘘臭さが漂っていて、元々集団嫌いの原左都子にとっては嫌悪感すら抱かされる選考だったものだ。 大体、「絆」「絆」と騒ぐ人間に限って、ろくでもない人間関係しか築けてないものと私は昔から感じてきている。
この種の虚しさが漂う選考はやめるべきではなかろうか? もっと現実を見据えた漢字を選択して国民皆が真の未来を見つめられてこそ、この世の発展が望めるものと私は考えるのだが。
さて、来年新政権は「溝」を埋められるであろうか?
昨日いつも通っているスポーツジムでランニングと筋トレをしてきた私である。
このジムも昨日で仕事納めだ。 小さな子供連れの親子が「よいお年を!」と年末恒例の挨拶を交し合っている。
それを聞いた3歳位の男の子が「よい年、って何?」と母親に大声で尋ねている。 確かに1年に一度しか交わされない挨拶であるため、小さい子どもにとっては聞きなれない言葉であろう。
その質問に如何に母親が応えたのかに関しては、残念ながら聞き取れなかった。
これを聞いて思い出したのは、我が実姉が若かりし頃、「おめでとう」と言う正月の挨拶を毛嫌いしていた事である。 (さすが血は争えないもの、“天邪鬼”気質DNAが私とソックリで恐ろしいくらいだ。)
当時大阪の大学生だった姉が毎年正月に帰省して怒って曰く 「何が目出たいんや!!」
たかが挨拶の決まり文句にそれ程腹を立てずとてよいものをと思いつつ、内心それに同感していた私でもあるのだが…
さてさて、来年はどんな1年になることだろう。
アルゼンチンタンゴのごとく、絢爛豪華で活気付いた新年が訪れることになど期待しようもないが、末期癌及び短い余命と現在毅然と闘っている義理姉の爪の垢を煎じて飲み、私なりの「溝」を乗り越えつつ充実した新年を迎えたいものである。
我々はブエノスアイレス到着初日の夜、一緒に旅をした美術家氏の知人で同じく美術家としてご活躍中のブエノスアイレス在住Javier氏及びGustavo氏にこの劇場へ誘っていただいた。参考のため、4名の会話は英語にて行われた。
舞台上手(かみて)が観覧できる前列特等席で、アルゼンチン料理のディナーを頂きつつ、2時間半に及ぶタンゴショーを堪能した。)
今年の我が師走の日々は、例年になく慌しく過ぎ去っている。
11月下旬に突然舞い込んできた、知人よりのアルゼンチン旅行への誘(いざな)い。
そしてアルゼンチン出発直前である12月上旬に、これまた突然の知らせであった義理姉の膵臓癌による入院。
その後の義理姉の続報をここで述べることにしよう。
義理姉は、配偶者氏より自分が末期の膵臓癌に罹患していること、及び余命が1年以内であることを告げられたようだ。 我が身内から聞いたところによれば、その告知の後も義理姉は毅然とした態度で闘病を続けているとの話である。 余命1年であるならば、それなりの残りの人生を過ごしたいとの意向で、新年早々にはホスピスへ移転して治療に励むとの事である。 加えて抗癌剤投与によっても後1年しか持たない命であるならば、その副作用により心身に大打撃を受けつつ余生を過ごすより抗癌剤治療を拒否したい意向も、自らが医師に告げたとの事だ。
そして先日、入院後2度目の開腹手術を受けた姉である。 今回の手術は、体内に溜まった膵液の除去、及び癌が大きいために十二指腸を圧迫し食物が通過しないため、十二指腸を全摘出して胃と腸を繋ぐとの施策だったらしい。 それにしても、前回の開腹手術の傷がまだ癒えていない段階での早くも2度目の手術… それにも耐え、余命告知にも耐え、自分に残された1年足らずの余命を自らの余命設計の下、気丈に生き抜こうとの姉の精神面での強靭さを私は敬服申し上げるしかない。
そんな姉の気丈さに周囲の人間が助けられている現実である。 高齢で要介護の身である義母が比較的冷静さを保っていることに、今後義母のバックアップをする立場にある私の負担も軽減されるというものだ。
義理姉にとっては、後1度しか迎えられないであろう新年が近づいている。 義理姉なりの「よい年」であることを祈ってやまない。
話題が変わるが、毎年12月に発表されるその年の世相を表す漢字は 「金」 と、私のアルゼンチン外遊中に発表されたようだ。
ところが、私は帰国直後パソコンのネット画面で僧侶が大きく毛筆で 「溝」 と書いている画像を発見した。 (あ~~、そうなんだ。確かに今年は日本内外を取り巻く社会で「溝」が深まった1年だったなあ。)と、その選考の絶妙さに拍手を贈りたい思いになった。 日中、日韓をめぐる領有権問題の激化然り、国内政権の混乱や政府と国民との「溝」の深まり…等々、まさに様々な社会的局面で大きな人為的「溝」を構築してしまったこの1年である。
「金」ねえ…… 確かにロンドン五輪での日本選手の活躍は光るものがあった。 ただ、「金」に該当する出来事と言えばそれのみで、金のように重厚で光り輝く歴史を何ら刻めていない今年の世相ではなかろうか?
昨年の「絆」も嘘臭さが漂っていて、元々集団嫌いの原左都子にとっては嫌悪感すら抱かされる選考だったものだ。 大体、「絆」「絆」と騒ぐ人間に限って、ろくでもない人間関係しか築けてないものと私は昔から感じてきている。
この種の虚しさが漂う選考はやめるべきではなかろうか? もっと現実を見据えた漢字を選択して国民皆が真の未来を見つめられてこそ、この世の発展が望めるものと私は考えるのだが。
さて、来年新政権は「溝」を埋められるであろうか?
昨日いつも通っているスポーツジムでランニングと筋トレをしてきた私である。
このジムも昨日で仕事納めだ。 小さな子供連れの親子が「よいお年を!」と年末恒例の挨拶を交し合っている。
それを聞いた3歳位の男の子が「よい年、って何?」と母親に大声で尋ねている。 確かに1年に一度しか交わされない挨拶であるため、小さい子どもにとっては聞きなれない言葉であろう。
その質問に如何に母親が応えたのかに関しては、残念ながら聞き取れなかった。
これを聞いて思い出したのは、我が実姉が若かりし頃、「おめでとう」と言う正月の挨拶を毛嫌いしていた事である。 (さすが血は争えないもの、“天邪鬼”気質DNAが私とソックリで恐ろしいくらいだ。)
当時大阪の大学生だった姉が毎年正月に帰省して怒って曰く 「何が目出たいんや!!」
たかが挨拶の決まり文句にそれ程腹を立てずとてよいものをと思いつつ、内心それに同感していた私でもあるのだが…
さてさて、来年はどんな1年になることだろう。
アルゼンチンタンゴのごとく、絢爛豪華で活気付いた新年が訪れることになど期待しようもないが、末期癌及び短い余命と現在毅然と闘っている義理姉の爪の垢を煎じて飲み、私なりの「溝」を乗り越えつつ充実した新年を迎えたいものである。