一昨日(5月28日)と昨日(29日)の土日は台風の影響で雨足が強まる中、我が子の大学進学関連の所用で連日外出した原左都子である。
一昨日は我が子が通う高校の進学保護者会に出席した。
普段より情報収集力がある私にとって特段のトピックス的収穫はなかった中で、目新しい話題と言えば、慶應義塾大学が本年度入試からセンター試験利用方式を全面廃止するとの情報だった。 この廃止の理由が知りたい私であるが、残念ながらその説明は聞けないままだ。 高校教員経験者としては多少気になる今回の廃止措置である。
慶應と言えば“一応”日本に名立たる私学である。(“一応”と表現するのは、何分原左都子は私学受験の経験すらなく私学とは無縁の人生を歩んでいるため、世間が言うところの早慶GMARCHナンタラ等私学の“地位”のレベルの程が実感として把握できないためである。) 大学を目指す若者の8割が受験するセンター試験の合格結果を公にする事とは、その地位の整合性を証明する大いなる手段となるはずであるのに何故廃止するのだろう?? それとも万人が受ける巷のセンター試験など、歴史と伝統を誇る慶應にとって相応しくないとでも判断したのであろうか?? あるいは慶應を含めた名立たる私学とは、未だに著名人及びその卒業生子女を優先入学させているのが現状のようだ。(例えばアナウンサーになった元“モーニング娘”の何某氏とかねえ~) それら慶應生が卒業後もそのレベルの程はともかく著名度のみで「慶応」の名を世間に知らしめてくれるのをいいことに、センター試験などくそ食らえとの魂胆なのだろうか??
我が娘が来春慶応を目指そうという訳ではないため個人的にはどっちでもいいと言えばそうなのだが、今回の慶応大学のセンター試験全面廃止措置とは、歪んだエリート特権意識に基づいた思いあがり思想とも受け止められそうだ。
我が国が歴史的大震災を経験して尚、“学問の府”であるべき大学の中に自己の利益を追求するがあまり、身の程知らずに視野の狭い大学が存在することに多少うんざりの原左都子である。
そして昨日は、我が娘の第一志望大学のオープンキャンパスに足を運んだ。
今年度初めて開催されたオープンキャンパスに於いて“全体説明会”を聞くのが一番の目的だった。 大卒生が大いなる就職難に瀕しているこの時代において、何処の大学も学生の就職率を売り物とするのが現在の大学説明会の特徴のようだ。
やはり昨日娘に同行した大学でもこの“就職率”が一番の話題であった。 担当講師先生曰く「我が大学は学生の“内定先”ではなく“就職先”でものを言っています。 例えば同様に高校に於いては“大学進学実績”ではなく学生の“大学合格率”を提示して自校の大学進学実績としているようですが、これに誤魔化されないようにして下さい。」
そう言われてみれば、その通りである。 昨日我が子在籍高校で聞いてきた今春卒業生の大学進学に関する実績とは、単に“大学合格実績”に他ならないのだ。 結局、学業成績上位に位置する一部の生徒が複数合格した大学を“高校全体の”実績としてまとめているに過ぎない。 まあこれに関しても、我が娘は高校が欲するようないわゆる“有名大学”への進学を志している訳ではないため、関係ないと言えばそういうことだろう。
ただ上記に展開した大学進学関連の話題は原左都子にとってはすべて情報収集済み“想定内”範囲であり、大雨の中足を運んだ割には特段のインパクトはなかったと言える。
そんな中、大学受験生を持つ保護者としてマイナス面で大いに気にかかったのは娘の高校教員の講話である。 その学年主任教員は進学保護者会の場で驚く事に「EQ」の話題を持ち出したのである。
ここで「EQ」に関して少しだけ説明しよう。
「EQ」とは( Emotional Intelligence Quotient)の略である。
心の知能指数とも言われている「EQ」とは、自己や他者の感情を知覚しまた自分の感情をコントロールする技術を指すようだ。 比較的新しい概念であるのため、その定義は未だ明確でないのがその特徴である。 この「EQ」は従来の知能指数を示す「IQ」とは区別して用いられているのであるが、「EQ」に関して知能と知識の区別が曖昧であるとの問題点を含有しているとの専門家の指摘があるのも現状だ。
世界規模で様々な科学者達がこの「EQ」に関する諸学説を述べてはいるものの、その統計学的研究及び結論にまでは到底及ばすして「EQ」概念が一般庶民の興味を引く話題であるため、我が国においてもマスメディアを中心に“面白おかしく”この「EQ」が取り上げられ一人歩きしている現状ということであろう。
以上のように世界的に科学的研究実績が未だ確立していない“俗語”の範疇とも言える「EQ」概念を、高校の保護者会、それも大学受験を目前にした生徒保護者相手に持ち出す教員の学術センスの程は如何なるものなのだろうか??
