原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

職種による水面下での社会カースト形成の実態

2015年10月31日 | 時事論評
 私が住む集合住宅が現在大規模修繕工事中であることは、少し前のバックナンバーにて既述している。
 そのため日々建物外壁沿いに建造された“足場”より、作業担当者が各階のベランダ、通路等々へやって来る。

 他者の行動観察が得意かつ興味がある原左都子としては、暇さえあれば我が家にやって来る作業員の様子を室内より覗き見しては、「へえ、凄い事やってる!」「この人は私語が過ぎるぞ、慎むべきだ」等々無責任に評価を下しつつ、いつかは「原左都子エッセイ集」にてエッセイの題材にするぞ、と虎視眈々と狙ってきた。

 本日午前中、我が家のバルコニーに一人でやって来た若手男性の作業ぶりには、その道の素人の立場として大いなる感銘を受けた。
 バルコニー床面一面にシートを貼る作業だったのだが、我が家のバルコニーの場合、奥行2m幅7m程の大きさ、かつ元々個人的に敷いていたタイルをバルコニーに置いたまま、しかもエアコンの室外機もある。 更には、防災用の避難はしごも取り付けられている環境下で、単身にて如何なる作業を施すのか興味深々だった。
 これが、想像を絶するほどに手際が良いのだ。
 (作業工程の詳細の記述は省略するが)、作業員氏のあまりの手際の良さに感動した私は、バルコニーの窓を開けてご挨拶申し上げたくなった。(そんな住人は私だけだろうが…)  それを実行したところ、作業員氏は一瞬かなり驚かれた様子だ。  それでも一旦作業の手を止めて低姿勢で私の挨拶の返答をして下さった事に、さらに感激させて頂けた。

 作業員氏が当該作業を一人でやり遂げ去った後、私は就活内定を取っている娘相手に語った。
 「先程バルコニーで作業して下さった方の技術力の程が素晴らしかった。 しかも人格的にも出来ている人だったが、あの方の報酬は如何程なのだろう。 社会一般的には、建設現場作業員の社会的地位の程が高くないと私は認識している。 それにしても、あれ程の技術力・体力勝負の仕事をつつがなく短時間でやり遂げる能力ある素晴らしい人材の報酬がもしも低いならば、私としては許し難い思いだ。  そうではなくて、建設現場作業員達にも実力に応じた技能検定試験等が存在し、その能力に応じた報酬制度が確立されている社会である事を望む。」
 娘も私の意見に同意した模様だ。 
 

 大幅に話題を変えよう。

 つい先だって私が還暦を迎えた事に関しては、バックナンバーにて披露している。
 それに伴い、本年11月より「厚生年金」を受給出来る立場と相成っている。
 その我が“微々たる”「厚生年金」を狙って、複数の近くの金融機関が「是非、我が金融機関口座にご入金を!」とやって来るではないか! その中で、最初に来た金融機関を私は年金受取機関として指定した。

 そうしたところ、当該金融機関営業担当者氏が言うには「今後の年金受取に関して、社会保険労務士先生に詳細をご伝授してもらえる制度が我が社にはありますから、是非この機会にそれに参加して下さい!」
 う~~~ん。 私の場合、大学院を修了して経営法学修士を取得しているし、高校教員として生徒相手に社会制度の授業もして来た身だし、更には税理士試験税法科目免除申請取得者でもある。 今更その話を伺いに電車に乗って行く価値があるのか否か大いに迷った。 そして私が営業担当者に伝えて曰く、「すみませんが、今回は遠慮します。」
 それに対して営業マン氏曰く、「今後絶対役に立ちますから、どうかご参加下さい!」
 半信半疑ながらもおそらく私がそれに参加する事により何らかの営業マンへのフィードバックがあると判断したのと、氏との今後の付き合いもあるし、仕方ない思いで電車に揺られて当該金融機関が指定する支店へ“社会保険労務士”先生とやらに会いに出かけた。

