原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

学校教育現場に於ける “勘違い教師” の存在をどうにかしたい!!

2024年12月03日 | 教育・学校
 昨日の「原左都子エッセイ集」トップ50の1位に、 「再掲載『娘の高校夏季課題より 憲法第21条『表現の自由』に関して」が、ランクインしていた。


 このバックナンバーに関しては、その事件の発生時期が我が娘の高校時代であるため。 事件発生から既に10数年の年月が経過しているにもかかわらず。 我が記憶内に消えることなく存在する“娘に関する事件”として、今尚我が脳裏に刻み付けられているのだが。

 まさに、この事件に触れる度に腹が立ってしょうがない感覚が、我が体内に今尚ある!


 実に 何度この我がバックナンバーを読み返しても、この娘の高校時代の「情報処理」教師に嫌悪感を抱かされる。😡 😱 


 本日も、何度も読み返したのだが。

 また新たな我が「嫌悪感」の発見があった!! 

 それは 当該教師が配った夏季課題の冒頭部分なのだが。
 以下に掲載しよう。

 「この宿題の内容はNIEや情報関係研究会、学校のWebページで発表する場合があるかもしれないので、真面目に丁寧に答えて下さい。」

 高校教諭経験もある私に言わせてもらうに。 まったくもって、「よく言うわ!」だ!

 あんたこそが、担当している生徒達の能力・実力の程をきちんと見極めた上で、それに見合った夏休みの課題を出せ! と言いたくもなる!


 この「情報処理教諭」による夏季課題は、親の手伝いも含めて たったの3名の生徒からの提出に終わり。 学校側の判断で、「課題自体に問題があった故に課題提出の必要無し」との取り返しがつかない結果をもたらしている。

 そもそもこの教師は、この夏季課題を生徒相手に出すに当たり一体何を目指したかったのだろう。
 それは本人が書いてある通り、「NIEや情報関係研究会、学校のwebページに発表する」のが本来の目的であったのだろうか?
 ならば、だ。
 普段の授業中に、その指導を自身が究極努力して成せば済んだことであろう。とも推測できよう。
 それを一切せずして、(少なくとも元高校教諭かつ保護者の私の視点からは、そうとしか判断できない)。  よくぞまあ、ぬけぬけとこんな課題を出したものだ。

 まあ、学校側の事前の夏季課題のレベルの程の確認が落ちていた点にも、大きな落ち度はあるだろうが。


 いやはや、教師としては実にみっともない事件だったのではあるまいか?

 この情報処理の教師に対しては、この事件後如何なる処分がなされたのかは私には計り知れないが。

 当時、一保護者であった私にとっては。
 我が専門力を大いに活かせる課題であったことには間違いないが。
 たかが娘の高校の「情報処理課題」に、“要らぬ時間”を潰されたものである。


 この「情報処理」担当教師の、その後の進退の程をまったく知らないが。

 もしも、「情報処理教師」としての人生を歩み続けているとして。
 どうか生徒はもちろんのこと、(特に夏休み中の課題に関しては)親の労力の程にも配慮した対応に期待したいものだ。
 

「食の困難」発達障害との関連が指摘されている

2024年11月27日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2024.11.21付朝日新聞記事より転載したもの。)


 高齢出産にて産んだ我が家の一人娘も、小さい頃に「発達障害」を専門家筋から指摘されたことがあり、医学者であり教育者でもあった母親の私もそれを認識していた時代があった。

 その発達障害の一症状として「食の困難」がある事実を、この私も幼き頃の我が娘を通して実感させられることがままあった。

 
 とりあえず、2024.11.21付け朝日新聞より「『食の困難』発達障害との関連指摘も 専門家の支援必要」と題する記事の一部を、以下に引用しよう。

 偏食などの「食の困難」と、発達障害との関連を指摘する報告がある。
 某教授によると、食べ物のにおいや色、形、かんだときの音や食感など、本人にしかわからない苦手な感覚が変色に繋がっているケースがあるという。
 (途中大幅略)
 某専門家は、「食べる事とは、異物を体内に取り入れるということ。人は自然に食べられるようになるのではなく、ゆっくり時間をかけて慣れていく。 食べること自体が発達そのもの。」と話す。
 「発達や認知に特質があって困難が生じている。 管理栄養士や歯科医師、保健師らの専門的な支援が必要だ。 理解と支援の方法を広めることが求められている」と語る。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 我が家の一人娘に話題を戻そう。

