礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ウィキペディア「中山太郎(民俗学者)」について(付・白川静の巫女論)

2012-07-05 05:15:20 | 日記

◎ウィキペディア「中山太郎(民俗学者)」について

 ウィキペディアの「中山太郎(民俗学者)」の項は、よく書けていると思う。ただし、問題がないわけではない。
 この項の執筆を担当した人物は、中山太郎に関する文献をよく調べた上で、有益な解説をおこなっている。しかし、おそらくこの執筆者は、中山太郎という民俗学者とその業績に対し、肯定的な評価はしていない。また、中山の論文自体には、詳しく目を通していないのではないかという気がする。
 具体的に指摘していこう。「中山太郎(民俗学者)」の項の中の、「中山民俗学」の見出しのところには、次のようにある(①~⑥の番号は引用者がつけた)。

①民俗学研究の一般的手法であるフィールドワークを殆ど行わず、史料文献を多用する研究方法から自らの学問を歴史的民俗学と称した。
②中山民俗学の基礎は、上京後に図書館通いを続けあらゆる地誌史類を読み作り上げた三万枚ものカードであった。柳田國男に「上野の図書館の本を全て読もうとした男」と怖れられるほどの読書家でもあった。
③中山は研究者として執筆活動に専念した五十歳のころに売笑・婚姻・巫女・若者・盲人・祭礼・信仰・葬儀・伝説・職人の十種の研究を上古から現代まで民俗資料をもとにして編年史を纏め上げる壮大な野望を持った。うち五つは完成させた。
④そうした実績の割に中山太郎の評価が低い理由は、中山の史料批判の弱さであり、その使用方法や方法論に問題点があると言われる。柳田國男は中山の『日本巫女史』を評価しつつも「(前略)欠点をいふならば読んで余りに面白いこと、もしくは史料が雑駁〈ザッパク〉に過ぎて、強ひて価値不同の事実を継合せて、急いで堂々たる体系を備へようとした点であらう(後略)」と述べている。
⑤また南方熊楠も方法論について「中山太郎氏は小生毎度いろいろ世話になる人なり。しかしながら、この人は多忙の人ゆえ、いろいろと氏得意のカード調べに間違い多し。氏の書いたことは出処の沙汰はなはだおろそかなり。(中略)氏の『日本巫女考』ははなはだ有益なるものなり。しかし麁笨〈ソホン〉なることも多し。」(原文のママ)と辛辣な意見を述べている。
⑥中山は「ジャーナリストの悪いところだけ受け容れて、間口ばかりで奥行のない人間となってしまひ」とこうした批判を認めるようなことも書いている。

 ①②③はともかく、④⑤⑥には、「中山民俗学」に対する悪意が感じられる。中山太郎は、よく地誌を読み多くの本を執筆したが、資料批判に弱いところがあり、実績の割に評価が低い。中山自身も、そのことは認めている。――この「中山民俗学」の見出しの部分を読んだ読者は、「中山民俗学」に対し、そのようなイメージを持つに違いない。執筆者は、意図せずに(あるいは意図して)、読者がそのようなイメージを抱くような「まとめ」をおこなっているのである。
 まず、「実績の割に中山太郎の評価が低い理由」を、「中山の史料批判の弱さ」に限定するのはいかがなものか。ほかにも、柳田國男や折口信夫との間に生じたアツレキによって、中山太郎が民俗学の世界での立場を失ったなどの人的背景があったはずである。執筆者は、この解説で、そうしたアツレキにも触れているのであるから、そうしたことも、「実績の割に中山太郎の評価が低い理由」に加えておくべきであった。
 南方熊楠は、中山太郎について、「この人は多忙の人ゆえ、いろいろと氏得意のカード調べに間違い多し。氏の書いたことは出処の沙汰はなはだおろそかなり」と指摘している。この南方の指摘は、特に、中山太郎の代表作『日本巫女史』(一九三〇)を意識したものであろう。柳田國男も、中山太郎の同書について、「史料が雑駁に過ぎて」と指摘している。ウィキペディアの執筆者は、これらについて言及しているが、これは必要であり、重要なことである。
 しかし、こうした「引用」によって、中山の『日本巫女史』への評価に替えるのは、ウィキペディアの上では許されるとしても、学問的には許されることではない。もし、この執筆者が学問の世界にかかわっている人ならば、みずから『日本巫女史』の原文にあたり、南方や柳田の指摘が妥当であることを確認し、二三、その具体的な例を挙げる労を惜しむべきではなかったと考える。【この話、続く】

今日の名言 2012・7・5

◎シャーマンとしての媚女が、動物霊を使って呪詛を行なったことは卜文によって知られる

 古代漢字学で知られる白川静の言葉。岩波新書『漢字』の34ページにある。「媚女」〈ビジョ〉は、眼の上に媚飾〈ビショク〉を加えた巫女〈フジョ〉。呪詛〈ジュソ〉は、うらみに思う相手に災いがあるように祈ること。「卜文」〈ボクブン〉は、甲骨に刻まれている占いのための言葉。白川静は、古代漢字を通して、古代中国人の民俗および心意に迫った。その内容は、中山太郎が『日本巫女史』で詳述した古代日本人の民俗および心意と重なる。

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