報道によれば、居酒屋チェーン大手企業に大学新卒で入社した若者の、入社わずか4ヵ月後の急死を「過労死」と認めた判決が5月25日に京都地裁において下された。
「月80時間の時間外労働をこなさなければ賃金を減額する」ことを正当化するがごとくの“殺人的給与体系”の下での死因を地裁は「過労死」と判断し、経営者側に損害賠償責任を求めた判決である。
大学を卒業し晴れて社会人となった直後わずか4ヶ月にして「過労死」で命を落とさざるを得なかった若者とその遺族の無念を慮ると、何ともいたたまれない思いである。
一部の別報道によると今春の大卒者の就職率は91%台とのことで、これは過去の就職率統計のワースト2に位置するとのことである。
日々の巷の報道を見聞する限り、原左都子の実感としてはもっと多くの新卒者を含めた若者層が就職難にあえいでいる感覚があるのだが、数字上の大卒者就職率が9割を超過しているとは少々意外な統計結果である。 (統計結果とは所詮、統計手段やその結果集計の手法に左右されるものなのであろう。)
そうしたところ、上記新卒就職率統計結果と現実世界におけるギャップ感を裏付けるとも捉えられる新聞記事を発見した。
朝日新聞5月24日の記事によると、新卒者採用側の「新卒切り」が横行しているとの報道である。 早速、以下に記事内容を要約して紹介しよう。
4月の入社時期の前後、内定学生や新入社員が雇用側から理不尽な要求をされ、内定辞退や退職を迫られる「新卒切り」とでもいうべきケースが目立っている。 今春京都市の私大大学院を卒業して某コンサルタント会社に就職した25歳のある男性は、就業時間より早めの15分前に出社しているにもかかわらず「他の人はもっと早く来ている。意欲が足りない」と叱責された。その後も電話対応や退社時間をとがめられ「落ちこぼれ」「分をわきまえろ」と怒鳴られ続け、反省文を書かされた挙句上司から会議室に呼び出されて“退職届”用紙を差し出され、ぼうぜんとしたまま“自己都合退職”扱いとしてサインした。入社後9日目の出来事である。この男性は退社後、「無理やり書かされた退職願は無効」として労働審判を求めて東京地裁に申し立てたそうである。 某NPO法人には「この業界に向いていない」「協調性がない」等の理由で解雇通知や退職勧奨を受けた新人からの相談が複数寄せられているらしい。 その他にも、内定学生が入社前に内定先で労働を強要されたり、入社前の資格取得を入社条件とするケースも少なくはない。 上記の内定前の労働強要で内定辞退した女子学生の採用元の某企業は「ゆとり世代の学生は甘いところがあり、厳しく接するのは教育」とコメントしているとのことである。
私論に入ろう。
新卒者が「金の卵」と“表面上”もてはやされた時代は当の昔に終焉している。
「金の卵」とは、第二次世界大戦後の“もはや戦後は終わった”と叫ばれた時代を経て我が国が高度経済成長を遂げるべく邁進しようとしていた昭和30年代終わり頃の“流行語”である。 当時国の高度経済成長を支えるため集団就職で地方から上京してくる中卒者や高卒者を、世間(おそらく経営者側)が「金の卵」と名付け表向きに重宝したのである。
その頃の中卒、高卒者の労働条件とは如何ほどだったのであろうかと推測するに、おそらく「金の卵」との輝かしい表向きのネーミングとは裏腹に過酷な労働条件を課せられたものと考察する。
話が変わるが、今現在目覚ましい経済発展を遂げている中国上海におけるIT産業を下部で支える若き末端労働者が、その労働条件の過酷さが原因(?)で相次いで自殺しているという痛ましい報道もある。 この事例など、我が国の高度経済成長期の「金の卵」が課せられた過酷な労働に繋がる思いがする。
かつての我が国における貧しいけれども経済発展意欲に燃えていた時代に「金の卵」に課せられた過酷な労働と、 バブル崩壊後の長引く経済不況下にある現在の新卒者の雇用側からの“虐待”被害とは、当然ながらその趣旨が大きく異なる。
この世界的経済不況が長引いている現状における我が国の新卒者の「内定切り」「新卒切り」とは、採用者側にとっては人経費削減を目指したいが故の“新卒者いじめ”による退職勧告に他ならないのであろう。
