原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

1%を侮るな!

2009年09月30日 | 時事論評
 昨日(9月29日)昼のNHKニュースを見聞していて“許し難きフレーズ”を耳にした私は、これは捨て置く訳にはいかないと俄然闘志を燃やしている。

 今回の記事ではそのフレーズが発せられたニュースについて取り上げ、私論を展開することにする。


 「99%の加盟店は、何も騒ぎ立ててはいない。」
 これぞ、我が“許し難きフレーズ”である。

 それでは早速、そのニュースについて朝日新聞29日夕刊記事も参照しつつ以下に紹介しよう。
 コンビニ最大手セブンーイレブン・ジャパンの加盟店主7人が、販売期限の迫った弁当などの値引きを本部に不当に制限され損害を受けたとして、29日、同社に損害賠償を求めて東京高裁に提訴した。 公正取引委員会が独占禁止法違反の疑いで同社に排除措置を命令したことに基づく訴訟である。
 販売店は本部側から売れ残り商品は廃棄するよう指導されていたのであるが、この廃棄による原価負担は販売店側の負担となる。廃棄せず値引き販売出来たならば損害額を8割減らせたのに、本部から値引き販売を制限されたが故に受けた損害について、今回販売店側が賠償請求を提訴したものである。

 この損害賠償提訴を受けてのマスメディアのインタビューに対して、フランチャイズ元の本部であるセブンイレブン・ジャパン側から発せられた言葉が、上記の「99%の加盟店は、何も騒ぎ立ててはいない」である。


 さて、本ブログのバックナンバー「『フランチャイズ』の正体」において既述しているのだが、この私も過去においてフランチャイズ自営に挑戦した経験がある。(当の昔に廃業済) そのため、加盟店側が置かれている実態を我が事として把握できている。

 詳細は上記バックナンバーをお読みいただきたいのだが、ここで端折って我がフランチャイズ経験を振り返る事にしよう。
 私が手がけたのは、某教育関係大手企業が展開する学習教室のフランチャイズ自営であった。 この加盟店になるには本部が募集する学習教室指導者の採用試験を受けるのだが、その試験内容とは小6レベルのごく簡単な国算の筆記試験という貧弱さだ。 早い話が開業資格条件など事実上ないに等しく、開業準備金(?? と称していたのか名目は忘れたが)¥50,000- を本部に払い込みさえすれば、誰しも指導者イコール加盟店として採用されると考えてよい。(ここで既に¥50,000- の損失が発生することはお分かりいだだけるであろう。)

 既に専門分野の職業経験、及び社会経験を30年程の期間積んで“海千山千”状態だった私にとって、この加盟店稼業を何よりも受け入れ難かったのは、学習教室の経営方針はすべて本部の指示に従う事が条件だったことである。 教材は本部が作成したもの限定で使用を強制され、教室運営もすべて事細かくマニュアル化され独自の指導は許されない、生徒募集も本部の言いなり、教室に置く備品までにも細かい指定があり……
 という訳で、要するにフランチャイズ加盟店の経営者兼指導者とは名のみで、実は単なる本部の“ロボット”であることを強要される実態が私にはどうしても受け入れ難く、生徒募集等で既に20万円程の先行投資による損失を計上した後に、私は早期撤退の意思を固めたのである。
 自己統治の下で自分の能力を十分に発揮したい思いであえて“自営”にチャレンジしたつもりだったのに、フランチャイズとはかくも“飼い犬”のごとく飼い主に拘束される職業形態であることを、あの時重々思い知らされたものである。
 (しかも教室を増築する程に繁盛して、本部が言うところの“大成功”している加盟店の年収が、たかだが700万円程度と平均的サラリーマンよりも少ない現状である話を聞いた時には、それでは増築の返済金ばかりがかさむであろうに… と心配申し上げたものでもある。)