 ここで、「社会保険労務士」に関する情報の一部をウィキペディアより紹介しておこう。
 社会保険労務士(しゃかいほけんろうむし)とは、労働関連法令や社会保障法令に基づく書類等の作成代行等を行い、また企業を経営して行く上での労務管理や社会保険に関する相談・指導を行う事を職業とする為の資格、およびそれを職業とする者をいう。 例年、8月の第4日曜日に実施される。試験の管轄は、かつて国であったが、現在は厚生労働大臣の委託を受けて全国社会保険労務士会連合会(連合会)が管轄し、社会保険労務士試験センターが試験事務(合格の決定に関する事務を除く)を行っている。
 受験資格(第8条)大学卒業者、又は大学において62単位以上を修得済みの者、短期大学、高等専門学校を卒業した者、修業年限が2年以上、かつ総授業時間数が1,700時間以上の専修学校の専門課程を修了した者、行政書士や司法書士などの定められた資格を有する者、労働社会保険諸法令の規定に基づいて設立された法人の常勤役員または従業者として同法令の実施事務に従事した期間が通算して3年以上になる者
 試験方法完全マークシート方式。 午前:五肢択一方式。 合格基準点は40点台と低迷状態が続いている。
 その状況を受け、2008年以降、検討が行われることとなった。必要に応じ試験問題や試験制度全体の改革を念頭に置きつつ、受験資格の見直しについて速やかに検討を行い、結論を出すこととなっている。主な検討内容として、試験科目に日本国憲法、民法、民事訴訟法の3法の追加,2000年より続いている選択式を廃止し、記述式の復活による合格者の精査を強化する方向性も模索されている。 2008年3月25日閣議決定の規制改革推進のための3ヶ年計画で、本試験の受験資格の見直し(2008年以降検討・結論)が行われることとなった。 主な検討内容として、試験科目に日本国憲法、民法、民事訴訟法の3法の追加,2000年より続いている選択式を廃止し、記述式の復活による合格者の精査を強化する方向性も模索されている。
 (以上、ウィキペディア情報より文末では少し原左都子の私論も交えつつ紹介したもの。)

 上記ウィキペディア情報を読んだ限りでの私の感想としては、「社会保険労務士」現行試験制度下では、マークシート方式や五肢択一方式等々の安易な試験方策が採用されているため、その気になれば合格し易い資格試験かと判断する。


 さて先だって、実際私は当該“社会保険労務士”氏と面談する目的でわざわざ自分の貴重な時間を割いて電車に乗り、金融機関営業マン氏が指定した現場に出向いた。

 なるほど、現場にいた“社会保険労務士”氏女性は、表向きは決して私に対して失礼な応対はしない。
 ただ話題が専門分野に及ぶと、やはりご自身が顧客である私よりも専門に於いて「上位」に位置しているんだぞと言いたげな雰囲気の会話が展開する。
 それでもそれを聞くのが私の本日の仕事、と理解していた私はその場を難なく乗り越えて帰宅の道中に就いた。
 ただ、何だかうやむやとした思いが我が脳裏に過って、いい気がしないのだ。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 要するに、その感覚こそが表題に掲げた「職種による水面下での社会カースト形成の実態」であろう。
 “社会保険労務士”資格を取得されている金融機関の女性担当者としては、その立場で(どこの馬の骨かも知らぬ)私に対応するのがその職責であろうことは理解可能だ。
 ところが顧客との会話の途中で、(いくら今の時代は個人情報に触れてはならないと言えども)会話内容から顧客の人物像がある程度想像可能という場面もあるはずだ。

 そうした場合に、専門職員の立場として如何なる対応を採ればよいのだろうか?
 その職種に於いて資格を保持している自分が絶対的に優れているぞ!、との“ガチンコ勝負”のごとくの態度を顧客相手に披露するよりも、顧客に応じた冷静・沈着な対応を心掛ける力量を望みたいものだ。
 
 いやいや実際問題、世の中とは莫大な業種に従事する人間がひしめき合っているからこそ成り立っていて、異分野の専門力の凄さに一旦触れたならば、自分の存在が無力に思えるものだよ。

沖縄県民民意を踏みにじる辺野古埋立て強行着工

2015年10月29日 | 時事論評
 もしもこの先、現沖縄県知事であられる翁長雄志氏が「米軍普天間飛行場辺野古移設計画」を白紙に戻すとの快挙を成し遂げられたなら、私は是非とも翁長氏を“ノーベル平和賞”候補者として推奨したい思いだ。

