原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「お節料理」が到着しました!!

2024年12月31日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、原左都子が選択購入した今年のお節料理。 これを2箱購入しました。)



 こちらは、亭主選択の今年のお節料理。 (正しくは来年と言うべきかもしれませんが)、我が家の場合大晦日の夜からこれらを食するため “今年”の表現にさせて頂きました。

         

 なんだか、子供向きの可愛いお節を選択したようです!



  “料理嫌い”で名を馳せている原左都子が、自作のお節料理を作る訳も無く。😖 
 毎年、市販の出来合いのお節を購入しています。

 今年は一人暮らしの娘も大晦日に我が家に来てくれるとの事で。 
 特に亭主は、娘の可愛さ(親馬鹿ながら 31歳にして 、いつまでも可愛い外見と性格が変わらない我が家の娘なのですが。)を表現するかのお節料理を、亭主が購入した模様です。

 冒頭写真のお節は、原左都子の選択ですが。
 今年は娘が来てくれると聞き、これを2箱購入しました。
 毎年この「銀座ローマイヤ製」お節を選択しています。
 「ローストビーフ」が絶品と言えるでしょう!
 (余ったら、娘に持たせます。)

 後は、生野菜類や デザートに「栗きんとん」。
 そして、しめは「年越しそば」ですね!!

 とにかく市販品におんぶに抱っこの我が家の「年越し会」及び「新年会」ですので、毎年楽ちんさせてもらっています。♪♪♪


 それでは そろそろ娘の到着ですので、これにて失礼致します。



 来年も 皆様の「原左都子エッセイ集」へのお越しを、心よりお待ち申し上げております!! 😃 😊   


「年末年始がつらい」との気持ち、私なりに分かる気がする…

2024年12月30日 | 人間関係
 (冒頭写真は、2024.12.22付朝日新聞記事「年末年始がつらい」より転載したもの。)


 早速、この記事の一部を以下に引用しよう。

 年末年始の「家族のだんらん」という圧力に違和感を覚える人がいる。 当たり前とされる光景でも、人によっては苦痛になることがある。 (以下大幅略)

 〇 居心地が悪い悪い クリスマス前になるとパートナーがいるいないの話題が増え、一人であることが寂しい事のように語られる場面に遭遇する。 

 〇 年末くらい夫の顔を立てて親にはいはいとすらできないのか、と怒りを感じている。 男は家庭を食わせるためにどんな理不尽なことがあっても頭を下げ、我慢して働いているのだ。

 〇 責められているような 浮かれてくる街並みやテレビニュースは苦手。 

 〇 帰省はしんどいが 年末年始の帰省は 特に母が料理の準備に追われて家の中にいても落ち着かず、何処も混んでいる。 帰省しないとテレビや街の雰囲気とのギャップを感じたり、寂しさを感じたりして面倒。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 この原左都子の独身時代(37歳まで独身だったが)も、盆正月には過疎地郷里の親元によく帰省したものだ。 
 その後も晩婚の後は、亭主と一人娘を連れてやはり我が郷里に帰省した。 
 我が家の場合は 亭主が東京生まれの東京育ちのため、亭主の実家へは普段から出向くことが出来たし。
 亭主の母がなんと!!凄腕の料理名人で、得意の料理をよく振舞ってくれた。 そして、私が(その気も無いのに)😜 「お手伝いしましょうか?」などと声を掛けたものならば 必ずや、「〇子さん(私の事)はここでは“お客さん”でいいの! 下手な気を遣わずにどうぞ楽しんで下さい!」といつも言って下さるのをずっと真に受けて、義母の得意料理三昧を楽しませてもらったものだ!😝 
 義母程の料理名人になると、ド素人の料理オンチに下手に手出しされても邪魔なだけだと悟り、それをずっと実行させていただきました!!😜 