 社会人となり 既に30歳を過ぎて、一人暮らしも2年半が過ぎようとしている現在だが。
 今となっては とにかく一人暮らしの自由さ故に、自分が好きなものを買い込んでは自分が好む食生活を楽しんでいることだろう。
 (参考だが、我が娘は大学の専攻が「食」であり、卒業時には「フードスペシャリスト」「フードコーディネーター」「食生活指導士」の資格を取得した上で、優秀な成績で卒業している身である故に。  一人暮らしの身にして食生活を送る上で何らの障壁も困難も無いことであろう。

 そんな我が娘だが、小さい頃程 娘の食事に難儀させられた母親の私である。
 とにかく小食なのだが、加えて 私が家族のために出した食事がほとんど食べられない子だった。 やむを得ず、娘が好む食事内容をいつも別立てで整えねばならず、それはそれは大変な日々だった。
 それでも家庭内では何とかなるが、これが幼稚園でのお弁当として持たせる内容に究極難義させられたものだ。
 ある日、幼稚園年長組の参観日に娘の様子を見に行ったところ。 既に帰りの時間であるのに、娘一人が未だ私が持たせた弁当を食べ(させられ)ていたのだ!!😨 
 それを一見して私は“一種の虐待”と捉え、すぐに幼稚園の担当教諭に訴えた。 「毎日、この状態なのですか?!? 娘は元々小食なのですが、弁当を残していいので途中で食べるのをやめさせて皆と一緒に遊ばせてもらえませんか?!?」
 それに対して 教諭から返された回答が、「お母さんが、娘さんが食べられる量をお弁当箱に入れて下さい!!」
 これを“屁理屈”と捉えた私だが…  😖 😱 
 とりあえず、「分かりました!」と応えて、事を済ませ。
 その後は、娘の弁当の量を極度に減らしたものだ。
 幸い、昼食の後は自由遊びの時間となっていて、その後すぐに帰宅時間となるため。 
 娘が帰宅した後に、娘の好きなものをお腹いっぱい楽しく食べさせてやる方針に切り替えた。



 そんなこんなの、我が娘の「食難時代」も当の昔に過ぎ去り。

 今では一人暮らしの身で 業務中以外の時間帯は、 娘なりの食生活を楽しんでいる様子だ。
 お陰で 相変わらずスリム体型ではあるものの、自分が欲するお洒落を存分に楽しんでいる様子に 大いに安堵している母親の私である。


再掲載 「入学後にこそ能力を発揮しよう!」

2024年11月05日 | 教育・学校
 「原左都子エッセイ集」“昨日のトップ50内” に冒頭表題のエッセイがランクインしていた。

 私としては、一人娘の「私立中高一貫校受験」を終えて既に十数年以上の年月が経過しているのだが。
 このバックナンバーを読んで、娘中高受験前からその後の時代をある程度リアルに思い起すことが出来て。 意外なところで苦労もした事実を再認識させられたりもした。

 今時は、私立中高受験生にとっては受験直前期では無いものの、受験勉強の頑張り時であることには間違いないだろう。

 そこで、本日は2010.02.02公開の冒頭表題バックナンバーの一部を、以下に再掲載させていただこう。

         ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 2月当初の東京都内の私立受験は我が家も数年前に経験済である。 この厳寒の季節の例外ではなく、我が子の受験日もやはり今年同様の悪天候に見舞われてしまったものである。

 あの数年前の我が子の私立中学受験における“闘い”は、私にとっては忘れもしない光景である。 
 我が家の娘は多少の事情を持って生まれて来ている。(その事情とはあくまでも“多少”の域を越えない範疇であり、人並み以上の優れた能力も並在しているという一種特殊な事情に過ぎないのではあるが。) それでも、そういった事情を抱えて生まれてきているまだ10歳そこそこの我が娘には、現在の「公立」の実態(生き残る者のみしか生き残れないがごとくの)まさに厳しい完全競争の世界の中で到底勝負できる力はないものと判断した親心で、私立受験を目指させたのである。