この教員の口から「EQ」の言葉が発せられた時点で唖然としてしまった私は、その講師先生の講話を真面目に聞いていないのであるが、もしかしたらAO、推薦入試においてこの「EQ」が重要だと言いたかったのかもしれない…。
まあ、それにしても昨日参加した大学のオープンキャンパス「全体説明会」の場においては、未だ学説としての地位を築いていない「EQ」なる言葉が一切発せられなかったことに一安心である。
上記のごとく、ここにきて「大学センター試験」を全廃すると言い始めた慶応義塾大学の意図するものは何なのだろうか、原左都子には計り知れないものがある。(学習院大学も元々そうであったらしいのだが…) “一応”名立たる大学として長年その名を轟かせつつこの先進国に君臨している以上、その全廃理由を国民の前で明言して欲しいものである。
大学の存在意義とは一体何であるのか今後さらに混沌としそうなこの世に於いて、来春には“学問の府”であるべく大学へ我が娘を送り出そうとしている私である。
とにかく本人がやりたい事を最優先することを第一義として、「EQ」ならぬ本人持ち前の個性を最大限尊重しながら、大学入学後4年間本人が将来目指す分野の学問に精進することを視野に入れつつ、今は親として我が子を志望大学へ送り出すことに全力投球したいものである。
もしも娘が早期にAOまたは推薦入試で合格をゲットしてくれた暁にも、大学センター試験は高校までに培ってきた一番分かり易い学習成果判定基準として我が娘に1月に受験させる所存の原左都子である。
(最低限でも8割程度の得点を挙げて高校を卒業して欲しいものだぞ! 今後も「お抱え家庭教師」としてバックアップするから、頑張れ!!)
一昨日は我が子が通う高校の進学保護者会に出席した。
普段より情報収集力がある私にとって特段のトピックス的収穫はなかった中で、目新しい話題と言えば、慶應義塾大学が本年度入試からセンター試験利用方式を全面廃止するとの情報だった。 この廃止の理由が知りたい私であるが、残念ながらその説明は聞けないままだ。 高校教員経験者としては多少気になる今回の廃止措置である。
慶應と言えば“一応”日本に名立たる私学である。(“一応”と表現するのは、何分原左都子は私学受験の経験すらなく私学とは無縁の人生を歩んでいるため、世間が言うところの早慶GMARCHナンタラ等私学の“地位”のレベルの程が実感として把握できないためである。) 大学を目指す若者の8割が受験するセンター試験の合格結果を公にする事とは、その地位の整合性を証明する大いなる手段となるはずであるのに何故廃止するのだろう?? それとも万人が受ける巷のセンター試験など、歴史と伝統を誇る慶應にとって相応しくないとでも判断したのであろうか?? あるいは慶應を含めた名立たる私学とは、未だに著名人及びその卒業生子女を優先入学させているのが現状のようだ。(例えばアナウンサーになった元“モーニング娘”の何某氏とかねえ~) それら慶應生が卒業後もそのレベルの程はともかく著名度のみで「慶応」の名を世間に知らしめてくれるのをいいことに、センター試験などくそ食らえとの魂胆なのだろうか??