 片や、わが郷里の実母だが。
 まあ、定年まで公務員をしていた身であることを大目に見てやるとしても。 料理が下手というよりも、作る気が一切無い人間だった。(この原左都子も自信を持ってその部類だ!😫 😱
 いやいや、中途半端に下手なものを作るよりも。 今時は郷里のド田舎でも出来立ての美味しい料理が沢山販売されている時代背景故に、それを買ってくるのがベストだろう。 と言う訳で、それを実行していたなあ。

 そうだとして。
 私は、未だ父親(69歳にて他界)が若い時代から、母親が92歳になり高齢者施設入居後の現在に至るまで。
 たまに郷里に帰省しても、特段楽しくも無かったものだ…
 これ、一番の理由は、必ずや実母の「愚痴」や「父親を始めとする他者の悪口」をこの私が聞かされる運命にあったが故だ。😵  米国の姉は、特に米国に渡って後は一切日本の地を踏もうともしないし。(姉とは30年前に絶縁している私としては本気で助かっています!)
 一度 米国の姉から母宛に「日本に帰省してあなたに会いに行く」と申し出があったようだが。 その際の実母が次女の私に言ってくるに、「母の私が大恥かくだけから、どうにか来ないような手だてが打てないものか?!?」 と下の娘の私に電話で泣きついたものだ!!

 要するに、自身が身勝手極まりないお粗末な実母であるとの話だが…
 
 次女の私も、実際問題この実母に現在手を焼かされているのが現状だ。
 いえいえ 実母が他界した暁には、この私が郷里での葬儀を出してやる約束は必ず守ります! そして、「永代供養墓」にも私が入れてやります!

 
 話題がずれたが。

 年末年始に限らず。
 「家族との団らん」などとの言葉とはまるで縁のない関係を親の死に際まで余儀なくされている家庭が、この世に実在していて少しも不思議な事ではない時代であろう。

 今現在の時代背景において。
 そんな我が国の国民の中には、「年末年始がつらい」人が量産されていて不思議ではないと私は考察するし。

 普段の生活が充実していれば、それでよし! と応援しますよ!!😃 


“メゾン原”敷地内からのゴミ収集、どうやら上手くいっているようです!

2024年12月29日 | その他オピニオン
 冒頭表題に関するバックナンバーの一つである、2024.12.12付公開の「『メゾン原』敷地内からのゴミ収集、明日から開始です!」の一部を、以下に再掲載させていただこう。


 このゴミ収集問題は紆余曲折しつつも、結果として「メゾン原」敷地内にゴミ収集箱が(当然ながら貸主の我が家の負担にて)設置され、明日からの回収スタートが決定した。

 本日の最終確認においてはゴミ収集箱が無事にメゾン原敷地内に設置されたこと、住民の皆さんにもその事実が周知され、いよいよ明日第一日目のゴミ収集がスタートするとの連絡があった。

 本日の担当者氏がおっしゃるには、一点問題があったそうだ。
 今後のメゾン原ゴミ収集は、区の軽自動車が担当して下さるようだが。 万が一そのゴミ収集軽自動車が、何らかの事由で他者所有の私道を傷つけた場合の「賠償責任」に関する話題が提示された。

 貸主側としては 厳しい指摘のようにも感じたが。 確かに そのような事故が発生しないとは限らない。
 そこで、区のゴミ収集車に関して詳細の質問をしたところ。
 上記記載通り、私道が狭いため「軽自動車」にてのゴミ収集となるとのことだ。  「メゾン原」が存在する小路に入る際にはバックで乗り入れて、ゴミ収集後そのまま小路を前進する、との話だった。
 私と主人の感覚としては、バック走行の際に周辺の建物等にぶつかる恐れがあるかもしれないが。(その際は、車を運転しているゴミ収集者の責任だろうが)  よほどの事でもない限り、私道のアスファルトを傷つけることはないのではなかろうか?? と、結論づけた。😶 😟 😨