 今回のセブンイレブン訴訟に関しては、公取委が既に独占禁止法違反の措置命令を本部に下している。

 今の世の中、どこのスーパーやデパ地下でも消費期限の日時が近づくと値引き販売に踏み切っているのが世の常識でもある。 それを狙って、わざわざ遅めの時間に購入に訪れる顧客も多い実態であろう。 この私だって、狙っていた商品が値引きの対象となっていると得をした気分でうれしくなるものだ。
 そして、商品を値引き販売することにより、不必要な資源の廃棄を回避出来てエコ問題も解消されるという大きな利点もあろう。

 今回のセブンイレブン・ジャパンのフランチャイズ加盟店の自主的値引き販売は、今後のフランチャイズ制度の改革・発展にも寄与する勇断であったと私は捉える。
 
 弱者である加盟店を本部が食い物にしてあごで使い、損失は加盟店に押し付けて本部は利益だけを享受するという理不尽な経済システムなど、(政権も交代したことであるし)もういい加減終焉させるべきである。

 まさか本部の言う通り、残りの99%の加盟店が何も考えず素直に本部の意のままになっているとは私には考えられないのだが、実際のところはどうなのであろうか? (そう言えば、私が経験した上記の学習教室フランチャイズの研修においても、“やけに素直な”世間知らずと思しき“Yes man"開業希望者が多かったのが気にかかる私でもある… )


 権力者に対して謀反(むほん)を起こす人間とは、今の時代に至ってはごくごく少数派なのであろうか???
 ところがこの世とは歴史的にも、勇気と能力ある少数派こそが世を変革できる力を携えているものと私は信じるのだ。

 今回、セブンイレブン・ジャパン本部に対して損害賠償請求を提訴したわずか“1%”に過ぎない加盟店の“勇気”が、今後の日本の経済社会を変革する大いなるエネルギーとなることを信じる原左都子である。       
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シュールな癒しの空間

2009年09月27日 | 芸術
 (写真は、東京都品川区にある「原美術館」の絵葉書とチケットの半券を転写したもの)


 今回私がこの美術館を訪れたのは、十数年ぶりのことである。

 十数年前に、私はこの原美術館に程近い御殿山ヒルズのホテルラフォーレ東京にて結婚報告パーティを開いた。(参考のため、我が家の場合は結婚式は親族のみの参加として、結婚後少し落ち着いた後に知人友人を集め別立てで“結婚報告会”の形でビュッフェ形式の披露パーティを開いたのだ。)結婚直前まで横浜に住んでいた私はそちらの方面の知人友人が多かったため、それらの方々の交通の便も考慮して“品川”という地を選択したいきさつがある。
 当時ホテルラフォーレ東京にそのまま宿泊した私は、披露パーティの次の日に身内に誘われて、既にお腹の中に宿っていた我が子も共に原美術館を訪れている。


 今回はこのシルバー連休中に、もうすぐ16歳を迎える我が子と共に「原美術館」を訪れた。
 久しぶりに見る御殿山ヒルズの人影のまばらなガーデンやホテルが、あれから十数年の年月を経て我が子の成長と引き換えに色褪せて廃れを感じさせつつそびえている。 その姿が寂しくもあり感慨深くもある。


 その御殿山ヒルズのちょうど裏手に位置する原美術館は、閑静な住宅地の中にひっそりと佇んでいる。
 元々私邸として建造された原美術館の建物は、旧日劇や上野の東京国立博物館本館を設計した渡辺仁氏による代表作品のひとつであるのだが、ヨーロッパの建築様式を取り入れたこの個性的な建物自体がアーティスティックな存在感を醸している。
 そして、広い中庭に面した美術館内のカフェ(上記写真参照)が人気スポットであり、美術館を訪れた人はこのカフェの白いテーブルに座って中庭に置かれたオブジェを観賞しながら、ゆったりと流れる癒しの時間を過ごすのである。

 原美術館は、1979年に現代美術専門館の草分け的存在として東京・品川に開館した。そのコレクションは、シュールレアリスムを初め1950年代以降の日本、欧米、アジア、中南米諸国の現代美術作品1000余点であり、その内容は絵画、彫刻、写真、ビデオ、インスタレーション等多岐に渡っている。
 (以上、“原美術館プレスリリース”の記述も引用しつつ綴っています。)