行政指導により新人を一定人数採用する事をお上からノルマとして課せられてしまっているが故に、採用者側としてはある程度の人数の新人採用を表向きの数字上公開せざるを得ない。 人件費予算外の採用に関して少し以前は早期の「内定切り」で凌いでいたが、それを世間と行政からつつかれた今となっては、有効な手段は採用直前後の「新卒切り」しかない。 それを現在、職場において実行しているというお粗末な実態なのであろう。
最後に「内定切り」「新卒切り」をやむなくされた当事者である新卒者側に、原左都子から少し提言をさせていただこう。
おそらく、その職場に採用された新卒者全員が「新卒切り」の被害に遭遇している訳ではないのであろうと推測する。 入社直前直後に“切捨てられる”運命にある新卒者とは、もしかしたら、その職場に多種多様な意味合いで元々“適応力のない人材”であったのかもしれない。 決してそれは当該新卒者が他者に比して劣っているという意味合いではなく、職場との単なる“ミスマッチ”なのではなかろうか。
そうであったとするならば話は簡単である。 自分にマッチする仕事、職場を今後発見すればいいのである。
ただし、これから社会人になるまだ未熟な新卒者にとって、自分にマッチする仕事、職場を発見することは容易なことではない。 そうすると、とりあえずどこでもいいからまずは目先の就職先をゲットするという手段に出ることとなるのであろう。
ところが、せっかくゲットした就職先から「内定切り」「新卒切り」に遭ったり、最悪の場合「過労死」や「自殺」で若者が殺される程に過酷な現在の就職事情…
それでもあえて、原左都子おばさんはこれから仕事を探す若者に提言したい。
求職者とは、自分なりの何らかの“強み”を身に付けてから仕事探しに臨むべきと。
それは何だっていい。 もしもそれが自分が目指す分野の専門力であるならば理想的であろうが、専門力に自信がなければ体力でもいいし、協調性でも人のよさでも何でもいい。 職場から「資格を取れ」と言われる前に自分に有利な資格を取っておくのもいい。
それらすべての努力を怠って「運」だけを頼りにしたり、「縁故」を利用して求職してくる新人が存在するとするならば、私が採用者であっても申し訳ないが切り落とすかもしれないなあ…
そうは言えども新卒者の「過労死」「自殺」を回避すべきなのは採用者側の責任であることには間違いない事実なのだが。
まったくもって、困った雇用関係の世の中だ…
「月80時間の時間外労働をこなさなければ賃金を減額する」ことを正当化するがごとくの“殺人的給与体系”の下での死因を地裁は「過労死」と判断し、経営者側に損害賠償責任を求めた判決である。
大学を卒業し晴れて社会人となった直後わずか4ヶ月にして「過労死」で命を落とさざるを得なかった若者とその遺族の無念を慮ると、何ともいたたまれない思いである。
一部の別報道によると今春の大卒者の就職率は91%台とのことで、これは過去の就職率統計のワースト2に位置するとのことである。
日々の巷の報道を見聞する限り、原左都子の実感としてはもっと多くの新卒者を含めた若者層が就職難にあえいでいる感覚があるのだが、数字上の大卒者就職率が9割を超過しているとは少々意外な統計結果である。 (統計結果とは所詮、統計手段やその結果集計の手法に左右されるものなのであろう。)
そうしたところ、上記新卒就職率統計結果と現実世界におけるギャップ感を裏付けるとも捉えられる新聞記事を発見した。
朝日新聞5月24日の記事によると、新卒者採用側の「新卒切り」が横行しているとの報道である。 早速、以下に記事内容を要約して紹介しよう。
4月の入社時期の前後、内定学生や新入社員が雇用側から理不尽な要求をされ、内定辞退や退職を迫られる「新卒切り」とでもいうべきケースが目立っている。 今春京都市の私大大学院を卒業して某コンサルタント会社に就職した25歳のある男性は、就業時間より早めの15分前に出社しているにもかかわらず「他の人はもっと早く来ている。意欲が足りない」と叱責された。その後も電話対応や退社時間をとがめられ「落ちこぼれ」「分をわきまえろ」と怒鳴られ続け、反省文を書かされた挙句上司から会議室に呼び出されて“退職届”用紙を差し出され、ぼうぜんとしたまま“自己都合退職”扱いとしてサインした。入社後9日目の出来事である。この男性は退社後、「無理やり書かされた退職願は無効」として労働審判を求めて東京地裁に申し立てたそうである。 某NPO法人には「この業界に向いていない」「協調性がない」等の理由で解雇通知や退職勧奨を受けた新人からの相談が複数寄せられているらしい。 その他にも、内定学生が入社前に内定先で労働を強要されたり、入社前の資格取得を入社条件とするケースも少なくはない。 上記の内定前の労働強要で内定辞退した女子学生の採用元の某企業は「ゆとり世代の学生は甘いところがあり、厳しく接するのは教育」とコメントしているとのことである。