 今回のゴミ収集場所変更が予定よりも大幅に早まった(当初の予定は来年の4月だったのが、今年中の回収場所変更スタートと5カ月も早くなった!)事実に関しては。
 やはり、表通りの従来のゴミ収集場所での悪質違反行為が後を絶たず、近隣住民の皆さんに多大な迷惑が日々かかっていた事実を、区が重く受け止めた結果らしい。

 とにもかくにも、「メゾン原」内ゴミ収集場所の設定及び設置が、新たなゴミ収集スタートに間に合って肩をなでおろした気分だ。

 本日の不動産仲介会社担当者氏との会合においては、原左都子が一番懸念している「ゴミ回収終了後の回収場所の掃除」に関する話題が一切出なかったのだが。 (原左都子自身も、本日はこの話題を出すことをあえて自粛しました…)😅 😷

 仲介会社担当者氏の話によれば、メゾン原住民の皆さんは今回の「ゴミ収集場所」がメゾン原内に変更になった事実を、マイナスには受け取っておられない様子だ。

 それに多少安堵している私である。

 オーナーとしての感覚でも、どうやら「メゾン原」にお住いの皆さんはそもそも良識があられる方々であるように評価申し上げているし。
 おそらくメゾン原内に「区のゴミ収集箱」が設置された事実とは。
 今までよりも“利便性”が上がった と住人の皆さんが評価して下さるのではないかと、身勝手に受け入れている。😝
 
 何はともあれ、明日から「メゾン原」内でのゴミ収集がスタートします。

 「メゾン原」住民の皆さんにとって、この事実が“改善”であることを願うと共に。
 軽自動車にての区のゴミ収集担当者の方々にも、安全運転でのゴミ回収を今後共どうかよろしくお願い申し上げます!!

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバー記事より引用したもの。)




 本日は、12月29日。

 おそらく「メゾン原」の本年のゴミ収集も、明日当たり最終収集日を迎えることであろう。

 上記エッセイを記して後、半月ほどのゴミ収集期間が経過した訳だが。

 その後、「メゾン原」貸主である我が家宛にただの一件もゴミ収集に関する苦情等の連絡は無い。
 これこそが、ゴミ収集が上手く機能している証拠であろう。😀 

 「メゾン原」賃貸主としては、このゴミ収集に関して今尚 心配事が無い訳ではない。

 まず思い浮かぶのは やはり、私が一番心配していた「収集後の清掃」だ。
 これに関して、今までただの一本もそれに関する苦情や相談が無いということは。
 これぞ、メゾン原住人の皆様のマナーの良さを物語っている事実と解釈可能であろう。

 ゴミ収集者である軽自動車の(特に私道内での)事故も多少心配だが。
 これに関しても、運転手や係員の皆様が安全運転にて作業を遂行されているお陰で、何らの問題も発生していないということなのだろう。

 
 このゴミ収集を “メゾン原”内で実行して頂くとの事とは。
 私が推測するに、住人の皆様にとっては今までよりも多いに利便性が高まる事実と捉える。


 ゴミ収集後の「清掃」が私自身の作業となるのか?? と(身勝手にも陰ながら大いに)気にかけていたオーナー側の私であったが。

 どうやら その作業要請が無い事実に。

    良識ある住人の皆様に、心より感謝申し上げます!  😜 😃 


5歳の娘を道連れに自死したシングルファーザー

2024年12月27日 | 人間関係
 年の瀬に、暗い話題で恐縮だが…


 概して、男とは女よりもずっと弱い生き物であるような感覚がある私だが。

 そうだなあ。
 もしも私が何らかの事情で亭主に家から出ていかれたり、最悪の場合先立たれたりしても…
 おそらく私ならば、一時の辛さを乗り越えて一人娘と2人で力強くこの世を生き抜くことであろう!!と想像する。 例え、未だ娘が幼少であったとしても。