 それらコレクションの中から、10月12日まで開催中の今回の企画展では28点が全館に展示されている。 その展示がヨーロピアンの建物にマッチしていて大変興味深い。 展示室である居室のみならず、廊下、階段、トイレや手洗い所までもが作品の展示場と化していて、美術館と作品が一体化しているのだ。 「おや、控え室に間違って入ってしまったかな??」と思ったらその部屋全体が作品だったりする。これらはやはり、現代アートならでは可能となる施策のユニークさであろう。

 連休中ゆえに人気のカフェが混んでいたのが残念だったが、美術館観賞の最後に娘と二人でカフェの白いテーブルに座って中庭を観つつ寛ぎの一時を過ごすことが出来た。


 美術館としてはユニークな存在の原美術館であるが、大都会の中に佇む“シュールな癒しの空間”で、皆さんも一時(いっとき)喧騒を忘れ寛がれてはいかがか。  
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八ッ場ダム 50年の確執

2009年09月24日 | 時事論評
 これは誰が考えても、「はい皆さん、中止と言ったら中止ですよ!」と国民に結論だけを押し付けて済ませられる問題では決してない。


 民主党のマニフェストに従って、与党政権が建設中止を明言している群馬県長野原町の八ッ場ダム建設予定地を前原国土交通省大臣が視察に訪れたところ、地元住民は意見交換会への出席を拒否したとの報道である。
 「一番怖いのは“マニフェストに書いてあるから”と、一言で切り捨てられることだ。」 長野原町の高山町長は新政権発足早々の9月16日からそのように懸念していた。 町長の懸念通り、前原氏の国土交通大臣就任直後の「建設中止」の大々的発表により、八ッ場ダムは一言で切り捨てられる形となってしまった。


 ここで、八ッ場ダム建設をめぐる国と地元住民との50余年に及ぶ確執の歴史を振り返ってみよう。
 治水と利水を兼ねる八ッ場ダム建設計画が発表されたのは1952年のことである。
 このダムが当初計画通りに完成することにより全国的に名高い川原湯温泉街をはじめ340世帯が水没し、名勝吾妻峠に建設されるためその水没による観光資源の喪失も心配された。 ダム建設による固定資産税の還元が地元ではなく下流の別の自治体の利得となることや、首都圏への利水のために水没地に住む住民が犠牲になる等々の理由により、地元住民の間ではダム建設断固反対の声が多く上がり、長期に渡り反対運動が展開されてきた。
 この間、利根川上流ダム群の中核となるダム建設計画が激しい反対運動によって頓挫する中、行政側は地元の生活再建をダム着工の絶対条件とし、生活再建策を次々と打ち立てた。
 昭和40年にはダム建設予定地を600m上流に移動させることを表明し、観光スポットの水没を避ける修正案を提示した。
 その結果、1992年にダム建設協定書が行政と地元自治体の間で締結されるに至った。2001年には長野原町内のダム事業用地を買収する際の価格を決める補償基準が妥結している。
 しかしながら、この補償基準妥結後地域から流出する住民は後を絶たない。国が造成する移転代替地が完成するまで相当の時間を要することや、その分譲価格が地元の人が期待したほどには安くなかったことがその要因である。
 そのような地元住民の犠牲の一方で、八ッ場ダムは日本のダムの歴史上最も高額なダム計画となり、ダムの恩恵を受けるとされてきた利根川下流の住民の一部から「無駄な公共事業」との批判が起こり、2004年には公金支出の差し止めを求める住民訴訟が一斉提訴された。 この提訴は、長年の苦悩を経て地元が建設受け入れの結論を出したことに水を差したこととなり、地元の反感も生んでいる。
 このような流れの中、今回民主党が総選挙のマニフェストとして八ッ場ダム建設中止を掲げ、国土交通省がマニフェストの実行に踏み切っている現状である。
 (以上、Wikipediaより要約引用)