 それ程までに翁長氏知事就任以降の「辺野古移転阻止」に向けた精力的な闘いぶりに賛同申し上げつつ、陰ながら応援させていただいている。


 その我が思いを、約1年程前の2014.11.17「原左都子エッセイ集」バックナンバー 「イデオロギーよりアイデンティティで沖縄辺野古を守ろう!」と題するエッセイ内で公開しているため、以下にその一部を振り返らせていただこう。

 2014年11月16日に投開票された沖縄県知事選挙で、日本共産党・社会民主党・生活の党・沖縄社会大衆党・県民ネット・那覇市議会新風会の支援を受けた翁長雄志氏が初当選を果たした。  翁長雄志氏の略歴をウィキペディアより引用して紹介すると、1950年、沖縄県真和志村(現那覇市)生まれ。法政大学法学部法律学科卒業。那覇市議会議員、沖縄県議会議員を経て、2000年那覇市長選に出馬し当選。以後4回連続当選。 との事である。
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設が最大の争点となった沖縄県知事選は16日投開票された。 移設に反対する無所属新人の前那覇市長翁長雄志氏が、移設推進を訴えた無所属現職の仲井真弘多氏ら3氏を破り初当選。 次点の仲井真氏に約10万票の大差をつけた。 政府は移設を予定通り進める方針だが、移設反対の民意が明確に示されたことで、計画への影響は避けられない。
 初当選を決めた翁長氏は「私が当選したことで基地を造らせないという県民の民意がはっきり出た。それを日米両政府に伝え、辺野古の埋め立て承認の撤回に向けて県民の心に寄り添ってやっていく」と述べた。  翁長氏は戦後69年たっても変わらない基地負担の中での辺野古移設を「沖縄への構造的差別」と位置付け、「基地は経済発展の最大の阻害要因」と主張。 前回知事選で「県外移設」を訴えながら、昨年末に辺野古移設に向けた政府の埋め立て申請を承認した仲井真氏に対する県民の反発を追い風に保革を問わず支持を得た。  
 今度の選挙は仲井真知事の埋め立て承認に対し、民意を問うものになる。 工事を強行している安倍政権に対して、沖縄の民意をぶつけるということだ。 私たちは、仲井真さんの普天間県外移設の公約破棄を容認していない。 今度の知事選は、公約破棄である埋め立て承認に対する県民の初めての判断になる。だからこそ結果をしっかりと出す必要がある。 私たちは「オール沖縄」とよく言っていますが、「イデオロギーよりもアイデンティティーが大切」ということだ。「心を結集して闘っていこう」と呼びかけている。
 ただし、日本政府、アメリカ政府の権力は大変強大であるから、私たちがこういう集会を20万人規模で開いても、いまの状況で進めていくと思う。 ただ時代背景が変わってきた。アジアのダイナミズムを沖縄で体現することができるようになった。 別の言い方をすると、日本という国が疲弊してきている。アジアを見つめてみると、沖縄がこの地域のゲートウエー(玄関口)になり、フロントランナーにならないといけない。そういう中で、辺野古基地反対の大きなうねりが沸き起こる。「新基地建設を中止して日本国民全体で安全保障を考え直す」ということにつながっていくのではないか。 沖縄県知事選によって日本の安全保障政策を変えていく。
 私からすれば、日本全体で0・6%しかない沖縄に米軍基地を押し付けておいて、抑止力も何もないと思う。日本国民全体で守って初めて抑止力が働くのであって、「日本国全体で守る」という素地をつくっておかないと、抑止力にならないと思うし、日本国の決意は見えない。このままでは沖縄戦の70年前と同じだ。 (以上、ネット情報より翁長雄志氏のポリシーの程を紹介したもの。)
 原左都子の私論でまとめよう。  これ程までに沖縄が過去に於いて国内外から虐げられてきた歴史を勘案した上で、沖縄県民の未来を示唆する力量を備えられている翁長雄志氏に、私とて一票を投じたい思いだ。  最後になるが、学問好きな原左都子より「イデオロギー」と「アイデンティティ」の言葉の説明をしておこう。  翁長雄志氏がおっしゃるところの「イデオロギー」とはおそらく、思想傾向、政治や社会に対する考え方の意味合いであろう。  「アイデンティティ」に関してもこの場合は、他者や共同体から認められる自己の存在証明との意味合いでよいだろう。  まさにその意味合いで、今回の沖縄県民知事選に於ける闘いとは「アイデンティティ」の確立であったと私も捉える。
 国家(及び米国)の歪んだイデオロギーに長年翻弄され続けて来た沖縄県民皆さんが、今回選んだ知事の下、県民としてのアイデンティティを取り戻せる事に私も期待し応援し続けたい思いだ!!
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)