私論に入ろう。
新卒者が「金の卵」と“表面上”もてはやされた時代は当の昔に終焉している。
「金の卵」とは、第二次世界大戦後の“もはや戦後は終わった”と叫ばれた時代を経て我が国が高度経済成長を遂げるべく邁進しようとしていた昭和30年代終わり頃の“流行語”である。 当時国の高度経済成長を支えるため集団就職で地方から上京してくる中卒者や高卒者を、世間(おそらく経営者側)が「金の卵」と名付け表向きに重宝したのである。
その頃の中卒、高卒者の労働条件とは如何ほどだったのであろうかと推測するに、おそらく「金の卵」との輝かしい表向きのネーミングとは裏腹に過酷な労働条件を課せられたものと考察する。
話が変わるが、今現在目覚ましい経済発展を遂げている中国上海におけるIT産業を下部で支える若き末端労働者が、その労働条件の過酷さが原因(?)で相次いで自殺しているという痛ましい報道もある。 この事例など、我が国の高度経済成長期の「金の卵」が課せられた過酷な労働に繋がる思いがする。
かつての我が国における貧しいけれども経済発展意欲に燃えていた時代に「金の卵」に課せられた過酷な労働と、 バブル崩壊後の長引く経済不況下にある現在の新卒者の雇用側からの“虐待”被害とは、当然ながらその趣旨が大きく異なる。
この世界的経済不況が長引いている現状における我が国の新卒者の「内定切り」「新卒切り」とは、採用者側にとっては人経費削減を目指したいが故の“新卒者いじめ”による退職勧告に他ならないのであろう。
行政指導により新人を一定人数採用する事をお上からノルマとして課せられてしまっているが故に、採用者側としてはある程度の人数の新人採用を表向きの数字上公開せざるを得ない。 人件費予算外の採用に関して少し以前は早期の「内定切り」で凌いでいたが、それを世間と行政からつつかれた今となっては、有効な手段は採用直前後の「新卒切り」しかない。 それを現在、職場において実行しているというお粗末な実態なのであろう。
最後に「内定切り」「新卒切り」をやむなくされた当事者である新卒者側に、原左都子から少し提言をさせていただこう。
おそらく、その職場に採用された新卒者全員が「新卒切り」の被害に遭遇している訳ではないのであろうと推測する。 入社直前直後に“切捨てられる”運命にある新卒者とは、もしかしたら、その職場に多種多様な意味合いで元々“適応力のない人材”であったのかもしれない。 決してそれは当該新卒者が他者に比して劣っているという意味合いではなく、職場との単なる“ミスマッチ”なのではなかろうか。
そうであったとするならば話は簡単である。 自分にマッチする仕事、職場を今後発見すればいいのである。
ただし、これから社会人になるまだ未熟な新卒者にとって、自分にマッチする仕事、職場を発見することは容易なことではない。 そうすると、とりあえずどこでもいいからまずは目先の就職先をゲットするという手段に出ることとなるのであろう。
ところが、せっかくゲットした就職先から「内定切り」「新卒切り」に遭ったり、最悪の場合「過労死」や「自殺」で若者が殺される程に過酷な現在の就職事情…
それでもあえて、原左都子おばさんはこれから仕事を探す若者に提言したい。
求職者とは、自分なりの何らかの“強み”を身に付けてから仕事探しに臨むべきと。
それは何だっていい。 もしもそれが自分が目指す分野の専門力であるならば理想的であろうが、専門力に自信がなければ体力でもいいし、協調性でも人のよさでも何でもいい。 職場から「資格を取れ」と言われる前に自分に有利な資格を取っておくのもいい。
それらすべての努力を怠って「運」だけを頼りにしたり、「縁故」を利用して求職してくる新人が存在するとするならば、私が採用者であっても申し訳ないが切り落とすかもしれないなあ…
そうは言えども新卒者の「過労死」「自殺」を回避すべきなのは採用者側の責任であることには間違いない事実なのだが。
まったくもって、困った雇用関係の世の中だ…