 ここで突然私事になり恐縮だが、我が身内の実家が昔から所有している宅地の大部分が不運にも幹線道路計画によりその用地と重なってしまった挙句、その後長期間に及ぶ道路建設“凍結”のあおりを受けて難儀している話を以下に紹介しよう。
 老朽化した家屋を新築に建て替えたいのだが、宅地の建設予定地制限によりそれが叶わない。やむを得ずリフォーム(今の時代の家一軒丸ごとのある程度満足できるレベルの大々的リフォームとは、新築するよりも大幅に価格が高いことを皆さんはご存知であろうか? しかも道路計画“凍結”の現状においては何の補償もない実態である)という中途半端な手立てを取らざるを得なかったのだが、今後そこに住む予定のない私でさえこの理不尽さの怒りをどこにぶちまけたらいいのか、歯がゆさが隠せなかったものである。
 しかももっと厳しい現状は、道路建設計画凍結期間が今後一体いつまで続くのか未だに計り知れないことである。(新与党さん、時既に遅しですが、なるべく早い時期に道路計画の結論を出して地域住民が抱えている理不尽な思いに応えて下さいね。)
 このように、一旦公共事業の建設予定地に不運にも引っかかってしまったならば、当該地域住民は何十年もの期間“針のむしろ”状態を余儀なくされることを私も実感として捉えることが出来るのだ。


 今回の八ッ場ダム建設中止の決定に関しては、民主党が選挙戦で掲げたマニフェストを 「ほら、こんなに守ってるよ! ほら、ほら!!」 とのごとく国民に宣伝、吹聴する以前に新与党政権が最優先に成すべきことは、地元住民に対する配慮だったはずだ。

 八ッ場ダム建設中止においては、その他の懸念点も数多く存在する。
 ダム建設中止により利水で恩恵を被る下流の自治体への負担金返金補償や、地元住民への生活補償額は、工事を続けるよりも財源がかさむとの試算もある。 それでも無駄な公共事業は廃止するのが新与党の公約でもあろうが、それによってさらなる財源を食い潰してしまっては元も子もないであろう。
 新政権与党が今後ダム建設を推進する訳はないであろうが、ダム建設推進による自然破壊やそれに伴うエコ問題も派生していたはずである。それらを排除するのも今回の建設中止の論点の一つであろうと思われるが、その辺の実態調査に基づいた国民への正確な情報提供も事前に要するのではなかったのか?
 あっちを立てればこっちが立たないことは世の常であることを肝に銘じつつ、四方八方への折り合いを付けつつ慎重に対応して欲しいものだ。その辺が国会議員に期待されるキャパシティではないのか?? 

 新与党政権がその実行力を国民にアピールしたい焦る気持ちが分からなくもないが、様々な立場にある国民の希望を何でも叶える“ミラクル政権”など、古今東西存在し得るはずもないことを肝に銘じて欲しいものだ。
 今回の総選挙で圧勝したからといって、民主党当選者が皆スーパーマンにでもなったとはまさか勘違いはしていないであろうが、今後共、どうか真摯な気持ちで新しい日本を築き上げるべく地道に精進して欲しいものである。 


 P.S.
 本記事は八ッ場ダム建設の“是非”についてのオピニオンを展開したものではありません。
 熟読下さればお分かりいただけることと存じますが、本記事は、民主党がマニフェストを遵守しているがごとくの国民への“吹聴”を焦るがあまりの、新内閣発足“直後”の「八ッ場ダム建設“中止”」の新与党の取り組みにおける地元住民への配慮に欠ける“勇み足”を戒めようとの趣旨に基づき、私論を展開したものです。
 本記事の今後のコメント対応におきましては、“新与党の勇み足”に関する内容のものだけに返答を限定させていただきたく存じます。 特に“八ッ場ダム建設の是非そのもの”に関するコメントにつきましては、今回の私どもの記事はそれに関する私見を論じた内容ではございませんので、ご容赦いただけましたら幸いです。
                             原左都子 9月25日 記
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生命体が共存する風景

2009年09月21日 | 雑記
 (写真は、我が家のクリームメダカ3匹。 写真が小さいですが、よく見ていただくと3匹が元気に泳いでいます。)