 既に高1になった娘が通学している私立女子中高校は、中学受験当時において我が子にとっては“第二志望校”の位置付けでしかなかった。
 そうではあったが、2月2日の受験2日目における受験の本番で我が子は全力を尽くし、第二志望校ながらも“一発合格”を果たしてくれたのだ。 あの時の感動は一生忘れることはない母親の私である。 我が子幼少の頃よりの「お抱え家庭教師」である母の厳しい受験指導によくぞ耐えて、たとえ第二志望校だったとはいうものの“コネ”とも“金”ともまったく無縁の中、私立中高校の合格ゲットを自らの実力で果たしてくれた。 (本人の実力のみで勝負させないことには、娘のその先はないものと腹をくくっていた“鬼母”の私だったのだが…)

 本日(2010年2月2日)、娘が通っている私立中高が中学受験のために「自宅学習」とのことで娘は在宅していたのだが、今日の東京の雪景色を自宅から眺めながら、自分の受験当日に思いを巡らしつつ興味深い話を母の私に語ってくれるのだ。
 以下に娘のその話を紹介しよう。
 「あの後、私は一発合格した(その時通っていた)私立中学へ入学したけど、中学入学直後は勉強も他の事も全然さえなくて、きっと周りの生徒も先生も私の事を“変な奴”だと絶対思っていたと思うよ。 何でこんな出来の悪い奴がうちの学校へ入れたのかなと思われてたと思う。 それでも私は私なりにずっと頑張ったよ。 そしたら少しずつ成績も上がってきて少しずつ周囲から認められるようになって応援さえしてくれるようになって、今では勉強も自分で頑張ろうと思うし将来の夢も自分自身で見つけられそうで、今の学校に入学できて本当によかったと思ってる。」    
 (あなたの尋常ではない努力は、それをずっと身近で見ているこの母が一番よく知ってるよ。)
 これ程にまで成長している我が子に接する今現在、母親としての立場で考察した場合、「私立中学受験」など通り過ぎてきた一経過段階に過ぎず、取るに足りない過去でしかないというのが事実である。

 それでも、昨日大雨に打たれつつ帰宅の途についている私立中学受験を終えた受験生母子を背後から観察すると、冷たい大雨の中にあって尚「これでこの子の将来は開けた!」と確信しているがごとくの背中がその親子に見て取れるのは、この私も数年前に味わった一時の錯覚と同様なのであろう。
 
 その上で子どもの将来を開き得るのは、まだまだ幼き子どもを育てる親の総合力と、その親の影響力の下で育ち行く子どもの潜在能力、努力との相互作用力であることは間違いない事実である。
 それらの相互作用力を親が重々認識することを最低条件とした上で、子どもが中学生頃の時期とは、その進路が公立、国立、私立の如何にかかわりなく、今後共子どもが最大限能力を発揮する環境を整えられる親力の見せ所、見せ時期なのであろう。 
 とにかく子どもの中学受験とは、親としてはまだまだ子育てのスタートラインに着いたばかりの時期でしかない。 今後こそが親としての勝負時であることを今からわきまえておこう。

 (以下略すが、以上本エッセイ集バックナンバーの一部を引用したもの。)




 これを2024.11の今現在読んだ原左都子の感想だが。

 いやはや、この原左都子の当時はまさに過去に世で言われていた「教育ママ」そのものの勢いで、我が一人娘の教育に日々全力でかかわっていたものである。
 それでも、以下の部分は忘却していたことに気付かされる…
 (娘曰く、「あの後、私は一発合格した(今通っている)私立中学へ入学したけど、中学入学直後は勉強も他の事も全然さえなくて、きっと周りの生徒も先生も私の事を“変な奴”だと絶対思っていたと思うよ。 何でこんな出来の悪い奴がうちの学校へ入れたのかなと思われてたと思う。 それでも私は私なりにずっと頑張ったよ。 そしたら少しずつ成績も上がってきて少しずつ周囲から認められるようになって応援さえしてくれるようになって、今では勉強も自分で頑張ろうと思うし将来の夢も自分自身で見つけられそうで、今の学校に入学できて本当によかったと思ってる。」 )
 
 この文章を読んで、まさに我が娘の特質を思い起した…
 (生まれ持って「発達障害」を抱えていたせいで)何処へ行ってもすぐには我が子の実力は理解されず、表向きの“変な奴”部分が目立つ子であった事実を母親である私も十分に認める。  
 それでも我が娘の日々の“頑張り力”の程は、母親の私が一番の理解者であるが故に。  もしも、我が娘の“変な奴”部分を責める人間が周囲に出現したならば、母のこの私がその場にしゃしゃり出てでも俄然と防御に回ろうと決心していたものだ!!
 ところがその心配がないままに、我が娘は遅ればせながらも自身の能力を周囲にアピールできるまでに全開してくれたのだ!