我が娘が来春慶応を目指そうという訳ではないため個人的にはどっちでもいいと言えばそうなのだが、今回の慶応大学のセンター試験全面廃止措置とは、歪んだエリート特権意識に基づいた思いあがり思想とも受け止められそうだ。
我が国が歴史的大震災を経験して尚、“学問の府”であるべき大学の中に自己の利益を追求するがあまり、身の程知らずに視野の狭い大学が存在することに多少うんざりの原左都子である。
そして昨日は、我が娘の第一志望大学のオープンキャンパスに足を運んだ。
今年度初めて開催されたオープンキャンパスに於いて“全体説明会”を聞くのが一番の目的だった。 大卒生が大いなる就職難に瀕しているこの時代において、何処の大学も学生の就職率を売り物とするのが現在の大学説明会の特徴のようだ。
やはり昨日娘に同行した大学でもこの“就職率”が一番の話題であった。 担当講師先生曰く「我が大学は学生の“内定先”ではなく“就職先”でものを言っています。 例えば同様に高校に於いては“大学進学実績”ではなく学生の“大学合格率”を提示して自校の大学進学実績としているようですが、これに誤魔化されないようにして下さい。」
そう言われてみれば、その通りである。 昨日我が子在籍高校で聞いてきた今春卒業生の大学進学に関する実績とは、単に“大学合格実績”に他ならないのだ。 結局、学業成績上位に位置する一部の生徒が複数合格した大学を“高校全体の”実績としてまとめているに過ぎない。 まあこれに関しても、我が娘は高校が欲するようないわゆる“有名大学”への進学を志している訳ではないため、関係ないと言えばそういうことだろう。
ただ上記に展開した大学進学関連の話題は原左都子にとってはすべて情報収集済み“想定内”範囲であり、大雨の中足を運んだ割には特段のインパクトはなかったと言える。
そんな中、大学受験生を持つ保護者としてマイナス面で大いに気にかかったのは娘の高校教員の講話である。 その学年主任教員は進学保護者会の場で驚く事に「EQ」の話題を持ち出したのである。
ここで「EQ」に関して少しだけ説明しよう。
「EQ」とは( Emotional Intelligence Quotient)の略である。
心の知能指数とも言われている「EQ」とは、自己や他者の感情を知覚しまた自分の感情をコントロールする技術を指すようだ。 比較的新しい概念であるのため、その定義は未だ明確でないのがその特徴である。 この「EQ」は従来の知能指数を示す「IQ」とは区別して用いられているのであるが、「EQ」に関して知能と知識の区別が曖昧であるとの問題点を含有しているとの専門家の指摘があるのも現状だ。
世界規模で様々な科学者達がこの「EQ」に関する諸学説を述べてはいるものの、その統計学的研究及び結論にまでは到底及ばすして「EQ」概念が一般庶民の興味を引く話題であるため、我が国においてもマスメディアを中心に“面白おかしく”この「EQ」が取り上げられ一人歩きしている現状ということであろう。
以上のように世界的に科学的研究実績が未だ確立していない“俗語”の範疇とも言える「EQ」概念を、高校の保護者会、それも大学受験を目前にした生徒保護者相手に持ち出す教員の学術センスの程は如何なるものなのだろうか??
この教員の口から「EQ」の言葉が発せられた時点で唖然としてしまった私は、その講師先生の講話を真面目に聞いていないのであるが、もしかしたらAO、推薦入試においてこの「EQ」が重要だと言いたかったのかもしれない…。
まあ、それにしても昨日参加した大学のオープンキャンパス「全体説明会」の場においては、未だ学説としての地位を築いていない「EQ」なる言葉が一切発せられなかったことに一安心である。
上記のごとく、ここにきて「大学センター試験」を全廃すると言い始めた慶応義塾大学の意図するものは何なのだろうか、原左都子には計り知れないものがある。(学習院大学も元々そうであったらしいのだが…) “一応”名立たる大学として長年その名を轟かせつつこの先進国に君臨している以上、その全廃理由を国民の前で明言して欲しいものである。
大学の存在意義とは一体何であるのか今後さらに混沌としそうなこの世に於いて、来春には“学問の府”であるべく大学へ我が娘を送り出そうとしている私である。
とにかく本人がやりたい事を最優先することを第一義として、「EQ」ならぬ本人持ち前の個性を最大限尊重しながら、大学入学後4年間本人が将来目指す分野の学問に精進することを視野に入れつつ、今は親として我が子を志望大学へ送り出すことに全力投球したいものである。
もしも娘が早期にAOまたは推薦入試で合格をゲットしてくれた暁にも、大学センター試験は高校までに培ってきた一番分かり易い学習成果判定基準として我が娘に1月に受験させる所存の原左都子である。
(最低限でも8割程度の得点を挙げて高校を卒業して欲しいものだぞ! 今後も「お抱え家庭教師」としてバックアップするから、頑張れ!!)