 
 9月に入り子どもの夏休みが空けて昼間一人で過ごす時間が増えた私は、秋の訪れと共に何だか“生命体”が恋しい気分になり、近くのJA園芸センターで「クリームメダカ」(全身の色が淡いクリーム色のため、この名が付けられたと思われる)3匹を仕入れてきた。

 その日は上記園芸センターへ観賞用植物を仕入れに行ったのだが、いつもは店頭にはないメダカが上の写真のごとく小さい透明ポリ容器に入れて売りに出されている。 おそらく夏休み期間中の児童の自由研究用の材料か何かで販売した売れ残りが、そのまま置かれていたものと思われる。 ちょうど“生命体”を欲していた私はこれに飛びついた。

 係のアルバイトらしき女性に飼育法に関して質問したのだが、「大き目の容器に入れ替えて、エサは少なめに」以外の詳細は「わからない」とのことだ。「育て方が良かったら長生きすると思う。」の言葉を信じ、マイペットとして購入した。


 我が家では子どもの誕生以降ずっと、熱帯魚と金魚を飼育してきている。
 メダカ位の大きさのネオンテトラや、各種金魚に関しては長生きさせてきている実績がある。
 エンゼルフィッシュ等の少し大きめの熱帯魚は飼育が難しく概して短命で、3匹に5000円程はたいたのに4、5日で全匹に死なれた時にはその出費と共に悲しかったものだ…  

 一番大きな失敗は、熱帯魚と金魚を一緒に水槽に入れてはいけないと言われていたのに、子どもが夏祭りの屋台ですくった金魚3匹を同じ水槽に同居させた時のことだ。 金魚がまだ小さかった頃は皆が仲良くひとつの水槽の中で共存していたのに、何ヶ月か経過して赤い金魚である「和金」が体長10cm程に大きく育った時に悲劇は起こった。
 ある朝起きてみると、熱帯魚のネオンテトラの数がずい分と減っている。 大きくなると獰猛になるらしい和金に食べられた事にすぐさま気付けばよさそうなものなのに、下の砂利の中にでも隠れたのかときつねにつままれつつ、また新しいネオンテトラ20匹を5000円程かけて購入してきた。その次の日の朝またネオンテトラが所在不明になっていて、やっと和金のエサになって命を落とした事に気付いた。 獰猛な和金のために高いエサ代を投資してしまったものだ。 

 6年半程前に購入した“白い金魚”(種名を忘れてしまったが)がその年月を生き抜き、最後の1匹がこの冬に死んで以降水槽を片付けて、我が家のアクアリウム生活は休止中だった。


 以上のように十何年に及ぶ観賞魚の飼育経験がある私であるから故に、今回のクリームメダカに関しても、“女手ひとつで”育てていく自信はあった。

 ところが、私が購入して来たクリームメダカを一見した“理学博士”の学位を持つ身内が無常にも冷たく言い放つのだ…     
      「1週間で死ぬよ」 

 こうなったら、私も意地だ! 
 何とかメダカを生かし続けようと、メダカの生態系を想像しつつ水質やその適温や酸素量、エサの量等を試行錯誤しつつ、我が“母なる愛情”を注ぐ日々である。

 お陰様で、我が家での生育歴本日で21日目のクリームメダカちゃん達は、今ではすっかり家族の一員となり、毎日すこぶる元気に健気にエサを食べ生き続けています。!

 結局は買い求めた時の小さいポリ容器の水槽(それが最適と判断した)の中での生涯は可哀想でもあるが、身近に“生命体”のいる風景はやっぱりいいなあ~~  
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“お洒落心”と体型の相関関係

2009年09月19日 | 医学・医療・介護
  「お洒落ですね~~」
 
 私位の年齢になると、この言葉は 「若く見えますね~」 よりも何よりもうれしいものである。 (ちなみに 「若く見えますね~」 に関しては、今の時代誰しもそう言われて当たり前感が強く、さほどインパクトがないものである。 これに関しては私は挨拶程度の言葉と受け取ることにしている。)