 いつもながら、原左都子自身が過去に記したエッセイよりの引用が長過ぎた事をお詫びする。
 
 ただし今回のエッセイの場合、沖縄県知事翁長氏が如何なるご思想で知事選に挑み勝利を挙げたのかの背景を皆さんにご理解頂かない事には議論を進められないため、今一度紹介させて頂いた。

 そして、翁長氏の素晴らしところは選挙前の公約通り、この1年足らずの間にご自身の身の危険をも顧みず「辺野古移設取消」に向け、出来得る限りの行動を起こされた事実だ。

 前知事の仲井間氏も、過去には一時翁長氏同様の公約を一部述べていた。 ところが世が自民党政権に移った頃より手のひらを返したごとく、国家に迎合し始めたものだ。 そして現在に至っては、まるで国家の僕になり下がったごとく行けシャーシャーと国家擁護論を述べるに至っているではないか!?
 あれ一体どうしたの? 如何なるポリシーに基づいて政治家をやって来たの?? と、(大変失礼ながらも)馬鹿にしたくもなると言うものだ。


 先だっての10月26日より発生している、南シナ海南沙諸島海域に於ける中米軍の小競り合いに心を痛めていたところ、本日のテレビニュースによれば、日本の自衛隊もその海域に接近して活動しているとの速報だ。
 ただし、安倍政権が国民の民意を無視して「安保法案」を無理やり強行採決させたと言えども、未だ当該法案は“施行”には至っていないと私は理解し、今のところそれが救いと考えている。

 それにしても本日(10月29日)、政府が沖縄県民の民意を無視して辺野古埋め立てに向け工事を着工したのは事実だ。
 この事態に対し翁長知事は、以下のように反論されている。 「はなはだ遺憾で断じて容認できない。 国が代執行等の手続きで司法判断を問うならば、判決が出るまで作業を開始するべきでない。」

 
 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 まさに、翁長氏のおっしゃる通りだ。
 日本は法治国家であるはずだ。  安倍政権内には、それを安倍氏に正せる学識経験者が一人として存在しないのか!?
 それとも、何故それ程までに安倍政権(もしかしたら安倍氏本人のみ?)が米国迎合にこだわるのだ??
 安倍政権が無理やり強行採決に持ちこんだ安保法が“施行”される前に、少し腰を落ち着けて法治国家のあり方を自らが今一度問い直すべきだろう。 
 そして、特に国家の歪んだイデオロギーの下長年翻弄され続けて来た沖縄県民のアイデンティティこそを今後尊重するべく行動するべきだ。

“社会人2年目の壁” のジンクス

2015年10月26日 | 仕事・就職
 しつこくも、娘の就職内定に関連するエッセイを綴らせていただこう。


 昨日高齢者介護施設に住む義母を誘って、我が娘の“就職内定祝い会”を都内某寿司店を予約して執り行った。

 義母の素晴らしいところは、本人自身が多少認知力が低下しているにもかかわらず、(本能的に?)孫である我が娘の心配を義母なりにしている点に於いてだ。
 義母の場合、自分の娘(2年前に膵臓癌にて死去した義理姉のことだが)に対して一生に渡り“お嬢さん”人生を歩ませて来た関係で、親として一回足りとて娘の就活を経験していない。
 その立場から、いつも口癖のように私に言うには、「○ちゃん(孫である私の娘の事)は、大学卒業後働かされるのね。可愛そう…」 だった。 
 それを亭主と共に教育して曰く、「一昔前と違って、今の時代は男女関係なく社会で活躍する事の方が幸せなんですよ。 自分の欲する分野で専門力を磨き、その能力を開花させながら社会貢献していく事こそが本人の一生の生き甲斐に繋がります。」
 