 我が娘は中高一貫校に進学して、大学進学を果したのだが。
 娘の高校卒業時に、私は娘中1時の担任の先生から質問を受けた。 「〇〇さん(娘の事)は何処の大学に進学が決まりましたか?」
 それに母の私が自信を持って応えて、「△△大学です!」
 それを聞いた中1時の担任先生の驚きの声が今尚忘れられない。 「えっ! 難関大学じゃないですか!!」
 (補足説明をすると、娘よりも高校・大学時代にずっと優秀(??)だった私に言わせてもらうに、それ程の大学でも無いのだが。 娘が卒業した私立中高にしては確かに“難関”大学への進学だったのだろう。 私立中高など、まさに生徒の大学進学先で先々のレベルが決定すると言う意味で、娘も卒業私立中高に貢献できたとの点で業績を残せたとのことだろう。)

 

 このバックナンバーが何故、昨日のトップ50内にランクインしたかを想像するに。
 今現在は、世間では2月初頭受験の私立中高一貫校受験に向けてのラストスパートに入っている事実を物語る故であろう。

 
 最後に、高校教諭経験もある原左都子からの受験生へのアドバイスだが。
 私立中高一貫校受験の場合、今頃とはまさに2月の受験に向けての大事な時期であろう。
 とにかく自身が進学したい学校を早めに決定して、全力で勉強に励みましょう!!
 

再々掲載「ホテルは日教組との契約締結を拒否するべきだった」

2024年09月04日 | 教育・学校
 昨日の我がエッセイトップ50内の2位に、冒頭のエッセイが位置していた。

 そう言えば、教員経験者である原左都子が、過去にその手のエッセイを綴り公開した記憶は大いにある。

 今となってはそれ程の記憶なのだが。
 読み返すと当時の我が「日教組」に対する反発心がムラムラと我が脳裏に蘇る!!😡 😨 



 以下に、当該エッセイを再々掲載させていただくこととしよう。

 2009.08.05 公開の 「ホテルは契約締結を“拒否”するべきだった」と題する、当時発生した「日教組」関連事件に関する我がバックナンバーとそれに頂戴いたコメント群を、以下に再掲載させていただこう。
 この事件、私が一番解せないのは、当初プリンスホテル側は何故に日教組の教研集会の会場として契約締結をしてしまったのか、という点である。
 ホテル業界の雄であるプリンスホテルと“日教組”との組み合わせは、一般人の私が考慮しても“ちぐはぐさ”が否めない。 何故に日教組は“プリンスホテル”で教研集会を開催する必然性があったのか、今なお首を傾げる。
 プリンスホテル側も何もあえて危険を犯さずとて、他の宿泊客に及ぶであろう迷惑の回避を最優先して、当初より契約締結を断固として拒否し“我関せず”で済ませておけばこんな大騒動に巻き込まれずに済んだであろうし、巨大な損失を計上したり、日教組関係者や一部マスメディアからの非難の標的にならずに済んだであろうに。 天下の一流ホテルが、一旦締結した大規模契約を解約するのは相手が日教組でなくとて困難でもあろうに。
 それとも契約当初より、教研集会の契約締結に関して日教組側あるいはその周辺組織から何らかの“圧力”でもあったのか???

 プリンスホテルが日教組(日本教職員組合)の教研集会への会場使用を拒否した問題をめぐる訴訟で、東京地裁は7月28日、日教組側の請求をすべて認め、プリンスホテル側に巨額の賠償金の支払いと謝罪広告の新聞各紙への掲載を命じる判決を言い渡した。
 08年2月に開催の日教組の教研集会の会場としてプリンスホテルが07年10月に契約締結後、同年11月にホテル側が「右翼の街宣などで周囲に迷惑がかかる」として解約を主張し使用を拒否した。 日教組側はホテル使用を認める仮処分を求めたところ、東京高裁は使用予定日の2日前にホテル側の抗告を棄却する決定をしたものの、ホテルは拒否を続けた。このため歴史的に初めて日教組の全体集会が中止される成り行きとなった。 今回の判決で東京高裁は、プリンスホテル側が決定に従わなかったことの違法性は著しいと厳しく非難し、「参加者が集会に参加することは法律上守られる権利だ」としたものである。
(以上、朝日新聞7月29日一面記事より要約引用)