 先だって行きつけの美容院へ行ったところ、いつもお世話になっている私の“お抱え女性美容師氏”(当ブログのバックナンバーでも既に登場しているが)が子どもさんの発熱で早退とのことで、ピンチヒッターの店長である熟年男性の美容師氏のお世話になった。
 この店長男性美容師氏より開口一番発せられた言葉が、冒頭の「お洒落ですね~~」である。


 実はこの日は、娘の学校の文化祭見学用に9月初旬に仕入れたばかりの“勝負服”の秋物ワンピースを着用して美容院へ行ったのだ。

 このワンピースは恐らく若い世代の女性をターゲットに開発され販売されている商品だと思うのだが、襟ぐりが大きく開いてミニ丈で今流行のかなり“派手”目のデザインである。 この手の若向きの派手なデザインの洋服を違和感なく着こなすポイントは、何と言っても体型が勝負であるのに加えて全体のバランスが欠かせない。 そこで、自分の年齢との関係で全体像に無理があるようならば諦めるつもりで、試着室でハイヒールも履きバッグも持って(出来得る限り評価に客観性を保ちつつ…)全体のバランスを四方八方からチェックした。 165cm、47㎏の我が体型にマッチしてなかなかのものだなあ、 と自己満足して購入の運びとなったのだ。

 
 冒頭の「お洒落ですね~~」と褒めて下さった男性美容師氏が引き続き尋ねる。
 「“エステ”や“フィットネス”に通っていらっしゃるんでしょう?」
 「いえいえ、特段何にもしてないんですよ。 ただ、若い頃からずっと気をつけているのは“体重維持”なんです。30年来同じ体重をキープし続けているんですが、どうやってキープしているのかと言うと30年間一日も欠かさない“体重測定”だけなんですよ。 やはり幾つになっても曲りなりにもお洒落をしたい気持ちを維持していくには、それに見合う“体型”を保ち続けることが最低条件ですよね。 歳を取ると“体型”を維持するのは大変で私も“体型”は崩れつつありますが、さしあたって少し細めの“体重”を維持することで、自分が着たいと思う洋服に手が通せますね。これがクリアできるだけでも、元々身長には恵まれている私はお洒落の関門を通過出来る気がします。云々…」
 ここぞとばかり、こんな場でも持論を展開しまくる原左都子である。
 
 店長美容師氏曰く、「歳を取るとどうしても男はお腹が出てきます。ですが男性の場合も、若い頃からずっと体を鍛え続けている人はいつまでもお腹が出ないようです。 それにしてもお酒は美味しいし、(この店長氏には“釣り”のご趣味があるとのお話で)自分が釣った魚を自分で料理して食べるのは最高!!」とのことで、釣りは未経験だが“底なし飲兵衛”の私も賛同である。

 長年自分自身の理想体型を保ち続けている人種には、自分の体型に対する妥協を許さない確固としたポリシーがある、という共通項があるようだ。 維持し続けているその体型により享受するプラス要因が大きいことが、体型維持のエネルギー源となりその好循環が成り立っているのであろう。

 さらに店長美容師氏がおっしゃって下さるには、「一見してお洒落な方のヘアケアには心していろいろとアドバイスをしようかと思う」とのことである。(実はそれを狙って私も美容院にはなるべく“お洒落勝負服”で出向かうことにしているのだが。)
 さすが店長、商売根性も健在でいらっしゃるのだが、それをうまくかわしつつ今回の談議を楽しませていただいた私である。


 これだけ経済成長が鈍って不況のどん底にある今尚、ダイエットを目指し続ける国民が多い実態である程日本とは豊かな国である、との書き出しで始まる本日(9月19日)朝日新聞別刷「be]記事を先程目にした。

 ダイエットを目指す人々にとってのとりあえずの目標は、健康の維持であることであろう。
 それに加えて自分が理想とする体型を保つことにより自分らしい“お洒落”が楽しめ、それによる世界も広がるごとくの、そこから派生、発展する生命力や喜びももたらしてくれる活力の源でもあるため、どうかご自身の適正体重に戻してそれを維持出来るよう、精進されますように。
       
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