 それを何度も繰り返しているうちに、何となく女性も社会で働く時代となっている感覚を得たのか否かは不明ながら、義母も我が娘の就活に関して「そんな事をさせられて可愛そう…」なる発言は慎むようになった。
 それでも私とすれば一昔前に生きて来た義母の気持ちも理解可能だ。 発言は慎んでいる様子だが、その実内心では(やっぱりあの嫁は、女の子に就職を煽る鬼母だったのね…)なる感覚を抱いていると読んで、娘の就活に関する発言は控えて来た。

 先だって亭主から、義母も交えて娘の「内定祝い会」をする提案が出た。 
 その連絡を義母にするのは私の仕事だ。(何分義母は耳が遠いし多少の認知症があるため、義母相手の電話対応に慣れている人間でないと会話が困難な故だ。)
 電話口にて「娘の就職内定が出た」と私が告げるなり、「本当は物凄く心配していたのよ。最近電話をしなかったのは、貴方達夫婦が〇ちゃん(娘のこと)の就職内定を願っている事を知っているのに、もしも未だ就職が決まっていない場合、再三電話をかけたならば親二人の心の負担になると思って遠慮してたの。 私もとても嬉しい。」と本心から言ってくれるではないか。
 そうして、昨日の娘の“就職内定祝い会”は実行へと相成ったのだ。


 さて、ここでエッセイ内容を表題に掲げたテーマに戻そう。

 朝日新聞 2015.9.19 “悩みのるつぼ” 相談内容は、24歳男性による「社会人2年目、壁を感じる」だった。  その相談内容を、以下に要約して紹介しよう。
 社会人2年目だが、採用された就職先は、犯罪を犯した人や非行少年社会復帰のための支援を行っている会社だ。 採用時の面接で「やり直しのきく社会を作りたい」「ハンディキャップを背負った人達の支えになりたい」などとの志望理由を述べ採用された。  しかし実際に働き始めると、それら自分の発言からかけ離れた仕事ぶりでないかと思える。 冷静に考えると自分が面接で言ったことなど、関係者や当事者が長い年月をかけて形成されることに気付かされる。 そうなると、私は何を目標として志として仕事をやっていけばよいのか分からなくなった。 こんな私に何か金言をいただきたい。 
 (以上、“悩みのるつぼ”より相談内容を要約引用したもの。)


 ここで一旦、原左都子の私事及び私論に入ろう。

 実はこの私も民間企業入社後わずか1ヶ月足らずの頃に、「この会社を辞めよう!」なる大決意をした事を思い起こす。  私の場合、上記相談者のごとく仕事に対する自分の“考えが誤っていた”、なるものとはおそらく異質だった。
 ただ単に研修期間直後の配属先で、先輩社員に嫌われた故だ。 (何故嫌われたかに関してここで詳細に論評すると字数がかさむため、端的に説明するならば、医学専門職としての我がポリシーの程が先輩社員の鼻についた故と分析している。) 要するに新人として“出過ぎた”態度を職場で披露した故と判断するべきなのだろう。

 それでも私側も、当時は若気の至り故にその先輩社員と今後一緒に仕事をしていく気には到底なれず、2日間会社を“欠勤”するとの反乱を起こした。  その間、私は決して自宅で泣いていた訳ではない。 東京で生きていく覚悟が強靭だった私は、その2日間“就職活動”を実施したのだ!  その内の一社が私を即座に採用してくれそうになった時に、新卒採用会社の上司より電話があった。 
 これにはプラスの意味合いで参った。 その上司人物が言うには、「貴方に辞められては私の責任になる。何が原因なのかの詳細を聞きたいからこれから1対1で会おう」  それに応えた私はその上司と外の飲食店にて個人的に会った。 そうして私の思いを伝えると「分かった。貴方の配属先を変えよう。」  その後私は新卒採用企業にて自主退職するまで、医学専門職員として充実した日々を過ごせたのだ。

 上記“悩みのるつぼ”相談者の場合、その種の事態とは異次元の相談と解釈する。
 私の場合は、あくまでも自己の専門職に関する先輩との行き違いだったと結論付けられよう。 先輩社員が私に対し何が不満だったのかは不明なものの、私としては自分の専門力に対して最初から確固とした自信があった故に、新卒就職会社にて生き残って頑張れたと認識している。


 それはそうとせよ、我が娘が自分がゲットした就職内定企業で、今後本気で生き残れるのかとの懸念も親として確かにある。

 昨日義母を招待して(と言うよりも義母の経済力にて)執り行った娘の“内定祝い会”では、参加した皆が娘の内定を心より祝ったものだ。

 我が娘は、先だって内定企業よりの入社前教育プログラム伝達会合も終えた。 
 (原左都子なりにその内容を確認して)このレベルならば、娘の実力範囲内で今年3月までの学習が可能と判断している!

