◎田中義一首相刺殺未遂事件に対する吉野作造博士の論評
一九二八年(昭和三)六月八日、東京の上野駅で、田中義一首相が兇漢に襲われるという事件があった。この事件に対し、吉野作造法学博士は、同年七月、「田中首相刺殺の企謀」と題する論評を寄せている。全文を引用してみよう。一部、かな遣いなどを改めている。
田中総理大臣を上野駅に刺さんとした青年がある。かかる犯行の行わるるについては、第一には云うまでもなく犯人自身の精神的欠陥が問題になるけれども、さらにまた次の二原因をも省量のうちに入れておく必要があろう。
一は公事に関する立場の相違を直ちに人身攻撃の形に現わすことである。それも単純な人身攻撃ならいいい。あるいは皇室の尊厳を冒涜すると云い、あるいは建国の精神を蔑〈ナイガシロ〉にしたと云い、あるいは立国の基礎を危うす〈アヤウウス〉と云う。いずれにしても聞く者をして国安のため一日も相手の生存を許しえざるがごとき感を抱かしめる。敵を陥れるにはこれに優る良法はないが、これより生ずる結果の恐るべきを思うとき、心ある者はつとめてかかる言論を避くべきである。かつて伊庭想太郎〈イバ・ソウタロウ〉は榎本武揚の酒席における放言に動かされて星亨〈ホシ・トオル〉を刺したとやら。近くは原敬〈ハラ・タカシ〉の非命に倒れた例もある。人を責むるに言語の慎むべきを私は特に自ら愛国の士を気取る人たちに要求したい。しかしこの種の事柄について最も不謹慎なるものの政党者流なることはまた云うまでもない。
二は政治家が輿論〈ヨロン〉の趨勢を無視しても飽くまで一旦獲た〈エタ〉地位を離れじとする風を示すことである。輿論の嚮背〔向背〕によって政権のすらすらと移動するので〔移動するからこそ〕政権の空気は穏やかに疎通する。政権が腐敗手段を弄して〈ロウシテ〉輿論を意のままに左右し、また輿論我〈ワレ〉に背く〈ソムク〉の明らかなるにかかわらず言を左右に托して当然の処置を取らぬとすれば、勢い直接行動を誘致するにいたるはやむをえない。とかく暗殺などいうものは、少数者にとうてい枉屈〈オウクツ〉を伸ぶるの機会を与えざるところに起こる。わが国でも朝鮮や台湾にこの種不祥事の起こるは当分は免れがたいことかもしれぬ。憲政の布かれた〈シカレタ〉日本本土においては本来何も直接行動に訴えて政界の疏通をはかる必要はないのである。しかもそれが時として行われるのは、輿論の嚮背に応じて政治家のまさに執る〈トル〉べき処置が文宇通りに軌られないからである。少なくとも人をして、しか〔そう〕信ぜしむるものあるからである。この点において今日〈コンニチ〉の政友会内閣は、あるいはみずから暗殺を誘発せるの道徳的責任を免れぬかもわからない。
以上、出典は吉野作造『現代憲政の運用』(一元社、一九三〇)。初出については、記されていない。
青年が田中義一首相を襲った理由については不詳。また、吉野作造博士も触れていない。しかし博士は、事件の背景として、「公事に関する立場の相違を直ちに人身攻撃の形に現わす」日本の政治的・思想的風土があることを指摘している。
また、田中義一首相を中心とする政友会内閣が、「腐敗手段を弄して輿論を意のままに左右し」てきたことなどについても指摘する。
博士は、文章の最後を、「今日の政友会内閣は、あるいはみずから暗殺を誘発せるの道徳的責任をまぬがれぬかも分からない」という言葉でまとめている。これは、穏健をもって知られた吉野作造博士の発言のなかでは、かなり過激なもののひとつに数えられると思う。
昭和初年の雰囲気と平成の昨今の雰囲気が似てきたということがよく指摘される。ひとつだけ異なる点は、政財界の要人に対するテロルの有無である。もし今後、政財界の要人に対してテロルが起こるようであれば、その後の日本は、おそらく戦前と同じ道をたどることになろう。
今日の名言 2012・7・10
◎隠すことが教育なのか
本日の東京新聞の「社説」の見出し。同社説は、大津市で起きた中学生自殺事件をめぐって市教委および中学校がとった対応(隠蔽)を厳しく批判している。こうした「隠蔽」の背景には、現在、大津市が採用している学校選択制度があると指摘する研究者もいるが、同社説がこの点に言及していないのは残念である。