 この判決に対し、同日の朝日新聞社説においてもプリンスホテル側を非難する見解が展開されている。その社説の一部を抜粋要約して以下に紹介しよう。
 右翼の宣伝活動などがあれば宿泊客や周辺の迷惑になるとして契約を一方的に破棄したプリンスホテルに対して、裁判所はきちんと警備すれば大丈夫だという日教組の訴えを認めて会場を使用させるよう命令したが、ホテル側はこれも拒否した。右翼の街宣活動は教研集会のたびに行われてきた。集会を妨害するだけでなく、会場を貸す側にも圧力をかけ開催できなくさせよう意図があったと考えるのが自然であり、それにホテルが屈してしまった。 ホテルが迷惑がる気持ちも分からないではない。ホテル周辺の中学校長からは、おかげで入試が円滑にできたと感謝する手紙がホテルに寄せられたという。 ただ、圧力に屈して自由が引っ込むようなことが続くと、今の日本は自由に集い自由にものを言える社会なのか疑問に思えてくる。

 再び私論を展開しよう。

 やはり、プリンスホテルは“当初より”日教組集会の会場としての契約を締結するべきではなかった。
 日教組集会に右翼の街宣車がつきものであることは既存の事実であるのに、何故にその種の迷惑行為を回避できない集会を開催する会場として、不特定多数の一般人が使用するホテルが選択されねばならないのか、どうしても私は不可解である。しかも今回の場合、世に名高いプリンスホテルである。
 日教組の集会自体は自由に行えばよいのだが、如何なる集会であっても周辺社会に迷惑のかからない配慮は不可欠であろう。 何も世に名高いホテルで全国集会を行わずとも、会場候補は他にもいくらでもあったはずだ。 少なくとも教研集会会場と日教組組合員との宿泊場所を別立てとして、組合員の宿泊場所を分散させる等の措置を取り、なるべく目立たぬような集会にすることで右翼街宣車の集結を最小限に抑え、周囲の迷惑を回避することは可能であろう。

 今年の広島市での教研集会では、警察の取締りにより右翼街宣車の集結を小規模に抑えることが出来たとのことであるが、この警察の動員とて国の財政から賄われる、すなわち国民の血税等から支出されている事実を日教組組合員は認識できているのであろうか。

 もちろん、如何なる集会であれ“朝日新聞社説が仰せの通り”自由に行われるべきであることは今の時代においては自明の理であり、皆が自由にものを言える社会であって欲しいことに関しては国民誰しも異論はないことであろう。
 ただし、その集会を開く事により周辺社会に迷惑がかかるという事態は、その迷惑が自発的ではないとはいえ、主催団体は回避する手段を講じるべきであることに関しても常識の範囲内ではないのだろうか。

 この国において日教組組合員のみが特権階級であるはずもない。
 自分達が所属する集団が今現在、教育を取り巻く社会においてどれ程の貢献を成し得ているのかにつき客観的に分析判断した上で、集団としての良識的行動をとって欲しいものである。
 どうか、子どもの未来を担う教育を担当している教員の一部が組織する日教組集会が、今後はなるべく目立たぬ場所で開催されることにより、周辺社会への迷惑や国家財政の浪費を最小限に留めるべく配慮された上でなされることを、一庶民としては希望したいものである。



Comments

 一つ質問があります (r2d2) 2009-08-06 08:16:55 「なるべく目立たぬ場所」とは例えばどのような場所なのでしょうか。
 おそらく右翼活動家たちは日本のどこで行われてもその場に行くと思われます。
なるべく周囲に迷惑のかからない場所として例えばどこがいいのでしょうか。
一、二、具体的に例を挙げて下さい。

  r2d2さん、申し訳ございませんがご自身でご調査下さいますように。 (原左都子)2009-08-06 08:30:07  
  私は存じませんし、私にそれを調査する義務もないと心得ます。主催者側に良識があるのならば、ご自身で調査の上、周辺社会への迷惑を回避するべくご努力下さいますように。