 更には、新卒入社後2年間レベルの技術達成度も今から詳細明記提示可能な程の教育システム完備の企業故に、それをクリアしていくに当たり、我が娘は過去に於いて辛い試練を乗り越えた 我が「サリバン教育」を思い起こしてくれる事であろう。
 今後は社会人2年目のジンクスをも乗り越え、奮起し続けてくれるものと期待している。

ペンネームでの 「エゴサーチ」 は私の日々の日課

2015年10月24日 | 自己実現
 皆さんは、「エゴサーチ」 なる言葉をご存知だろうか?

 先週土曜日(2015.10.17)発刊の朝日新聞別刷「be」“between”記事「『エゴサーチ』をしたことはある?」を見て、私はそういう言葉が存在することを初めて知った。
 朝日新聞記事によれば、「エゴサーチ」とはインターネット上で自分の名前やハンドルネーム(ネット上のニックネーム)を検索すること、だそうだ。


 そういう事ならば、私も日々の日課として実行している。
 ただし私の場合、ペンネームである 「原左都子」 サーチ(検索)に限られるのだが。

 つい先程も、Google検索にて本日の「原左都子」サーチを実行した。
 先程の検索では、総数750万件程。 時と場合によるが、だいたいこれくらいの検索総数だ。 ただし、私のペンネームである「原左都子」に関する情報は大抵10ページ程までだ。 その後のページは、訳の分からない「原」だの「左」「都」によりピックアップされる情報が並んでいるのはいつもの事である。

 私の場合、自分の本名で「エゴサーチ」をすることは現在に於いては皆無である。 それは私特有の理由がある故だ。
 (個人情報保護観点からここでは詳細は申し上げにくいのだが)、我が本名が、某超有名人と同姓同名なのである。
 それが理由で、本名を入力しても何ページにも渡り当該超有名人情報しか検索不能の状態だ。

 しかも私の場合、社会で活躍したのは20年以上前の時代の独身時代の事である。 その頃は未だ諸情報がコンピュータシステム化していなかった時代背景だ。
 我が旧姓時代には、(非売品ながら)医学関連著書もあれば、医学分野雑誌への論文投稿もあるし、医学学会発表も数本こなしている。 もしも当時より既に情報システム化が進んでいたなら、我が旧姓にて「エゴサーチ」を実行すれば、それらの情報を今自宅にて回想可能だったのであろう。 
 少し残念な思いも抱く。


 さて、ここで話題を変えよう。

 私が日頃利用させて頂いている当該「gooブログ」が、最近 「リアルタイム解析」なるサービスを開始した。
 これが私にとって面白いのに加え、「原左都子」にて「エゴサーチ」を実行するよりも、正に“リアルタイム”の「原左都子エッセイ集」へのアクセス情報が得られるのだ!
 これに味を占めた私は、自宅にいる時間帯に少しの暇を見つけては、gooの「リアルタイム解析」画面を覗いている。
 そうすることにより、(gooブログ登録者に限られるようだが)何処のどなたがいつ何時に我がブログをご訪問下さっているのかが一目瞭然なのだ。 これには感激した。(えーー、あの方がこれだけ我がエッセイ集を覗いて下さっていたの?)等々と。

 私が基本的にネット上での「友達付合い」を回避している事に関しては知る人ぞ知ろう。 この我が主義に関しここで反復する事は控えるが、「原左都子エッセイ集」“人間関係カテゴリー”をお読み頂けたならば、(“アイコンタクト”や“微笑み返し”も含めたスキンシップある)“生身の人間”との付き合いにこだわっている我が生き様の程をご理解頂ける事と希望したい。

 つい最近、「原左都子エッセイ集」画面左上部“プロフィール”欄に、私は次なる一文を書き入れた。
 「相互扶助目的読者登録はご遠慮下さい。」
 この一文を書き入れる事により、今までせっかく我がエッセイ集をお読み下さっている方々に対し、「こんな身勝手な奴に読者登録などするものか!」とのマイナス観点から反感を煽るであろう修羅場も想像した上の措置だ。

