◎昭和二七年の「スターいろは歌留多」(淡谷のり子の「藍シャドウ」ほか)
昨日および一昨日のコラムでは、幕末および明治初年に、「いろはかるた」によって世相を批評した例を示した。
二一世紀の今日でも、大晦日の新聞が、一面のコラムで、「いろは」順に並べた短文句によって、その一年の世相を振り返るということがある。「いろはかるた」によって世相を批評する伝統は、こうした形で今に受け継がれているのである。ただし、そこで使われているのは、コラム担当者が考えた短文句であって、「いろはかるた」そのものではない。
さて、以下に紹介するのは、一九五二年(昭和二七)に発表されたという「スターいろは歌留多」である。戸板康二『いろはかるた随筆』に紹介されていたものを、そのまま引用する。
初出は、雑誌『映画と演芸』(朝日新聞社)の「昭和二七年の号」で、作者は矢野目源一だというが、未確認。
い 一を聞いて二十を当てる 柴田早苗〔女優〕
ろ 論より実力 諏訪 根自子〈スワ・ネジコ〉
は 花のバリでお昼寝 高峰秀子
に 二枚目世にはびこる 長谷川一夫
ほ 惚れて通えばかぶりつき 春日野八千代
へ 紅白粉〈ベニオシロイ〉は女の色気 花柳章太郎
と としよりの冷酒 古今亭志ん生
ち 沈魚落雁閉月羞花 中村歌右衛門〔六代目〕
り 両脚上げれば立てない 谷 桃子〔バレリーナ〕
ぬ ぬうっと顔を出してスターなり 佐分利 信〈サブリ・シン〉
る るりもはげも照せば光る 柳家金語楼
を 男の中の男前 上原 謙
わ 若い時は二度ない 田中絹代
か 彼氏とは性格の違い 水谷八重子
よ よい子には親かかる 美空ひばり
た 足らぬは亭主ばかりなり 原節子
れ 例によって例の如し 藤原義江〔オペラ歌手、男性〕
そ そこのけそこのけお馬が通る 丹下キヨ子
つ 釣れますかなどと金馬は傍〈ソバ〉へ寄り 三遊亭金馬〔三代目〕
ね 猫に音盤〔レコード〕 神楽坂はん子
な なけなしの旅費失い 大谷冽子〈オオタニ・キヨコ〉
ら 来年のこといえば敬老会 藤蔭静枝〈フジカゲ・シズエ〉
む 夢声通ればマイクが引張る 徳川夢声
う 上も行く行く下も行く 久保幸江〈クボ・ユキエ〉
ゐ 芋の煮えたも御存じない 久我美子〈クガ・ヨシコ〉
の 能ある鷹は皺〈シワ〉をかくす 東山千栄子
お 夫唱え婦随う 山田五十鈴
く 雲の上に出てみたスター 高峰三枝子
や 安物買いのスキャンダル 三国連太郎
ま まけぬが勝ち 阪東妻三郎
け 芸といえばイヤンバカ 柳家三亀松
ふ 古川に汗水たえず 古川ロッパ
こ こびとに鈍なし 市川猿之助〔二代目〕
え 得手に口を開ける 笠置シヅ子
て 亭主の好きなヘンな服装〈ナリ〉 山口淑子
あ アソコ隠して尻かくさず 吾妻京子
さ 三遍踊ってうどんにしよう 水の江滝子
き 君を思えば徒跣〈カチハダシ〉 岩井半四郎
ゆ 行末は誰が肌ふれん紅の花〔芭蕉の句〕 越路吹雪
め 目の上の藍シャドウ 淡谷のり子
み 身から出たチビ 榎本健一
し 四十新造五十島田 西崎 緑〔初代〕
ゑ 「英雄」フシを好む 広沢虎造
ひ 昼は録音夜高座 春風亭柳橋〔六代目〕
も 門前の小僧習わぬ絵も描く 池部 良〈イケベ・リョウ〉
せ 膳は急げ(美食趣味の評判) まり千代
す 粋も甘いも味は梅干 杉村春子
京 京マチ子の猫通いけり羅生門 京マチ子
見てわかるように、これは、一部を除けば「いろはかるた」そのものではない。ただし、「いろはかるた」を素材にして、それをモジっているものが多い(この手法は、地口〈ジグチ〉と呼ばれる)。
「としよりの冷酒」は、江戸いろは「年寄りの冷水」を素材とし、「来年のこといえば敬老会」は、上方いろは「来年のこと言えば鬼が笑う」を素材としている。
「一を聞いて二十を当てる」は、尾張いろは「一を聞いて十を知る」から。なお、この「二十を当てる」というのは、当時のNHKラジオの人気番組「二十の扉」のことを指している(柴田早苗は、同番組のレギュラー解答者のひとりだった)。
「芋の煮えたも御存じない」は、「江戸いろは」そのまま、「若い時は二度ない」は、「尾張いろは」そのままである。
それにしても、今となっては、「ユーモア」が理解できなくなっているのものが多いのが残念である。それ以上に残念なのは、ここに名前がでている方々のほとんどが、故人になっていることである。大谷冽子さん(声楽家)、山田五十鈴さん(女優)のように、今年にはいってから亡くなられた方もいる。
今日の名言 2012・7・21
◎日経新聞喜多恒雄社長は裸の王様だ!
週刊文春2012年7月26日号(7月19日発売)の新聞広告にある「見出し」。続いて「本誌広告掲載を拒否」とある。7月19日(木)の日本経済新聞は、この新聞広告を拒否していない。日本経済新聞と週刊文春の間の関係は、今どのようになっているのか。