 はっきりしましたよね (量さん)2009-08-06 14:12:31  一部の先生方の加入している団体の目指すところがはっきりしましたね。
 天下のホテルで開催して、宣伝「右翼」(かぎかっこが重要)に来てもらって大騒ぎを起こすもよし、天下のホテルに拒否されて訴訟を起こして「被害者」の立場で注目されるもよし。
どっちでも良かったんでしょう。
時間だってあったであろうのに、その貴重な時間を彼らは迷惑をかけないような集会方法の模索には使わずに訴訟に使ったのですから!
目立たないようにしようという発想なんてない人々であることは明白です。
こことかあそことかあっちでやれば目立たないよ、と代案を出すことに意味など見出せません。
意味があるとすれば以下の二つの点ではないでしょうか。
一つは、我々の社会はこういう人々に、先生と言う名誉ある地位を合法的に与えていて、当面それでなんとかやっていくしかないのだな、と腹をくくること。
そしてそれでなお子どもたちが良い人生を歩んで行く道を模索することだと思います。
ホテルは確かに迂闊でした。言いがかりをつけられてえらい目に逢いました。
しかしこれでもうまともなホテルはあの団体の予約は受け付けないでしょうね。
どのホテルでも今頃、企業としていろいろと対策を練っているはずです。
こうしていろいろと、相手にされなくなっていくんでしょうね。
先生方全体に対する信頼の喪失につながりかねないのに・・・・・でもあの団体には、同僚に対する思いやりなど全くないのでしょう。
恐ろしい団体です。
私も原様の導きで、目を覚ましていたいと思います。

  ホテル側が甘かった (issei)2009-08-06 22:58:06 
 こんばんは、今回の騒動単にプリンスホテル側の甘さが目立ちます。国内の旅行業、ホテル業が冷え込んでいる状況で「契約担当者が功を焦り」契約してしまった、と言う事でしょう。
 組合側から見れば、どちらに転んでも損はない訳でホテル側の勇み足は否めないと思います。 

  量さん、日教組は何故「右翼」を排除しないのでしょうかね。 (原左都子)
 2009-08-07 08:54:47これ、本当に不可解なのです。
日教組は右翼を迷惑がる振りをしている割りには集会にはいつも右翼を従えて、大々的に警察を動員しては国庫財源を浪費し、周辺社会を巻き込んでその迷惑も顧みず、一体どのような建設的な会合を開いているのかと言えば、その報道がほとんどない現状です。
日教組はまずは、“自助努力”で右翼を排除することからスタートし直すべきです。なぜそれをしないのでしょう? なぜ右翼ととことん闘わないで自分達も被害者の振りをしおおしているのでしょうか?
 プリンスホテルを叩き潰して大損失を負わせてまでも自団体の存在をアピールしている暇があれば、右翼対策を真っ先に練ることを考えましょうよ。
周辺社会へ迷惑をかけつつ会合を持つ事が、教育的でしょうか? 子どもの未来にとって何か役立つでしょうか?
日教組が会合を持つのはもちろん自由です。ですが、教職員の本業は学校で子どもを育てることです。日頃、子ども達に愛情を注いで下さっているのでしょうか?子どもの成長を本気で喜んで下さっているのでしょうか?
今回のプリンスホテル訴訟のいきさつをずっと観察してきた私も、量さんのおっしゃるように、日教組には“恐ろしさ”を感じてしまいます。
ただ、量さんがおっしゃるように、この“大騒動”で会場提供側は日教組集会を警戒するでしょうから、今後は危険回避のために安易な契約締結を避け、対策を練ることに目覚めるでしょう。
 isseiさん、圧力団体がからんでいるという裏情報もあります。 (原左都子)

 2009-08-07 09:08:19 プリンスホテルが何故に日教組と契約締結してしまったのかの背景には、日教組がらみの某圧力団体の存在がささやかれています。
不況によるホテル業界の経営不振という事情もあるのでしょうが、むしろ、そういったホテル経営上の圧力的裏事情の方が理由としては重かったのではないのでしょうか。
ですが如何なる裏事情があろうと、isseiさんのおっしゃるように、プリンスホテルは断固として契約締結を回避するべきでした。
近代社会において、“契約締結の自由”は保証されています。
周辺社会をも巻き込む迷惑や危険が予想される場合は、ホテル等公共性の高い施設はどうか勇気をもって契約締結を拒否し、危機管理を徹底してもらいたいものです。 