 事件は、今年の7月に起きたようだ。

 以下に、2024.12.25付朝日新聞夕刊記事「シングルファーザー 出していたSOS 5歳の娘を連れ自死」より一部を引用しよう。

 記録的な暑さとなった今年の夏、その日は「大暑」だった。 セミはもう鳴き始めていた。  
 奈良県南部の下北村。 参観のダム湖にかかる橋の下に、2人の遺体があった。
 52歳の父親、5歳の娘。
 近くには父親が借りたレンタカー。 大阪市の自宅からは、80キロ近く離れていた。
 ひとり親だった。 前日の電話はSOSだったのだろうか。 児童相談所や警察への取材をもとに経緯を辿る。
 大阪市のこども相談センターのホットラインに父親が連絡してきたのは7
月21日の昼過ぎだった。 「死にたい」とも口にしていた。 
 センターには、一時保護の調整を担う職員がいたが、結果として通話は父親の「死にたい」との言葉を聞きながらも、一時時間を置いた。 その理由は、まず落ち着いてもらう必要があると判断した故だ。
 1時間後にセンターが電話をかけると、父親は「レンタカーで外に出ている」。 行先を訪ねると、「人がいないところ、誰もいないところ」。
 職員は「その流れでセンターに来てください。お預かりの話をしましょう」。 また電話は切れた。
 この時はすぐにセンターは電話を掛け直し再びの来所を促したが、通話は途切れた。
 センターは緊急性が高いと判断した。 通報を受けた大阪府警も父子を探し始めた。
 センターはその後も10回程電話をかけたが、つながらなくなった。
 翌22日朝になって、大阪府警から奈良県警へ連絡が入る。 奈良県下北山のダム湖にかかる橋付近の捜査を始める。
 地元の警察官が橋の下で、2人の遺体を見つけた。 奈良県警は、父親が日付が変わる前後に「無理心中」を図ったとみている。

 ちなみに、児童センターと父親との関わりはこれが初めてではなかったようだ。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)


 
 ここで、原左都子の“やりきれない虚しさ”を述べよう。

 この父娘2人が死を求めて、車で奈良県下北村のダム湖付近を彷徨っている間の5歳の娘さんの心情はどんなものだったのか、が一番気がかりだ。

 新聞報道を読む限り、娘さんに関する記載が一切無い、ということは。
 車内の父娘2人の関係性は、悪くは無かったものと想像する。
 あくまでも 娘さんは唯一頼れる父親を信じ切って、行動を共にしていたことであろう。 まさか、その後無理心中に至るとは思ってもいなかったのではあるまいか??

 相談を受けた大阪中央子ども相談センターが 父親から「死にたい」との言葉を聞いた直後にすぐに対応できれば、二人は自死を免れたのかもしれないが。

 とにかく二人は、父親の自死及び父親による長女殺人に至ってしまった…
 実に悲しく辛くやるせない事件である。



 ここで 我が家の親子関係の様子を語ったところで、何ら埒が明かないことは承知だが。
 我が家の亭主が 晩婚後何年経過しても実に“いい奴”である事実に、今更ながら救われる思いだ。
 これだからこそ、既に外で一人暮らしをしている一人娘が たまにだが喜んで我が家を訪れてくれるのだと感謝感激だ。😃 

 
 まあそれにしても、男とは女よりもずっと弱い生命体であることを実感させられる事件だ。
 妻に逃げられたとて、何も娘を引き連れて無理心中せずして、2人がそれぞれに生きる道の選択肢はいくらでもあっただろうに…

 あるいは 死にたいならば父親一人で死ぬべきだった、と思うのも我が本音だ!😡 
 何も 娘を引き連れる必要はなかったはずだ。 
 こんなところにも、男の“弱さや身勝手さ”を見る思いだ…

 とにもかくにも、父娘お二人の冥福をお祈り致します。


韓国焼酎「ジョウンデー」と佐川急便小型バン宅配員のおにいちゃん

2024年12月25日 | 人間関係
 (冒頭写真は、韓国焼酎ジョウンデー 360ml。)