 何と表現すればよいのか私自身が分析出来ていない立場だが、とにもかくにも「原左都子エッセイ集」はそれをお読み頂きたい方々にこそ、ご訪問願いたい思いが痛切なのだ。 (それが判明した後に、こちらから読者登録申し上げる事は過去にも数多くあった事実だが。)


 などとペンネーム原左都子の立場として理由にならないたわ言をほざいているより、読者の皆様に紹介したい事があり今回のエッセイを綴っている事実を暴露しよう。

 昨夜、「原左都子エッセイ集」が某ネット情報上で“ブレイク”した。

 過去にも、「原左都子エッセイ集」が某ネットサイトで取り上げられたことによりブレイクした事がある。
 既に5年程前の頃だっただろうか。 私が綴った「高校教育無償化問題」に関する反論論評エッセイが何処かのネットサイトでピックアップされ、当時gooブログのトップ10内に一時のみランクインした経験がある。

 今回の場合、ネット情報化時代が劇的に進化したが故に、5年前程のインパクトはないのが事実だろう。
 ただ昨夜、goo編集画面の「リアルタイム解析」を覗いた時点で、我が過去のバックナンバーがネット上でブレイクし高アクセスを呼び起こしている事実を目の当たりにした時には、久しぶりに感激をもらえたものだ。

 一応、そのサイトを以下に紹介しておこう。
 「webronza asahi.com」 内の、「国立文系がなくなると女子はどうなる?」 なるテーマサイトに於いて、「原左都子エッセイ集」2015.7.13 公開の 「国立大学文系学部廃止案を政権とは異なる観点で支持する」 とのエッセイが取り上げられている。

 もしご興味がございましたら、ご検索下さい。 

大学新卒社員に対する入社前教育に複雑な心境ながら賛同

2015年10月21日 | 時事論評
 我が娘が先だって就活「内定」を取った事に関連し、必然的に「原左都子エッセイ集」にてそれに関するテーマのエッセイが多発している現状を、冒頭よりお詫びしておく。


 今回もその例外でないのだが、前回のエッセイ内で記した通り、娘が明日内定先企業へ来春4月の入社に先立ち伝達事項があるとの事で出かけるスケジュールとなったようだ。

 (サリバン業務から一旦身を引こうと頭の片隅で思いつつも)現在の社会の諸動向が大いに気になる原左都子の性分…。
 「で、明日は具体的に如何なる目的で内定先へ行くの?」と娘にどうしても聞きたくて、それを実行に移すのが私の悪い癖である事は自覚出来ている。

 素直(に育った)娘がそれに応えて曰く、「明日は私の教育担当者氏と直に面接して、(技術社員として迎え入れる)私に対する入社前までの具体的教育内容を伝授してくれるようだ。」 
 サリバン(私の事だが)応えて、「要するに4月入社前までに最低限これだけは学習しておけ、との教育内容を明日貴方に伝授して、貴方がそれに従い4月入社まで自宅で学習を頑張るとのことね。」
 娘応えて曰く、「おそらくそういう事だと思う。」


 一旦、原左都子の私事と私論に入ろう。

 労働基準法に基づいて“厳格に”考察した場合、おそらく上記のごとくの入社前新入社員の扱いとは(もしもそれが無給にて施される教育であるならば)「法令違反」となるのではないかとの思いが、過去に於いて法学を学んだ我が脳裏に過る。

 実際問題私が40年程前に民間企業へ就業するに当たっては、その種の入社前教育など受けたためしもなければ、4月1日の入社日まで一度たりとて入社企業へ訪れた事もない。 我が大学にて培った専門学問・技術(及び国家資格取得との事実)を全面的に信頼し、新卒直後に専門職社員として採用してくれた故と思い起こす。

 ただ、(我が娘も含め)何らの国家資格も取得していなければ、採用側にしても、どれだけの活用潜在力があるのか否か不明の“貧弱能力”大卒者を雇い入れねばならない民間企業側の苦悩の程も重々理解可能だ。


 ここで、「原左都子エッセイ集」2015.7.13 バックナンバーにて公開した 「国立大学文系学部廃止案を政権とは異なる観点で支持する」 なるエッセイから一部を紹介しよう。