「右翼」な人たち (量さん)2009-08-07 22:29:27 なんだか危険なお話になってる気もしますが・・・・
私なんてけっこう右がかった人間でして、カラオケで軍歌がなっちゃったりします。
ムード歌謡(前川清好きだし)や昔のJポップなんかと同じ扱いです。
だって、軍歌って実はほとんどの曲が長調の、明るくて威勢がよい親しみやすい旋律です。
現在もこの流れは、ロボットアニメや特撮主題歌として健在です。
ところで、何故か街宣「右翼」は、日本人であれば普通は考えつかないデザインの自動車で軍歌の中では少数派である短調の音楽をウルサくがなり立てておりますわ。
ウルサいことも許し難いけど、選曲のセンスのなさもうっとおしい。
もし本当に我が国の美点を広めたいのであれば、ありえないやりかたです。
私はああいう人たちを知らないので
・・・・・何故でしょうね、バリバリの右よりの私が接点がないなんて、それだけで変じゃないでしょうか・・・・
自分のこの目で何度も確認したことだけ書きます。
最近行ってないので現在は存じませんが、少なくとも7年前ぐらいまで、ああいうデザインの車を複数駐車してある場所が某所にありました。
その駐車場の背後には銀色の小さい玉を用いる賭事屋さんがあり、道を挟んだはす向かいには朝と言う字が使われている、行政が関与しにくい金融機関があったことをよーーーく覚えております。
「従える」と言う表現は、どうやらぴったしかんかん(死語)ではないでしょうかね! 

 量さん、私もついでに… (原左都子)2009-08-08 09:02:39 
 私など、「左都子」の“左”が表現している通り、どちらかと言うと左がかった人間なのかもしれません。 それにしても、そもそも私は“つるん”だり、“結託”することを嫌う人種のためか、「党」や「集団」「組合」という存在を好みません。 思想が個別化して複雑多様化している今の時代に、人間が結託している風景自体に異様さを感じてしまいます。
 人間同志が“つるむ”ことにより危険性が加速度的に増強するように感じますが、とにもかくにも周辺社会への迷惑行為は回避願いたいものです。
量さん、そうですか。あの街宣車がそんな場所に…。
訳の分からん時代なのですね、今は。
(以上、2009年8月公開の我がバックナンバーを再掲載したもの。)

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   幸か不幸か、今現在は「日教組」なる組織の活動の程を耳にすることもない。 だからと言って、教育現場が安泰かといえばそうでもない気もする。 
 とにかく、時代が怒涛の如く変遷してしまった今現在だ。 
 教育現場が置かれている現実とは、もしかしたら、その種の組織が活発に活動していた頃より後退しているのやもしれない…


 (以上、本エッセイ集バックナンバーを再々掲載させていただいたもの。)




 上記引用文中の、コメント欄「(r2d2)」とやらのコメントを読み返すと。
 2024.09現在の今更ながら、我が体内からとてつもない程の「腹立たしさ」が蘇る!!   
 当時の私は未だ若かりし時代だったにもかかわらず、冷静な返答をしたものだと振り返るが…


 話題を変えて。
 今現在は「日教組」なる言葉さえも死語化している現実に、大いに安堵させられる。 
 実際問題、私が30代後半期に高校教諭になった時点で、既に「日教組」なる団体はすっかりと姿を消していた。

 今後、その種の団体がこの世に再燃することは無いと信じたいが。

 どうなのだろう?? 
 それに代わる教育業界に於ける「圧力団体」が再来しているのやらいないのやら。

 それすら、認識していない我が身であることをお詫びしておこう。


生徒に夏休み中に旅行したかと聞くな!って???