 クリスマスにふさわしい話題かどうかは不明だが。

 本日先程、佐川急便の小型バン宅配員のおにいちゃんがいつものごとくこの「ジョウンデー」20本箱入りを、我が自宅までお届け下さった。

 この佐川急便のお兄ちゃんとは、我が家が現在の住居地に引っ越してきて以来 23年程の宅配便のお付き合いとなるのだが。

 今でもよく覚えているのは、23年程前の頃最初に我が家へ宅配をお届け頂いた時に、このお兄ちゃんがご丁寧に自己紹介をして下さった事実だ!
 「ぼくは佐川急便の社員ですが、この辺りの地域に宅配物を届けている者です。現在18歳です。 今後共よろしくお願い致します。」
 元々お顔が可愛い方で、印象深いタイプの若者なのだが。 その可愛さに加えて、こんなご丁寧な挨拶を宅配員の方から頂いたのは初めての事で、私も感激したものだ。 「こちらこそよろしくお願い申し上げます」とニコニコ笑顔で答えただろうか。

 その後、時が流れるのは早いもので、私が左膝複雑骨折をした時の話なので2年程前のこととなるだろうか?
 一度目の手術が終わった日に亭主に連れられて松葉杖で何とか自宅マンションへ帰り着くと。  ちょうどその佐川急便のおにいちゃんが、我がマンションに配達に来られていた。
 そして、私に声かけて下さるに、「脚、どうしたんですか!!」 その回答として私が手短に「左膝複雑骨折」に関して話すと。 「それは大変でしたね! 大事にして下さい!」と励まして下さる。
 その後も私の松葉杖姿を見かける都度、「膝骨折は順調に治っていますか?」と尋ねて下さるのだ!

 (もう本当に、なんていい子なのかしら!)😍  と内心思いつつ、その後膝の状態がかなり良くなった時期に我が家に配達物を届けに来られた。
 そして聞いて下さるに、「左膝の具合はどうですか?」 私が応えて、「なかなか元通りになるのは困難なようで、未だにまともな歩行は出来ていません。」
 それに応えて、「自分の知人がリハビリ病院に通っているのですが、それをすると多少マシになるようですよ。」
 そのご親切心は大変ありがたいのだが、まさか私自身が医学関係者である事実を暴露する訳にも行かず、お礼のみ伝えてうやむやに話を終わらせた。😖 😷 

 月日が流れて、本日の事だ。

 ここのところ、韓国焼酎「ジョウンデー」をずっと定期的にお届け頂いている関係で、佐川急便のこの担当者氏が我が家を訪れる回数が多いのだが。

 本日、「ジョウンデー」をお届け下さっておっしゃるには、「ここのところ、ジョウンデー注文の回数が増えていますね! そんなにこれが好きですか?」 (参考ですが、全く嫌味なくそう尋ねて下さった。)

 私が応えて、「好きですよ! とても飲みやすいんです。 一日1本にしてますけど。」
 (最後の一言は、飲兵衛ではあるが日々飲んだくれている訳でも無い、との説明を是非したかったが故の苦し紛れの追加の一言でした!)


 参考だが この宅配員さん、亭主が宅配物の引き取りに出る時と私が出る時との会話の “使い分け” をきちんとしているようだ。
 亭主に対しては、かなり丁寧な言葉を発しているのを聞いて。
 そうか、やっぱり私に対してはより親しみやすさを感じてくれているんだなあ。
 などと、一人勝手にほくそ笑んでいる私です。😁 

 それにしてもこの宅配員さん、現在40歳を超えていると私は計算しているが、外見が初期にお会いした時とさほど変わらない風貌の可愛さなのが不思議だ。😋 😜 


 という訳で、本日のクリスマスも我が家はいつもと何ら変わらず ジョウンデーで乾杯です!!