  安倍政権は国立大学文系学部廃止を訴える以前の問題として、成すべき課題が盛沢山だ。
 安倍氏自身は私立大学文系学部出身でおられるが、国立大学が置かれている現状を一切認識不能の立場にして、他人事のごとく国立大学文系廃止案を提示したのであろうか。
 ただ、現在我が娘を理系(正確に言えば理系文系融合分野)単科私立大学内学科へ進学させている親の立場で思う事がある。  私立大学理系学部とは、おそらく文系学部に比し2倍以上の学費負担が発生するのが実情だ。(実験・実習等々を実施するための設備建設維持費は実際相当の金額に達するであろうことは想像がつくが。)  ならばむしろ、理系学部に要求される施設設備費を国家がすべて請け負っては如何なのか?   要するに安倍政権が国立大学をすべて理系学部に移行したいのならば、その施設設備負担こそを国庫金で賄うべきだ。  残された学部(すなわち文系学部)をすべて私立大学に任せるとの方策であるならば、自分の子を国公立・私立に進学させる親間での“学費負担不公平意識”も多少薄れるのではないかと単純に考え、評価したい思いにもなる。
 いや実際、国立大学に文系学部など要らない気がする私だ。  (その理由をここで説明するならば、特に長き独身時代に我が身を打ち立てた“食い扶持”のほとんどを国立理系学部で学んだ学問に頼る現実だった故だ。)
 京大総長が懸念されている「幅広い教養と専門知識を備えた人材を育てるためには人文社会系を失ってはならない。」とのご見解に関しては、私も賛同申し上げる。 大学とは「学問の府」であるべきであり、将来の“食い扶持”稼ぎ目的は本来二の次の課題であろう。  この課題に関しては、「一般教養課程」こそがその役割を重点的に果たすべきかとも考える。 現状の大学は(国公立も含め)この過程が貧弱と言えないか?  私の学生時代の経験からも周囲の若き学生達は単位取得に必死で、肝心の学問内容を素通りしている感があったものだ。
 もしも地方国立大学文系学部を全面的に排除したならば、過疎地地方の高校生達は今後県外の私立大学の文系を目指すが、高校段階で進学を諦めるしか方策が取れないであろう。 
 私の場合、中学生段階から「理系」を目指していた故に現在の上京が叶い、現在の自己実現が叶っているとも言える。 そうだからこそ、国家には是非とも、日本国内の何処の子供達の可能性を潰さないで欲しいものだ。

 昨日(10月21日)の報道によれば、文科相は更なる国内地方26国立大学の「文系」見直し案を提出したとの事だ。
 その内容のごく一部をここで紹介するならば、「地方国立大学文系学部生は地元企業への就職を踏まえていない」との事のようだ。
 (明日以降、「原左都子エッセイ集」にてこの話題に関し論評する予定です。)


 さて、話題を冒頭の我が娘の“就職前教育”に戻そう。

 再度繰り返すが、法学をわきまえる私としては、4月入社前に新卒内定者を来社させ今から新人教育をしようとの事態とは、一瞬「労働基準法」違反である感覚を抱かされるものだ。
 ただ冷静に考えた場合、その措置を施してでも(さほどの能力無き)大卒新卒者を採用しようとの(親の立場から言うと“出来の悪い娘”を採用してくれるとの有り難い)ご意思を持つ企業が存在している事実を、むしろ、今の時代に際しては国家や自治体こそが奨励するべきではあるまいか。
 そして学生側にしても、大学にて学べなかった実地で役立つ専門スキル等を企業側から早々教育してもらえる事とは、本人自身のキャリアアップ及び自己啓発にもつながるとの一石二鳥の効果もあろう。

 地方国立大学「文系」学部を安直に廃止しようと企てる以前の課題として、国家こそがなすべき課題が盛沢山なのではなかろうか??

 私の出身過疎県にも、今や大手企業が多く進出している実態だ。
 地方の地元国立大学学生達が過疎県内の企業に就職してくれないと嘆くよりも優先して実行するべきは、国家や自治体こそが地元企業に対し、国立大学文系学生を地元に留まらせるべく入社前事前スキル教育を施してでも採用するよう指導する事ではあるまいか??