2024年08月14日 | 教育・学校
 つい先程、中学校教員による「(生徒に)夏休みに旅行したかと聞かないで」と題する、原左都子の感覚では大いに偏りがある内容の新聞投稿を、発見した。


 早速、2024.08.10付朝日新聞「声」欄への 58歳女性中学校教員による投稿を、以下に要約引用しよう。

 公立中学に勤務している58歳の教員だが。 
 コロナ禍前のこと。 2学期初めての授業である先生が、夏休みに旅行した人に挙手させていた。 私は、挙手しない生徒の中で涙ぐんでいた男子に気が付いた。 休み時間、私は彼と話をした。 私自身、十数年以上旅行をしていない。 旅行をしなくても日常を過ごす話を共有し合い、彼は笑顔になった。
 この夏休み、旅行をする教師はとても多い。 旅行好きな人にも、事情があり旅行しない人がいることを知って欲しい。様々な理由で旅行に行かない生徒に思いを馳せて欲しい。
 英語教師の私は、課題で「想像海外旅行」などを書かせてきた。 妄想なら世界を無料で旅行できる。
 夏休み真っただ中。暑い暑い夏を、様々な気持ちで過ごしている人がいることに思いを巡らせてほしい。
 私は20年前は乳がんで闘病していた。 それを思えば、今は何をしても幸せだ。

 (以上、朝日新聞「声」らんより一投稿を引用したもの。)



 原左都子の私見に入ろう。

 なんともまあ、心が閉鎖的な女性教員であろう。

 ご自身が20年前に「乳がん」を患い闘病した事実は、投稿内容から把握した。
 それでも、女性教員さん? その「乳がん」は既に完治しているからこそ、今尚中学校にて教員を続行できているのでしょう?!?
 それならばもうそろそろ、乳がんを患った事実からご自身こそを開放してあげてはいかがだろう??


 ここで、原左都子の私事を語らせて頂こう。

 この私も、40歳時(今から既に30年近く前の話になるが)に「頭部皮膚癌」を発症している。
 これ、医学関係者の私自身の推測だが。
 医学現場に於いて無菌操作を要する期間が何年かあり、その際に一般人よりも桁違いの大量の紫外線を頭部に日々浴びる運命にあった。
 その時の紫外線の蓄積が年月を経過した我が頭頂部に「皮膚癌」をもたらしたものと、私は推測・断定している。
 ただ、とにかくその摘出手術を受けた私は、この通り現在に至って尚無事に生命をつなげている。
 とは言えども、一度手術にて摘出した我が頭頂部の癌部位を含めた皮膚が、蘇る訳もなく…  (癌部位を摘出した後は、我が左脚から自分の皮膚を移植している。)
 一生を通して、私は頭部手術跡を抱えて生きる運命にある。

 ところが、現在はウィッグなるものが世に目覚ましく発展進化している時代であり。  この私もそのウィッグのお陰で、なんら不自由無き人生を歩めている! 
 (と言いつつ、ここでウィッグの弱点を上げると。 夏場は被ると暑い! 温泉地などでは、ウィッグを被ったまま入浴とならざるを得ず寛げないし、ホテルの自室に帰ってバスルームにての洗髪となり、二度手間だ! 等々の弱点はもちろんある!! それでも、この私も温泉地でやむを得ずその手術頭を披露したことがある。 認知症義母を引き連れての温泉旅行地で、義母の世話が厳しく自身の頭の傷跡などに構っていられず… そんな時、温泉客からの「頭どうされましたか?」との質問に応えて「過去に頭部皮膚癌を患った残骸です」等々と応えたものだ。 旅行客さんのご回答は「お義母さんの付き添いご苦労様です」と優しかったものだ…)

 それでも、全般的な感想としては。
 このウィッグの存在のお陰で、私は旅行もランニングも頭部皮膚癌手術直後から、何不自由なく皆と一緒に楽しんできている身であり。

 上に紹介した乳がんを経験しているとの中学女性教員氏のような、「(生徒に)旅行をしたかと聞かないで」なる、歪み切った心情は全く無い!!😵 😭 


 
 ここはどうか、中学女性教員さん。
 乳がん闘病から既に20年の年月が経過して、今はお幸せであられるのならば。
 ご自身の過去の「不幸」を、現在指導されている生徒に転嫁するとの勘違いは、もう卒業するべきではないだろうか??
 
 そんなことで、可愛い生徒の皆さんの夏休みの最大の楽しみでだったであろう「旅行」等の話を封印する権利など教員には無いはずだし。

 とにかく 今後は心を開かれて、旅行を始めとする生徒達の夏休中の旅行等々の体験話に快く耳を傾けてあげては如何でしょうか??!!